講座 福祉のまちづくりと市民の役割

講座

●福祉のまちづくり・2

福祉のまちづくりと市民の役割

野村歓

市民運動から始まった福祉のまちづくり

 障害者に配慮したまちの整備は、施設中心の福祉施策が進められていた昭和30年代には1つも見られなかったが、東京オリンピックのあとに行われたパラリンピックでの外国車いす選手の活躍やノーマライゼーション思想の日本への紹介もあって、昭和40年代に入るとにわかに、地域社会で障害をもたない人々と共に生活をしたいという願いが次第に強くなっていった。これに伴い、地域福祉施策が前面に打ち出された。これは、高度経済成長による土地・建設費の高騰、人件費の高騰に悩む行政にとってもメリットがあった。このような背景の中で、まちづくりの種が蒔かれたのである。

 福祉のまちづくりは、宮城県仙台市に原点があるとする見方が一般的である。仙台市郊外のある授産施設の入所者が1人のボランティアと話し合い、その中で、施設の充実も必要かもしれないが、子供でも大人でも普通の人間として家庭や社会で生活できるような場づくりこそ重要ではないか、その場づくりができていないために多くの障害者が施設の中に閉じ込められているのではないか、という結論に達した。その後、この2人を中心に障害者団体、ボランティアグループ、市民団体等の協力を得て規模を拡大し、1976(昭46)年に、「福祉のまちづくり市民の集い」を発足させ、さまざまな調査を自分たちの手で行い、これを根拠に車いすでも利用できるトイレ、スロープ等の設置を仙台市に要請することで、具体的な活動を展開していった。この動きは、すぐに他都市にも広がり、障害者を中心とした市民グループが活発に活動を始めたのである。1973(昭48)年には車いす使用者が全国から仙台市に結集し、「車いす市民全国集会」が開催され、この運動はニュースとして報道され、全国的に認知された市民運動として確固たる位置を築いたのである。

福祉のまちづくりの問題点と市民の役割の重要性

 全国各地で活発に展開された、障害者の生活圏を拡大しようとするこの市民運動は、次第に行政側を動かすことになった。1973(昭48)年に厚生省が「身体障害者福祉モデル事業」の実施に踏み切ったことを皮切りに、その後「障害者福祉都市事業」「障害者の住みよいまちづくり事業」「住みよい福祉のまちづくり事業」「障害者や高齢者にやさしいまちづくり推進事業」を次々と展開し、一方で、建設省が「福祉のまちづくりモデル事業」など一連の事業を展開していった。

 市民運動から芽生えた福祉のまちづくりは、これらの動きの中で少しずつ変化を見せていった。たとえば、対象者が車いす使用者から身体障害者へ、また妊婦や一時的に障害を持つ人、さらに現在はすべての市民を対象とした動きになってきた。目的も、車いす用トイレやスロープ等の物理的環境を整備することから、これらを整備することによってすべての市民が地域社会で生活できることを目的とするなど全体にもっと広く解釈された。換言すれば、すべての市民の日常生活を支えるといった大きな視点で捉えられるようになったのが特徴である。また、物理的環境の整備だけではなく、まちづくりに必要不可欠な市民の啓発にも力を入れるようになってきたことも、特徴の1つである。

 とはいうものの、行政主導型のまちづくりになって、福祉のまちづくり事業は次第に形骸化する傾向が出てきたことは否めない。そのポイントは事業の推進方法にあったのではないかと思われる。当初「福祉のまちづくり」は、福祉の担当だからといわれ、福祉課だけで担当していた自治体が多かった。一方で、福祉のまちづくりは地域で生活する障害者や高齢者の生活全般に関わることだからとして、福祉課が主管課となって建設課や道路課がこれを応援する体制をとって事業を推進した自治体もある。どちらかといえば、前者よりも後者のほうが順調に推移したのであるが、それでも十分ではなかった。

