特集/第12回世界リハビリテーション会議 特殊教育から見た第12回世界リハビリテーション会議

特集/第12回世界リハビリテーション会議

特殊教育から見た第12回世界リハビリテーション会議

三沢義一

はじめに

 第12回世界リハビリテーション会議は、8月27日から9月1日まで、オーストラリアのシドニーで開催されたが、特殊教育関係では、それ以前の8月20日から24日まで、メルボルンで第5回特殊教育国際セミナー(Fifth International Seminar on Special Education)が開催されている。このセミナーのテーマは、「障害者への教育的平等」(Educational Equality for the Handicapped)であったが、不幸にして筆者は、日程の関係からこのセミナーには少し顔を出したに過ぎないので、ここにその概要を紹介することは困難である。

 そこで本稿では、8月28日からの本番の会議で発表、討論された問題について、主として特殊教育の立場から述べてみたい。なお、資料の一部が未着のため、多少断片的なものになっていることをお断わりしておく。

1.リハビリテーション対象者の「共通分母」(セッション2)

 8月28日午前行なわれた全体会議では、「Common Denominators in Rehabilitating People」と題して、医学、教育、職業、社会の各分野からそれぞれリハビリテーション対象者の基底に横たわる共通的な問題について提言がなされた。すなわち、

 医学分野からの代表として、ノルウェーのDr.G.Harlemは、共通分母として、単一の要因をあげることはしないで、平素、国立リハビリテーション・センターの所長としての立場から、最も重要な問題と感じている18要因をあげた。その最初に、低知能、基礎学力の欠陥をあげたのは興味深いことであった。

 心理学者としての立場で、ロンドン大学のDr.S.Haskellは、経験主義的な観点から、養育環境が人間の学習、言語、その他行動一般に及ぼす影響を概説し、運動経験(motor experience)の不足ないし障害―つまり身体障害―は、その心身発達にさまざまな影響をもたらすことを改めて指摘した。

 また、ポーランドのDr.A.Hulekは、元来心理学者であるが、職業分野からの発言として、どんな人間であろうとリハビリテーションの目的、ニード、反応などに根本的な違いはないことを強調し、医学であろうが、職業であろうが、リハビリテーションの究局の営みは、教える-学ぶの関係であると述べた点が注目された。

 社会的分野からの発言として、カナダのK.S.Armstrongは、障害者のニードに対応する施策の重要性を力説し、患者の身体的制限から社会人としての独立にいたるまでの、さまざまな障害(barrier)を除去する努力がもっと積極的になされなければならないとした。またそのためには経済的な支えも不可欠である点も改めて強調した。

 以上、四つの分野からの提言は、リハビリテーションの基底に横たわる基本問題として、各専門分野を超越して実践家が関心を持たなければならないことがらである。発言者は、いずれも国際的に著名であるが、期せずしてそのいうところはだいたい一致し、既存の専門領域や学問体系にこだわらず、医師であろうが、教育者であろうが、ソーシャルワーカーであろうが、関係者はすべて共通のリハビリテーション・マインドを持たなければならないことを示唆している。各専門家は、いわば共通の土俵に立つことが先決である、という点を改めて強調し、その土俵がどんなものであるかについて確認し合った点で、このセッションはきわめて有意義であった。

2.特殊教育をささえる基礎的サービス(セッション4)

 このセッションでは、3件の発表があり、特殊教育推進のための背景的条件の整備について検討が行なわれた。

 まず、ニュージーランドの肢体不自由児協会のA.R.Kerseは、「ケース発見と障害の分類」という標題で、同国における障害児対策の歴史から説明した。1919年にすでに病院内学級が開設され、1922年には障害児も含めて就学困難な子どもへの通信教育が始められたという。脳性マヒ児対策は1948年、アメリカの著名なE.Carlsonを招いてこの問題に真剣に取り組んだので、それ以後飛躍的な前進がみられた。同国では、就学前教育が積極的に進められているが、他方では脳性マヒ幼児を主体とした訪問治療サービス(visiting therapy service)があり、PTまたはOTの専門家が治療のため家庭を訪問している。障害分類としては、運動的、知的、感覚的、行動的、てんかん性の五つに大分類している。そして子どもの就学措置をきめるには、特に各専門分野からの総合的なアプローチが必要である点を強調し、そのためには総合評価ユニットの設置が不可欠であるとしている。いわゆる教育的判別はわが国でも同様の主張がなされ、すでに部分的には実現しているが、単に就学のための総合判別ということでなしに、2才もしくはその前後からの総合的アプローチを強調した点で興味があった。

