第3節 「福祉的就労」に関する経済政策的観点からの考察
金子 能宏(国立社会保障・人口問題研究所 社会保障応用分析研究部)
1.はじめに
障害者の福祉的就労を、障害者の自立した生活保障と雇用につなげていく視点に基づいて実現し拡大していくために、どのような経済政策の選択肢があり、それぞれの政策が企業の合理的配慮の範囲や政府の財源などの制約を踏まえながらどの程度実現可能なのかについて、考察したい。
一般的に、経済政策の範囲は広く、国民経済のレベルでの雇用水準の引き上げや失業率の低下をはかる場合には、マクロ的な経済政策が採られる。障害者雇用につながるマクロ的な経済政策には、民間設備投資を設備投資減税などで促進して有効需要を拡大することや、研究開発投資を促進して新しい技術を反映した財貨・サービスの市場と企業を増やすこと、あるいは従来規制されていた市場の規制を緩和して民間企業の参加を促し雇用創出を図ることなど、多様な政策手段がある。しかし、どの手段でも、労働市場における一般の労働者と障害者との間の競争的な関係、あるいは両者の代替的な関係までに直接的に影響を及ぼす方法ではないので、それぞれの政策による企業の労働需要の増加が障害者雇用の増加、ひいては福祉的就労の拡大に必ずしもつながるとは限らないという課題が残る。これは、マクロ的な経済政策は、波及効果は国民経済全体に波及するものの、政策的に意図した対象者に政策の効果が及ぶとは限らない点で、経済政策のターゲット・効率性が必ずしも高いものではないことを示唆している。
これに対して、マクロ的な経済政策と比べてターゲット・効率性がより高いと考えられる政策手段もある。ただし、この場合には、対象者の選択が経済的にも政治的にも合理的な根拠があることが求められることに留意する必要がある。
障害者の権利条約の批准が課題となっている日本の現在の状況では、障害者の社会参加を促進し、その具体的な在り方として福祉的就労を拡大し、可能な場合には障害者雇用にこれをつなげ、従来以上に障害者の働く場を広げていくことは、経済政策の重要な課題の一つであると考えられる。このような課題のもとでは、障害者の福祉的就労にターゲットを絞った経済政策をとることにも、根拠があると言えるだろう。
岩田克彦氏(第3章第3節)によれば、福祉的就労に関連する個別的な経済政策の手段は、障害者の生活保障(所得保障)とも関連して、大きく次の二つのステップがあると指摘されている。さらに後者については複数の方法の組み合わせが考えられると指摘されている。「最低賃金の減額特例ないし公的賃金補填採用と雇用移行推進策で、労働者として労働法が適用される者を増やすことがまず肝要で、2番目の方策として、労働者として労働法適用ができない者に労働法・社会保障法の部分適用を考えるという2段に分けた政策展開が適切ではないか。」
「この場合、単に減額特例ないし公的賃金補填採用だけではなく、雇用移行推進策と組み合わせることが重要で、(1)賃金+報奨金2.1万円+障害年金6.6万円14>生活保護の単身者基準、を確保でき、かつ、(2)発注奨励(雇用率換算)+雇用改善コンサルタント+A型事業所へも助成措置の工夫により、B型からA型への移行を強力推進、さらには、(3)減額幅(賃金補填幅)の改善努力(就業能力向上方策等)、就業能力判定技能の向上等」を加味すること。
そこで、ここでは、岩田氏(第3章第3節)が着目している政策手段のうち、賃金補助、最低賃金制度について個別的に考察した後に、上記では触れられていないが福祉的就労の条件ともなる通勤手段確保のためのバリアフリー施策を取り上げて、福祉的就労に資する経済政策の課題と可能性について考察する。
2.「準市場」の考え方に基づく賃金補助の活用
今日、福祉的就労の拡大を含む社会保障政策を実施していくためには、制度横断的に取り組むことと、少子高齢化の進展する中で様々な政策を資金的に支える社会保障財政の持続可能性に留意することが求められている。したがって、福祉的就労の条件を整える様々な政策を実施する場合にも、現金給付(障害年金・失業保険・公的扶助等)と現物給付(医療サービス・介護サービス・障害者福祉サービス等)の組み合わせと、それぞれの給付に対する負担をどのように適切に求めていくのかという問題を、同時に解決していく必要がある。このような広範囲に及ぶ政策的な検討を行う際に重要な示唆を与えてくれるのが、社会保障と(公的な)住宅政策や教育政策を対象範囲に含むソーシャル・ポリシー論(Social Policy)で注目されている「準市場」と「社会市場」の考え方である。
