広川律子*
本稿では、The Sounds and Symbols(ザ サウンズ アンド シンボルズ)の概略及び、当園での本方法の実施状況について述べる。
The Sounds and Symbolsは、1973年頃、オーストラリアのThe Spastic Centre of N.S.W.で、B.Brereton(psychlogist)らを中心に考案されたシンボル方式によるコミュニケーションの方法である。脳性マヒ(CP)による重度構音障害のため発話が困難な人たちを対象にしたものである。日本では、筆者が1981年同センターにて研修をして以来、日本語版での手引書“ザ サウンズ アンド シンボルズ”(1985)を出版するなど、関西を中心に普及に努めている。
筆者は、心理職であるが、療育の現場で、比較的高知能であるにもかかわらず自発的なコミュニケーション意欲の育ちの貧弱な子ども、その結果として生活態度そのものが受身となってしまったり、意志疎通がうまくできず常にフラストレーションに陥っている子ども、思春期に心身症を併発する子どもらに多数出会ってきた。また、発達診断や日常生活でも、単にこちらが尋ねたことにイエス・ノーで応じるだけではなく、何とか彼ら自身のこたえをきき出したいという思いにかられていた。さらには思考の発達という面からは、言語表出が困難な状態で彼らがいかに思考を発達させるのか(あるいは障害をきたしているのか)を明らかにしたいという思いもあった。ちょうどそんな矢先での本方法との出会いであった。
B.Breretonは、“歩けない子に車椅子を与えるのと同じこと”という位置づけをシンボルに与えており、このようなきわめてプラグマティックなわりきり方には、当初驚きもしたが、この方法が、単なる“道具”をこえて、送り手(障害児)の言語能力そのものを育て、生活全般における自発性を伸ばすものであり、さらには、受け手の側のコミュニケーションの感性をも高めるものである事を後になって理解し、それがうなづける言葉となった。
さて、日本では、シンボル形式によるコミュニケーションの方法としては、本方法よりも先にBlissymbolicsや絵文字などが使用されているが、本方法も含めて、普及に時間がかかっているのが実情である。これには、ことばやコミュニケーションに対する考え方に、東洋と西洋がかなりの違いがあることも一因である。西洋文化圏では、子どもは、幼い時期より自分で意志決定すること、要求の表現を明確にすることつまり自己表現ということがひとつの能力と見なされ、徹底的に教育もされる。したがって障害により発話が困難な場合、表現の自由が奪われている状態として、それに替わる手段が、当然のこととして与えられるわけである。他方、東洋では、自己表現は控えめであること、間接的であることが美徳とされる。そして、ことばですべてを語りつくすことはせず、その時の微妙ないいまわしや視線や表情・しぐさなどいわゆるbody languageといわれるものにより多くの意味あいをこめる。そして、聞き手の側にも、その真意の解釈を暗黙に求めているのである。“目は口ほどにものを言う”“行間を読む”“顔色をよむ”“似心伝心……”日本にはこの様な表現のなんと多いことかと改めて感心させられる。ともあれ、療育に関するありとあらゆる最新のテクニックが外国からとり入れられている中で、このシンボル方式が日本で普及、定着しにくいのは上のようなコミュニケーションや自己表現に対する東西の考え方の違いが根底にあると思われる。
普及しにくいもう1つの理由は、このような代替手段を用いてしまうと、発話の妨げになるのではないかという危惧である。これについては、筆者は6年間の実践を通じて、はっきりと“ノー”の答えを出すことができる。この方法では、子どもは常に、“自分自身で”考え、伝達内容をシンボルに移しかえるという作業が要求される。つぎには、いくつかのシンボルを連らねて叙述する事も求められる。この過程をとおして、子どもは、相手の質問そして答えまでをも待つ姿勢から、自分でことばを選び、考えるという本来の言語~思考活動をとり戻していくと考えられる。その結果として、発話が可能となる、発声量が増大するという変化も生じてくるのではないかと考えている。
