特集/高次脳機能障害 高次脳機能障害に対する医学的リハビリテーション

高次脳機能障害に対する医学的リハビリテーション

大川弥生 ・上田敏 **

はじめに

 高次脳機能障害は医学的リハビリテーションにおける非常に大きなテーマであり、通常運動障害への対応を主とすると考えられがちな医学的リハビリテーションにおいても日常生活行為(ADL)、社会生活行為(ASL)への大きな影響の点で重要で、研究も多数行われている。

 なお高次脳機能障害には、当然失語症をはじめとする言語障害が含まれるが、言語障害はそれ自体で一論文をなす必要のある大きなテーマなので、ここでは非言語的な認知と行為の障害を中心に述べることにしたい。

高次脳機能障害における機能障害と能力障害との関係

 上田はかつて脊髄損傷(完全麻痺)のリハビリテーションの例を引いて、たとえ失行・失認などの「治療」は不可能であったとしても、「失行・失認を持つ患者のリハビリテーション」は可能であると述べた。それは当時唯一の対照試験であったTaylorらの研究が有意の差を示しえなかったという状況下においてであり、その後もRobertsonらの同様な否定的な報告もあるものの、Dillerら、Weinbergら、Gordonら、田中らなどの対象試験、あるいは渕ら、二木らなどの単一症例研究法によって、適切な治療プログラムを行えば機能障害レベルの改善が起こりうることが証明された現在では、不適切な表現ともいえる。

 しかし例えば脳卒中では、麻痺そのものの回復が一定程度起こりうること、そしてそれがリハビリテーションによって促進されることが多数の対照試験によって明らかにされているが、だからといって脳卒中のリハビリテーションが麻痺の回復にだけ向けられるものではないことはいうまでもない。麻痺の回復と並んで、装具や日常生活行為(ADL)訓練といった直接能力障害レベルに対するアプローチ、家庭復帰や職業復帰のための条件づくりといった直接社会的障害(「体験としての障害」)に対するアプローチの全てが社会復帰目標(主目標)に向けて、相互の緊密な関連をもって同時に進められるのが、真の総合的なリハビリテーションであることは今さら強調するまでもない。そしてこれら4つのレベルにおける努力の全ては、結局、最終的にこれらが患者の社会的不利をどれだけ予防ないし軽減できたか、あるいは別な言い方をすれば社会的存在としての人間のquality of life(QOL〈人生の質〉)をいかに高めるのに役立ったかによって評価されるのである。

1.機能障害と能力障害との相関

 ここで高次脳卒中機能障害の場合、機能障害と能力障害とがどの程度相関しているものかについてみてみたい。

 Neistadtは構成能力(機能障害レベル)と食物の準備の技能(能力障害レベル)との相関をみた。54名の男性WAIS―R脳外傷患者(18~52才)で、前者はWAIS―Rのブロックデザインテスト、寄木細工ブロックテストなどで、後者はラビドー台所評価法改訂版(Rabideau Kitchen Evaluation-Revised:RKE―R、サンドイッチを作り、インスタント・コーヒーなどの飲み物を作ることを40のステップに分解して評価)で評価したところ、WAIS―RのブロックデザインテストとRKE―R間で‐0.51、寄木細工ブロックテストとRKE―R間で0.50の相関が得られた。しかし同時に施行したジェブソン手機能テスト(Jebson Hand Function Test)によってみた巧緻性障害の影響を統計的に除去して補正すると、部分相関はそれぞれ‐0.36、0.39に低下した。

 この研究の場合、決定係数(相関係数の2乗)は補正前で約0.25、修正後には0.13~0.15で、相関はないとはいえないまでも非常に弱いといわなければならない。簡単な食事の用意をするという行為の能力には、構成機能もその一部をなしてはいるが、その他の種々の機能や環境因子などの影響の方がはるかに大きく、構成テストの成績だけで予測はできないということである。

 Nouriらは認知機能の評価(機能障害レベル)によって脳患者における自動者運転の能力(能力障害レベル)を予測しようとした。彼らはそのために通常の認知テストバッテリー(9種)に加えて独自の2つのテスト(交通標識の認知テスト、ビデオによる運転上の危険などの認知と記憶のテスト〈3分間のビデオ4種〉)を考案し、その成績を運転指導員による路上テストと比較した。40名の脳卒中後片麻痺患者(平均年齢61.1才、発症病後平均33週、後に先行研究の対象患者を含めて79例に増加)について、認知テストの成績を回帰式に入れて判別したものと実際の路上テスト判定との一致率は第1グループで82.2%、第2グループで79.4%であった。なおこの研究は、現在広く行われている運転シュミレーターによる判定と路上テスト判定との一致率が極めて低い(K=0.29)という先行研究からの反省として行われたものである。

