特集/社会リハビリテーションの最近の動向 重度身体障害者更生援護施設における社会リハビリテーションの実践

重度身体障害者更生援護施設における社会リハビリテーションの実践

前川賢一

1.はじめに

 重度身体障害者更生援護施設として開設された「生活援助棟」は、入所定員50名、通所定員10名に対し、職員が23名、そのうち生活指導員は16名で運営している。当施設も他の施設と同じく、入所者または通所者1人ひとりに「ケース担当」という形で職員が配置されているが、この役割は生活指導員が担っている。入所施設なので、職員は夜勤を含む変則勤務に従事するため、「ケース担当」はメイン担当とサブ担当の2名を配置している。したがって、単純に計算すれば、入・通所者の定員に対し、生活指導員1名が6~7名の担当(メインもサブも含めて)を持つことになる。

 また更生援護施設の入所期間は、法律上5年までとなっているが、当施設では最高3年までの期間を設定している。既に58名の退所者(平成8年8月現在)があるが、平均の入所期間は10カ月である。したがって、10カ月後には、また新しい担当を持つという、速い回転をしている。

 さて、先述の通り、生活援助棟は重度更生援護施設であり、入所者が当施設で生涯を全うするという生活の場所ではない。そこのところで療護施設とは明確な区別がされなければならない。入所者が当施設で一定期間の各リハビリテーションを経て、退所後の地域での生活の選択肢として療護施設も考える場合もあるというのが、我々の施設の立場である。むろん、これは入所する本人の意思にしたがってのことである。

 例えば「○×施設で生活したいから、そこで生活するのに必要な訓練を受けたい」という主訴を本人から受けて、必要なリハビリテーションを設定するのである。つまり、当施設への入所には、明確な入所目的が本人の意思で必要となってくる。これは、退所後の生活の具体化を図るのに主体性を家族や地域に対し、本人が持ち続けるための第1段階として重要なことと考えているからである。障害の内容上、自己決定をしていく判断力に乏しい場合であっても、「主体性を求めていく」ことに変わりはない。本人の意思というものを断固として尊重していくのである。

 当施設へ入所してくる人の入所目的は、様々である。例えば電動車椅子の運転技術習得であったり、自営業への復職であったり、自動車運転免許取得であったり、日常生活動作、日常生活関連動作の向上や見直しであったりと、それこそ千差万別であるが、常に共通している点は、「退所後の地域での主体的な生活の具体化」ということである。そのために、各リハビリテーション(訓練)があり、生活指導員は、退所後の生活のコーディネーターとして業務に励んでいる。コーディネーターとしての生活指導員が携わっている訓練と業務を説明することで、「社会リハビリテーション」について当施設の考え方を述べていきたい。

2.各訓練における指導上の留意点

 「社会リハビリテーション」の訓練には、外出訓練、調理訓練、創作訓練、自立生活実習訓練、グループ学習(自立生活セミナー・生活便利品研究セミナー)、園芸訓練、自動車運転訓練等が行われており、各訓練には生活指導員が配置されている。これらの訓練は、総合的には生活に直結する事柄ばかりであり、それを指導するのが生活指導員であるから、まず、生活指導員は、「生活」とはなにかを聞かれたら即答できる指導者でありたい。「生活」に対する明確な解答を持っていないと、単に身辺の整理整頓や歯磨きの技術の強制、すなわち指導の押しつけに陥ってしまう。また、「生活」に対する明確な解答こそが各施設の個性や特徴となっている。いずれにしても、生活指導員または相応の職域の者が「生活」とはなにかについて答えられなかったら、仕事は成り立たない。

 私は、「生産したものを活かすこと」こそが生活の根本であると考える。社会リハビリテーションを進めていくうえで、特に消費的生活を強いられがちな体の不自由な人に対し、生産性を求める訓練ないし取り組みは、社会性の回復または促進のために有効なものである。実際、入所期間中に食堂で食べる自分の食事の支払いがどうなっているのか、またいくらかかっているのかを知らないばかりか、自分の年金がいくらなのか知らなかったり、その存在すら知らない人が思いのほか多いのに驚かされる。

