特集/地域リハビリテーション デンマーク・アーハス市にみる重度障害者の自立生活

特集/地域リハビリテーション

デンマーク・アーハス市にみる重度障害者の自立生活

──重度障害者がマネジメントする地域ケア・介護保障──

新井宏 *

 はじめに

 1989年10月、全国社会福祉協議会・身体障害施設協議会が企画・実施した「海外重度障害者福祉事情視察研修セミナー」に参加する機会を得た。

 訪問先は、イギリス、オランダ、デンマークの三カ国であり、期間はわずか14日間であったが、イギリスではチェシャーホームを中心に重度障害者の共同ホームを視察し、オランダではヘットドルプの福祉村やデイ・サービスセンターを、そしてデンマークでは、ここで取り上げる地域ケア型の、それももっとも進んだ介護保障の実情を学ぶことができた。

 視察の目的は、生活施設などで生活する重度障害者の「生活の質」(QOL)に視点をあてて、

① 重度障害者が公的な援助を受ける立場におかれた時、ヨーロッパの歴史のなかで築かれた人権や個の尊厳がどのように尊重され日々の生活のなかに具体化されているのか。

② 障害をもっても人間らしく生きるために欠かせない生活対処能力を高めて社会活動への参加を果たしていく障害者自身(あるいは障害者団体)の努力として、どのようなプロジェクトがあるのか。それに対して専門ワーカーは、どのようなプログラムをもって援助に臨んでいるのか。

③ ②の実践は、どのような制度に支えられ運営されているのか。

を掘り下げることにあった。

 わが国では、重度障害者の介護保障といえば未だ「施設入所型」が中心となっているが、ヨーロッパ各国の介護保障の現状は、所得保障・住宅保障(住宅改造等)、介護機器の提供サービス、総合的なアドバイス制度などによって体系化され、その形態・サービス提供主体・利用方式など、多元的なプロジェクトが試みられているといわれ、重度障害者にとっては選択肢が豊富であるとの予備学習をもって視察に臨んだ。

 視察を通じて体感したことは、“障害者自身が中心にすわっている”ということであり、この当然のことに改めて気付かされたが、これに対してわが国の「障害者福祉」と言われるさまざまなサポートはその対極にあり、まだ「してあげている」段階にあるか、もしくはようやく一緒に考えるところに来ているのだろうか、と考えさせられた。

 ここでは、今回の視察を通じて「脱施設化」のポリシーと運動が行き着くところに生みだされたデンマーク・アーハス市の地域ケア型公的介護保障の実践が特に印象的であったので、その思想背景、概要、歴史的にみた意味あい、抱えている課題等を中心にまとめてみた。

 その実践は、わが国の地域ケア型の介護保障や重度障害者施策体系等のあり方を考えるうえで、多くの示唆に富んでいると思われる。

 スティグ氏の自立生活

 コペンハーゲンから500キロほど北、航空路で1時間弱のところにアーハス市(Arhus:オーフスとも訳される)がある。人口は24万人、古い歴史の町であり、空気もきれいで環境が良く、最近は農業大学や農業試験場などが移転してくるなど活気のある地方都市である。

 アーハス市の重度障害者の公的な在宅介護保障の実践は、試みの期間を入れて1972年に始まっている。市内の重度障害者施設に生活する青年障害者が、施設からも親元からも独立した生活を望んで起こした運動と、それに共感したソーシャルワーカーを中心に、市行政は当初、従来からの方式であるホームヘルパーの派遣で終日の在宅介助に対応してきた。

 しかし、これは障害者の立場からはお仕着せのヘルパー派遣であり、施設内のケアの発想を地域に移したにすぎず、本質的には施設ケアと変らないとの思いが強く、また市としても財源負担の面では大変であった。そこで障害者の側からの発案もあって、その改革として障害者個々人にアテンダント雇い上げのための経費を公的に保障するがマネジメントは障害者に任せたらどうなるのか、実際のテスト期間を経て、そのほうが行政負担も軽くなるとの判断もあって市行政もそれに合意し、1983年からは市の独自事業としての現在のアーハス方式へと転換された。

 現在、市内には約120人の重度障害者が、自分の手でアテンダントを雇い上げ、アテンダントの賃金を支払い、労働保険を掛けて、自分が「雇用主」となって必要な介助の指示を行ない、自立生活を送っている。このシステムのもとで障害者に雇用され、フルタイム(週38時間)で働いているアテンダントは300人にのぼるという。アテンダントは学生が多い。通常の勤務よりは高給であり、学生には人気のある職種であるという。