 これよりもさらに順調に推移したのは、庁内に推進協議会を作って市民の参加を求めた自治体であった。ここでいう市民とは、車いす使用者、視覚障害者、聴覚障害者など当事者といわれる障害者の代表と、事業者の代表、一般市民等を指しており、会議などで自由に発言してもらって、市民の意見としてこれを尊重することが重要であることが認識された。このようなことから、福祉のまちづくりでの市民の参加の重要性はかなり高いといえる。

 換言すれば、福祉のまちづくりには行政の論理と市民側の論理の間にギャップがあり、これを解決しようとするか否かが評価の分かれ目になっているのではないかと考える。1つの例を挙げてみると、福祉のまちづくりの基準を策定するときに、自治体は不特定かつ多数の市民が利用する大規模の建築物を中心に考えていこうとするのが通常である。その結果、市役所、公会堂、デパート、といったような建築物が福祉のまちづくり事業の対象となる。これ自体何ら問題はない。しかし、市民側からみると、一体全体用事ができて市役所に行かねばならないことは1年間に何回あるのだろうか、それよりも日常生活に必要な身近なスーパーマーケットや美容院や本屋、肉店や生鮮食料品店が利用しやすくなるほうがはるかに重要であり、間違いなく生活の利便性が向上するのである。このような生活者の視点が求められてきている。

 最近の「障害者や高齢者にやさしいまちづくり事業」では、地域全体としての合意形成を図るため、まちづくり総合整備計画推進協議会を設置することを事業の中に位置づけ、その構成メンバーには町内会、商工会議所、商店街、スーパー、デパート等民間事業者、金融懇話会、不動産会社、電気・水道・ガス・NTT等公益事業、鉄道事業者、バス事業者、道路管理者、社会福祉協議会、高齢者および障害者の団体、関係行政機関等の名前を例示している。

市民・事業者・行政の協動

 このように市民の役割が福祉のまちづくり推進にあたって不可欠との認識は多くの自治体がもつようになり、福祉のまちづくり条例の中でもしっかりと位置づけられ始めている。

 たとえば、1990(平成2)年に発表された東京都福祉のまちづくり推進計画「やさしいまち東京を創るために」では、「市民は障害者や高齢者の問題を自らの問題として捉え、身近なところから自分のまちを点検し、地域における福祉のまちづくりの推進者として連帯し、協動して思いやりとふれあいに満ちた地域社会を創り出していく必要がある。」「都民は、都や区市町村が行う福祉のまちづくりに関する計画の策定に主体的に参画し、福祉のまちづくりのあり方などについて、発言をしていくことが求められる」としている。

 また、1991(平成3)年に発表された東京都地域福祉推進計画(図)では「住民は、サービスの受け手としてだけではなくその担い手として、ボランティア活動を行うなど地域福祉の推進に主体的に参加すると共にサービスのあり方、サービスと費用の関係、福祉資源の効果的、効率的な活用などについて発言することが求められる。」「住民の日常生活圏を基盤にした、友愛訪問、地域助け合い活動や緊急時の対応に必要な地域の隣人や協力員の活動など、多彩な人々により展開されているきめの細かい取り組みは、福祉サービスの量と質を一段と充実するうえで欠かせない。また、同じ福祉ニーズをもつ当事者等が、関係機関と協力して行う相談・互助活動の発展が期待される」として、市民の役割を示唆している。このような動きの中で、東京都福祉のまちづくり推進協議会の専門部会で公募による都民代表4名が参画したことは、前稿(「リハビリテーション研究」88号)に記した通りである。

図 福祉のまちづくりの推進体系における市民の役割

図 福祉のまちづくりの推進体系における市民の役割

(資料:東京都「東京都地域福祉推進計画」P.69より)

