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第4節 福祉的就労者に対する労働関係法規の適用について

池添 弘邦(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 就業環境・ワークライフバランス部門)

はじめに

障害を持つ者の雇用については、現行では障害者雇用促進法が規制しているが、同法に基づく雇用義務(37条以下。一般事業主については43条以下)を受けて雇用される障害を有する者は、事業主と労働契約関係にあることとなるため、労働関係法規の人的適用範囲である「労働者」であるとされ、障害を有さない一般の労働者と同様に労働関係法規が適用される。したがって、障害を有するそのような者は、労働基準法、最低賃金法、労災補償保険法、労働契約法などによる保護的規制等を享受しうる。他方、就労しているものの、就労受け入れ先との間に労働契約関係のない障害を有する者、すなわち本報告書が検討対象とする「福祉的就労者」16は、労働契約関係にないことから、労働関係法規の人的適用範囲である「労働者」であるとはみなされず、したがって、原則として保護的規制を享受しえない状況にある。

しかし、障害者権利条約(以下、「条約」という。)27条1項(a)は、「あらゆる形態の雇用」を「障害を理由とする差別」禁止の対象とし、また、同条項(i)では、「職場において合理的配慮が障害者に提供されることを確保すること」を締約国に課している。このことから、福祉的就労者についても、国家は、立法を含めた適当な措置(例えば、判例や行政による法解釈の変更)を採ることにより、障害を有する者が就労の場においてその権利を実現することを保障し、促進すること(条約27条1項2文)が求められている。したがって、条約との関係で福祉的就労者の就労について労働関係法規の適用の有無及び具体的な法的規制の在り方を検討することは喫緊の課題と言える。

本節では、まず、総論的問題として、福祉的就労者が労働関係法令の人的適用範囲である「労働者」に当たるかなどについて検討する。次いで、「労働者」に当たると考えた場合の、並びに、「労働者」には当たらないが、条約の趣旨や就労の実態にかんがみて福祉的就労者についても及ぼされるべきと考えられる、主な具体的労働条件等事項の適用関係の在り方について検討する17

1.福祉的就労者は「労働者」か~労働関係法規の人的適用範囲

福祉的就労者の労働者性を考えるに当たっては、二つの異なる規範レベルにおいて検討する必要がある。一つは憲法規範、もう一つは個別の労働関係法規範である。後述の具体的問題を検討するに当たっては、後者の方がより重要であるが、最高法規における状況を見ることも、下位規範である個別立法を少なくとも理念レベルで統治するという意味において重要であると思われる。

(1)憲法上の「勤労」あるいは「勤労者」

憲法27条1項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」と、同条2項は、「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。」と規定している。また、憲法28条は、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。」と定める。これら社会権的基本権は、憲法25条が、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」との生存権規定を基礎に定められたものであるが、同時に、基本的人権規定としての意義をも有している。これら複数の意義を持つ社会権的基本権規定は、資本制経済下での雇用労働に係る歴史を踏まえ定められたものである。

福祉的就労者との関係では、憲法規定における「勤労(者)」にも福祉的就労(者)が含まれると解すべきかが問題となる。

社会権的基本権が有する生存権及び基本的人権という意義を考えれば、福祉的就労(者)をも想定し、これが含まれていると解すべき余地は多分にあろう。しかし、社会権的基本権が前提とする雇用労働の歴史を踏まえると、勤労(者)とは、資本制経済下での雇用労働(者)、すなわち自己の労務を提供することにより対価を得て生活すること(者)、有償労働(者)を想定していると考えるのが自然であろう18。したがって、福祉的就労(者)は憲法規範の予定する勤労(者)ではないと一応考えることができる。

しかしながら、近年の、自己決定論19、社会的排除/社会的包摂論20、さらには、就業形態の多様化を背景にボランティアや家事労働を含めた様々な就労が「勤労(者)」概念に包摂されうるとの積極的な主張21を踏まえると、近年以降、将来に向けては、福祉的就労(者)についても、社会権的基本権の中に読み込まれる勤労(者)と解していく必要があろう。ごく最近でも、障害を有する者の雇用の規範的解釈につき、近似の見解22が述べられている。

もっとも、そのように解し、国家による政策実施義務が導出されるとしても、社会権的基本権規定が生存権規定を基礎に設けられていることを考えれば、プログラム的性質を否定することはできず、立法23・行政24による裁量が認められることに注意が必要であろう。しかし、個別の立法において福祉的就労者を「労働者」とみなさない場合でも、憲法上の勤労(者)理念に則った具体的施策の立案と実施が求められることになろう。

(2)労働関係法規上の「労働者」

次に、福祉的就労者が労働関係法規における「労働者」に当たるかを検討する。子細には、労働者保護法、労働契約法、労使関係法における取り扱いを順次見る。

A.労働者保護法

この法分野に含まれる法律は、労働基準法(以下、「労基法」という。)を中核として、最低賃金法(以下、「最賃法」という。)、賃金支払確保法(以下、「賃確法」という。)、労働安全衛生法(以下、「労安衛法」という。)、労働者災害補償保険法(以下、「労災保法」という。)がある。これら法律において、人的適用範囲は共通している25。(なお、雇用保険法(以下、「雇保法」という。)、健康保険法、厚生年金保険法も、表現は異なるが同義の人的適用範囲を用いている。)したがって、労働者保護法における人的適用範囲である「労働者」を見るには、労基法における「労働者」概念を検討することが重要となる。

a.要件

労基法9条は、「この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう。」と定めている。すると、この条文に見られる「労働者」の要件は二つあり、一つは、事業に「使用され」ているか否かであり、具体的には、労務遂行に係る指揮監督の有無である。もう一つは、「賃金を支払われる者」である。労基法11条は、「この法律で賃金とは、賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう。」と定めており、労働の対償として支払われるものすべてが「賃金」とされることから、福祉的就労者が受領する「工賃」の賃金該当性が問題になるとしても、この要件よりもむしろ「指揮監督」性が相対的に重要な要件であり、続いて、労務対償性のある報酬の支払われることが、「労働者」であることの要件となる。

また、「使用され」ているのが「事業」であることについても問題となる。この点に関する一般的な行政解釈では、「営利目的のないもの…が行う継続的活動も…事業に該当する」26とされていることから、障害を有する者の福祉を強調しながらその就労について継続的に活動を行うものも「事業」に当たるようにも思われる。しかし、授産施設等において就労する障害を有する者の労働者性に係る行政解釈27では、「当該小規模作業所等における事業収入が一般的な事業場に比較して著しく低い場合には、事業性を有しないと判断される場合がある」と述べており、少なくとも行政実務においては、当該事業が営利性を有することが「労働者」性判断の前提となっているように思われる。

