特集/総合リハビリテーション研究大会'87研究発表論文 「住宅つき生涯学級」の概要

特集/総合リハビリテーション研究大会'87研究発表論文

<児童>

─重度肢体不自由児者とその家族のための─

「住宅つき生涯学級」の概要

富永繁男*

はじめに

 194の肢体不自由養護学校・分校のうち15校が兵庫県に設置され、それも芦屋市の周辺(大阪と神戸の間)の都市に集中している(昭和61年5月1日現在)。

 ところが芦屋市には養護学校もその分教室もない。かつては、軽度の肢体不自由児だけが隣接の神戸市か西宮市の養護学校へ通学していた。そこで芦屋市では、昭和42年(1967年)にそれまで就学猶予・免除をうけていた重度児9名を集めて、肢体不自由特殊学級(以下、「みどり学級」という)を設置した。

 このみどり学級は、現在の肢体不自由養護学校の抱えているカリキュラム編成上の、あるいは卒業生の進学・就職、あるいは、そのような肢体不自由児者をかかえる家族の生活などの諸問題について、20年前からさまざまな試行錯誤をくりかえしてきたが、有効な手だてがなかなか見つからなかった。その一つの対策として芦屋市は、重度肢体不自由児者およびその家族のための「住宅つき生涯学級」を、昭和56年(1981年)に設立した。

 以下は、その「住宅つき生涯学級」構想の背景、理念、内容についての概要を述べたものである。

1 構想の背景

(1)小規模都市

 わが国の肢体不自由児者に対する福祉施設の最低基準は、乳幼児の通園施設で1日に40人以上、成人の通所施設で1日に20人以上在籍していることとなっている。その基準以下のものは、国や都道府県からの施設整備補助金がおりにくい。また養護学校や特殊学級在籍児に関して、その基準を満たすとなると、大都市でなければそれだけの人数を集めることはできない。

 人口約9万の芦屋市の肢体不自由児者(軽度者を除く)は、現在でも学齢前児が6名(保健所の検診結果)、学齢児10名(小学校・中学校特殊学級の在籍児)、成人7名(特殊学級卒業生)しかいない。これだけの人数では、福祉施設も養護学校も、設置基準を満たすことができない。

(2)年齢制限

 学級開設時の在籍者には、17歳と21歳の脳性マヒ者が2名いた。この2名にたいし義務教育年齢超過(義務教育は、生徒が満15歳に達した日の属する学年の終わりまで)ということで、在籍資格の問題が起きた。

 そこで、どこかの福祉施設に籍を移すということになったが、この2名は、福祉法による通所施設への最低通所基準の「家庭から独りで通えること」の条件に満たない重度肢体不自由者だったので、そのような福祉施設は当然のことながら見あたらなかった。しかもこの2名は、みどり学級へ入学するまでの約10年間以上の間を、就学猶予を受けて家庭に置かれたままになっていただけに、その両親は、身体機能や知的、社会的訓練の不足から、年齢超過だけを理由に卒業させてしまうことへ強く反対し、留年願いを出して通学させていた。

(3)みどり学級が青少年センターの一室を仮校舎としていたので、市には恒久的施設を建設する計画があった。

(4)通学上の問題

 歩行ができず年齢が高くなった生徒を通学させるとき、リフトつき大型バスを用いることになる。大型バスは幹線道路しか通れないので、各家庭の門の側まで運行できない。各家庭の近くまで行けるのはマイクロバスを用いることになるが、マイクロバスにはリフトがなく、昇降口や座席の通路も狭いために、バス添乗員が抱きかかえて乗せ降ろしをすることになる。そのためにバス添乗員の腰痛問題がおき、児童生徒の通学に支障をきたしていた。

(5)兵庫県企業庁には、芦屋浜を埋め立てて、モデル住宅都市を建設する計画があった。

 以上のようなことがきっかけで、みどり学級を新たに建設する気運が盛り上がり、その中で、教員や生徒の保護者は、どのような施設にすべきかを真剣に検討し、次のような構想をいだくようになった。

2 構想の理念と設立の経過

(1)通園施設か養護学校かそれともコロニーか

 当時わが国では国立コロニー(のぞみの園)の建設が進められ、各都道府県にも地方コロニーが誕生しつつあった。つまり、肢体不自由児者への対策としては、通園施設から養護学校、さらにそれよりもコロニーというのが主流であった。

 しかし筆者は、昭和43年にヨーロッパの施設見学をしたとき、施設居住児たちがホスピタリズムと呼ばれる状態に陥っているのをつぶさに見、またその子供たちが施設に居住したままで一生を終えると聞かされ、コロニーというものに大きな疑問を感じた。

