特集/第18回RI世界会議 日本における―自立生活センターの活動について

日本における―自立生活センターの活動について

平野みどり

はじめに

 私は、日本の地方都市の1つ、熊本での自立生活センターの実践を発表するという目的で、日本障害者リハビリテーション協会の依頼を受け、国際リハビリテーション協会(以下、RI)世界会議の分科会に参加した。2年前、マニラで開催されたアジア太平洋障害者の十年推進NGO会議(以下、RNN)にも参加した経験はあったが、プレゼンテーションは初めてであった。

 RI会議に先立ち、沖縄、マニラ、昨年のジャカルタに続いて毎年開催されているRNN会議として、キャンペーン'96オークランド会議が開催されたが、本年は4年毎に開催されるとRIとの共同開催となり、一際規模の大きい世界会議となった。

 ちなみに、9月14、15日に開かれたRNNは、アジア13カ国から日本を含め約100名が参加、RIは16日から20日までの5日間で、世界80カ国以上からおよそ1,400名以上が参加した。

RI会議への障害をもつ人の参加

 当初、分科会参加を依頼された際、私なりに役割として感じたのは、RI会議というリハビリテーションを研究・実践する専門家の人たちに、障害をもつ当事者が中心となって地域で実践している自立生活や自立生活センターの活動を知っていただこうということだった。しかし、実際には地元ニュージーランドやオーストラリアを中心に、かなりの数の当事者が一般参加したり、スタッフとして活躍していた。

 さらにうれしいことに、連日朝一番で行われる基調講演では、スピーカーに米国の権利擁護団体であるDREDF(障害者の権利と教育基金)のパトリシア・ライトさんやスウェーデンの前大臣ベンクト・リンドクビストさんら当事者が多く登場し、「人間としての平等の権利と尊厳を取り戻すために、障害をもつ当事者が声を上げていく必要がある」と訴えていた。これも、プログラムを始めとする今回の会議そのものに、当事者がスタッフとして関わっていたことによるものと思われる。

 時代は着実に、当事者の参画による「当事者のニーズを基本としたサービス提供へ」と大きなうねりを作り出していると実感した。

自立生活の分科会

 16日から始まった分科会は、その数およそ120以上にも及んでいた。テーマは、医療や職業リハビリテーション、各国の福祉制度や現状、政策決定への当事者の参加、統合教育の実践、権利擁護、建築や交通アクセス、女性障害者の問題など多岐にわたっており、できることなら全部に参加したいほどだった。

 自立生活の分科会の参加者は約50名、発表者は私とオーストラリアの女性で、彼女は自立を目指す障害者が居住して日常生活訓練を行うリハビリテーション施設の指導員であった。ビデオやスライドによると、施設というより一般の家庭をイメージさせるものだった。地域で暮らすことを視野に入れて、当事者のペースや意思に基づいて、自立を実現するのだという。

 私は、まず日本の自立生活センターの全般的な状況に触れ、主に熊本という一地方都市での自立生活支援の活動の歴史や現状と、3年前に施設を出て熊本市内で自立生活を始めた、ある男性会員の生活の様子をスライドを用いて説明した。以下、発表の内容を紹介する。

ヒューマンネットワーク・熊本の設立

 1991年は日本にとって、ADA元年といってもよい年だった。前年にアメリカで制定されたこの障害者権利法により、障害者も条件さえ整備されれば、障害をもつ市民としての自立が可能であることを私たちは学んだ。

 1991年の春、当時バークレー自立生活センターの所長であったマイケル・ウィンター氏を招き、熊本でもADA講演会を催した。障害者への差別や権利侵害が法を侵すことなのだとする彼の話は、私たち熊本の障害者にとって、切実感をもって迫ってきた。なぜなら、前年私たちは、ヒューマンネットワーク・熊本を設立するきっかけとなった大きな事件に遭遇していたからである。

 熊本県の福祉ホーム「りんどう荘」で、職員が入居者の年金等を着服していたという事件が発覚した。被害者は、入居者の中でも重度の障害者や知的障害者で、自分で金をうまく管理できない人たちであった。私たちは、直ちに「りんどう荘事件シンポジウム」を開催し、この事件に象徴されるような障害者への人権侵害がまだまだ存在するという認識に立ち、このような現実を当事者同志に、そして社会に知らしめていく必要を感じていた。

 そこへ先のマイケル・ウィンター氏によるADAの紹介が重なり、私たち有志はADA制定への母体となった、自立生活運動や自立生活センターを熊本でも実現したいとの結論に達し、1991年12月、ヒューマンネットワーク・熊本を設立した。

「ふくし110番」と「ふれあいキャラバン」

 私たちは、何よりも相談窓口が当事者中心である必要性を感じていたので、「ふくし110番」の設置を急いだ。カウンセリングの講習等を経て、1年後電話相談窓口を開設し、声を出せないでいる仲間や自立を志す仲間に新聞等のメディアを通して呼び掛けた。

 そのような活動と平行して社会啓発活動も始めた。ある小学校のPTAから「当事者の話を子どもたちに聞かせたい」という依頼があり、車いす講習、ゲーム、講話を中心とした「ふれあいキャラバン」隊を組織した。その後、県下の小・中・高校から次々と引き合いがあり、来年初めには、通算200回の訪問を数えることとなる。さらに1996年からは、熊本市新規採用職員への研修や民間会社からも研修を依頼されており、啓発活動の形を確立してきた。

