〈報告〉 「国連・障害者の10年」における 欧米諸国の障害者対策の状況

〈報告〉

「国連・障害者の10年」における 欧米諸国の障害者対策の状況

―報告書「欧米における障害者対策の動向」から―

奥野英子 *

 国連・障害者の10年において、世界各国において、様々な運動、変革、前進がなされたが、これらの動向について、総理府障害者対策推進本部が日本障害者リハビリテーション協会に調査研究を依頼し、その報告書が平成3年3月に「欧米における障害者対策の動向」と題して作成された。この調査研究は日本女子大学小島蓉子教授が中心となって実施されたが、本稿はこの報告書を要約し、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、ドイツ、デンマークの6ヵ国の状況をまとめた。

1.アメリ力

 アメリカにおける障害者福祉を形成する重要な基本立法は、①リハビリテーション法(1973)、②全障害児教育法(1975)、③発達障害者援助権利法典(1975)であったが、1990年7月26日に制定された「障害をもつアメリカ人法(Americans with Disabilities Act=ADA)」が、アメリカにおける「障害者の10年」の期間中のハイライトと言えるであろう。同法は全米の障害者リーダー約3,000名が力を結集し、5年間にわたる立法化運動をしてきた成果であった。

 同法は1964年の公民権法と1973年のリハビリテーション法第5章を結合させたものと言え、具体的には、①雇用、②交通機関、③公共施設、④電気通信リレーシステム、等における機会均等の保障を規定している。

 ADAの制定以外の動きとしては、1983年に「テクノロジー関連障害者援助法」を制定している。同法は、障害者の自立生活を支えるために重要な補助機器やサービスを普及させることを目的としており、連邦政府が州に対し補助金を給付し、官民双方のプログラムの発展をめざしている。

 また、1988年に制定された「公正住宅法」を1991年に改正し、共同住宅を建設する場合、障害者が利用可能であり、また改造可能なものとしなければならないという建築基準が決められた。

 以上のような各種法改正により、アメリカにおいては、障害をもつ市民の権利保障が、この10年間に着実に推進されたと言えよう。

2.カナダ

 1980年にカナダにおいて第14回リハビリテーション世界会議が開催されたが、それを機に障害者自身による自助運動が高まり、その影響により、障害者福祉を阻んでいるもの(Obstacles)は何であるかを分析するための特別委員会がカナダ政府の中に組織された。同委員会は100項目以上にわたる政策を提言し、それを1980年代のカナダの法・行政・福祉サービスの発展の原動力としようとした。その基本原則は①最大限の参加、②物・心両面のアクセス作り、③障害者は生活者であり消費者であるという認識の推進、であった。

 国際障害者年以降、カナダにおいて障害者に関する法律の動きとしては、「権利と自由の憲章」(1982)、「雇用均等法」(1986)、「障害者職業リハビリテーション法」(1987、改正)、「全国交通法」(1988)、「雇用均等法」(1991、改正)などがあり、雇用の促進に力を入れてきた。カナダにおける80の障害者団体によって構成されているカナダリハビリテーション協議会は、障害者を能力に欠ける者(disability)と呼ぶ言葉への反語として「能力文化(Caltlure of Ability)」という概念を打ち出した。この基本概念に基づき、雇用、運輸、交通、住宅などの機会均等の保障を推進してきた。

 1989年6月にはカナダ大統領が「障害をもつ人々は、地域社会のすべての人々が享受している、日常生活の基本的な領域における行動の自由を保障されなければならない」と声明を発表し、「全国アクセス認識週間」をスタートした。また、カナダの国民的英雄となっている車いすの世界旅行家リック・ハンセン氏を記念する賞が創設され、この全国アクセス認識週間の行事として、「能力文化」の5大事業(交通、住宅、雇用、レクリエーション、教育)の領域において優れた実績をあげた地域を表彰するようになった。

3.オーストラリア

 オーストラリアの障害者の10年は、1988年の200年祭(キャプテン・クックによるオーストラリア大陸発見から)に当たったため、一層意義深いものとなったようである。

