岡由起子 *
国連が1981年に障害者の完全参加と平等を提唱し、つづく国連障害者の10年が機会の平等化を主要概念として掲げて以来、障害者人口の1~2%しかリハビリテーションを受けられないといわれている途上国における最も効果的方法としてCBRが推進されてきた。障害者の10年の指針ともいうべき「障害者に関する世界行動計画」では、地域に根ざしたサービスに支えられてリハビリテーションが実践されること(18項)、施設を離れて地域に根ざした生活をする運動がでてきた(61項)、リハビリテーション・サービスは地域に根ざしたワーカー等を通して提供可能である(99項)などの積極的なCBRの擁護がみられる。
メキシコやインドネシアの例のようにリハビリ専門医や理学療法専門家が独自に試みたり、WHOやILOの経験に基づいて試験的に実践した結果、CBRはユニセフ、赤十字、セイブ・ザ・チルドレンやヘレンケラー・インタナショナルなどの障害関係団体に途上国で推薦されてきた。現在はアフリカ、アジア、南米、オセアニア、カリブの諸国でみられるに至った。10年に及ぶ実践歴をもつ国もある。
CBRの特徴は、
(1)障害予防、リハビリテーション、障害者の機会の平等化に必要な条件を満たし、その資源を生み出す基盤として、コミュニティ(地域)を考える。
(2)外からのサービスを受動的に受け入れるのではなくて、障害者自身を含むコミュニティのイニシヤティブが尊重される。
(3)コミュニティ・サービス提供者と政策担当者の協力、連携のもとに、提供されるサービスは統合的で廉価なものとなる。
機会の平等化という観点から、CBRは先進国の自立生活運動と肩をならべて論じられてきた。アジアの途上国を例に取り、障害者施策のコーディネーション、コミュニティの発展、障害者の人的資源開発の側面にたって、機会の平等化におけるCBRの意義について考えてみたい。
アジアの途上国は最近やっと障害者問題に注目し始めた。しかし障害者のためのプログラムは少なく、その効果は限られている。例えば資源が乏しい国々は経済成長を維持していくことが急務であり、往々にして障害者問題は無視されているし、都市のスラムや農村社会と都市全体との格差を放置している国々では、一握りの都市生活者しかリハビリテーションが受けられないでいる。
その中で小規模ながら各地で発展してきたCBRのアジアでの実践例を総括してみたい。表1のように、(1)WHOのマニュアルに提示される各種の障害者を対象としたもの、(2)主体となる団体の援助条件に基き障害児を対象とするもの、(3)同様の制約をうけて肢体不自由や視覚障害など一種類の障害のみを対象とするもの、に分類できる。
国名 | 実施場所 | 実施者 | 形態 |
中国 | 広東、山東、吉林、四川、内蒙古などの6州 | 政府が公衆衛生と市民問題・福祉の部局を通して | 1986年に広東で都市を中心にパイロット・プロジェクトが実施され、他の5つの州にひろがる。WHOのマニュアルをもとに、プライマリー・ヘルス・ケア(PHC)のワーカーが精神障害者も対象に入れて行う。 |
韓国 | ソウル市他2カ所 | 保健社会問題省の指導で韓国リハビリテーション協会 | 1985年にまずソウルの困窮地区で。WHOのモデルを使用。 |
香港 | WHOモデルに従い、都会型のCBRをめざして1988年より始まる。 | ||
フィリピン | バコロッド市 | ネグロス・オクシデンタル・リハビリテーション協会 | 1982年にWHOのマニュアルを使ってフィリピン総合病院と障害者に関する全国委員会(現NCWDP)の指導で始まる。各種の障害者が対象。アジアでの成功例として有名。 |
マニラ市他 | 社会福祉開発省 | ILOの指導のもと職業リハによる障害者の自立を目的とする。 | |
ベトナム | ホーチミン市、ティエン・ギアン、ハイフォン、ビンプ | 保健省児童健康保護研究所 | スウェーデンのレッドバナー(セイブ・ザ・チルドレン)の援助で1987年に南を中心に始まり、北へと発展。WHOのマニュアルに基づく。 |
ソントイ | 労働・社会問題・障害者省 | ユニセフの指導で北で1988年に始まる。 | |
ラオス | 全国17州のうち13州 | 国立医療リハビリテーション・センター | 1978年からWHOの指導で始まったが、リハビリテーション・セラピストの養成、派遣に重点をおく独自のスタイル。 |
