特集/社会リハビリテーションの最近の動向 当事者主体の自立生活サポート

当事者主体の自立生活サポート

―自立生活センターにおける実践―

全国自立生活センター協議会・自立生活プログラム小委員会

1.はじめに

  ―わが国の自立生活運動の流れ―

 わが国で、重度の身体障害者が自立生活を試みるようになったのは、1970年代の初めのころだったようである。

 それまでは重度の障害者は、施設に行くか、家族の保護を受けて生活するかの2つの選択肢しかなかった。しかし先駆的な障害者たちは、施設や家族の保護を拒否し、地域でアパートを借り、学生や労働者たちによる24時間の介助ローテーションを組んで生活するという、「第三の道」を模索しはじめた。

 当時リハビリテーションからみた自立の概念は、「身辺自立」と「経済的自立」が中心だった。つまり、着替え、トイレ、食事といった身の回りのことが1人でできるようになることと、働いて収入を得ることが、「自立生活」には欠かせない要件だったのである。

 ところが、「第三の道」の模索は、そのような「自立」の概念を大きく変えた。

 身の回りのことが自力でできるように訓練を重ねても、障害の重い人には一生かなわないことかもしれない。それよりも、できないことは、人にやってもらえばいい。また、障害の重い人が、現在の資本主義の経済構造のなかで収入を得ていくことは、至難のわざだ。無理をして就労し、身体を壊してしまうよりも、障害者年金、福祉手当、生活保護などを受けて、自分の好きなことや生き甲斐を見つけていくほうがいいのではないか。

 つまり、身の回りのことができなくても、働いて収入を得ることができなくても、自分で自分の人生を決定していくことができれば、それは立派な「自立」ではないかという考え方が確立されていった。この考え方は、多くの障害者の共感を受け、その後このような自立生活をめざす障害者の数は飛躍的に増えていった。

 1981年の国際障害者年になると、アメリカの障害者が来日し、バークレーなどで盛んになった自立生活運動を紹介した。同時にミスタードーナッツの障害者リーダー留学制度などにより、わが国の障害者も、渡米してアメリカの自立生活運動を学ぶ人が増えた。そして、アメリカで学んだ人を中心に、アメリカ型自立生活センターを参考にして、1986年には東京都八王子市でヒューマンケア協会が、1989年には東京都町田市で町田ヒューマンネットワークが設立された。

 1970年代のわが国の自立生活運動は、地域での生活スタイルの模索とともに、年金などの所得保障要求や介助料の獲得闘争など、行政に対する要求型の運動として発展していった。

 そして1980年代の自立生活センター運動は、障害者自身が主体となって、自立生活に必要なサービスを提供していくという、質的な変化をもたらしている。そのことは同時に、1970年代には情報提供や介助者の確保が、きわめて個人的、自給自足的に行われていたことに対して、1980年代以降は組織的、社会的に行われるようになったという変化をももたらしている。

 自立生活センターはその後、全国各地に増えつづけ、1991年11月には、センターの横のつながりを深め、連帯していく「全国自立生活センター協議会」が結成された。ここでは、全国の委員によって作られる「ILP(自立生活プログラム)小委員会」「ピア・カウンセリング小委員会」「介助小委員会」などの小委員会が中心になって、センターの設立・運営のノウハウを広め、各事業の普及を図っている。1996年7月現在、センターの数は全国で59カ所になっている。

2.自立生活プログラムのいろいろ

  ―町田ヒューマンネットワークの実践から―

町田ヒューマンネットワークの活動

 町田ヒューマンネットワーク(東京都町田市。以下MHNと略す)では、以下のような事業を行っている。

① 有料介助派遣(利用者は一時間あたり900円支払い、介助者は800円を受け取る。100円は事務手数料)

② 自立生活プログラム(以下ILPと略す)

③ ピア・カウンセリング講座(集中・長期)

