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地域に根ざした共生社会の実現 CBID事例集

特定非営利活動法人 ハックの家

(岩手県下閉伊郡田野畑村)

キーワード 災害、開かれた土壌、コミュニティ開発

一人の主婦の動きをきっかけに、村長・医師・行政職・その他の住民が巻き込まれ、ハックの家は立ち上がった。この「周囲を巻き込む力」は、その後の活動の中でも発揮され続けた。ただそれは、事業所が周囲を一方的に巻き込むのではなく、事業所も周囲に巻き込まれ、地域のニーズ(高齢者の居場所、不登校児支援、子育てしながらの在宅就労など)に応え、互いに助け合う関係となっている。そこにハックの家の面白さはある。東日本大震災という困難を迎えたが、ここでも「周囲を巻き込む力」により乗り切り、もとから存在する開かれた土壌を再発見する機会となった。

◆背景

田野畑村でただ一つの福祉事業所であり、ハックの家が活動を開始する以前は、村の障害者はたとえ本人が村での生活を望んでも、他の地域で暮らす他ない状況であった。

◆事業概要

障害のある人たちに障壁のない場を提供したいと、1996年4月に福祉作業所ハックの家として開所。活動10周年を機にNPO法人となり、花咲き織りや陶芸作品の製作、水産加工作業の受託、パン工房整備による食パンの製造販売などに取り組んでいる。障害者に働く喜びと生きがいを提供し、社会移行と自立を促進する。

写真1

地域の基礎データ

●活動地の状況:山間部に位置し、裏山では山菜が収穫できる豊かな地域。海岸も近く、水産業が盛んな地域。しかし東日本大震災により、水産業は大きな被害を受けた

●カバーする地域:岩手県田野畑村とその周辺(普代村、野田村、久慈市など)

●人口:約3,800人

●地域の課題:近隣の3つの村で唯一の福祉事業所である。東日本大震災以降はその影響も大きい

■設立年

1996年4月、作業所として開設。2007年3月、NPO法人化。

■事業内容

●事業の目的:障害があってもなくても、普通に地域で生活しているということの実現

●事業の目標と対象者:障害者への支援を中心として取り組んでいるが、地域住民との連携による課題解決の形であるため、子どもから高齢者まで幅広い層の地域住民も対象となっている。

●関係当事者:田野畑村住民全員が関係当事者。

●事業の主な財源:福祉事業の報酬と生産活動(花咲き織り、漬物、パン、カフェ、ルアー)による事業売上。

●実施したこと:もともとあった地域とのつながりを中心に、事業を展開している。障害者を支援する事業所としてというより、「なんだか人が集まるところ」「暇なときに織物ができるところ」「カフェでのんびりできるところ」「仕事をしながらおしゃべりができるところ」というように、特に限定せず、鍵をかけず誰でも入れる空間が知らないうちにできあがっており、自然と参加している人がほとんどである。

事例8 図1(図の内容)

写真 お試し体験者たち
花咲き織り工房に集まる、メンバー、地域の人、お試し体験者たち

写真 パン工場の洗い場
ハックるパン工場の洗い場で、洗い物スペシャリストの2人

■特徴

■本人へのアプローチ

ハックの家は、個々の障害者の強みを見つけることに長けている。またさまざまな地域住民の出入りによって、多様性のある環境が作り出されている。個々の障害者の強みと多様な環境のマッチングが、さまざまなニーズや特徴を持った障害者の穏やかで充実した生活を可能にしている。例えば、集団内で不安定だった自閉症の男性に、静かな空間で、かつ関わる人も限定したルアーの組み立て作業を提供。男性は落ち着いて作業に取り組み、かつ細かい作業が得意という長所を活かすこともできるようになった。また別の自閉症の男性は、活字のように精緻な字で、日々のニュースや株式市況をカフェの看板に書くことを日課にしている。この看板を見るためだけにカフェを訪れる人もいるとのことで、個性が長所として活用された例の一つといえる。

■地域へのアプローチ

ハックの家は専門家集団ではないため、課題に直面すると外部支援を必要とすることが多い。それは本来組織の弱みになるはずだ。しかしハックの家では、逆にこの弱みをきっかけとして、オープンに支援を求めることで周囲の社会や地域を巻き込み、結びつきを強めている。一例が陶芸小屋の建設である。陶芸小屋を建てることになったものの、必要な機材がないため、周囲にそのことを訴えると、村長が所有山林の材木を提供し、村の工場が重機を貸与してくれることになる。さらに近所の大工が「柱が1本足りないから、あれでは崩れる」と専門的助言をし、見習いの若い衆を手伝いに送り込むなど、完成までに計41名の地域住民が無償で協力したという。つまり村民の約1%が建設に参加したわけで、驚異的な動員力である。このように、困ったときに周囲を巻き込み支援を受けることを繰り返す中で、地域との関係が深まった面もあるのだろう。今では活動の一つである漬物作りに、地域の高齢者が日中活動の場として多く参加している。また、中学校から不登校生徒の支援を依頼されるなど、貴重な地域資源として住民たちにうまく利用されている。

事例8 図2(図の内容)

写真4

■「ただ笑っているのも仕事のうち」

たとえ非常に障害が重くて、笑っていることくらいしかできない人であっても、その人が笑うことで場の雰囲気がよくなったり誰かが気持ち良くなったりするのであれば、ただ笑っていることも充分に仕事として成り立つはず、そんなふうにハックの家では考えられている。障害ゆえの弱みも、時に迷惑と受け止められる特徴も、仕事として活用され、地域社会の資源となる可能性が開かれる。また別の青年は、三陸鉄道で乗客に頼まれなくても観光案内をすることを好んでいる。その行動は、時に迷惑と受け止められるかもしれない種類のものだが、いつのころからか車掌がうまく間を取り持つようになり、青年も乗客も楽しい時間を持つことができるようになったそうだ。これなどは、ハックの家の考え方が地域に浸透しようとしている、一つの表れなのかもしれない。

