〈海外リポート〉 障害学生のための化学教育

〈海外リポート〉

障害学生のための化学教育

Teaching Chemistry to Students with Disabilities

山内繁

解説 本書は米国化学会障害化学者委員会の刊行したもので、本文27ページ、資料19ページから成る小冊子である。1981年に初版が出版された。米国化学会は会員数15万人近くの世界最大の化学関係学術団体であるが、学術団体による障害者のための出版物として紹介する。

1.はじめに

 自然科学を志す障害者が増加しているが、建物や施設へのアクセス以外に障害者への偏見に根ざしたバリアが存在していることが問題である。カリキュラムの中で障害学生が顧慮されていないどころか、最近まで障害者が自然科学を学ぶとは想定されていなかったのである。

 1973年のリハビリテーション法からADA法に至るまでの過程で、障害者の教育へのアクセス権が確立してきた。対象となる学生を見積もるのは容易ではないが、化学の教官が障害学生を教える機会は今後増大するであろう。さらに、一般教育課程のみならず、専門課程から大学院レベルにおいても増大すると思われる。

 米国においては、障害学生が自然科学を学ぶことを奨励するための施策もなされているが、就職に際して健常者との競争に耐え得るための配慮も必要である。

2.講義室

 教官の立場からの講義室における問題点は、健常学生にも共通する問題、講義中における障害学生への配慮、特別の処置を要する問題の三点に分けることができる。このうち、最後の「特別の処置」が特に問題となる。

 この解決に当たっては、障害学生に応じた個別的処置が必要である。このためには学生当人と教官や学科の責任者で学期の始まる前に必要な処置について十分話し合い、準備しておく必要がある。

 この際、当人が参加していることが特に重要である。教官が同僚の意見のみに基いて準備をした場合、当人には次に何が用意されているか予測できないので教育効果は半減する。

2.1 共通の問題

 障害学生の中には恥ずかしがって教室で発言を控える場合もある。教官は適宜指名するなどして理解度を確かめる必要がある。障害学生にとっては予習をしておくことが特に効果的であるので、シラバスや教材を事前に配布、周知しておき、有効な予習ができるよう配慮すべきである。

2.2 講義技術

 身振りを交えて明瞭に話すことが講義技術としての基本であるが、障害に対応した工夫も必要である。

2.2.1 肢体不自由

 肢体不自由の学生に対しては特に注意すべき点はあまりないが、車いすの学生に対しては黒板のよく見える席に着席できるよう配慮すべきである。

2.2.2 視覚障害

 盲学生を指名するときは名前で呼ぶべきである。また、講義の中で「この」「あの」など述べず、具体的な事物を述べるべきである。図面が必要な場合、触図などを準備しておく。

2.2.3 聴覚障害

 聾や難聴の学生に対しては、視覚情報だけで理解できるよう努める。読唇や手話を読み取っている間はノートを取ったり参考書や演示を見ることができない。この点に配慮するとともに、キャプション付きのビデオ教材を活用すべきである。(訳注:米国化学会では大学レベルのこのような教材を多数製作しており、聾学生のみならず外国人学生の理解も助けている。)

 手話の語彙には専門語が含まれていないので、これらは必ず黒板に書き、指し示すことによって理解を助ける必要がある。また、他の学生の質問に答える前に、質問を繰り返してから答えるなどの配慮が必要である。これらは面倒そうに見えるが慣れれば難しくないし、健常学生にも有用である。

2.3 特別の処置

 教官と学生との合意によって学期開始前に十分準備をしておくことが必要である。障害に応じて着席場所を決めたり、ノートを取る介助者の同席や同級生にノートを借りる等を予め決めておく。手話通訳やテープの使用許可なども同様である。

 教官は、ボランティアを深すのを手伝うこともできるが、障害学生がクラスに受け入れられることに意を尽くすべきである。大学によっては、障害学生のための機器やサービスのための担当事務局をもっており、財政処置から州政府の援助の斡旋まで行うこともある。

 障害学生本人の責任で行うべき事項の中には、聾学生のためのテープ起こし、盲学生のための教材の点字化、テープ吹き込み等がある。

 肢体不自由の学生には通路の幅が十分に広い必要があり、また、ノートの代わりにコンピュータを使うかも知れない。また、講義室へのアクセスも改善しなくてはならないかも知れない。

 防火訓練の際には、障害学生の避難は教官が責任を持たねばならない。

 失読症などの学習障害の学生は印刷物を読むのが困難であるので、テープ吹き込みを利用したり、試験の際には時間を延長したり別の形式で問題を与えることも考慮すべきである。

3.試験と評点

 障害学生の試験と評点にあたっては特別の配慮が必要である。慣れた学生は自分に適した受験方法を申し立てることができるが、不慣れな学生は教官と相談の上で満足できる方法を追求する。

