身体障害をもつ学生のためのコミュニティ・カレッジ

身体障害をもつ学生のためのコミュニティ・カレッジ

Development of a Community College Program for Physically Handicapped Students

Steven Fasteau *

奥野英子**

 ここ2~3年間に、カリフォルニア・コミュニティ・カレッジ制度に、ある種の覚醒症状が現われてきた。教育分野および労働市場において、障害者人口のもつ潜在能力がだんだん見直されるようになったからである。この数年間に、学生人口が急激に上昇したため、おのずと、コミュニティ・カレッジに登録する〈障害をもつ学生〉の割合も大きくなったのである。その結果、従来見過ごされがちだった障害者人口が配慮の対象となるようになり、障害をもつ学生のニードに合うプログラムを企画しようとする機運が生まれてきたのである。

 カリフォルニア・コミュニティ・カレッジ制度は、おもに次のような三つの機能を備えている。

 まず第一番目の機能は、特殊技能を必要とする職場にすぐに就職できるよう、教科および職業・技能訓練を実施する2年制のプログラムである。訓練種目としては、溶接、自動車修理、秘書事務、テレビ修理などがあげられる。第二番目の機能は、コミュニティ・カレッジを修了した学生を4年制の大学に転校させることである。この範ちゅうに属する学生は通常、専門分野または準専門分野における学士号、修士号などの学位修得をめざしている。第三番目の機能は、キャンパスがコミュニティ・センターとしての役割を果たすことであり、講演会、演劇会、コンサート、成人教育および各種講座等の催し物を開催することである。

 カリフォルニア制度におけるコミュニティ・カレッジは現在94校あり、約70万名の学生を擁している。この数は、カリフォルニア州において高等教育を受けている学生総数の80パーセントを占めているのである。近年、学生人口が増加したため、コミュニティ・カレッジの理念およびプログラムを絶えず再考せざるをえなくなっている。各カレッジ地区では、そのコミュニティのニードを満たすよう真剣に努力し始めたといってよいであろう。すでに述べたコミュニティ・カレッジの三つの機能は、コミュニティ全般のニードを満たすものと解せるであろう。したがって、カリフォルニア当局が、カリフォルニア・ジュニア・カレッジという名称をカリフォルニア・コミュニティ・カレッジと改称した理由も納得できるであろう。

 また、コミュニティ・カレッジの理念として、〈個人の尊厳と価値を信じる〉があげられている。カレッジは、学生が、自己、自分をとりまく環境、文化および民主的な生活様式を理解できるようにすることをめざしている。

 コミュニティ・カレッジの目的は、よりよい就職、より深い理解、個人の成長という名のもとにある、いわゆる高等教育の目的の具現にあるといえば、より明白に焦点がしぼられるであろう。われわれの社会は、より高い生活水準を達成するために、高等教育を必要としているのである。

問題点

 高等教育の価値が高く評価されるようになったため、学生人口への多大な殺到現象がもたらされたのである。成人教育、延長プログラム、少数グループを対象とした特別プログラム、社会的に不利な立場にある学生のためのプログラム、財政援助プログラムなども、この上昇現象の一因となっている。より大きな、より複雑多岐にわたる学生人口の需要にこたえるためには、独特の背景・ニードをもつ個人およびグループの現状をじゅうぶんに把握するとともに、それらに適した企画を立案しなければならないのである。これは、コンピュータを導入した教育、プログラムを事前に立てそのとおりに進める教育、矯正講座、チーム・ティーチング、教師と学生のより綿密な接触を確立しようとする努力、などの台頭によっても、実証されるであろう。このように、従来見過ごされてきたグループの一つ、それが障害者人口なのである。

 当然、障害者も、彼が住む地域社会の一員である。地域社会の一員として、コミュニティ・カレッジが提供するすべての恩恵を受ける資格があるはずである。このなかには、職業訓練、学問的研究ばかりでなく、社会的活動、課外活動も含まれる。しかし、数多くのカレッジは、そのサービスの対象であるはずの、障害をもつ住民の真の潜在力を認識していないようである。この失策の原因は、障害者に対する関心不足によるものではなく、洞察力と企画不足に起因している。ちょっとした建築上の障害物があるためだけでさえ、障害者が高等教育を受けようとするときの第一番目の難関となっているのである。