④ リフト付きキャブの運行

⑤ その他、各種相談活動

 MHNのスローガンは「エンジョイ自立生活」であり、「どんなに重い障害を持とうとも、人生はたった1回、最高に充実させ、楽しんで生きよう」ということをめざしている。

 ここでは、とくにILPについて述べていきたい。これまで自立生活をめざす障害者の多くは、自立生活を始めようとするとき、すでに実践している先輩障害者を個人的に訪ねて、住宅の確保や、改造の仕方、年金・手当て・生活保護の情報、介助者の集め方、介助者とのトラブルの対処方法など、個人的に学んでいた。ILPは、これらを自立生活センターの事業としてプログラム化したものである。

 MHNのプログラム(週1回、全12回を1期とする)は、「自立生活に必要なノウハウを学ぶ」という基本を押さえつつも、「肩の力を抜いて生活を楽しもう」「自分自身を好きになろう」という考え方をベースに行ってきているせいか、わりと人気があり、町田市とその周辺ばかりでなく、東京都23区内や千葉県などからも障害者が参加している。

ある日のILP

 次の表は、現在MHNが行っている第13期のプログラムである。現在20代から50代までの8名(男女各4名ずつ)が受講している。まず、最近行われたプログラムの例を、具体的に紹介する。

表 第13期 自立生活プログラム
テーマ『コミュニケーション 仲間をふやそう』

日 時

テ  ー  マ 内      容
6/26(水)
 1:30~4:30
自己紹介
目標を決めよう
さぁ、3ヶ月間の目標を考えてみよう!
7/3(水)
 10:30~4:30
いいところを探そう! あなたのすてきなところを、どんどんアピールしましょう。
7/10(水) 
 10:30~4:30
フィールド・トリップ① 梅雨空を吹き飛ばして、外へレッツ・ゴー!
7/17(水) 
 1:30~4:30
わたしのからだ (障害について)  自分に障害があるって、どういうこと?
7/24(水)
 1:30~4:30
自己決定・自己主張 素直に自分の思うこと、考えをはっきりいえますか?
7/31(水) 
 1:30~4:30
コミュニケーション ①
友達の輪!をひろげるには…
あなたの友達と知り合うきっかけは、どんなこと?
8/7(水) 
 1:30~4:30
コミュニケーション ②
いいたいことを伝えたくて
言語障害があって、なかなか相手に通じない。その時あなたは?
8/28(水) 
 1:30~4:30
コミュニケーション ③
みんなの夏休みを話そう!
今年の夏は、どんな人と出会いがあったかな
9/4(水)
 10:30~4:30
フィールド・トリップ ② 楽しくおしゃべりをするための福祉機器を探してみよう!
9/11(水)
 1:30~4:30
健康管理について そろそろ夏の疲れが出る頃。 わたしの元気のもとは…?
9/18(水) 
 1:30~4:30
フリー・プログラム さぁ、今日は自由にやりたいことをしようよ
9/25(水)
 1:30~4:30
反省会・終了パーティー 3ヶ月間、振り返っていかがでしたか?

* 8/14・21は夏休みです。
* フィールド・トリップ、フリー・プログラムの内容は、みんなで話し合って決めます。
* 送迎やプログラム中で介助を必要な方は、各自でMHNへ依頼してください。
* 都合によっては、プログラムの一部を変更することもあります。

 午後1時すぎ、町田駅近くの「わくわくプラザ」に、三々五々、障害をもつ仲間たちが集まってくる。「わくわくプラザ」は市立の高齢者向けの施設であるが、駅から近いこと、エレベーターや障害者用トイレなどが完備していることから、ILPではよく利用させてもらっている。この他、公民館、健康福祉会館など、公立の会議室・集会室をILPの会場にあてているが、会場の確保にはいつも頭を痛めているのが現状である。

 さて、この日は3人が休みのため、2人のリーダーを合わせて7人のメンバーで、プログラムはスタートした。リーダーの1人である脳性まひのNさん(30代、女性)は、かつてはこのプログラムの受講生だった。3年前に市内の授産施設を出て自立生活を始め、現在はその授産施設で出会った男性と結婚、市内のアパートで2人で生活している。

 第13期の総合テーマは、「コミュニケーション・仲間をふやそう」である。これは、言語障害をもつNさんが、自分自身の問題として取り組んでいるテーマでもある。そしてこの日のテーマは「言いたいことを伝えたくて」となっていた。