「準市場」は、社会保障における社会サービス(現物給付)を政府の資金供給(現金給付による補助)によって実現するものとして、イギリスのソーシャル・ポリシー論の碩学、ジュリアン・ルグラン(J. Le Grand)教授が提唱した概念である。社会サービス(例えば、医療サービス、保育サービス、学校教育など)は所得の多寡に拘わらず必要とされることがあり、これを経済市場に任せると、低所得者は費用を賄うことができないためにそれを選択して利用することができない。他方、政府に社会サービスの提供を任せておくと、質の向上が困難になるなど大きな政府の弊害が起こる可能性がある。したがって、低所得であるため社会サービスを必要としながらそれを利用できない人々に、政府が補助金やバウチャーによって資金提供して、経済市場と政府の両方から提供される社会サービスを、低所得の人々が選択に基づいて需要できる枠組みを構築することが必要となる。この枠組みをルグラン教授は「準市場」と呼び、その理論的な研究を行うと共に、イギリスの医療制度改革について、人々のニーズにより近い場所にある総合医とその組織への権限と財源の委譲を可能とする制度改革の基礎となる理論的な議論を展開した。このような「準市場」の政策への応用は、イギリスのみならずアメリカやその他の先進諸国でも実施された。
人々のニーズを把握することは専門家でも必ずしも十分に行えることではなく、仮に完全に把握しようとすれば多数の専門家を雇い配置する行政費用が膨大になり、また観察される対象者の人々の暮らしや就労も窮屈になる可能性がある。これに対して、福祉的就労を促進する補助金を政府が賃金補助や福祉的就労を担う団体・企業への費用補填として提供することにより、ニーズのある障害者と補助金の対象となる団体・企業双方の選択を踏まえながら、限りある財源を配分して障害者の福祉を向上させる「準市場」アプローチは、国民主権や消費者主権の考え方とも合う新しい社会サービスの制度的な枠組みであると言えるだろう。
福祉的就労の拡大のための賃金補助には、就労する人のインセンティブにも効果がある。
また、福祉的就労の機会を提供する団体や企業に対する費用補填は、障害者の権利条約の合理的配慮との関係で、メリットがあると考えられる。障害者の権利条約では、企業が障害者を雇用する際に合理的配慮が求められているが、配慮の範囲は企業が負担可能な費用の範囲であることが許容されている。したがって、福祉的就労を拡大するために、この機会を与える団体・企業に、対象者に即した就業上の合理的配慮を行うために、一般労働者と比べて追加的に発生する費用を政府の資金提供で補填することは、団体・企業に対する障害者雇用の合理的配慮の面責事由の範囲を狭まる条件となり、福祉的就労の拡大に貢献できる経済政策であると考えられる。
ただし、このように「準市場」アプローチに基づいて、福祉的就労の拡大を図るために賃金補助や団体・企業に費用補填を行うことは、労働需要を増加させる経済的な誘因となることは明白であるが、政府がその財源を確保しなければならない点が、ボトルネックになる可能性がある。このボトルネックを解消するために、福祉的就労の拡大のための賃金補助や費用補填の財源として、政府の一般会計に基づく予算ではなく、障害者雇用納付金制度の企業からの納付金を利用することが考えられる。この方法では、これまで通りの雇用率を達成しながら、さらに福祉的就労の拡大のための財源を確保するには、納付金を引き上げなければならない可能性があり、税・社会保険料負担が労働需要の変化に帰着する場合があるのと同様に、福祉的就労のための補助金が得られるところでは福祉的就労者が増加しても、他の企業での障害者雇用が減少して、全体としてみると、障害者の就労機会が減少する可能性もある。したがって、福祉的就労の拡大のための団体・企業への賃金補助や費用補填の財源は、従来の納付金制度だけに頼るのではなく、この制度の活用も視野に入れながら、政府の予算に裏打ちされた資金提供に基づくことが望ましいと考えられる。
3.最低賃金制度
障害者の福祉的就労を、障害者の自立した生活保障の視点のみと関連させると、最低賃金制度の適用が考えられるが、最低賃金制度と就労機会との間には、労働市場の競争状態の相違により二つの関係があると言われている。労働市場が完全競争的な場合には、最低賃金制度は雇用を減少させる可能性がある。これに対して、労働市場が企業の買い手独占的な状況にある場合には、最低賃金制度は雇用を増加させる場合がある。
