特集/高次脳機能障害 高次脳機能障害とリハビリテーション

特集/高次脳機能障害

高次脳機能障害とリハビリテーション

―その障害学的特徴について―

上田敏

はじめに

 最近リハビリテーションの世界で高次脳機能障害に対する関心が高まっているが、その原因としてはリハビリテーション医学の対象において高次脳機能障害をもつ患者の比重が大きくなってきたことがあげられる。と同時に、高次脳機能障害が時には運動障害にもましてリハビリテーションの上で大きな問題となり、大きな能力障害(disability)・社会的不利(handicap)の原因となることがひろく認識されてきたことがあげられよう。そこで注意すべきことは、高次脳機能障害のもつ「症候」としての珍しさ・面白さに眩惑されて、それがもつ「障害」としての意味、すなわち生活上の困難・不自由・不利益としての意味を忘れないようにすることである。

 なお、この分野は医学・心理学の中でも最も複雑な問題を含むが、その概要を把握して実地臨床の場で生かしまず正しい診断・治療が行われることが、その後のリハビリテーションの上に最も大きな影響を与えるものである。

 高次脳機能すなわち人間の行動を律している脳の正常な高次の機能(高次の制御活動)の障害は、表1のように大きくは脳機能の全般的な障害と部分的・要素的障害とにわけられる。これらは重複して起こることが少なくないので、例えば一見要素的障害である失行、失認様の症状がみられた場合でも、脳機能の全般的な障害(意識障害、痴呆など)の一つの部分症状ではないことを鑑別し、他方ではより低次の脳機能である運動・感覚機能そのものの障害(中枢性麻痺、中枢性感覚障害など)とも区別する必要がある。しかし、要素的高次脳機能障害に低次の障害や全般的な障害も加わっている場合もあり、そういう場合には、それらの低次あるいは全般的な障害だけでは絶対に説明できない要素的高次脳機能障害があきらかに存在することを確認する必要がある。これは決して容易なことではなく、特に意識障害との鑑別はしばしば困難である。したがって、むしろ意識障害が改善するまでは正しい診断は不可能と考え、「疑い」にとどめておき、その改善を待って確実な診断を下したほうがよい。また、心因反応(ヒステリー)との鑑別も必要である。

表1 高次脳機能障害の分類

表1 高次脳機能障害の分類

 以下リハビリテーションの場において問題となる機会が多い高次脳機能障害について述べる。

1.全般的高次脳機能障害

 高次脳機能障害が後天的な脳の全般的な噐質的障害によって全般的に障害された場合、それが可逆性であり一過性であれば意識障害であり、一方長期にわたって障害され、場合によっては徐々に進行するようなものが痴呆である。一般に脳卒中の器質的障害が急性に起こった場合は意識障害の形をとり、慢性的(徐々)に起こった場合は痴呆の形をとりやすい。しかしこの二者は全く別とは限らず、意識障害が1~2ヵ月以上続いた場合、非可逆性に固定して痴呆へと移行する場合も少なくない。また、軽度の意識障害が数ヵ月続くこともあり、痴呆と誤らないように気を付けなければならない。なお、先天的な脳の全般的器質的障害によって高次脳機能の発達が全般的に障害されたものが精神発達遅滞(知的発達障害)である。

1.意識障害

 意識障害には基礎的な清明度(覚醒度)の低下と、意識内容自体の変化とがある。

 意識の清明度は、外的な刺激に対してどの程度反応するかによってその程度を判断し、評価法としては欧米ではグラスゴー・コーマ・スケール(GCS)、わが国では3―3―9度方式が広く使われている。

 一方、意識内容の変化は、多かれ少なかれ意識清明度が低下した状態で異常な精神症状が活発に生起する場合をいう。主な2つをあげると、まず、譫妄は最も多いタイプで、幻覚、妄想が出現し、暴れたり大声を出したりと、精神運動性興奮を伴う意識障害である。脳血管障害の夜間譫妄や慢性アルコール中毒の振戦譫妄などがある。次に朦朧状態は意識野の狭窄であり、ある限られた範囲内のことは比較的まとまった認知、思考、行為ができるが、それ以外の意識は障害され、全体的な判断能力は低下している。癲癇、慢性コカイン中毒などで見られる。

2.痴呆

 高次脳機能の全般的な障害ではあるが、すべて一様に障害されるとは限らず、症状の出現の仕方は、痴呆の原因疾患によっても異なる。(表2)