私自身は、この方法を日本の子どもたちに導入するにあたって、次のような意義づけをした。
1.受身から自発的なコミュニケーションへの脱皮。依存的な生活からまずはコミュニケーションの自立をめざし、それぞれの発達段階にふさわしい自我を確立する。
2.意志疎通をスムーズにし、フラストレーションや頑固さ、気むずかしさ、内へのひきこもりなどを軽くする。
3.人との会話を楽しめるようにする。
4.社会的な場面への参加要求を育てる。
5.シンボルを操作する過程を通じて、言語及び思考能力を伸ばすこと。
① コミュニケーションボード
図1に示すように、基本となるボードは、文字どおりシンボリックな図柄32種類の配列からなる。このうちのいくつかのシンボルを指さしで、あるいは手全体でさし示す、視線で示す、また は、4段のうちどの段かあらかじめ尋ねておき順にシンボルを尋ねていき、イエス・ノーで答えるなどという方法がとられる。
図1 サウンズ アンド シンボルズの原型
ひとつひとつのシンボルは、時によって名詞として、あるいは動詞として用いられる。たとえばは、自動車、三輪車、歩行器を意味することもあれば、どこかへ“行く”“ドライブする”などと用いることもある。日は、小さいという意味で形容詞になることもあれば“赤ちゃん”“子ども”と名詞として用いられることもある。したがって文法的には非常にルーズな約束しかもたず、聞き手は、話し手がどの様な意味でそのシンボルを用いているかを確認したり、解釈したりすることが要求される注1)。Blissymbolが、厳密な文法体系をもち、話し手がかなりの文法的能力を必要とするのにたいし、本方法では、話し手と同等に、あるいはそれ以上に聞き手にコミュニケーション能力が要求されるといえよう。これは、後述のような対象児の障害像にたいしては、全くふさわしいものといえよう。
次にシンボルを用いた会話の例を示す。
図2 子どもとの会話の例
“きのうどこへ行ったのですか?”(質問者もシンボルを示しながら尋ねる)
“動物園”(動物園?ときき確認)
楽しかったの?それともつまらなかった?
すごく楽しかった。お弁当もたべたし乗り物にものったよ。
誰と行ったの?
お母さんとお父さん、そして赤ちゃん。
ぼくの好きな歌手はチェッカーズです。
私は遊園地でジェットコースターにのった。恐怖だったよ。
土曜日、私は洋服を買った。ナウイ服だよ。
シンボルの意味をより限定的に用い正確な内容を伝えるために、図3のように文字板をつけると有用性がさらに増す。子ども自身も、ある一定レベルの会話がシンボルで可能になると、より正確に伝えたいと要求するようになってくる。また、シンボルが単に物事を要求したり、返事のかわりという以上に用いられ子どもが冗談を言ったり会話そのものを楽しむようになってくると、文字板がどうしても必要となってくる。文字をまだ習得していない子どもや記号的なレベルで習得している段階の子どもたちには、これをきっかけに文字指導に入ることにしている。但し、あくまでも表現したい単語の語頭文字をシンボルと結合させるというやり方であっていきなり、文字板での単語や文章のポインティングの練習をするわけではない。事実ここで対象にする子どもたちの場合、上肢の運動機能の障害はもとより、知的な遅れ、そしてこれはやや特殊な言語発達上の障害と思われるが、表現したいことばはあるのにその語音の想起が困難という問題等をもつ場合もしばしばあり、文字板のスムーズな活用には、相当時間が必要である。また、文字の“読み”(文字と音との対応)と“書きことば”は、発達的にはレベルの違う課題であることもふまえておく事が必要である。しかし、いずれにしても子どもたちが、将来、文字板やワープロその他のコミュニケーション機器を積極的に使いこなせることはきわめて重要であるので、これをきっかけに文字獲得を促すようにしている。事実、長年、文字が記号の域を出なかった年長児もシンボルと結合することでその意味や有用性を理解し、トーキングエイドで文章が作れるようになっている。