 そして肢体不自由児者は、施設居住での保護よりも家庭での保護の方が孤立感や徒労感などのようなマイナスの心理状態を抱くことがより少なく、家庭から通える教育施設や福祉施設の方がコロニーよりも、肢体不自由児者にとって正常な発達を促すのではないか、と考えるようになった。

(2)家庭と教育施設

 肢体不自由児者を家庭からスクールバスによって通学させるのは、時間がかかるうえに送り迎えする母親たちやバス添乗員の労力負担が大きい。

 そこで、希望する児童生徒の家庭を公営・公社の賃貸住宅へ優先入居させ、その近接地に教育施設を建設し、スクールバスによらずに通学できれば、そのような問題は解消すると考えた。

(3)教育と福祉の一体化

 学級在籍の年齢超過者にたいしても市が援助するなら、少人数の該当者を福祉と教育とに分け、別々に組織や施設を作って対応するよりも、同一施設で訓練・教育を行なう方が、訓練・教育の一貫性、及びそれに要する費用・労力の点からも望ましいと考えた。

(4)一貫した訓練・教育

 児童生徒が社会生活を営んで行くための一助として、能力特性に応じた特別技能を身につけさせることが大切だと考えた。それで、それらの習得のための時間をカリキュラムの中に組み入れたり、重度肢体不自由者の特殊性からみて、この施設で行われる訓練・教育は、一貫性、連続性を持つことが必要であると考えた。

(5)学級・家庭・地域社会

 校舎の近接地に児童生徒の家庭があることで、学級と保護者との連携がとれやすくなる。また、障害者が生きて行くうえで地域社会の協力がぜひ必要であり、障害者の心理的発達にとっても、地域社会の中で暮らすことが欠かせないことであると考えた。さらに不自由者の家庭は、一つところに固まるのではなく、学級の近くのさまざまな場所に分散する方が、地域社会との融合もうまく行くと考えた。

 筆者は以上のようなことを考えて、芦屋浜の住宅都市に新たな施設を建ててもらうことを学級保護者に説明し、双方は昭和44年(1969年)から芦屋市へ陳情を続けた。市はこの構想をもとにして、昭和56年(1981年)に芦屋浜の県住宅供給公社の賃貸住宅団地内(人口約2万)へ児童生徒の家族の住宅を確保し、その住宅棟の近接地へ教育施設を新設した。

 その住宅と教育施設は、教育と福祉の領域双方にまたがり、単に教育法や福祉法だけに基づくだけでなく、地域の実態にあわせた芦屋市独自の内容のものになった。以下、構想の主な項目と運営の実情を述べてみたい。

3 構想の内容

(1)【制度】

① 「住宅つき生涯学級」には、芦屋市内在住の肢体不自由児者を在籍させ、学級構成は次の通りとする。

部 名 年 齢 児童生徒数 教職員数 所 属
乳幼児部 3歳以下 1 1 市教委
幼稚部 4歳~5歳 2 1 浜風幼
小学部 5歳~11歳 6 1 浜風小
中学部 12歳~14歳 4 1 潮見中
成人部 15歳以上~ 7 1 市教委
 

(20)

(5)  

 児童生徒数および教職員数は昭和62年10月20日現在の数である。学級には小・中学校特殊学級に乳幼児部、幼児部、成人部が併設され、成人部は保護者の希望がないかぎり、年齢制限による卒業はない。

 教職員は上記5名の外に訓練士、運転手、介助養護員ら4名が配置されている。教職員の所属が異なることは、学級運営にマイナスの面もあるが、児童生徒を本校(園)で交流学習させるとき、本校(園)の教師との連携をとる上では大きなプラスの面となる。また教職員は本校(園)の教師と接することによって、普通教育からの刺激をうけやすい面もある。

② 児童生徒の家庭は、校舎近接地の賃貸住宅へ入居し、児童生徒がスクールバスを使わない(旧市街地在住者はスクールバスを使用)で、自力または家族の介助で登下校する。そのため、市は家賃の半額を「友愛基金1」で助成する。

 市は校舎近接地の賃貸住宅への入居家族にたいして、家賃の半額を友愛基金の利子のなかから補助している(昭和62年10月1日現在の家賃は月額7万6千円、なお友愛基金積み立て総額は約1億5千万円)。友愛基金制度が適用されるのは、校舎近接地の賃貸住宅(以下、「補助住宅」という)へ希望入居している10所帯だけである。補助住宅の家族の登下校介助が、スクールバスの運転手およびバス添乗員の役割を果しているからというのが、その主な理由となる。従って、スクールバスで登下校している児童生徒の家族へは友愛基金制度が適用されず、その保護者たちも、このことを了解している。