 建築上の障害という問題は、決して簡単に改善できるものではない。階段があったり、ドアの幅が狭いために車イス使用者が利用できない建物を改造するには、かなりの予算が必要とされよう。建物改造の財源がふじゅうぶんなため、必要な改造も不可能な状態に置かれている。

 この〈実地教訓〉を、行政担当官や大学の評議員会はじゅうぶんに認識し、今後建築する場合には、American Standard Specifications for Making Buildings and Facilities Accessible to,and Usable by,the Physically Handicapped(身体障害者も安心して利用できる建物・施設をつくるための米国基準仕様。発行所、American National Standards Institute,1430 Broadway,New York,N.Y.10018)に規定されている最低基準を満たすよう配慮すべきであろう。障害をもつ学生のために最低基準を考慮することは、彼らがすべての教科を受けられる平等の機会を用意するために、どうしても不可欠である。

 障害をもつ学生の前に立ちはだかる第二番目の難関、それは、普通の社会活動を経験する機会が極度に少ないことである。障害をもつ者は、障害をもち始めた段階から、普通と違う教育的背景を歩まされており、それは常に制限され、ワクをはめられたものであった。障害をもつ学生が正規の学級に参加していたとしても、多くの場合、自宅との間の交通機関の時間に左右され、課外活動に参加できないであろう。障害をもつ学生が正規の授業に出席できても、学友との人間関係、社会活動、いわゆる〈普通〉の学生と競い合う経験などは極端に制限されており、学級内での活動だけに限られてしまっているのである。

 障害者の交通機関としては、車イスのまま乗り込めるよう特別に改修された自動車が必要とされる。この種の車にはランプ(斜路)かリフトが取り付けられ、車イスでの出入りができるようになっていなければならない。一人の障害者が乗り込んだり、降りたりするには少なくとも数分間の時間が必要とされる。したがって、障害をもった学生が自宅から学校に通うには、片道で45分から1時間の時間が必要となる。普通の学生が課外活動や社会活動に費やす放課後や授業前の時間を、障害をもった学生は確保しがたいのである。その結果、障害をもった学生は、カレッジ生活における人間関係が希薄になってしまうのである。

 中等教育段階における〈特殊学級〉は、個人の教育上の向上を目的としてはいるが、その特殊学級に通ってそこを卒業したとしても、カレッジで一般の学生と能力を競い合えるような基盤は築かれない。

各種の教育プログラムがあるにもかかわらず、障害をもつ学生が損をする可能性は多大にあるのである。障害をもつ学生は、〈教育遅滞〉(educational lag)という問題の被害者になる可能性が多いことを、指摘しておかなければならないであろう。この教育遅滞とは、学級のペースについてゆけなくなることであり、その結果、基本的技能や学課の主要個所を学習できなくなることである。ここでいま取りあげている学習遅滞という問題に、精神薄弱者を想起しているのではない。この遅滞という問題は、知能が非常にすぐれた学生にでさえ、起こりがちなのである。

 この教育遅滞の主要原因は、授業を欠席することにある。障害をもつ学生は、医療上の必要性から授業を休まざるを得なくなるのである。手術、理学療法、作業療法、言語治療、診察などを受けなければならない。または、疾病や伝染病、気候の変化などに対する抵抗力が小さいため、たとえ単なるカゼでさえ、自宅静養しなければならない場合がある。

 もう一つの原因として、これはあまり顕著ではないが、個人の心理状態もあげられよう。抑うつ症になったり、意欲を失ったり、障害者であるという圧迫感を克服できないために、学習態勢がはばまれるのである。教科に精神を集中できなければ、学習に支障がきたすのも当然であろう。この現象は、後天的に障害者となり、また自分の障害に適応できずに苦しんでいる者に、特に顕著に現われるようである。

 要するに、障害者は、自分ではどうすることもできない外界の状況や、専門家の援助を必要とする内面の葛藤と、絶えず戦っているのである。これら二つの影響は、社会で一本立ちし、自分で生計をたて、他人に認められる存在になろうとしている障害者にとって、多大な身体的、心理的負担となっているのである。高等教育当局は、障害をもつ人口の独自性を認識し、彼らの教育上のニードを満たせるよう、準備に取りかからなければならないであろう。

