リハビリテーション研究(第96号) NO.4 社会的役割の獲得をめざして―ある知的障害者の場合―

 

社会的役割の獲得をめざして
―ある知的障害者の場合―

 

権利擁護センターすてっぶ(東京都社会福祉協議会)職員 飯村 史恵

 

概要と基礎的事項

<男性>20代 作業所通所 大都市在住 一人暮らし

生活歴・教育歴:
 本人は、幼少時より知的障害があったと思われるが、程度も軽かったため、普通小・中学絞に進学し、定時制高校に通うようになる。高校入学後、「いじめ」が原因で一時登校拒否状態となり、診断を受けた際に、知的障害が判明する。母親は本人が幼少時に他界。父親は本人が成人すると、障害年金の手続きをし、それを自分の遊興費にあて、
借金を重ねてきた。本人は高校卒業後、学校の紹介で一般企業に就職するが、数年後不況のため失
業する。それを契機に父親の元を逃げるようにして去り、大都市に移り住むようになる。ハローワー
ク等で求職活動をするが、適当な就労場所はなく、生活保護を受給しながら地域の共同作業所に適所
している。兄が1人いるが、日常的にほとんど接触はない。

障害発生後の経過:
 本人の障害の原因・経過については、明らかになっていない。日常生活にはほとんど支障がないが、計算や漢字混じり文章の読み書き、抽象概念の把握は苦手である。適切な援助があれば、生活保護や年金の受給額の範囲で生活を自分で管理す
る力はあるが、過去には飲食店で隣合わせた見ず知らずの人に騙されて、金銭を巻き上げられてしまうこと等もあった。

現在利用している施策・資源:生活保護・障害基礎年金・知的障害者通所作業所
 厳しい雇用情勢のため、知的障害をもつ本人にとって再就職の道は厳しい。生活保護の受給は、気がすすまない面があるが、反面生活保護の担当ワーカーが多方面に渡り相談相手となって援助してくれることは本人の力になっている。また、当面の対策として通い出した作業所の仕事は、本人にとってはあまりに単純な作業で、工賃も生活を支える足しにはほとんどならないが、ここで初めて同じような立場にいる障害をもつ人々と出合うことができた。本人にとっては、自分自身の知的障害を十分認知することは容易なことではないが、ネガティブな面ばかりではなく、ありのままの自分に価値があることを、同じ立場にある仲間との交流を通じて学びつつある。

生きがい・楽しみ:
 本人にはとりたてて趣味といえるようなものはない。これは、生活の楽しみにふれる機会がこれまで十分でなかったことによると思われる。最近、通所している作業所の活動を通じて、友人とビデ
オをみることに興味を示しつつある。

本人の要求・希望:
 本人の願いは、「ふつうの人」として扱われ、自分にふさわしい職場が与えられ、給料を得て生活することである。将来は結婚もしたいと思っているが、一方で知的障害のある自分には難しいと半ばあきらめてもいる。
 現在の社会資源を利用して、本人の能力を最大限に活かし、しかも継続した雇用を確保することは難しく、特に本人が希望する一般就労の場は、生産性が第一に要求される競争社会であり、採用そのものが難しい状況にある。
また、適切な障害受容について教育を受ける機会がなかったために、自己実現につながる自らの価値を認めることも難しい立場に置かれてきたが、作業所の通所等を通じて徐々に新たな考え方にふれつつある。
 

