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国連世界情報社会サミット(World Summit on the Information Society : WSIS)

当事者参加の安全で配慮のある浦河町の町づくり―精神障害者グループホーム「べてるの家」の試み

山根耕平
浦河べてるの家)

項目 内容
会議名 WSIS フェーズ2 サイドイベント:障害者コーカス主催「第2回情報社会における障害者のグローバル・フォーラム」
発表年月 2005年11月15日、チュニス(チュニジア)
備考 英語版:原文

スピーチをしている山根氏の写真

1.
私は日本の北部にある、北海道浦河町から参りました。
浦河町は人口およそ16,000人の町で、精神障害者のコミュニティーがあり、年間約2,000人が視察や取材に訪れます。精神障害者と地域住民とが共同事業を経営している例は、全国的に見ても珍しいケースです。
2.
1978年、浦河赤十字病院の精神科を退院した患者たちが、何か地域コミュニティーに役に立つものを作りたいと考え、「どんぐりの会」を設立しました。1984年、多くのボランティアの方々が、大変骨を折ってくださったおかげで、「浦河べてるの家」が開設されました。その後、道のりは決して平坦ではありませんでしたが、25年間にわたり、創立メンバーたちは「地域のために自分たちができることをする」という考えの下に歩んできました。そして、日高昆布の産地直送販売、出版、ビデオシリーズの販売、介護用品の販売とレンタルなどの事業活動を展開し、現在では年商1億円(およそ7,800USドル)を超えるまでになりました。
3.
私の場合、統合失調症で、元上司の「もし安全な車を作るというなら、殺してやる!」という声が急に聞こえてくるという症状です。この幻聴が聞こえると、私は友人に、「『お前が安全な車を作るというなら、殺してやる』といいましたか?」とたずねます。信頼できるグループのメンバーと、お互いにお互いの幻覚をわかりあうことで、私たちは普通の生活を送ることができるのです。
4.
べてるの家の座右の銘には、「安心してさぼれる会社作り」、「三度の飯よりミーティング」、「手を動かすより口を動かせ」などがあります。これらのうたい文句を通じて、メンバーに自分の健康状態を言葉に出して伝えるよういっているわけですが、これは私たちが何よりも心がけなければならないこととして、他の人とのコミュニケーションをとる際の心構えを的確に表現しているといえます。
5.
次の話題に移りましょう。第二次世界大戦後、浦河町では大地震が11回起こりました。浦河町は地震が起こりやすい地域なのです。
私は、約2年前の2003年9月26日、現地時間で4時50分と6時8分に起きた十勝沖地震を経験しました。最初は地震ではなく、近所でガス爆発が起きたのだと思いました。
浦河町では地震による火災は発生しませんでした。私たちは地震に慣れているので、地震が起こると火を消す習慣が身についているのです。地震後、べてるの家の友人が私に、大地震が起こったときにはどのように対応すべきかを詳しく教えてくれました。
6.
スライドでお見せしているのは、地震直後のべてるの家の「福祉ショップべてる」の壊れた店内の写真です。ほとんどの商品が棚から飛び出してしまっています。これで地震の力と危険性がおわかりになるでしょう。
7-8. 
次の2枚のスライドは、地震発生直後に人々がどのように反応したかに関するアンケートの結果です。
地震直後に開かれたミーティングで、多くの回答が集められました。このようにアンケートに回答し、それについて話し合うことで、私たちは次第に地震に対する恐怖を共有し、受け入れていきました。
この痛みを分かち合うミーティングは長いこと続けられましたが、ミーティングの中でお互いの経験を共有しあったことは、地震の恐ろしい記憶が突然フラッシュバックするのを受け入れるのに役に立ちました。べてるの家のメンバーとの交流を通じて、地震という恐ろしい経験を受け入れることができ、日常生活に戻ることができたのです。
地震の恐ろしい経験を忘れようとすることによって痛みを乗り越えることができる人は誰もいないでしょう。
9.
地震後、べてるの家でいい方向へと変化した4つの点について紹介しましょう。
1.朝のミーティングでの変化
2.インターネットとDAISYの利用
3.近隣の人々との関係の変化
4.避難経路と避難場所の確認
10-11.
まず、1.朝のミーティングでの変化です。
荒谷セツさんは、目の前にプライベートビーチがある、しおさい荘とよばれるグループホームに住んでいます。十勝沖地震のとき、荒谷さんは、「津波がやってくるので避難しなければなりません。」という介護人の言葉を聞き入れず、「私は浜田さん(荒谷さんのお気に入りのスタッフ)が来なければ行きません。」といい続けました。浜田さんはこのときは荒谷さんを助けに来ましたが、私たちは荒谷さんにどうしたら地震の恐ろしさをわかってもらえるかを話し合いました。けれどもこの点についてよい答えは見つけられませんでした。
