特集/内部障害のリハビリテーション 障害としての内部疾患

特集/内部障害のリハビリテーション

障害としての内部疾患

村上由則

Ⅰ.はじめに

 かっては内部疾患は医療の領域の問題であり、患者自身や周囲の援助者の関わり得る対象として考えられることは少なかった。しかしながら現在のように内部疾患が慢性化する傾向が強くなるにしたがい、これまでの考え方が変わろうとしている。

 慢性疾患は、現在の医療水準においては、完治することはできないが、適切な治療・管理により、患者が生命を維持できる状態である。言い替えれば、治りはしないが、うまく治療・管理すれば十分生活することができる状態である。

 そこで問題になるのが、治療・管理のあり方である。治療・管理の内容は、疾患やその状態により違い、一概に述べることはできない。だが、慢性疾患を抱える患者の視点に立つと、治療・管理そのものや、治療・管理を支援するシステムのあり方に、共通するものが見えてくる。

 本稿では、慢性化した内部疾患を取り扱う。筆者の血友病の患者本人としての経験、病弱養護学校での教師としての経験、そして現在の病弱教育の研究者の視点から、小児の慢性疾患の代表的なものである気管支喘息、糖尿病、腎疾患、血友病などを例にあげ、慢性疾患が障害としての性格をもつこと、教育を含むリハビリテーションの関わるべき対象であることを述べてみたい。

Ⅱ.患者の行動は病状を左右する

 慢性疾患の治療・管理は、長期もしくは生涯に及び、管理面については、医療従事者よりも、患者自身や家族が多くを担う。特に、患者の社会的自立に際しては、自己管理が大きな要素となる。つまり、急激に悪化し回復も早い虫垂炎などの急性疾患と比べて、慢性疾患では患者の日々の行動が病状を左右する割合が大きいといえよう。

1.治療・管理と患者の行動

 気管支喘息は、病弱養護学校で最も多い疾患である。この疾患では、様々な原因により、気管支がけいれん・収縮し、分泌物により気道が狭くなり、呼吸困難の発作が生じる。呼吸状態は、発作の終息とともに改善され、ほぼ通常の状態に戻る。

 気管支喘息では、アトピー性素因との関連が大きいが、患者自身や周囲の者の行動もまた、喘息の呼吸困難の発生・悪化や逆に改善の重要な要素である。患者が、急に気温の低い戸外に出たり、ウォーミングアップをせずに運動をすることで喘息発作が発生することがある。このような発作は、衣類の調整などにより寒気を不用意に吸い込まない工夫をしたり、準備運動を十分にすることで防ぐことができるのである。

 次にインシュリン依存型糖尿病をみてみよう。これは生命活動に欠かすことのできない血糖の状態を調整するインシュリンの分泌不全である。患者は、血糖の状態を自分で1日数回検査し、インシュリンの自己注射や、食事の量や時間を調節する。このような治療・管理を怠ると、命に関わる事態につながる。

 血糖を検査するかどうか、適切にインシュリンを注射するかどうか、食事の時間や量を調節するかどうかといった、患者自身やあるいは周囲の援助者の行動が病状を左右する。きちんとした治療・管理を行い得るかどうかが、社会生活が可能かどうかの鍵になる。

 図―1は、気管支喘息と糖尿病における病状変動と行動的要因の関連を示したものである。治療・管理の過程のいたるところに、Yes―Noの選択という形での患者の行動が関わっていることが分かるであろう。

図―1 気管支喘息と糖尿病の病状に関わる患者の行動 

 気管支喘息とインシュリン依存型糖尿病における病状の変動とそれに関わると思われる患者の行動要因を示す。「管理するか」、「認知するか」、「対処するか」といった患者自身の行動が、病状変動に直接つながる。

図―1 気管支喘息と糖尿病の病状に関わる患者の行動

2.病気の「受容」は病状認知と管理を促進する

 障害者にとって、障害の受容はその個人の中になんらかの質的転換をもたらし、障害克服の意志はもちろんのこと、生活に対し積極的な意味をもつといわれる。このような状況は、慢性疾患でも同じである。慢性疾患の中には、受容が病状を管理する上で、非常に重要な役割を担う。とはいえ、他の障害と同様に慢性疾患でも、受容が簡単にできるわけではない。

