特集/第15回リハビリテーション世界会議 社会委員会関係の報告

特集/第15回リハビリテーション世界会議

委員会報告

社会委員会関係の報告

小島蓉子*

 1961年、社会委員会は、Committee on Social Aspects of Rehabiltationとして誕生して以来23年を経過した。

 発足当時の社会委員会のリーダーは、オランダの社会保障省の高官ヒーリング氏と記憶するが、その後、委員長が筆者の知る限りでは、フィンランド政府、リハビリテーション長官のVeikko Niemi氏、アメリカ合同教会牧師Harold Wilke師、次いでインドのリハビリテーション・コーディネーター、S.D.Gokhale氏として今日に至り、今年の第15回RI世界会議を期して、スウェーデンのGardenstrstom女史にバトンタッチされた。しかしこの新委員長は今回のリスボン会議には出席されなかった。リスボンで社会委員会に関して言えば、次の4つのプログラムに集約される。

1. 社会委員会によるワークショップ Ⅰ

1984年6月6日(水)午前の部

2. 社会委員会によるワークショップ Ⅱ

1984年6月6日(水)午後の部

3. 社会的関心をめぐって選ばれた論文発表

1984年6月5日(火)午後2時

4. 社会委員会各国代表による

ビジネスミーティング

1984年6月6日(水)午後6時~8時半

1.社会委員会・ワークショップ Ⅰ

日時 1984年6月6日(水)午前9:20~12:00

場所 ルームF

総合司会 Dr.S.D.Gokhale

 当ワークショップのプログラムは当日の会議日程において初めて公けにされた。そこに掲載されたスピーカーは、7人であったが実際会場に来られたのは4人だけであった。

 社会委員会委員長であり、インドのコミュニティ援助プログラムの委員長という職にあるDr.Gokhaleの司会のもとにスタートした。

 まず基調講演(Keynote Paper)として、インドのMrs.Sushila Rohatgi(中央社会福祉委員会委員長)がインドの障害者の現状等を引用しながら障害予防の重要性を訴え、栄養不良のために毎年100万の人が死んでいると報告した。人口抑制が不可欠であり、また、障害者が生き方を選択できるようにしなければならない。障害者と非障害者の統合のためには、教育、職業、自助具、交通機関、社会環境の改善が必要であると述べた。

 ワークショップスタートの時点では参加者は16名であったが、この基調講演が終わる頃には、30名になり、ここで自己紹介が行なわれた。参加者は、アジア、ヨーロッパ、オセアニア、アフリカをカバーする19か国であった。

 その後、司会者が社会委員会前委員長である米国のHarold Wilke牧師に交代し、SessionⅠが始められた。

 ケニアの文化社会事業省リハビリテーション委員会主席担当官であるMrs.A.B.Wandersが、「家族及び結婚における適応」と題するスピーチをした。開発途上国では、障害者のリハビリテーションに対して家族がとても重要な役割をになっており、障害児にとっての第一番目のリハビリテーションの担当者は親がなるべきであると主張した。

 次のスピーカーは社会委員会の初代委員長であり、フィンランドの元保険リハビリテーション庁のMr.V.Niemiで、「情報の管理と流布」のテーマで発表した。リハビリテーション分野の情報としては、10年前に行なわれた「リハビリテーション分野におけるコミュニケーション」専門家会議、80年代憲章、国連世界行動計画など立派なものがすでに沢山ある。今や我々は、これらの貴重な情報を十分に活用し、実践に移すべきときであると述べた。

 三番目のスピーカーはオーストラリアの精薄児機関のMr.C.D.Lambertで、「個人とコミュニティの態度の変化」のテーマで、非障害者の障害者に対する態度が重要であり、それを変容させるには、学齢期にセンシティビティの訓練が必要であると主張した。

2.社会委員会・ワークショップ Ⅱ

日時 1984年6月6日(水)午後14:00~16:30

場所 ルームF

総合司会 Dr.S.D.Gokhale

司会   Mr.V.Niemi

研究発表者 Mr.Peter Mitchell

助言者 小島 蓉子
参加者 日本
フィンランド
ホンコン
オーストラリア
ポルトガル
オランダ
台湾
スウェーデン
アメリカ
ノールウェー
ニュージーランド
スペイン
スイス
ケニア

14か国

28名

 社会委員会の午後の部は、インドのGokhale氏の司会で、先ずリハビリテーションにおけるソーシャルワーカーの役割ということから話しあいたいと提案された。

 香港の代表は、自立するのは障害者自身であるので、その障害者と家族を自立するべく動機づけるのが、ソーシャルワーカーの役割ではないかと述べた。自ら障害者であるアメリカ人で台湾で働くカウンセラーは、自らが自立する過程では、ソーシャルワーカーの助けをかりなかった。職業リハビリテーションを受ける中で、初めてカウンセラーの役割のあることを知ったと告白した。ソーシャルワーカーの役割は、自立する障害者に社会資源のコーディネーションをもって協力するコーディネーター役であろうとされた。