 私達は、デンマーク政府厚生省を訪ね、障害者問題政策担当のアドバイザーの概要説明を受けた翌日、アーハス市に入り、自立生活者のひとりであるスティグ氏宅を訪問した。彼は16歳の時、モーターバイクの事故で重傷を負い、その後1年あまりの病院生活を送り、そこで医学面のリハビリテーションを受けたが、脊髄損傷により両下肢まひ、左手のまひが残っており、現在はセンサー付きの電動車いすを利用する32歳の青年である。

 退院後は、アーハス市のソルバッケンという障害者施設で数年間の入所生活を送っており、そこで市内の大学に通学し、卒業し学位を取ったという。卒業後、市役所に勤務し、現在はコンピュータ・プログラマーとして調査関係の仕事に従事している。

 スティグ氏には結婚歴があり、1人の小学生の男児と住んでいた。5人のアテンダントを雇い上げており、週38時間のフルタイム雇用のアテンダントが2人、あとは3人のパートタイムで365日の勤務のローテーションを組んでいる。スティグ氏は、訪問した私たちと懇談したアテンダントの1人を指して、彼女を現在のガールフレンドである、と紹介した。つまり、実態としては2人は夫婦であり、妻がフルタイムのアテンダントの一人として「雇用」されているといった様相であった。

 スティグ氏の自宅は、平屋の4LDK程度であり、平均的な勤労者の住宅と思われる。部屋のなかは、車いす使用を前提としたゆったりとした間取りとなっており、30㎡程度の広さのダイニングキッチンと、同じくらいの広さのリビングルームや子どものベッドルーム、彼のベッドルーム、そして書斎、リフト付きのバスルーム。入口にはスロープが、ドアはセンサーにより開閉されるなどの改修がされている。こうした家屋の改修・改造については、政府から10万クローネ(およそ200万円程度)の補助を得たという。

 ただし、その補助を受ける条件は借家ではだめであり自宅であること。そこで、スティグ氏は6カ月前にこの家を75万クローネ(約1,500万円)の銀行ローンを組んで購入したという。

 また、彼が使用しているセンサー付きの特別装備の電動車いすは、35,000クローネの補助を得て購入・改造したという。(※1クローネ=約20円)

公的な介護保障のための収入(スティグ氏の場合) [別表]
①早期年金:月8,472クローネ(約169,440円)
②早期年金・介護加算:月3,352クローネ(約67,040円)
③アテンダント雇用のために
 不足する分を市が補助する額:月46,040クローネ(約920,800円)※
 介助経費に充てる収入計:月57,864クローネ(約1,157,280円)

 なおスティグ氏の場合は就労しているため、上記以外に就労所得があるが、早期年金や就労所得は、家族の生活費・教育費・文化教養費・住宅ローンの返済に充てるなどの「普通の生活」に要する収入でもある。そこを切り詰めてまでも介助経費を捻出するというのではなく、介助経費は市の補助によって賄うという考え方にたっている。

※③の市が補助する介護経費の根拠(ソーシャルワーカーによる査定の仕方)は、
 1日17時間の雇い上げ、1時間単価:80クローネ(ただし土曜・日曜は1時間当たり170クローネ)
 月の総額=(17時間×80クローネ×22日)+(17時間×170クローネ×8日)=46,040クローネ

 

 利用者(対象者)ではなく雇用主

 アーハス市では122人の自立生活者が、スティグ氏と同様の方式で、介助サービスを活用している。アーハス方式の自立生活の仕組みは、障害者の各々の状況をまずソーシャルワーカーが評価をして、1日24時間のなかで、どの程度の介助を必要としているのかを査定するところから始まる。障害者が日常生活のなかで必要としている介助時間数を算出し(実際は最大でも1日17時間の介助時間)、その時間帯アテンダントを雇うために必要となる経費を算出、これを公的に保障する。障害者は市などから給付された資金を使って、自分でアテンダントを選び雇用するという仕組みである。

 この方式が他のサービス供給システムと本質的に異なる点は、ホームヘルパーを当てがわれるという従来方式を根本から覆した点である。介助サービスを活用する障害者は、お客さま(クライエントや消費者、利用者)ではなく、5人の従業員(アテンダント)を抱え、リスクを負いながら介助を活用している「社長」であり「雇用主」であるというのだ。

 公的な保障を受けながらも、自らもリスクを負うことを通じて彼らは真の自立を手にする。彼ら「社長」は、失業率が10%に迫る勢いのデンマークにあって一つの雇用の場を創り出しているとの自負をもっている。確かに公共事業の一種を担っているともいえる。

