失われた世代の親

失われた世代の親

A Lost Generation of Parents

Kathryn A. Gorham*

小竹正明**

 ベッキーは、私の5人の子どもの末子で、ひどい知恵遅れの子どもです。彼女が生まれてからの13年間は、私にとっては啓発された期間でもありました。私は専門家とともに、ほかの親について、その経験を学び、また親の会についても多くのことを学びました。

 私自身は専門家として合格もしたので、かつてしたようにボランティアとしてでなく、有給で雇われる「特殊な」子どものサービスシステムについても学びました。

 私は今まで沢山のことを学んできましたが、障害児の親の中では、明らかに、失われた世代に属するひとりです。

 私たちは専門家におびやかされているか、彼らに腹を立てているか、どちらかです。あるいはその両方であるかもしれません。反面、彼らを必要以上に畏怖している親でもあるわけです。私たちは、自分の子どもをその道の専門家以上に直観的に知っている親ですが、それでもなお、私たちは、専門家が一番よく知っているのだ、という考えからぬけきることはできません。

 また、私たちは子どもについての専門家──学校の先生、校長、医師や心理学者──と現実的な対話ができないほど、気持ちや情緒面で、あまりにも多くの荷を背負いこんでいる親なのです。

 ベッキーは、生まれてから13歳になるまで、五つの専門分野で11人の医師に診てもらいました。また、聴能士、作業療法士、視力測定士(optometrist)、理学療法士、心理学者、言語病理学者などに照会されてきました。

 親は、最も苦痛の少ない診断をしてくれる専門家を「買いあさる」とよく非難されることがありますが、私はその答えとして次のように示唆します。私自身と同じように大部分の人は、子どもの状態の複雑さや程度が、いろいろな観点から周期的な再評価を必要としているので多くの専門家に会っているのです、と。

 私たちの子どもが成長するときは、一か所で済むような診断センターはありませんでした(今でもほとんどないのですが)。ですから、診断医から診断医へと「照会」されていったのです。

閉ざされたファイル

 あまり多くの診断医や判定員に会うことは問題です。多くの親は、自分たちにすべての情報を与えてくれる小児科医や家庭医を持てるほど恵まれてはいません。人々は転々として医師を変えています。医師の中には、診断や情報を与えてくれない人もいます。

 報告書とは一体何でしょうか?

 それらは、マニラ紙のファイルに収集され、病院から病院へ、学校から学校へと子どもについてまわります。もし、すべての情報を網羅したファイルが親の手元にあればすばらしいことなのですが。残念ながら、親はこれらのレポートのコピーを与えられていません。知らない人が、子どもの記録を見ることを許されているのですが、親は普通許されていないのです。

 私たち親は、学校への入学願書を書くとき、その学校が集めた、子どもについての過去の診断書や前の学校からの情報が書かれている書類にサインします。私たちは通常、そうして集められ、送られてきた書類を見せてくださいとはいいません。けれども、私たちは自分の名前をサインし、子どもすらも知らない人々の介入をも許しているのです。その人たちは、記録を読み、あれこれ考え、読んだものをもとにして、子どもの教育や処置について最終的な決断を下しています。

 ベッキーは13年の間、専門家から専門家へ巡礼のように渡り歩く間に、分厚いファイルを積み重ねてきました。

 私はソーシャルワーカーから、数えきれない程その内容について「説明」を聞きましたが、そのファイルを見たのはたった一度だけです。──それも去年のことでした。私はそのとき、罪悪感のようなものを感じました。というのは、私のそうした行為は、彼女の訓練プログラムを実施する組織の専門家としてであって、親として見たわけではなかったからです。

 それらの診断書類の中には、私の理解できないものは何もありませんでしたし、だれかに聞かなくてはならないこともありませんでした。それを書いた人と自由に打ちあけて話し合われたものばかりでした。

 私のこのような例は、型はずれのものでなく、むしろ、典型的な例だと思います。

 時には、その資料収集の過程が、学校へ入るための面接に必要なものであったにもかかわらず、2~3か月も遅れることもありました。もし、私がその記録を自分で持っていくことができたとしたら、どんなにか簡単なことだったかしれません。

