特集/教育リハビリテーションの諸問題 学習障害の転期

特集/教育リハビリテーションの諸問題

学習障害の転期

The Emerging LD Crisis

Elisabeth Wiig*

山下皓三訳**

 学習障害を有する学生の中には、大学教科の免除を必要とする者もいるであろうし、また教育方法の改変により成績の向上を結果する者もいるであろう。たとえば、これらの学生に対して、(1)講義を録音する、(2)ノートをとるための秘書を使う、(3)プログラム化し、個人のペースにかなった指導をする、(4)口頭での回答を求める口頭およびテープによる試験を行う、(5)個人指導による補習を実施する、(6)盲人用に録音されたテキストや書物を使用する、などといった指導法の改変で成功を得させることもできるのである。ただこれらの適用を通じて、ある障害(a disability)というものが外国語といった独立した領域だけでなく、むしろいくつかの教科領域の成績に影響しているように思えるのである。

ここでの教育制度は、まさに学習障害のある小学生や中学生に必要とされる特殊教育に適応している。もっとも学習障害とは、これら年齢の低い子どもたちだけにみられるものではなく、生涯を通じて人にみられるものであり、種々な方面での学習型や多くの点での結果に影響するものである。ただその障害がわずかである場合には、より高度の教育および職業領域の問題が生起するまで、これの認められないこともあるであろう。

 学習障害を有する成人や青年における高等教育や職業問題というものは、ある面では学習障害者ないしは特別に問題のある人々の特性にかかわるもののように思えるし、また他の側面では、高等教育や職業における必要条件やかれらの訓練ニードにかかわるもののようにも思える。さてこれらの側面をより詳細に検討する前に、学習障害のゆえに種々な領域で失敗を経験した何人かの大学生のケース記録を調べることが適切であると考え、以下に記すことにする。

ケースの記録

 最初のケースは、必須外国語で失敗を経験した大学1年生の男子である。College Board Achievement Testでのかれの成績は、数学区分で740、言語区分では620であり、知能指数は135である。小学校入学当初は、初期の読みに問題を示し、読みを治療するための特別の指導を受け、さらには片側優位性の混乱、と左右弁別の問題をもっていた。

 このように初期の問題を有していたにもかかわらず、かれはきわだった読み手、書き手になり、高等学校を優秀な成績で卒業したのである。大学においても外国語以外のすべての科目でよい成績を得たといえる。かれは強い動機から、自分のすべての時間を言語の学習に費やしたが、その結果として他の教科につまずきのみられることに気づいた。 このように、大学レベルにおける歴史と言語の失敗は、言語に関して特別の学習障害のあることを示している(strephosymbolia)。

 第二のケースは、必須の教養科目である数学に失敗した女子大生である。彼女は、専攻科目である心理学では、特別によい成績であった。小学校入学当初は、算数の学習に問題がみられ、低学年で算数の治療訓練を受け、片側優位性の混乱と左右弁別の障害を示した。なお出産時外傷を受けている。知能指数は142であり(Binet)、高等学校水準では、数学を除いてすべての教科で優秀であった。数学にみられる困難さは、書かれた課題の解釈ではなく、特に数概念と数の組み合わせを処理することに関係したもので、数の逆転や空間の混乱が問題解決において明らかにみられた。このケースの記録は、空間知覚の障害にあわせてacalculia(簡単な算数を解くことができない)を示しているといえる。

 三番目のケースは音楽専攻で、声楽に特にすぐれていたが、新しい楽譜をすばやく学習し、歌うことに問題をもったケースである。新しい楽譜を学習する際には、声がじゅうぶんにそれに合わず、そのうえ、ノートやテキストを同時にすばやく黙読することが非常に困難であった。

 記録によれば、初期の読みに問題を示しており、さらにきき手の交替、不器用さ、微細運動協応の障害、視覚心像の障害等を示した。概してこのケースは、視一運動協応の問題をあわせもつ特別の読み障害(dyslexia)を示しているのである。

 最後のケースは、進学をいかに考慮すべきかの問題をもつ高校卒業生のケースである。彼女は、小さいころ、読み、書き、計算に関する学習障害を有すると診断されたが、視覚、視―運動協応、数概念の扱いに特別の障害を示しており、むしろ重度であった。彼女には、問題のある領域での広範な治療が必要とされたが、知能指数(WAIS)は90で、下位検査に散らばりがみられ(聴・視覚記憶は平均以上)、また社会領域では平均以上であった(Vineland)。このケースにおける高等学校卒業時の成績は平均であったが、College Board Achievement Testの成績からは、大学課程にはいることは無理であると考えられた。

特 性

 学習障害者のいくつかの行動特性は、社会的に接触する能力とかかわるように思える。しばしば学習障害児(者)は、社会的接触においてぎこちなく、不適切のように思えるが、それはこの障害が社会的な手がかりを知る際の基本的な問題に関連しているからであろう。その結果としての社会的知覚不能については、すでにJohnsonとMyklebustが論じている。また子ども、成人にかかわらず学習障害のある者は、抑揚や顔の表情、身振り、ボディイメージ等に関係した社会的手がかりを誤って解釈するようにみえる。すなわちその手がかりを軽視してしまうか、過大に反応してしまうのである。