 障害によっては、口頭試問によったり、補助機器の助けを借りなくてはならないが、健康な障害学生の場合は次の三項目の配慮だけで済ませられることが多い。

1)テープや点字の活用

2)イアホンを付けた音声電卓の使用

3)タイプライターの使用

 これらに付随する事柄には注意を要する。たとえば、試験問題の点訳は地域の盲人協会に依頼できるが、それには1週間かかるし、専門語が正しく表現されていることを確かめておく必要もある。

 先天聾の学生の場合、表現力が身についていない場合がある。採点にあたっては、理解の程度と表現力とを区別すべきである。聾学生は、試験結果の講評が聞こえないこともあるので、答案用紙に講評を記入して返却すべきである。

 特別な方法によって受験する学生には時間を延長すべきであるが、その程度は学生と障害の性格によっている。その学生を受け持ったことのある同僚の意見を聞きがちであるが、学生自身に率直な意見を述べさせるのが肝要である。

 いずれにせよ、障害学生の評点にあたっては、別室受験、特別な方法、時間延長などによって他の健常学生との間に障害を有すること以外には差別すべきではなく、同じ尺度で評価することがポイントである。

3.コンピュータと化学教育

3.1 一般的考察

 パーソナルコンピュータの普及とともに、コンピュータは化学の研究のみならず教育においても不可欠のものとなりつつある。障害学生にとっても、実験のみならず、化学関連の学習のためにはなくてはならぬものになってきた。しかし、コンピュータへのアクセスが問題となる場合もある。

 コンピュータのレイアウトを変更できるようにするだけでも使いやすくすることができる。モニター、キーボード、ラック、机、入力機器、マニュアル類かフレクシブルに配置されているだけで使い勝手が大幅に変わるものである。実験に必要な機器や参考資料、実験助手の所在等を掲示しておくことも有効である。

 補助機器や障害者用ソフトを用いることによってコンピュータの利用が大幅に促進されるが、互換性、(ソフトの)可視性、柔軟性、使い勝手、価格、保証とサポート等にも配慮すべきである。

3.2 肢体不自由とコンピュータの利用

 車いすで容易に作業できるほかに、操作しやすい位置に電源スイッチを1つだけ設置し、すべての周辺機器も同時に制御できるようにしておくのがよい。肢体不自由の学生でキーボードの操作が困難な場合、マウススティックやキーボード代替デバイス、シフトロック機能を実現するソフトウェア、ハードウェアを利用する。指が不自由な場合はキーボードガードを利用する。

 障害がより重度の場合、走査入力やモールス符号による入力も可能である。これらの代替スイッチは本人の残存機能に応じて製作、適合を行う。

 音声認識を用いた入力も可能である。この場合、特定話者の音声を認識するように訓練する必要がある。

 肢体不自由者のキー入力を補助するソフトウェアに単語予測がある。途中まで入力したところで単語全体を予測し、入力を加速する。マクロや略語入力と組み合わせることによって入力操作を簡略化することができる。フロッピーディスクのかわりのハードドディスクやオンラインヘルプ機能はディスクの出し入れやマニュアルのページを繰る操作を不要にする。

3.3 視覚障害とコンピュータ利用

 コンピュータを用いて、拡大文字や点字の教材を作ることができる。モノクロ画面で白黒反転させるソフトもある。画面に表示された情報の伝達に音声合成を利用することもできるし、点字ディスプレイに出力することもできる。

 教材をOCRにかけて電子化し、音声合成や点字ディスプレイに出力することも有効な手段である。これらは盲学生の自習の助けとなる。

3.4 聴覚障害とコンピュータ利用

 聴覚障害がコンピュータの操作を阻害することはないが、携帯型コンピュータに音声合成装置を取り付け、発語障害のある聴覚障害者のコミュニケーションを助けることができる。パソコン通信も有効に利用することができる。

3.5 学習障害とコンピュータ利用

 雑音に過敏な学習障害学生には静かな空間と耳栓とが助けになる。さらに読書障害のある場合、宿題を仕上げるのにコンピュータが役に立つ。スペルチェック、シソーラス、文法チェック、単語予測、マクロの利用が特に有効である。音声合成によって教材を読み上げるのもよい。

4.実験室

 障害学生にとっても化学の学習に実験は必修である。しかし、障害の種類によっては不可能な実験もある。本人と相談の上で実験種目を決めるべきである。しかし、実験できないからといって実験化学を職業にできないわけではない。自分では実験しなくても研究を指導している有能な科学者は沢山いるし、健常者と一緒に実験に従事している化学者も沢山いるのである。

4.1 一般的事項

 演習実験においては実験助手の理解が欠かせないので、教官、実験助手、学生の三者で学期の始まる前に十分に打ち合わせておくとともに、実験助手と連絡を密にするようにすべきである。共同実験の場合は仲の良い友人と組ませるべきである。

 演習実験に余分な時間がかかる場合、なるべく融通を利かせて時間延長や土曜実験を許すべきである。実験室を改造せねばならない場合もある。

4.2 肢体不自由

 エレベータや便所、実験室のみならず、コンピュータ、材料、機器類へ容易にアクセスできることが必要である。実験室の通路も十分な余裕が必要である。車いすを実験台に平行にするのを好む学生もいるが、車いすを実験台の下に入れるのが理想である。車いすに適応した実験台を少なくとも一台設置すべきであるが、それらは