「特殊教育計画をいかにしてその他の社会的サービスと関連づけるか」、このテーマで発表したのは、デンマーク文部省のL.S.Jorgensenである。彼は保健、福祉両サービスと教育との関係を特に重視し、その他の関係分野からの代表も含めて、地域に特殊教育推進のための委員会を設けることを提唱した。そしてその委員会の構成、機能等について言及している。わが国とはかなり国情が違い、また医療制度や学校体系ばかりでなく、特殊教育制度そのものも相当に異なっているので、いわゆるデンマーク・システムの直輸入は困難であるが、発表内容は深く印象に残った。

 スウェーデンの中央教育委員会のF.M.K.Lundstromは「教育目標」という標題で、六つの点を論述した。同国は教育法(1966、1969、1972改正)により最近は重度障害児といえども、普通校で教育する方向に進んでいるが、そうした背景をふまえて、①教育目標は障害児の場合も基本的にはなんら差異はないこと、②個々の障害児に適合する普通目標を設定すること、③さらにその特別なニードにこたえるために特殊目標を設定すること、④心身障害による負の影響を排除する目標を設定すること、⑤成人生活への目標を定めること、⑥以上のような目標を設定して教育効果の達成を図るには、すべての社会成員の理解と協力が不可欠であること、などを骨子として論を進めた。同国は周知のとおり特殊教育の最先進国であるが、ここ数年、特に古いパターンからの脱却が図られ大胆な施策が実行されつつあるだけに、その発表には迫力があった。また実践上、わが国においてもじゅうぶんに学ぶべきいくつかの指摘が含まれている。

 特殊教育をささえる背景条件の再検討という視点から三つのスピーチはそれぞれ示唆に富むものであったが、真に特殊教育を振興させるためには、たしかに従来からの狭いわくの中だけで組織、方法をいかに工夫したところで限界があり効果も乏しいといわなければならない。70年代の特殊教育は、もっと包括的に近代的理念にささえられ、個々の子どものニードに即応した態勢が礎かれなければならない。またそれにつれて特殊教育そのもののイメージ交換も重要な課題というべきである。こうした認識を確認し合う意味からもこのセッションは有意義であった。

3.教育工学(セッション8)とその応用(セッション9)

 最近、技術革新の波にのって、特殊教育の分野においても新しい技術の導入が論議され、一部はすでに実用化の段階にはいっているが、このセッションでもそれに関係するいくつかの研究発表が行なわれた。

 まず、ワシントンのサイバネティックス研究所(Cybernetics Research Institute…C/R/I)のH.Kafafianは、障害者のためのコミュニケーション・システムの開発に関して、詳細な実験データを含めて、長文の論文を発表した。すなわち、①上肢障害者や脳性マヒ者などに使う電動タイプライター(市販商品名、サイバータイプ Cybertype)、②ろう・言語障害者のためのポータブルなテレコミュニケーション・システム(サイバーフォン Cyberphone、③盲人の触覚弁別システム(HAIBRL)、④その他障害に限定せず使えるもの(サイバーレックス Cyberlex,サイバーランプ Cyberlamp)の各種のシステム、器械について紹介がなされた。盲、ろう、言語障害のみでなく、脳性マヒ者の一部でも、意志疎通の能力の障害は顕著であるが、この研究は、各障害のわくを超越して、包括的な立場から新しい技術の導入を図った点で斬新であった。

 西独のK.Weinschenkは、「特殊教育における行動変容(Behavior Modification)と視・聴覚媒体(Audio-Visual Media)」という標題で、障害区分を問わず、積極的な教育工学の導入を説いた。普通児の教育に比べて、特殊教育の分野ではいっそうこのような側面への関心が払われなければならないが、わが国ではまだこれに対する理解が不足しているように思われる。たしかに器械や技術が教師にとって代わることはあり得ないが、もっと斬新な試みはどしどし実践に移すべきであろう。

 セッション9では、特殊教育に限らず、重度者へのサービスという観点から、工学の応用が問題にされた。まず、アメリカのジョージ・ワシントン大学のT.R.Shworlesは、「情報産業における技術革新と重度障害者の新しい職業経験」というテーマで、情報産業が、在宅重度障害者にも生産の機会を与える新しい仕事を提供すると述べている。重度者が在宅のままでできる新しい仕事としてマイクロフィルミィング、リモート・コンピュータ・プログラミング、データ・インプット・オペレーションなどをあげ、技術・設備を備えれば、新しい生産(情報)に重度者が加わる余地はいくらでもあるという。

