3つの文化における臨床態度

3つの文化における臨床態度

Joseph Stubbins, Ph.D.*

奥野英子訳

 海外でのリハビリテーションの実践を視察する機会を得た者は、国境を越えての理念(idea)の交換がいかに貧弱な状況にあるかを幾度となく訴えてきた。私は、リハビリテーションの分野における交流を行う際に立ちはだかるいくつかの障害物を明らかにしてみたい。即ちこの障害物とは、文化的障壁なのである。

 ある分野における理念や、人工的に作られたものは、国境を越える際に抵抗がないことがある。工学や化学の応用と、その結果もたらされる産物(creature comforts)はスムーズに受け入れられているし、保健の分野における理念は、世界の人口増加が実証している通り、あまり抵抗がないようである。しかしながら、教育や社会福祉の分野における理念は、その国の階級構造、社会正義、政治制度と関連する価値観や慣習にかなり深くかかわってくる。そしてリハビリテーションの心理・社会的分野はこのカテゴリーに入るものであり、国境を越えての理念の交換があまり行われない傾向にある。このリハビリテーション分野での交流における障壁を明らかにするために、米国、英国およびペルーにおける職業リハビリテーションの臨床方法(clinical method)を検討し、それぞれの国におけるイデオロギーと臨床方法に対する態度との間にある相関関係について熟考してみたい。もしそれぞれの国のイデオロギーを考慮に入れるならば、相手国に不快感を与えずに新しい理念を伝える方法を知ることができるであろう。

 「職業リハビリテーション分野での臨床方法」とは、個々のクライエントへの処遇方法、診断情報(diagnostic information)の収集、援助方針の決定、リハビリテーション計画の作成、クライエントが訓練を受けたり就職先を探すための援助、など意味している。これらの心理・社会的方法は非常にアメリカ的なものであり、アメリカにおいては、他のどの国よりも大々的に実践されているものである。

米国

 これらの臨床方法のイデオロギー的基盤は、障害者を競争社会に復帰させることにある。米国においては、障害者は、当然の権利として職に就ける状況にはない。リハビリテーションシステムによって、個々の障害者に必要な義肢、職業訓練、心理的サポートが提供され、これらによって障害による欠損部分を補おうとするものである。このリハビリテーションのシステムは、米国におけるギスギスした個人主義、時にはロマンティック個人主義と言われるものと共存できるのである。米国のリハビリテーションシステムは、障害者が巨大なハンディに立ち向かうために大きな能力を与えてくれる。しかし、莫大な経費を投入している割には、その効果は期待ほどではない。その結果、米国全体の稼働年齢層の失業率が6%であるのに対し、障害者の稼働年齢層の約40%が失業中である。

 しかしながら、リハビリテーションに従事しているほとんどの専門職者は、米国のリハビリテーションシステムはかなり良く機能していると信じている。これをみても分かる通り、リハビリテーション専門職者たちは、「現状のリハビリテーションシステムでは不十分である」と感じている障害者側の考えを認識していない。そして、「米国のリハビリテーションシステムを諸外国はどうして模倣しないのだろうか」と考えてみる専門職者もほとんどいないのである。諸外国で行われていることに関心を寄せる専門職者のほとんどは、米国は世界中のどの国よりもずっと進んでいるのだ、と結論づけているようだ。「西欧諸国では、成人障害者は米国におけるよりもずっと多く就職している」という事実を知れば、驚くであろう。例えば英国では、障害者の失業率は、一般人口の失業率の2倍程度にしかすぎないのである。

 私の諸外国における体験を鑑みると、アメリカの職業リハビリテーションシステムは、「障害者はその身体的・心理的欠損を矯正・補償できさえすれば、非障害者と同じように雇用の機会が与えられる」という重大なフィクションに基盤を置いているような気がする。