かくして、福祉的就労者の「労働者」性判断については、①当該就労の指揮監督性の有無、②工賃の労務対償性の有無、③就労先の事業性の有無について検討を要することになる。

b.使用従属性

①と②の要件は、行政及び裁判実務上、「使用従属性」と総称され、運用されている28。簡潔にその判断要素を掲げると、以下のとおりである。

①「使用され」ている=指揮監督下の労働であるか⇒仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無/業務遂行上の指揮命令の有無/時間的場所的拘束性の有無/代替性の有無。②報酬の労務対償性。③補強要素⇒事業者性の有無/専属性の程度など。

「労働者」性判断は、これら諸要素の総合考慮によってなされるが、相対的に重要な①の要件については、(契約に基づいて)労務遂行が義務付けられており、使用者の指揮監督に背いた場合には、懲戒など何らかのサンクションが予定されている事情があることによって基礎づけられると言える。また、①の要件については、欠勤時の控除又は残業時の付加的手当の支払いなど「使用者の指揮監督の下に一定時間労務を提供していることに対する対価であると判断」29されれば、当該支払われる報酬に労務対償性があるものとして、使用従属性を補強するとされる。

以上の「使用従属性」判断は、労働者保護法、特にその中核をなす労基法の性質である罰則付強行法規性、あるいは労災保法など保険制度を定める関係法規の保険原理による制約にかんがみて、客観的かつ厳格に判断される傾向にある30

福祉的就労者の就労の法的根拠や状況は、有する障害の類型と程度を反映して、非常に多様なものであると推測されるが、一般に福祉的就労者は、就労先との間に労働契約関係を有さず、したがって、就労の義務付けは予定されておらず、このため、サンクションの基礎となる義務違反も想定できないと考えられる。また、就労時の指揮監督も、福祉的側面を色濃く持つ就労移行・継続のための支援や指導であるとすれば、これらは労働者概念における指揮監督とは大きく異なるのではないかと考えられる。さらに、使用従属性を補強する要素である賃金の労務対償性についても、有する障害の状況に応じて、個別の日において、支援を欠いたり、支援を受ける時間が予定された時間より長かった場合に、工賃が控除されたり付加的に支払われたりしないのであれば、報酬の労務対償性を欠くことになろう。反面で、工賃の控除や付加支給がなされていても、工賃の賃金該当性=労働対償性が認められるだけでは、必ずしも「労働者」性を肯定する事実にはならない。したがって、使用従属性だけ見ても、福祉的就労者の「労働者」性は否定的に解されざるを得ない。

c.職業訓練的活動従事者の労働者性

もっとも、福祉的就労が将来の一般的就労への道筋であると考えれば、福祉的就労者は、職業訓練的活動を行いつつ生産活動に従事する者として、「労働者」に該当しうると考える余地もある。この点について、「一般に、インターンシップにおいての実習が、見学や体験的なものであり使用者から実習に係る指揮命令を受けていると解されないなど使用従属関係が認められない場合には、労働者に該当しない。直接生産活動に従事するなど当該作業による利益・効果が当該事業場に帰属し、かつ、事業場と学生との間に使用従属関係が認められる場合には、労働者に該当する。」と述べる行政解釈31がある。

また、「臨床研修は、医師の資質の向上を図ることを目的とするものであり、教育的な側面を有しているが、そのプログラムに従い、臨床研修指導医の指導の下に、研修医が医療行為等に従事することを予定している。そして、研修医がこのようにして医療行為に従事する場合には、これらの行為等は病院開設者のための労務の遂行という側面を不可避的に有することとなるのであり、病院の開設者の指揮監督の下にこれを行ったと評価することができる限り、上記研修医は労働基準法9条所定の労働者に当たるものというべきである。」との一般論を述べる判例32が見られる。

すると、職業訓練的な就労を行う場合、使用者の指揮監督性があることを前提に、当該活動によって発生する利益が、活動する本人ではなく使用者に帰属していることが必要であると考えられる。一般に就労は、何らかの契約関係に基づいて一定の労務等を相手方に提供することを債務とする契約関係であるから、職業訓練的就労によって利益を得るのが相手方ではなく就労者本人である場合には、そもそも労働契約を含め労務を提供する契約関係が成立しないと考えるのがごく自然であろう。福祉的就労は、それによる利益が就労先に帰属する生産的活動というよりもむしろ、障害を有する就労者本人が、将来の一般就労に向けて行う職業訓練的活動であって、その活動によって受ける利益は就労者本人に帰属するのが通常であろう。したがって、福祉的就労に使用者の指揮監督性があるとしても、職業訓練的活動という側面から見ても、福祉的就労者は「労働者」には該当しないと考えられる。

なお、このような生産活動の受益主体に着目して「労働者」性を判断しようとする姿勢は、アメリカ法においても看取される33。他方、ドイツやイギリスにおいては、研修者・訓練生も労働者として扱うか、特別な規制によって労働保護法の適用対象としているようである34。比較法的見地から強いて言えば、既存の「労働者」概念を前提として、別途特別な法規制により、福祉的就労者を「労働者」と等しく扱うという手法を採用する方が穏当なように思われる。

d.就労先の事業性

さらに、就労先の事業性については、実態として低額の工賃を支払うのがやっとの収支状況にあるような小規模施設が多く存在するであろうことを考えると、先に述べた行政解釈から導出されうる事業に係る営利性が必要とされることについて、多くの施設は事業性を満たさず、したがって、もとより「労働者」に該当する可能性の低い福祉的就労者が、それに当たる可能性をさらに低めることとなろう。

e.小括

このように考えてくると、福祉的就労者を一律に、現行の労働者保護法における「労働者」概念に含ませる法解釈を政策的判断として採ることは極めて困難ではないかと考えられる。ただし、このような場合でも、事後的な個別事案の解釈として、ある者を「労働者」に当たると判断しうることを想起すれば、事後的に福祉的就労者を「労働者」に当たると解することは十分にあり得る。しかし、ここでの問題は、条約適合的に立法を含めた適当な措置を取ることによって、障害を有する者を当初より「労働者」と解して扱うべきであると考えることであろうから、この観点からすれば、福祉的就労者を「労働者」と解することはやはり困難であると考えられる。現実的な対応として考えられるのは、先の比較法の見地から述べた特別立法の制定ではないかと思われる35。この点、日本でもすでに、家内労働法があり、また、労災保法における特別加入制度が設けられていることが想起される必要があろう。