 また、生活指導員は食事の介助の際、配膳を依頼されるまで介助を行わないが、入所者が今まで持ってきてもらえるのがあたりまえなのでそのような依頼をしたことがなかったり、食事の食べる順番を聞かれると驚かれたりする。「このおかずを最初に食べる」とか、意思表示の機会を失ってきているのである。「主体的な生活」の実現は、現実的にはこんなところから始めていかなくてはならないのである。これらは、消費的な生活ばかりさせられているところに要因があるだろう。

 単に収入の有無の問題だけでなく、介助1つとっても、主体性の喪失、ひいては人との関わりや、1つのものに携わっている人の動きや心すら(例えば食事は献立として作る人がいて、その材料を畑で作って、またそれを運送する人がいる。全てを含めて、1回の食事の値段となっているということ)見えなくなっている。こういうことに対して指導を段階的に行っていく場合が多いのだから、「生活」に対する解答が必要なのである。

 次に実際の指導の場合で、主体性を養ったり、尊重していくために重要なこととして、指導上の目的と目標の設定を常に行わなければならない。

 主体性というのは、まかり間違うと、職務を放棄する理由になりえる危険をはらんでいる。指導上のミスを、その人が選んだ結果と言ってよいと解釈をしてしまう怖さがあるからだ。勿論、そんなことは絶対にあってはならないが、常に指導上、目的と目標を明確に区別して日々のぞむ指導員であれば、そのような失敗はありえない。

 主体性は、本人が考えたテーマを持つことが重要で、これは指導員が相談しながら示唆する。それを本人が理解することが大切である。したがって、ある程度判りやすく具体的な表現が用いられなければならないが、本人に与えたテーマに基づいて、訓練を行い、その結果得るものを指導員は具体的に持っていかなければならない。前者が目標で後者が目的であるが、「目標」は方向性の示唆であるのに対し、目的は、方向性を与えた結果到達するものである。だから「目標」と「目的」は全く違うものであり、混同して使ってはならない。「目標」が「~しよう・~になろう」で、その結果得ようとするものが「~になる」ということが「目的」である。この区別を明確にし、訓練にのぞむことで、「主体性」を重んじた「社会リハビリテーション」は実現可能だと考えている。

 当施設では、これらの点に留意して各訓練を導入しているが、もっと各訓練そのものの中での指導上の留意点としては、「ちゃんと」「きちんと」「努力」「根性」という言葉で指導をごまかさないようにしている。さらに、当施設の入所者の傾向として「頑張って」という言葉もあまり好まれない。これらの言葉を使ってしまえば、それだけで済んでしまうのである。「ちゃんと」するには具体的にどうするのかが指導なのであって、これらの言葉は、指導上の禁句である。全体的には、これらのことに留意して社会リハビリテーションを行っているが、次に具体的な取り組みとして、いくつかの訓練を紹介する。

3.外出訓練

 外出訓練というと、「移動訓練」や「買物訓練」というイメージがつきまとうが、当施設での外出訓練は趣を異にしている。これは、先述した「主体性」を根拠としているのであるが、例えば歩けなかった人に機能訓練、すなわち移動訓練を施して歩けるようになったとして、その人が退所後の生活で、果たして歩くかどうかということである。さらにいうと、それで外出するかどうかといえば、これは絶対にそれだけでは不足している。逆に、少々乱暴な表現となるが、その人が行きたいところ、行かなければならないところ、広義的には外出意欲の維持または促進が図れれば、それに伴う移動手段は後から自然についてくる、獲得されていくというぐらいに思っている。

 したがって、移動訓練等は、副次的にメリットとして位置づけた方が訓練効果が高いことが、既に実践を通して確信となってきている。これも、結局のところ「目標」と「目的」の区別なのである。

 さて、こうした考えに基づいて設定している外出訓練なので、外出訓練自体の入所者へのアプローチは、「退所後の外出の機会の確保と手段の確立」を大きな目的にして行っている。

 おおむね個別に訓練するのだが、まず最初に本人と一緒に退所後の生活圏まで赴いて、交通機関、生活に利用しうる店舗の有無、金融機関、道路事情等を、本人の自宅周辺で徹底的に調査する。勿論、自宅からこうした地域資源の距離を計測することも怠らないが、物的な資源のみでなく、人的な地域資源、すなわちヘルパーやボランティア等の存在も全て調査をする。そして、自分の外出をいかに行うかを自分で考えてもらいながら、1回1回の外出訓練を試行していくのである。人的資源が必要な場合は、同行する職員を地域の支援者として仮定して、支援の具体的な依頼の方法等を試し、また次の外出訓練に活かしていくことにしている。

