特集/第15回リハビリテーション世界会議 第2日

特集/第15回リハビリテーション世界会議

第2日

奥野英子*

 第2日目は、9時から10時半、11時から12時半に、2つの総会、そして午後は7つの会場に分かれての分科会および部会等が開かれた。

 9時から10時半までの総会は、コロンビア障害者リハビリテーション財団の会長であり、来年の第2回国際アビリンピック主催責任者でもあるAlfonso Corredor氏の司会によって進められた。同氏は車イスを使用する脊髄損傷者であり、昨秋および本年4月にも国際アビリンピックの打合せのために来日されている。同氏の司会のもとに、カナダ、中国、ベイルートの3か国の方々による3つの講演が行なわれたので、その要旨を以下に紹介したい。

「態度の変化は行動の変化となるか」

 Mr.J.R.Sarney(カナダ障害者リハビリテーション協議会常務理事)

 20世紀における我々を取り巻く世界は大きく変動しており、その結果、我々の態度も変化している。例えば旅行を例に上げると、かつて海外旅行をする人は限られたほんの一部の人々であった。しかし現在ではその機会は大きく拡がり、海外旅行についての我々の態度および行動も変化してきた。また50年前には、自宅でカラーテレビが観られるなんて想像できたであろうか。しかし今では、これは我々の日常生活の一部となっている。

 態度なんて簡単に変えられるものではないと多くの人々はいう。偏見に根ざした態度もある。車イスの人を受付係に雇いたくないというのは、雇用主のもつ障害者像によるものである。これらの態度は知識・理解の不足に根ざしている。否定的な態度を前向きな態度に変えるためには、まず、否定的な態度があるという事実を見つめなければならない。

 1969年にアイルランドで開催された世界会議において「国際シンボルマーク」が採択されたが、これはほんの15年前の出来事である。しかしこのシンボルマークは今や世界各地に普及し、このシンボルマークの意義は「建築上の障壁がない建物であること」を意味するばかりでなく、世界中の人々に、障害のある人々の存在および物理的障壁の存在を認識させるのに効果を発揮してきた。

 国際障害者年には世界各地で様々なキャンペーンが実施され、障害者をめぐる雇用、交通機関、住居、レクリエーション、スポーツ、インテグレーションなどの問題はすべて、一般市民の態度と深く関連していることが訴えられた。

 また、障害者自身が自分の障害をどのように見るかということも重要な要素である。自分を他の人より劣等であるとか、異なっていると観ることが、周りの人々の障害者観に大きな影響を与える。従って、障害者のインテグレーションを阻む最も大きな障壁である。

 カナダ障害者リハビリテーション協議会では、連邦政府と協力し5年計画で、障害者に対する一般市民の態度を変えるための「啓蒙キャンペーン」を実施してきた。そこで強調したのは「障害者を見る時には、まず第一にその人全体を見てほしい、次にその障害に目を向けてほしい」ということであった。このキャンペーンはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ポスターなど様々な情報メディアを倣って展開された。そしてキャッチフレーズは「障害者に対するあなたの態度が、障害者にとっての最も大きな障害物なのです。」であった。態度が前向きになるならば、行動も前向きになるのである。

「中国における障害者の雇用」

 Mr.LiZheng(中国障害者福祉財団理事長補佐)

 障害者の雇用はインテグレーションの観点から非常に重要である。障害者が雇用されるとその家族全員が解放されることになる。障害者の雇用は社会生活の様々な場面への参加を可能にする。それによりその人の社会的地位は高められ、家族の中での立場も良くなる。ひいては社会の繁栄と人類の進歩に貢献できるのである。多くの障害者が働く能力をもっているにもかかわらず、働く場を与えられている障害者はほんの少数である。

 中国では、政府の努力によりこの問題を解決している。働く能力をもつ2千万人の障害者のうち、70%の者は就労している。政府の指導の下に設立されている社会福祉工場にはいくつかの種類がある。以下、簡単に紹介したい。