B.労働契約法

次に、労働契約法上の「労働者」概念の視点から検討する。

労働契約法(以下、「労契法」という。)2条1項は、「この法律において「労働者」とは、使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者をいう。」と定義する。「使用され」ることと「賃金を支払われる」ことは、先に見た労基法等労働者保護法における「労働者」と同じ要件であり、したがって、同様に使用従属性の有無により労働契約上の「労働者」性が判断されることになる。

しかし、労働契約法上の「労働者」は、幾つかの点で労働者保護法上のそれとは大きく異なっている。

第一に、就労先の事業性が「使用され」ることの前提要件とされていない。したがって、就労先の収支状況がどれほど小規模なものであり、当該事業に営利性が認められなかったとしても、事業性の有無は問われない。ただし、他方当事者が労契法2条2項にいう「使用者」36に該当する必要がある。

第二に、当事者の意思は排除されない。労働契約関係は、客観的事実から見て当事者間に意思の合致があったと判断される場合、その存在が推認される。裁判例では、就労打切りを解雇とみなす前提として、病院と付添婦の関係性を判断するための一般論を次のように述べている。「使用者と労働者との間に個別的な労働契約が存在するというためには、両者の意思の合致が必要であるとしても、労働契約の本質を使用者が労働者を指揮命令し、監督することにあると解する以上、明示された契約の形式のみによることなく、当該労務供給形態の具体的実態を把握して、両者間に事実上の使用従属関係があるかどうか、この使用従属関係から両者間に客観的に推認される黙示の意思の合致があるかどうかにより決まるものと解するのが相当である」37。したがって、例えば、当事者特に使用者側が労働契約以外の契約形式を用いていたとしても、(紛争事後的にではあるが、)当該契約が労働契約とされ、労契法の適用が認められる可能性がある。

第三に、労契法は刑事罰付強行法規ではなく、また、保険原理による制約が働く法律ではない。さらに、上記第二で述べたように、明示黙示の当事者意思を裁判所が客観的事実から認定し、柔軟に労働契約関係の存在を推認しうる。これらのことを考えると、ある契約関係が労働契約関係に近似しているか、あるいは、福祉的就労におけるある現象が労働契約関係から発生する現象と類似している場合には、労契法の規定の類推適用が可能になると考えられる38

このように、労働契約法上の「労働者」性は、労働者保護法上のそれとは異なり、福祉的就労者にとって有利に解することもできる。つまり、当事者間に契約法的問題が生じた場合、労契法上の「労働者」性が認められることを前提に、福祉的就労者でも労契法上等の救済を受けうる可能性があると言えそうである。

しかし、福祉的就労における事実上の支援や指導が、法的な意味で「労働者」性の使用従属性の重要な徴憑である「指揮監督」と言えるのか、疑問が残る。また、「工賃」については、それが低額なものであったとしても労務対償性がある39として使用従属性の存在を補強するとしても、契約上の債務の履行として提供する労務により生ずる利益の帰属主体が障害を有する就労者本人であること、つまり、通常想定される契約関係とは異なる内容や性質を有している福祉的就労関係を伝統的な労働(労務供給)契約関係の一類型とすることに違和感を禁じ得ない。

もっとも、今後の法政策として福祉的就労者に関する法律制度を整備していく中で、福祉的就労者を一定の事項(就労条件)について一般の「労働者」と等しく取り扱っていくことと並行して、福祉的就労関係にある障害を有する者と就労先との関係を、労働契約関係と他の法的関係の複合的あるいは混合的な契約関係(言わば、部分的労働契約関係)であるとみなす規定40を整備するとすれば、既存の法理論との軋轢が少なくて済み、かつ、条約適合的な立法政策が可能となるように思われる。ただ、その場合でも、部分的な労働契約関係の下に規制される就労にかかわる条件(一般にいう労働条件)とはどのようなものであるのか、また、その際の権利義務関係はどのように規整されるのか、例えば、実体的規制としての強行法規か任意法規か、手続的規制か、行政介入的規制か(なお、この場合、事前規制か事後規制か)、あるいはこれらの組み合わせなのか、さらには、当事者、特に障害を有する者の意思を何を根拠にどの程度どのような手法をもって尊重する41のか、といったことなどを考慮しながら、福祉的就労者の個別的実情に適する規制手法の検討が行われる必要があろう。

なお、ある福祉的就労関係が部分的労働契約関係に該当すると考える場合に若干気にかかるのは、精神上の障害を有する者が福祉的就労に就く場合、労働契約上の権利義務を享受しうる意思能力ないし行為能力(訴訟能力)を有しているのか、という点である。この問題についてはひとまず、立法政策に当たって、福祉的就労関係法規に民法の関係規定を準用する形で活用し盛り込むことが検討されてよいように思われる。

C.労使関係法

最後に、労働組合法(以下、「労組法」という。)上の「労働者」概念の観点から考える。労組法3条は、「この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者をいう。」と定義する。注意すべきは、この定義規定において使用従属性は要求されておらず、何らかの「収入によって生活する者」であればよいということである。この含意は、労組法上の労働者とは、労働組合を通じて自らの労働条件の維持・向上を目指した使用者との交渉を認めるべき者とはどのような者であるか、ということであり、そのために「労働者」を相対的に幅広く捉えている。したがって、理論的には、労働者保護法ないし労契法における「労働者」概念とは異なり、失業者42、プロ野球選手43、家内労働者や請負就業者44をも対象としている。

しかし、(裁)判例においては、労組法上の「労働者」と先に見た分野の「労働者」とは明確に区別されていないように見える。むしろ、労働者保護法上の労働者性判断と同様の判断手法が採られているのではないかと考えられる45。したがって、現在の訴訟実務においては、福祉的就労者が労組法上の「労働者」と解される可能性は低いように思われる46

もっとも、原則に立ち帰れば、福祉的就労者であっても、実際に労働条件の維持・向上を目指した労組員であれば、労組法に照らした要保護性(団体交渉の保護を及ぼす必要性)がある者と考えられ(その場合でも、当該所属する労組が、労組法2条、5条の要件を満たした法適合組合である必要がある。)、したがって、現行法でも、適用関係に特に問題は生じないと考えることは可能かもしれない47

ただし、気にかかるのは、福祉的就労者の工賃が、「賃金、給料その他これに準ずる収入」と言えるのかという点である48。条文上明示されている金員の呼称は「賃金、給料」であり、これらは通常、労働契約における労務遂行の対償として得るものである。条文では続いて、「これに準ずる収入」とされている。このことからすると、「収入」とは、労働契約に"類する労務供給契約に基づいて得ている金員ではないかと思われる。すでに見てきたように、福祉的就労者の就労の法的根拠を労働契約であると考えることはできないうえ、他の労務供給契約とも異なると考えられる。したがって、福祉的就労者の実態から見て労組法に照らした要保護性が一定程度認められるとしても、福祉的就労者を労組法上の「労働者」の要件に該当する者であると解することは困難ではないかと考えられる。