翌2004年の秋、台風が浦河町を直撃したとき、私は荒谷さんを避難させようと迎えに行きました。避難所に行く途中、荒谷さんは高波におびえていました。そこで私は、「地震の後はもっと高い波がやってきますよ。」といいました。荒谷さんはうなずいただけでした。台風の翌朝から、荒谷さんは毎朝海の状態を報告してくるようになりました。今では皆が、荒谷さんが毎日海の状態を報告してくるのを楽しみに待っています。毎日のミーティングも、災害準備に対する皆の意識を高めています。
12.
次に、2.インターネットの利用についてです。
誰もがインターネットを利用できるようになりました。滝井敏さんは、読売ジャイアンツという野球チームと、クイズ番組の司会をしているみのもんたのファンです。滝井さんはいつもテレビのアナウンサーがニュースを読むまねや、テレビ番組で司会をしているみのもんたのまねをしていて、皆によく「やめなさい。」といわれています。
けれども、誰もがインターネットを利用できる環境がつくられると、滝井さんは読売ジャイアンツやみのもんたのウェブサイトだけでなく、災害対策に関するページも見つけだし、今日の地震情報を報告するようになりました。「滝井さんはスタッフでも知らない重要な気象情報を知っている。」という評判がべてるの家で広まり、以前は「うるさい」と非難されていた滝井さんは一躍英雄になりました。多くのべてるの家のメンバーが災害対策情報の検索をし始めました。
13.
次は、2.DAISYの利用についてです。
国立身体障害者リハビリテーションセンター(NRCD)が作成した「防災ガイダンス」のデジタル録音図書(DTB)が、タッチ・パネル付デスクトップコンピューターにインストールされ、誰もがDAISYを利用できるようになりました。すると・・・。
「本を読むより簡単だ。」「ずっとわかりやすい。」という声が上がり、DAISYは高く評価されました。そして今では、べてるの家のメンバーの間で、DAISYで何ができるかを探ることが流行しています。DAISYはわかりやすく、べてるのメンバーはDAISYを活用する次の段階について話し合っています。
14.
三番目は、「避難経路と避難場所の確認」についてです。
NRCDのスタッフが冬に浦河町にやってきました。そして帽子もかぶらず、軽装で、寒い冬空の下、一日中グループホーム周辺の避難場所を調査していました。べてるの家のメンバーは皆、「浦河町にはたくさんのお客様がいらっしゃるが、NRCDの人たちはとても変わっている。あんな軽装で一日中過ごしていたら寒さで死んでしまう。いったい何を調べているのか?」といっていました。避難場所について調査しているとわかったとき、私たちは「避難場所について調べるのは命をかけなければならないほど、大変な仕事なのか?もしそんなに大変なことなら、私たち自身でも調べようじゃないか。」といいました。こうして私たちは地域の避難場所について学び始めたのでした。
15.
四番目は、3.近隣の人々との関係の変化、その1です。
川端俊さんは、地震が起こる前は近所の人々と一度も話したことがありませんでした。けれども地震の後、川端さんは隣に住んでいる人が苦しんでいるのを見て、タオルを貸してあげました。するとお互いに挨拶するなど、近所づきあいが始まりました。
16.
次に、3.近隣の人々との関係の変化、その2です。べてるの家から早坂潔さんと私、それにあと2人の人が、浦河町の避難訓練に参加しました。「これは私たちのことを近所の人に紹介するチャンスです。私がどうやるか、やってみせるから、君も行って自己紹介しなさい。」と早坂さんがいいました。早坂さんがすぐに近所の人たちと仲良くなるのを見て、「もし安全な車を作るというなら、殺してやる!」という声は聞こえましたが、私は勇気を出して自己紹介しました。私たちは近所の人たちと一緒にバケツリレーの練習をし、消火器の使い方も練習しました。それから人工呼吸の練習に加わりました。消防士が早坂さんに、「君には素質がある!」といいました。訓練の後、早坂さんは「ニューべてる」に行きました。そしてお気に入りのスタッフ、向谷地悦子さんに、「たった今人工呼吸のやり方を覚えてきたから、試しにあなたにしてあげましょう。」といいました。そこで私は早坂さんに、「でも消防士は『人工呼吸をするときは、相手が息をしていないことを確認するように。』といっていたじゃないか。」とつっこみました。すると早坂さんが「山根、おまえしゃべりすぎだぞ!」といってきたので、けんかになってしまいました。
17.将来に向けて
私はたくさんのことについてお話しましたが、浦河町では、地震、津波、障害者そして高齢者などに関わる様々な問題があります。私たちは今、障害者の自己決定のためのGIS(地理情報処理システム)の改良を進めているところです。これは障害者や高齢者にとってアクセシブルな、国際基準に準拠したGISシステムを利用しています。更に、SMIL2.1を使用したユーザー・インターフェースも構築する予定です。
18.結論:
浦河町のような安全な町を作るために、ICTの実用を通じて、障害者も防災計画や地域活動に参加するべきです。