プログラム

 カルフォルニア州のコミュニティ・カレッジは、障害者人口に関心を持ち始めている。プログラムはまだ着手し始めたばかりであるが、将来への可能性は遠大である。障害者のための総合的教育プログラムをいくつか企画している。各カレッジごとのプログラムをここに記述することは不可能であるので、Norwalk 市にあるCerritos Collegeの例を説明しよう。

 まず初めに指摘したいのは、障害者特別プログラムのための財源についてである。このプロジェクトには、二つの主要財源がある。第一番目の財源は、職業教育法(Vocational Education Act of 1968 )にもとづき、職業教育B部門にかかる総経費の10パーセントが連邦政府から措置される。この法令により、コミュニティ・カレッジは、身体障害者のためのプログラムを設置・実施するための具体的な財源が保障されているのである。

 第二番目の財源は、カリフォルニア州教育規約(California Education Code )の第18102 項に規定されており、身体障害者の1学級につき17,260ドル(約470 万円)支給される。州の財源は、教員数、学級の規模、最低基準を満たす学生数などにもとづいて決められる。州の財源は、職業分野のみならず教科に対しても、補助する。

 Cerritos College地区は、障害者を援助するために全力をそそいでいる。職業教育B部門に該当する財源を利用し、Downey市にあるRancho Los Amigos Hospital に入院ちゅうの障害者を対象にして、商業教育プログラムを1968年に設置した。肢体不自由者を対象にしたこのCerritosのプログラムに参加した障害者の症状は、脊髄損傷、ポリオ、筋ジストロフィー、脳性マヒ、出産時障害、切断、二分脊椎、多発性硬化症、火傷などである。

 病院のなかに特別に設置されたこのプログラムには、1学期ごとに100 名以上の学生が登録している。ランチョーのキャンパスでは、商業コミュニケーション、タイプ、事務器、読書、基本数学、および商業教育に関する各種講座が用意されている。特殊設備、補助器具、対象者に合わせた教授法等の工夫により、講座は個人およびその障害を配慮して実施される。

 1970年にCerritos Callegeは、カリフォルニア州に住む肢体不自由者を対象にしたコミュニティ・カレッジをそのキャンパスのなかに開設した。このプログラムの経費は、州政府特殊教育特別支払い金(教育規約第18102 項)から出され、このプログラムは以下のような12項にわたる目的にそってサービスが実施される。

 1.障害をもつ学生がコミュニティ・カレッジにうまく統合できるよう援助する。

 2.学生が長期欠席した場合にも、教育プログラムを継続できるよう援助する。

 3.障害をもつ学生が自己概念を現実的にとらえられるよう援助する。

 4.学習意欲をもち、就職目標をたてられるよう援助する。

 5.障害をもつ学生に合う特別の教授法、家庭教師の派遣、アドバイス・カウンセリングの提供、設備などを用意する。

 6.授業および課外活動に参加できるよう、キャンパス・自宅間の交通機関を確保する。

 7.障害をもつ学生と担当講師との間の連絡係を設置する。

 8.次のような特別講座を設ける。

  (A)身体障害および心理・社会的側面の調査

  (B)職業、職場について解説する講座

 9.読書、ノート取り、図書館における補助、食事の世話等の援助を提供できる奉仕クラブの活動を連絡調整する。

 10.肢体不自由者プログラムに参加するのが適切と思われる学生を確認する。

 11.障害をもつ学生の登録、就職テスト、駐車場の確保、カウンセリング等の連絡調整をする。

 12.学生の身体症状についてや、建築上の障害物について、大学当局にアドバイスをしたり、勧告書を出す。

Cerritos本部キャンパス・プログラムでは、現在25名の肢体不自由者がこの特別プログラムに登録しており、上記の目的にそったサービスが実施されている。このグループに参加している学生の障害を見てみると、病院内プログラムに参加している者の障害群とほとんど大差はない。しいて差異をあげるならば、Cerritosキャンパスの学生のほうが、その障害症状がより安定していることぐらいであろう。