 プログラムの最初は、恒例の「ニュー・アンド・グッズ」。この1週間のあいだの、よかったこと、新しかったこと、楽しかったことを、1人3分くらいずつで順番に話す。

 私たちは普段の生活のなかで、嫌だったこと、くやしかったことなどは強く印象づけられるが、楽しかったことなどは見落とされがちだ。受講生も慣れないうちは「よかったことなんて何もないよ。いやなことならたくさんあるけど」と言う人が多い。しかし、テレビのオリンピック中継にわくわくしたとか、久しぶりになつかしい友人から電話があったとか、大好きなメニューの食事をしたとか、意識的に探してみれば、「よかったこと」は結構日常生活のなかにころがっている。週1回必ずみんなの前で話すと思うと、それぞれ何かしら「よかったこと」を探してくるようになり、この時間を心待ちにする。「ニュー・アンド・グッズ」は、とかく平凡に流れがちな毎日の生活を、肯定的・積極的にとらえなおすトレーニングでもある。

 続いて、この日のテーマに沿って「自分の言葉が相手に伝わらなかったとき・あるいは聞き取れなかったとき、どんな気持ちがするか」を、やはり順番に出し合う。

 最後まであきらめないで聞いてほしいという人、逆に聞き返されると言うのが嫌になってしまうという人、どうしても通じないときには「リンゴのり」「ラジオのら」というように1語1語説明して伝えるという人、最初から自分の言うことの半分伝わればいいと割り切っているという人など、さまざまな思いが話される。また普段は聞けるけれど、疲れているときに言語障害の重い人から電話があると、からだが拒絶反応してしまうので、そういうときは「FAXにして」と頼んでいるという人もいた。

 そして「言葉がうまく通じないときにどうしているか」のロールプレイ(寸劇)を行う。

 言語障害の重いHさん(男性)が、町で依頼カードを使って通行人を呼び止め、タクシーを呼んでもらい、運転手にカードを示して施設に帰るまでのシーンを演じる。呼び止められた通行人がとまどったり、タクシーの運転手が道をまちがえてブツブツ言ったりする場面に、見ている人たちは笑いころげる。

 ロールプレイは、具体的に援助を頼むためのトレーニングとして使われたり、障害者が親や駅員の役を演ずることで、逆に普段自分たちを「抑圧している」立場の人の心情を考える機会になったりと、さまざまな効果がある。しかし、なによりも日頃の抑圧されがちな場面を再現し、自分たちでそのシーンを笑い飛ばし、共感・応援しあうことで、心理的な安心感を分かち合うことが、いちばん力になっているようである。

 3時から20分の休憩。その後、言語障害をめぐるフリートーキングを行う。「通訳を入れて」と言われたときにどんな気持ちがするか、言語障害のある友人の代弁をどこでしていいのか、トーキングエイドや絵カードの利用法など、さまざまな話が飛び交う。

 最後に、その日の感想と「夏休みに期待すること」を出し合い、4時半、この日のプログラムは終了した。

ILPのねらいと効果

 ILPの運営の基本は、意見交換よりも「話の聞き合い」に比重がおかれている。人の意見を批判したり、アドバイスしたりするのではなく、それぞれの体験や気持ちを分かち合い、そこから自分の生きる知恵を学び、感じとっていく。これは自立生活センターのもう1つの重要な事業である「ピア・カウンセリング」の考え方とも共通している。

 「ILPに参加すれば、自立が可能になるのですか」とよく聞かれるが、「1期や2期参加したくらいでは、まず自立はできません」と答えることにしている。ILPのねらいは、むしろ「障害をもつ自分を好きになること、すなわち自己受容」であると思っている。

 もちろんILPを受講した人のなかには、「電動車いすに乗れるようになった」「介助者を頼めるようになった」「制度の勉強をしたおかげで、これまで知らなかった手当てを受けられるようになった」等、具体的に目に見える効果を示してくれる人もいる。しかし、もっと目に見えない効果、たとえば「楽しい」「元気が出てきた」「前よりも積極的になれた」等、精神的な効果を示す人が多い。