 例えば、気管支喘息では、喘息発作が起き息苦しそうで、顔色も悪いにもかかわらず、患者の中にはまったくといっていいほど、発作の発生を認知していない人がいる。筆者の経験によると、特に中学生ぐらいの年齢段階にある子供たちでその傾向が顕著である。中には、肩を上げての呼吸、喉の下の部分の陥没などの発作の徴候を指摘しても、それを認識できないばかりか、否定することもたびたびであった。

 他の疾患でも同様である。血友病は、血液凝固に関わる因子の障害により出血が止まりにくい疾患である。その血友病の成人患者が次のように報告している。患者は出血の発生を早期にしかも比較的軽症の段階で意識するが一時的で、すぐに「出血ではない」といった感情が起き、ずるずると治療を遅らせてしまう、というのである。

 しかしながら、年齢が進み適応を獲得して、積極的な社会生活を営む患者たちは、「良い状態をできる限り長く維持するためには、病気そのものを認め、病状に変化が起きたならすぐに対処することである」と述べている。良い状態の維持は、結果的に、喘息では発作を減らし、血友病では出血の発生を抑えるといった病状の安定につながる。

 このように病気の受容は、生活や障害克服に向けた積極的な意欲との関連で重要であるばかりではなく、日常の病状管理に影響を及ぼし、病状を決める大きな要素となる。

 受容、変化の認知、対処の成否、病状といった過程を図示すると図―2のようになる。受容が治療・管理の成否と大きく関わることが、この一連の循環的関係からも改めて明らかである。

図―2 病気の受容と治療・管理の促進
 

 自分の病気をある程度受容することで、病状の変化を認識し得る。この認識により適切な対処が可能となり、病状は安定する。この安定により、患者は病気を抱えた生活を受けとめやすくなり、受容はさらに促進される。そして結果的には、さらなる病状の安定につながる。逆に受容できない状態は、変化を認知できず、治療・管理が遅れ、病状の悪化をもたらし、受容をより一層難しくする。

図―2 病気の受容と治療・管理の促進

3.病気の管理を自分が行うことの意味

 病気を受容し、身体の状況をうまく把握できるようになると、自分の行う管理が効果をもち、病気に支配される要素が減ることを意識するようになる。

 気管支喘息では、発作に早く気づき、腹式呼吸や吸入により回復すると、学校や会社を休んだり、仲間との楽しみを諦めるといった日常生活上の支障を最小限にくいとめることができる。

 血友病では、出血によって生じる初期症状を知り、血液凝固製剤を自己注射することで、通常の社会生活を十分に営むことができる。

 また、糖尿病では、低血糖もしくは高血糖状態を早期に認知し、食事を補ったり、インシュリンの適切なコントロールを行うことで、健常者に近い生活を送ることができるのである。

 ところで、慢性疾患は一般には病状がさほど変化しないものと考えられがちである。しかし、実際には患者の状態は日々変化している。「完治しない」ことと「変化しないこと」を取り違えてはならない。

 気管支喘息では呼吸機能が常時変化しているし、糖尿病では血糖値が常時変動する。血友病では、出血の発生しやすい関節の状態が生活の中で常に変化する。病状の変化が分かり難い腎炎やネフローゼ症侯群に代表される腎疾患でも、尿中のタンパクや血液の量は変動する。このような指標を取り出して患者に提示し、適切な治療・管理が確実に病状の回復と関わることを認識させることが必要である。

 例えば、気管支喘息では、肺の状態を客観的に知ることができるピークフローを患者自身が測定することで、測定しない時には気づかなかったようなレベルの軽症の喘息発作を認知し、適切に処置することができた。血友病では、軽症段階で治療し重症出血を回避した経験は、以後の出血の初期症状の認知を促進することを患者自身が報告している。この気管支喘息と血友病で確認された患者の行動変容は、疾患の特性と治療・管理の内容を考慮すれば、他の疾患にも適用できると考えられる。適用する上での基本的なポイントは、自らの病状回復に関わり得るという体験である。

 回復に患者が自ら関わったという経験は、治療・管理を他の人にゆだねていては意識できない満足感をもたらし、病気の受容をさらに促すことになる。この受容は、図に示した循環関係を通じて認知と対処をより効果的なものにするであろう。

Ⅲ.慢性疾患は障害としての側面をもつ

 これまで、慢性疾患は一定の構造をもった障害と考えられることは稀であった。これは、疾患の種類が多様であり、またある種の疾患では病状が変動しやすく構造が把握し難いためではないだろうか。それ故、「障害」の一般的なイメージを代表する感覚・運動器官の固定的な性質をもつ領域を中心に論議されてきた「障害構造」に関する考え方にそぐわない面が多かったためであろう。したがって、リハビリテーションに関する論議も十分ではなかった。そこで、慢性疾患の障害構造を考えるにあたり、その障害の状況を検討する。