図3 サウンズ アンド シンボルズと文字板の組み合わせ
以上のように文字を併用すると、文字のポインティングではむずかしいことば“チェッカーズ”、“ジェットコースター”なども語頭文字さえ想起できれば容易に表現できる。また、気持も、単に“楽しかったね”“ハイ”、“かわいい服なの?”“ウン”ではなく、自分で適切なことばを選んで表現できることになる。
② 対象児
<障害のタイプ>
主としてCPによる重度構音障害のため発話が困難な人を対象とする。アテトーゼ型が大多数であるが[痙]直型四肢マヒも含まれる。
<年齢及び発達年齢>
年齢は問わない。知的な面では、発達年齢2歳6ケ月程度の能力があれば習得が可能である。この時期に達すると、認識面において、表象機能が発達するので、事物をシンボルに置きかえ表現~操作することが可能になるからである。したがって、本方法は、文字獲得以前の幼児やちえ遅れを合併する学童~成人まで広く用いることができる。
なお、発達年齢2歳6ケ月以前の子どもたちに対しては、写真(自分の身のまわりの人や物、場所)などを利用してコミュニケーションブックを作り、導入のための準備をしていく(ここでは説明は略)。
当園で現在及び過去に指導を受けた者の状態を表1~4に示す。現在までに28名(うち筆者担当20名、あさしお園ST吉田くすほみ氏担当8名)である。
男 | 女 | 計 | |
アテトーゼ型 | 14 | 10 | 24 |
[痙]直型四肢マヒ | 1 | 3 | 4 |
計 | 15 | 13 | 28 |
3歳 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | |
開始時 | 1 | 3 | 5 | 8 | 2 | 3 | 2 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 |
現在* | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 |
1 |
1 | 4 | 2 | 4 |
1 |
1 |
2歳 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | |
開始時 | 2 | 10 | 6 | 4 | 3 | 0 | 1 | 1 |
1 |
現在* | 1 | 4 | 2 | 3 | 3 | 1 | 1 | 3 | 0 |
開始時 | 現在* | |
全く不明瞭 | 24 | 19 |
時々わかる語が数語ある (ハイ・アカンなど) |
3 | 6 |
不明瞭な単語が10以上ある | 1 | 3 |
シンボルを使用している又は過去に使用したことのある子どもの保護者全員28名にたいしてアンケート調査を実施したので(1987年9月)次にその概略を述べる。回答者は26名であった。
Q1は表5にみられる様に、現在のコミュニケーション手段についてであるが、18名が現在もシンボルを使用し、日常生活上有効なコミュニケーション手段となっている事がわかる。また、文字板やトーキングエイドなどへと段階的にすすんでいる子どもも多く、シンボルがそれらへの橋わたし的役割をはたしていることも示している。さらに、現在使用していない者のうち、筆談が可能、発話が可能となった者がそれぞれ数名いるが、前者の場合、シンボルで文章をつくる練習と、すでに獲得していた文字の読み書きの力が結合した結果であり、約1年間の練習の成果といえる。後者のうち1名は、約2年間シンボルでの表現、文字との結合の練習の結果、序々に発話が可能となり、不明瞭ながらも長文が話せるようになったケースであり、現在普通小学校2年生となっている。この子どもの父親はアンケートに次の様な一文をよせているので紹介する。“息子の場合、言語獲得の最も重要な時期に発語手段が損われている状態で、これに替わるコミュニケーション手段が得られた事によって、スムーズな対人関係を家庭や学校でつける事ができ、現在きわめて楽しい日々を過す事ができています”。
使用している | 18名 |
内訳 シンボルが主 | (8) |
文字板と併用 | (6) |
文字板が主 | (0) |