表2 痴呆の分類とその特徴

表2 痴呆の分類とその特徴

 痴呆と似たものに「仮性痴呆」および精神面の廃用症候群があり、いずれも痴呆の鑑別上注意すべきものである。

 仮性痴呆とは抑うつ状態にある患者が、見当識障害や記憶障害など一見痴呆様の症状を呈するが、抑うつ状態が回復すると痴呆症状が消失する場合である。

 また精神面の廃用症候群とは、精神的な活動性の低下によるものである。活動性の低下は種々のマイナス(関節拘縮、筋萎縮、骨萎縮、心機能の低下など)を生じ、これは廃用症候群と呼ばれるが、その症状は身体面のみでなく精神面にも生じる。即ち、疾患による身体的活動の制限、入院による自由の束縛、精神的刺激の減少、これまでの仕事・家族・友人などとの社会交流の制限などにより、積極性を失い抑うつ状態を呈したり依存的・攻撃的・逃避的等の態度を呈するという人格変化や行動の障害が現われることがある。これは環境を変え精神的に活発な生活をとりもどすことで回復しうるものである。

2. 要素的高次脳機能障害

1.失行症・失認症

 失行症は「行為の障害」(目的をもった動作が不可能になることで、同じ動作でも、習慣的・無意識的・反射的には可能)、失認症は「認識(知覚と認知)の障害」と区別されてきたが、失行と失認が分かち難く入り組んだ失行=失認症(失行認)の存在の方がむしろ多いと考えられるようになっている。失行・失認を疑われるきっかけは日常生活の中に起こり、日常生活動作について詳しく話を聞き、またよく観察すれば何らかの手懸りがつかめるものである。しかし失行系統のものであれば患者本人もそれに気付くが、失認系統や失行=失認の中の構成失行・失算・失書・劣位半球症状などは積極的にテストしないと見逃してしまうことも多く、一見問題がないようでも麻痺側に応じたチェックを行うべきである。特に言語機能(失語症・発語失行など)と優位半球(左半球、麻痺が伴う時は右片麻痺)、視覚的認識と劣位半球(右半球、同じく左片麻痺)との結びつきは強い。リハビリテーションの実際の上でも左片麻痺(劣位半球病変)の方が失行・失認の問題が多く、左片麻痺では特に注意してテストをすべきである。

1)左─側空間失認 (left unilateral spatial agnosia)

 左側空間に対する無視・軽視を特徴とする。視野の狭窄を伴うこともあるが、それとは本質的に異なる。実生活上は左側にあるものに注意が不十分となり例えば左をぶつけ易かったり、外出時に道を横断する時に左側からきた自動車に気がつかず危険であったり、又、横書きの文章で文章の頭を飛ばして読んでしまい、自分ではわかったつもりでいるが、肝心なところを読み落としていることがある。特に数字を扱う経理関係の仕事では、数字の頭を読み飛ばし、例えば15万何千円を5万何千円と計算してしまう、というような重大なミスをして、会社に大変な損害をかけることになる。これは意外に多い(左片麻痺の10~20%)症状で、失行・失認患者のリハビリテーション上最大の問題と言ってもよい。

 たとえば職業復帰が右麻痺と左麻痺でどちらが高いかを比較すると、右麻痺では、利手が麻痺し、又しばしば失語症を伴うために職業復帰の予後は当然左片麻痺より悪いであろうと予想され易いが、実は全く逆であり、かえって左片麻痺の方が職業復帰率が悪いことが種々の統計で知られている。その最大の要因はこの症状のためである。意識的に検査しなければ見逃されがちであり、左片麻痺があった場合は、必ずこの症状の有無について調べるべきである。すなわち失語症などとちがって意識的に検査しなければ見逃されがちな本症がリハビリテーションの成否を左右しかねない重要性をもっているのである。

2)病態失認(anosognosia)

 疾病の否認(denial of illness)ともいい、自分の病気や障害の存在を否認する。この症状をもつ患者は自己の障害を否認しているため、回復への意欲に欠け、かつ障害の現実的な認識、すなわち「障害の受容」に到達することが極めて困難である。また障害による問題点を認めていないため、訓練に熱意をもたない場合も少なくない。これは、左片麻痺患者で前記の半側空間失認に合併して出現することが多く、顕在的な否認(explicit denial)すなわち重度な麻痺があり、動作もほとんどできないにも拘わらず、口に出して「どこも悪くない」、「歩けます」などという場合と、潜在的な否認(implicit denial)すなわち種々な形の否認が潜在している場合とに分けられる。前者は脳卒中発症後早期には明らかであるがその後も続くのは少ない。が、消失したのではなく潜在化しているだけの場合が多い。