 (1)政府直営工場:10企業の中に1,600か所以上の社会福祉工場があり、これらの工場労働者の40%以上が障害者である。

 (2)地区営工場:290市において、5,000地区事務所が運営する各種様々な社会福祉工場がある。

 (3)隣組委員会運営の社会福祉工場:隣組委員会は自治組織であり、数多くの隣組委員会は独自の社会福祉作業所をもっており、これらの数は現在、急激に増加している。

 (4)地区・隣組委員会共同の社会福祉工場:これらは市民の福祉の向上をめざしており、障害者の住む家の近くにあるため、家族にとってはケアしやすいし、通勤にも便利である。この種の工場は8,000か所以上ある。これはスタートしたばかりであるが、今後発展する種類のものである。

 (5)企業運営の社会福祉工場:企業が大規模化するにつれ、労働者の子弟で障害をもつ者が増えている。地方自治体との協力の下に、この種の社会福祉工場が設立されている。

 (6)農村地区の社会福祉作業所:農村地区で働く能力のある障害者は、農業、林業、畜産業、漁業などに従事している。この種の作業所は現在148か所ある。

 これらの工場・作業所の全労働者のうち、35%は障害者でなければいけないと中央政府が規定している。また税の優遇措置や各種の援助措置がある。またこれらのほか、就労障害者の3分の1は自分の能力に合った各種の職業に就いており、将来の見通しも明るい。

 これらの試みはすべて、障害者を社会にインテグレートすることをめざしている。そして、障害者の雇用問題を解決するためには、政府による大規模な事業でなく、草の根の小規模なものを奨励している。

 リハビリテーション医学の進歩も障害者にとって大きな福音をもたらしている。リハビリテーション医学が中国に導入されたのはつい最近であるが、中国障害者福祉財団は療養所、義肢装具製作所、社会福祉施設も市民局下に設立した。また、政府および近隣友好国の援助により、中国障害者福祉財団は中国で初めてのリハビリテーションセンターを現在北京に建設中である。

 当財団は中国政府によって正式に承認された全国規模の社会福祉機関であり、中国の障害者の福祉と中国の発展に寄与することをめざしている。世界中の障害者の福祉の向上と世界平和を維持するために、ともに努力をしていきましょう。

「統計と障害者」

 Ms.Mary Chamie(国連・障害者の統計担当コンサルタント、在ベイルート)

 現在では数多くの国は実態調査によって、その国の障害者に関する統計をもっている。しかし、それらの結果を政策に十分に生かしていない。その原因はプログラム・プランナーが十分な知識をもっていないことと、コミュニケーション不足にある。

 国連およびRIには様々な統計資料があるので、これらを大いに活用してほしい。また、ウィーンにある国連統計局には、障害者人口に関する調査結果が集計されている。

 障害者、その家族、および地域社会の人々の声を科学的に分析し、それをリハビリテーション・プログラムの立案に十分に生かしていきましょう。

 以上の3つの講演の後、舞台に3名の青年男女が登場し、ハーモニカの素晴らしい三重奏を楽しませてくれた。このエンターテイメントに引き続き、11時から再び総会が開かれた。

 今度のテーマは「変革者としての障害者」であり、ポルトガルのEng.Manuel Calle氏の司会の下に進められた。3名のスピーカーは、アフリカ西岸に位置するモーリタニアの身体・精神障害者連合会会長およびモーリタニアDPI会長のT.Camara氏、オーストラリア障害者諮問委員会のL.Alsop女史、ポルトガル障害者協会のJ.A.S.Sutil氏と、全員障害をもたれた方々であり、それぞれの国における障害者をめぐる環境、障害者自身の運動等について発表された。

分科会

 午後は2時から3時半、4時から5時半と2回に分けて7会場において、合計14の分科会がもたれた。今回の世界会議のテーマ「障害者と社会の統合―情報、認識、理解」にすべて関連のある分科会であったが、私が実際に参加できたのは2つだけであるので、参考に、すべての分科会のタイトルをここに紹介すると、次の通りである。