トーキングエイドと併用 | (3) |
コミュニケーションエイドと併用 | (1) |
使用していない | 8名 |
内訳 筆談可能となる | (1) |
発話可能となる | (3) |
ゼスチャーを好む | (1) |
トーキングエイドを使用 | (2) |
電動タイプを使用 | (1) |
不明 | 2名 |
Q2(表6)は、日常生活上でのシンボルの有用性についての質問である。多いのは“子どもの要求内容を知る時”と“会話を楽しむ時”である。これらの中には、次のような回答があった。“これまで、イエスかノーだけで終わっていた会話が続くようになった”“親のまったく知らない内容も伝えてくれるので、わが子がこんなことを考えていたのかと驚く事がある”。また、“学校のホームルームや朝の会で発言できる”、“手紙や日記が自分のことばで書ける”などとの回答もあり、シンボルが単なる要求表現の手段に終わらず、誰かと話したい、気持を伝えたい、意見を発表したいなどごくありふれたことでありながら、この子どもたちには、十分に保障されにくい社会的行動が、シンボルを媒介になされていることは意義深いといえよう。
子どもの要求を理解する時 | 7 |
日常会話をする時 | 5 |
内容を早く伝えたい時 | 4 |
ホームルーム・朝の会での発言時 | 2 |
作文・手紙をかく時 | 2 |
あることをくわしく聞きたい時 | 2 |
Q3(表7)は、学校(施設)側の理解に関するものであるが、残念ながら学校では、十分な理解が得られていないのが実情である。一部の養護学校では、ホームルームや国語の授業あるいは言語訓練としてとり入れており、文化祭の劇でもシンボルでセリフが云える様な配慮がなされ、学校での第2の共通語となっているところもある。この様な場合、子どもの方も当然の事ながら習得も早く、コミュニケーション意欲も高くなる。
使っている | 10 |
使っていない | 8 |
理解がある | 10 |
あまり理解はない |
6 |
理解がない | 2 |
Q4(表8)は、成長途上にある子どもにとってのシンボルの意義を問うたものである。質問の意味がややむずかしかったようであるが、“文の組み立てに役立つ”という回答が多く、父母からそのような答えが得られたのはやや意外であった。しかし、シンボルの伝達機能以外の側面、つまり、子どもの言語発達(文法・論理的思考)に及ぼす影響について正しく評価されていたことは、筆者にとっては心強いものである。またこの中には、トーキングエイドやコミュニケーションエイドの使用時に、前もってシンボルで文章をつくっておいて文字の操作をすると答えた人もあり、まず、視覚的にシンボルを配置し内容の構成し、次に文字による作文をおこなうという方法をとっているわけで言語機能を視覚系で補っているといえる。
文の組みたてができる |
6 |
自発的にCom.をとろうとするようになった | 4 |
ストレスがたまらなくなった | 4 |
内容をくわしく伝えられるようになった | 3 |
発話をうながす | 2 |
トーキングエイド使用時等にあらかじめ文をつくる | 2 |
会話をたのしむようになった | 2 |
親が世話をしやすくなった | 2 |
表6~8は現在の使用者のみの回答
次に多いのが、それまでの全くの受身のコミュニケーションから自発的なものへと変わっていったという答えである。“与えられるだけではなく自分から人とコミュニケーションがとれるようになり、性格が明るくなった”、“イエス・ノーの二者択一のみのうけこたえであったのが、質問に対してもふくらみのある答えがかえってくるようになった”、“これまでは結果的に親の考えを押しつける事が多かったが、自分の考えた事がはじめて言えるようになった”等の回答がみられる。
また、このようなタイプの子どもは、十分な意志疎通ができないためフラストレーションに陥りがちで、思春期前後に心身症等をきたすこともあるがシンボルを用いることで多少なりともそれらが軽減されていることがわかる。それについての回答には次のような記述が見られる。“イライラしなくなった”“調子のよい時は、ウフフと笑いながら顔がイキイキして、これまでのようにイライラして指を咬んだりしなくなりました”。
