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ワールド・ナウ

アメリカ

アメリカの聴覚障害者へのサポート事情①

 筆者は昨年の8月より今年の7月まで国連西アジア経済社会委員会を休職して、ここ米国の首都ワシントンにあるジョンズホプキンス大学高等国際問題研究大学院の修士課程で国際公共経営論を勉強した。予定より少し早く5月に修士コースを終了したので、その後は国会図書館などを利用して、国際関係の資料を集めたり、筆者のもうひとつの専攻である障害者福祉について勉強をしたり、少しでもワシントンの滞在を有効に使うことに心がけた。
 7月には幸運にも筆者の友人であり、アメリカの聴覚障害のリーダー的存在であるヤーカー・アンダーソン氏と再会することができ、聴覚障害をもつ人のための世界でただ1つの総合大学ギャローデット大学を見学する機会に恵まれた。そこでアメリカの聴覚障害者の現状を学び、いろいろなサポート設備・施設など実際に見たり使用したりすることができた。そのほかにもアンダーソン氏の紹介で全米障害者評議会の専門家とも会うことができ、ADA(American with Disabilities Act)のその後の実施状況などについても勉強する機会を得た(写真1 略)。
 過去約7年近く中近東で仕事をし、生活をしてきた筆者にとっては、この1年は先進国アメリカでのある意味での驚きと、感激とそしてほんの少し、未来に対する不安と失望の日々であった。アメリカではその経済の活気、情報文化の最先端を走る便利で合理的な生活、そして“小さな政府”のスローガンに見られる民間主導の理念など、いろいろと圧倒されるような感激を経験した。その一方では、複合的な社会特有の極端な貧富の差や社会問題、複雑な人種問題、そして何よりも経済的合理性最優先の論理などを目の当たりに見せつけられ、筆者の総合的な現在のアメリカ評価は“感激と尊敬”と“失望と悲観”の両方である。筆者にとってアメリカ生活は初めてではないが、今回は米国人である配偶者が偶然ここワシントンの本庁に勤務することになったので、ともに生活することになった。そのおかげか、現在の米国の多様性と、光と影の部分を垣間みるには大変役立ったと思う。
 さて、大変長い前置きになったが、要するにADAなどの新しい障害者に対する動きは、この多様社会の中で、黒人運動、女性開放、ゲイの人の人権などアメリカの総合的な公民権運動の一環として生まれ、育まれてきたものであることを身に染みて感じることができた。この点はまったくもって、日本とも、そして福祉社会ヨーロッパとも、あるいはまだまだ世界の大半である開発途上国とも全く異なる。
 今回と次回に分けて、筆者の個人的アメリカ体験を読者の皆さんと一緒に考えてみたい。

テレビ字幕装置
―クローズドキャプション

 日本でも最近はホームビデオの字幕付きや、文字放送のテレビ番組は珍しいものではなくなってきたが、まだまだ聴覚障害者が楽しめる番組は限られている。この点、アメリカは進んでいる。1990年にテレビ字幕表示装置法(Decorder Circuitry Act)が成立して、1993年7月以降の13インチ以上のすべてのテレビにクローズドキャプション(closed caption)の字幕表示装置を埋め込むことを規定した。以前の別置型のデコーダーではなくテレビに内蔵されることになった。これはチップと呼ばれるもので、アメリカにテレビを輸出している日本の家電メーカーの機種はチップを組み込んでいるはずである。組み込み用のチップは大量生産のおかげでそのコストはほとんど問題にならないほどの額である。
 アメリカ式の大量生産による大規模経済のおかげで我が家の大変に安い韓国製のテレビもちゃんとチップが組み込まれ、closed captionをONにすると(リモートコントロールを使い)ほとんどの番組が字幕付きで表示される。これは外国人の私には、アフリカ系アメリカ人特有の癖の強い英語の会話や、科学用語を含むサイエンスフィクションなどの番組を見るときにとても便利で、聴覚障害者だけのものではなく、アメリカに住むヒスパニックの人たちのように第2言語として英語を使う人たち、私のような外国人、難民や移民の人たちなどにも大変便利である。
 多様性をもつアメリカ社会ではこのような人たちを全部あわせると大変な数になる。いわゆる、“英語を第1言語とする、米国生まれの白人男性”である筆者の配偶者ですら、エボニック(アフリカ系アメリカ人の一部のあいだで使われる特殊な英語)などの会話や癖の強いアイルランドの英語のインタビューなどは字幕を読むほうが、はるかにわかりやすいと言っている。またラテン語やギリシャ語からきた科学用語なども字幕のほうがやさしいときもあるらしい。実際に多くの人がこの字幕の恩恵をこうむっているわけである。
 大変に俗っぽい(日本的に見ればほとんどポルノに近いような)テレビ番組やビデオにもちゃんと字幕がついている。アンダーソンさんによると、1999年までにすべてのテレビ番組やビデオに字幕をつけるのが目標だそうだ。現在でも本当にほとんどの番組(ソープオペラ、ポルノチックなもの、俗っぽいいわゆる低俗番組を含む)が字幕をつけており、日本のように教育番組やニュース番組、格式高いドラマなどに限り字幕付きというのとは大変事情が違う。日本だと何やら、ろう者が見る番組は教育番組に限ると限定されているような気もする(もちろんぜんぜんないよりはましだが)。
 ところで、この字幕のコストを誰が支払っているのかという点もアメリカ的である。もちろん番組によっては教育庁などが字幕のコストを負担している場合もあるのだが、多くの番組では字幕にスポンサーがつき、民間の会社などが字幕のコストを負担する。その代わり番組の終わりにはしっかりと“この番組の字幕のスポンサーは○○○○会社です”という宣伝がついている。もちろん会社だけでなく、財団などもスポンサーになることもある。
 どうだろうか、このアメリカ式民間負担、資金調達的なやり方は日本でもできるだろうか。どうせ米国輸出用のテレビに字幕のclosed captionチップを組み込んでいるなら、日本製のテレビがアメリカの聴覚障害者だけではなく日本の人々にも楽しめるテレビにならないだろうか。もちろん公共放送のNHK教育番組などに手話や字幕がついているのは大変に結構なことであるが、日本でいきなり、これを民間負担に移行すると、今まであった字幕番組もなくなり、かえって逆行するかもしれない。ただしアメリカの民間負担、大量生産経済、多くの消費者の恩恵という“Mass culture”方式から学ぶ点はないだろうか。
 ふと、我が勤務地のヨルダンのことを考えてみた。ヨルダンは日本より遅れており、テレビに関しては教育テレビのごく一部の番組とニュース番組に手話がついている程度である。これでもほかのアラブ諸国と比較すれば進んでいるほうである。もちろんアメリカのclosed captionなどは夢のような話で、当分は公共番組を充実化させるしかないだろう。ただし、ホームビデオに関しては、日本と比較して市場が小さいせいか、あるいはアラブ人が割に英語が得意だからか、洋画に関しては日本のような“吹き替え”方式がないので、アラビア語の字幕を付けて放送している。これはある意味では遅れているのかもしれないが、聴覚障害者にとってはかえって幸運なことである。