 身体障害というものは、単一症状であることがまれである。ほとんどの身体障害には第2次症状が伴い、それらは個々の学生の教育過程に少なからず影響を及ぼすものである。したがって、まず主要なる障害症状をあげるとともに、それに付随する障害もあげ、それらによってリストを作成する必要があろう。おもな障害は、脳性マヒ、リウマチ性関節炎、ポリオ後遺症、二分脊椎、多発性硬化症、切断、出産時障害、心臓器疾患、脳炎後遺症などである。付随症状としては、てんかん、視覚障害、聴覚障害、言語障害、教育遅滞、マヒ症状、歩行障害などがあげられる。

 指導者(instructor)としての役割、連絡・調整者としての責務を明確にする必要がある。前にも述べたが、指導者(連絡・調整者)としてのまず第一の責任は、障害をもつ学生に対して援助の手をさしのべることである。たとえば、アドバイスをしたり、テストしたり、授業日程を調整したり、個別指導したり、ときには、単に精神的に力づけたりするだけでもじゅうぶんかもしれない。

 第二番目の役割は広報活動である。自宅にとじこもっているため、コミュニティ・カレッジの教育プログラムについて知らないままでいる障害者にも、情報がゆき届くようにしなければならない。この広報活動には、マス・メディアを活用すればよいであろう。また、リハビリテーション局、福祉局、各地区の高校および病院など、各種ソーシャル・サービス機関とカレッジとの間のコミュニケーションを確立しなければならない。

 第三番目の責任として、指導者は障害者のもつ能力および能力の限界について、大学当局や教授会に説明できなければならない。こうすることによって、今後もプログラムが企画され、実施される可能性がおのずと生まれてくるであろう。

 最後に申しあげたいのだが、これは障害者自身にとってたぶん最も重要なことであろう。選択課目として、二つの講座が設置されたのである。この講座は次のような二つの主要目的を満たすことを意図している。まず第一番目の意図は、各種障害についてや病因学、治療方法、心理・教育的側面についての理解を増進するとともに、障害者が障害者人口全体との関連のなかで自己を見つめられるようにすることである。第二番目の意図は、将来の就業計画、就職の可能性に関して、自分の能力を現実的に評価することである。

 これと同様な障害者のためのプログラムが、カリフォルニア州全域で、現在実験的に実施されている。大学総長会(Chancellor's Office )は次のような願望を表明している。「カリフォルニア州にはコミュニティ・カレッジ地区が68あるが、それらすべての地区に、身体障害者のためのプログラムを設置したい」と。

結 論

 国家の真の富はその国民にある、という説に同意が得られるならば、よりよい社会を築くために、個人個人が自分の能力を最大限に生かせるような機会を用意しなければならない。この目標を達成する最も根本的なプロセスは、教育にかかっている。教育の機会を用意するときには、身体状況が一般の人びとと異なる社会の一員をも、その対象に包含できる許容範囲の大きなものにしなければならない。このような機会をはばんでいる障害物は、なんとしても排除しなければならない。一生涯、福祉措置の対象として暮らさせるよりも教育や訓練の機会を与えて社会に貢献できる人とならせたほうが、よほど賢明な道であろう。

 ここで質問が出てくると予想されるのだが、「障害者が教育過程を終了しさえすれば、もう職業人として働くことができるのか」と。残念ながらこの回答は、実際の成果が現われてからでないと、わからないであろう。もしわれわれが、障害者に本当に平等の教育の機会を与えてみてからでなければ、障害者がどのように成長するかはわからないであろう。

(Rehabilitation Literature,September 1972から)

参考文献 略

*Mr.Fasteauは現在、カリフォルニア州ロスアンジェルス地区にあるEl Camino College の講師として、障害をもつ学生のためのプログラムの連絡調整や、障害をもつ学生が大学生活にとけ込めるよう援助するプログラムの企画・実施を担当している。同氏は1970年9月から1972年7月まで、Cerritos Collegeの講師として、からだの不自由な学生のための特別プログラムを設置する事業に従事していた。現在、University of Southern Californiaにおいて、特殊教育の博士号修得をめざしている。
**日本肢体不自由児協会書記


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1973年4月(第10号)27頁~31頁

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