 前述したリーダーのNさんは、かつてILPやピア・カウンセリングを受講したことで、「それまでは、マヒして使えない、曲がったままの右手を隠すようにしてきたけれど『Nさんの右手はとってもすてきだよ』と言われて、障害をもったままの自分を好きになれた」「なんとか自分で日常生活のことができないと自立はできないと思っていたけど、できないままでいいんだと思えるようになったことで肩の力が抜け、具体的に自立を考えられるようになった」と話している。

 6年半ILPに関わってきて、「自立生活の第1歩は、まず自分自身を好きになることだ」という実感は、ますます強くなっている。

 MHNのILPには、この他、障害の重い人たちを対象にした6回コースの「お遊びクラス」がある。これは、家族や教師以外の人たちの介助を受けて、遊びを通じて世界を広げていこうというのがねらいである。

 また2年ほど前から自立生活プログラムの一環として、自立生活体験室の運営を始めた。体験室は、MHNが借りているアパートを利用して、何日間か親元や施設を離れて暮らしてみる場である。そこでは、利用者は①宿泊サービス、②介助派遣サービス、③個別自立生活プログラムの3つを組み合わせて生活を作ることができる。

 さらにMHNでは、現在プロジェクトチームによる自立生活のサポート体制作りを試行し始めている。これは、自立生活を希望する人に対し、MHNがチームを組んで、家探しや介助者の確保・管理をある程度代行しようとするものである。この試みがうまく行けば、かなり障害の重い人(機能面ばかりでなく、社会体験の不足による社会性の乏しい人も含む)や、知的障害をもつ人でも、自立生活をスタートさせることが可能になるだろう。

 MHNが創設されて約7年、自立生活を支えるシステムは、年々充実してきており、毎日の活動そのものに“わくわく”感を味わっている。

3.Aさんの自立

  ―自立生活センター・立川の実践から―

 自立生活センターは障害者の自立を支援するために自立生活プログラムを中心としたサービスを提供している。受講生がプログラムを終了し具体的に自立生活の1歩を踏み出す際には、個別・具体的なサポートを行っている。

 ここでは、自立生活センター・立川(東京都立川市)のサポートを受けながら、自立へ踏み出したAさんの例を紹介したい。

「施設を出たい」 ―Aさんの願い―

 Aさんは40代の女性。脳性まひによる四肢機能の障害があり、車いすを使用。20数年間にわたり東京都の授産施設で(出身地B県C町からの措置)生活していた。

 1992年10月に、Aさんは自立生活センター・立川に相談のため来訪した。相談の内容は「障害が加齢によりだんだん重くなり、施設と家族の判断で出身地B県の山奥の療護施設に措置変更されそうになっている。施設での生活を続けたくはないので、療護施設には行かず自立生活を始めたい」というものであった。

 センターは本人と相談し、年末から年始にかけて実家には帰らずに、自立生活体験室を利用して宿泊体験プログラムを組むことになった。15日間にわたるプログラムの中で

 ①日常動作のどの程度が自力で行え、どの程度介助を必要とするか

 ②複数の介助スタッフとコミュニケーションをとれるか

 ③介助者にきちんと指示ができるか、日常の生活のスケジュールをどの程度組み立てられるか

 ④金銭管理をどの程度サポートが必要か

等をポイントに考え、また、Aさんに自立生活を行う先輩たちの生活を見てもらうことでより具体的なイメージづくりを行った。この結果、Aさんの自立への目標はより具体的なものになっていった。

周囲の反対のなかで

 しかし、残念ながら家族はAさんを子ども扱いし、自立には頭ごなしに反対の立場をとっていた。

 1993年3月になり、施設側から「施設、C町福祉事務所、家族でAさんの今後について相談を行うので、センターにも参加してほしい」との要請があり、Aさん本人の出席を条件としてセンターとしても参加することにした。しかし、当日Aさん自身は風邪のために出席できず、不本意ながらもAさん不在で話し合いを行った。

