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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2015年4月号

福祉用具・ロボット開発における倫理審査

諏訪基

1 はじめに

福祉用具・ロボットの開発や臨床評価では、わが国においても一定の倫理規定をクリアすることが求められるようになってきています。その理由は、障害当事者や要介護者などを含む“人”を対象とするからです。しかし、福祉用具・ロボットの開発などを手掛けている企業の担当者の中には、「今までは倫理審査など受けたことはないし、聞くところによるとかなり面倒なことのようなので、できれば関わりたくない」という声も聞こえてきています。

この分野での倫理審査の現状はどうなっているのでしょうか。倫理審査の狙いを理解していただくために、歴史的な背景、国際的な状況、現状の課題、今後の展望などの解説を試みます。

なお、本特集で対象とする福祉用具・ロボットなど高齢者・障害者の生活・社会参加ならびに介護者の所作を支援する機能を実現する機器を、本稿では“支援機器”と呼ぶこととします。

2 支援機器の利活用促進につながる倫理審査の取り組み

もしも次のような仮説が成り立つならば、支援機器の開発から利活用に至る関係者にとって、ひいては生活者にとって望ましいことではないでしょうか。つまり、倫理審査に基づいて「倫理指針」を遵守する習慣がこの分野に広まることは、市場の拡大による技術水準の向上、そしてその結果、市場が少しずつ拡大する、という好循環を生み、高齢者・障害者の自立支援ならびに生活の質向上のための社会的選択肢の拡大を可能とし、結果として社会的経済的負担の抑制にも結びつく、という大胆な仮説です。

ところで、支援機器の開発では、ニーズとシーズのマッチングの大切さが強く指摘されています。背景には、せっかく開発されても臨床現場で使われない“不活用”事例が多々あるという残念な現実があります。機器の作り手が、利用者のニーズを十分に把握できていないためのミスマッチが原因であることが指摘されています。

支援機器の不活用状態を生み出すもう一つの大きな要因は情報不足です。国際福祉機器展などで実物に接する機会やテクノエイド協会の「福祉用具情報システム(TAIS)」などを使うことにより、Webで情報も入手できますが、ここにもニーズとシーズのマッチング問題があるようです。つまり開発者側が発信する情報が、医療従事者や介護従事者など中間ユーザーにとっても、またエンドユーザーにとっても、機器の効果に関する信頼できる良質のエビデンス情報が不十分なのです。支援機器の開発を効果的に進め、実用化を図る上で、臨床評価に基づく効果・効用に関する客観的なエビデンス情報をユーザーに伝えることが利活用を促す上でのキーポイントです。

実は、倫理審査は臨床評価を進めるにあたって、試験結果が信頼のできるエビデンスとして受け入れられることを臨床評価の実施者に強く求めるものなのです。

3 倫理審査の目標と倫理指針

倫理審査は支援機器の研究開発の推進を図る上で、人を対象とする臨床評価に携わるすべての関係者が、人間の尊厳を守り、人権を尊重し、倫理的妥当性および科学的合理性に基づいて、研究を適正に実施するために、しかるべき倫理審査委員会が臨床評価の研究計画の妥当性を審査する仕組みです。

人を対象とする臨床研究の倫理問題に目を向けるきっかけが、第2次世界大戦のナチス・ドイツが捕虜に対して行なった生体実験への反省でした。その忌まわしい事件を裁き、倫理的な妥当性に基づく臨床研究の進め方の議論を行なった結果、世界医師会が1964年の総会でまとめた倫理規範が「ヘルシンキ宣言」です。わが国も含め、各国の「倫理指針」の骨格を創る概念になっています。主な概念は次の5項目です。

(1)被験者の福利の尊重

(2)被験者の自由意思の尊重

(3)インフォームド・コンセント取得

(4)倫理審査委員会による審査

(5)科学的合理性のある研究計画に基づくこと

研究倫理に反する行為は、実はナチス・ドイツに限ったことではありませんでした。米国でも、臨床研究現場での倫理的不祥事が起こっていたことを1970年代に入って米国政府が問題とし、「国家研究法」を制定し、研究倫理の確立に本格的な取り組みを始めました。1974年に「生物医学・行動科学研究における被験者保護のため」に国家委員会を設立、その結果、1979年に「ベルモント・レポート」が研究倫理の3つの基本原則を提唱し、1981年には「保健福祉省連邦行政令45CFR46」(「コモン・ルール」と呼ばれている)が発令され、その原則が採用されました。

わが国では、2001年に「疫学研究に関する倫理指針」(文科省、厚労省)、2003年に「臨床研究に関する倫理指針」(厚労省)が制定され、今般それらが統合され、2015年4月1日に「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」(文科省、厚労省)が施行されています。この倫理指針が対象とする臨床研究に支援機器の臨床評価が含まれているか明示的には示されていませんが、引き続き、この分野の臨床評価の倫理審査の際には準用することが妥当だと考えられています。

4 臨床評価に関する研究倫理の3つの基本原則

「ベルモント・レポート」の3つの基本原則の概要は次のとおりです。

(1)人格の尊厳(respect for persons)

個人を自律的な主体として扱うこと、また自律性の弱くなった人格を保護することを求めています。倫理審査では、被験者の自由意思による同意に基づく研究への参加が保証されることを確認することになります。インフォームド・コンセントに基づく研究への参加の手続きが守られているか、また、プライバシーおよび秘密が保護されるようになっているかをチェックします。