 この外出訓連を「自主外出訓練」と呼んでおり、所定の用紙に行程や、内容、同行する職員への要望等を記入して行うのだが、回数を重ねるうちにある変化が起こってくる。最初のうちは「同行する職員への要望」の項には「○○を手伝って欲しい」「○×を介助してほしい」という介助依頼の内容が書かれてくるのが常なのだが、回数を重ねるうちに「○×は自分でするから後ろで見ていてほしい」とか、「自分から依頼するまで離れていてほしい」と内容が変わってくるのである。こうして、最終的には、退所後の直接の支援者と一緒に外出訓練を納得いくまでしてもらい、完全に機会の確保と手段の確立が出来てから退所するようにしている。

4.調理訓練

 調理訓練も、外出訓練と同様に個々のニーズに対応しなくてはならず、基本的に個別訓練的な要素が多い。単身生活か家族同居か、経済基盤がどうか、食材の購入は外出訓練と連動してどうするか等、考えることは実に多い。中には調理師としての復職という目的で調理訓練を受ける人までいる。

 特に、当施設の考え方がよく表れていると考える調理訓練の1つに、手足が不自由で全く自分では調理することが出来ない人であっても、本人の希望があれば調理訓練を導入することにしている。これらは、自分が食べたいものを作ってもらうように支援者に作り方を依頼しておく。やはり、「主体性」とそれに伴う人との関わりの手段と維持の具体化を行うのである。

 調理訓練も、最終的には外出訓練と連動して、退所後に自分が使用するキッチンで納得するまで行う。これもやはり、退所後の直接の支援者とともに行って終了するのである。

5.自立生活セミナー

 先述の2つの訓練が、入所者1人ひとりによって内容も回数も随分違い、個別的な取り組みなのに対し、自立生活セミナーは希望者が集まって週に1回行う、グループ学習的な取り組みである。

 グループといっても、希望者の集団なのであって、いわゆる医学上の障害の別によるグループ化は一切図っていない。施設にありがちな、障害の程度による入所者同士の対立や差別感を助長するような取り組みをしたくなかったからである。「自立生活セミナー」は、相談業務、講義、ディスカッション、マップ制作の4つの柱で構成されている。

 1つめの相談業務では、参加者が1人で悩んで解決出来ないことや相談したいことを出し合って討議をする。例を挙げると、車椅子使用者から「電車に乗る時の位置に困る」という相談があった。これは、どの車両に乗ってその車両のどこにどの方向でいれば良いかという相談であり、駅員の対応の問題や他の乗客への配慮、揺れやブレーキに対しての安全を考えてのことであった。討議した結果、最後尾の座席横で進行方向に向いて乗車するという結論になった。

 その他には「雨天時に外出が出来ない」という相談もあり、車椅子を操作しながら傘を持つことが困難であることから問題を発している。すっぽりかぶれて車椅子もある程度覆える雨具の利用で解決策を見いだした。また「ボランティアが見つからない」といった人的な支援についての相談もあったが、入所者間で情報交換が行われ、さらには今後のボランティアの整備についての議論に至るケースもある。

 2つめの講義では、自立生活をする上で役に立つこと等を職員が整理して、何回かに分けて講義形式で行っている。具体的には「外出時の基本的な移動の手段の考え方について」というテーマで、1キロ先の目的地に自分の足で1時間かかる人がそれでも歩くのか、それとも電動車椅子等を利用して移動時間を短縮し生活時間等の確保、充実を図るのか、いずれなのかという内容を話したりする。個人によって自由だが、電動車椅子を利用することで極端に筋力が衰えてしまうのであれば、生活の時間の確保、充実はなんからの形での運動量の確保があった上で具体化してほしいと話している。現在の体力を維持するために、どれだけの運動量が必要で、退所後にその必要な運動量をどう確保するのかを決めるために、PT、OTはあると説明している。

 3つめのディスカッションでは、デパート職員や銀行行員、鉄道会社駅員等、対外的に様々な人を招いて障害者問題について討議を行っている。「外出に関する人的な支援体制」というテーマで開催した時は、特に支援者をボランティアに絞って、実際に地域のボランティアを招いて支援者と当事者の関係作り等の話し合いを行った。