 この話し合いでは、施設と家族(Aさんの兄弟)が自立に反対の意思を表明した。施設側は事前に職員会議を開き、①金銭管理ができない(小遣い帳がつけられない)、②自立のためには全部自分でできなければならないのに、介助職員に甘えている、③家族が自立に反対している、④本人の自立への意思が曖昧である、との点で、Aさんには自立は無理、という判断を下していた。また、家族はAさんには知的に障害があり、物事を正しく判断する能力がないと述べた。

これに対してセンターは、①自立に向けた本人の意思ははっきりしている、②介助者のサポートを受けるのは自立生活を行う上では当然であり、本人が介助者に適切に指示できれば問題ない、③センターでの宿泊プログラムの実績から見てAさんは自立生活を始められる、との反論を行った。

 この時点で結論は出ず、後日、施設から家族は反対の意向を変えていないとの連絡があった。そして、Aさんの兄から、Aさんを交えて家族で話をした結果自立を断念することにした、との旨の手紙が届いた。

 Aさんにこれを確認したところ、家族とは話をしていないし、意思は変わっていないとのことであった。また施設において、施設長に呼ばれ「自立している障害者はお金ばかりとる悪い人たちだから、近寄らないように」と注意され、施設職員からも「センターが迷惑しているからあまり行かない方がよい」と促されたとのことであった。

 その後もAさんと連絡をとり続け、3月24日に来訪してもらい再度の意思の確認を行った。4月からの自立生活プログラムに参加しながら、自立の時期を決めることにした。

 Aさんは5月の連休に実家に帰り、再度、家族に対する説得を試みようとした。しかし、家族はAさんの話を取り合わず、逆に療護施設の見学に連れていき入所を促したため、Aさんは失意のまま帰ってきた。

 その後、施設の設立法人の理事D氏と会う機会があり、これまでの経過を話して相談したところ、「施設を出るという本人の意思を大切にしたいが、黙って出ていくことは施設にとっても良くないので、施設や家族との再度の話し合いを持って欲しい」との助言があった。これを受けて、話し合いの場を持つことを申し入れたが、施設長より家族の反対の意思は固いとのことで、拒否された。

 その後、具体的に施設を出る日をAさんとの相談で決め、Aさんから施設と家族にその事を告げてもらった。依然として、家族は反対の立場を崩さず、D理事とも相談した結果、ぎりぎりまで家族の理解を求める努力をする方が良いとのことで、施設退所を遅らせ、自立生活体験室で1週間の実習期間を設けて、その間に家族を説得することにした。

 Aさんよりこの実習について、施設に申し入れをした所、家族の反対を理由に却下されてしまった。Aさんはこのままでは施設に閉じこめられ、家族が迎えにきて実家に連れ戻されるとの不安を感じ、施設から出ていくことを決めた。これについて施設とやりとりをする中で、家族が施設に向かってきていることがわかり、Aさんはセンターに対して助けを求めてきた。

「拉致」と言われながら

 センターのスタッフがAさんを迎えに行くと、施設から出て行こうとするAさんを施設職員が止めに入り、口論となった。施設側は「家族が施設に着いてから、一緒に出て行ってほしい」と譲らない。そこでD理事に電話をし、Aさんの意思を確認してもらい、センターの職員が代わりに残ることで施設から出ることができた。家族とは翌日、センター事務所で話し合いを持った。ここでもAさんは自立の意思をはっきりと表明したため、この場では家族は連れて帰ることをあきらめた。

 その後、施設長から「今回の件は自立生活センターによるAさんの拉致であり、施設へAさんを戻すように。場合によっては力ずくでも施設に連れ戻す」との申し入れがあり、また、家族からの訴えを受けたC町福祉事務所から措置解除のためAさんの意思確認をしたいのでC町に来るよう求められた。Aさんは実家のあるC町に行くことを頑なに拒み、また福祉事務所と家族が結託してAさんを連れ去ることも考えられたので、拒否することにした。