 前述のように、慢性疾患は完治はしないが、適切な治療・管理により生活ができる状態である。しかし、生活行動全般が、健常者の場合と違い、疾患とその治療・管理により規制されていることは、これまで見てきた通りである。

 腎疾患を例に考えてみる。この疾患では、病状により安静が必要なために運動量が制限され、塩分や水分の摂取が制限される。この規制は、治療・管理を実施する側、つまりは医療従事者側からのものであり、患者は激しい運動をすることもできるし、また、塩分や水分も好きなだけ取れる。しかしながら、腎疾患の悪化を防ぎ、少しでも回復させるためには、患者は自己管理する立場からこの規制を守らなければならない。

 これは、他の疾患でも同じである。インシュリン依存型糖尿病では、カロリー量の制限や適切な運動量、インシュリンの自己注射は、患者にとっては積極的には「したくない」が、命を守るためには「やらねばならない」のである。

 このように、慢性疾患の治療・管理は、患者の生命を守る目的で、結果的には患者は行動の上でいろんな規制を受ける状況にあることが分かる。これは、いわゆる「障害」としての側面をもっていると考えてよい。しかし、その状況は、視覚障害や聴覚障害などの感覚系障害や、脳性マヒや脳内出血の後遣症による運動系の障害と異なる。すなわち、慢性疾患では、行動を担う器官系の異常により二次的に行動が制限される要素が相対的に少なく、逆に行動の実行過程においての制限が大きく加わるという性質をもっているのである(図―3参照)。

図―3 慢性疾患の障害状況 

 慢性疾患は、感覚器官・運動器官の障害と異なり、行動を実行する機能が障害されているのではなく、行動する能力を行使する実行過程が制限されているのである。しかし、実行としての行動が制限されるという点では「障害」の範疇に入る。図中の「○」は正常な状態を、「×」は障害されている状態を示す。この図は、村上由則(1993)「慢性疾患の治療・管理と障害としての病弱―病弱児のおかれた課題状況の分析―」(特殊教育学研究.31(2), 47―55.)に掲載された図を一部修正したものである。

図―3 慢性疾患の障害状況

 この慢性疾患の障害の状況を患者の視点に立ってみると、もう一つ別な場面状況が見えてくる。それは、自己管理においては、管理する側と管理される側が同じ自分であるということである。できるならばしたくない規制を自分で自分自身に課すのである。このような状況は、患者の中に強い[葛]藤を引き起こすのである。

Ⅳ.慢性疾患はいかなる障害構造をもち、その支援はどうすればよいか

 人間の抱える障害の改善にアプローチしようとする時、障害構造とその各水準の的確な診断が必要である。障害の構造を確定し、その結果としてリハビリテーションを行うのではない。その逆で、適応援助としてのリハビリテーションを効果的に行うために、障害構造と各水準での状況の的確な診断が必要なのだ。慢性疾患では、自己管理のもたらす特有の障害状況と[葛]藤状況も考慮して構造を把握する必要がある。

1.変化し易い障害の構造

 慢性疾患の障害の構造も、基本的には感覚器官や運動系の障害と同じく、原疾患・機能障害・能力低下・社会的不利の各水準から構成されていると思われる。血友病では、原疾患は血液凝固因子の先天的な欠損であり、機能障害は易出血性の亢進つまり出血しやすさである。能力低下は運動機能の障害や異常であり、結果として社会的活動が制限される。気管支喘息では、原疾患は気道の過敏性であり、機能障害は気管・気管支の閉塞、能力低下は運動や生活の制限であり、社会的不利益は血友病と同じである。ただし、慢性疾患の場合には、どこまでが原疾患で、二次的に機能障害・能力低下として現れるのは何であるかを明確に区分し難い性格をもっている。

 だが、患者の適応を中心に据えると、この構造が比較的容易に把握できる。治療・管理により改善し得るものとそうでないものを明確に分けることである。そして、原疾患は治らなくても機能障害や能力低下を自己管理により最小限に食い止めることができれば、完全とは言えないにせよ、自己管理を中心にした適応とそれへの援助は十分な目的を達していることになる。