 西独のW.Augsburgerは、職業訓練やリハビリテーション全般に、コンピュータを使用することを提言した。ハイデルベルグの施設における2年間の実績から、コンピュータは、障害者の職業訓練に非常に効果的な貢献をしたと述べた。特にその利点は、①個人個人に応じて適切な訓練ができること、②機械が相手であるため、対人的な緊張とか気兼ねが不要であること、③問題解決、学習行動、成功率などの点で、自動的に統計が出され、学習の進歩が明確に把握できること、などである。

 以上のような発表からも感じられるように、最近における技術革新の波は、特殊教育、職業訓練のみでなくリハビリテーションのすべての分野に浸透しつつある。もとよりここで発表されたいくつかの研究は、いわばそのはしりともいうべき先端であるかもしれないが、遠からず施設、学校などで大幅に実用化されるすう勢にあることは間違いない。医学分野だけでなく、教育や職業分野においても、わが国ではもっと真剣にこの問題に取り組んでしかるべきであろう。

4.特殊教育教師養成(セッション9)

 いまさら多言を要するまでもなく、特殊教育の充実、前進には特にすぐれた教師の確保が先決である。このセッションでは3人の専門家がそれぞれの角度から発表した。

 まず、台湾の台北師範大学のWei-Fan Kouは、特殊教育の教師は、単なる普通の意味での教師というより、心身障害児の特性をじゅうぶんに理解する臨床治療家でなければならないとし、そのために心理学、教育学その他関連領域の深い知識がなければならないとした。共感できる発表であった。

 ノルウェーのヘドマルク・オップランド地区大学(Hedmark/Oppland Regional College)の学長であるH.Tangerudは、特殊教育の教員に特に要請されることは、時代の進歩に対応した柔軟性であると述べ、いくつか指摘した中で印象に残ったのは、教員養成の過程で相互の討論を重視するグループワーク方式の採用であった。同国はわが国と異なって、正規の教員になって、いったん現場に出た教員を再教育のかたちで特殊教育教員に仕立てているので、討論方式の養成を重視することはたしかに効果的であろう。

 他方、アメリカ、コロンビア大学のI.Goldbergも、特殊教育における教育養成と題して、平素の経験から、いくつかの問題点を指摘した。

 容易に考えられることであるが、特殊教育の教員養成とはいっても、それはその国の教員養成制度や学校制度そのものと深いかかわり合いの中にあり、また教師それ自体も普通校の教師から全く遊離した異質なものであってはならない。したがって、外国の制度を単純に直輸入することは不可能であるが、少なくとも、どこに力点を置いて臨むか、という基本態度を学ぶことは有意義である。このセッションへの参加者は、むしろこうした点に価値を求めるべきであったろう。

5.社会環境;社会変化とソーシャル・アクション(セッション11)

 医学、教育、職業などの分野を問わず、障害者の社会的側面は、リハビリテーションの専門家が共通に持たなければならない関心である。そこであえてこのセッションの概略を紹介しよう。

 「障害者のための新しい生物工学の社会的意義」と題して、アメリカ、ウェイン州立大学のC.Safilios-Rothschildは、注目すべき発表を行なった。すなわち現代の障害者も昔と同様、依然として外界の弁別障害(盲、ろうなど感覚障害)と身体的制限(主として運動障害)から救われてはいないが、近年、それを救う試みとしていろいろな補装具、医学的器械などが考案されてきた。

 しかし障害者がそれを使うことに必ずしも積極的でないのはなぜか。

 それはたとえ特定の補装具にある程度の性能が保障されても、それを他人の前で装着することは一種の社会的恥辱(social stigma)に連なりやすいからである。いままでの補装具開発は、運動力学や感度増幅というような物理的事象だけに目を奪われ、肝心な装着者のこころや一般社会の目を忘れている。

 したがって、生物工学研究には、心理学者や社会学者も加わって、もう一度出直すべきではないか、とするのが彼女の論の骨子であった。傾聴に値する説である。

 「ソーシャル・アクション」の題名そのままでカナダ、トロントのW.B.Raceは、障害者の積極的な社会参加を訴えた。

 また、イスラエルのリハビリテーション分野で最も精力的に活動しているE.Chigierは、「障害者の性的適応」と題して、性に関する人間としての権利は障害者も平等であるとの立場から、六つの側面について述べた。すなわち、性について、①知る権利、②教育を受ける権利、③性的表現の権利、④結婚の権利、⑤両親への権利、⑥社会からのサービスを受ける権利、である。障害者の性教育に関する関心はここ1~2年急速に高まり、そのための国際会議が本年イスラエルで開かれたが、従来とにかく触れたがらなかった問題が、このような場で討論に導かれることは一つの進歩と見るべきであろう。

 その他のセッションでも社会的側面に関するものがあったが、ここでは省略する。

 6.特殊教育の将来のための指針(Guidelines For The Future In Special Education)