 オーストラリア統計局は、1981年に「オーストラリアにおける障害者」という調査を実施し、これは、政策立案にとって貴重なデータとなった。引き続き、1988年には、「オーストラリアにおける障害者と高齢者」の調査が実施され、彼らのニーズと援助についての情報を得るための貴重な資料となった。

 1986年に制定された「障害サービス法(The Disability Services Act)」により、多くのプログラムがスタートしたが、具体的にあげると、①生活の場の支援、②権利擁護運動、③一般雇用を促進するための訓練・就職あっ旋、④自立生活訓練、⑤情報サービス、⑥広報活動、⑦レクリエーション、⑧援助付き雇用、などである。

 アクセスに関しては、1988年に「アクセスと移動のための建築基準」がまとめられ、これは、同年と1990年に交付された「オーストラリア建築規則」の中に取り入れられた。また1990年には、障害者の雇用を促進するために、「年間優良雇用賞」を創設した。

 現在オーストラリアでは巨大な施設で生活している障害者はほとんどいない。地域の中で生活するグループホーム(4人位が理想)が多くなり、1986年には在宅介助サービス制度が導入された。本制度は16~64歳までの障害をもつ人々が介助者を雇用できるものであり、その費用は政府からサービス機関に対して支払われる。また、公共交通機関として、ステップリフトバスの導入、タクシー料金補助制度もスタートした。

4.イギリス

 イギリスでは1970年の「慢性疾患・障害者法」が重度障害者対策の基本であり、地域ケアが充足されてきたが、1986年に「障害者(援助、助言、代表)法」が制定された。同法が慢性疾患・障害者法に基づくサービスに対する障害者の権利性を強化し、地域ケアについて要否を決定する評価の過程に障害者の代表が参加したり、助言を受ける権利を規定した。

 1988年には政府により「自立生活基金」が創設され、これにより、重度障害者は定期的または一時的な助成金を活用でき、地域ケアサービスを購入できるようになった。創設された年には政府はこの基金のために135万ポンド(約3億4,000万円)を準備したが、ニーズが拡大し、1990~91年度は6400万ポンド(約160億円)が必要とされた。

 教育の面では、1981年に統合教育を推進するための「教育法」を制定した。同法は、障害児ができる限り普通学校で教育を受けられることを保障すると同時に、重度、重複、精神障害等により特殊学校のサービスを必要とする児童にはそのサービスも提供することを規定している。同法により親権者は子供の教育への大幅な選択が保障されるようになり、現在は、障害をもつ児童の約3分の2が普通学校で教育を受けている。1990年には「教育(学生ローン)法」が制定され、高等教育を受ける学生への経済的援助がローン制度となったが、障害をもつ学生に対してはその返済時期を遅らせたり、延長できる措置が認められた。

 雇用対策としては、1983年に「障害者雇用助言サービス機関」が設置され、雇用主との協力により、障害者雇用を促進するための見直しをすることを目的とした。また重度障害者に対しては、1985年に「保護就労制度」が導入され、従来の保護雇用の場を拡大し、一般企業の中での保護的就労の場を用意し、政府が賃金補[填]するようになった。

 交通面では1985年に「障害者交通諮問委員会」が設置され、バス、国有鉄道、各種列車を車いす利用者に利用しやすくする方策を検討・実施した。1988年から新規タクシーの車両はすべて車いす利用者や歩行障害者、視覚障害者が利用しやすい設計になった。

5.ドイツ

 1990年10月の東西ドイツの統合は、障害者対策に対してどのようなインパクトをもたらすかが大きな関心の的となっている。

 従来から西ドイツは社会保険制度を基盤とする社会保障体制を取ってきた。その中で障害者に対するリハビリテーションは、各制度の付加的業務として実施されてきた。

 リハビリテーションに最も関係している「健康保険法」が1988年に改正され、これにより、障害の早期発見、治療、リハビリテーションへの移行がよりスムーズになった。医療の中には、①通所で利用できるリハビリテーション、②通所型のケア、③リハビリテーション施設への入所、等が含まれており、在宅の重度障害者に対しては訪問介助サービス、家事援助サービスが提供されている。

