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ワールド・ナウ

アメリカ

アメリカの聴覚障害者へのサポート事情②

長田こずえ

アメリカの聴覚障害者へのサポート事情①

 7月7日に筆者とJICAの下田透氏はアンダーソン名誉教授をたずねて、首都ワシントンにある世界で唯一の聴覚障害者のための総合大学、ギャローデット大学を訪れた(写真1 ギャローデット大学キャンパス 略)。ヤーカー・アンダーソン氏は筆者の友人で、米国の聴覚障害者のリーダーでもあり、また米国の聴覚障害者と国際社会を結ぶ要でもある。氏はギャローデット大学で30年以上社会学を教え、現在も名誉教授として大学と深いかかわりの国際的な研究者である。

ギャローデット大学訪問

 ギャローデット大学は1864年、リンカーン大統領が聴覚障害者のための大学を設立する法律を認可したのをうけて立てられた。現在でも世界で唯一の聴覚障害者のための総合大学である。最初の学長であったエドワード・ミンーナー・ギャローデット氏の名前をとって、ギャローデット大学と名付けられた。当初は男性だけの大学で、その後1887年に男女共学になった。
 創立当初はいわゆるリベラルアート(文科系)の大学であったが、現在ではコンピュータ、福祉学、教育学、心理学、社会学などの学部を有する総合大学である。時代の風潮か現在では、コンピュータ関係がもっとも人気がある。学部のレベルで45単位、修士課程で15単位、そして博士課程のレベルで3単位を有する。大学の予算の70%はアメリカとしては珍しく、国の補助で成り立っている。残りの30%は民間の自立運営となっている。学生全体の10%が外国人のために割り当てられている。学部のレベルでは基本的には聴覚障害者に限るが、例外的に1年以内なら他の大学からの一般の学生がここで勉強することができるシステムになっている。ただし、これらの一般学生の比率は全体の5%以内に限られている。
 大学院のレベルでは一般の学生も聴覚障害者といっしょに勉強することができる。実際、日本からも福祉の分野で働く学生が何人か勉強しているそうである。大学院の他にも小学校部、中学校部、高等学校部が併設されている。キャンパスには学生寮と同様に職員のための住居もある。もちろん、自宅やアパートなどから通学する学生もいる。
 この大学での第一言語はアメリカの手話である。アメリカのと強調したのは、同じ英語圏でもイギリスの手話とアメリカの手話はずいぶんと異なるからである(後に詳しく述べる)。教職員も、その他の事務職員も、この大学で恒久職員となるには数年のうちにアメリカの手話を習得して、試験に合格しなければならない。この規則にはおまけはなしで、どんなにその専門分野で優れた研究をした学者であっても、この大学の恒久的な正規教授になるためには手話を覚えなければならない(写真2 ヤーカー・アンダーソン氏 略)。
 この大学の現在の学長は聴覚障害者であるが、その前の学長は健常者の女性であった。ところがこの女性学長は手話が使えないし、聴覚障害者の教育についてはまったくの素人であったため、大学内でストライキが始まり、結局就任して数か月の後に、彼女は辞任に追い込まれ、現在の学長が代わりに選ばれた。

