視点「インクルージョン」

インクルージョン

山 口  薫


 かつてのノーマライゼーション、インテグレーションと同じように、今、インクルージョンが声高に唱えられ始めた。
 昨年11月にバングラデシュのダッカで開催された第13回アジア精神遅滞会議においても、前日の「インクルージョン教育(inc1usive education)」をテーマとするプレカンファレンス・ワークショップではもちろんのこと、本会議の中でも、欧米から参加した国連の担当官や国際精神遅滞者育成金連盟(インクルージョン・インターナショナル)の会長などから、しばしば「養護学校などつくるな」というインクルージョンの観点からのアジア各国への助言があった。
 それに対し、アジア各国の中でも、シンガポール、韓国、パキスタンなど既に養護学校をある程度設置している国の参加者から強い疑問が出され、また識字率、義務教育就学率とも50%に満たないような国では、高邁な理念をどう受け止めてよいのかとまどいがみられた。
 インクルージョン教育は、1992年のアジア太平洋障害者の十年北京決議、1993年の障害者の機会均等に関する国連の基準規則、1994年の特別な教育的ニーズに関するサマランカ宣言などにみるように、特殊教育の今後進むべき途の世界的趨勢であることは間違いない。
 欧米とアジアの懸け橋的役割を負うアジアの先進国日本としては、まず自らがインクルージョンを正しく受けとめ、アジアの国々に範を示す責務がある。
 かつて国連が基準規則を公にした際、日本の文部省の専門官が招かれて、養護学校、特殊学級の意義を強調した意見を述べたのが偏って受けとられ、日本は、この問題に関しては世界で最も保守的な国という烙印を押されてしまったようであるが、インクルージョンに関して再び同じような誤解を招かないように、われわれ自身の正しい理解をまず確立する必要がある。
 統合教育(メインストリーミング)については、「最大限通常の教育組織で」とともに定義の重要部分である、特別なニーズに応じた「適切な教育」を欠落したまま運動が進められたところに誤りがあったが、定義の上では、統合教育とほとんど変わらないかに見えるインクルージョン教育が、統合教育と決定的に違う点は、子どもをまず障害のない子どもとある子どもに分けた上でその統合を進めようとする統合教育に対し、インクルージョンでは、子どもは一人ひとりユニークな存在であり、一人ひとり違うのが当たり前であることを前提として、すべての子どもを包み込む教育システム(education for all)の中で、一人ひとりの特別なニーズに応じた教育援助を考えることにある。
 その教育援助は、大部分は通常の学級で行われ、ついで通級による指導になるが、それぞれの国の教育環境の現状によって、特殊学級や養護学校のような教育形態を必要とする場合があることも当然である。
 大切なことは、最初から子どもを排除するのではなく、すべての子どもを地域の学校の通常の学級に所属させ、しかる後に特別なニーズに応じた教育援助のあり方を考えることである。

(東京学芸大学名誉教授)

 


 

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「リハビリテーション研究」
1998年3月(第94号)1頁
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