もっとも、福祉的就労者の就労実態は非常に多様であると考えられることから、具体現実の紛争処理に際しての解釈適用場面においては、個別事案の実態を慎重に検討する必要があろう。

2.労働関係法規における主な具体的問題

これまで検討してきた結果、私見では、福祉的就労者は「労働者」には当たらず、したがって、労働関係法規の適用が否定されてしまうこととなる。もっとも、このことは、現行法の解釈として検討してきた結果に基づくものであって、将来における政策判断として、福祉的就労者を「労働者」であると解するようにすることを否定するものではない。条約規定を最大限尊重すれば、福祉的就労者は「労働者」とされるか、「労働者」に類する者として取り扱われる可能性があるからである49。また、「労働者」とはされなくとも、条約の趣旨にかんがみた適切な措置を別途取るという手法も考えられる。すると、政府における今後の具体的法政策の検討結果によっては、福祉的就労者を「労働者」あるいはこれに類する者とした場合と、「労働者」としない場合で、具体的政策の進め方や内容は異なってくることとなろう(例えば、前者であれば既存法令の改正が中心になろうし、後者であれば、既存法令の活用を含めた新規立法措置が必要になるかもしれない。)。

以下の検討では、これらの可能性を考慮して、一の問題について、福祉的就労者が「労働者」に当たるかこれに類する者と考える場合と、当たらないと考える場合の二つに分けて若干の検討を行う。

また、考慮しなければならないのは、条約が謳う差別禁止と合理的配慮である。これら重要な措置が、現行法の解釈や改正、契約解釈に対してどの程度影響を与えることになるのかまったくわからない。このため、以下の検討に係る前提は非常に不安定である。しかし少なくとも、差別禁止と合理的配慮が大きな影響を及ぼすであろうことは予測できる。以下の検討では、これら二つの点も考慮しながら具体的政策の方向性を考えてみることにする50

(1)労働保護法上の問題

1)人として有する基本的かつ重要な権利

障害を有する者であっても、また、「労働者」に当たるとしても当たらないとしても、人として有する基本的に重要な権利については、就労の場面において適切に保護・保障する必要がある。すると具体的には、労基法第1章の労働憲章規定のうち、1条【労働条件の原則】、2条【労働条件の決定】、3条【均等待遇】、4条【男女同一賃金の原則】、5条【強制労働の禁止】、6条【中間搾取の排除】、7条【公民権行使の保障】については、有する障害の状況や障害者の就労の実情を考慮しながら、適宜工夫(文言の整理・置き換えや、適切な履行確保の在り方等を検討)した上で定めることが検討されるべきであろう。

また、身体、健康、生命に関する保護も非常に重要であるから、労安衛法上の規制を準用するか、あるいは参考としながら適切に措置することが検討されるべきであろう。ただ、考慮すべき重要な点は、規制をかけることに伴う就労先のコスト負担の増加である。福祉的就労の就労先はもとより運営・経営状況が厳しい場合が多いのではないかと思われるが、単に規制をかけるだけでは、その分のコスト増により就労先の運営が成り立たず、かえっ て福祉的就労者の就労の場が確保されなくなってしまう懸念がある。そこで、財源やその負担主体の問題はあるものの、何らかの助成を行うか、あるいは必要最低限の規制をかけつつアドバイスなど実施に係る行政支援措置を行うことを考える必要があると思われる51

なお、労基法3条の均等待遇について、行政解釈は「社会的身分」を「生来的な地位に限られる」(昭22.9.13基発17号)と解しているが、学説上は、「自己の意思によっては逃れることのできない社会的な分類」と解する見解52がある。行政解釈を支持した場合、後発的事由によって障害を負い、この障害が生来的なものと同一とみなすべきと考えられる場合でもこの規定の適用はなく、生来的に障害を有する者との間に取扱いの不均衡が生じかねず、適切ではない。「社会的身分」の解釈に、障害を有しそれによって社会的にカテゴリカルな扱いを受けていることが含まれると考えるならば、学説の見解に則り、生来的な地位に限らず、後発的な事由による社会的身分をも含む解釈がなされる必要があろう。

2)時間

労基法32条以下は主として労働時間を規制し、また、休憩や休日についても規制している。

福祉的就労者が「労働者」であると考える場合、直截的に労働時間規制が適用されると考えるべきであろうか。判例53は、労基法32条の労働時間とは、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい、右の時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価するかできるか否かにより客観的に定ま」り、「使用者から義務付けられ又は…余儀なくされたとき」は、指揮命令下に置かれたものと評価できると述べている。このような解釈による労働時間の概念定義及び判断手法は、先に見た「労働者」概念定義と近似していると言える。

福祉的就労者の場合、就労における支援や指導は、先に労働者性に係る記述で述べたように、法的な意味での「指揮命令」には当たらない場合が多いと考えられ、就労先から就労を義務付けられることも余儀なくされるということも考えにくいのではないかと思われる。したがって、福祉的就労者を「労働者」であると政策的に解するとしても、既存の労働時間概念を変えてまで労働時間規制を適用することは難しいと考えられる54

そこで、仮に福祉的就労者を「労働者」とした場合であっても、現行労基法の労働時間規制は適用除外とし、別途立法措置を取り、福祉的「就労時間」を定義づけ、就労時間中になすべき合理的配慮をどのように、どの程度行うこととするか慎重に検討した上で規制していくのが望ましいのではないかと考える。また併せて、34条【休憩】、35条【休日】についても、合理的配慮の態様と程度を考慮しながら規制していく必要があろう。

また、「労働者」に当たらないと考える場合にも、上記のように福祉的「就労時間」などとして、有する障害への配慮との関係から、最長就労時間や休憩・休日を規制することを検討する必要があるだろう。

次に、時間外労働が問題になろう。労基法36条が規制する時間外・休日労働に関して、判例は、三六協定の締結と届け出を前提に、使用者が就業規則に三六協定の範囲内で業務上の事由があれば労働契約に定める時間を延長して労働者を労働させることができる旨定めているときは、それが具体的労働契約の内容をなし、労働者はその定めるところに従い労働する義務を負うと述べる55。要するに、就業規則に所定時間外労働の定めがあれば労働者は契約上働く義務があるということになる。

