特集/第15回リハビリテーション世界会議 第1日

特集/第15回リハビリテーション世界会議

第1日

澤村誠志*

 世界会議は、6月4日リスボン市の国際展示場を舞台として障害者と社会の統合達成のための情報、認識、理解を主題として開催された。会場は4月25日橋のかかるテージョ川に面し、丁度晴海の展示場を思わせるもので、広大な建物の中に大会場Aと中小会場D、E、F、G、H、Iの他に、映画会場B、スライド映写室Fなどが広大な展示会場をとりまく形で設営されていた。数多くの障害者の参加を受入れるために、各会場への戸閉りはなく、青いビニール壁をかきわけ出入りする様工夫されていた。仮設の苦心の跡は随所に見られ、各会場が壁材で仕切されていたため遮音が十分できなくて展示場でのアナウンスと、雑音に悩まされることと、マイクその他のtechnical serviceの不足が常に気になった。しかし、総合的には質素ながらも国際展示場を利用しただけ展示場の広さなどすばらしい会場であるとの印象を受けた。

 開会式は、大会場にて行なわれた。会場には40×40=1600の椅子が用意され、最後部には、同時通訳用のレシーバーの交換場所が設置され、二階の通路に英、独、仏、スペイン、ポルトガル語の5か国同時通訳用のブースがおかれ、会期中の全体会議の通訳が行なわれた。10時の開会に先立ち、9時20分よりリスボン警察吹奏楽団の演奏が行なわれたが、肝心の開会式はすっかりおくれ、結局50分おくれてのスタートとなった。正式の会議プログラムが当日間に合わず、抄録が入手できたのは結局3日目の午後であり、この間の十分な説明のないことと担当者がそれを余り気にしていないことは日本の感覚とはいささかずれるもので、いかにもこせこせしないこの国らしい感じがした。

 ともあれ、開会式は立派に運営された。まず、本世界会議のJoao Villalobos会長が80年代の障害者の完全参加と平等という目的にそって本世界会議の主題を障害者に対する社会の対応の変化と地域社会における彼らの統合においたと述べ、このためには、個人、地域社会、そして国の間のコミュニケーションにおける発展と改善が必要であると強調された。この趣旨に沿って会議では5か国語による同時通訳を全体会議で行ない、さらに手話通訳、点字出版、ビデオによる記録を用意し、本世界会議の抄録を後日出席者に送付すると報告された。最後に本会議の実行委員会のメンバーに対する謝辞がのべられた。

 続いて、RIの事務総長のNorman Acton氏の最後のスピーチとして15年間の回想のなかでとくに地域を基盤として各国間の国際協力の重要性を強調され、ついで、本世界会議のプログラムにふれた。まず本会議の主題として①障害者と彼らの住む社会の間の統合、②障害と障害者に対する人々の態度の変容、③以上の2つのテーマを完遂するためのコミュニケーション手段についての最近の情報を交換することが本会議の主題であるとのべた。この目的のために参加者が多種類の最近の情報が得られるように全世界からのすぐれた演者を選考するよう努力を重ねたとの報告があった。ついで国連事務総長のメッセージが、Otto Wandall氏によりのべられ、障害者に対する国連行動計画を実行するためには、国連のシステムとRIのような重要な非政府的団体間の協力が今後きわめて大切であると報告があった。ついで、RI会長のHarry. S. Fang氏より、本会議が主題である障害者と地域社会の統合達成のための情報、認識、理解が障害に対する人々の態度に最も関心の深い問題を投げかける舞台として参加者に用意された。最近世界中の人達が徐々にimpairmet,disabilityおよびhandicapの真の意味を知るようになったが、統合をすすめるためには情報を得てこれを認識し、理解するための実際的な行動をおこさねばならない。しかし、現実には情報の提供とか、障害者のもっている問題の理解をし、統合への方向づけを行なうことは必ずしもうまく連携づけることが困難である。そこで本会議ではお互いの経験とか考え方などについて情報交換する舞台であり、これが15回世界会議の主な目的であると述べた。最後に今回にてRIの事務総長を辞任されるActon氏のこれまでの努力に対する謝辞がのべられた。

 開会式の最後にポルトガルのAntonio Ranalho Eanes大統領が祝辞をのべられた。このなかでとくに障害者自身のチャレンジ精神の必要性を強調されたのが印象的でこれをもって開会式が終了した。

 全体会議は、1時間10分おくれてわが国の永井昌夫博士の統合と機会の平等についての報告から開始された。永井氏は、まず国連行動計画にある“機会の平等と障害者と社会との統合”と、RI80年代憲章の“統合と機会の平等”が同じ目的にそったものであるとし、この会議においてこの統合と機会の平等のテーマを我々が確め合い、RIの行動として熱意と力をもって行動することが大切であるとのべられた。リハビリテーションは、常に社会とともにあり、社会の変転とともにその在り方が問われてきた。リハビリテーションは機能訓練の終了後に社会復帰を果たすことに目標をおいて行なうよりも、むしろ障害の早期から社会への統合を目指して、動機づけ、意志、把握力や協調が重要である。また、これらの問題は開発途上国のみならず開発国においても悩める課題が多く、統合のためには今後の相互援助が必要であり、機会の平等とは、障害の有無にかかわらず誰もが他人と同じ様に行動することが出来る環境をもつことを意味し、決して慈善や障害者を保護の対象としてみなすものではないと自らの御経験をもとにすばらしい報告をされた。