Q5(表9)では、シンボルがあまり普及していない事、周囲の人に理解してもらいにくい事が訴えられている。その結果、本人の意欲がそこなわれがちである、とも述べられている、他方、親の方も“従来どおりイエス―ノーで尋ねる方が早いのでどうしてもそれですませてしまうと反省している”との答えもあり、時間と手間のかかるため家庭でも十分には活用されにくい面もあるようだ。また、“親の方は、シンボルに出会えて感激しましたが、子どもの方は、どうもめんどうくさいという感じ。子どもが8年間身につけてきた習慣をおいそれとはくずせないことを痛感している”“シンボルを使えと云えば使えるけれども、使う喜びを知らない”など、自発的なコミュニケーションへの意欲を育てる事のむずかしさも述べられている。
他の人にわかってもらいにくい | 5 |
子どもがポインティングしにくくてあせってしまう | 2 |
わかっているが、つい、イエス・ノーできいてしまう | 2 |
子ども自身が、積極的に使いたがらない | 1 |
次にQ6として、子ども自身にシンボルの利点・不便な点について質問した。これについては、回答が6人と少ないがいくつかを紹介しよう。
図4 シンボルに関する子どもの意見
利点
お母さんと話ができる。
早く伝えられる(気持が)。
たくさんのことを言えるので楽しい。
学校でたくさんの友だちが使っているから楽しい。
不便な点
誰とでも話ができないこと。
手がうまくシンボルをさせないので困る。
ボクが(シンボルを)見て、手でおさえているのに相手がわかってくれない時がある。
時間が長くかかってイヤだ。
以上に見られるように子どもたちは、より多くの人にシンボルを理解してもらいと願い、コミュニケーションの自由とより多くの社会参加の機会を望んでいる。
また、現在シンボルを使用していない子どもの父母からも次のような答えがよせられた。“シンボルでの会話で、クイズをとくように子どもの考えている事がわかり、親子で話をし、親もいろいろと変えさせられ、また実際に大変助かった(現在発話可能)”、“ひらがなをおぼえるまでの数年間、コミュニケーションの方法として大変役立った”。“トーキングエイドとの橋わたしとなった”。
シンボルが日本に紹介されて以来6年間、当園では、日本人向けに改編し、実践をしてきた。これまでに、当国では、28名の幼児~中学生に実施してきたが、現在も日常生活上、有用なコミュニケーション手段として用いられている。そして、本方法が単に要求伝達や返事の替わりとしていわば道具的に用いられるだけではなく、思考の手段として、また子どもたちの家庭生活やさまざまな社会的活動の中で生かされている事が明らかとなった。
本方法を実施してみて強く思うのは、コミュニケーションを成立させる要件とは何か? ということである。それは、単にあるテクニックを道具的に習得させる事ではなく、人と交わりたい、共感関係をつけたいという意欲そのものを育てることを大前提となすべきである。そしてもう一つ重要なことは、受け手の側のコミュニケーション・センシティービティとも云うべきものに関することであるが、受け手がその感性をみがき、共通理解への最大限の熱意をもつことが同時求められていることである。受け手の熱意なしには、あらゆるコミュニケーションは成立しないものである。
シンボルをより多くに人に理解してほしいという子どもの願いと意欲にこたえるために一層、普及のための努力をしたいと考えている。
注1)子どもたちには「辞書」とよばれる小冊子をもたせ、シンボルの意味がわからない時には、それを開き、相手に意味を特定してもらうようにする。
引用文献 略
尚本稿は、総合リハビリテーション研究大会'87の研究発表をもとにしたものである。
本研究は、オーストラリア政府文化財団・豪日交流基金の助成によるものである。
*愛徳福祉会南大阪療育園心理判定員
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1988年1月(第56号)7頁~14頁