ジョゼフ・スタビンズ博士を迎えて

リハビリテーションカウンセリングの権威

ジョゼフ・スタビンズ博士を迎えて

奥野英子*

 アメリカにおいてリハビリテーションの全過程を扱う中核的専門職として機能している「リハビリテーションカウンセラー」の養成教育プログラムは、約30年前の1954年以来、連邦政府の補助金が交付され、現在、全米の75の大学院においてその教育が体系的に行なわれている。

 このリハビリテーションカウンセラー教育の創設者の一人であり権威者であるDr.Joseph Stubbinsが、1984年5月、中国から米国への帰途、奥様とともに東京に立ち寄られた。この機会に、日本障害者リハビリテーション協会のお世話により、東京近辺の関係者が集い、同博士のお話を伺うタべが5月7日に開催された。その様子をここに簡単に紹介し、また、同博士から送られた論文「3つの文化における臨床態度」も翻訳し、併せてご紹介したい。

ジョゼフ・スタビンズ博士について

 スタビンズ博士は、過去24年間、カリフォルニア州立大学(ロスアンジェルス校)の教授として、リハビリテーションカウンセリング教育に当たってこられた。また、リハビリテーション心理学会会長、国際心理士協会会長の要職にも就いておられる。代表的な著書としては、1977年に発行された「障害の社会・心理的側面」がある。

 同書は、600頁を越える大著であり、大きく4つの部門――Ⅰ.障害者を取り巻く社会、Ⅱ.障害者の社会的側面、Ⅲ.障害者の心理的側面、Ⅳ.障害者のノーマライゼーション――から構成され、各部門ごとにその冒頭に、スタビンズ博士の解説と所見がまとめられている。この一冊の中に、異なる著者による54本の論文が収録されており、その中には日本にも名の知れているW.Gellman, C.Safilios-Rothschild, B.A.Wright, C.A.Swinyard, D.Lancaster-Gaye氏などの名を見ることができる。

リハビリ分野における文化交流の難しさ

 リハビリテーション分野における国際技術援助プログラムのニーズが高まっているが、リハビリテーションはそれぞれの国の価値観や慣習にかなり係わっているので、文化の異なる国で実施されている方法をそのまま他国に導入しようとしても無理が生じる。同じ体験を経ることなしに双方の理解は難しい。(近年、アジア諸国等から日本に対して、リハ分野での協力事業の要請が高まっている折から、このテーマは我々にとっても大きな関心事であった。同博士の見解の詳細については、本誌に掲載されている論文を参照されたい。)

障害者に対する非障害者の無理解

 有能な心理士が事故のため障害をもった場合、心理士としての能力が失われていなくても、その人全体が無能力になったと一般の人々は考えてしまう。私の同僚が下肢マヒになり、車イスを使用し、夫婦でレストランへ行った時、ウエイターは妻の方に向って「こちらの紳士は何をめしあがりますか」と聞いた。このウエイターは決してバカではないが、これが、非障害者のとる典型的な態度である。非障害者は障害を抜きにして相手を見ることができない。障害のある人を見ると、すべて障害の色を塗ってしまう。障害をもったとしても現在では、その欠損部分は様々な技術でもって機能的に補えるようになっている。障害者が実際にできることと、社会が障害者に対して許容していることとの間には、大きなギャップがある。ここに心理的、社会的、政治的側面および市民権の問題がある。

専門職者と障害者との闘争

 アメリカでは最近、リハビリテーション専門職者と障害者との間に闘いが起きている。この闘いの焦点は何かというと、「障害(disability)」をどのように把えるかということにある。

 専門家は「障害を欠陥(deficits)」として把えている。医師は身体的機能の欠損と把え、心理士は健常者の社会に再適応しなければならないと把え、職業リハビリテーションカウンセラーは能力を評価し適職を探す対象として把える。各種専門家は共通して、「障害者は専門家に頼らざるを得ない対象である」と考えている。

 意識革命を経た障害者たちは、自分たちを「市民権を喪失している者」として市民革命の必要性を痛感し、「自分たちを健常者と同じように扱ってほしい、ただしニーズに応じた特別の配慮と共に」と訴えている。これらが自立生活(IL)運動というかたちで表れている。これらの障害者リーダーはノーマライゼーションを求めているのである。

専門職者の役割

 今、専門家に最も必要とされているのは「良き連絡調整者」としての役割である。それも特殊な専門家ではなく、「全般的な専門家(general specialist)」である。現在アメリカでは、100種類以上の障害がある。各種専門家はそのうちのいくつかの障害に精通しているかも知れない。しかし社会・心理分野の専門家は、あらゆる障害に共通するgeneralおよびgenericな側面に精通していなければならない。障害者はひと度リハビリテートすると、自分の障害について語りたがらないものである。したがって専門家が、それを語りついでいかなければならない。

 米国では専門家があまりにも専門職化しすぎてしまい、弊害が大きくなっている。社会・心理分野の専門職者に必要とされる真の役割は何かというと、①サービス間の連絡調整、②障害者の能力を一般市民に教育すること、③地域社会において障害者が生活しやすい環境を作ること、である。

障害者の役割

 障害者の能力を一般市民に啓蒙する役割は障害者自身にもある。現在障害をもたない者は「一時的障害者(temporally able-bodied)」と把えるべきである。女性の権利運動も女性自身の手によって起こされ、権利を獲得してきたのである。障害者も自分たちで運動しなければならない。異なる障害をもつ者たちが連帯できないでいる原因は医療にある。医療教育を受けた専門家たちは障害者を分断しがちである。しかし、様々な障害者の社会、心理、経済的な問題は共通しているのである。

 アメリカ障害者市民連合(American Coalition of Citizens with Disabilities)は、連邦政府が障害者に係わる法律を制定する際に諮問する役割を担っている。現在では、障害者自身が立派な専門家として発言するようになってきている。

最後に

 スタビンズ博士は以上の通り、専門職者および障害者の役割を述べるとともに、専門家に対して、能力を過信しすぎてはいけない、過度に専門的になりすぎてもいけないと強調された。しかし社会・心理分野での専門職教育の確立が重要であり、また、実践的調査・研究をもっと活発化しなければならない、と約2時間にわたり熱心に語られ、質疑応答も活発に行なわれた。

*国立身体障害者リハビリテーション・センター


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1984年7月(第46号)31頁~33頁

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