 厚生省やB県にも働きかけた結果、福祉事務所の方から立川に出向いてAさんの意思を確認することになった。しかし、福祉事務所職員は何の連絡もなしに家族や施設長を伴ってセンターを突然訪問して来た。家族や施設長の非難を浴びながらも、センターはAさんの意思に沿って家族との対面を拒否し、福祉事務所職員だけにAさんと話をしてもらった。

 2日後に、福祉事務所よりAさんの自立への意思がはっきりしたとして措置を解除する旨の連絡があった。これを聞いてAさんもホッとし、よく眠れるようになったそうである。それからAさんはようやく施設の退所手続きを行い、住民票を移すことができた。

自立に向けての体制づくり

 その後、Aさんは自立生活体験室に腰を落ち着け、各種制度の申請や住宅捜しを行った。Aさんが利用する制度は生活保護、心身障害者福祉手当、特別障害者手当、重度手当、ヘルパー派遣、東京都脳性麻痺者等介護人派遣事業、立川市登録介護人派遣事業、緊急一時保護など多岐にわたっている。これらを役所で1つ1つ申請していかねばならず、診断書が必要な制度もあり、すべての申請を出し終わるまでに1ケ月近くかかった。

 これらの手続きと平行して住宅探しを行った。Aさんは室内でも車いすを使用するため、入り口、室内の段差が無いことが条件になる。また、お風呂やトイレ等に手すりなどの改造も考えなくてはならない。介助者の確保という点から駅から遠い物件は難しく、生活保護のため家賃にも上限がある。

 Aさんはセンターのスタッフと一緒に不動産屋を回り、数十件の物件を見た。希望の条件を満たす物は少なく、また、これは良いかなと思ったものも大家さんの理解が得られず断られる等で、家探しに1ケ月を費やし、さらにそこから改造の相談、改造費用の申請等を行い、実際に入居できた時には施設を出てほぼ2ケ月が経っていた。

本人の意思を第一に

 Aさんの自立を支える際のセンターの一貫した姿勢として、Aさんと話をし、1つ1つ意思確認をしていく、ということがあった。障害当事者であるスタッフが同じ障害を持つ仲間(ピア)としての立場で、Aさんの話を聞き、Aさんの意思を確かめながら助言を行っていった。家族や施設、福祉事務所と対立することになったのは、それらの人々に、この視点がまったくなかったためである。施設や行政の職員がAさんの明らかな意思を無視し、家族の方ばかり向く姿勢には激しい憤りを覚えた。

 Aさんには自立の意思をはっきり示すため、家族や施設に対して堂々と出てくることを薦めた。また、センターとしてもAさんの意思を尊重するよう、事あるごとに家族、施設、行政に申し入れ、厚生省やB県に対しても本人の意思と家族の保護義務、行政の措置権について問いあわせて、本人の意思が第1であることを確認させた。

 施設退所が決まった後、体験室にて制度の申請や住宅探しを始めたが、このときもAさんと相談しながら、スタッフが一緒に役所や不動産を回った。特に制度に関しては、前述した制度を早く申請する必要に迫られていたため、Aさんも内容を把握しきることは難しく、徐々に覚えていくしかないと、センター主導で進めた。

 住宅探しにおいても、住宅を借りる際の手続きや、物件・改造についての助言を行い、不動産屋や工務店の紹介を行ったりした。また、生活の面においても生活費の使い方の相談を定期的に行い、家計簿の記入についての援助も行った。介助の面においても、センターの介助派遣部門から介助スタッフを派遣して、介助体制の確立を図るとともに、Aさん・介助スタッフ双方の相談に乗った。介助スタッフ同士の打ち合わせ会を開き、意見交換を行ったりもした。

 Aさん自身もつまずいたり、失敗したりしながら、経験を積んでいく中で、介助者や生活をコントロールする術を身につけていき、センターとしてサポートする事も少しずつ減っていった。また、編み物、ワープロなど施設ではできなかった事に意欲的に取り組んでいる。

 施設生活等で長い間社会生活の機会を奪われてきた障害者にとって、自立生活を始めるということは日々新しい問題に直面するということである。この問題を1つ1つクリアしていくことがその人の力をつけ、可能性をひろげていくことにつながる。