 1992年に「年金保険法」が改正され、「年金の前にリハビリテーションを実施する」ことが基本原則として明記された。年金保険は医学的リハビリテーション、職業的リハビリテーション、補足的給付を支えている。この年金保険は被保険者ができるだけ長く働いていられるような給付を用意するとともに、できるだけ早く職場に復帰するためのリハビリテーションを受けることを促進している。

 雇用については、1989年に連邦政府は①職業訓練と職業リハビリテーション、②重度障害者の就労状況に関する報告書をドイツ議会に提出した。障害者に総合的な職業訓練を実施することにより、恒久的労働の場を確保し、できるだけ広範囲に渡る機会均等を実現することをめざしている。

6.デンマーク

 1980年代は経済低成長で失業率が高くなり、不況の時代を迎え、これまでに発展させてきた社会サービスの運営が厳しくなってきた。現在、世界中の福祉の基本理念となっている「ノーマライゼーションの原則」はデンマークから生まれたが、それを守って福祉・リハビリテーションを実施するために、①福祉サービス利用者の自発性・自己責任、率先力を重視する、②援助システムのコオーディネーション、③予防対策、④共同住宅の場を用意し、“脱施設化”を目標にかかげた。

 「全ての人が可能な限り普通の生活をできるようにする」を実現するために、この障害者の10年の間に、家庭生活、教育、雇用、住宅、文化的活動、レクリエーションなどの領域において、前進がみられた。

 障害者サービスの実施責任が州当局から郡当局に降されたことに伴い、1980年に「全国障害協議会(The National Handicap Council)」が設立された。同協議会は行政効果を評価し、法改正への提言を出し、障害者サービスの諮問機関の役割を果たしている。この構成メンバーは、障害者当事者団体の代表、地方当局、福祉、保健、教育、文化領域の政府代表、住宅、地域計画、交通、職場環境、雇用領域の専門家等であり、大きな影響力をもっている。

