特集/リハビリテーションにおける国際技術協力 リハビリテーションにおける国際協力を考える三つの視点

特集/リハビリテーションにおける国際技術協力

私の提言

リハビリテーションにおける国際協力を考える三つの視点

池住義憲

 三つのことを指摘して、ご一緒に考えたい。これらは、みな、リハビリテーションにおける今後の国際協力を考える時の重要な視点でもある。

1.障害をもつ人ともたない人を分ける考え方と国際協力

 私たちの中には、障害をもつ人ともたない人とを分け、対比して考える傾向がある。その考え方の背後には、半意識的および無意識的であれ、人間を能力という物差しで計って価値評価する人間観がある。人間を、その存在において評価しないで、その能力において相対的に評価してしまう。競争社会、効率至上主義の社会では、こうした能力主義が当然のように固定化されている。

 こうした考え方は、国際協力の中で、障害をもつ人を協力される側・援助される側(サービスの受け手)、そして障害をもたない人を協力する側・援助する側(サービスの与え手)へと導く。障害をもつ人はいつも国際協力の対象としてみなされ、決して地域づくりの主体者・主役としては考えられていない。対等な関係にはなっていない。

 私は去る1993年3月発行の「リハビリテーション研究」75号に掲載されてあった樋口恵子さんの文章に目がひかれた。樋口さんは障害をもつ人の自立運動の中で明らかになったこととして、「障害は個性、障害はキャリア、障害はパワー、エネルギー、障害をもった体は社会の動きに極めて敏感、障害は社会変革の力…」と記している。

 障害を善悪と結びつけて価値評価するのでなく、障害を個性・キャリアとして受けとめ、そこから自らの力、パワー、エネルギーで「新しい生き方」を創っていく。障害をもたない人が時として不必要な、不適当な“配慮”や“親切”、“思い込み”から発信する国際協力でなく、障害という個性、キャリア、力をもっている人から発信されていく。地域の中でその他にさまざまな個性、キャリア、力をもっている他の人たち(ここではあえて“障害をもたない人”とは言わない)が、それに呼応して、対等な立場、関係で「協働」していく……。そうした時にはじめて、「受け手―与え手」の上下関係による国際協力から、「対等な協働作業」としての国際協力が可能になっていくのではないかと思う。

2.「新しい生き方の構築」としてのリハビリテーション

 リハビリテーション(Rehabilitation)という英語の表現はふさわしくない、と日本福祉大学教授の冨田先生から聞き学んだ。「Re―」とついているところから「もとの良い、正常な状態に戻す、近づける」というように理解しがちだ。ここにも、あるひとつの価値基準に基づいた価値評価(差別)がなされている。元の状態が良く、美しく、善であって、今はそうでない、とする考え方が根底にある。

 そうでなく、リハビリテーションとは、本来、「ハビリテーション(Habilitation)」であるべきだ、と冨田先生は主張された。ハビリテーションは居住環境などと訳されるが、本来の意味は「新しい生き方の構築」であるという。地域社会にいる異なった能力、知識、技術、力をもった一人ひとりが「新しい生き方」を構築していくことである、という。

 「リハビリテーションにおける国際協力」というとすぐに技術協力が挙げられる。が、しかし、私は今後の国際協力のあり方・内容・方向は、「障害という個性をもっている大本人が新しい生き方を創っていく。それが可能となるような社会の状態・体制をつくっていく」ことに最主眼が置かれる必要があると思う。新しい生き方を創っていくためには、その人自身が将来の自らの人生でどのような展望、ビジョンをもっているかが大切になる。それが本人自ら発信・表明された時、それを現在とつなげて考えると、今、何をすべきかが見えてくる。リハビリテーションとは、元に、前にいたところ、状態に戻るということよりも、むしろ、今の自らの状態、個性、キャリアからスタートして新たにどのような展望、ビジョン、夢に向かって歩んでいくかの「道」、「過程(プロセス)」として考え、今後の国際協力を考えていきたいと思う。

3.「開発への過程・道」としての福祉

 福祉(Welfare)という英語の言葉は、「Wel=良い、望ましい」と「Fare=そこへ到達する道」の二語から成っている。福祉とは、望ましい開発への道程・道、というのが本来の意味であると学んだ。それは「地域開発(Community Development)」そのものでもある。このことは、前述のリハビリテーションの本来の意味と相通ずる。

 地域社会にはさまざまな内容、レベルの障害(介護を必要とする高齢者も含めて)をもった人がいる。障害分野での国際協力は、従来行われているような一部の国際機関、一部の“専門家”の“調査・研究”に基づく一律的な、一面的なアプローチであってはならない。そうした外側からの発信・発想でなく、地域社会にいるさまざまな障害をもった人本人から発信されるものでなければならない。多様な障害があるが故に、アプローチも個別的に近い多様なものとなるのは当然であろう。外側にある協力・支援団体、グループ、組織は、全てそうした内側からの発信・ニードに呼応した必要かつ可能な協働が求められている。

 福祉およびリハビリテーションの目指すところが「新しい生き方の構築」であり、「真の開発へ到達する道」であるが故に、障害をもった人たち本人から発せられたゴール・展望を聞くことなしに国際協力はありえない。障害分野にかかわる日本の民間団体(NGO)は、果たしてどれだけ地域社会の、アジアの障害をもった人たちの状況、生活、展望、夢を理解することができるか、しているか、しようとしているか? いつも新たに聞き学ぶ姿勢を持っているかどうか? 真に問われていると思う。また、そうした多様な呼応と対応による「協働」(国際協力)が求められていることから、さまざまに働きを異にする日本の障害分野で働く団体、組織、グループ間の連携、協力、ネットワークづくりが大きな意味をもってきている。

(1993年9月13日 カトマンドゥにて脱稿)

アジア保健研修所(AHI)事務局長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1993年12月(第78号)28頁~29頁

menu