 この成績は机上テストあるいはラボラトリーテストであっても、予測しようとする実際的能力(この場合は自動者運転)をよりよく反映するべく工夫を凝らせば相当な予測力を発揮することができることを示しており、一概に机上の機能障害の評価は実際場面の能力障害の評価には役立たないと決めつけるのは誤りであろう。しかしこの場合でも机上テストの成績だけで運転の可否を判定(路上テストを省略)してよいとするのは早計であり、むしろ路上テストのような危険を伴うテストを行うに当たっては、事前にできる限りそのリスクを予測してから行うのが適切だと解釈すべきだと思われる。

2.回復過程での機能障害と能力障害との解離

 Edmansらは90例の脳卒中患者について発症病後1ヵ月と2年後の認知機能(Rivermead Perceptual Assessment Battery:RPABで評価)とADLを比較した。その結果、認知機能についてはみるべき改善はなく、むしろ悪化した例もあった(右片麻痺、特に失語症のない右片麻痺で)のに対し、ADL面では屋内・屋外の移動、道路の横断、暖かい飲物を作ること、手を洗うこと、買物などの点で有意の改善が認められた。

 この研究は機能障害の回復がなくても能力障害の改善は起こりうることを示しており、これは脳卒中患者の運動機能については、特に若年者の場合など、ほとんど普遍的ともいってよいほどに広くみられる現象である。これは運動障害の場合、機能障害は主に患側上下肢の麻痺の程度で表わされるのに対し、能力障害は健側を含めた全身を使っての、しかも新しい運動・動作の手順を体得するという学習の要素の大きいものであるから、若くて健側の予備力も運動学習の潜在力も高い者ほど、機能障害の限界を超えて能力障害が改善しうるのはいわば当然である。

 高次脳機能障害の場合にも、運動障害の患側・健側のように目にみえるものではないが、障害された機能とともに健全な機能、また訓練によって開発しうる予備的な機能も当然、相当に存在しているはずであり、それらを総合した能力には相当の改善(これを回復と呼ぶか、代償と呼ぶかについては後に論ずる)の可能性があるはずである。

 このように、経過とともに機能障害と能力障害との乖離が大きくなることがありうるということは、前項でNouriらの研究に関連して述べた、機能障害の評価法を洗練することで能力障害の予測を相当程度行うことができるということが、年齢、病後の期間などによって当てはまらない例が出てきうるということであり、やはり機能障害の評価をもって能力障害の評価を完全に代用することはできないことを意味しているといってよいであろう。

3.機能障害と能力障害との相互間での治療効果の移転(transfer)

 Soderbackは67例の後天性脳障害患者を無作為に4群に分け、(1)知的機能訓練(Intellectual Function Training:IFT)プラス標準的リハビリテーションプログラム(R)群(15例)、(2)知的家事訓練(Intellectual Housework Training:IHT)プラス(R)群(19例)、(3)IFT+IHT+R群(15例)(4)Rのみの群(18例)、として14週の訓練を行って比較した。評価には知的機能評価(Intellectual Function Assessment:IFA)と知的家事評価((Intellectual Housework Assessment:IHA20)とを用いた。4群共に進歩がみられたが、(1)(2)(3)群が(4)群よりも進歩が大きく、多くのサブテストで有意差がみられた。

 興味深いのは、より要素的な、機能障害の改善を目指した訓練を行った(1)群(IFT+R)における家事能力(IHAで評価)の優位な改善は7つのサブテスト中3つにとどまったのに、より実際的な、能力障害に重点を置いた訓練を行った(2)群(IHT+R)における要素的機能(IFAで評価)は5つのサブテスト中4つに有意の改善をみ、明らかに後者の方が優れていたことである。

 通常、能力障害を改善させるためには、まず機能障害を改善させることが不可欠だという考え方が強い。これは機能障害の改善はそのまま能力の改善に直結する(移転〈transfer〉される)と考えることにほかならない。これは一般の治療医学に強い「基底還元論(reductionism)」的な考え方である。しかしこれは常に正しいとは限らない。階層論は(障害構造論がまさにそうであるが)、各階層にはそれ独自の法則性があり、下位の階層から全面的に規定されるものではなく、相対的な独自性を有していると考える。そして上位の階層から下位の階層への規定力も又存在しているとする。人間の生活を対象とするリハビリテーション医学では、このような動的な思考法が非常に重要である。