タイ | コーラット県、ウドンタニ県 | タイ障害児協会 | 1985年にコーラットから身体障害児を対象に始まる。 |
ミャンマー | WHOが80年代初めに導入し一時かなり発展したが、現状は不明。 | ||
インドネシア | 東ジャワ、南スマトラ他4カ所 | 社会問題省社会問題局 | 1979年よりLBK(コミュニティで障害者にサービスを提供する中心組織)を基盤としてILOの指導のもとに職業訓練を中心に行われた。 |
スラカルタ(ソロ)市 | YPAC | 理学療法専門家により始められ、アジアの成功例の一つとなっている | |
ネパール | バクタプール市 | バクタプールCBR委員会 | 1986年ユニセフの指導で始まる。各種の障害児の対象としている |
カトマンズ | ネパール障害者協会(NDA) | 国連ESCAPの援助のもと1988年より始まる。 | |
ロータハット | ネパール盲人福祉協会(NAWB) | 世界盲人協会(WBU)の援助で、視覚障害者の歩行訓練、農業訓練、統合教育を目的とする | |
バラ | 同上 | 東京ヘレンケラー協会の指導のもと1989年より視覚障害者を対象に始まる | |
その他ヘレン・ケラー・インタナショナル(HKI)もNAWBと盲人対象のプロジェクトを最近開始した | |||
インド | ケララ州 | WHOのモデルを使い、成功例といわれている | |
その他視覚障害、身体障害など一定の障害を対象にしたものが数多く存在する | |||
バングラディッシ | バングラディッシ・プロティボンディ(障害者)協会の知的障害児対象の地方センター、ABC(視覚障害児援助協会)の牛の飼育による農業リハビリテーション・プロジェクト、バングラディッシ精神薄弱者協会のラングプール・ディナジプール・リハビリテーション・サービスのようなCBRに似た形態のものが存在するだけである。 | ||
パキスタン | パンジャブ | ユニセフの援助による | |
アフガン難民対象のプロジェクトが開始される予定 | |||
スリランカ | ベルワラ | サルボダヤ | WHOのモデルに従う |
クルネガラ | WHOのモデルに従いあらゆる障害者を対象に1984年に始まる。IHAP(国際人的援助プログラム)が援助する。 | ||
ブータン | 西部 | レプロシー・ミッション | ハンセン病者を対象に、職業指導と医療を行う |
モルディブ | 国連ESCAPの援助でプロジェクトが現在立案中 |
注) 正確な資料がないため表では省いたが、その他にCBM(キリスト教盲人ミッション)やRCSB(英連邦盲人協会)が指導する盲人のためのプロジェクトが南アジアを中心に各地に存在する。
表1にリストアップしたものの中には、地域レベルでのみ活動が行われていて国や県、市のプログラムとの調整に欠けるものや、リハビリテーション施設のアウトリーチ・プログラム(訪問サービス)などの、まだ本来のCBRの概念に一致しないものもある。しかしそれがCBRと名づけられている限り、将来他のサービスと連繋し強化され、有効な障害者政策の中心となるとの期待をこめて掲載した。
CBRはリハビリテーションの分野における開発プログラムであり、対象は障害者のみでなく障害者を含むコミュニティ全体である。それゆえ障害者問題は統合的に取り組まれるようになる。
1.コミュニティのみでなく、市町村、県レベルまでが実施にかかわってくるので、CBRは障害者のリハビリテーションの枠をこえ、コミュニティの障害予防、障害者を含む弱者の機会の平等化を目的とする総合施策である。
ネパールでは障害関係の部所をもたない政府に代わって社会サービス調整全国会議(SSNCC)が、CBRの立案、評価などにかかわっている。そのためコミュニティではケアしきれない整形外科手術は、SSNCC傘下のネパール障害者協会附属の病院に紹介(リファーラル)され、コミュニティの活動は各レベルでの支援があって成りたっている。また横のつながりとしては、学校をまわっての障害者理解のための啓蒙活動、母親を集めて子供の下痢の際の経口水分補給法の講習会なども盛んである。