 また、この家賃補助については、友愛基金制度からの助成であるために、他の一般入居者からの苦情は出なかった。

③ 行政の窓口は教育行政と福祉行政を一元化2(福祉から教育委員会へ委託)して、教育委員会が担当する。

 それより、縦割り行政による事務処理の煩雑が少なくなり、命令系統が統一されることで学級運営の効率化がはかられる。

(2)【目的】

① 学級は地域社会や家庭に「開かれた」学級3となることをめざし、児童生徒が学級と家庭と地域住民との協力の中で生活できるようにはかること。

 障害の程度が重くなった肢体不自由教育では、教職員の力量だけで児童生徒の特性を伸ばすことがむずかしくなっている。そのためには学級自体をできるだけ家庭や地域社会に解放し、家庭や地域住民の協力が得られやすいようにして、学級の活性化をはかっている。

② 学級は児童生徒の基本的学習能力、生活習慣のみならず、ライフワークのもととなるとともに、地域住民とのコミュニケーションのための一助ともなる、特別技能4を伸ばすことをはかること。

③ 学級は児童生徒たちの家庭に事ある時ばかりではなく、平常時においても、相互扶助5しながら子供の育成ができるようにはかること。

 重度肢体不自由児者はどちらかというとからだが丈夫でなく、夜中に熱を出したり、ひきつけを起こしたりする。また母親が急病になったり、急用で外出しなければならなかったりする時もある。保護者は親族や地域住民に助力をたのめない状態のとき、補助住宅へ入居した家庭間でお互いに助け合っている。

 これが旧市街地の保護者家庭は、お互いに孤立していて、母親の病気や家事の都合で児童生徒を欠席させることが多く、家族内だけでの養育に困難をきたしている。

(3)【機能】

① 学級は、児童生徒の乳幼児から成人まで一貫した教育・訓練6を行う。

 担任を年度ごとに代えるのは、児童生徒を新鮮な気持ちにさせるという利点もある。しかし脳性マヒ児などの場合は、言葉に障害があったり、動作も緩慢だったりぎこちなかったりするために、担任がその児童生徒の特性を理解するのに年月がかかる。短い年月で担任が交代していたのでは、児童生徒の正確な把握が困難である。

 そこで、できるだけ教職員は児童生徒たちを継続して担任し、教育・訓練の効率化、一貫性をはかることにしている。

 ただし、担任が長期化すると指導内容がマンネリ化、あるいは独善化する恐れがあるので、教職員の相互検討をたえず行なうとともに、授業を常に保護者へ公開し、指導者がその疑問希望にこたえられるようにはかっている。

② 学級は地域住民の専門技能者をボランティア7として招き、児童生徒の特別技能の育成を行う。

 生徒のなかには、それらの人々のおかげで、油絵の個展を開いたもの、短歌の歌集を自費出版するもの、アマチュア将棋四段になり日本将棋連盟の大会に出場して上位に入賞したものなどが出てきた。このことは、その生徒たちの家族だけでなく、ほかの児童生徒の母親たちにも、子供の養育への希望をいだかせることにもなった。

 専門技能者が指導にあたるとき、担任はそのアシスタントとなるが、同時に指導技術の研修を受ける。

③ 学級は保護者(母親)や地域住民(婦人)の文化活動8に場を提供し、保護者と地域住民との交流によって、児童生徒の家族の孤立化の防止をはかる。

 この文化教室では、毎週、地域住民の専門家を講師として招き、押絵、茶道、和裁、着物の着付けなどが行なわれている。

 文化教室を通して学級の母親たちは、団地の婦人たちと交流し、団地内でも互いに親睦を深めるようになっている。

 またこの文化教室が開かれている間、子供たちは各教室で授業を受けているので、学級の母競たちは安心してそれに参加できる。このことが母親たちだけでなく、児童生徒にも好影響を与え、その情緒安定ももたらすようになったようである。

④ 学級は児童生徒が家庭・学級・地域社会という環境の中で、電動車椅子・歩行車・歩行杖などを利用して、自力による行動範囲の拡大9のための訓練を行う。

 この団地全体は、緑道から建物の中への段差がなくすべてがスロープになっているため、児童生徒は電動車椅子や杖歩行で友人の家への訪問や商店での買物なども、独りでできる。また商店でも、児童生徒がたびたび買物に行くことで、聞き取りにくい言葉や身振りを用いての用件を理解したり、さらには児童生徒に励ましの言葉をかけてくれるようになり、それが、児童生徒の行動範囲の拡大への大きな励ましとなっている。

 それまで母親にたよっていた事柄を、できるだけ自分自身で処理しようとするようになり、そのおかげで、介護している母親に生活時間のゆとりをもたらすようになった。

 旧市街地に住んでいる児童生徒の場合は、交通事故の心配があるために、学級から帰宅したらほとんど屋外へ出られない状態にある。そのために旧市街地の児童生徒は、身体を動かす機会が学級だけに限られる生活を送りがちである。

