特集 第36回総合リハビリテーション研究大会 総合リハビリテーションの深化を求めて-当事者の主体性と専門家の専門性- 講演Ⅰ 権利の保障と擁護の仕組みを地域でつくる―リハビリテーションと人権―住み続ける権利と健康権― 井上 英夫

講演Ⅰ
権利の保障と擁護の仕組みを地域でつくる
―リハビリテーションと人権―住み続ける権利と健康権―

井上 英夫
金沢大学名誉教授

要旨

 広義のリハビリテーション(以下リハ)が,全人間的復権であるならば,復権されるべき権利でもっとも大事なのは,基本的人権である。人権保障の意味を,まず,障害者という呼称を例に検討し,「固有のニーズのある人」を提唱する。次に,リハの重要な保障目標の一つである健康権について,その意義と内容を提示する。最後に,医師等,リハスタッフを健康権のにない手と位置づけ,その役割とあるべき姿を明らかにする。

はじめに―全人間的復権(リハビリテーション)と人権

 広義のリハビリテーション(以下リハ)が,全人間的復権であるならば,復権されるべき権利でもっとも重要なのは,基本的人権(人権)である。人々の基本的ニーズ(Basic Human Needs)を満たし,すべての人々に等しく人間の尊厳に値する生活を保障するのが基本的人権(Basic Human Rights)である。
 本稿では,住み続ける権利とその中核であり,リハの重要な目標の一つである健康権を取り上げ,その意義を問い,さらに,人権保障に不可欠な医師,狭義リハスタッフ等専門家の「人権のにない手」としての役割について考えてみたい1)。

1. 障害者・障がい者から障害のある人,そして「固有のニーズをもつ人」へ

 まず,リハの対象とされる人々の呼称の面から人権保障の意味を考えてみよう2)3)。周知のように,第二次大戦前の,きちがい,めくら,つんぼ,びっこ,白痴・痴愚・魯鈍等の用語は,第二次大戦後,身体障害者,精神薄弱者,精神障害者,視覚・聴覚障害者等へ,不具廃疾についても障害に改められてきた(例えば,1982年の「障害に関する用語の整理に関する法律」)。さらに,近年,精神薄弱は知的障害に,精神分裂病は統合失調症に,痴呆症は認知症に改められている。こうした用語の変遷も,国際的・国内的な人権保障の発展を反映するものである。
 そこで,最近は,障害のある人,障害をもつ人という呼称が用いられるようになってきた。しかし,法律上は依然として「障害者」である。さらに,2006年に国連で採択され,2014年に日本の批准が決定された条約は,政府のみならず障害をもつ人自身の諸団体,研究者,マスコミがこぞって「障害者権利条約」と訳していることに象徴的なように,まだまだ人権についての理解は不十分である。同条約の正式タイトルは,Convention on the Rights of Persons with Disabilities,すなわち「障害をもつ人の権利条約」である。この呼称にこだわらないと,1981年の国際障害者年(International Year of Disabled Persons)から,2006年「障害をもつ人」の権利条約へと発展してきた人権保障の歴史の意義が没却されてしまう。
 さらに,「障害」という言葉自体に問題があるとして,「障碍」者,障がい者,チャレンジド等の表現も見られるようにはなっているが,私自身は,特別でも,特殊(special)でもなく「固有のニーズ」(specific needs)をもつ人というべきだと考えている。しかし,現段階の社会の認識度を考え,次善の策として「障害のある人」あるいは「障害をもつ人」という呼称を用いている。
 社会保障・社会福祉サービス,教育でも原因の如何を問わず人間としてのニーズに着目すればよい。医学あるいはリハの観点からすれば,「障害」を生み出す原因たる傷病を特定し,治療し,「障害」に転化することを防ぐために診断名,障害名が必要である。しかし,社会保障・社会福祉権,労働権,教育権等の保障においては,結果として生ずる一人一人の「ニーズ」に着目し,必要なサービスを提供すればよい。この点こそ,医学モデルと異なり,「障害」が社会によって作り出されるという側面に着目する社会モデルのもっとも肝要なところであろう。「障害者」とラベリングし,社会から排除する。このような社会は「貧しい社会」である,とした1981年国際障害者年の国連決議を改めて想起すべきである。この視点からいえば「障害者」に「健常者」を対置し,劣った者とするような見方は最も問題となる。
 「固有のニーズをもつ人」の視点からすれば,人間の尊厳に値する生活を送るのに何が欠けているか,それを一人一人明らかにすればよいのであるから,児童,高齢者等,年齢別,性別,障害別にひとくくりにする必要はない。まして,障害等級や細かい要介護度をつけ,人間を輪切りにする必要もないし,そのための複雑かつ非効率的な認定システムを設ける必要もない。サービスを必要とする一人一人に接する専門家が,ニーズの判定を行えばよい。この点では,医師の裁量を認め,出来高払い制をとる医療保障システムがより合理的である。ただし,その判定,裁量をチェックする一定のシステムは必要となる。
 この視点は,一人一人の固有性に目を向けると同時に,人間としての共通性・普遍性に目を向けるということである。端的にいえば,障害者であるまえに人間であるということである。もちろん,子ども,高齢者,女性,そして障害・差別によって生ずるニーズには,一定の共通性もある。したがって,ニーズの一定の共通性に着目して子どもの権利条約,女性差別撤廃条約,障害をもつ人の権利条約等が作られているわけである。これらは,すべての人に共通する普遍的人権(Universal Human Rights)を保障する国際人権規約に対して,固有の人権(Specific Human Rights)を保障する条約といってよい。
 人権条約制定の場合,普遍的な人権保障条約がすでにあるのだから,個別の条約は不要であるとする反対論が必ずあったが,それを超えて固有の権利条約が策定されてきたわけである。すなわち,固有の人権保障条約は,特殊な人々に,特別な権利や優遇策を保障するものではなく,差別され人権を侵害され,奪われている人々に,そのことから生じる固有のニーズを保障してこそ,普遍的人権を回復(Rehabilitate)し,保障したといえるのである。この2つの人権そして差別と保障の関係については図をご覧いただきたい。