アイロニィ

 もし、10年も20年もの間、障害児と共に暮らしたことのある人なら、その生活の中から得たアイロニィについてのリストを作りあげることができるでしょう。以下に記すことは、私のベッキーについてのノートや、他の親との話し合いから抜きだしたものです。

 1.断片的なサービスシステムの中で扱われる子どもの進歩を監視する責任は私たちにあります。しかし、私たちが会ってきた一連の医師や専門家は、私たちが彼らの業務の複雑さを理解できないということや、私たちに説明するための時間がないことを前提としています。

 私たちは責任を持っているのです。けれども、私たちを教育し、より良い役割を授けてくれることが診断的義務の一部であることは普通には考えられていません。

 2.子どもの発達について誤った考えを持っている親は、普通、最小限にしか受け答えてくれない医師に対して、障害児とその家族の持つあらゆる要求を投げかけます。医師は周知のように医療サービス以外のことはよく知りません。だから親に対して、学校が障害児にとってどう有益なのか、学校の利点についてさえも話すことができません。

 3.診断医が専門化すればする程、親には情報を提供しなくなります。そして親のおかれている状況や感情を無視するようになります。

 母親とカウンセリングするようにしむけることは、医師や診断医にとって、一般的で安易な解決法です。けれども親は、彼らとの関係を無視し続けても、決して自由になれるわけではありません。

 4.私たちのある者は、専門家から子どもを公共の施設に入れるようにと、何度も言われています。けれども、私たちがそこから見い出すものは、子どもを援助するための最低の備えしかない場だということです。

 5.私たちは、自分の子どもについての情報を、専門家に提供しています。けれども私たちにはそれを読むことが許されていません。

 6.現在、私たちの子どもにとっての最善の場は、地域社会、近隣社会、家族やそれに代わるものであると言われています。けれど、この要求を満たしているグループホーム(group home)はありませんし、フォスターホーム(foster home)を求めるのは同様に困難なことです。

 このようなことが許されているのは、以前と同じように、一時保育(respite care)のできる私たち自身の家庭であり、ホームサポート・サービスであるわけです。ほとんどの地域では、そのようなことは一つの可能性であるにすぎません。

 7.私たちの子どもが、自由な教育を受ける法的権利を持っているということは、常識的には受け入れられています。しかし、その学級を現実のものとする特別の費用はいまだに法律で保証されず、そのことが提訴されてもいません。私たちの要求について、立法者に再度事情を訴えるようにと、言われます。どうして何度も言わなければならないのでしょうか。

 8.過去において、私たちは子どもを施設に入れなかったとき、罪悪感を強いられました。そして現在、ごく当然だと言われている原則に従って、子どもを施設に入れたとしても、やはり私たちは罪悪感を抱きます。

効 果

 私たちの過去の経験や直面しているディレンマから生ずるアイロニィは山ほどあります。私たちは、その中で生きていくことを学びました。しかし、「失われた世代」のメンバーとしての傷跡を残してこなかったわけではありません。

 〇私たちは腹を立てているのです。私たちは救済業を専門としてきました。そして、あまりにもわずかな援助しか受けてきませんでした。

 〇私たちはいまだに専門家を畏敬し、専門技術によっておびやかされているような感じを持っています。

 〇私たちは、学校のプログラムに子どもを受け入れてもらっただけで、学校長や教頭に深く感謝しています。

 一日24時間、家庭での週7日間の交互に行われる施設での扱いに私たちは自分が卑屈になる程深く感謝しています。

 〇私たちは、知能障害についての専門家が乗っている最新型の楽隊車(Band Wagon)には無関心でいます。

 いろいろ混じりあったメッセージが、あまりに多く私たちの歴史の一部になってしまっているからです。だからパレードに参加するよりむしろそれを丁寧に聴こうとしているのです。それから私たちの子どもに最善だと思うことをするのです。だから、私たちは時々無気力だと非難されることがあります。

 〇私たちの多くは、来年(または明日)を悲しまないことが最善であると、結論づけています。というのは、そのときは今よりも良くなっている(あるいは悪くなっている)でしょうから。たしかに、私たちのだれもが、何度もいましめられているように「将来を計画する」ことは不可能なようです。