 また、横浜市が1996(平成8)年12月にまとめた「横浜市における福祉のまちづくりのあり方について」では市民の役割として、暮しの基盤づくりの一環として福祉のまちづくりへの理解と参加に努めること、市民1人ひとりの自立に基づき、市民相互の議論を通じ、問題解決に向け協力し、地域で支え合う仕組みを主体的につくりあげること、地域の自発性を高めるため、事業者・行政と協動してまちづくりを行うこと、とされている。ここでいう「協動のまちづくり」とは、市民・事業者・行政が地域で対等に関わりあい、プロセス全体を共有し、状況に応じて柔軟に市民・事業者・行政の三者が役割を担いながら1つの目標を実現していくことを指している。具体的には福祉のまちづくりの目標を共有すること、ともすれば行政主導になりがちな福祉のまちづくりであるが、三者が情報を共有し、自由に議論し、柔軟に役割を担い合い、それぞれの責務を果たしていく対等な関わり合いを堅持すること、福祉のまちづくりの目標を達成するために一定段階ごとに三者による検証を行うことが必要不可欠、と位置づけている。

市民参加の福祉のまちづくりの実例から

事例1:ふれあいのあるまちづくり(東京都・世田谷区)

 ここのまちづくりは、厳密にいえば、区民に対して行政が仕掛けたまちづくりである。しかし、主旨は徹底して住民の主体的な活動を掘り起こそうとして行政が一歩下がった形で展開されてきたものであり、ここに一事例として紹介する。

 世田谷区「ふれあいのあるまちづくり」計画の当初の基本的な考え方は、障害をもつ人々を含む広範な住民・活動主体の参加により、小田急線梅丘駅周辺地域を点検し、地区の実態に即した整備の構想・計画を定めその推進を図ること、住民の多様な活動と文化の創出を促す広場づくりを進めるほか、住民の主体性を尊重しつつ諸活動が活発となるための条件整備に努めることを目的に、昭和58年に計画された。対象地域となった梅丘地区は、昭和10年代に日本最初の養護学校「光明養護学校」が建設され、たくさんの卒業生を出していることから、現在でも周辺地域に多くの障害者が居住し、また、公共施設も多く建設されていることから、地区全体を福祉ゾーンとして整備を行うことを目的として企画されたまちづくりである。

 当初、推進組織として「ふれあいのあるまちづくり推進委員会」と「ふれあいのあるまちづくり研究会」の2つを組織した。前者は区の関係課長をもって組織し、後者は区民参加ができるような組織に位置づけられた(筆者は後者の会長として参加した)。

 この組織は、昭和59年4月から昭和61年3月までに説明会3回、定例会16回、定例番外編として「道と緑を歩いてみる会」「梅丘おもしろウォークラリー」の計20回の住民集会を行ってきた。住民の参加は50名近く参加したときもあったが、テーマによって参加者の人数もかなりのばらつきがあり、平均すると、20名前後であったと記憶している。参加者の居住地は、小田急線梅丘駅周辺を討議していたときは梅丘地区の住民が多かったが、梅丘中学校前歩道改修の討議になると、松原地区の住民が多くなるなど、住民の参加は問題ごとに異なった。このことは住民の関心は利害関係が生じるか否かが大きく影響することを示した。

 議論は相当に伯仲し、夜遅くまでかかることもしばしばであった。これらの話し合いの結果、具体的に実施された障害者関連の事項を梅丘中学校前道路を例にみると、

・車いすのままかけられる公衆電話ボックスが設置された。実際に電話ボックスをどのような大きさにしたらよいか、また電話機の置く位置や高さをどのように決めたら良いかを模索するために実物大の模型を作成し、NTTの協力を得てから電話機を借りて実験した。

・中学校前の歩道を拡幅し、車いすが通りやすくするために、当初区側は、学校敷地内の樹木の伐採を主張したが、住民は計画の主旨には賛成するが、思い出の残る樹木は残すべきであると反対し、結果として、両者の考えが生かされる解決策を見いだすことができた。

・中学校前の歩道から1メートルほど高台にある校門へ通じるスロープを設置した。

・狭い歩道を有効に活用するために警察署や電力会社へ働きかけ、ガードレールや電柱を歩道境界縁石上に設置した。

・歩道と車道との段差を小さくして車いすの通行に便利になるようにした。

等々、数々の成果を収めた。これらは現在でも多くの区民に受け入れられて使用されている。

事例2:商店振興策のなかでのまちづくり(三重県・松阪市)