福祉的就労で生産されるものが、代替物の多いもの(パンやアクセサリーなど)の場合には、福祉的就労で働く労働の内容が一般の労働市場で得られやすいものとなり、福祉的就労で働く障害者が直面する労働市場は競争的な状況とみなすことができる。この場合には、最低賃金制度をそのまま適用することは、雇用を減少させる可能性がある。
他方、福祉的就労が、特例子会社で一定程度の専門性や資格等のある障害者に雇用機会が与えられる場合では、採用に際して専門性や資格が重視されるため企業の労働市場での独占力が現れるので、最低賃金制度の適用は、雇用を増加させる可能性がある。
最低賃金制度の適用は、政府が新たな財源を必要としない点でメリットがある。しかし、上に述べたような、理論的には相反する二つの効果が考えられる最低賃金制度が、実際の労働市場でどのような影響を及ぼすのかについては、実証分析によらなければならない。現在のところ、実証分析の結果は確定的ではないのが実状である。
最低賃金制度の減額特例は、障害をもちながら就労を希望する人の働くインセンティブを低める可能性がある。最低賃金制度を原則適用して、障害者の働くインセンティブを高めることが望ましいが、他方で、現行制度で減額特例が認められている人にも最低賃金を仮に適用するとすれば、就労機会を与えている団体・企業がその人の就労から得られる収入以上に人件費を払わなければならないことになるので、団体・企業の就労機会提供のインセンティブが失われる。こうした相反する問題を解決するためには、最低賃金制度の適用と政府の資金提供による福祉的就労者へ賃金補助とをバランスよく組み合わせることが必要であると考えられる。
4.通勤手段確保のためのバリアフリー施策
これまで「準市場」と法的規制である最低賃金制度に着目してきたが、それぞれの効果を分析する視点はミクロ経済学的なものであった。これに対して、福祉的就労から障害者雇用への移行を含めた障害者の就業機会の拡大に資するマクロ的な経済政策として、バリアフリー施策の推進が考えられる。バリアフリー施策の展開は、企業や事業所がある建物に対する障害者のアクセス確保を実現すると同時に、障害者の職場と自宅を結ぶ移動可能性(モビリティ)を広げるという意味で、障害者の福祉的就労や雇用の拡大にとって欠くことのできない条件である。そこで、この節では、社会資本整備としてのバリアフリー施策が障害者の雇用の拡大に影響するかどうかを日本の時系列データを用いて実証分析し、福祉的就労の拡大に対するインプリケーションについて考察する。
表1は、近年の障害者雇用者数の推移を示している。1990年代半ばまでは障害者雇用者数は対前年と比べた増加数も大きく、障害者雇用率も上昇する傾向が見られた。しかし、1990年代後半以降になると、経済成長率の低下、失業率の上昇があり、その後の景気回復はあるものの、2000年代半ばまでは障害者雇用者数の増加は顕著には見られない状況が続いた。その後、2005年以降は、障害者雇用者数は増加に転じている。このような状況の中で、障害者雇用者数が変動しながらも増加している要因として、バリアフリー施策が影響を及ぼしているかどうかを、実証分析する。その際、障害者が求職しても就労に至らなかったか、あるいは求職よりも年金受給を選好した結果として、障害年金を受給し始めることを考慮するため、説明変数に障害年金受給者数を含めた推定を行う。
被説明変数には、「身体障害者および知的障害者の雇用について」(平成16年及び平成19年)にある民間企業に雇用される障害者雇用者数の前年比増減数を用いた。説明変数は、ハートビル認定件数、全国における駅エレベーター数、身体障害者駐車禁止除外指定車数、失業率、実質経済成長率、障害年金受給者数である。推定期間は1980年から2008年であり、推定方法は最小自乗法である。
年 | 障害者雇用者数(千人) | 障害者雇用前年比増減(千人) | 実雇用率 | 失業率(%) | 経済成長率(%)=名目GDP対前年変化 |
---|---|---|---|---|---|
1980 | 135 | 6.7 | 1.13 | 2 | 2.60 |
1985 | 168 | 8.4 | 1.26 | 2.6 | 6.30 |
1990 | 204 | 8.4 | 1.32 | 2.1 | 6.20 |