(2)善行(beneficence)

他人を思いやる精神で研究を行うことを求める原則で、「己の欲するところを、人にも施せ」と解釈されます。この原則から、研究のリスクが、個人または社会に対する潜在的なベネフィット(個人または集団の福祉につながる利益)によって正当化できるかどうかを基準として、実験に取り組まなければならないことを規定しています。さらに、研究がリスクを最小化するようにデザインされていること、ならびに、利益相反が適切に扱われていることが求められます。

(3)正義(justice)

公平性の確保から、研究のリスクや潜在的ベネフィットは、研究によるベネフィットを得る者に、平等に分配することが求められます。

倫理指針の個別の手続きの背景を理解する上で、3原則を思い浮かべてみてください。本質的な問題がどこに所在するのかが見えてくると思います。

5 倫理審査の2つの柱

倫理審査でのチェック項目に関して、基本原則から演繹(えんえき)される主要な2項目に絞って説明します。

(1)インフォームド・コンセント

インフォームド・コンセントとは、被験者となることを求められた者が、研究者等から事前に実証試験に関する十分な説明を受け、その実証試験の意義、目的、方法等を理解し、自由意思に基づいて研究者等に対して与える、被験者となることに関する同意をいいます。人格の尊重の原則から、直接的に導かれる概念がインフォームド・コンセントであり、このインフォームド・コンセントを適正に取得することは研究を倫理的に行うための最も重要な条件の一つです。

倫理審査申請書には、実施する試験の内容と手順、ならびに被験者への説明と同意の取り方等を記載し、倫理審査委員会の審査を受けます。特に未成年者や高齢者、認知症者など弱者の参加には特別の配慮が求められます。

被験者の自由意思を尊重するということは、大変強い要請です。指針においては、同意を得る手続きにおいて、参加を強要するような「威圧」など不当な影響の行使があってはならないとされています。威圧を受けて研究に参加する人は、自律性が弱められており、人格の尊厳の原則が侵されます。

(2)科学的合理性

科学的合理性に基づいた研究計画であること、という要請が善行の原則から導かれる規範です。この原則は、被験者が臨床評価に参加することで負う負担・リスクを補うだけの社会的ベネフィットが見込めることを要請していると解釈されます。社会的ベネフィットの最も主要な要因は、計画の科学的合理性です。

すなわち、臨床評価を実施するに当たっては、一般的に受け入れられた科学的原則に従い、また、科学的文献その他科学に関連する情報源および十分な実験に基づいていることが問われ、支援機器の効用、性能を示すデータの客観性と信頼性が求められます。

6 支援機器の開発における倫理審査

医学研究の分野では、研究開始に先立って倫理審査委員会の承認を得ることは常識になっています。しかし、支援機器の開発の現場ではようやく研究倫理とそのための倫理審査の必要性が認識され始めたところと言ってよいでしょう。厚生労働省の「障害者自立支援機器開発支援制度」や、経済産業省の「ロボット介護機器開発支援・導入支援事業」など、支援機器の実証試験の実施までを視野に入れた助成制度が導入されつつあり、倫理審査の要請も始まりつつあります。

倫理審査では、臨床評価の実施計画の倫理的妥当性とあわせて科学的合理性も審査しますので、支援機器の普及促進の観点からは、機器の効果に関する効能書きを公表する上でも倫理審査をクリアすることの効用は少なくないと期待できます。

7 今後の課題

支援機器の有効性を臨床評価で評価するには、この分野の特殊性を考慮した上で評価手法を確立する必要があります。人を対象としていることから、統計的な手法に頼ることにならざるを得ませんが、サンプル数を確保することも難しい分野です。従って、統計学で確立した「ランダム化比較試験(RCT)法」なども簡単には使えないのが悩みです。また、「使い勝手」や「使ってみての生活の質(QOL)の改善の程度」などは、主観的アンケート調査を採用せざるを得ない場合もあります。その場合はバイアスが軽減される方法を用いて、結果の客観性を確保する必要があります。

倫理的側面で問題と考えられている課題は、施設の入所者を被験者にする場合に、施設の責任者から被験者を依頼することが威圧にならないために、入所者の利益を代弁することのできる立場の人を立ち会わせることの徹底、認知症者を被験者にする場合に、手順を踏んで「ヘルシンキ宣言」の精神を遵守する方策をとること、などの課題があります。

8 終わりに

支援機器の利活用は適応・適合、経済性、制度など多面的な検討が必要ですが、倫理審査の科学的合理性を追求する姿勢は、医療従事者や介護従事者など中間ユーザーに、またエンドユーザーに信頼してもらえる機器の効果に関するエビデンス情報の提供に結びつくと思われますので、支援機器の有効活用の道が開けるものと考えてみてはいかがでしょうか。これこそ倫理審査に積極的に取り組む動機づけにつながるはずです。“専門家”の主観的推薦のコメントや、開発者の希望的効用の説明では、商品としての支援機器のニーズを掘り起こすことができませんでした。臨床評価と倫理審査の役割が大きくなりそうです。

(すわもとい 国立障害者リハビリテーションセンター研究所顧問)