参加、参加の制限とその対応

 日常的な生活レベルでの参加については、特に制限が加えられているわけではないが、一人暮しをしており、とっさに判断をしなければならない場合にとまどいがある。例えば、新聞の勧誘や高価な羽根布団の売り込み等強引なセールスへの対応や、「契約」に関する理解、個人情報の問い合わせ等にどのように対応すればよいのかわからなくなり、その結果、社会関係、教育・仕事・余暇等、経済生活、市民生活・共同生活等への参加を自ら制限してしまうことにつながってしまうことがある。当面の目標である就労に関しても、適切な社会資源や経験、援助が不足しており、就労の機会に恵まれず、参加が制限されている。
 また、漢字表記を理解することが難しいことから、公共交通機関の利用や情報交換への参加に制約が加わることがある。例えば交通機関の駅名表示や広報等の表示、役所からの通知等公共機関が発信する情報物等の表記を十分理解できず、そのことによって参加の妨げにつながる面がある。
 さらにこれまでの情報や経験不足、経済的な制約から、遊び・レクリエーション・余暇及び精神生活への参加が制限されることがある。
 こうした制限への対応については、生活保護の担当ケースワーカー、作業所職員が主として本人の生活支援を相談という形で担っている。しかし24時間対応できるものではなく、とりわけ本人にとってまさに必要な社会生活経験を蓄積していくという視点にたった計画的援助が不十分で、どち らかといえば、場当たり的な事後的対応に止まっている。この問題は、本来あるべき姿から言えば、地域ベースで本人のサポートをするべく知的障害者ソーシャルワーカーの不在によるところが大きいように思われる。
 

活動、活動の制約とそれへの対応

 本人の生活を、個人的な活動という視点から考えた場合には、学習や知識の応用あるいは漢字表記等を含めたコミュニケーション活動において援助を必要とする場合が多い。現状では援助そのものに即応性をもてず、(例えば前述した通りいつでも対応できる本人専属の援助者がいるわけではない)問題である。
 また、ある特定の状況に置かれることが強要され、日常の生活リズムが崩れた場合には、日常生活活動や必要事項に対する配慮と家事、対人行動にも影響を及ぼす場合がある。
 こうした事項についても参加の部分と同様、生活保護の担当ケースワーカー、作業所職員が援助活動に対応しているが、前述した事由により、不十分な対応に止まっている。
 なお、日常生活を送る上では、「数的概念や抽象概念を把握することが難しい」「(そのため)契約を理解することが難しい」といった事項が問題となるが、こうした現象は、現在の分類によって説明することが困難である。
 

機能障害

 知的発達障害として、身体的機能に何らかの損傷なり「障害」があると思われる。しかし、日常生活を送る上では、そのこと自体が直接的な問題にはなっていない。
 日常生活を送る上で必要とされることは、むしろ理解力や判断力等であり、これは「活動」に関することであり、「参加」に通じるものである。そしてこれは本人の興味や認識、経験によって幅があり、適切な援助が得られれば、かなり改善される余地があるものである。従って、現在の段階では、機能障害そのものへの対応は特になされていない。
 

背景(環境)因子

 プラスの因子としては、(十分とは言えないが)現在活用している社会資源としての生活保護・障害年金等社会保障制度と作業所という社会的援助は、対人援助にも影響を与えており、一定程度の安定的な地域生活がめざされつつある。一方でマイナスの因子としては、家族やこれまでの友人・知人等から適切な対人支援・援助がなされなかったこと、加えて教育の不足や生活全般に及ぶ総合的な社会的援助が得られていないことが指摘できよう。
 さらに潜在的問題としては、社会福祉・教育従事者をはじめ、地域社会の住民や周囲の人々による理解、社会的環境がさらに充実していれば、問題発見は早まったかもしれない(適切な教育・就労プログラムの提示、父親の年金搾取防止等々)。
 情報不足の面から言えば、本人に対しても、周囲の人々に対しても、マスメディアを含む情報提供は十分ではない。このため、活動や参加の「制限」が増幅する場合がある。
 こうした意味で社会文化的構造が現在の状況をつくり出していると言える。特に物理的な部分ではなく、ソフト面での環境がポイントである。
 