 自立生活センターでは判定などの物差しで、自立の可能性を判断することはしない。どのようなサポートを必要としているのか、利用者との相談の中で確認していく。そしてそのような場合には、当事者自身が自らの生活の中で培ってきた経験が有効な助言となり、それは自立生活センターのサービスの基本となっている。

4.当事者主体のもつ力と意義

  ―まとめに代えて― 

 自立生活センターのサポートについて、具体例として町田ヒューマンネットワークと自立生活センター・立川の実践を紹介してきた。このように自立生活センターでは、グループプログラム、個別プログラム、自立生活体験室などさまざまな形のILPを必要に応じて組み合わせ、さらにピア・カウンセリングや介助派遣サービスも組み合わせながら、障害者の自立に向けたサポート活動を展開している。

 ILPは、現在各地に広がりつつあり、全国の自立生活センターの約半数が、何らかの形でILPを行っている。そして受講生は、重度、重複の人たちが増えていく傾向にある。

 そのような広がりの原動力となっているのは、繰り返し述べているように「当事者主体」のもつパワーであろう。全国自立生活センター協議会ILP小委員会のガイドラインでは、ILPのリーダーは、「自立生活をしている、あるいは具体的にめざしている障害者」でなければならないとしている。そしてさらに望ましい要件として、「人の話をきちんと聞けること、自分の障害を受容していること、できればピア・カウンセリング講座を受講していること」などをあげている。これはILPが、障害者同士の体験を分かち合い、支えあっていくことを基本的柱にしていくうえでは、重要な要件である。

 グループプログラムの場合、私たちは原則として介助者には、部屋の外で待機してもらうようにしている。これは、障害者だけの安心できる場を保障すると同時に、この場を仕切っているのは障害者自身なんだという自覚を味わうことをねらいとしている。家庭でも学校でも作業所でも、障害者を保護し、また最終的な責任をとるのは99パーセント健常者だ。だからこそ、「自分たちが責任をもってこの場を仕切る」という自覚は、新鮮であり大切なことである。また、そういう場を保障することで、これまでとかく健常者を頼りがちだった受講生たちが、「頼りにできるのは、自分たちと同じ障害者しかいない」ということで、リーダーや他の受講生たちの影響を強く受けていくようになる。

 障害が重くても、電動車いすで電車に乗って、どこにでも自由に行ける、結婚や子育ても、自分なりの仕事や活動をする事も十分可能だ。障害者であることを否定的に見る必要はない、介助や工夫次第で、自分たちにもさまざまな可能性があることを知るのである。

 もちろん、まったく健常者が関わらないわけではない。必要に応じて介助者として、あるいは料理教室やパソコン教室のようなプログラムでは同じ立場の受講生として、健常者が参加していくこともある。大切なのは、「障害者の自立をサポートする」という自立生活センターの基本的な立場を見失わず、プログラムの目的やねらいに応じて、健常者の関わり方を決めていくことだ。それを決めるのも、障害者であるILPリーダーの仕事である。

 10年前には、自立生活は一部の個性の強い、リーダー的な障害者しかできない現実があった。しかし、自立生活センターが各地に広がり、サポートメニューが多様化するにつれ、より重度の人々が自立生活を求めるようになってきた。どれほど重度であろうと、私たちは「自立は無理」とあきらめるのではなく、とことん本人の意思に寄り添いながら可能性を切り開いていこうとしている。

 これからの課題は、若いILPリーダーの育成と、サポート体制の充実・多様化である。そのためには、当事者主体のセンターの存在意義が社会的に認められていくこと、特に地方の自立生活センターにとっては、公的援助をきちんと受けられる体制づくりが不可欠である。私たちは、当事者主体のもつパワーを最大限生かし、より多くの障害者が「エンジョイ、自立生活」を実現できるよう、全国の自立生活センターと連携を取りつつ、これからも活動していくつもりである。

 *この原稿は、1、2、4を堤愛子(町田ヒューマンネットワーク)が、3を高橋修(自立生活センター・立川)が担当した。


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1996年11月(第89号)30頁~37頁

menu