バリアフリー思想の普及

 権利擁護・啓発活動の中でも、早くから公共建築物や公共交通に関して、熊本ではユニークな活動を展開してきた。建築等の専門家が中心となって設立されたバリアフリーデザイン研究会と連携を持ち、「バリアフリーデザイン大賞」を創設し、アクセス可能な建物を表彰してきたのである。また、将来のバスとして、現在国をあげて研究が進められている「ノンステップ・バス」を欧州に視察し、その報告会やシンポジウム、専門誌への掲載を通して、日本への導入を熊本から各地へ働きかけてきた。この際、公共交通としてのノンステップ・バスはすべての人々や環境にもやさしいとして、環境団体とも連携してきた。市民団体とのつながりも確立してきたという点で、ヒューマンネットワーク・熊本は、ユニークな自立生活センターの1つであると言えよう。

 ヒューマンネットワーク・熊本の運営資金は、当初は会員からの会費収入や寄付によるもののみであった。事務所は、市の中心からはずれたある病院に、無償で間借りさせてもらっていた。その後、「ふれあいキャラバン」等の謝礼を元に、日常的に仲間の自立支援を行えるよう、電動車いすの仲間が通いやすい、市内中心部に賃貸で事務所を構えた。

 このように、相談や社会啓発を中心とした最初の3年間を経て、1994年からついに本格的に自立生活センターとしての、サービス提供活動に着手することになる。

介助保障制度の確立

 権利侵害への怒りから発足したヒューマンネットワーク・熊本であるが、活動の中心に重度障害者が多いことや、実際自立を目指す仲間が増えるに連れて、彼らの日常生活を支える介助の充実が切実な課題となってきた。そして、1993年に内部組織として「重度障害者の介助保障を考える会」を作り、行政交渉を開始した。以前はわずか週4時間の公的ヘルパーの派遣であったが、度重なる交渉の末、本年から基本的には時間制限が撤廃され、必要に応じて毎日の派遣も可能となった。ただ、午後10時から翌朝8時までは時間外ということで、その間の不足分を補う形で全身性障害者介護人派遣事業も開始された。

 この流れとは別に、ヒューマンネットワーク・熊本では、介助派遣を開始しており、今後は公的介助と民間の介助等を当事者である私たちが、いかにコーディネートしていくかが重要な課題となるであろう。

当事者団体からサービス提供組織へ

 1991年に、当時全国十数ヶ所の自立生活センターの連絡調整機関として全国自立生活センター協議会(JIL)が設立された。JILが制定した自立生活センターとしての会員要件は、①介助派遣を行っている、②ピアカウンセリング、③自立生活(IL)プログラム、④権利擁護活動となっている。もちろん、ヒューマンネットワーク・熊本も、これらすべてに着手していたが、東京を中心とした自立生活センターが、活動するメンバーの介助を確保するために、介助派遣システムを作り上げることからスタートし、仲間が自立するためのピアカウンセリング、ILプログラムへと展開していったのとは対称的に、熊本の歩みは当事者へのサービス提供よりも、権利擁護・啓発活動に比重があったことは否めない。

 とは言っても、これにはもう1つの側面がある。東京都の場合、地域福祉振興基金より、自立生活センターに対し、年間1500万円規模の財政支援が行われている。さらに、要介助の重度障害者には、生活保護に付随する他人介助手当ではなく、独自に介助費が支給されており、自立生活センターの介助派遣システムが活発化しやすい土壌がある。一方地方で、自立生活センターに運営財源としての支援を制度化しているのは、福島県ただ1ヶ所である。東京都と地方では、自立生活センターが、仲間への自立生活支援を、ボランティアではなく有償で行う場合には、当然財源的に大きな隔たりができるからである。

「市町村障害者生活支援事業」と自立生活センター

 昨年制定された障害者プランの中に「市町村障害者生活支援事業」が盛り込まれた。この事業の内容は、まさに自立生活センターのサービス内容と同じである。そして、この中では、ピアカウンセラーが重要な位置づけで唱われており、自立を志す障害者が自立を実現するまでに必要な、さまざまな公的制度の活用やカウンセリング、ILプログラムなどを総合的にコーディネートする役割を担うこととされている。そもそも、ピアカウンセラーは当事者でしかあり得ないが、特に現実的なきめ細やかなサポートとなると、やはり当事者が中心となって運営している自立生活センターがこの事業自体を担うのが順当と考えられる。

 東京では、八王子ヒューマンケア協会、自立生活センター立川、町田ヒューマンネットワークが、一早くこの事業の認可を受けた。JILでは、全国の各センターにも働きかけており、熊本でも安定的に仲間の自立生活支援を行えるということで、目下前向きに検討中である。確かに、東京の自立生活センターのように、これまで着実に当事者が「仕事」として自立支援活動を行ってきたところと、熊本に代表されるように、サービスのバランスの改善をしつつ、市町村障害者生活支援事業をこれまでの活動に組み込んで行かなければならないセンターとでは一概に比較はできないが、「当事者性をしっかり担保している団体」が果たして、ヒューマンネットワーク・熊本以外に、地元で存在するかというと答は明らかにノーである。

おわりに

 ヒューマンネットワーク・熊本は、権利擁護・啓発活動において、当事者だけでなくさまざまなグループや市民団体、一般市民からも支持を得てきた。今後はこの流れを組織内に、あるいは外部組織としてうまく組み入れ、これからもますます、当事者の立場に立った自立支援活動を確立していけるよう、「市町村障害者生活支援事業」の獲得への準備を進めていきたいと思う。

ヒューマンネットワーク・熊本事務局次長


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1997年2月(第90号)24頁~27頁

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