 この研究の場合、機能障害の改善が能力障害の改善を引き起こす(汎化〈generalization〉、あるいは移転〈transfer〉)程度よりも、逆に能力障害の改善が機能障害の改善を引き起こす(汎化、移転の)程度の方が大きかったのである。これは決して不思議なことではなく、運動機能について我々は以前から長下肢装具を用いての歩行が下肢の麻痺の回復を促進すること、早期歩行自立・早期ADL自立に重要点を置いた、いわゆる「積極的リハプログラム」が歩行自立の最終レベルを著しく高め、自立に至る期間を著しく(約4分の1に)短縮するばかりでなく、下肢の麻痺をも著しく改善させることを報告している。一見、代償的アプローチとみえるものが治療的効果を持ち、真の回復をも引き出し得るのである。高次脳機能の場合にも、あるいはむしろこの場合こそ能力障害に直接ターゲットを合わせた訓練が、能力障害自体の改善とともに、機能障害の改善についても、直接機能障害に対する訓練と同様、あるいはそれ以上に有効であるという可能性があるのである。

高次脳機能障害における「できるADL」と「しているADL」

 リハビリテーションの究極の目的がQOLの向上に置かれるようになったからといって、ADLの自立は重要性を低めるものでは決してなく、むしろ「目標指向的アプローチ」に立った「QOL向上のためのADL自立促進」と、そのための「ADLの概念と範囲の拡大」こそが重要となっている。又、いわゆる「できるADL」と「しているADL」との関係についても、まず「できるADL」自体を2種類に区別して考える必要がある。即ち、訓練室における「模擬的なできるADL」と、作業療法士などが病棟等の実際の生活の場に入って評価・訓練する「現実場面におけるできるADL」とがあり、これは両者ともに異なる意義をもっており、共に重要であるが、後者がより重要である。更に、「しているADL」と「できるADL」(特に現実場面におけるそれ)との相互の関係は、作業療法士・理学療法士(コミュニケーションについては言語療法士)等とナースとの「協業」の中で、目標指向的に「(将来)する(ようになる)ADL」に向けて「しているADL」を高めることを中心に努力する中で、両者のギャップを埋めていき、最終的(家庭・社会復帰時)に両者が合致して「するADL」が実現されるというように動的な関係にあるものと理解されなければならない。このような考え方の詳細については上に挙げた文献(略)を参照されたい。

1.回復過程における「できるADL」と「しているADL」との解離

 さて、高次脳機能障害について以上のことを考えてみるとどうであろうか。現在、意識的にこのような立場に立って行われた研究は我々自身を含めてほとんどなく、むしろ今後の課題と考えるべきものかもしれない。しかし従来の研究にもこの面で示唆的なものがないではない。

 所らは7人の観念失行患者(IA群)のADLについて、1年の間をおいて詳しいADL評価を行い、同数の対照群(失語症を有する右片麻痺)と比較した。結果は全86動作の平均達成率はIA群で39.0→42.0と有意の改善はなく、対照群(85.8→92.9、p<0.01)との間に改善程度において有意の差があった。しかし、この間にIA群の患者の「ADL能動性」は著しい改善(平均達成率49.4→64.5、p<0.01)を示し、対照群の85.2→83.7(NS)との間に改善程度において大きな差を示した。この場合の「ADL能動性」とは34動作について「実際にADLがどのように行われているか」をみたものである。ADL評価は片麻痺手で「できるADL」動作に限り、実際にやらせてみて評価したものと読み取れるが、「ADL能動性」をどのように評価したのか(聞き取りか、直接観察法か、等)は明らかでない。又、この1年の間の生活状況(自宅生活か、入院・施設生活か)も明らかではない。しかしIA群に対する作業療法的アプローチの記載では、本人・家族への障害の説明、環境設定、より容易なADL手段の提供が中心であり、その結果、患者は「困難な動作はできるだけ回避し、可能な動作の中で生活することにより、ADL能動性が著しく改善した」とし、それによって実際的なADL自立度のアップ、患者・家族のストレス・不安の軽減が起こったとしている。即ち、所らの治療的アプローチはかなり生活の実態に則したものであり、その結果ここでいうADL(おそらく「しているADL」)は著しく向上したと解釈することが許されよう。

