同じ地球のよその国で(1)

同じ地球のよその国で(1)

―身障者のための雑誌から―

石坂直行*

●身障者に乗馬訓練

 シェバ、ブーツ、メリークリスマス、ビリー、チャッビー ──みんな覚えやすく楽しそうな名前ですが、どんな人たちだかわかりますか?

 実はかれらは非常に特別な動物のグループなのです。すなわち、おとなしくて冷静な点で選ばれて、ミシガンのシェフ身障者センターで、身障の子どもとおとなのために働いている馬なのです。

 この馬たちは、レッグ・ブレースやその他の補装具を着けた人を乗せるのにならされています。また、松葉づえや車いすの急激な動きやぶっつかりに驚かないで、冷静さを保つように訓練されています。

特別の馬具

 馬具も特製のものを着けています。たとえば、乗る人の足がはずれて落ちないためのカップ状のあぶみ、片手だけで馬をあやつるための、はしご状の手綱などです。そして、乗る人は、子どももおとなも、頭部を保護するためのヘルメットを着用することになっています。

 シェフ乗馬センターには、子どももおとなも、医師のアドバイスに従い、規則正しくやって来て乗馬を習っています。ここに来ているのは、ポリオ、脳性マヒ、切断などでからだが不自由になった子どももあれば、目の見えない子、耳の聞こえない子、言語と知覚に困難のある子、それから知恵おくれの子どももいます。

 動物を愛する気持ちと、馬に乗ってみたいという夢から、馬は少年時代の最大のあこがれであるという点に着目して、ミシガン乗馬センターが、身障者の乗馬訓練という仕事を作りあげたのでした。そしてそこでは、乗馬は、単におもしろいことと、からだの運動以上のものとなりました。それは、身障者に、自分のからだの不自由な点をうまく調整することを教え、自信というものを初めて獲得するか、あるいは初めて取り戻すことを助けたのでした。

強化と調和

 肉体的にみて、乗馬は脚の筋肉を強くし、腹部の筋肉を調和させ、からだのバランスとコオーディネーションと姿勢を改善する効果があります。乗馬のレッスン自体が、訓練生に、生きた動物と協同し、自分の希望に動物が答えてくれることを体験する機会を与えます。自分の馬にまたがれば、歩けない人も歩き回ることができ、介助者や車いすのような機械的な道具に依存することなく、独立した人間であり得るのです。

 毎週、約170人の、肉体的あるいは精神的なハンディキャップのある子どもたちが、自動車やバスでシェフ・センターにやって来て、屋根つきの屋内馬場で、1回1時間の乗馬レッスンを受けます。子どもたちがいっしょに遊ぶ犬やねこもいます。

 しかし、乗馬訓練を開始する前に、その子どもについての医師の推せん書を提出するか、あるいは身体の全般的状態についての検査を受けなければなりません。第1回のレッスンのときに、その子の練習の内容と、どの大きさの馬を使用するかを、理学療法士とセンターの監督者が決定します。

練習方法

 ふだん車いすに閉じ込められている少年少女やおとなが、どうやって実際に乗馬術を習うのでしょうか?センターの職員は、訓練生を馬にまたがらせるには、車いすを馬の背の高さまで押し上げる特別のランプ(斜面路)を使います。馬にまたがらせたあとも、ひとりの訓練生に常にふたりのボランティアが付き添うのですが、訓練生に対する指示は、身障者の乗馬訓練の資格を持つ別のインストラクターがします。ボランティアのひとりが馬をリードし、もうひとりが訓練生の横に着いて歩きます。2,3か月の練習でたいていの身障の訓練生は、じゅうぶんなバランスと自信を得て、単独騎乗ができるようになります。

 くら、その他の馬具、はしご状の片手用手綱、乗馬靴などは、すべて特別デザインのもので、このセンターからイギリスに発注製作されたものです。けがに備える追加対策として、馬場は20センチの厚さに砂を敷きつめて、クッションの役をさせてあります。ヘルメットの着用は前述のとおりです。また救急室が馬場に付属して設置されています。