 介護経費の保障水準は、月90万円程度

 訪問したスティグ氏に代表されるように、24時間介助を活用するため彼がアテンダントを雇用するのに要する経費は、早期年金(いわゆる障害年金)と介護加算を基礎的な収入とし、さらにアテンダント雇用のために不足する部分を市がすべて保障するという構成になっている。その収入内訳を、スティグ氏の例でみると、[別表]のとおりである。

 アテンダントを使いこなすマネジメント

 市が保障した資金を活用して、アテンダントを使いこなすためのマネジメントは、実際にどのように行われているだろうか。

 それは、まず誰をアテンダントとして雇用するのかからはじまる。その募集方法には二通りあって、新聞広告を出して広く募集するか、または市役所のサービスビューローに頼んでおいて、その紹介・あっ旋で人を得るという方法である。

 次に、人が決まったらどの時間帯に誰を勤務させるのか。ローテーション表を組む。例えば自宅内の介助だけではなく、出勤時の介助、運転・移送などが必要であると市のソーシャルワーカーが査定をしたならば、その範囲をすべて自分で計画をたて、無駄なくアテンダントを使いこなす。

 時には障害者団体の会合や、厚生省へ出向くなど団体の活動で遠方に出張する場合などにもアテンダントを使うことがあるという。現に前日、私たち視察メンバーが厚生省を訪ねた時、アーハス市の自立生活者のリーダーが、厚生省までアテンダント付き添いで出張していたのに出会った。

 また、バカンスの時期には、海外旅行などの添乗介助を必要とする場合もあり、そのためのアテンダントの雇い上げ、活用もマネジメントのひとつである。この一連のマネジメントには、ソーシャルワーカーなどの職権による関与はない。

 「脱施設化」の行き着くところ

 ─アーハス方式の歴史的な意味づけ─

 アーハス市にスティグ氏を訪問して、「私は一種の公共事業に貢献している社長である」と言う彼らの確信に満ちた姿に接し、また月額90万円近くにも達する公的な介護経費保障が行われているという事実を見聞きして、私たちは唖然としたのが正直なところである。わが国ではとても住民の支持をえられないのではないかと思い、彼に質問を向けてみた。

 彼の答えは予想どおり明快であった。誰かが新しく切り拓いていかなければ、どれだけ待っていても何も変らない。直接は関係ないと思っている彼ら(健常者)にとっても、このシステムはきっと役立つということが分かってもらえる。そのためには、私たちが施設から出て町のなかに存在し続けることが必要なのだ、と。

 アーハス市を訪問する前日、私たちはデンマーク厚生省・障害者福祉政策担当のコンサルタントであるダート・トライア女史の説明を受けたが、女史によると、アーハス市を中心に展開されているもっとも進んでいる公的な在宅介護保障が市民の支持を得て存在している背景には、市民の間に次のような共通思想があるからだと強調した。

 ──人間として、誰もが家庭をもち、家族を形成するのが通常の姿である。彼らは、障害者である前に人間なのだから。デンマークでは、もう「障害者」という言葉を無くし、「障害者である」と呼ぶことをやめていきたいと考えている。特に施設生活は、どうみてもその通常の姿を奪うものである。したがって、まず施設から「出なければ」何も始まらない。施設から出て家庭をもった場合、どのような介護保障を考えるのか。その時に、単に場所だけを変えて、施設で受けていたのと同じ考え方での介助を受けていたならば、何の意味もない。「施設ケア」の発想を家庭に移したに過ぎない。それではだめである、というのがアーハス方式の根本思想である、と。

 ダート・トライア女史のこのコメントは、わが国がこれから全力で取り組んでいこうとしている「在宅福祉」の展開方向を重ねあわせて考えた時、実に重い意味がこもっている。

 デンマークは、1976年、これまでの縦割りの福祉サービス諸法を統合して、総合的な援助法(ビスタンスロー)を制定した。その後、1980年へかけて、女史が指摘する「脱施設化」の考え方に基づいて、施設入所者を積極的に減少させるという政府としてのポリシーが採られた。

 さらに障害児の親や障害者は、家庭でのケアのために余分に必要となる経費を早期年金への加算手当に求め、経済的な援助を求めてきた。1970年代から徐々にそうした要求に応える方向がとられ、10年あまりをかけて、「脱施設化」思想を具体化するための経済的基盤が確立していくわけである。さらには、自治体をベースとしたさまざまな「脱施設化」対策や専門職によるアドバイスのサービスなどが広がっていった。

 1980年代に入り、家族ケアに対する市町村自治体としての加算手当の額も増額してきている。また家族によるケアができない時間帯にはホームヘルパーの派遣が受けられるよう、介護手当を保障している市町村自治体も増えている。