英国

 英国においては、就労していない障害者は、障害者雇用担当官(disablement resettlement officers、略称DRO)の援助を受ける。このDROは米国の雇用サービスに従事している職業紹介官(placement adviser)と類似している。DROにおいては臨床的サービスは何も提供されない。約15分間の面接のあと障害者は、地方自治体が運営する職業紹介所に登録されている求職口に照会される。職業紹介官やDROは、クライエントの興味、適性、性格傾向に配慮する訳ではなく、職業訓練に回されるクライエントもほとんどいない。しかしながらDROは、障害者が職場で働きやすいように、作業場を改造する手段を持っている。米国におけるCETA(総合的雇用・訓練法)プログラムと同じように、一定期間、障害者の給与を支払うことにより、雇用主を助成することができる。またDROは、3%の障害者雇用率を達成するよう、雇用主に働きかけることもできる。(法律によって、労働者の3%は障害者でなければいけないと規定されている。)

 この義務雇用率は通常、障害者の失業に対処する最も正当な方法だと考えられていることは興味深い。英国で1944年に導入されたこの制度を廃止する試みが何度かなされたが、その度にいとも簡単に退けられてきた。これと同様の制度は、西欧のいくつかの国においても存在している。しかしこの理念は米国においては提唱されていない。

 義務雇用率制度は、個人の責任を重んじるという米国の考え方にはそぐわないので、米国においては相容れない。一方、英国では、社会経済的な意味での階級社会があり、また「ノーブレス・オウブリージ(富者や貴人が立派に慈悲深くふるまうべき精神的義務)」の考え方とも相まって、義務雇用率制度が定着しているのである。英国ではすべての労働者は労働組合に加入しており、義務雇用率の存在は正に、英国の社会・経済制度の当然の帰着であると広く認識されているようである。一方、米国では、個々の対象者に対する臨床サービスに多大な投資をしているが、これは、意欲と自立性を持つ者すべてに対しては、できるだけのことをしてあげるという米国の社会・経済的制度を実証するものであろう。

ペルー

 まず初めにお断りしておきたいが、私がペルーにおける臨床方法を述べるのは、15年前にペルーに滞在した経験に基づくものであるので、もっと最近の状況に詳しい方があれば、私の見解を訂正していただきたい。しかし、リハビリテーションサービスと文化的要素との相関関係はゆっくりとしか変化しないので、ペルーに関する私の見解は今でも十分に妥当するのではないかと思う。

 ラテンアメリカを訪問したことのある方はご存知の通り、これらの地域では大家族制度が現在でも存在しており、これは、現代の官僚的国家における公的サービスよりもずっと信頼できる社会保障システムである。ペルーには公的な社会保障施策がないと言っている訳ではない。もちろん存在しているのである。例えば、労働者が解雇されたり退職した場合には、失業保障や退職手当と同様の離職手当が支給される。1968年現在では、ペルー政府は、リハビリテーションサービスを政府が直接実施するということはしていない。しかし、数多くの民間機関に対して少額の助成金を交付している。

 臨床サービスを当然の権利としてすべての国民に提供するという考え方は、ペルーの社会では通用しない。ペルー国民の大多数は生存レベルすれすれの生活水準にあるので、「リハビリテーションサービスを受ける権利がある」というような考え方をするのは、海外を旅行したことのある人とか、障害者に特別の関心を寄せている少数の国民でしかない。障害者は、親族の中で経済的に豊かな者が世話しているか、または、経済的な実力をもつパトロンに後援されている民間団体の援助を受けているかである。私がペルーに滞在していた時期に、ペルーの10人の心理士に対して、リハビリテーションの心理的方法についての教育を実施した。2年間ペルーに滞在したが、私が米国に帰国した後には、10人の心理士のうちの2名は一般市民を対象とするサービス機関に就職したが、残りの8名は、ペルーの上層階級のみを対象とする私的事業に従事するか、または、心理職に関連する業務に従事していないかの状況であった。

 したがってペルーでは、臨床方法はペルー国民のほんのわずかな例外的な人にしか該当しないということである。臨床方法は現代の民主国家における下部構造が必要であるが、これが、ペルーのみでなくラテンアメリカ諸国にはなかったのである。ペルーで教育を開始して割に早い時期に、私はこの結論を得てしまい、私をペルーに派遣した機関に対して、「アメリカの臨床方法はペルーではそのまま適応できない。かなりの修正を加えなければならない。」と訴えた。しかし、私をペルーに送り込んだ機関の責任者は、アメリカの臨床方法をそのままそっくりペルーで教えることに固執した。