 訓練生は最初の段階のレッスンである治療法としての乗馬練習を終了して、医師から許可を得たのちは、引き続きセンターで、自分自身の楽しみのための乗馬を続ける時間が与えられます。費用は無料です。訓練生は、乗馬術のほか、うまやの管理、馬のからだの手入れ、馬具の清掃のしかたも習います。毎週1回、センターの職員と子どもの親との会合が行われていますが、その席では、乗馬訓練の副産物として、子どもが家庭でもより協力的になり、学校でも勉強により集中する態度が出てきたと報告されています。

リハビリテーション施設としてのセンター

 建物は、州で制定の、「身障者に利用可能な構造物の基準」に応じて建築されたもので、大きさは26メートル×128メートル、内部に支柱はなく、暖房付きの馬場を内部に持っています。その他馬場の観覧とレッスンの教室に使われるラウンジ、事務室、倉庫、寝室兼用の居間、シャワーとトイレなどが完備しております。馬小屋は、3メートル×4ートルのボックスが50頭分あります。

 このセンターは、バトル・クリークとカラマーズの間の120万平方メートルのなだらかな起状の自己所有敷地内にあり、付近には、ケロッグ小鳥禁猟区や、ミシガン州立大学の広大な所有地もあるので、訓練生は馬場の外に出て、大いに乗馬術を熟練させることができるし、広野の中のたくさんの自然道を探検するスリルもあります。

 シェフ身障者センターは、アメリカにおける最初に承認された乗馬療法センターで、ノースアメリカン身障者乗馬協会からの公認を得ています。同時にそれは、身障者に乗馬術を教えるインストラクターの養成機関としても初めて公認されたものです。センターの理事のリダ・マッコーエン夫人は、前記乗馬協会設立者のひとりであり、協会の理事でもある人です。

 このセンターの設立は、乗馬愛好家のシェフ夫妻の財政的援助に負うものでした。将来の計画として、身障者のための完全なトレーニングとレクリエーションのセンターとすることが考えられています。そのときはここで、身障者のための水泳、ボウリング、陸上競技、アーチェリー、ライフル射撃、つり、キャンプなどが可能になります。遠くからやって来る人のための宿舎も用意されます。

 シェフ身障者センターの幸運な騎乗者たちの前途には、緑の牧場と楽しい乗馬の夢が無限に続いています。

●二本足歩行器

 車いすに代わる二本足の歩行器が出現するかもしれません。これは、ウィスコンシン大学の生物工学者アンドリュー・A・フランク教授が開発中のもので、最初、同教授四本足の「歩く馬」をデザインしましたが、現在は通常の歩行動作をまねた二本足歩行器に取り組んでいると伝えられています。ナショナル・サイエンス基金の資金援助を得て、同教授は、立ったりすわったりでき、歩くことのほか、階段を上がったり、コーナーでターンできる歩行器の完成に全力を上げています。これが完成すれば、全然歩けない重度身障者が、車いすに頼らず自力で前進できると期待されています。

●トレーラー・ハウス用車いす用エレベーター

 バカンス用のトレーラー・ハウスに取り付ける車いすエレベーターが、ミズリーのマックヘンリー・トレーラー・リフト販売会社から発売されました。エレベーターは、トレーラーの乗降口に取り付け、カー・バッテリーで作動します。セットしたときの台は、幅71センチ、奥行91センチで、362キログラムの重量に耐えます。エレベーターとして使用しないときは、台を起こしておけば、通常のステップの乗降口に戻ります。(以上Paraplegia News、Sept.,1971より)

●建物改造ヒント

 ―─建築物と施設をからだの不自由な人にも利用可能とするための14の方法─―

 ここに紹介する記事は、身障者関係でない進歩的なグループが、アーキテクチャラル・バリヤーズ(訳注、からだの不自由な市民を、事実上利用から閉め出している階段などの建築構造上の妨害物)を除去しようとして努力していることのひとつの証拠の話です。

 このリポートは、アメリカ・ホテル・モーテル協会が、メンバーのホテルなどの経営者に配布する機関誌「オペレーション・ブリティン」1971年6月号に掲載されたものです。この記事が、本誌の読者に活用されるとともに、読者から、建築業者、建築学者、市民運動グループの人たちにも回付され、改善を促進し、より多くの身障の市民のために明白な利益をもたらすよう期待されます。