福祉的就労者に関しては、これを「労働者」とする場合で、純粋な労働契約ではない法的関係において所定時間外の就労が予定されている場合であれば、先の判例法理の考え方が類推される結果、所定時間外就労義務を負う可能性があることになる(このような義務付けが予定されている関係があるのならば、当該福祉的就労者はそもそも「労働者」であろうし、当該関係も労働契約関係であろう。)。仮に福祉的就労者にこのような義務が生じると考える場合でも(前提として三六協定の締結と届出を要するが)、就労先としては、就労者の疲労の状況、体調の具合や就労の意思をその都度確認することなどを合理的配慮として行う必要があると考えることができよう。また「労働者」とせず、別途時間規制立法を行う場合にも、就労時間の延長について同様の配慮を行うことを求めていくことになろう。

なお、使用者に支払義務のある法定時間外労働に対する割増賃金の支払いについては、「労働者」とする場合は当然、2割5分増の工賃が支払われる必要がある。「労働者」としない場合には、37条の割賃支払規制はかからず、必ずしも割り増しを別途措置する必要もないであろうが、就労者と就労先の基本的合意に則るか、あるいは有する障害の状況などを考慮した上での個別の合意により決定されるようにすべきであろう。いずれにしても、就労先のコスト負担増加の問題を生じる事項であるから、福祉的就労の実態を精査しつつ、就労先に何らかの経済的援助措置ができないかどうか、あるいは割賃分は社会保障の分野から就労者本人に対して支払うことができないかどうか、検討する必要があるであろう。

3)賃金

賃金については、まず、労基法24条による規制が問題となりうる。同条は、通貨払い、直接払い、全額払い、毎月一回以上一定期日払いの原則を定めているため、福祉的就労者を「労働者」とするのであれば、就労先はこれを遵守する必要がある。だが、たとえ工賃が低いと言っても、これが就労の重要なインセンティブになっているであろうことを考えれば、「労働者」ではないとしても別途立法していく中で定められてよいように思われる。

次に、最賃法の減額特例についてである。まず、「労働者」と考える場合について見る。最賃法7条は、精神又は身体に障害があるため著しく労働能率が低い者については、使用者が都道府県労働局長の許可を得ることを条件に、最賃額を減額して支払うことを許容している。筆者は、この条文による規制の運用状況について不知であるが、条約の規定(27条1(h):適当な政策及び措置を通じた民間部門における障害者の雇用促進)を考慮すれば、一概に障害者に対する差別であるとは即断できないであろう。なぜなら、この規制からはむしろ、福祉的就労者の就労の場を確保するという意味が読み取れるからである。そのため私見では、実体的規制としては残しておくのが妥当ではないかと考えている。しかし、都道府県労働局長の運用次第では、極めて低額な工賃(例えば、最賃額の7割減、8割減)であっても許可することになりかねず、就労の場を確保しつつそのインセンティブとして の適切な額の工賃の受領という通常想定されているような状況を大きく下回る状況が作出されかねない。したがって、例えば、都道府県労働局という行政の全国ネットワークにおける統一的運用基準を策定するなど、減額特例の運用を強く縛り、地域間格差が生じないように、また、恣意的な運用が行われないような措置を取るべきではないかと考える56

「労働者」と考えない場合であっても、工賃は就労へのインセンティブとして非常に重要であり、たとえそれが低額なものであったとしても、生活費の一部として重要な収入源であることには変わりがないであろう。したがって、非「労働者」とする場合でも、別途の立法などにおいて、現行最賃法と同様の最賃規制を設け、減額特例を定める、その上で減額特例の許可を厳しく縛る運用を行っていくのが妥当ではないかと考える。

ただ、最賃額支払いの実効性をどのように確保していくのかという困難な問題があることは後述(実効性・履行確保)のとおりである。

最後に、賃確法上の未払賃金立替払いについてである。同法は主に、事業主の倒産に伴って賃金が未払いとなった場合に、過去の一定期間分の未払い賃金を政府が立て替えて支払う制度を有しているが、福祉的就労者にも同様の保護が及ぼされるべきかが問題となろう。この問題に関する難点は、立替払い金が労災保険料から拠出されているということである。つまり、この法律による保護を受けるには、就労先が労災保険の適用事業であって、全額使用者拠出の労災保険料を納めていることが制度適用の前提となっているのである。

福祉的就労者を「労働者」とした場合、就労先倒産時に経済的補償がなされることは、就労者にとっては非常にメリットがある制度環境ではあるが、現行制度を前提とする限り、就労先のコスト負担が飛躍的に増加するであろうことは間違いないであろう。すると、就労先の財政運営は逼迫し、就労先の確保さえ危ぶまれる状況が容易に想像される。したがって例えば、このような場合には、緊急避難的措置として、社会保障制度において、福祉的就労を行う者の経済的補償を給付の期間を一定期間に区切るなど制約をかけながら施していく方が穏当な手法ではないだろうか。

また、「労働者」でないとした場合でも、同様に社会保障法上の措置として経済的補償を一定期間に区切って行っていくのが穏当ではないかと考える。

4)最低基準としての契約規制

この点については、まず、労働契約締結時の労働条件明示義務(労基法15条)が問題となろう。福祉的就労者を「労働者」とする場合、この規制は直接的に適用を認めてよいであろう。福祉的就労といえども、事実として労働の側面は十分に認められると思われるからである。また、紛争予防という意義も十分に認められるであろう。労基法15条では、「賃金、労働時間その他の労働条件」と記述されているが、詳細には、労基法施行規則5条において、考えうる労働条件が網羅的に列挙されており、かつ、これら条件は書面による明示が必要となる。非「労働者」とした場合でも、別途の立法によって、同様の定めが置かれるべきであろう。

実際の明示に際しては、有する障害を考慮した合理的な配慮が求められよう。例えば、内容を適切に理解しているかの適宜の確認を行う、そのために平易な表現を積極的に活用する、保護者や他の適切な第三者に同席してもらい、噛み砕いた説明をしたり、あるいは事後対処も含めた連携を図ったりすることなどが考えられよう。なお、法令の周知義務(労基法106条)についても、同様の配慮を行うことが求められるであろう57

次に、労基法89条以下の就業規則法制についてである。「労働者」であっても非「労働者」であっても、就労にかかわる諸条件は就労に先立って明確にされている方が、後のトラブルを予防でき、また、就労者が就労先でのルールを事前に把握しておくという意味からも望ましいであろう。先の労働条件明示が就業規則をもって行われるのであれば、なおのことである。そこで、就労先としては、就労者が法的にどのような立場に立つとしても、就業規則作成義務を負うこととするのがよいように思われる(労基法89条では常時使用する労働者が10人以上の使用者のみ作成義務がある。)。なお、就業規則の作成に代えて、就労先の定款や訓練等計画によって代替するという手法も考えられよう。

ただ、記載内容としては、先に見た労働条件明示義務の詳細な事項とほぼ同様だが、条約との関係から、総論及び各論部分で、差別を行わないことと合理的な配慮を施す旨宣明し、具体的な内容を例示列挙しておくのが望ましいように思われる。