 こうした家庭形成を促進する政府や自治体のポリシーと相まって、自立生活のために公的介護保障を要求する障害者運動が活発に展開された。その運動を経て、平均で1カ月4万クローネ(日本円で80万円程度)という高額の公的介護保障経費を引き出すなど、アーハス方式が誕生したわけである。決して政策主体による一方的な誘導策ではないところに、歴史的にみてたいへん重いものを感じる。

 社会リハビリテーションの視点から見ると

 リハビリテーション実践の面から考えるとアーハス方式はどう考えたらよいのか。重症の全身性障害者であっても、障害者自身に生活コントロール能力が備っているならば、残るはバリアフリーの課題、「物理的環境」「社会・経済的環境」、介助者との対人関係や近隣住民、勤務先での対人関係等の「心理的環境」などを整えることによって、地域のなかに家族を形成し、ノーマルな生活の実現が可能となる、アーハス方式は、こうした生態学的アプローチともいわれる社会リハビリテーションの定理に沿っていると思われる。

①「社会・経済的環境」として、公的な介護経費の保障、技術教育の結果の就労の保障、アテンダントの確保、アドバイス・サービスの活用、

②「物理的環境」として、住宅改造、福祉機器の改良と提供、補助、

③「心理的環境」として、アテンダントを雇用し障害者自身がリスクを負い、事業主としての地位を獲得してマネジメントする結果、得られた対等性、自律性の確保、

の三つである。

 そこで残るポイントは、障害者自身の生活コントロール能力やマネジメント能力である。

 アーハス方式においてもっともシンドイのは、重い障害をもちつつも、自分の手で、自分に適したアテンダントを探し出し、雇用契約を結び、雇用に関わる労働保険や税務も処理して、事業主としての地位を維持すること、こうしたリスクを負うことは、誰でもできるというものではないかもしれない。知恵遅れなどの重複障害をもっていない、一部の人のシステムで終わってしまうのではないか、との懸念を感じた。

 そこで実際は、アーハス方式もさまざまな創造的な発展が課題とされているようだ。

 さまざまな創造的な発展への試み

 アーハス方式による公的介護保障を生みだした歴史的な背景と、その本質は、以上のとおりであるが、アーハス市から発展したこの保障方式は、コペンハーゲン市などにも広がり、今日では本質を崩さない範囲で、数々の創造的な展開や大胆な修正が見られるようだ。

 例えば、アテンダントの雇用の仕方については、アーハス市においても変化がでているといわれる。公的介護保障を要求し実現してきた当事者団体である障害者協会組織として、市当局の協力のもとにアテンダントの雇用あっ旋業務(その募集や雇用調整、雇用手続きの代行・援助など)のようなことをせざるを得ないようである。

 また、コペンハーゲン市においては、基本的なシステムは変わらないものの、アテンダント雇用に関するマネジメントは、障害者の信託に応えて信託銀行が全面的に請け負っているケースもあるという。

 「共同住宅」の考え方の登場

 ─今後、多様な展開が─

 ダート・トライア女史は、私たちへの説明のなかで、アーハス方式は歴史的に大きな役割を果たしているが、今、デンマークではそれだけではない、ということを強調した。

 デンマークでは、1985年、「共同生活」つまり住まいを一緒にするという考え方が登場した。前の厚生大臣が打ち出したポリシーであり、もともとは知恵遅れの人びと2~6人が一緒になって生活する、施設にいた人が共同住宅に移って、ひとつの家に生活する、そして教育や生活訓練を受ける。こうした実践が、最近では肢体不自由者、脳性まひ者の方にも広がってきているという。

 この動向の特徴は、自分でアテンダントを雇うことができる能力のある人はアーハス方式を活用したらよいし、それが困難な重症の障害者あるいは知恵遅れなどを重複している障害者は、共同生活を選ぶだろうということである。

 デンマーク国内では、知恵遅れの人たちの共同生活者が350ケースある。しかし、共同住居の場合も課題は多い。「脱施設化」のための共同住居といっても、施設規模が小さくなっただけで施設らしさが残ってしまっては成功しない。そのためには、共同生活している人たちが地域との関係で隔離されてしまわないよう、内部でのアテンダントによる圧迫(管理)が強くならないように、そして知恵遅れをもった人たちの共同生活とはいっても障害者一人ひとりが成長していくことができるように、やがては自立していってノーマルな生活に近付いていくことができるように努力していかなければならない、と女史は指摘する。

 アーハス市でも、1990年から新しく共同生活の方式が始まろうとしているという。いずれの方式であっても、わが国の地域ケアを考えたとき、そこから学ぶものは多いと感じる。

*全国社会福祉協議会障害福祉部


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1990年6月(第64号)16頁~21頁

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