 近代医学の奇跡は、変化しつつある社会大衆の態度とあいまって、従前なら家の中に閉じ込められたままだった多くの身障者を、熱烈な旅行者へと変えつつあります。もはや車いすに乗った人や、足の不自由な人は、ひとびとの目にふれないでいることに満足してはいません。身障者たちは、どこへでも出かけ、何でもやっています。そして、これらの身障客に対して、受入側では、いろいろさまざまな態度で応待していますが、それは、現状の設備が、身障者の必要としていることに見合い、安楽であるかどうか確信がないからです。

 家族の中に身障者を持つ人は、旅行するときには、特定のデザインのホテルとモーテルを捜し出して利用しています。商用その他で単身で旅行する身障者は、アーキテクチャラル・バリヤーズの存在しないホテルやモーテルを捜し出さなければなりません。身障者団体あるいは身障者に奉仕することを方針とする団体は、会合の場所を選ぶとき、特別の必要に見合うようにデザインされた場所を捜します。つまり、身体的に完全な人を対象として基本的にデザインされた建物や場所を会場として会合を開くことを避けようとするのです。その理由は、(1)その建物や場所は、広範に旅行する身障者が非常に少なかった時代に建てられたものであるか、あるいは(2)それらの持ち主と建築デザイナーが身障者の必要とすることについての情報に不足していたためです。そのほか、身障者と関係ない多くの団体でも、会合に出席するメンバーの中に身障者がいることを考え、その人たちにとってバリヤーズ・フリーつまり、建築上の妨害物が存在せず、身障者を当惑させることがないような会場を捜し始めています。

身障客に楽なようにと考えることは商売の繁栄につながる

 多くのホテルおよびモーテルの経営者は、身障者であれ老人であれ、要するに身体的動作に限定のある人たちに対する受入れ態勢を整えることができるならば、かなりの人数の新規客を迎え入れることが期待できると認識し始めています。現に、バリヤーズ・フリーなホテルやモーテルが、特に高い客室利用率を誇っているという事実は、身障者と老人が、旅行マーケットにおける将来有望な経済的潜在客であることを立証しています。

建物を広く利用可能とする14の方法

 すべての人に利用可能なように建物を建築したり改築したりするための最低限のガイドラインが、すでに定められてあります。その資料は、「建物と施設を身障者に立入り可能かつ利用可能とするための基準」(訳注、詳細次ページ)という標題であって、その内容についてはアメリカ・ナショナル・スタンダード(米国標準規格)協会(1430,ブロードウェイ,ニューヨーク10018 )から承認されたものです。この資料の一部を以下にご紹介します。

1. 地階(訳注、日本で言う1階)が、玄関入口と同一水準であること。

2. 一般通路は、少なくとも48インチの幅があり、段や、目だつような路面の高さの変化がないこと。

3. ランプ(斜面路)が必要なところでは、傾斜度は1対12以下であり、表面がすべらない材質であること。

4. 入口までランプで導くときは、入口の前の個所、に少なくとも5フィート×5フィートの水平面を設け、車いすに乗った人が、ドアを外側に引き開けられるようにすること。

5. ドアは、32インチ以上の幅の完全な開口部を持ち、容易に開けられるようになっていること。

6. 自動車のドアを開けて車いすに乗り移れるだけのスペースを確保できるよう、片側に他の車が並ばないようになった駐車場のあること。

7. 身障者専用駐車スペースを、通常の駐車場の中にリザーブするときは、幅を12フィート確保して、他の車との間を車いすで通れるように設計すること。

8. 駐車場から通路に出る境に、縁石があるときは、便宜な個所の縁石を斜めに削り落とすか、ランプを当てて、段をなくすること。

9. 廊下の床面と、ミーティング・ルーム、食堂、パブリック・トイレットその他の共用室の床面との間に段差があるときは、すべてランプで段をなくすること。

10. パブリック・トイレットには、少なくともひとつは、身障者が車いすのまま使えるコンパートメントを設ける。その場所は、幅が3フィート以上、奥行が5フィートで、外開きの幅32インチのドアと、両側壁面の床から33インチの高さの所にハンドレールを付け、便器のシートの高さは床から20インチの高さとすること(訳注、車いすのシートの高さと同一水準にするために、便器を若干持ち上げて高くして取り付ける)。

