特集/リハビリテーションにおける国際技術協力 今、途上国で盛んなCBRに目を向けよう

特集/リハビリテーションにおける国際技術協力

私の提言

今、途上国で盛んなCBRに目を向けよう

小林明子

はじめに

 私は、政府開発援助(以下ODAと略す)の一環である青年海外協力隊員(以下協力隊員と略す)として、マレーシアで障害者福祉分野の仕事をした。帰国して6年後の昨年、マレーシアのリハビリテーション(以下リハと略す)関係隊員の15年間を調査・研究する機会を得た。

 1992年までにマレーシアに派遣されたリハ関係隊員職種の内訳は、PT・OT・養護(養護学校教諭・施設指導員等)である。分析の結果、この15年間に現場の状況や障害者に対する政策に大きな変化がみられ、それに伴って協力隊員の仕事内容や派遣場所にも変化がみられた。

 変化の背景に、1981年に始まった「国連・障害者の十年」がある。この10年に、国連は途上国の障害者援助の方法としてCBR(Community Based Rehabilitation:地域開発の一環である地域基盤型リハ)の考え方を生み出し、定着させていった。

 そこで本論文では、リハ分野の協力隊員の活動とこれまでの日本のリハ分野における国際協力をCBRを軸に分析し、私論を述べてみた。

Ⅰ マレーシアにおけるリハ分野の協力隊員活動の15年間の分析

  • 1.マレーシアの障害者のおかれている状況
  • 1)障害発生率は人口の約10%で、その7~8割は農村部に住んでいる。
  • 2)障害の早期発見・治療・教育・リハを行える専門機関・専門家は、大都市に集中している。
  • 3)交通・通信網の未発達により、地方に住む障害者がリハを受ける機会は少ない。
  • 4)公的な福祉制度が皆無に近く、障害者の生活は家族の保護または自助努力による。
  • 5)重度身体障害児は、放置され死に至ったり、生涯施設で生活をしている者が多い。
  • 6)公私とも収容型施設の数は少なく、どの施設も常に多くの待機者をかかえている。
  • 7)車イス・義肢や補装具などを自国で生産するための設備が少なく、普及率は低い。
  • 8)障害者自身が組緯した団体は少ない。

2.協力隊員の派遣の特徴

 マレーシアにおける当分野の派遣総数は、1976年~92年までの43名で、第2位のホンジュラスの13名を大きく上回る。

 1986年以降、養護関係の隊員が急増する。これは、隊員派遣の世界的な傾向であった。以後、同時期にリハ関係の多職種が連携をもちながら仕事をすすめた。派遣場所は、1989年頃までは入所型施設中心だったが、以後、福祉事務所やデイケアセンター等の地域へと拡大している。この背景に、CBRが施策として取り入れられたことが影響している。(図・写真/集団あそび指導中、協力隊員OT(ペナンCBRデイケアセンターにて)略 参照)

図 協力隊赴任先の変化(マレーシア)

図 協力隊赴任先の変化(マレーシア)

Ⅱ 日本のリハ分野の国際協力に関する提言

1.CBRを軸にした協力内容の実施

 これからの障害者援助の潮流はCBRである。マレーシアにおいて、1989年以降の協力隊の援助の方向は、その中軸にCBRがおかれている。国内に潜在障害者や施設への待機者が多いこと、リハ専門家が少なく、農村部の障害者がリハを受けられる機会がないこと等を考え合せれば、地域で展開されるCBRの重要性が理解される。これはマレーシア近隣諸国においても同様である。CBRを実施する際、第一に、CBRワーカー(実施者)の確保が必要である。その量的な確保だけでなく、質の高いCBRワーカーを養成することも重要である。今後は、この部分での役割が拡大してくる。そこで派遣される人は、CBRの概念や実践方法を理解しておかなければならない。そのために、日本で実施されていないCBRの理論と構造の研究が必要である。

2.様々な形態の障害者援助に共通するCBR

 リハ分野における日本の協力は、ODA・NGO共に主に大別して三種類あり、1)人材派遣、2)研修生の受け入れ、3)プロジェクト方式によるリハセンターやリハ機材の提供である。これらの援助にCBRを当てはめてみる。

1)人材派遣

 NGOにおいては、CBRを目的にした人材派遣の協力活動が数年前から既にみられる。最近の具体例として日本PT協会がインドネシア・ソロCBRセンターを中心にPTを派遣する事業をあげる。同協会は今年、CBR中心の海外協力セミナーを開催し、今後5年間1年間2名のPTを送る。任地では地域の障害者への理学療法やCBRワーカーに技術指導を行う。

 ODAでは、前述の協力隊員派遣が主流であるが、必ずしもCBRの考えを取り入れた派遣のあり方になっていない。

2)研修生受け入れ

 この形態はリハ分野において最も多い協力である。ODA・NGO共に、これまでの研修生は施設や病院、学校の教員で、研修の受け入れ機関もやはり同様であった。しかし、CBRという視点を入れて考えると、対象となる研修生は障害者自身、地域の指導者やボランティアにまで拡大される必要があり、研修先は福祉事務所・障害者団体・親の会や作業所等、より地域に密接にかかわる活動にも目が向けられるべきである。

3)プロジェクト方式

 CBRの理念を基にするならば、巨大なリハセンターを都市部に建設し、最先端の機材を提供するこれまでのODA方式は、改めるべきである。CBRにおいても、センターとなるべき拠点は必要である。しかし、それは地方で地域を細かく分割して存在するので、小規模で数多い援助が必要となろう。

Ⅲ 研究の必要性

 1992年に国連・障害者の10年に引き続き、アジア太平洋障害者の10年が開始した。1989年以来、日本のODA総額は世界一になり、リハ分野の国際協力の占める割合も増えている。今後は専門的な実践のみならず、派遣前の教育、実践前後の評価、相手国の福祉事情の調査や国際協力手法等を研究する必要があるだろう。その際、今、アジア・アフリカ・中南米の各国で盛んなCBRを取り入れた国際協力の研究がますます重要になると思われる。また、地域住民主体のCBR活動研究を通して細分化され、技術主義に走りがちな日本のリハを見つめ直す機会が与えられるという利点もある。

 本論文は、以上のような背景を踏まえ、日本のリハ分野の国際協力の私見をまとめた。

参考・引用文献 略

アジア福祉研究所主催 東海女子大学非常勤講師


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1993年12月(第78号)25頁~27頁

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