図2から図1へ

2. 人権と人間の尊厳の理念

(1)何故人権か

 1946年制定の日本国憲法は,「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」,平和主義そして国民主権と並んで平和的生存権を基底的権利とする人権保障を柱としている4)5)。
 基本的人権ないし人権とは,それなくしては人間らしさ(人間の尊厳)が保てないような人間の基本的ニーズ(Basic Human Needs)を満たすために保障される権利である。その必須性,重要性の故に各国の憲法等において基本的な権利(Basic Human Rights)として承認されている。
 しかし,憲法に書かれているから人権が保障されるというわけではない。例えば,住み続ける権利そして健康権の確立が問われるのは,被災者はもちろん人々の中に,自分の生まれ育った場所に,選んだ場所に住み続けたいという強烈な願望,欲求があるからである。そして,健康への強烈な希求があるからである。権利は,人々のこうした生活実態の中から見出され,主張され,権利のための闘争によってやがてそれが社会全体に認知され人々の規範意識となり,権利として最高位の人権にまで高められ,その保障が国家の義務とされる。
 このことは,国の立法府,行政府,司法府は,主権者たる国民の人権保障のために作られている組織にほかならない,ということを意味する。逆にいえば,法律,行政も人権を侵害し,剥奪するような場合,裁判所によって無効とされることになる。また,人権保障に必要な,立法や行政に欠けるところがあれば不作為が問われ,同じく憲法違反とされることになる。すなわち,人権保障の最大の意味は,裁判所による違憲立法審査権の行使によって,その確立が図られるということである。

(2)人間の尊厳とは

 こうした,現代の人権保障の基本理念(目標)が,世界人権宣言前文,日本国憲法第13条,24条などにうたわれている「人間の尊厳」(Human Dignity)である。人間の尊厳に値する状態とは,つきつめていえば自分の生き方を自ら決める,すなわち自己決定の権利が最大限に尊重された状態といえよう。そして自己決定できるということは多様な選択肢が用意されていなければならない。家族の扶養,介護による在宅が強制されるような状態では,自己決定も意味をもたないからである。さらに,人間は,ひとりひとりが「唯一無二」の存在であって,他にとって代われない存在であるから尊厳を認められる。したがって平等も原理の一つである。ノーマライゼーションそして「固有のニーズ」論もこうした考えに基づいている。