 このような違いによって、児童生徒の情緒の安定度、社会性の発達および保護者の負担に大きな差が生じているように思われる。

4 今後の課題

 「住宅つき生涯学級」は、今日までさまざまな実践を重ねるなかで、発足して7年目に入り、問題点として次の2点がある。

(1)親亡き後のケア付き住宅

 みどり学級の基本的理念からみて、保護者(母親)の存在は、欠くことができない。従って、保護者が死亡した後の構想については、まったくの白紙である。対策のなかに、親亡き後のケアつき住宅も考える必要があろう。

(2)学級の時間帯と教育・訓練の効率

 いまのまま朝9時から開始し、午後3時に下校という時間帯では、生徒の一部がスクールバスで下校というスケジュールである。そのために訓練・教育の有効性を十分確認できないままに終ることが多い。なかでも特別技能訓練の場合には、放課後を習得時間に当てることができにくい。

おわりに

 「住宅つき生涯学級」発足当初は、新設される団地内に肢体不自由施設をつくり、しかも、高層住宅群に補助住宅があることからエレベーターに車椅子で乗り込むことなどで、はたして地域住民との融合がうまくいくかどうかが心配された。しかし、一般入居者からの苦情は出なかった。

 この構想の利点としては、補助住宅に入った家庭の児童生徒たちの行動範囲が広がり、自力で身の回りのことを処理するようになった。また登下校時に地域住民と接触して挨拶を交わす機会が多くなり、ものおじしなくなった。母親たちの方は介助の面にゆとりができ、交際の範囲も広がり、社会的な面での積極性が出てきて、子供のことを必要以上に暗く考えなくなった。さらに、補助住宅に入った家庭の児童生徒たちは、旧市街地に住んでいる児童生徒たちよりも欠席が少なくなったことなどが挙げられる。

 このようにさまざまな効果が出ているが、児童生徒たちの両親が今後老齢化していくにつれ、新たな問題がおきるだろう。また、私たちがまだ気付いていない問題も、これからさまざまな形で起きることが考えられる。

 学級としては、その都度、教職員と保護者とで、最善策を探して行くつもりである。

注1 友愛基金とは市の条例に基づき市民からの寄付金を市がプールしているものをいう。
注2 教育・福祉の一元化とは学級には教育行政(幼稚部・小学部・中学部)と福祉行政(乳幼児部・成人部)とがある。福祉行政の範囲は、市の条例「芦屋市長の権限に属する事務の事務委任に関する規則第2条第1項第8号」により教育委員会に委託し、行政からの通達を一元化したことをいう。
注3 「開かれた」学級とは学級と家庭と地域社会の三者間のコミュニケーションを絶えず密にするようにはからい、このような学級がややもすれば陥りやすい孤立性、閉鎖性、独善性、排他性などを最大限に避けるようにすることをいう。
注4 特別技能とは児童生徒は話したり字を書いたりの表現に障害があるので、文部省のカリキュラムに準拠した教科や養護・訓練以外に、児童生徒の能力・特性を考慮して、油絵や短歌や将棋などを、ひとり一つずつカリキュラムのなかに組み入れているものをいう。
注5 相互扶助とは学級は、保護者間の親睦を平素からはかり、親族に代わる保護者間の緊急時の協力によって、児童生徒が通学できるだけではなく、生活のあらゆる面において便宜をはかりあうようにすることをいう。
注6 一貫した教育・訓練とは教師は児童生徒を平均4人ずつ担任しているが、クラス分けは、各教員が児童生徒の能力・特性をどのように判断し、それをどのように伸ばして行こうとしているかに基づいて、その担当者に決め、乳幼児から成人までの長期指導計画を立案させ、その責任において行なう教育・訓練をいう。
注7 専門技能者のボランティアとは教師が持っている力量だけでは、児童生徒の特別技能を十分に伸ばせないので、地域住民の中の専門技能者をボランティァとして学級に招き、指導助言を受けながら児童生徒の特性を伸ばすことをいう。
注8 文化活動とは校舎内に団地内の地域住民(婦人)も自由に参加出来る文化教室を設け、それを学級の母親たちとの交流の場ともするものをいう。
注9 行動範囲の拡大とは校舎が建っている団地内は、車道と緑道(自動車・単車は通れない)が立体交差していて、家庭から学級へ独りで通級でき、また学級内だけでなく団地内全体が移動訓練の場となり、その結果交通事故の心配なしに児童生徒の行動範囲が広がることをいう。

*兵庫県芦屋市立みどり学級施設長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1988年1月(第56号)2頁~6頁

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