アメリカの手話とギャローデット大学

 さて、アメリカの手話について少し述べたい。大学が創立された当時はアメリカには手話がまだきちんと確立されていなかった。そのため、米国の手話を確立するための使節団がヨーロッパに送られた。もちろん使節団は最初に英国を訪れたが、結果は好ましくなかった。そこで仕方なくフランスを訪れた。フランスの手話は大変に満足のいくものであったので、フランスから学ぶことにした。このため、それ以後のアメリカの手話は極端にフランスの影響を受けることになる。ギャローデット大学の初代の手話の先生はフランス人のローレント・クラークという人であった。ガイドをしてくれた学生によると約7割はフランスの手話の影響を受けているそうである。
 こういった事情でアメリカの手話は英国の手話よりもフランスの手話に似ている。実際、手話の発展と普通の言語の発展には必ずしも強い類似性はなく、筆者が勤務し、暮らしているアラブ世界などでもアラビア語の共通手話の開発を主張する人がいるが、政治的な意図は抜きにして、やはりその前にそれぞれの国で(つまりレバノンならレバノンの、イエメンならイエメンの国内での)手話をきっちりと確立することが先決かとも思う。
 この大学に幸運にも入学を許可された外国人学生は当然、米国に留学している日本人学生が英語で授業を受けるように、アメリカの手話を習得しなくてはならない。これは大変な努力のいることだと思う。入学後に1か月間、集中的にアメリカの手話を習うオリエンテーションのコースが外国人学生のために設けられている。はたして1か月で習得できるのだろうか。フランス語やアラビア語ですらなかなか習得できない筆者には、日本からの聴覚障害をもつ留学生と健常者学生がともにアメリカ人と交じり、テラスで手話を使い楽しそうにだんらんしているのを見るのは驚きと感激であった。
 先に述べたように、ギャローデット大学は一般の見学者を対象にしたツアーを組んでいる(写真3 手話で説明する学生ボランティアガイド 略)。ボランティアの学生が手話で大学のなかの主要なところを案内してくれ、アメリカの手話を使えない見学者のためには、手話通訳がついてくれるので、手話ができなくてもいろいろ質問ができる。海外旅行で首都ワシントンを訪れた人はぜひこの大学を見学してほしい。ビジターセンターの電話番号は202-651-5050(アメリカの国内通話番号)。もちろん通常の電話でも、ろうあ者のためのTDD/TTYでも、どちらでもOKである。構内にはケロッグ会議センターがあり、ホテルもついている。もちろん大学の予算の7割が国から出ているので、ADA法に基づいて車いすの人のためのアクセスはほぼ完璧である。アメリカに行く時間的余裕のない人は、インターネットを使ってギャローデット大学を訪ねてみてはどうだろうか。インターネットの番号はhttp :www@gallaudet.eduである。

ADAのインパクト

 同じ日の午後にアンダーソン氏の紹介で全米障害者評議会を訪れる機会を得た。評議会のスピード・デービス氏がADAの実施状況、その問題点、そしていわゆるポストADAの将来的な視点などについて詳しく話をしてくれた。全体としてはADAのインパクトはアメリカではかなり大きなものである。特にバリアーのない建築物、公共輸送機関のアクセス、情報のアクセス、そして雇用の面でも著しい進歩を見せている。実際、最近できたバスや電車には必ず車いすの人のアクセスが保証されている。ただし、筆者の個人的見解ではニューヨークなど一部の大都会の地下鉄などはアクセス以前の問題で、駅が修理されぬままに老朽化して階段の一部がまったく崩れ落ちていたり、あるいは健常者でも時間によっては遠慮したくなるほど治安に問題があったりして、必ずしもこの国は障害者にとって住みやすい国とは言えない。それにしてもADAの影響は偉大である。
 その後3人でアメリカの障害者の福祉、ヨーロッパの福祉、そして最近の日本の福祉について討論する機会を得た。
 アメリカという国は本当に経済的効率が優先され、人間一人ひとりの完全な自立が尊ばれる国である。これはもちろんよいことなのだが、アメリカの障害者にとっては、この理論は必ずしもプラスでないときもある。特に、筆者が出会った比較的リベラルな知識人の間にも公的福祉に関してとてもネガティブなイメージをもっている人がかなりいる。クリントン大統領の国民健康保険制度がなかなかうまく進まないのを見てもわかるように、“福祉イコール税金の無駄づかい”という考えは日本などとは比べものにならないほど根強いと思う。実際ADAの反動で、最近は障害者が特に優遇されていると考える人たちも結構増えている。ちょうどアフリカ系アメリカ人やそのほかの少数民族に対するAffirmative Actionを廃止しようとする動きがあるように、かならず反動というものがある。
 評議会のポストADAのガイドラインは“Achieving Independence : The Challenge for the 21st Century”にまとめられているように、統合、自立、そしてエンパワメントの3本の柱によって支えられている。すべての人が自立してパワーをもった本当の意味の民主主義者社会をめざそうということである。ちなみに、日本の法律で定められた雇用率制度は、アメリカの障害者にとってはうらやましい限りであると、アンダーソン氏は言っておられた。もちろん氏がアメリカのすべての障害者を代表するわけではないが、日本に適合した制度を考えていくという意味ではこれは面白い意見であると思う。ちなみにアメリカのリハビリテーション法508条電子機器アクセスの実施状況は思わしくないということである。今後は連邦政府で実施を促すための具体的な制度を確立していくことになったらしい。電子機器アクセスでは日本がリードしてみてはどうだろうか。
 さて、今回の留学は筆者にとっては大変よい勉強になった。これをどのようにアラブ地域で生かせるかという新しい課題にぶつかったと思う。開発途上国はいったいどうすればよいのだろうか。

(ながたこずえ 国連ヨルダンアラブ地域事務所)


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
1997年12月号(第17巻 通巻197号)70頁~73頁