2.CBRには専門分野の壁をこえた協力体制が不可欠なため、一つの省庁のみでなく関係省庁、障害関係団体、特に当事者団体も参加して取り組む。
フィリピンでは障害者政策の中心的調整機関として存在するNCWDP(全国障害者福祉協議会)がCBRの発展に寄与している。健康、教育、労働、司法、交通、住宅、社会サービス等の担当省庁、関係民間団体、当事者団体の代表者から成り、各レベルでの障害関係施策を把握して、CBRを支援している。その主たる活動は
(1)CBRワーカーの訓練にあたる指導者の養成
(2)資金づくりのノウハウを教える講習会の開催
(3)総合的活動計画づくりの基礎となる障害者問題総覧の作成
(4)CBR提供団体へコミュニティで利用可能な情報、技術の伝達
(5)障害者問題の啓蒙-マスコミやその他のメディアの利用、セミナーの開催、啓蒙資料の配布
(6)障害者問題に関係するすべての分野との密接な協議
(7)広範な各種障害者のニードをみたす行動計画の作成
CBRはリハビリテーションと援助という二つの概念が組み合わされたものである。コミュニティの全員が、障害者の生活の質の向上のため援助しうる可能性をもつもので、コミュニティ全体の生活の質の向上にもつながる。
1.コミュニティ自体がCBR発展のための資源として活性化される。
CBRにおけるコミュニティの活動は
(1)障害者の生活の質を向上させる活動や団体の維持・発展
(2)リハビリテーション実施に必要な資金集め
(3)障害予防の施策の実施
(4)障害者の自宅での介助
(5)医療・保健施設への障害についての報告
(6)地元に適した商売への障害者の訓練
(7)障害者の地元での就業の世話
つまり誰もがCBRを支援する可能性をもつ。
特にコミュニティの中からボランティアとして働くために選ばれた人々は、(1)歩行訓練、自助具の製作や使用方法などの簡単なリハビリテーション、(2)障害に関しての啓発、(3)紹介(リファーラル)の方法、(4)記録、報告、フォローアップについての訓練を受ける。コミュニティを変えていく先鋒としてのCBRワーカーの仕事の重要性を示し、かつ彼らの仕事に対するプライドを高めるために、フィリピン・バコロッド市のCBRではお揃いのTシャツと日傘を提供している。
またCBRはモニタリングと評価を重視して図1のように改革していこうとしている。
図1 CBRの再プログラミング
実際に顕著な発展を示しているCBRを訪れて感じるのは、CBRワーカーのみでなく大工、教師、自転車修理屋など雑多な人がCBRにかかわっていて、障害者も家の内外で何かの仕事をもっているいきいきしているコミュニティの雰囲気である。
2.専門家のみが有していた知識・技術がコミュニティに分け与えられ、誰でもが簡単に手に入れられるようになる。
一般には、知識・技術は各国のニードに基づいて作成したCBRマニュアルに基づいて、訓練コースで伝えられる。アジアで主として使われているマニュアルは、WHOの「コミュニティでの障害者訓練」とデビッド・ワーナーの「医者が誰もいない所で」の2つである。
コミュニティに伝えられるのは、
(1)障害の発見方法
(2)予防とリハビリテーション-早期治療、体操、母乳による育児、保健活動、栄養維持、衛生管理
(3)自助具、補装具の製作や住宅および環境改造の技術
(4)教育や職業訓練、雇用の機会を障害者に利用できるようにする知識・技術
ハンディキャップ・インターナショナル(旧OHI)は途上国への技術移転を目的に設立された団体である。身体障害者の自助具、補装具づくりのための技術者養成やCBRワーカーの訓練を目的としている。タイの難民キャンプなどで見られるように、特に障害者自身を訓練している。
3.コミュニティの障害者に対する理解が深まり、態度そして意識が変革される。
CBRの浸透により、障害者は苦難を克服した偉い人との称賛や、何もできないかわいそうな人とのあわれみや同情などの従来の価値観をこえて、客観的に一人の人間として評価し、彼らの特別のニードが理解できるようになる。
これは事実に基づいた正確な障害に関する情報が広められたからであり、身体障害や視覚障害のみでなく、聴覚障害、知的障害、精神障害など目に見えない障害をもCBRが対象とし、障害者を保護、管理しようとするような慈善の要素を否定しているからである。