 アメリカ代表のWilke牧師は、理想的に思える教会という宗教的な組織にすら障害者の自立をはばむ問題があるのだから、一般の社会は相当、重傷の社会障害に充ちているのではないかと説き、静かな社会意識の革命こそが社会リハビリテーションの土台作りであるとされた。

 日本代表の小島蓉子は、日本で今日通用している概念によれば社会リハビリテーションは、障害者個人のよりよきコミュニケーションの援助者であることに止まらない。社会リハビリテーションは、社会の中に生きる障害者の自己実現の支援者であると共に、もし社会の側に障害者の自立をはばむ物心の問題があるならば、障害者自らと共にそれに挑戦して障害者をも社会成員として受け入れる物、心の障害なき社会へと、問題社会を変革していく任務があるのではないかと主張した。

 司会者Gokhale氏はこの主張を受けて、ソーシャルワーカーには、障害者個人に対するサービスと社会改革への二重の責任があるとする小島発言を支持したいと述べた。

 午後の部の後半では、フィンランドのV.Niemi氏が議長となり、研究発表のPeter Mitchell氏をイギリス障害者リハビリテーション協会の調査部長であるとして紹介し、研究発表がなされた。Mitchell氏は、持参した中間報告書(Preliminary Report of a Comparative Study of People with Similar Disabilities in Different European Countries)を手渡して研究のサマリーを紹介した。

 Mitchell氏の研究方法は、オーストリア、ベルギー、チェコスロバキア、デンマーク、フィンランド、西独、ギリシア、オランダ、ポルトガル、スイス、英国の11か国を対象とし、各国で発達した社会保障制度がいかに障害者のリハビリテーションにかかわるかを見定めるため、6ケースの障害の代表例を示して、各国で当然権利として受けとめられるサービスは何か、どのように援助するかを質問するという様式のものである。こうして制度そのものを記述するのではなく、ケースに投影されるサービス内容から、社会保障制度やリハビリテーションシステムの発展の程度を測定する手法を確立した。

 今回の発表は中間発表ではあったが、この調査に直接協力した各国の代表たちが出席しており、関心深く聴かれ好評を博した。

 だがこの発表に対して、ケニアの代表は、“自国には比較に価いするような制度を成り立たせる一切の経済的余裕も、かかることへの政治的関心もない。社会保障の進んだ国の人達はこうした国をどうしてくれるのか”と質問した。本セッションの議論は、ほぼ同程度の社会保障の発達をとげたEC諸国を中心とする比較研究をしていたことであり、各国が自国の政策作りにいかに取り組むかは論議の的ではなかったので、その質問は、文脈からはずれるとしてとりあげられなかった。しかし、開発途上国の社会リハビリテーション確立のための方法としての地域産業の振興や地域アプローチや、民衆をまきこんでの運動論などが論じられることは、それ自体十分認識されなければならない社会リハビリテーションの議論であると考えられた。

 最後にこの調査が次回の社会委員会ワークショップまでに完成されるよう期待されたと同時に、この種の調査がヨーロッパ地域のみならず途上国を含めた規模で行なわれることが望ましいとされた。但し、制度の成熟度が揃っていないと比較にならないので、そのことを考慮しながら発展の各レベルをとり入れた比較調査をしてはどうかと司会者がコメントした。それらは次の3レベルを包括することが望ましいとの指摘である。

 ①社会保障制度の成立した国々

 ②ある種の産業別、人口別などに限定された社会保障制度が作られかけている国々

 ③社会保障制度が全く介在しない国々

 一方、スイス代表は、ケースが身体障害者・児のみに限られていたので、次には精神薄弱ケースも入れたデザインにしたらどうかと提案した。

 司会者は、これらの委託をまとめ、次のワークショップでの完成された調査結果に望みを託した。

 Mitchell氏は、日本の小島蓉子による各国の社会リハビリテーション制度の比較研究の英国側の協力者でもあるところから、日本側の制度研究と、自らのケース研究からの成果が次の第16回リハビリテーション世界会議の資料となれることを望まれた。

3.社会的関心をめぐる論文発表

日時 1984年6月5日(火)午後2:00~3:00

場所 ルームI

司会 オランダ Mrs.A.Bokkerink

発表者 ①インド対ガン協会 Dr.Usha Bhatt

    ②日本女子大学   小島蓉子

 当日は4人のスピーカーが予定されていたが、現地で急拠プログラムが午後4時から2時に変更されていた上、スピーカー達に連絡が来なかったという運営上の不手際が反映してか、2人の論者の発表にとどまった。

 バート女史は、インドでも大きな問題となっているがこの発見と治療とリハビリテーション、また家族員をガンで失った一家あげてのリハビリテーションを地域を組織化して実践している活動事例を多くのスライドをとり入れて発表した。