5)労働保険・社会保険

労働保険には、労災保法上の保険制度と、雇保法上の保険制度とがある。保険制度ゆえに関係者は保険料を支払わねばならないが、前者は全額使用者負担、後者は労使折半である。

福祉的就労者を「労働者」とした場合、就労時の被災に対して経済的補償がなされることは、就労者にとっては非常にメリットがある制度環境ではあるが、現行制度を前提とする限り、就労先のコスト負担が飛躍的に増加するであろうことは間違いないであろう。この点は、拠出財源を同じくする賃確法上の未払い賃金立て替え払い制度と問題を同じくする。すると、就労先の財政運営は逼迫し、就労先の確保さえ危ぶまれる状況が容易に想像される。確かに、労災保法上では、一人親方の特別加入制度など、非「労働者」が労災保険給付を受けうることが制度として整備されている。しかしそれも、一般的な生活を可能とする収入を得、保険料を納めた上でのことである。多くの場合低額な工賃しか得ていない福祉的就労者自身に拠出する余裕はないであろうし、かといって就労先が事実上負担するというわけにもいかないであろう。そこで筆者は、災害補償に関しては、福祉的就労者を非「労働者」として、別途社会保障法上の給付によって対応する方が、給付制度確立の可能性が高いのではないかと考えている。

同様に、雇用保険や社会保険についても、非「労働者」とした上で(つまり後者の社会保険については、厚生年金ではなく国民年金で、健康保険ではなく国民健康保険で扱うということ。)、社会保障法上の給付によって措置する方が、まだ政策の実現可能性は高いのではないかと考えている。保険料は労使折半とは言え、就労先のコスト負担増加とそれと表裏の関係にある就労先の確保可能性の低下、そして低額な工賃で保険料を負担しなければならないという就労者側の負担が、適用可能性について非常な困難を生むと考えるからである。

6)実効性・履行確保

以上の問題、特に労基法関連法の実効性・履行確保については、法制度において福祉的就労者にどのような地位を付与するかなどによって大きく異なるであろう。いくつかの選択肢を想定すると、既存の労働基準監督官制度を適宜改変して活用する(しうるのかという問題もある。)、障害者福祉の観点から別途制度を設ける、あるいは、その両者の共同所管とするということが考えられよう。いずれについても非常に難しい問題である。この点について筆者に具体的アイデアはないが、福祉的就労者を「労働者」とみるのかみないのかという根本的な問題を含めた具体的政策議論において検討される必要があるということ を指摘しておく。

(2)労働契約(法)上の問題58

労働契約上の問題もさまざま考えられるが、総じて、合理的配慮の履践が、契約に基づいて就労先が行う措置においてどの程度考慮されるのか、という意味で影響を与えるであろう。

ありうる法政策としての福祉的就労者の複合的・混合的契約関係(労働契約の側面からみれば部分的労働契約関係)という観点から見ると(以下の検討はこのような契約関係を前提としている。)、就労先が行う契約上の措置の何が規制対象とされるべきかがまず検討される必要があろう。ここではひとまず、一般の労働者について想定される事項を網羅的に掲げて(次の①から⑩)、逐一検討を試みてみる。

①採用内定取消・試用期間終了後の本採用拒否、②賃金(債権の発生)、③差別禁止/均等・均衡処遇、④当該契約を規律するという意味での就業規則法制(合理性要件、周知要件)、⑤人事異動(配転、出向・転籍)、⑥昇進・昇格・昇給/降格・降給、⑦懲戒処分、⑧安全配慮義務、⑨労働契約の終了(解雇、雇止め、整理解雇)、⑩契約紛争処理。

①の採用内定取消・試用期間終了後の本採用拒否と、⑨の労働契約の終了(解雇、雇止め、整理解雇)については、いずれも労働契約関係の解約の正当性の有無という形で争われる(なお、⑨の解雇については、労契法16条が定めている。)。①の問題は、解約権留保付労働契約の解約59であり、労働契約解約事由の幅が⑨の問題よりも若干広いと考えられるものの、本質的には、①の問題も⑨の問題も、解約権ないし解雇権の濫用に当たらないかが問題とされる。福祉的就労者の場合には、個々のいずれの問題の場面でも、就労先が解約ないし解雇を回避するための諸種の合理的配慮を行うことが求められ、これを行ってもなお、解約・解雇が正当であると認められる場合にのみ解約・解雇が認められるという解釈が取られることとなるのではなかろうか60。また、このように解することを含めた措置が検討される必要があろう。

②の賃金(債権の発生)については、判例が、職務内容を決めずに(あるいは決めて)就労していたところ、休職を終えて就労可能な状況となって以降は、就労が可能であるとして申し出られた業務に就かせなかった場合には、なお債務の本旨に従った履行の提供があるとして、労働者には賃金債権が発生し、使用者はこれを支払わなければならない旨述べている(民法536条2項の危険負担の問題)61。判例はこのように述べる中で、従前と異なる業務に就かせることができるのか検討するなど配慮する義務を負うとも述べており、労働者の疾病状況に配慮することが求められているものと理解できる。福祉的就労者との関係では、有する障害の種類と程度及び状況に配慮して就労を受け入れる必要があろう。そうでなければ工賃の支払義務が生じると解されかねない。事後の紛争を予防するという意味での事前の取決めや紛争解決のルールを措置するかどうか検討される必要があろう。

③の差別禁止/均等・均衡処遇については、諸外国のような差別禁止アプローチを採るのか、あるいは雇用政策アプローチを採るのかという困難な問題がある。筆者の私見としては、男女雇用機会均等法がそうであったように、法制定当初は努力義務という規定形式で緩やかな規制を行い、併せて雇用促進的手法も用いて徐々に法規制の趣旨・目的を社会に浸透させ、経年において適宜法改正を行い、徐々に強力な差別禁止法へと発展させていくのが、日本の経験則に照らして妥当な政策推進方法であると考えている。このように考えると、雇用や雇用類似の就労のあらゆる場面での差別を禁止する努力義務を設けることができるのではないだろうか。また、特に工賃については、現行パート法(短時間労働者雇用管理改善法)7条、8条の規定を参考に、障害を有する者の間での工賃差別の禁止や均衡処遇を定めることができるように思われる。もちろん、将来的に差別禁止法へと姿かたちを変えていく段階では、諸外国の経験から、どのような態様や処遇が雇用上の障害を有することを理由とする差別に当たるのかを、先行研究などを踏まえてよく学ぶ必要があろう。強力な差別禁止を正面から法定することは尚早のように思われる。