 今回の国際会議の成果の一つとして、特殊教育、医学、職業、社会の各分野において、それぞれ将来のための拠りどころとなるべき指針が樹立された。

 特殊教育については、メルボルンにおけるセミナーでそれが討議され、さらにシドニーの本番の会議で、8月30日午前、国際障害者リハビリテーション協会のH.Goldsteinの議長の下にラウンド・テーブル・ディスカッションが行なわれ、討論を深めていった。完結した文面はまだ入手できないが、九分通り固まった内容について、以下要点だけ記述しよう。

(1)緒言

 教育は個人の全面的発達を高揚するために企画される持続的な成長の過程である。障害者を含めてすべての個人は、自己の可能性を最大限に発揮する教育に対して、人間としての侵すべからざる権利を有している。1959年国連によって採択された「子どもの権利宣言」の中では、十原則の中で三つの原則が児童の教育に関することである。社会は、特殊児の教育的サービスに費される金が、けっして浪費ではないことを自覚しなければならない。

 障害児といえども、第一義的には「子ども」であり、ついで障害をもった子どもである。したがって、その自己ニードと社会的ニードは基本的には普通児のそれと同じであるが、違うところはそうしたニードを満たすために特別な配慮を必要とすることである。

(2)家族

 特殊児の親は、普通児の親に比べてよりいっそう心理的、財政的負担を背負っている。社会はそれに対して積極的に援助すべき責任をもっている。したがって、①医学的、心理学的、社会的、教育的諸領域からのチームによる診断、②カウンセリングと教育情報、③就学前教育、④教育計画決定への参画、④家庭教育を通じて就学前教育チームへの参加、などの諸サービスが考慮されなければならない。

(3)学校

 可能なかぎり子どもの居住する地域の学校で、その子を受け入れることを優先しなければならない。また子どもの能力に対応した教育計画が立てられるべきである。たいせつなことは、医学的基準で診断された障害者が、必ずしも教育場面での障害者ではないということである。また、いったん教育計画にのせられた子どもは、その進歩状況について周期的に評価され、必要とあれば教育方針の修正がなされる必要がある。さらに特殊教育においては、教育工学の導入が必要である。

 学校教育における普通児との統合(integration)は、個々の子どもの障害の特性に応じて最大限に行なわれる必要がある。

(4)教員配置

 特殊教育では特に教師の問題が重要である。したがって、その進歩につれて教師の資質は不断に高められる必要がある。そのため現任訓練も重要な意味をもっている。

 教師は専門家チームの一員であるから、心理学、ソーシャルワーク、言語治療などの専門家の役割についても深い理解がなければならない。

(5)社会

 障害児も社会の一員であるから、社会が真の理解をもち、一人前に考えないような既存の固定観念は打破すべきである。社会の受け入れをよりよくするために、マスコミの利用を活発にすべきである。同様、民間機関の活動も積極的に支援すべきである。

(6)政府

 政府は特殊教育への財政的支持と運用について責任と権限をもっているから、①立法、②専門家の資格要件、③施設基準、④民間団体との協議、⑤国および地方の情報センターの組織化、⑥研究奨励、などについて推進しなければならない。

(7)国際協調

 特殊教育の先進国は後進国に対して、次のような形態の援助を行なう責任がある。①専門情報の提供、②モデルプログラムの提供、③教師養成に関する援助、④スカラーシップの提供、⑤地域的会議とセミナーの開催、⑥評価と研究のための援助。

 最後に、不断の努力と勇気と確信と創作力により、この指針は実を結ぶことができる、としている。

終わりに

 今回の世界会議は、南半球で開かれた最初のものだけに、地元オーストラリアの熱の入れ方は相当なものであった。開会式にはマクマーン首相が出席したり、各種のソーシャル・イベントが設けられるなど盛りだくさんの計画がたてられていた。筆者は1966年西独ウィスバーデンで開かれた第10回世界会議にも出席したが、そのときよりは盛会であったように感じられた。

 本稿では、特殊教育関係を中心に述べたが、心理学、職業分野でもすぐれた発表があり、特に心理学分野では、8月中旬東京で開かれた国際心理学会に続いて、この会議が開かれ、その後さらにハワイでアメリカ心理学会が開かれたので、特にアメリカの著明な心理学者の幾人かは、太平洋を会議のために一巡していた。これに反して日本からの参加者のうち、特殊教育と心理をかけ持ちしたのは筆者ひとりで、医学関係などに比べるとはなはだ寂しいものであった。次回にはもっとたくさんの参加者があるよう希望してやまない。

三重大学教育学部助教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1972年10月(第8号)16頁~21頁

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