1995 | 247 | 1.7 | 1.45 | 3.2 | 2.30 |
2000 | 253 | -1.7 | 1.49 | 4.7 | 2.60 |
2001 | 253 | 0.0 | 1.49 | 5 | -0.80 |
2002 | 246 | -6.6 | 1.47 | 5.4 | 1.10 |
2003 | 247 | 0.8 | 1.48 | 5.3 | 2.10 |
2004 | 258 | 10.8 | 1.46 | 4.7 | 2.00 |
2005 | 269 | 11.1 | 1.49 | 4.4 | 2.30 |
2006 | 284 | 15.0 | 1.52 | 4.1 | 2.30 |
2007 | 303 | 19.0 | 1.55 | 3.9 | 1.80 |
2008 | 326 | 23.0 | 1.59 | 4 | -3.20 |
- 注)障害者数とは、次ぎに掲げる者の合計
- 1987年以前:身体障害者(重度身体障害者はダブルカウント)
- 1988年~1992年:身体障害者(重度障害者はダブルカウント)および知的障害者
- 1993年以降:身体障害者(重度障害者はダブルカウント)、知的障害者および
- 重度身体障害者または重度知的障害者である短時間労働者
- 失業率は季節調整値
- 出典:「平成16年身体障害者及び知的障害者の雇用状況について」、「平成20年身体障害者及び知的障害者の雇用状況について」厚生労働省
係数 | t値 | |
---|---|---|
切片 | 23963.6660 | 4.3229 |
ハートビル認定件数(年度) | 0.2038 | 0.0197 |
駅エレベーター数 | 8.2519 | 3.4356 |
駐車禁止除外指定車標章の交付を受けている自動車数(本人) | 0.0675 | 1.6872 |
失業者数(%) | -8553.1406 | -6.9375 |
障害者年金受給者数(障害基礎年金・国民年金障害年金・厚生年金障害年金)計 | -0.0017 | -0.6853 |
自由度修正済みR2 | 0.782631145 | |
標準誤差 | 3102.03794 | |
観測値 | 29 |
資料出所:筆者推計
回帰分析の結果(表2)から、失業率は障害者雇用者数にマイナスの影響を、障害者の移動に役立つ駅エレベーター設置数は障害者雇用者数にプラスの影響を及ぼすことが分かる(5%有意水準)。障害者の移動を容易にする障害者本人の自動車の駐車禁止除外指定車標章の交付数はプラスの影響を及ぼす(10%有意水準)。障害年金の受給者数についてはマイナスの符号を示すが、有意な結果とはなっていない。
表1に見られるように、実雇用率は比較的小さい変動を示しているのに対して、失業率の変動の影響を考慮してもなお、駅エレベーター設置数のようなバリアフリー施策は、障害者雇用者数を増加させる効果を示すと考えられる。
2007年の障害者雇用者数は30万3千人であり、これに一般労働者とパート労働者(従業員5人以上規模の事業所)の現金給与総額(年額)396万円15をかけると、障害者雇用者総数がもたらす給与所得総額は1兆200億円に上る。障害者雇用は、障害者の社会参加を拡大すると同時に、財政的には課税ベースの拡大に繋がる役割を果たしており、バリアフリー施策の経済効果は、国の財政の観点からも評価できるものと考えられる。
2節で、福祉的就労の拡大のために賃金補助や費用補填の財源は、納付金制度に頼る場合の帰着による雇用への影響が不確定であることを考慮して、政府の予算に基づくことが望ましいことを指摘した。マクロ的な経済政策としてのバリアフリー施策は、そうした不確定要素がなく、障害者の雇用機会ひいては課税ベースの拡大を通じて、福祉的就労の拡大のための財源確保に資することができる点で、メリットのある経済政策であると考えられる。ただし、バリアフリー施策は、社会資本整備であり公共投資を伴うので、施策の実施のための設計・計画、施工・建築、利用開始から効果の波及までタイムラグがあることに留意しなければならない。
したがって、短期的に福祉的就労を拡大するための経済政策として、「準市場」アプローチに基づく障害者への賃金補助と福祉的就労の機会を担う団体・企業への費用補填をできるだけ政府の予算に基づいて行うことが望ましく、中長期的には、バリアフリー施策を普段に継続して、障害者の雇用機会拡大の条件となる社会資本を整備していくことが望ましいと考えられる。