④の当該契約を規律するという意味での就業規則法制(合理性要件、周知要件。労契法7条)のうち、周知要件については、配慮義務の観点からは、先に述べた労基法上の労働条件明示義務の箇所で述べたことが当てはまるであろう。加えて、合理性要件については、福祉的就労者との関係では、記載事項及び内容について差別を禁止して公平公正に処遇する旨記述されていることが合理性を有することの一つの指標となるのではないかと思われる。また、このように解する措置の要否について検討が必要であろう。

⑤の人事異動(配転、出向・転籍)については、就労先が広範な地域で展開されているものを想定しにくく、また、就労者を他の就労先へ異動させる措置というものも考えにくいのではなかろうか。すると、遠隔地配転、出向・転籍といった事項について検討する必要性はかなり低いのではないかと思われる。ありうるとすれば、職種替え配転であろうが、就労先としては、有する障害の種類と程度などを当初から考慮して福祉的就労者を受け入れるのが一般的であろうから、職種替えも頻繁には行われていないのではないかと推測する。職種替え配転を行うことが広く予定されているのであれば、就業規則、あるいはそれに代替すると考えられる、受け入れ先の定款や訓練等計画に記載され、就労者においてもこれを了知していること(合意が形成されていること)が必要であろう(遠隔地配転、出向・転籍についてもほぼ同様であるが、転籍についてはその都度の個別の同意が必要であると解するのが判例・学説である。)。蓋然性の高いと思われる職種替えについてさらに考えると、主に、就労者の身体的・精神的な影響が、有する障害に対して不利な効果を与えるような場合には、当該配置換えは権利濫用で無効とされる(あるいは元の職務で就労することの地位の確認)のではないかと考えられる。したがって、職種替え配転を実施する過程での合理的な配慮が求められることとなろう。また、政策的措置を考えるに当たっては、このように考えることの当否が検討されるべきであろう。

⑥の昇進・昇格・昇給/降格・降給については、昇進・昇格/降格についてはおよそ想定しえないのではないだろうか。もっとも、昇給については、福祉的就労の過程で職業能力的技術に進展がみられれば、工賃がわずかずつでも上昇していくことがありえるように思われる。また、降給については、想定しづらいとは思われるが、まったくないとは言えないかもしれない。一般の企業であれば、これら措置を行う以前に、一定期間を区切って 人事考課を実施するのが常態であろう。福祉的就労についても、これらを行うとすれば、呼称はともかく、職業訓練的就労能力の向上状況を定期的に客観的に測定することが必然的前提であると考えられよう。なお、降給の場合、就労者との個別の合意によるか、あるいは就業規則、定款・訓練等計画など就業規則に代わる契約上明確な根拠が必要であり62、かつ、所定の考課等手続に則って行われる必要がある63と考えられる。

また、この問題について一般の就労で多く見られる紛争は、男女間の賃金差別として出現する。福祉的就労についても、有する障害の種類と程度などを考慮した公平公正な取扱いが、手続的前提である能力評価を含めて、施される必要があろう。また、実際の能力評価の場面では、これまでの就労状況や今後の目標を話し合ったりすることになるのであろうが、やはり合理的配慮が求められるのではないかと思われる(例えば、積極的肯定的な評価手法・話法や、無理のない現実的な目標設定など)。能力評価やその後の処遇について拠り所となる準則を立てていく必要があろう。

⑦の懲戒処分については、その法的根拠が契約において基礎付けられていること、また、処分該当事由、処分内容、処分手続といったことが就業規則に定められており、これに則って懲戒に付すのでなければ、当該懲戒処分は無効とされる(労契法15条)ものと解されている64。したがって、就業規則、あるいは定款や訓練等計画といった就業規則に代わる文書において、先の事項が定められていないのであれば、就労先は福祉的就労者に対して懲戒処分を科すことはできないものと考えられる。また、処分該当事由・内容・手続のいずれの場面においても、就労者が有する障害の種類と程度などを考慮した上での配慮を行うことが求められよう。政策的には、福祉的就労者に対して何らかのペナルティを科す可能性や、その場合の手法などについて検討することが求められるのではなかろうか。

⑧の安全配慮義務とは、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるものであ」る65。これは、労働者保護法上の労安衛法の規制と並んで契約法上認められている労働者の安全にかかわる重要な法理であり(なお、労契法5条参照)、この法理が福祉的就労者についても適用されるかが問題となる。

この法理における義務は、労働契約上の使用者にも適用され66、さらに、労働契約関係にはない下請企業の従業員との関係でも肯定されている67。他面で、この義務は、「ある法律関係」の存在を前提に認められる「信義則上負う義務」であるから、通常想定される雇用労働の場面についてのみ肯定される義務ではなく、福祉的就労の場面でも援用可能と思われる。

また、「安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものである」68とされており、これに合理的配慮措置の観点を加味すると、福祉的就労者の有する障害の種類や程度などを考慮した上で配慮義務の内容が定まるものと考えられる69。実務上はこの点について留意されるべきであろう。法政策上は、安全配慮の具体的内容の目安となるべき指針等が策定される必要があろう。

⑩の契約紛争処理については、司法制度としては労働審判法(以下、「労審法」という。)が、行政制度としては個別労働関係紛争解決促進法(以下、「促進法」という。)がある。後者は民事の契約紛争を既判力をもって解決する制度ではないが、簡易・迅速・低廉に紛争を解決できるという意味では、検討しておく必要があろう。

いずれの制度でも、おおむね、労働契約関係が存在するか存在することが予定されている当事者間での紛争が事物管轄とされている(労審法1条、促進法1条)。すると、福祉的就労者の契約関係は、立法措置を行うとしても純粋な労働契約関係ではないとするとすれば、厳密には事物管轄から外れ、申立を行っても却下されかねない。そこで、福祉的就労者と就労先の独特な契約関係(労働契約関係を含む複合的・混合的契約関係)をも対象とするように解釈を変更するか、法改正を行うことが必要になるのではないかと思われる。いずれにしても、福祉的就労者にかかわる紛争も、これら解決制度の適用対象とすることが望まれよう70。また、その際には、各手続における合理的配慮の措置義務が求められることとなろう。