参加、活動、機能障害、背景因子間の相互関連

 現行の日本においては現状では、社会全体の情報提供手段としての表示、説明書等は通常漢字を含んだ文書で示されている。このため、本人にとっては、理解することが十分にできないことになり、これは個人としての活動や社会的な参加を制限することにつながっている。従って、ソフトを含んだ背景因子が活動・参加の上位概念になるのではないだろうか。必要な援助が必要に応じて得られれば、活動・参加の制限除去はかなり見込まれるように思われる。
 機能障害は、この事例の場合明らかではない。しかし生理的な機能障害の特定が、必ずしも活動や参加の制限に直接的な関連を示すものではない
ように見受けられる。まきに機能や構造としての損傷があるからという理由からではなく、それがもたらす社会的要因(備見・誤解・教育不足・周囲の人々の認識不足等)及び環境の不備(充分でない表記方法・本人に通した就労場所が確保されない・必要な援助が即時に得られない等)が活動や参加を規定しているのではないだろうか。
 また、本人自身が意識している課題としての活動・参加制限の除去は、まず就労=社会人としての仕事に従事することである。これは社会関係、経済生活、市民生活・共同体的生活への参加に関連するファーストステップである。一方客観的な視点からは、単に賃金を得るというのみならず、人間関係の構築や障害受容等がクローズアップされ、1人の人間として、真の意味での社会関係や経済生活、市民生活等への参加を促すことになろう.個人としての活動は、こうした意味において参加との間で相互に影響している。これを明確に区分することは難しい。
 こうした意味からも、背景因子の持つ意味は重要である。この概念が活動・参加(の制限)の上位概念的意味合いをもつように思われる。なお、個人的背景因子と環境的背景因子は、概念的区別は可能だが相互に関連していると思われる。(図1)

図1 状況を示す概念図(案)

 また、本人自身(あるいは家族やコミュニテイ)が認識する活動・参加(の制限)は、必ずしも客観的なものとは限らない。そこには本人自身等の価値観が深く関与している.とりわけ社会福祉実践の場においては、こうした本人自身の「自己認識」「価値観」「障害:苦手な部分(のある自分自身)の受容」がポイントになり、分類に示されている細かな基準のみでは、適切にそれを説明することができないように思われる。
 

まとめ

 一般的に社会習慣、社会の規範によって制限の尺度は異なるのが通例である。上記の例にみるような一定の環境条件の下での参加(あるいは制限)を捉える場合、生活場面を細分化した分類は参考にはなるが、それほど重要性はもたないようにも思われる.しかも本人自身(場合によっては家族等を含む)の意識によって、その理解度がさらに異なることが多い。すなわち客観的にみて、参加の制限と判断されることが、本人にとって制限と認識されない場合が多々ある。
 とりわけ社会生活上の「障害」を問題にする場合には、その認識のズレこそがまさに「障害」につながっている場合が多い。従って背景因子は重要である。これがImpairment、Activity、Participationの上位概念になるのではないだろうか。 さらに、個人的因子の捉え方の中に、(内面からの影響要因として)本人自身の意識・認識構造としての要因を加えるべきではないだろうか。知的障害をもつ人々が、さまざまな支援を求めていることは事実であろうが、社会福祉実桟を進めていく上でより重要なことは、本人自身へのエンパワメントを目標に置くことであると考えられるからである.
 一方、細かい分類がその人をトータルに捉え、
必要な生活支援プログラムの方針をたてる際に役立つこともある。特に従来の日本のように対象別の狭い領域のみでの支援がなされ、しかも社会福祉実践における体系的な方法論が十分育成されていない現場では、こうした視点が実は重要になることがあるようにも思われる。従って、分類は支援方策を樹立する上でのチェック項目の意味をもつと言えるかもしれない。
 また、社会福祉援助という視点から考える場合には、機能障害における分類は、実践レベルにおいて特に必要とされないこともある。もちろんこれは、直ちに診断等を不要とする考え方ではないが、とりわけ生活モデルアプローチを考える場合には、現状の活動や参加の程度を理解することから、今後の方針をたてることが重要になってくるものと思われる。


主題・副題:

リハビリテーション研究 第96号
 

掲載雑誌名:

ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第96号」
 

発行者・出版社:

財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
 

号数・頁数:

96号 6~9頁
 

発行月日:

西暦 1998年10月20日
 

文献に関する問い合わせ:

財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523

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