 なお、この場合「ADL」と「ADL能動性」とは評価のスケールが違うので相互の比較は難しく、初回評価時にIA群で前者の平均達成率が39.0、後者のそれが49.4と、一見後者の方が高い(対照群では「しているADL」の方が「できるADL」より低いと考えるのが普通だからである。85.8対85.2とほぼ同じ)ことを「できるADL」よりも「しているADL」の方がレベルが高かったと解釈してよいかどうかは興味ある問題である。しかし、実はこのような場合もありえないとは限らない。例えば、「しているADL」の評価法自体に問題があるか、観念失行患者の(あるいはむしろ高次脳機能患者一般の)特性(病室のような慣れた環境・日常用いている慣れた用具の方が、訓練室のような不慣れな環境・標準化された用具よりも行いやすい)によることも考えられるからである。

 いずれにせよ、この研究は高次脳機能障害患者における「できるADL」としての回復における差、即ち生活に則したアプローチにより、前者は普遍であっても後者は相当程度に改善しうることを示したものとして、重要な意味を持つものと考えらえる。

2.「しているADL」の評価法

 「しているADL」を重視しようと考えた場合、差し当たって困るのは、高次脳機能障害に関連して「しているADL」の確立された、役に立つ評価法がないことである。家事については先に触れたSoderbackのIHAがあるが、文化的・社会的背景を無視して我が国にそのまま取り入れることもできない。大川らは「半側視空間失認行動チェックリスト」を発表しており、かなり実際的なものである。しかし高次脳機能障害をもつ患者が日常生活上で示す異常行動は、ここに挙げられたものよりもはるかに多彩なので、まずそのような「高次脳機能障害における能力障害の障害学」の研究を徹底して行い、その上に立って評価法を確立することが今後の大きな課題と思われる。しかもその場合、単にADL(能力障害)を評価するだけでない。それを通じて機能障害の特性と程度までも推察することができるような評価法が望まれるのである。我々も能力障害の障害学を目指して観察の一端を報告しているが、まだまだ不十分なものであり、今後更に研究・観察を深める必要を痛感している。

機能の回復と代償について

 ここでやや原則的なことに戻って、高次脳機能障害における回復と代償とについて考えてみたい。まず第1に強調したいのは、ADL(能力障害)に対する直接的な働きかけを重視するということは必ずしも機能の回復を初めからあきらめて、代償的アプローチだけを考えるということではないということである。これは先にSoderbackの研究に関連して述べた通りであって、一見能力障害の改善のみを目標としているかにみえる実際的な訓練が、要素的な機能障害の回復をも助けることが十分ありうるのである。この点で従来、筆者を含め多くの論者が、直接機能障害に対するアプローチは機能の「回復」を目指す「治療」であるのに比べ、直接能力障害に対するアプローチは「代償」であると論じてきたが、代償という語のこのような使い方は、精緻な論議が必要となった今の段階からみればやはり単純にすぎたと反省させられる。実は、代償にはそれ自体いくつかの異なったレベルがあるのであり、どのレベルでの代償なのかをたえず明確にしながら論じなければならないのである。

1.代償の種々のレベル

 障害論でいうレベル(階層性)、即ち疾患(外傷を含む)→機能。形態障害(impairment)→能力障害(disability)→社会的不利(handicap)という因果的系列(時系列ではない)では、先のものはより低く(より基本的で)、後になるほどより高く(より複雑で多様なものに)なると考える。そして私見では一般的にいって、それぞれのレベルにおける代償があり、あるレベルにおける「代償」は次の一段高いレベルにおいては「回復」として表わされることが多いと考えられるのである。

 損傷を受けた脳において、残存する脳組織が「機能的再組織」を行って、失われた脳組織が果たしていた生理的機能を「代償」することは一般的にみられることで、Luriaをはじめ、多くの説があり、休眠シナプスの活性化、発芽等のミクロのメカニズムも次第に解明されつつある(上田)。このような生理的機能代償によって麻痺が改善したり、高次脳機能障害が改善したりすれば、それは機能障害レベルでみれば、まさに「回復」にほかならない。即ち、疾患レベル(脳生理レベルあるいは細胞・組織レベル)では失われた脳組織が再生したわけではないので、回復ではなくあくまで代償であるが、機能障害レベル(身体の運動や精神活動の現われとしての動作)では一旦失われた運動あるいは知的な機能の(多少原始的なものに退行していたとしても)回復にほかならないのである。

2.脳における代償の不安定性と多様な経験による安定化

 上田は、先に高次脳機能障害をもつ患者の多く(特に重度な障害を持つ者を除く)は積極的なADL中心の訓練の中に高次脳機能障害に対する配慮を含めて行えば、かなりの程度に改善を示し、慣れたADL場面ではほとんど問題がないようになりうる、しかしそれは必ずしも本質的な回復ではなく、代償であり、障害が潜在化した場合が多い、と述べた。誤解がないように強調しておきたいが、ここで使った代償とは、あくまでも疾患レベル(脳機能のレベル)における代償の意味である。