*契約上の合理的配慮義務の要件と効果

最後に、これら事項について立法措置を採る場合には、抽象的な表現を用いて、「有する障害の種類及び程度を考慮した合理的配慮を行わなければならない」というような条文とすることになろうか。この場合、配慮義務の要件を明確に示すことは難しいものの、少なくとも、所管の行政機関が、配慮義務の内容の具体例を示すガイドラインを策定するなどして、配慮義務を実務において定着させていくことは可能ではないかと思われる。また、立法措置の検討段階では、このような合理的配慮義務違反に係る法的効果をどのように定めるかが問題となろう。配慮義務はなす債務であり、また、有する障害の種類と程度に応じて、そのバリエーションには際限がないと考えられることから、少なくとも履行請求を行うことは困難ではないかと思われる。ありうる可能性としては損害賠償請求である。しかし、これについても、通常想定しうる合理的配慮の範囲にとどまる一定の行為と相当因果関係に立つ損害ではないかと思われるところ、損害賠償請求を行うほどの経済的損失(実損)があるとは考えにくいのではないだろうか。すると実際には、通常想定しうる合理的配慮が行われなかったために被った精神的損害の賠償にとどまるのではないかと一応予想されよう。いずれにしても、問題は、合理的配慮義務が法律上規定され、福祉的就労者が就労先の合理的配慮によってより就労しやすくなくことであろうから、これを本旨として、配慮義務違反の要件・効果論に拘泥することなく、立法政策が検討されることが望まれよう。

(3)労使関係法上の問題

労組法上問題になると思われるのは、不当労働行為(7条)である。

まず、不利益取扱い(1号)成否判断における合理的配慮の扱いが問題になるのではないかと思われる。例えば、就労先の福祉的就労者に対する就労上の配慮として一定の措置(例えば配置転換)を行ったものの、当該就労者は組合活動を行っており、就労先としては当該者の組合活動を嫌悪していたという経緯がある場合である。不当労働行為の成否判断に係るこのような問題は理由の競合71の問題として扱われる。

法的には、上の例についても、当該者が組合活動を行っていなければ(合理的配慮としてではあっても)当該措置は取られなかったであろうということが間接事実から推認されるのであれば、不当労働行為が成立すると思われる。したがって、実務的には、就労先としては当該措置が純粋に合理的配慮であるということを事前に就労者に対して明確に通知し、かつ、就労者の了解を得た上で行うことが必要(違法な措置であるとの認識を事実上回避しうる。)となろう。

なお、ある就労者に対する措置が、本人にとっては不利益取扱いではないと解されていたとしても、当該措置によって組合活動に対して萎縮・制約の効果を与えたと認められるような場合には、不利益取扱いとして解される場合もあり得るし72、支配介入(3号)が同時に成立する可能性もある。すると、実務的にはさらに、就労者に対する一定の措置に付随して、組合や組合員に対して、萎縮・制約的効果が生じないような対応を迫られる場合も考えられる。

次に、団体交渉の場面においても合理的配慮が問題となり得る。例えば、団体交渉を行う時間の長さ、場所、交渉の具体的やり取りの方法と逐一のその内容確認などについて、福祉的就労者の有する障害を考慮した合理的配慮が必要とされ、そうでなければ団交義務(2号)あるいは同義務に内在する誠実交渉義務に反すると解される場合が考えられ、実務上対応を迫られる可能性があろう。

また、団体交渉については、相手方である就労先が労組法7条にいう「使用者」であるかが問題となりうる。福祉的就労者側が、自らが「労働者」であるか否かにかかわりなく、就労先を「使用者」として団体交渉を求める場合、就労先が自らを「使用者」であることを否定して団体交渉を拒むことが十分に考えられるからである。

労組法上の「使用者」性については諸説73あるが、判例は、労働契約関係にない下請会社労働者の就労を受け入れていた発注元会社の使用者性について、「雇用主以外の事業主であっても、雇用主から労働者の派遣を受けて自己の業務に従事させ、その労働者の基本的な労働条件等について、雇用主と部分的とはいえ同視できる程度に現実かつ具体的に支配、決定することができる地位にある場合には、その限りにおいて、右事業主は同条〔労組法7条:筆者注〕の「使用者」に当たるものと解するのが相当である。」と述べて、その「使用者」性を肯定している74。前提となる事実を含めた判例のこのような理解は、「部分的使用者」性と呼ばれる。そして、現実に就労している者の「基本的な労働条件等について」「部分的に」「現実かつ具体的に支配、決定することができる地位にある」者は労組法上の「使用者」であることになる。

すると、立法政策において、福祉的就労者を「労働者」ないしその類似の者とした場合はもちろん、仮にそのような地位にあるとしなかった場合でも、就労先が福祉的就労者の労働(就労)条件を「現実かつ具体的に支配、決定することができる地位にある」と解される場合、また、就労先が組織構成上、下位に位置付られ、上位の組織が先のような地位にあると解される場合には当該上位組織(先の判例における発注元会社のような場合)は、労組法7条における「使用者」として福祉的就労者側からの団交の求めを拒否できないこととなろう。なお、解釈論上の慎重な検討の結果、そのような取り扱いが認められないと考えられた場合(先の判例では、事件における労働者らは下請会社と労働契約関係にあったという事実があった。)には、別途立法によって、福祉的就労者の労働基本権あるいはそれに類する基本的権利が、部分的又は限定的なものであったとしても適切に確立される必要があろうし、併せて、障害者権利委員会や人権委員会の活用も含めた紛争処理システムの構築が検討される必要があろう。

おわりに

現行法の解釈として、福祉的就労者を一律に労働関係法上の人的適用範囲である「労働者」と解するのは非常に難しい。しかし、条約の内容を尊重すると、将来的政策判断では、「労働者」又は「労働者に類する者」として法改正を行ったり法解釈を変更したりするなどの必要が生じよう。あるいは、「労働者」に当たらないと解した上で、別途、現行労働関係法規を基礎に、福祉的就労に係る立法措置を取ることが必要と考えられる場合もあろう。また、これらの場合、差別禁止と合理的配慮に係る措置も併せて検討されることを要しよう。

いずれにしても、福祉的就労者が有する(と思われる)要保護性に着目すると、本来は労働者ではない家内労働者や一人親方には部分的に労働関係法規の適用を認めていたり、別途保護を与えていることからして、法政策として、福祉的就労者に対して必要な事項について保護等を及ぼすことは十分可能と思われる。ただ、その場合に注意しなければならないのは、福祉的就労者の就労の場が失われることのないように、就労の場を提供する者に対して経済的負担を軽減する措置を併せて施す必要があるということである。場合によっては、社会保障制度に工夫を凝らして、福祉的就労者本人に対して経済的保障を行っていくことが必要かもしれない。

障害を有するということは、生来的な場合に限らず後発的な事由による場合もある。また、一般就労がさしあたり不可能であるとしても、社会に出、何らかの形で参画し、継続して就労することが、就労者本人にとってと同様に、社会全体にとっても重要な価値のあることでもある。このような発想に立つならば、障害を有する者に限らず、他の一般の人々にとっても、福祉的就労に係る一定の法的保護などを確立することは、セーフティ・ネットの構築を意味するのであり、社会全体の責任で行っていくべきものであると考える75