 ベッキーの将来を計画するように私をしむけた人は彼女を州の施設の永久居住者名簿に載せるようほのめかしていました。事実それは、現在利用できる唯一の選択権であるわけです。

 メリーランド州で、私は彼女の将来の備えとして貯金したり、遺産を残しておいたりすることをいまだにしていません。もし、私が死んだら、そして彼女が施設に入らなければならないとしたら、州の公的年金は彼女の親類を相続人とするでしょう。そして貯えられたお金は、ハイウエイ建設のような彼女にとっては縁遠いことに役立つことになるでしょう。そういうわけで、私たちは将来を悲観しているのです。けれど、それを計画することはいまだに、現実的に実り多い活動ではありません。

 〇私たちは疲れています。

 私たちは、子どもを家庭において、すべての時間とエネルギーを費やし、特に必要性を感じて私たち自身の手で育てています。そして、地域、近隣、専門家、友人や親戚から、少しばかりの援助を受けています。そして、その人たちが共通して示してくれる意図的な助言には、実際のところ対立しているのです。

 私たちは親のグループや学校を設立しました。自分たちで奔走しました。教師への支払いもし、また私たちの特殊な学校を維持するための基金も保持しました。子守りのグループや夏の遊戯グループも構成しました。家庭や学校で子どもたちが使う特殊な遊び場の設備を作ったり、修繕したりもしました。教室や建物にペンキ塗りもしました。

 また、私たちは政治家に手紙を書き、私たちの子どもの要求や権利についてわかってもらいました。数百のニュースレターを調べたり分類したりもしました。学校の役員会に出席したり、障害児のためのより良い立法化のために州議会に運動したり、施設の非人間的扱いについて、新聞記者に知らせたり、編集者に手紙を書いたりしました。

 すべて、こうしたことを私たちは10年以上もやってきました。

 多くの専門家は親とかかわり合うのを好まないようですが、不思議でなりません。このようなことでは、開放的な、率直な対話を促進することにはなりません。むしろ、専門家が望むべきものだと思います。──可能な限り親も望むべきですが──

 専門家と親との対話の習慣を変えることは、両者の努力なしにはできません。私はことに、対話を十分なものとするために、いくつかの示唆を用意しています。それは、親や専門家、そして最も大事な子どもにとって救いとなるものだと思います。

専門家への示唆

 〇あらゆる場に親を参加させるようにすることです。どんな時でも対話をすることは、あなたの果たすべき最も重要な役割なのです。

 もし、子どもが診断に「協力」しなくなるという理由で、親の存在が検査の邪魔になるというのならば、検査の方法について、親によく理解してもらうことです(もしあなたが豊かな財源を持っていたら、リモート・ビデオによる観察とか、ワンサイドミラーによる観察ができるようにするといいでしょう)。

 〇現実の生活の管理プランを評価結果の一部に加えることです。

 子どもの要求、家族の能力、地域の財源などを考えながら、一日一日を問題をかかえながらどう生きていくべきか、親に示唆を与えてあげることです。もし、管理プランの一面が機能していなかったときは、それを改めるよう示唆してあげるべきです。それから、地域社会(町や市)の財源を知らせてあげることです。親が必要なものを得るのにどこへ行けばよいか教えてあげ、その地域の親の会へ導いてあげることです。そしてもしできるなら、診断や処遇、あるいは教育的手段の中の一員にしてあげることです。それは親と子の相互関係がどうであるか、観察する機会をあなたに与えることにもなるわけです。

 〇報告書をはっきりとわかりやすいことばで書くことです。

 専門用語はあなた自身にとっては便利で簡単であり、また仕事の上で他の人に伝達するのに使用できるでしょうが、親にとっては、それは理解の妨げになるのです。

 子どもと共に生き、彼を助け、要求に合ったものを買い与え、彼の自我を支持し、導くのは親であるということを忘れないでください。あなたは子どものためにそれをしたり、行ったりできないのです。だからあなたは、子どもになすべきことを親が十分わかるよう知らせてあげなければなりません。