 (1)コミュニケーション、(2)インテグレーション、(3)態度の変化、(4)認識を高めるための人形劇(実演も含む)、(5)園芸とリハビリテーション、(6)会議テーマに関する発表論文、(7)社会的側面に関する発表論文、(8)コンピュータ化された障害者情報システム、(9)障害予防、(10)青少年と障害、(11)メディアによる態度の変化、(12)インテグレーションに関するグループ・ディスカッション、(13)態度に関するグループ・ディスカッション、(14)コミュニケーションに関するグループ・ディスカッション。

 このようにほとんどの分科会が社会リハビリテーションに関係し、私にとっては関心のあるテーマばかりで、どこに参加するか迷った。この14の分科会においてスピーチした人の数は40名以上にものぼる。

 今回の世界会議に参加して感じたことは、式典や総会に参加する人と、分科会に参加している人との数に、大きな開きがみられたことであった。開会式・閉会式には2千人近くもの人が参加しているにもかかわらず、7つの会場に分かれての分科会の参加者はバラツキがあり、寂しい限りであった。

 この2日目の午後には、東京大学の上田敏先生が「態度の変化」の分科会において司会され、また、「社会的側面」の分科会では、日本女子大学の小島蓉子教授が「障害者のパートナー―その動機、認識、インテグレーション」の論文を発表された。

アクトン事務総長退任記念パーティー

 6月5日(火)の夜、リスボン市東南部の丘にあるサン・ジョルジュ城において、国際障害者リハビリテーション協会事務総長ノーマン・アクトン氏の退任記念パーティーが開かれた。

 アクトン氏は1966年から今日に至るまでの18年間に渡ってRI事務総長を務められ、第2次世界大戦後にはGHQの仕事で日本に滞在されたこともあると伺い、大の親日家であられた。18年間の事務総長時代に日本を訪問された回数は10数回を下らないのではないかと思われる。

 サン・ジョルジュ城はリスボン市最古の建造物であり、城壁は西ゴート族の手に成る5世紀のものである。石畳の急坂を登っていくと公園のようになっており、テージョ川や市街を一望のうちに眺めることができる。13世紀から国王が住んでいたサン・ジョルジュ城は現在では城壁と城の基礎部分しか残っておらず、一部を復興してレストランとして使用している。

 このレストランにおいてパーティーが行なわれ、香港のDr.FangRI前会長、アメリカのMr.Seton、西ドイツのProf.Jochheim、ォーストラリアのMr.Jenkins、コロンビアのCol.Vieira、新事務総長のMrs.Hammermna、新RI会長のDr.Geiekerのご挨拶があり、和やかで盛大なお別れパーティーとなった。

 日本からは10名程が招待されたが、この席に今は亡き小池文英先生がおられたらと、1年前に亡くなられた先生のことが忍ばれ、退任されるアクトン氏の姿とダブリ、ひとしお寂しい思いにかられた。

 

第3日

 会議の丁度真ん中にあたる3日目は、RIの下部組織である医学、教育、職業、社会、レジャー・レクリエーション・スポーツ、ICTA(補助具・建物・交通機関)等の各委員会によるワークショップが午前9時から午後5時半まで、各会場に分かれて行なわれた。医学、社会およびレジャー・レクリエーション・スポーツについては別途レポートが掲載されているので、それ以外のワークショップの概要を簡単に報告したい。

教育・職業両委員会共催のワークショップ

 9時から10時半までは職業委員会委員長であるMr.L.Weitzman(米国)の司会によって進められ、スピーカーが3名用意された。第一番目はデンマーク障害者協会・ホームのMr.I.B.Nielsenがワークショップの意図および進め方について説明し、2番目はフィンランドの社会保険部リハビリテーションセンター所長のMr.V.Niemiが「統合システムに対するコンシューマーの期待」について、次は、デンマークの心理士であるMr.Finn Christensenが「地域における職業指導、訓練、職業紹介サービス」について発表した。この時間帯は北欧諸国の発表が中心であった。

 休憩後の11時から12時半までは、アイルランドのポリオ・アフターケア協会理事長のMr.J.Berminghamの司会により進められ、3つのスピーチが行なわれた。米国カリフォルニア大学社会福祉学部教授のMr.A.H.Katzが「作業評価、職業および職業訓練の選択に際してのコンシューマーの参加」について、OECD教育研究改革センター所長のMr.D.Thomas が「成人期および職業生活へ移行する時期における刷新的アプローチ」について、EC障害者活動局長のMr.P.Dauntが「ECにおける障害者に関する活動」について、それぞれ発表した。OECDでは経済分野への障害者の参加を促進するために、教育から雇用へ移行する時期のサービスについて調査・研究を進めてきたので、その結果が報告された。