 例えば一側無視の患者で、はじめは食事の一側の食べ残しも著明であり、あらゆる行動にともなって一側無視がみられていたのが、実際のADL訓練の中で左側に注意を向けさせること、左側の体部もできる限り(たとえ受動的にも)使わせることにより、無視症状がいったん全くみられなくなるということは、決してめずらしいことではない。一見、機能障害としても回復したかのようにみえるわけである。しかし、それが本当の安定した回復ではないことが、次のようなことでわかる。即ち、いったん全くみられなくなっていた一側無視症状が、疲れた時、気がゆるんだ時、人に話しかけられたり、他に気をとられたとき、例えば狭い場所に入ったり、他人の動き、騒音、等があるとき、又環境が変わった時などに出現しやすいことである。又、これまでは全ての動作がほぼ完全に正しく行えるようになっていても、新しいことをやらせると異常が出現するということも多い。例えば、他の点では一側無視が消失していた患者に入浴訓練を行った場合、最初の入浴時の洗体・洗髪に典型的な一側無視が出現すること、等である。しかし重要なことは、このように新しい行為の学習の初期に「再発」した高次脳機能症状は、比較的短期間(入浴訓練の場合なら2~3回)で再び完全に消失することである。

 これは次のように考えると、よく理解できる。脳における代償、即ち新しい神経回路の形成は、実際の行動でその回路を繰り返し使う(ADLアプローチでも課題を与えて知的機能を使わせるのであるから、機能障害への働きかけを含んでおり、このようなメカニズムが働いていることはいうまでもない)ことにより強化されていくが、それはあくまでも再学習であるので、似たような課題であっても、これまで慣れた(学習が完了した)条件とは異なる条件(課題が違う、あるいは課題は同じだが環境が違う)で遂行しようとすると、少し違った回路を使わなければならなくなり、当初はそれができず著しい症状を露呈してしまうということである。しかし、新しい課題について訓練を行うと、それは結局、多かれ少なかれ既に習得した行為のバリエーションであるので、既にでき上がった回路の部分的な修正でよく、比較的短期間に修正された回路が作られるということになる。このようにして、いわば応用的課題のレバートリーが増えていくことが、脳における代償がますます精緻になっていくということであり、やがては大概のことではボロを出さない、機能障害レベルでの(活動水準のある程度の低下は残るにしても)ほぼ完全な回復といってもよいような状態へと達しうるということである。

おわりに

 以上、筆者らが最近強調している高次脳機能障害におけるADL重視のアプローチが決して機能障害の回復をあきらめて、代償(この場合は残された健全な機能、例えば視覚失認患者に残された言語機能で、視覚失認という機能障害を代償することで、これが成功すれば能力障害レベルでは「回復」となる)的アプローチを主張するものではないということについて述べた。ADLの自立は、それ自体が患者のQOLを例えわずかでも確実に向上させることにつながるので、患者の活動性・積極性を増し、しかも1日を通じて繰り返し行う(少量頻回歩原則)ことになり、脳に対する訓練効果も大きい。したがって機能障害を回復させるためにも、ADLに重点を置いたアプローチの方が、有効だとさえいえるのである。

 もちろん今後ADL訓練自体をより精緻化して、高次脳機能障害の特性に応じた分化したアプローチが可能になるように工夫する必要がある。その点で鎌倉が詳しく紹介しているStantonらの重度右半球障害に対する移乗行為の非常に緻密な訓練プログラムは、注目すべきものである。また同じく、鎌倉が紹介したPrigatanoの実生活への適応技術重視のプログラム、Doughertyらの「認知リハビリテーション」の技法などにも学ぶべき点が多いと考えられる。またNouriらの自動者運転の例にみるように、机上のテストや、机上または模擬的環境での訓練をADL評価・訓練に加えることでいっそう効果が上がることも十分ありうることである。しかし、また同時に、鎌倉がいうように代償的アプローチ(健全な知的機能での代償)を考慮しなければならない場合も当然あろう。更に進んで、上田がかつて述べたように、社会的不利に対するアプローチや心理的障害の克服(障害の受容)がQOLの向上の鍵となる場合も少なくない。リハビリテーションのあらゆる場面と同様に、高次脳機能障害においても障害の全てのレベルに目を配っての総合的な、目標指向的アプローチが結局のところ最も重要なのである。

 文献 略

帝京大学医学部講師
**帝京大学医学部教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1996年5月(第87号)6頁~13頁

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