「困ったことがあると、すぐにそこら中で『困った困った』って言って回るんです」

困ったことに直面するという事態は、本来、個人にも組織にもピンチであり危機である。自力で解決できない困りごとや、組織の中で解決できない困りごとは、なるべく少ない方がいい、課題はなるべく組織内で解決できた方がいい、と一般には考えがちである。ハックの家では、ある意味この逆を行っている。困りごとや課題に直面すると、地域社会に訴え、解決策を組織の外から調達することがしばしば行われている。それはもしかすると、組織として小さく、かつ専門家がいないという、ハックの家の弱みから余儀なくされたアプローチなのかもしれない。しかし繰り返し困りごとを訴えることで、地域にハックの家の存在を周知し、オープンに地域や社会の資源を自分たちのものとして活用できるようになり、かつ地域から見ると、ハックの家が放っておけない存在になった。また東日本大震災を契機として、これまでより広い範囲の福祉資源を活用し、自分たちの活動の新展開としている点も、実はこれまで通りのハックの家のやり方の延長線上にあるのかもしれない。

◆変化したこと

ハックの家が開設される前までは、田野畑に暮らす地域住民の生活に障害が生じると、この地域で生活を続けることができない状況にあった。そこで、一人の主婦の動きをきっかけに、村長・医師・行政職・その他の住民が巻き込まれ、ハックの家は立ち上がった。もともとは、この地域でどのような境遇に置かれていたとしても、住み慣れた田野畑で生活をし続けられるためということが活動の目的であったが、ハックの家が抱える困りごとを周囲に発信し続けることで、周辺の関係者は何らかの形で援助していく、いわば巻き込んでいく仕掛けとなっていった。この巻き込みの連続が新たな活動を生み、多様な立場の者の関わりが絶えず続く様相となっていった。

田野畑村地域は、どのような境遇にある者であっても、そこにいることが自然と受容されるようになり、ハックの家の活動範疇を超えて、何らか支え合うことが当たり前となった。例えば、スーパーで買い物に行った際に、会計に時間がかかり列を成していたとしても、周囲の地域住民は待ち続けたり、時には協力したりして対応するようになった。また習慣的に銀行に通う者に対しても、その日課を遂行できるように銀行が対応したり、鉄道車両の中で一方的にガイドをする者に対しても、車掌が一声かけ案内を成立させたりなど、さまざまな場面の中で、本人のあるがままのできごとがそのまま可能となる地域へと変容していった。今では、ハックの家に関わるさまざまな関係者同士で、温泉旅行に行くこともある。

そのような地域へと変化していったことで、寡黙であった青年が、興味があることを中心に主張できるようになっていった。すなわち、この地域で働く活動を得たことに加えて、コミュニケーションの様相自体へも変化をもたらした。そういった中、ハックの家を設立した当初に対象としては考えていなかった中学校の不登校生徒や、行き場のない高齢者など、さまざまな立場の者の困りごとが、ハックの家という、またそれを超えた田野畑村地域というプラットフォームの上で解決されていった。

東日本大震災が起きた際、この地域に暮らす人に対しても、また産業を含めた環境に対しても、大きな損害を与えた。ハックの家自体も影響を受けたが、それまでと変わらずに周囲に困りごとを訴え続けた。震災の被害を受けた東北地域は、全国から注目されるようになり、ハックの家も同様に、これまで関係のなかったエリアから復興支援を受けるようになった。このことにより、震災後に共働き夫婦の子どもの過ごす場など、新たな地域のニーズに気付くきっかけとなり、新たな活動の展開へ取り組むようになった。しかしながら、震災が起きても、ハックの家は変わらず周囲を巻き込み、解決を図ることを繰り返している。

■課題と展望

東日本大震災による津波の影響で、重要な活動の一つであった水産加工工場を失い、新たな何らかの活動を獲得したいという思いがある。また地域にはまだ気付いていなかったニーズ(障害児託児、高齢者支援など)が存在していることがわかり、今後対応する必要があるとハックの家では考えている。

■CBRマトリックス使用による分析

◆開設当初

開設当初は、生活に障害が生じたとしても、この地域で生活し続けることが、一番の目的であった。そのため、活動を通じて所得を得ていくことや、交流する機会を設けることなど、すなわち居場所の一つとしての意味合いが大きかった。

事例8 図3(図の内容)

◆個人の変化

一番の変化は、開設当初の目的でもあったこの地域で生活をし続けられることの実現。しかしながら、その範疇にとどまらず、活動を通じて健康状態が保たれたり、所得を得ること、交流の機会を得ることが生まれた。もともとの対象以外にも影響は及び、そこの対象も個人として考えた場合には、高齢者の介護予防、不登校生徒の教育を受けるきっかけなどへ効果が表れた。その個人の変化に伴い、周辺の地域も変化していった。

事例8 図4(図の内容)

◆事業所の変化

この地域で生活ができなかった者への居場所としての役割は満たした。ハックの家の特徴でもある周辺関係者を巻き込む力により、コミュニティが動かされていったことが、最大の変化である。それをきっかけとし、多様な対象に対して対応が可能となる変化を生み出した。事業所とコミュニティの垣根が限りなく透明な形となり、効果は多様なものとなっていった。

事例8 図5(図の内容)