(1)実験台の表面の高さは床から75cm

(2)実験台の下の床上72cm、奥行50cm、幅90cmの空間

(3)器具類に容易に手が届くこと

(4)通路幅は105-120cm確保する。

 実験室の改造が困難な場合、事務用いすを改造したキャスター付きいすや、トラック用ジャッキを用いて改造した昇降式車いすを手作りで製作し、実験室内だけで使うことも考えられる。このような手作りの車いすには台を取り付けるなどの工夫を組み合わせるとよい。

 実験室そのものの改造のポイントとしては、

(1)高さ調節の可能な収納庫

(2)引き出し棚等を有効に利用する。たとえば、膝の高さの器具棚を設置する。

(3)ノブの代わりのシングルレバーのハンドル

(4)電気、水道、ガスなどの接続はフレクシブルにする。

(5)キャスター付きキャビネットなどを収納に利用する。

 四肢の不自由な学生の場合、実験助手をつけて学生の指示で実験を行い、学生が観察し、データを取ることもできる。これは、視覚障害者にも適用できる方法である。

 以上の他に、ADLのための自助具の中には実験室で役に立つものが多い。

4.3 視覚障害

 化学を専門に学んだ視覚障害学生は多い。彼らの多くは演習実験に参加することが有益であり、かつ楽しかったと述べている。中には、拡大鏡を使ったり仲間にこっそりデータを読み取ってもらった者もいるが、障害の程度によって必要な助力も異なってくる。

 実験助手を必要とする盲学生の場合、共同実験のパートナーであるよりは、その実験を既に経験したことのある学生のほうが望ましい。助手は学生の指示通り実験を行うとともに、実験機器の設定を学生に十分理解させる。質問のある場合は直接教官に対して行い、助手を介しないようにする。

 実験に先立って、実験室内の配置については十分なオリエンテーションを行っておくことが必要である。

 盲導犬を実験室外に待たせる場合、近くの部屋で待たせればよい。盲導犬は従順で、待つのに慣れている。

 弱視の学生の場合は特別な助力を必要としないことが多い。試薬ラベルに拡大文字を用いたり、ビュレットの目盛りの読み取りに拡大鏡を用いることもあるが、これらは学生が自分でできることである。

 視覚障害用に開発された実験器具には、音声出力付きの電圧計、温度計、pH計、天秤、分光器、電卓などがあり、点字ラベル、点字温度計などもある。

4.4 聴覚障害

 警報音にあわせて警報表示をする以外には聴覚障害者のために必要なことはほとんどない。難聴あるいは聾学生は同級生との間のコミュニケーションに困難のある場合があり、教官はこの面で十分な配慮をする必要がある。

5.実験室の安全

 実験室の安全には十分注意を払う必要がある。障害学生の安全は一般学生の安全の上に確保せねばならないが、そのための資料は乏しい。

 障害学生が健常者に比して不注意であったり、より危険を伴うということは認められていない。デュポン社の1,400人の障害者についての調査結果では、障害者は職場でも十分に安全であると結論されている。

 連邦労働衛生安全局は障害学生と実験室安全に関して以下の見解を表明している。

 「労働衛生安全局は労働災害の防止のために職場環境と衛生基準を遂守することを求めている。労働安全基準は障害の有無にかかわらず学生に適用されるものではない。

 しかし、実験室へのアクセスを保証し、実験室における学生の安全を確保することによって障害学生の教育の機会均等をはかることの重要性を認識しており、労働安全基準はこのためのガイドラインとして有用であろう。各地の労働安全基準局ならびに各州のプログラムからも実験室における学生の安全確保のための情報を得ることができる。

 安全の専門家は化学物質及び実験室の安全に関する最新の情報源である。しかし、安全の専門家が障害者の安全に精通しているとは限らない。この点、安全担当者と十分に議論する必要がある。

(訳注:以下実験室安全のための具体的指針を列挙しているが、省略する。)

6.おわりに

 最後に二、三の点を強調しておきたい。第一に、障害の有無にかかわらず、学生のニーズは個人ごとに異なっており、このことに立脚したとき学習効果も上がること。第二に、障害学生は余分に努力してきたのであり、学業の達成の観点からの評価を欲していることである。

 さらに、障害者が教育を受け、職業を選択する機会から遠ざけられていた従来の態度を改めることが最も肝要である。障害は個人にとって一つの要素であるにすぎない。このことを認識することによって本書をより理解し、障害学生に役立てることができるであろう。

脚注:本書原本 "Teaching Chemistry to Students with Disabilities" はCommittee on Chemists with Disabilities, American Chemical Society, 1155-16th St.,N.W.,Washington,D.C.20036に申し込めば入手できる。

国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1994年9月(第81号)29頁~33頁

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