ろう者のためのTDDと電話リレーサービス

 電話機を発明したベルが聴覚障害の夫人をもち、その彼女のために音を目に見える形にしたいと試みた結果、生まれたのが電話機であり、その電話機が聴覚障害者の社会参加を妨げているのは皮肉なことである。
 さて、アメリカでは1970年くらいから、聴覚障害者のための電話としてTDD(Telecommunication Device for the Deaf)が広く使用されている。TDDとはタイプライター(または普通のパソコン)と電話のモデムが1つになった簡単な機械である(写真2 TDDの機種 略)。タイプライターのキーボードの上に大きな穴が2つあり、そこに受話器をはめ込み、TDDの電源をONにして相手の電話番号を押して呼び出し、それからお互いタイプでメッセージを送り合うとちょうど写真のTDDの真ん中にある小さなスクリーンに相手からのメッセージを受け取ることができる。これはろう者同士では大変便利である。もちろん日本のようにファックスが普及していれば、それを利用できるし、インターネットやチャットなども便利かもしれないが、TDDは特別にハイテクの機械も必要なく、また同時に会話ができるという点で便利である。公衆電話にもTDD(小さな持ち運びのできる機種もある)を接続できるものがけっこうある。
 以前からTDDは便利であったが、基本的にはTDDを持っているユーザーのあいだでしか会話ができなかった。そのうちアメリカのいろいろなところでボランティアのグループがTDDを持っている人(通常はろう者)と持っていない人(健常者)のあいだに立って通訳してくれるサービスを始めた。健常者がオペレータの番号をまわすと相手の(ろう者の)番号を呼び出し、TDDを使い、こちらのメッセージをタイプし、相手からの返事をこちらに読み上げてくれる。もちろんろう者が電話をかける場合はまったくこの逆である。このようにしてTDDを使えば健常者とろう者のあいだでもちゃんと電話ができる。
 ADAの4章にはこの電話リレーサービスに関する項目があり、すべての電話会社にリレーサービスを提供することを義務づけており、実際、現在の米国ではまったく簡単にリレーサービスを使用することができる。筆者もワシントンの郊外に住むアンダーソン氏と連絡を取るには、インターネットの他にこのリレーサービスを使用した。大学見学の日程、時間、スケジュールの打ち合わせ、大学までの道順など全部アンダーソン氏が筆者に指示してくれ、第三者の助けは2人が再会するまで全く必要なかった。TDDとインターネットのおかげで、筆者がヨルダンに帰ってもコミュニケーションを継続することはいたって簡単である。筆者にとっては外国人であり、聴覚障害者であるアンダーソン氏とのコミュニケーションのほうが、インターネットを使わない日本の年老いた両親との連絡より簡単になっているのは、ある意味では奇妙な驚きでもある。
 首都ワシントンの場合なら、たとえば健常者の場合は855-1000を呼び出すとベル社のリレーサービスを使うことができる。日本からなら、これに米国の国番号1とワシントンの地域番号の202を前につなげれば直通でかかるはずである。TDDをお持ちの方なら855-1234からTDDをつなぐことができる。それ以外の地域にかけたいときは、ベルなら無料サービス番号1-800-855-1155を呼びだすとつないでくれる(ただしこれは米国国内からのみ)。
 ベル社の他にもいろいろな会社がサービスをしている。電話のかけかたは電話帳に必ず載っているので、今後、アメリカに旅行する人はぜひチャレンジ精神でろう者の友だちに連絡してみてはどうだろうか。ただし、残念ながらこのサービスは英語に限られている。もちろんこのサービスには人件費などのコストがかかるため、ユーザーから電話料金として徴収する。通常の電話料金の10%前後を上乗せして徴収する。ここでもADAのモットーである民間負担、経済的有効性をちゃんと満たしている。日本でこの方法はうまくいくだろうか。ファックス機先進国日本でも、最近はインターネットの普及のせいで、キーボードをみんなが使うようになった。TDDは必要だろうか。
 次回は、筆者とその友人でJICA職員の下田透氏とで7月7日にアンダーソン氏をたずね、ギャローデット大学と全米障害者評議会を見学したので、その様子をご紹介したい。

 

(ながたこずえ 国連ヨルダンアラブ地域事務所)

アメリカの聴覚障害者へのサポート事情②


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年11月号(第17巻 通巻196号)78頁~82頁