 日本女子大学の小島教授は、障害者と共に生きる人々の中、家族を除けば最も障害者生活に関係の深いnon-family-partners(非家族員パートナー)は、専門家とボランティアであることに注目し、リハビリテーションの職員とボランティア各々について行なった調査から発表を行なった。

① 非家族パートナーを障害者問題に引きつけた情報源は何であったか――その結果、専門家以外に障害者自身による著述がきわめて有意義であることを発見した。

② 非家族パートナーに実感された“共存”の感覚の変容過程――障害者の生活をよくして行こうと仕事にとりくんでいる時の中に“共に生きる”ことを実感している。

③ 非家族パートナーのともに生きる社会の課題の分析

④ 非家族パートナーとして障害者に望むことからの把握

 以上が、調査を通して見定められ、その数字を基にしてコメントした。

4.社会委員会

日時 1984年6月6日(水)午後6:00~8:30

場所 世界会議場内の小会議室

参加者 RI社会委員会代表とオブザーバー

参加者の内訳 11か国 21名

フィンランド
スウェーデン
ポルトガル
香港
日本
西独
アメリカ
英国
インド
ニュージーランド
オーストラリア

司会 社会委員会前委員長 Dr.S.D.Gokhale

書記 日本女子大学    小島蓉子

1.新委員長の紹介

 本年度の改選により新委員長になられたのはスウェーデンのGardenstrom女史であると紹介され、全員新委員長の就任を承認した。

2.社会委員会、フィンランド小委員会からの2つの報告について

 社会リハビリテーション研究の盛んなフィンランドは当日に備えて国内委員会を独自に開催し、十分の準備をして1か国4人の代表団として出席していた。

 第一のV.Niemi氏の報告は、社会リハビリテーションの定義づくりに向けてたどった社会委員会の歴史についてであった。その概要は以下の通り。

1961年 RIの中に社会委員会の発足。

1969年 ダブリンにおける第11回世界リハビリテーション会議の際、社会委員会が招集され、社会リハビリテーションの枠組について論じた。

1972年 シドニーにおける第12回世界リハビリテーション会議において、他の委員会と並んで今後の方針を打ち出し、その中で障害者をめぐる社会環境の不備を改革するよう強調した。その視点としては、

 ①物理的、②経済的、③法的、④社会文化的、⑤心理情緒的、側面である。

1976年 国連がエキスパート会議を開催、社会委員会の北欧および東欧グループが活躍した。

1975~81年 The Council of Europeがヨーロッパの社会状況と社会リハビリテーションに関する調査を実施した。

1981年 国連、国際障害者年のキャンペーン。

1982年(春) 国連、社会リハビリテーションの専門家会議を開催した。

1982年(10月) 国連の専門家会議に引続き、ヨーロッパグループは、チェコスロバキアのプラハでセミナーを開催、社会リハビリテーションの枠組について協議した。

1983年(6月) 社会委員会のヨーロッパグループが、フィンランドのテンペラ大学でセミナーを開催、社会リハビリテーションの本質は、Social Functioning Abilityの開発にあるとした。その論議の経過は以下の文献に収録されている。

Pekka Rissanen(Ed.), Social Functioning Ability, Report of the International Seminar on Social Rehabilitation, University of Tempera, 1983(Working Paper, No.5/1983)

1983年(6月) テンペラ大学セミナーの問題点を深めるため、フィンランドの社会委員会メンバーを中心にセミナーが開催された。

1984年 リスボンにおける第15回リハビリテーション世界会議の期間中の社会委員会ビジネス委員会に、フィンランドによってまとめられた社会リハビリテーションの概念が、フィンランドリウマチ病院の臨床心理士、Pirkko Kiviniemi女史によって発表された。(この詳細は別の機会に報告する予定)

 以上のように、RI社会委員会は、社会リハビリテーションの概念づくりを長年の懸案としながらも、リハビリテーションにおける社会計画に始まり、偏見と差別、社会保障の研究、障害者の家庭生活より性の問題に至る広範な討議を進めて来た。

3.今後の社会委員会の進め方

 社会委員会は、RIの総会が開催される度毎に、開催するものとする。その開催地は次の通りである。

1985年 スワジランド

1986年 ロンドン

1987年 フィンランド

1988年 東京(リハビリテーション世界会議)

4.その他の申し合せ事項

 (1) 社会委員会の委員長は決定されたが、未だ各地域を代表する副委員長が未定であるので、各地域内諸国の話し合いの上、できるだけ早く、人選をすること。

 (2)1984年のビジネスミーティングで発表されたKiviniemi女史の「社会リハビリテーションの内容と枠組」を各国で討議し、各国からのリポートを次回世界大会までに委員長がとりまとめることとする。

 (3)委員会は、Peter Michell氏によるヨーロッパの障害者のための社会保障制度調査の最終報告の完成を歓迎する。

*日本女子大学


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1984年7月(第46号)23頁~27頁

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