 〇親が理解し得ない情報は、親にとっては無意味です。

 目標は親にあるのです。親は子どもが問題と取り組むとき、それをどう援助できるか、理解しようとしているのです。

 〇報告書の写しを親に与えることです。

 親は情報を消化し理解する必要があります。またその情報を子どもと密接な関係にある人と分かち合う必要があります。そして、子どもの将来のプログラムを設定するにあたって、その情報は役に立ちます。必要な記録収集のときに、何週間あるいは何か月もむだな時間を費やすことのないようにしなければなりません。

 〇一方的で、致命的な、恒久的な診断というものはないということを親にしっかりと理解させることです。

 あなたが、子どもに与えるどのようなレッテルも、単にコミュニケーションの手段にすぎないということを、そしてそれがどんなに悪い影響力を持つかもしれないということをも親に理解してもらうことです。

 それは、現在の子どもについて、何も言いつくしていないし、そしてまた、将来についても同様だということを親に理解してもらうことです。子どもの状態を他人に説明するために、そうしたレッテルを使用しているのだということも、警告しておくことです。

 〇親が他のきょうだいに対して使うときと同じことばで、この子に接してあげられるよう援助することです。それは前進であり、問題解決の過程です。親はその問題を解決することができるのだということ、そしてそれを助けるべく、あなたが存在しているのだということを親に確信を持たせることです。

 〇親が子どもの無能さや障害について理解すると同じように、その子の持っている能力や資質をも理解するようにしむけることです。

 その子のできることは、できないことよりはるかに重要なことなのです。そうすれば、それからの親は、新しい能力を探し、予想し、期待し、歓迎することを目標とします。そして、新しくそれらがあらわれると喜んで歓迎するようになります。

 〇子どもに対して正直であるようにしむけることです。親の最も大事な仕事は、子どもを愛すると同時に尊敬することであり、「自分は善人だと感じる」ことが大切だと言うのです。そしてまた、非難は、子どもに関する自己非難であっても、避けるべきだと言うべきです。

 〇サービス不足であることを親に警告することです。

「ヘルピング」サービスの組織を利用して、子どもの人生をどうしてやれるか、アドバイスしてやることです。そして、サービス機関は常に援助してくれるとは限らないことも警告してあげることです。また、子どもはサービスを受ける権利を持っていること、子どもの処遇については、すべてにわたってその決定の一部分は親がになっていることを主張するようにいうことです。

 〇親が対話する人々(専門家、医師、ほかの親)は否定的な面を強調することが多いので、このことも親は説明してあげることです。

 また、親を肯定的に考えるだけでなく、子どもの生活にとって大事な人々を教えるよう、教育することです。

親への示唆

 あなたは子どもにとっては、基本的な援助者であり、モニターであり、協力者であり、観察者、記録の保存者であり、決断をくだす人であるわけです。

 だからあなたは、そのように扱われることを主張することです。子どもの診断や処遇勧告、教育的措置について、その理由を理解することはあなたの権利なのです。処遇や教育的措置の変更は、あなたへの相談なしになされるべきではないのです。

 あなたは子どもの進歩を監視するために存在しているといってもいいでしょう。子どもにかかわっている人々と対するとき、このことは重要なこととなるのです。

 あなたはさまざまの診断過程、決定過程の中で、その考え方に抵抗がでてくるかもしれませんが、その抵抗を操作する方法は重要です。あなたの最善の道具は、怒りではありません。

 あなたの仕事の中には、より優しい説得の技術が必要なのです。自分の能力や直観を信頼し、クールになることです。あなたは自分の子どもについて、だれよりもよく知っているのです。専門家のチームの決定的メンバーなのです。いろいろの診断やその結果についてあなたを統合してくれる人を見つけることです。あなたが最もよい関係の持てる人、あなたの役割を理解し、良く助けてくれる人を探すことです。

 そして、診断記録を保存して学習すること。問題のある子を持ったと思ったらすぐにノートを作ること。それに住所、氏名、電話番号の登録や、訪問日、訪問時にいた人、言われたことで記憶に残っていることなどを記入しておくことです。また、あなたの疑問やそれに対する回答、なされた勧告、電話がかかってきた場合も日付や目的、結果などについて記録することです。