11. 平屋建でないかぎり、エレベーターは不可欠である。エレベーターの床面は、建物入口の床面および通常使用される階の床面と同一水準でなければならない。

12. 電灯、暖房、換気、窓の開閉、カーテン、ドア・ロック、火災報知器のスイッチ類や調節装置およびその他類似のすべての調節装置の取り付け位置は、車いすに腰かけた人の手の届く場所でなければならない。(たとえば、垂直方向に手の届く高さの平均は床から60インチ、斜め方向では48インチの高さである)。

13. 身障者にも身障でない人にも水が飲みやすいように、冷水器は、床から36インチの高さに取り付けること。

14. 在来の公衆電話ボックスは、ほとんどの身障者には使えない。しかし電話会社では、だれにでも使えるようにデザインした別の公衆電話を用意してあるので、それに取り替えさせること。

身障客のための客室のレイアウト

 客室内は、車いすの自由な通行を妨げないように家具を配置すること。電話器は、ベッドから手が届く場所に置くこと、鏡は、車いすに腰かけた人の顔が写るように、低く取り付けるか、下向けに取り付けること。衣類の収納場所は、車いすの人の手が届く範囲の場所であること。

 バスルームは、少なくとも32インチの幅の入口があること。内部は、車いすの通行が可能なようにスペースをとってレイアウトすること。便器の横には、直径1.5インチのグラブ・バーを取り付けること。洗面台の下には、車いすを入れられるように、じゃまな物のないようにスペースをとること。水栓は使いやすいもので、給湯パイプはすべてカバーすること。タオル掛けなどは、床から40インチより高くないこと。バスタブとシャワー室には、1個かそれ以上のグラブ・バーを取り付けること。シャワー室の床は、すべらない材質とし、水の流出を防ぐ仕切りを付けるときは、床から2インチ以下の高さとすること。シャワー・スツール(訳注、からだのすみずみまでよく洗えるようにデザインされた専用のいす)を用意すること。

 ホテルとモーテルで、不必要な妨害物が除去されたあとでは、身障者とその家族は、少しも気遅れすることなく堂々とやって来て利用することができます。そしてその人たちは、そのホテルやモーテルに来たかいがあったとし、楽しかったことをいつまでも記憶することでしょう。(以上 Accent on Living、Spring,1972より)

●ミネソタ州で広範なA/B法成立

 アメリカでも最も広範な規制と思われるバリヤーズ・フリー・アーキテクチャー法(身障者を利用から閉め出している建築上の妨害物アーキテクチャラル・バリャーズ・略称A/Bを禁止する法律)がミネソタ州議会を通過したと、ミネソタ身障者協会から連絡がありました。

 この新しい法律は、1世帯または2世帯用の1戸建住宅以外のあらゆる建物と施設は、すべて身障者と老人がひとりで自由に安全に出入りすることができ、完全に利用することができるような構造のものとなっていなければならないことを強制しており、そのことを満足させない設計の新規建築はいっさい建築許可が与えられないことになりました。古い建物の改築や模様替えの建築に際しても、同様の基準でのみ許可されるものです。

 今後、新しいすべての建物に対する基準としては、同州の新消防法および利用法規則が適用されるのですが、これらの法規の草案は、ミネソタ身障者協会の教育情報担当理事のウィリアム・B・ホプキンス氏が書いたもので、ASAスタンダードA117 ,1-1961(訳注)のすべての規定を含むばかりでなく、さらにそれ以上の規定を付加したものといわれます。(注、American Standard Specifications for making buildings and facilities accessible to, and usable by, the physically handicapped.前出前ページ参照)

 新法は、アパートについてはエレベーターを強制してはいませんが、一階の居室はすべて身障者に開放するものとしてあります。新法の施行は、身障者の住宅問題を解決するための、大きな突破口となると見られています。