 ついで、“A Change of Attitude or Attitudes of Change”についてスウェーデン、ウプサラ大学のSonja Callais von Stockkom教授が報告された。まず前回のウィニペッグ大会での発表の中で障害者をとりまく環境の変化について引用した後スウェーデンにおける障害者と社会の統合が以前にまして進んできた現状をのべられた。その中で彼はまず、心理社会学の分野でよく用いられているattitudeの概念の定義づけの困難さにふれ、attitudeを具体的な行動に根ざしたものでなく、むしろ何かに対する目的で象徴的、感情的に積み上げられてきたものと定義している。社会心理学の分野では、attitudeは条件づくりや強化、刺激や葛藤、機能の活性化などにより形成され、また、communicationの名声や意志など多くの因子により影響されるとのべている。そして障害者をとりまく社会政策、社会保障の立場からすると、そのサービスの機能化と、絶対的で基本的な観念的価値観との間の関連を追究することが重要であるとのべている。そして最後に彼はスウェーデンにおける障害市民に対する必要なサービスや方法を平等の考え方の中で行なっている実例について述べ、具体的な事例として障害者の自立生活運動をあげている。このなかでは障害市民が彼ら自身の生活の決定に全責任をもたねばならないし、この自立生活への挑戦と社会への統合、法制化への参加など障害者attitudeの変化が社会のattitudeの積極的な変化を促すものであると述べた。

 ついで、リスボン工学大学のProf. Paquete de OliveiraがCommunication手段における進歩について多くの経験を述べ午前中の主題討議は終了した。

 このような主題を受けて午後は各分科会において14時より15時30分までと16時より17時30分までの2つのセッションに分れて討議された。

 (1)Room Aでは統合に関するセクションとして、Dr.J.Casimiro(ポルトガル)が差別問題について、Dr.V.Kallio(フィンランド)が文化的側面からみた統合について、Dr.I.K.Zola(米国)が自立生活運動について発表を行なった。続く障害者の10年におけるセッションではMr.O.W.Holm(国連)、Dr.A.Periqust(フィリピン)、Mrs.J.T.Crowson(スイス)が報告を行なった。

 (2)Room Eでは、まず“Communication”に関するセクションがもたれ、Dr.H.Stroebel(西独)が統合をすすめるためのメディアについて、Mr.G.Wilson(英国)が障害をもつ人達への情報―知る権利について、そして、Mr.J.B.Munro(ニュージーランド)が情報システムについて報告した。次の精神障害に関するセッションでは、Dr.A.Albuquerque(ポルトガル)、Mr.D.Brainsby(デンマーク)、Dr.O.Hartmann(オーストリァ)が報告を行なった。

 (3)Room Fでは、まず“態度の変容”に関するセッションにおいてMr.S.Matinvesi(フィンランド)がその始まる場所につき、Dr.S.D.Gokhale(インド)はその行動性につき、さらにMr.G.F.Hoekstra(オランダ)はこのための色々な手段について報告した。それに引続いて教育に関するセッションがもたれ、Mr.M.R.D.Martins(ポルトガル)、Dr.A.M.B.Costa(ポルトガル)、Ms.B.Dyssegaard(デンマーク)、Mr.B.Destounis(カナダ)が報告を行なった。

 (4)Room Hにおいては、まず地域における障害の予防とリハビリテーションの基本的な原理についてのセッションが開かれ、WHOのDr.Krol座長のもとに、Dr.E.Helander(スイス)が国連のシステムと非政府間組織によるリハビリテーションとの協力関係についてのべ、Dr.Hermonova(デンマーク)がWHOによる地中海地域に対するプログラムについて報告した。ついで、Mobilizing community resourcesと障害の予防、リハビリテーションのセッションが新RI事務総長のMrs.S.R.Hammermanを座長として開かれた。Dr.Tjandrakusuma(インドネシア)がとくに小児の障害の予防について、Mr.Nelsonが色々な社会文化の異なる現状での問題点にふれ、Mr.D.O'Dell(インド)がインドにおけるユニセフの活動について報告した。

 (5)Room Dにおいては、まず、Abilympicsに関するグループ討議が、Mr.A.Corredorの司会のもとに日本から木内哲朗・松井亮輔両氏より報告がなされ、続いて、統合に関するグループ討議が行なわれた。

 (6)Room Gにおいては、まずリハビリテーションサービスに関する発表がMr.P.Dixon(英国)、Mr.J.Steensma(米国)、Dr.V.N.Zalessky(ソ連)からなされ、続いて態度の変容に関するグループ討議がMr.M.J.Lewis(香港)の座長のもとに行なわれた。

 (7)Room Iにおいては、まずサービスの供給システムについての発表がDr.E.Moore(英国)の座長のもとに、Dr.M.I.Sharaf(エジプト)、Dr.S.Sire(ノルウェー)そして日本から帝京大学の岩倉博光先生から行なわれた。ついで、communicationに関するグループ討議がMr.J.Furey(アイルランド)の座長のもとに展開された。

 第一日目終了後Welcome receptionが6時より8時までジェロニモス修道院で開かれた。この修道院は会場からテージョ川に沿って約5分のインペリオ公園前にある見事なゴシック風大建築であり、16世紀のポルトガルの栄光を今に伝える壮麗な白亜の大理石造りである。レセプションはこの美しい中庭をとりまく回廊を中心にして、リスボン市長の出席を得て開かれた。マニュエル一世によりバスコ・ダ・ガマの海外遠征で得た巨大の富を費して建てられたものだけにこのレセプションの主役はこの修道院であったといっても過言でない。ヨーロッパでのレセプションの多くがこのようなその国の国宝的建築物を夜遅くまで開放して行われるが、長年の文化、習慣の差とはいえ、日本との比較において考えられぬことでありうらやましいといわざるを得ない。会場のあらゆる場所、交通手段などについて、ポルトガル側の多くのマンパワーにより円滑に行なわれていたことが印象として残った第一日であった。

*兵庫県リハビリテーション・センター


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1984年7月(第46号)3頁~6頁

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