 手紙で重要なことは依頼するのが最もよいでしょう。そしてノートのコピーを保存しておくことです。このような文書は、子どもに必要なサービスを与えるための努力の蓄積ですが、後になって、彼が必要とする教育プログラムの作成者を説得するための決定的な証拠となると思います。

 あなたが話し合った人やそこで約束したこと、また、あなたが依頼し、その回答にどのくらいの時間待ったかなど、詳しい記録がないと不利になることがあります。あなたが記憶していない氏名や肩書きの人との会話や会合、日付あるいははっきりと覚えていない話題、などについてだれも責任をもってくれません。

 〇専門家の用いた専門用語を理解することです。俗なことばに翻訳してもらい、意味をわかりやすく言ってもらうことです。子どもの先生のところへ行って説明できるくらい理解するまで、専門家のところを去ってはいけません。また、専門用語は書きとめておくことです。それを知っていることは、いつか役に立つことがあるでしょう。

 〇子どもの記録のコピーを求めることです。相談で言われたことを思い起こそうとしてはいけません。

 〇子どもの問題をできる限り、書物に接して学習することです。けれども、読んだことすべてを信じてはいけません。「本は書いた人、そのものです」ということばがあるように、本は、ある一面だけを提供しているにすぎません。

 〇できるだけ多くの専門家に、自由に相談してみることです。他人に相談してみることもいいでしょう。

 〇親の会に加わることです。経験者と話し合うことで、あなたの持っている問題の見通しを得ることができるでしょう。そして、精神的な支持を受け孤独感に陥ることはなくなるでしょう。また親の会で、利用できるサービスや特典についての情報を得ることもできるでしょう。

 あるプログラムが、ほかの子どもにとっては救いとなっても、あなたの子どもには役に立たないこともあるのです。もし、あなたに時間と意欲があったら、プログラムを見てごらんなさい。それを見ることが、どんなに役立つかわかると思います。

 〇あなたは、子どもの先生と密接に会うことです。教室でやっていることを、家でもできるくらい知っておくことは大事です。また、あなたの読んだことを先生と共に分かち合うことです。それからアドバイスや示唆を求めることです。あなたと先生は目標を同じくするチームです。そしてあなたの子どももそのチームの中での役割を持たせることです。子どもは、きっといいアイディアを授けてくれるでしょうから。

 〇子どもの言うことをよく聴くことです。子どもだけが大事な観点を与えてくれるのです。相違していることはすばらしいことだと彼にわからせることです。子どもはあなたをお手本にしていろいろなことを学ぶでしょう。

 もし、みんなが協力して問題の解決にあたるならば、それはできるのだというように、彼に問題を考えさせることです。

変化と未来

 新しい世代の親は今日、幸せなことに、いろいろな方法で改善されてきた中にいるわけです。子どもが教育や訓練を受ける合法的な権利を持っていることは、親を驚かすような事実でありません。そして、親は子どもに与えられるべきプログラムを期待しています。

 結果的には、学校体制やその中にいる人々に対する親の態度は異なってきています。親は与えられる運命的なサービスを期待しているのです。慈善的なサービスを求めているのではありません。また、もし、わずかにある公立や私立の特殊学級が子どもを拒否したとしても、施設以外にそうした学校を選ぶ権利がないとは言えません。

 あるいくつかのことはまだ変わってはいません。けれどもそれは私たちが変えようとしなければ変わるものではないでしょう。診断されたという経験は、相談も受けられず、励ましもされず、また、どこへ行けば支持や援助が得られるかすぐに情報を与えられない親にとっては、いまだに深い傷跡を残しています。

 そうした経験や傷跡は、親がそれを防ぐようここに述べたような慎重なステップをふんでいかない限り、次の世代の親にもくり返されていくことになるでしょう。

(Exceptional Children, May1975から)

*メリーランド州シルバースプリングにあるモントゴメリー郡障害者家族、コミュニティサービス連合会、理事(director)この文はNicholas Hobbs : The Futures of Children、1975に発表されたもの。

**横浜国立大学教育学部研修生。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1976年4月(第21号)2頁~7頁

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