 血友病では、現在の医療水準では血液凝固因子の欠損という原疾患は完治できない。しかし、出血を起こさないような生活上の注意や、出血したならば血液凝固剤を的確に使い後遺症を残さないような自己管理を行えば、通常の生活を営むことができる。つまり、機能障害としての出血のしやすさや、能力低下としての運動機能の異常を最小限に抑え、適切な自己管理で社会生活を営むことができる。さらに、運動機能の改善は、フィードバック的効果として関節の易出血性を回復させ、結果として出血の発生を少なくできる。

 気管支喘息でも、原疾患は完治できないが、自己管理により通常の生活ができ、病気全体としては改善された状態になる。気管支喘息では、気管支の過敏性をもたらすアトピー性素因を治すことができなくても、機能障害としての気管・気管支の閉塞を起こさない状況を自己管理によって作り出すことで、発作の回数が減少すると考えられる。

 糖尿病や腎疾患では、社会的不利益の原因となっていた自己管理のための検査や食事制限などを、逆に社会的に援助することで適切な血糖コントロールや身体的負担の解消ができるであろう。

 このように、慢性疾患では、障害構造が、他の感覚・運動系の障害よりも、変化しやすい性質をもっている。言い替えれば、自己管理により障害の状況が改善し得る可能性をもっているのである。

2.自己管理への支援のあり方

 慢性疾患の自己管理に対する支援は、二の側面からなされなければならない。

 ひとつは、自己管理を行う際に、病状の変化や管理の結果を見えるようにすることである。ほんのわずかな変化であっても、悪化と改善に関わる情報を取り出し、患者に伝えなければならない。これは、前に見たように、管理の各段階での「選択」を可能にするものである。

 ふたつ目として、管理の担い手と対象が同じである自己管理の特性を知り、[葛]藤状態を十分把握することである。そして、上で述べた「選択」のための情報とその結果を患者が理解しやすい状態で提示し、共に考えアドバイスを与えることである。

 血友病の患者である筆者の経験によると、自己管理の内容の選択は例えるならば、ジグソーパズルのような性格をもっている。選択されるべき管理の内容(パズルのピース)、つまり患者の側から見た対処の内容は、自ら選び当てはめ、そしてその状況での当てはまり具合いを確認することを通して、はじめてその「よしあし」が判断できる。この判断は、パズルの進行にともない加速度的に正確になっていく。その時の支援は、判断に必要な過去の情報や同じ病気の仲間の経験を集積し、提示することである。患者への治療・管理の押しつけがあってはならないのである。

 このような経験は、筆者の病弱養護学校における教師としての実践でも確認された。気管支喘息の子供たちに、教師側が自己管理の内容を押しつけている限りは、子供たちは身体状況に応じて適切な対処を行うことはできず、自己管理能力は獲得され難い。しかし、子供たちが自らの状況を把握できるような場面設定を行えば、子供たちは自己管理に積極的になる。喘息発作の回復に腹式呼吸が有効であることを知ってはいても、あまりしたがらない子供に、回復状態が目でみて分かるようにしたところ、積極的に腹式呼吸を行うようになった。

 慢性疾患の自己管理においても、患者が状況を能動的に認識し、自ら判断して行動することが可能な限り保障されることが必要である。親や教師、医療関係者などは、それぞれの立場で連携しながら、患者の能動的な認識と行動を支援することが必要である。このような立場が、患者の復権としてのリハビリテーションであり、そのひとつの方略としての病弱児への健康教育であると考える。

Ⅴ.おわりに

 現代は、成人病の時代である。いわば健常であった人たちが、年齢とともに慢性疾患を抱える時代である。これまで、慢性疾患は一部の身体の弱い人々、病弱な子供たちの問題であると考えられてきた。しかしながら、その状況は様変わりしている。慢性疾患の代表とされる高血圧、癌、心臓疾患などの発生と増悪に、日常生活の内容が大きく関わっているとされている。

 本稿では、子供たちの慢性疾患を対象として、その治療・管理に行動的要因が大きく関わることを指摘した。この内容は、成人の慢性疾患の管理とともに、その発生に関わる日常生活行動の「自己管理」にも適用し得るものである。

 つまり、健常者の健康管理と慢性疾患患者の自己管理とが同一線上にあるのである。そして、いずれにせよ行動の変容・修正がその基本であり、教育が治療・管理というリハビリテーションの枠を越えて、病気の予防にも資することを示唆している。

文献 略

宮城教育大学教育学部助教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1994年9月(第81号)2頁~8頁

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