コミュニティのCBR委員会には必ず村長、僧侶などの地元の指導者がメンバーとなって障害に関する教育の先頭にたっていることも、意識の変革に役立っている。
施設でのリハビリテーションは、受けられる人数に限りがあること、一定の障害しか対象としないこと、リハビリテーションの計画が障害者と専門家との充分な協議のうえに作られていないことなど、問題が多かった。それゆえCBRは一人ひとりの障害者が障害の種類に関係なく、自分の生まれ育ったコミュニティであらゆる活動に参加できることを目指している。
1.CBRは障害児が地元の普通校で教育を受けることを奨励し、そのための支援をする。
重度障害児、特に重複障害児には統合教育は難しいが、その他の障害児は普通の教育環境で勉強できることをCBRは証明している。このためには、障害児に点字、手話を教えたり、通学に必要な歩行器を提供したりする他に、教師養成課程の一つに障害児のニードや特殊教育に関する項目を入れておくことが必要である。
前述のネパール・バクタプールのプロジェクトでは、聴覚障害児のために定期的に聾学校から派遣された教師が発語の訓練を行っていた。
2.障害者がコミュニティの社会的・経済的状況にそった職業能力を身につけることができる。
従来の職業訓練施設は都市に建てられていたので、地方から入所した障害者はせっかく技術を身につけても、それが地方では需要の少ないタイプや電気器具修理、洋服の仕立てなどであったり、また障害者自身が訓練修了後も不便な田舎に戻りたがらないこともあって、彼らの職業能力がコミュニティの発展に貢献しないことが多かった。
インドネシアのスラカルタ市のCBRでは、コミュニティが場所とノウハウを提供し、コミュニティに不可欠な雑貨店を経営させていた。スナック類から飲物、石けんなどの商品がおいてある店は村の中心にあり、いつも何人かがたむろしていた。
CBR委員会はコミュニティの社会的・経済的状況に精通しているので、視覚障害者に藤の籠を編ませたり身体障害者に補装具を作らせたりするような従来の職業訓練方式にとらわれず、地元のニードにそった職業をアドバイスすることができる。障害者が一般工場に就職したがった場合には、雇用者の啓蒙、説得、作業場の改造の相談などのかたちでの支援も可能である。
表1からも分かるように、CBRプロジェクトのほとんどがまだ短い歴史しか持っていない。既存のリハビリテーション・センターが維持・管理に資金がかかりすぎて障害者への直接投資分が少ないとの反省から、WHOモデルは施設づくりを否定している。しかし、コミュニティ・センターなくしてはCBRは発展できないというWHO批判派も数多く存在する。またWHOのモデルは医療面に偏りすぎているため、ILOはCBRというよりCIP(コミュニティ統合プログラム)として障害者へのサービスを考え直そうと提案している。WHOもマニュアルの欠点を補うべく、障害者の社会参加を強調した続編を準備中である。
CBRは有効な手段なのか。首都から離れた辺ぴな地に住む数多くの障害者が、リハビリテーションによって希望を取り戻している。職業をえて自立した障害者は、コミュニティに堂々ととけ込んでいる。CBRによって発言する場を保証された障害者は、自分たちの組織をつくり始めた。それは自助団体であり、社会啓蒙も行い、政治団体として政府に提言も行っている。
どのCBRの方法が最も効果的であるかの評価は、障害者がいかにコミュニティに統合されたかを第一の規準とすべきである。機会の平等化を追求していくなかで障害者のリーダーシップが育まれたか否かかも、ポイントであろう。
真のCBRでは、欧米の自立生活運動をつくりあげたような力強い障害者の権利擁護が、障害者の間から出てくるはずである。既にバコロッドのCBRでは、外国での資金づくりに走りまわると同時に、障害者の声を集めて内側からCBRを改革していく障害者のリーダーが育っている。CBRが最終的には自立生活運動の道を歩むのか、それともアジア的なすべての人を引き入れた大家族主義的なアプローチを試みるのか、CBRが急激に発展している国もあり、早ければ5年以内にその答えが示されそうな気がする。
参考文献 略
*障害者問題コンサルタント
(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1990年6月(第64号)22頁~27頁