国連「障害者の10年」を通じての世界先進諸国の政策進展の要点
(分析:小島蓉子)
アメリカ カナダ オーストラリア イギリス ドイツ デンマーク
法律 公民権法とリハビリテーション法の主旨を受け継ぎ、それまでに成立した個別法によって改められなかった差別の変革を、障害者運動を力に、小さな政府でできる最大限をADA(1990)で達成した。 1982「権利と自由の憲章」の改正
1986「雇用均等法」
1987「職業リハビリテーション法」改正
1988「全国交通法」
1991「雇用均等法」改正
1986「障害者サービス法」次の政策を協調して制定
1)生活の場の確保
2)権利保護運動
3)雇用拡大
4)自立生活訓練
5)情報とその手段の普及
6)出版援助
7)レクリエーション
8)余暇活動
「移民法」改正による障害者家族の受け入れも可能となる。
1986「障害者(援助・助言・代表)法」
1990「国民サービス及びコミュニティ・ケア法」の成立
脱施設化による地域自立に向けて政策の全面転換。
1988「疾病保険法」改正
訪問リハビリテーションと介助、強化される
1990・10・3東西の合併と西側政策への普及始まる。
高齢者と障害者対策を合体させてのリハビリテーションの推進
「障害者の10年」以前の政策実践の上に新たな政策の展開
1980「デンマーク年金法」を統合行政サービスの権限を地方公共団体に委譲
雇用 有資格の障害労働者には無理のない受け入れ体制を命じたこと、受け入れのための環境、時間、職業などの調整の必要性高まる。 「最低賃金法」の適用外にあった保護工場就労を同法の適用内に改め、障害者を低賃金より解放。 援助付き雇用の前進、雇用奨励のための「年間優良雇用賞」の制度を確立した。 ・雇用率3%の維持、雇用計画書の提出を従業員250人以上の事業所に義務づける。
・「ホスト事業所」による就労奨励
・「雇用リハビリテーションセンター」を廃し、「移動評価チーム」とする。
東側諸州の職業リハビリテーション急速に進む。 保護雇用に公的財源で補給する
教育 大学、短大、専門学校などでの障害者受け入れが一層前進。 高等教育の受け入れの強化が物理的にも、教育内容の面でも前進した。 特殊教育、統合教育及び前2者のリカレント方式の障害児教育進む 1981「教育法」のもとで統合的な教育施策に進展がみられた。
これまで無償の授業料が国家からの返還義務を負う奨学金にきりかわる。障害者の就学ローンは返済期限を延期しても返済の義務をつける。
通信教育を障害者に普及させること。
大学建物構造の再検討盛ん。
統合教育一段と進む。
教育機関選択権は、本人と親たちにあるとされる。
交通アクセス 交通機関へのアクセス改善のための、車輛、駅、車のすべてを利用できるよう、年限を切って指示した。 6月を「アクセス週間」として全国レベルの交通機関改革キャンペーンに乗り出す。 1977「建物基準」を、1988「アクセスと移動設計に関するオーストラリア基準」に改正した。航空会社職員への障害者介助訓練の導入 1985「交通諮問委員会」により、バス・タクシーなど公共交通機関のアクセス化進む。 地域自立生活者に公共交通を解放
全国障害者協議会が、アクセスの積極化を助言
地域自立 1988「公正住宅法」改正は障害者と母子家庭を配慮した。
ADAに連動し、「公正住宅法」のもとで1991・3以降に建設されるすべての集合住宅は建築基準により、アクセプタブルたるべしとされた。
脱施設化の急速な進行。
障害者にアクセシブルな住宅供給が強化さる。障害者を受け入れる社会を象徴する「能力文化」なる新語が流行する。
在宅サービスの充実により、施設収容者人口がハーフウェーハウス又はグループホームに移動する。
家族介助者を支援するファミリーサポートの具体化が急務。
・1988「自立生活基金」創設
・心身障害者住宅の選択の幅が広がる
・グループホーム、アパート、ケアハウス、共同住宅などの供給民間団体が多数派生
障害者自立促進の強化政策
1)住環境改善
2)家族介助の負担軽減
3)移動
4)税の減免
5)レクリエーションと文化事業
6)自助団体への補助
7)社会的啓発活動
・自宅改造、無障壁の家屋購入の際、障害者に補助金と住宅そのものの供給
・ホームヘルパー、介助人の雇用に市町村が助成金
・母親の保養制度保障される
・有料介助システムにおけるオーフス市モデルは北欧の典型
科学技術 1934「コミュニケーション法」がADAに連動して改正され聴覚障害者へのコミュニケーションのための特殊電話を普及させるべく電話会社に命じる。 高齢化社会のニーズに合わせたハイテクの福祉利用が緊急課題となり、連邦費用で「カナダ高齢者機器開発センター」設置される。 コンピュータ技術を言語障害者、聴覚障害者の世界に全面導入。
ハイテクが自立生活をうながす。
東側諸州へのリハビリテーション工学の導入盛ん。 リハビリテーション工学の進展は職場、学校、家庭に普及
イベント 1990年7月ブッシュ大統領、3,000人の障害者の目前でADAにサイン リック・ハンセン氏を記念しての「全国アクセス認識週間」1989年6月より始まる。 建国200年祭に合致して1980年は政策強化の記念の年とされた。 東西のギャップの中での社会資源の掘り起こしに、「ドイツリハビリテーション協会」の地域組織化事業が多大の貢献。
改革のモデル トータルな権利保障型 プログラム改革型 地域ケア型 半身開発型 普遍的社会保障制度からのサービスくり出し型

 *国立身体障害者リハビリテーションセンター


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1992年7月(第72号)33頁~37頁

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