 また無償ボランティアと有償ボランティアの両方を招いてどちらが良いのかについて討議を行った。勿論、意見は分かれたが、大切なことはそのような選択肢がたくさんあることという結論であった。また、「旅行に行きたい」という思いがあっても、実際多くの困難がありツアーに参加出来なかったことから、旅行会社を招いて話し合いを行ったりした。

 現在、旅行会社と共同で東京の国際福祉機器展へのツアーを企画しており、当事者と業者の双方が具体的に何を理解し合っていけばよいのか確かめ合っている。「当事者の意見が反映されるシステムの構築」、これがディスカッション形式の自立生活セミナーである。

 最後にマップ制作であるが、退所後に利用する地域資源、金融機関や公共交通機関の駅等を調査して一冊の情報誌にするという取り組みである。

 普段の外出先で顔なじみになり、地道に設備改善していくというような効果と比べて、非常にインパクトが大きいというメリットを持つとともに、自分以外の障害のことを考えながら調査することにより、広い視野を持った福祉観を養うという目的も持っている。

 以上、自立生活セミナーは、主体性、自主性の向上または回復にとても有効なものになっているばかりか、先にも述べた当事者の意見が反映されての地域との強調や理解に一役を買っていると考えている。

6.生活便利品研究セミナー

 これもグループ学習の一環で、自立生活セミナーとは同系列の訓練である。基本的には、自分の生活に便利なものを低コストで開発することを中心にしているが、そこから波及して、活動内容は多岐に富んでいる。福祉機器の開発とも関連は深いのだが、あえて低コストの実現ということで生活便利品と呼んでいる。さて、この「生活便利品研究セミナー」も、個人の便利品、全体の便利品、講義、住宅改造と大きく分けて4つの内容がある。

 1つめの個人の便利品は、参加者がこんなことで不便しているということを出し合い、それに対応しうる物の紹介や、開発、工夫を話し合うのである。ここで重要なコンセプトは、個人に福祉機器が合わせるのであって、福祉機器に個人があわせるのではないということである。大量生産大量消費の経済システム、ひいてはそれを支えてきた組織形態のままではもう対応出来ないし、新しい経済、または商売のあり方等のヒントが、ここにあると確信するのである。新しい価値観のヒントが福祉の業界にある。

 また、2つめの全体の便利品は、公共のハード面の工夫について扱っており、駅のプラットホームから電車に乗るための簡易スロープの開発等を手掛けてきた。個人の便利品とは対局の位置づけであり、個人に福祉機器が合わせていくという流れには矛盾を感じるところである。障害者別でグループ学習を導入せず、こういう形のセミナーにした理由にも立ち返らなくてはならない。

 あまり個人個人と言いすぎて「私に便利だからそれで良い」という考えがもたれる恐れもある。「あなたには便利でも私には不便」、この原点は不変であり、それを感じるから個人の便利品が出来たのである。それに、公共機関の環境整備は、常にあらゆる障害に対応できるという普遍性が必要で、これについても意見を言っていかなくてはならない。誰が言うのか、それは勿論、使う当事者、体の不自由な本人が言うべきで、その意見が反映されなければならない。

 3つめの講義は、「福祉機器における行政のサービス」や手続きの方法、また車椅子を申請してから手に届くまでどれぐらい時間がかかって、それがなぜそんなにかかるかについての説明や、そういうことをテーマ別にして何回か講義を行っている。

 4つめは住宅改造であるが、障害者の大半はなんらかの住宅改造を希望しており、思った以上にニーズが高く、生活便利品研究セミナーの内容の1つとして取り入れた。県の建築士会、大学の工学部が毎週セミナーに参加し、時には実際に自宅まで同行してもらう等して、具体的な改造を検討している。

7.おわりに

 4つの訓練を中心に紹介したが、また機会があれば他の訓練等も紹介したい。ここに取り上げた各訓練も、ほんの一部分しか記すことが出来なかったが、「社会リハビリテーション」の実践として「主体性」をいかに重んじているかは、分かっていただけたのではないかと思う。

 しかし、もし全ての訓練を説明したとしても、生活指導員の業務としては、ようやくその半分くらいを伝えたに過ぎない。残りの半分は、家族や地域福祉との連絡、連携や啓発等が挙げられる。そして、そのどれもが入所者を通じ行われるのであり、生活指導員として絶対にしなくてはならない業務なのである。

三重県身体障害者総合福祉センター生活援助棟


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1996年11月(第89号)25頁~29頁

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