 潜在的否認では患者は自己の障害の程度の重さに比べて深刻さに乏しく、回復につき過度に楽観的で、いずれよくなると考えて訓練に熱心でない、反面自己の能力を過大視し、できもしないことをやろうとする、等の特徴をもっている。これは顕在していないだけに確実な診断は困難であるが、このような例ではその存在を疑うべきである。なお、これにしばしば伴い易い症状として重複現象(redupulication phenomenon)がある。これは例えば本当は遠く離れている自分の家がこの病院のすぐ裏にあると言ったり、あの看護婦さんは知人の娘に違いないと言ったりするなど、時、所、人、状況について、現実の状態とかつて自分が経験したことのある、身近で親しみのある状態とを混同することである。

3)着衣失行(apraxia for dressing)

 意味・目的をもった一連の動作の障害(観念失行、観念運動失行)は優位半球(左半球)病変(右片麻痺を伴う)によるが、着衣失行すなわち麻痺はない、または軽いにも拘らず衣服を着用することができない、又は誤って着用してしまう症状だけは劣位半球病変(左片麻痺に伴う)に特異的である。

2.失語およびその他の言語障害

 脳病変によりおこる言語障害は、高次脳機能障害である失語症と発語失行の他に、末梢表出器官の障害である構音障害の三つに大別される。

 失語とは大脳の一定領域の器質的病変により、言語(language)という記号の内容的理解と操作能力の障害をきたした状態であり、いわば日本語が外国語のようになり、話したり理解したりすることが困難になる現象である。これは表3に示すように分類される。

表3 失語の分類

表3 失語の分類

 これに対し、話しことば(speech)の表出における失行が発語失行であり、表出における運動障害(麻痺)が構音障害である。

 しかし実際の臨床場面では、意識障害・痴呆などの全般的高次脳機能障害や難聴などにより言語の障害を呈することもあるので注意を要する。

3.注意の障害

 注意とは外部の環境からの刺激に煩されることなしに、特定の対象に対して意識を集中する能力のことである。注意の障害があると、中心的な対象物からの刺激と関係のない刺激とをふるい分けることができず、周囲からくるすべての刺激に注意をひかれるようになる。そのため一貫した行動がとれず、あることをやりはじめたかと思うとすぐ別のことに手を出したり、次々と種々のものに気をとられたりして、落ち着きのない状態になりやすい。なお、意識の覚醒(意識障害がないこと)は、環境の刺激に選択的に反応するという注意の前提条件である。

4.記憶の障害

 記憶の障害を健忘と呼ぶ。記憶には、対象を感覚器官を経由して知覚・認知する「登録」とそれを把持し続ける「把持」、そして把持されているものを必要に応じて呼び出す「再生」の3つの過程がある。第1の登録の障害は意識障害や注意の障害、知的能力の全般的低下があっても生じる。第2、3の過程の障害を特に記憶障害という。記憶障害は表4(表無し)のように分類される。記憶には種々の種類があり、記憶の障害の構造を明確にすることが記憶障害患者のリハビリテーション上重要である。

5.意欲の障害

 前頭葉(特に両側)が侵された場合に起り、知的機能自体の障害はないにも拘らず、自発的に知的情動を起こそうとせず、放置すれば一日中何もせずに坐っていて、退屈さえしない。他人に注意を払わず、自発的には話もせず、新聞雑誌等があっても見ようとしないが、強くくりかえしうながせば、かなり複雑な内容の文章を朗読したり、計算を正しく行ったりする。英語をスラスラと読むような例もある。しかし、強い働きかけをやめればまた完全な無為の状態におちいる。

おわりに

 以上簡単に高次脳機能障害について各障害の特徴を、特に臨床上大きな問題でありながら知られることの比較的少ない失認・失行症状に重点をおいて説明した。リハビリテーション各分野における対応の基礎として活用していただければ幸いである。

帝京大学医学部教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1996年5月(第87号)2頁~5頁

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