3. 健康権の意義と内容

(1)住み続ける権利と健康権―21世紀の課題として

 最近,私は拡大・深化する貧困・不平等と大震災・福島原発事故を契機に新しい人権として「住み続ける権利」を提唱している。その確立こそ,21世紀に人類が挑戦すべき課題であると思うからである。人々が生まれ育った地域,さらには自分の選び決定した地域で,一人でも,寝たきりでも,惚けても,歳をとっても,尊厳をもって暮らせる。すなわち住み続けるためには,平和的生存権(憲法前文,9条)を基底とし,いわゆる自由権,社会権を問わず人権が総合的,包括的に保障されなければならない。この住み続ける権利の中核になるのが,健康権である6)。
 震災復興のためにも何より住民の健康が大事であるし,原発事故は,まさに健康権の侵害・剥奪であるがゆえに被爆地の人々は住み続けられないわけである。そして過疎地域でも健康な限りは住み続けられるが,ひとたび病気になれば,住み続けられなくなる。
 健康権は,第二次大戦直後,1948年の世界人権宣言25条にうたわれ,その達成のための国連の専門機関としてWHO(世界保健機関)が設立され,その憲章は,「到達可能な最高水準の健康(the highest attainable standard of health)を享受することは,すべての人間の基本的権利のひとつ」であると明言した。そして,1966年,国際人権規約の「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約」の12条に明確に規定され,日本も1979年に批准したことにより,同規約は国内法としての効力を有している。
 健康権とは,「すべての者が到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利」であるが,大事なのは,第一に,健康権は基本的人権の一つであるということである。権利の中でも,もっとも基本的で,しかも最高位の権利として位置づけられたわけである。先に述べたように,この人権保障に違反する立法や行政は,無効となる。次に,保障されるべき健康水準は,「出来る限り最高の水準」だということである。健康については,最低でも中くらいでもなく,最高水準の保障でなければならない。
 確かに,人権規約には「出来る限り」という留保がついている。その国の経済状態等資源の状態に応じて,漸進的に達成しなさいということである。しかし,発展途上国はともかく,経済が発展し,人・もの・金という豊かな資源をもち,憲法25条2項で向上増進義務を課されている日本が,「出来る限り」とされていることを理由に,最高水準の達成を怠ることは許されない。
 こうして健康権の保障は国際常識となり,WHOは,すでに1982年に「2000年にはすべての人に健康を」というスローガンを掲げた。21世紀は,まさに健康権の時代である。

(2)日本国憲法と健康権

 そもそも,1946年に公布された日本国憲法は,世界に先駆けて健康権を保障している。あらためて,憲法25条を見てみよう。
 1項 すべて国民は,健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2項 国は,すべての生活部面について,社会福祉,社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 一般には,生存権保障といわれるが,よく読めば,1項で,「健康で文化的」といっているのであるから,健康権を保障しているというべきである。
 「最低限度の生活」という文言から生存権といわれるようになったわけであるが,敗戦により一億総飢餓状態といわれた当時の状態ならやむをえなかったであろう。しかし,現在では,ギリギリ最低の動物的生存ではなくて,むしろ十分な人間らしい生活の保障こそ必要である。とりわけ健康については「最高水準」保障が実現されるべき時を迎えている。 そして,2項では,社会福祉,社会保障,公衆衛生制度が例示され,その向上・増進を図ることが国の義務とされている。

(3)健康権と医療保障・リハビリテーション

 医療保障は,人権規約12条でいうところの健康権保障の「完全な実現を達成するための措置」の一つであり,中核となるものである。また,憲法25条の健康権保障のために,皆保険体制,医療提供機関,そして医師・看護師,理学療法士,作業療法士,言語聴覚士等の人により構成される医療保障制度が作り上げられている。
 医療保障は,「健康の維持・増進,傷病の予防,治療,リハ等の包括的な医療サービスを,国民の権利として保障する制度」であり,狭義のリハは,この意味での医療保障の重要な構成要素として,健康権を具体的に保障するものである。
 以上見てきたような,国際的な人権保障の動向,健康権や医療保障,社会福祉,介護保障の発展,国内の政策,生活実態,国民意識,様々な要求や運動の動向を踏まえると,医療保障の理念は人間の尊厳といってよい。さらに,具体化した原理として,患者,住民の自己決定とその前提となる選択の自由,そして,生命,健康の価値の平等に立脚した平等原理が貫徹されなければならない。
 そして,以下のような原則が,法の解釈・運用,さらには立法政策にあたって最大限尊重されなければならない。①不断の原則,②地域の平等原則,③主体の包括性,平等性の原則,④負担の原則,⑤最高水準医療の原則,⑥公的責任の原則,⑦権利性の原則,⑧民主的運営・参加の原則。