 2時から3時半までは7つのトピックに分かれてのディスカッションであり、それらは、①国際的調査研究と刷新(OECD)、②開発途上国におけるコンシューマーの役割、③工業国におけるコンシューマーの役割、④職業リハビリテーションにおける教育的要素、⑤職業訓練のための社会的準備、⑥身体障害者と精神障害者のリハビリテーションにおけるアプローチの相異、⑦雇用のための教育・職業両分野の協力、であった。

 4時から5時半までは、東ドイツのDr.K.Beckerが司会者となり、各分科会でのディスカッションの様子の報告や質疑応答が行なわれた。

 今回、教育委員会と職業委員会がなぜ合同ワークショップを持ったかが、これらの1日の経過を通してよく判った。障害者の就労を成功させるには、両分野の協力が不可欠だからである。

ICTAワークショップ

 当ワークショップのテーマは「補助具の交付における障害者の役割」であった。ICTA委員会の委員長であり、フランスのアルハウス・リハビリテーションセンター医療部長であるDr.P.Dollfusの司会によって進められ、まず最初は、「各国において補助具がどのように交付されているか」についてICTAが実施した調査の結果が発表された。その後、パネルディスカッションになり、西ドイツのDr.Hans J.Kuppersが司会を務めた。パネルディスカッションのテーマは「補助具のコンシューマーとしての障害者」であり、スピーカーは、英国のタワーハムレット保健局OTのMs.M.Margaret、ニュージーランドのMr.B.Buick-Constable、スウェーデンの経済学者であり自立生活運動を支援しているDr.A.Ratzka、イタリアのOTであるMs.I.Jonsonの4名であつた。

 午後も引き続きディスカッションが行なわれたが、3時からは、RI情報サービス部長であるMs.B.Duncanから「情報・デモンストレーションセンターの役割」についての説明が行なわれ、参加者からの積極的な質疑応答が行なわれた。

 このICTAワークショップには日本からは、兵庫県の澤村誠志先生が参加された。

その他のプログラム

 6月6日(水)には、前述のような専門委員会のワークショップのほか、全く独立したプログラムが4つ用意されていた。

 その1つは国際脳性マヒ協会とポルトガル脳性マヒ協会の共催によるセミナーであった。このセミナーは200席を有する会場を使用していたが、席が足りなくて立っている人がいっぱいであった。他の分科会やワークショップに比べてこの盛況ぶりに驚いたが、これはポルトガル脳性マヒ協会の関係者が圧倒的に多いものであることがわかった。

 朝9時から夕方4時までのトピックスを紹介すると、国際脳性マヒ協会による「赤ちゃんを救え」キャンペーンの紹介、「開発途上国における遺伝カウンセリングと障害予防」、フィルム「生命の最初の日」の上映、「妊娠期ケア・産科学・栄養」、「乳幼児期の母子関係」、「開発途上国における周産期ケア」、「開発途上国における早期発見」などであり、開発途上国に焦点をあてたプログラムであった。

 もう1つは、2時から3時半まで開かれた「態度の変化」に関する論文発表会であり、日本からは筑波大学の三澤義一教授が「障害者の雇用促進と雇用主・同僚の態度の変容」について発表された。この分科会では日本のほか、モーリシャス、ナイジェリア、英国、米国からの発表があった。

 3日目最後のプログラムは「国連・障害者の10年―1983~1992年」の事業についてであり、この事業を進めていくにあたり、その中核としての機関を新たに設置すべきであるか否かについての話し合いの会であった。すでにIYDPのための国際組織があるし、またDPI(障害者インターナショナル)の組織もあるので、これ以上新たな組織は作る必要はないのではないか、という意見も出され、結論は出なかった。

*国立身体障害者リハビリテーション・センター


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1984年7月(第46号)7頁~12頁

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