 さらにこの社会的知覚の不能は、ほかの行動とも結びつくことがある。ゆえにかれらは、しばしばフラストレーションの耐性が低く、社会的接触では他人に強く依存する傾向がみられるのである。ほかにしばしば観察される特性としては、仕事に対する態度が望ましいものでなく、助力や指示をもとめる能力、空間的手がかりの解釈、それに言語・視覚記憶等において障害のみられることであるが、これらのすべての特性が、特別な学習や職業を成し遂げる能力とともに社会的に接触する能力にも影響を及ぼすのであろう。

 これらの機能不全は、矯正できないというものでなく、早期の治療によって顕著な結果が得られているということを認識すべきである。したがって、しばしば脳機能不全の徴候と結びついた否定的な意味は、学習障害児(者)に汎化すべきではない。とはいえ、特別の学習や職業における制約というものが、学習障害における基本的な知覚問題から結果しうることも事実である。

具体的な障害

 学習障害者の子どものころの記録によれば、そこにはある共通性がみられる。かれらは、以下のような特性を一つまたはそれ以上明らかに共有しているのである。すなわち、(1)運動行動におけるぎこちなさ、(2)左右弁別の混乱、(3)片側優位性の混乱とその確立の遅さ、(4)特に初期の読み、書き、計算の障害である。これらの機能不全は、矯正できないというものでなく、早期の治療によって顕著な結果が得られているということを認識すべきである。したがってしばしば脳機能不全の兆候と結びついた否定的な意味は、学習障害児(者)に汎化すべきではない。とはいえ、特別の学習や職業における制約というものが、学習障害における基本的な知覚問題から結果しうることも事実である。

 学習障害者においては、作業の能率が、特に高度の知覚ないしは運動技能を必要とする課業で減ずることが認識されるべきである。もしじゅうぶんな時間が与えられれば、納得できる結果を得ることができよう。しかしながらわれわれの社会では、これに対する努力はあまりみられないといえる。学習や職業の失敗および抑圧は、きまって時間制限における特別の配慮がなされないところに結果するようである。同様な関連において、学習や職業というものは事実上筆記する作業を必要する。すなわち、テストには筆記されたものが多く、これは読み能力に負ったものであるし、そのほかにも常にメモ等が要求される。このようにわれわれ一般の接触の方法では、読みや書きに欠陥のある学習障害者にとっては失敗が約束されているようなものである。

 さて一つのケースにみられたように、外国語に必要とされる条件の中には、ほかの領域においても失敗を結果させるほどの条件が存在しており、学習障害を有する大学生にとってこの条件は、一般に異論のある障壁となる。このことはいくつかの大学が、失敗した学生を評価し、免除するための精好なテストサービスを確立している事実からも了解できる。しかしながら、なんらかの方策がなされる前に、学生が大学レベルで失敗を余儀なくされるということは重大なことであり、学問での失敗を防ぐことが将来の理想とならなければならない。

 学習障害者のための職業に関する計画をたてる際には、視―空間および視―運動の障害が重大なものとなってくるであろう。これらの障害は、紙を折ったり、テーブルを整えたり、区分けしたりといったような一見機械的な作業の成績に影響するものである。もっとも手紙をきちんと折ることのできない秘書や、テーブルをきちんと整頓できないウェートレス、郵便物の仕分けに問題のある集配人たちは、まさに職業的冒険をしていることになるのであろう。

職業訓練

 障害者の職業前および職業訓練ニードを評価する際には、初期の訓練に重点を置いて考慮しなければならない。一般に、初期の教育は欠陥の治療に重点が置かれ、その診断評価は欠陥の領域を発見するように計画されていた。プログラムの立案も、せいぜい能力ある、すぐれた領域で普通教育の課程をとり入れていたとはいえ、欠陥の矯正をめぐって考えられていたといえる。しかし職業前の訓練においては、力点の置きどころを変えるべきだと思う。そして能力のある領域は何かを見きわめ、発達させることに重点を置くべきである。

 能力ある領域を評価するには、特別の障害を評価するのとは異なったアプローチが必要である。ここでは関心や性向、成就性、知能、性格といったことがらを調べることが有効である。しかしながら、テスト結果の解釈においては、能力のすぐれた領域について重点的になされなければならない。その際職業カウンセラーや心理学者は、学習障害の専門家と相互に協力し合うことが有益であり、専門家は、特別の障害がいかに標準検査に影響するか、その知識を与えてくれるであろう。さらに他方においてカウンセラーは、これら能力ある領域に合致する職業ないしは職業に要求される条件を考えなければならない。