4.人権・健康権のにない手への途

 健康権保障そしてリハの保障のためには,医師をはじめ,量・質ともに適正な人,スタッフ(人権のにない手)が不可欠である7)。
 医師法第一条は,「医師は,医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し,もつて国民の健康な生活を確保するものとする。」と規定している。そのために,資格が付与され,医師のみ医業が認められ(業務独占,名称独占),手術等で人を傷つけても,正当な行為として罪に問われないわけである(刑法35条)。
 こうしてみると,医師は,自らの医業により国民,住民に健康権を保障する,まさに,人権のにない手に他ならない。
 理学療法士,作業療法士,言語聴覚士,視能訓練士等いわゆる狭義のリハスタッフにとどまらず,看護師,薬剤師,検査技師等,そして社会福祉士,精神保健福祉士,介護福祉士,ヘルパーその他患者・住民に広義のケアを提供する医療・福祉従事者はすべて人権,健康権のにない手である。しかし,同時に人権侵害の「にない手」になる危険性も常にはらんでいる。
 人権のにない手となることは,どういうことか具体的に考えてみよう。
 第一に,まず人権感覚を研ぎ澄まし,現在起きている諸事件,諸現象を人権侵害として自覚的に捉えなければならない。
 第二に,それらの人権侵害の構造を明らかにすることである。
 ①どのような種類そして性格の権利の侵害であるのか。人権の侵害・権利の侵害といってもいかなる権利なのかを認識しなければならない。それによって侵害の防止,権利回復の相手方,方法が変わってくるからである。②権利の侵害が誰によって,どのように引き起こされているのか。ケア従事者個人の問題なのか,経営者の問題なのか,それとも医療制度や政策なのか。 ③誰が責任を負うべきか。 医療機関,福祉施設等での患者への「虐待」事故,火災等による死亡事例は後を絶たない。直接虐待行為等の人権侵害を行なっているのはリハスタッフ,看護師,医師等であろう。その責めは免れない。しかし,国や自治体,そして経営者・管理者の責任も問われなければならない。
第三に,権利侵害の構造を明らかにするのみではなく,人権保障の筋道を考え実現していくことは,ケア従事者・専門家の義務である。
 ①権利侵害の阻止,予防。②権利行使,権利擁護,権利救済,回復への援助。患者,利用者や住民と敵対することなくその人権保障のための方法を提示し,支援することが必要である。③社会保障・社会福祉政策への参加と立法運動。
 第四に,自らの人権保障,とくに労働権,社会保障権,教育権等について積極的に権利主張しなければならない。まさに人権の保持のための「不断の努力」(憲法12条)が患者・住民との連帯の中で続けられなければならない。

おわりに―憲法の歴史観・世界観と二つの努力

 憲法97条は,人権は,「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果(fruits of the age-old struggle of man)」であると明言している。その闘い(struggle)のための様々な手段(団結,デモ,ストライキ,団体交渉,裁判,そして政治,行政,司法への参加等)を憲法はこれまた人権として保障している。さらに,12条は,この権利のための闘争,人権保持のための「不断の努力(the constant endeavor)」を国民の義務とさえしている8)。
 ところが,自民党憲法改正草案では,この97条は完全に削除されている。権力者,支配者にとってもっとも脅威なのが「権利のための闘争」だからであろう。
 今,人権のにない手に最も求められているのは,憲法97条に集約されている日本一国にとどまらない人類的・国際的視点そして歴史観を共有することではないかと思う。

文献

1) 井上英夫『住み続ける権利―貧困・震災をこえて』新日本出版,2012.

2) 井上英夫「「固有のニーズ」をもつ人と人権保障」『障害者問題研究』31(4),2004.2,272-281.

3) 井上英夫「人権保障の発展と「障害のある人」の権利条約」『障害者問題研究』34(1), 2006.5, 2-10.

4) 井上英夫「人の尊厳と人権」日本認知症学会監修,岡田進一編著『認知症ケアにおける倫理』ワールドプランニング,2008.

5) 福祉国家と基本法研究会,井上英夫,後藤道夫,渡辺治編『新たな福祉国家を展望する―社会保障基本法・社会保障憲章の提言』旬報社,2011.

6) 井上英夫『患者の言い分と健康権』新日本出版社,2009.

7) 井上英夫「マンパワーからヒューマンパワー―人権のにない手へ」『医療・福祉研究』(16),2007, 26-32.

8) 井上英夫「人権としての社会保障確立の課題―生存権裁判を中心に」矢嶋里絵,田中明彦,石田道彦,高田清恵,鈴木静編『人権としての社会保障―人間の尊厳と住み続ける権利』法律文化社,2013.


主題・副題:リハビリテーション研究 第158号

掲載雑誌名:ノーマライゼーション・障害者の福祉増刊「リハビリテーション研究 第158号」

発行者・出版社:公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会

巻数・頁数:第43巻第4号(通巻158号) 48頁

発行月日:2014年3月1日

文献に関する問い合わせ:
公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会
〒162-0052 東京都新宿区戸山1-22-1
電話:03-5273-0601 FAX:03-5273-1523

menu