 三重県のほぼ中央に位置している松阪市は城下町として誕生し、その後、参宮・熊野・和歌山の三街道が合流する宿場町、松阪木綿を代表とする商人の町として栄え、さらに近年では昭和40年代の高度経済成長期に企業誘致を積極的に行い、産業構造が変化した結果、現在は第3次産業が主となっている街である。また、経済成長期と重なった産業構造の変化は、同時にモータリゼーションの発達をもたらしたが、戦災を受けなかった松阪市には古い街路形態がそのまま残っており、かえって、市の中心部では交通混雑などによって、市民の日常生活に支障が出てきた。このような背景の基に市街地の再開発化が市の重要課題となり、昭和50年代のはじめの5年間に松阪駅前の道路を「区画整理事業」「街路事業」「商店街近代化事業」という3つの事業主体(市・県・組合)による同時進行で行われた。

 このようにして駅前地区の整備は昭和56年に完成したが、駅舎に隣接して大型店が進出してきた影響で近隣商店街での商業基盤の低下が新たな問題として浮かび上がってきた。そのため、当該商店街の振興組合などが協議を重ね、中心商店街の整備事業が行われることになった。特にその中心となった「よいほモール」と呼ばれる3商店街合同の整備事業は約1キロにわたって「市街地再開発事業」「街路事業」「商店街近代化事業」を同時施行している。この整備事業にあたって、地元商店街は「まちづくり協定書」を作成し、建築物の後退距離や街路に面した店舗などのイメージを統一するなど事前に意思統一を図ったことや電力会社の協力により、電線の地中化を行うなどの取り組みがなされた。当然この中に高齢者や障害者にも歩きやすいまちづくりにする配慮がなされており、道路の段差切下げ、商店への入口の段差除去、ストリートファニチャーのデザインや位置など詳細にわたって実施されている。

 このまちづくりは、高齢者や障害者へのまちづくりが主眼ではなかったが、地域社会でのさまざまなまちづくりの機会を捉えながら、高齢者や障害者への取り組みがなされることも大いに評価すべきと考える。

実例3:市民の手づくりによる地域別福祉マップ(東京都・多摩市)

多摩市には「多摩ニュータウン」という大規模団地があるために、高齢化率は5.4%で東京都の中でも若い都市というイメージがあるが、40歳前後の団塊の世代が多いため、近い将来急激に高齢化が進行し、高齢者問題が大きな課題となることが確実視されている。これに備えて今日、健康・医療・福祉のサービスを中心に総合的な高齢化対策に取り組んでいる。

 約10人ほどで構成される「多摩市福祉マップを作る会」は、マップづくりを通して起伏の多い地形にある多摩市を高齢者や障害者が住みやすいまちにする活動をしているグループで、実際に市民の目でタウン・ウォッチングを行い、車いすを使って各施設を点検し、その結果を「福祉マップ」にまとめ、まちづくりのいろいろな情報を高齢者や障害者に提供している。これまで既にB5版の見やすい冊子の「障害者用トイレマップ」「医療機関マップ」「駅かいわいマップ」などを作成している。これからは、「公園マップ」「公共施設マップ」等とあわせて「多摩市福祉マップ」として編集し、発行する予定である。このマップは、多摩市の「公益信託多摩街づくりファンド」や東京都社会福祉協議会、東京多摩ロータリークラブから助成を受けて実施している(前述東京都地域福祉推進計画より)。 このような市民参加は多くの自治体でみられる典型的な市民参加であろう。

 これらのまちづくり事例は、いずれも自分たちがいま住んでいるまちを愛しているがためにこれからのまちづくりのあり方に住民として大いに関わって行きたい、関わるのが当然といった心構えが感じられるのである。

〈参照文献〉略

日本大学理工学部教授


(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1997年2月(第90号)28頁~32頁

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