 さて職業カウンセリングに対するチームアプローチは、職業あっせんのための仕事の分析を完全にするのに妥当のように思える。ただ学習障害者に特有な欠陥のパターンが、標準的な職業ハンディキャップのどのカテゴリーにもあてはまらないために、職業カウンセラーを困惑させることがあろう。これについては広範な調査と教育のみが、学習障害の職業的意味について知識を与えてくれるのである。

 ところで、職業前カウンセリングや訓練における学習障害者のニードというものは多数あるが、とりわけ仕事や大学に適応するしかたを訓練することが必要とされよう。そしてこの過程には以下のことが含まれるのである。すなわち、仕事や大学のプログラムを読んだり、説明したりすること、過去の経験に関連したことがらの価値を検討すること、自分の資質や劣っている点を評価することであり、かれらにとっては、これらのおのおのの領域が特別の問題を生じさせることになる。たとえば、書かれたプログラムの記述を誤って解釈したり、関連ある過去の経験を忘却ないしは軽視したり、劣っている点を過大に評価したりすることである。

 またこのようなニードのほかに、面談の実際に関する訓練も必要である。それは、学習障害者が社会的認知のまずさから、不幸にもしばしば遭遇することであり、そのような際にかれらは混乱しているようにみえるか、さもなければその応答を誤解し、自衛のためにあたかも失敗する可能性のあるかのごとくに振舞うであろう。

大 学 生

 中等度から重度の学習障害を有し、しかも素質ある大学生にとっては、進級に関したいくつかの問題が存在する。まず第一には、学年に必須の平均得点を示すことが困難であること、第二には大学の教授会をパスする問題である。このことは大学が、能力のすぐれた特別の領域における平均得点をもとにし、障害を受けている領域においては、必要とされる一般的条件を進んで免除しなければならないことを意味しており、カリキュラムや教育方法の改変を積極的に示す必要があるであろう。

  能力ある領域を評価するには、特別の障害を評価するのとは異なったアプローチが必要である。ここでは、関心や性向、成就性、知能、性格といったことがらを調べることが有利であり、テスト結果の解釈も、能力ある領域に重点をおいてなされなければならない。なお職業カウンセラーや心理学者は、その解釈に際して、学習障害の専門家と協力し合うことが有益である。

 障害の軽度な大学生も、まさにこれと同様な問題に気づくであろう。しかしながら、これらの学生の問題は、かれらの特別の障害が、大学で要求する条件と直接かかわりをもたないかぎりにおいて表面化しないであろう。ところで、われわれの大学における現在の制度は、免除を認めているが、しかしこれを防ぐことが可能ならば社会や学生にとっては価値あるものとなるであろう。そのための予防プログラムには以下のものも含まれる。すなわち、(1)読みや書き、計算等の初期の学習問題を知るためのアンケート、(2)外国語適性検査の実施(たとえばModern Language Aptitude Test)、(3)数学適性検査の実施、である。なお、WISCやWechsler Memory Scaleといった補助テストも必要である。かれらのウェクスラーテストにおける成績の特徴は、具体性であり、新しい概念に対する困難さであり、数テストにおいて特別な問題を示すことなどである。

 さてケースによっては大学教科の免除が必要とされたり、教育方法の改変が成績の向上を結果したりすることがあるであろう。学生の中には、(1)講義を録音する、(2)ノートをとるための秘書を使う、(3)プログラム化し、個人のペースに適った指導をする、(4)口頭での回答を求める口頭およびテープによる試験を行う、(5)個人指導による補習を実施する、(6)盲人用に録音されたテキスト等を使用する、といった指導法の改変により成功をうることも可能である。ただこれらの適用を通じて、ある特別の学習障害というものが外国語といった独立した領域だけでなく、むしろいくつかの教科領域の成績に影響しているように思える。

変わるべき領域

 われわれが効果的に学習障害者を処置できるようになるためには、評価やカウンセリング、大学で必要とする条件、職業的可能性といったものが変わらなければならないであろう。そこでいくつかの領域を以下に列記してみる。

(1)学習障害を有する学生の特質とニードに関して、高等学校への指導と職業カウンセラー、への教育

(2)学習障害を有するクライエントの職業的能力を適切に評価するための職業テストの開発

(3)子どもの保育や家庭管理等のための新しい職業の利用と訓練

(4)学習障害を有する大学生のためのカリキュラム改変の必要性に関しては、大学管理者への教育

(5)マスメディアや労働組合等を通じて、学習障害者の潜在的雇用主への啓蒙

参考文献 略

*Dr.Wiigはボストン大学特殊教育学部助教授であるとともに、言語病理学・聴能学プログラムのコオーディネーターである。以前はミシガン大学で失語症収容プログラム・ディレクターをつとめていた。同女史は言語病理学において博士号を修得している。現在は、児童および成人の失語症と、学習障害をもつ児童の言語障害について研究している。

**東京教育大学教育学部附属桐が丘養護学校教諭


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1972年7月(第7号)9頁~13頁

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