文化交流における教訓

 いくつかのポイントごとにリハビリテーションサービスを厳密に探ぐり、そこに、文化という価値観の反映を見い出すことができるであろう。例えば、米国、英国およびペルーにおけるリハビリテーションサービスの組織を研究し、それぞれの国の臨床的態度(clinical attitude)を研究した時、その相関性を見ることができる。このような比較研究によって、リハビリテーション分野における文化交流のあり方を学べるのではないだろうか。

 これは、すぐに認知できる生活上の諸事実よりも把えにくいであろう。ごちゃごちゃに混ぜ合わせたジグソーパズルの断片のような諸事実を、文化という背景の中で一つ一つ解釈していくことになるであろう。一国の人民の行為をたどろうとすることは、表面的に見えることよりももっと深いものであり、日々の体験を意味づけるためには、文化人類学、社会学、政治学などの援助が必要であろう。このような背景の中で見てみると、リハビリテーションの様相は、障害者を労働市場へ復帰させるという科学的方法よりももっと深いものである。海外においてリハビリテーションを促進することは、軍事機器やねずみ取りを売ったりすることとは次元が異なり、また、予防的地域保健を推進することよりも複雑な課題なのである。

 リハビリテーションの臨床方法に関するアメリカの理念を海外に推進することは、その国の教育や社会福祉の理念を変えようとすることであり、端的に言えば、それが成功するか否かは、文化的変容を誘発できるかどうかにかかっているのである。

 米国は、未だに全国的な保健ケア制度を持っていない数少ない西欧諸国の一つである。米国では、GNPの10~11%を保健ケアに費やしているにもかかわらず、保健のレベルがかなり低いという統計が出されており、この現状を科学的に理解することは難しい。保健ケアの分野は、米国の昔から頑固に体系的に根付いているギスギスした個人主義がもたらした、最後に残された足跡の一つであると言える。またリハビリテーションも、文化に束縛された現象であり、それを変更しようとすれば同様の抵抗にぶつかる。すなわち、リハビリテーション分野の専門家は、自分たちのナイーブな文化をリハビリテーションの科学と結び合わせずにはいられない。文化的な帝国主義と文化的な相対主義という二つの危険を避けることができるだろうか。違う表現をすれば、一つの価値観がいくつかの文化において共通して存在しているという判断をあきらめない限り、我々は正しい答えを持つことはできないであろう。

 文化人類学者たちを悩ましてきたこの迷路から脱け出る方法があるだろうか。実際的には、「脱け出る道」がある、と私は信じている。文化交流は、双方に影響を与え合い、双方に新たな展望を開くという目的を持っている。障害者に対してより良いサービスを提供したいと思っている者は、「あなたの国のやり方がそのまま私の国で通用するとは限らない」という警告を決して忘れてはならないのである。もちろん、リハビリテーション実践の中のいくつかは、既存の慣習と合うものもある。軍事機器でさえも、文化的変容をもたらすものである。海外から輸入した軍事機器を使う兵士は、それを使用するにあたっての教育を受けなければいけないし、より重い責任を持たされるし、通常よりも高い賃金を得ることになるであろう。これらを輸入する政治家エリートは、それに伴うこれらのリスクをも引き受ける覚悟がなければならないであろう。

 リハビリテーションの医学的分野は、割に容易に文化的障壁を越えることができるが、心理・社会的分野や職業的分野は、その国の現在の状況をおびやかすものと把えられるために、抵抗に出会う。なぜならば、障害者のための臨床方法や雇用対策は、その社会の階級構造を支えているイデオロギーを乱すからである。

 海外において、イデオロギーの異なる人々の中で仕事をすることは、リハビリテーションに関する新鮮な洞察を与えられ、自分の持っている技術的理念がいかに自国の文化と密接に結びついているかがわかる。同時に、海外で仕事をするための準備をし、その国の文化について学んでいる過程において、我々は自分たちの専門技術・知識を向上させることができ、それがひいては自分の国のためにも役立つことになるのである。このように学びそして教えるという機会は、海外での技術協力を行う上での大きな喜びである。

(本稿は、1981年8月に開催された国際心理士協議会年例会議において、シンポジウム「リハビリテーション分野での文化交流の改善」で発表されたものである。)

*カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1984年7月(第46号)33頁~36頁

menu