 他の州でA/B法の強化を推進している人たちの参考のため、新法規条文のコピーが用意されております。

●ヒューストンの身障者タクシー

 テキサス州ヒューストン市の身障者は、メディ・バスという名前の特別のタクシーを利用できます。

 タクシーの車体はバンで、車いすのまま乗り込む電動式エレベーターが付いているほか、車いすを床に固定する装置など安全装置も完備しています。

 このタクシーは、車いすの人4人を同時に運ぶことができ、電話をかけると迎えに来るドア・ツー・ドア・サービスです。

●車いすの俳優、表彰される

 ガーデン・グローブに住む下半身マヒの俳優、ジェイム・E・スミス氏は、卓越した演技に対し、この夏で3回目の表彰を、リトル・シアター・グループから受けました。

 最も最近では、「ザ・ビューティフル・ピープル」のジョナーの役で、コメスタ・メザ・プレイハウスから最優秀助演賞を受けました。8月には、ハンチントン・ビーチ・プレイハウスに対する卓越した貢献に対して表彰されました。スミス氏はいつも車いすのまま出演するのですが、「どろぼうのカーニバル」のロード・エドガードの役でも、最優秀助演賞を受けました。

 スミス氏は、マサチュセッツのブロックトンで生まれ、子どものときから俳優になりたかったのは、アメリカに移住する前に俳優だったイギリス人の祖母の血を引いたからでしょう。

 かれは最初、東部の証券会社で働いていたのですが、1949年カリフォルニアに移り、ハリウッドの住人となりました。1955年に事故のため下半身マヒとなりましたが、車いすに乗って俳優を続けています。

 43才の車いすの俳優としてのほか、小説の作家でもあります。またアメリカ身障軍人会の副会長としても活躍しています。(以上Paraplegia News,Oct.,1971より)

●三輪車とアマチュア・ラジオ

 私(訳注、筆者Mr.A.J.Mathews)は、1916年にポリオにかかり、片足の自由を失いました。学校でスポーツなどがやれなくなって、ラジオに興味を持つようになり、他の多くの趣味に優先してラジオに熱中しました。

 1932年に英国ラジオ協会の会員になり、数か月後に2BPKのライセンスを得て、ラジオ送信機の設計と組立ての勉強をやり、1935年にG6QMのフル・ライセンスを得て交信を開始し、1953年にいま住んでいるチェルテンバムに移りました。

 1968年に三輪車(訳注、イギリスで政府から身障者に無償交付される特別の三輪自動車)をもらうまでは、私の無線局は固定式のため移動がとても困難でした。三輪車が交付されたとき、車に容易に積み降ろしできるような軽量小型の無線局を持つことを思い付きました。アンテナが最初ちょっとした問題でしたが、アンテナのマストをささえるための着脱式のブラケットを車のシャシーに合わせて作ることで解決しました。初めての試みでしたので、ヒースHW30トランシーバーを使って、2メーターのアマチュア・バンドをオペレートすることにしました。最初のテストは、半径80キロ圏内のラジオ・アマチュアと交信できるという最高の成功でした。それは、ヘッドライト1個分以下の消費電力と小型アンテナにしては、すばらしい成果だったのです。

 ついで、160メーターのアマチュア・バンドの機械を人から借りてきて、カー・ラジオ・アンテナの大型のを車のドアに取り付けたのですが、これで交信範囲は40キロメートル、出力は以前の2メーター・バンドと同じの移動無線局が完成しました。これを知った愛好家グループが、私にきつね狩りのきつねになることを要求してきました。これは、1台の移動式ラジオ送信局がきつねになって、町から11キロ以内のどこかにかくれて電波を出し、それを他の大勢のラジオ・アマチュアがハンターとして、ポータブル無線方向探知器を使って、かくれた送信器、つまりきつねの位置を探り出すという競技なのです。さて私は、計画を練った末、袋町の灌木におおわれた、わかりにくい場所にひそみ、ほんの短い時間だけ発信したのですが、45分後にはみごとに発見されてしまいました。

 このことから私は、もっと郊外の遠くのほうを、いろいろとあちこち捜して、もっとわかりにくい場所から発信しなければだめだと、苦心しているところです。

(以上 The Magic Carpet、Autumn,1971より)

*車いすの身障者、第一勧業銀行勤務


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1972年7月(第7号)41頁~45頁

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