Ⅰ.事業背景と目的

1.リカバリーの概念とリカバリー志向の精神保健福祉サービス

「リカバリーはリハビリテーション活動が拠り所とする重要で根本的な現象である。障害のある本人が自分自身のリハビリテーション活動の意欲的かつ勇気ある参加者でない限り、そのリハビリテーション活動は失敗に終わってしまう。リカバリーのプロセスを通してこそ、障害のある当事者は自らのリハビリテーション活動の意欲的で勇気ある参加者となるのである。」P. Deegan1) (精神障害のある当事者であり心理学博士、リカバリー運動の第一人者)

 

 冒頭のパトリシア・ディーガンの言葉にあるように、精神保健福祉サービスはリカバリーの土台の上に築かれなければならない。どのようなサービスでもそれが機能し功を奏すには本人のリカバリーへの意思が必要なのである。それでは、リカバリーへの意欲を育む風土とはどういうものなのか?リカバリーに取り組む当事者にとって役に立つサービスのあり方とはどのようなものか?そもそもリカバリーとは何か?この節では、我々が精神的な困難を抱える人たちへの有効な地域生活支援の方法を模索する手がかりとして、まずはこれらの問いを整理していくこととする。

 

(1)リカバリー思想の背景

 リカバリーは“回復する”、“取り戻す”というような意味を持ち、1970年代にアメリカで黒人や女性などの公民権運動に影響を受けた精神科の治療経験のある人たちによるコンシューマー運動やセルフヘルプ活動の中で起きた運動であり概念である。リカバリーが提唱される以前は重度の精神疾患の予後は一様に悪く、生涯にわたる進行性の病とみなされ2)、統合失調症などの診断を受けた人たちは夢を実現することも自立した生活を送ることも不可能で、そのことを甘んじて受け入れなければならないと言われてきた。リカバリーはこのような精神疾患に対する見方を否定し、たとえ重篤な精神症状や障害があっても人生の目標をあきらめる必要はないし、健やかであることは可能だと唱えるものである。実際、1980年代に入ってからは精神障害からのリカバリーが可能だということを裏付ける多くの当事者の体験記3)や調査結果4)が発表され、リカバリーはもはや否定しがたい現実のものとして広く知られるところとなった。このことは長らく希望を奪われてきた精神障害のある人たちに希望をもたらし、自分の人生を主体的に生きる権利や肯定的な自己像を取り戻すリカバリーの運動をさらに推し進めることとなった。

1) Deegan, P. E. (1988). Recovery: the lived experience of rehabilitation. Psychosocial Rehabilitation Journal, 11(4), p.12.
2) Harding, C. M., Zubin, J. & Strauss, J. S. (1992). Chronicity in Schizophrenia: Revisited. British Journal of Psyciatry, 161(18), 27-37.
3) 例えば、前掲P. Deegan(1988)や、E. Leete(1989). How I manage and perceive my illness. Schizophrenia Bulletin, 15(2), 197-200.
4) 例えば、Harding, C. M., Brooks, G. W., Ashikaga, T., Strauss, J. S., & Breier, A. (1987). The Vermont longitudinal study of persons with severe mental illness. I: Methodology, study sample, and overall status 32 years later. American Journal of Psychiatry, 144(6), 718-726.

 

(2)リカバリーの定義

 今やリカバリーは精神保健領域では広く使われるようになった言葉だが、合意された明確な定義があるわけではなく、リカバリーとはそもそも何なのかは曖昧だということがしばしば指摘されている。しかし、我々がリカバリーを実際に経験した当事者の体験や語りを通して理解しようとするとき、幾つかの核となる概念を読み取ることができる。すなわち、①リカバリーは特定の到達点を指すものではなくプロセスであり、個別のものであること。②失われた希望を取り戻すこと。③自らの健康と生き方に責任をもち、自分の人生の主導権を取り戻すこと。④精神障害を通して自己を定義するのではなく、新たな価値あるアイデンティティと人生の意味を見出すことなどである。当事者の語りにみるリカバリーは病の「治癒」と同義ではなく、また精神疾患を患う前の状態に戻ることを指すのでもない。リカバリーは精神症状があっても可能であるし、精神疾患によって生じた様々な困難を乗り越える過程で獲得した新たな能力や成長をも含むものなのである。
リカバリーの概念を整理し、定義していこうという試みは研究領域でも行われている。
 例えば当事者の語りの質的分析を行ったRidgway5)やJacobson6)の研究、測定可能なリカバリーの定義の構築や尺度の作成を試みたNoordsy ら7)やCorrigan ら8)の研究、当事者の語りをもとにリカバリーの理論モデルの構築を試みたRalph ら9)やYoung ら10)の研究がある。
Davidson11)はこうした当事者の語りをもとにしたリカバリーの先行研究を統合的に分析し、以下の8つをリカバリーの共通要素として挙げている。
 他者によって支えられていること:リカバリーを経験した多くの人が、自分で自分を信じることができない時にさえ自分を信じて支え、価値ある人間だと感じさせてくれるサポーターの存在がリカバリーにとって不可欠だと言っている。また、リカバリーのロールモデルとなるような先輩の存在がどのような希望や期待を抱き、何に取り組めばよいかをつかむ手がかりを与えてくれると言っている。

希望と決意の再興:他者の支えという土台の上に希望が芽生え、この新たに芽生えた希望はリカバリーの希求と決意に変わっていく。

病の受容と自己の再定義:リカバリーの過程で人は自分の状態やそれに伴う困難を理解し受け入れていく。自分の限界と可能性を理解することで困難な症状への効果的な対処方法や成長の道筋を見出すことができるのである。これは病を自分の全てとみるのではなく、自分という存在の一部としてとらえ、障害の枠を超えたより肯定的な自己像を取り戻すことを意味している。

有意義な活動への参加と社会的役割の拡大:人がサポートを感じ、希望を持ち、リカバリーへの意志を持った先に必要とするものは、有意義で満足感が得られ、社会に貢献できるような活動への参加であり、そのことを通して価値ある社会的役割を獲得・拡大していく。

症状の管理:困難な症状をいくらかでも管理し活動の自由と幅を広げることはリカバリーに積極的に取り組む上で不可欠となってくる。その方法は人によって千差万別であり、リカバリーとは当事者が治療やサービス、薬、対処方法などを能動的に利用することであって、サービスを施されることや他者の努力の恩恵にあずかることとは違うのである。

コントロールと責任を取り戻す:人は自分の責任において「精神病患者」という存在から「リカバリーしている人」という存在への変容を遂げなければならない。ただし、人が自分自身の人生のコントロールと責任を取り戻し自己効力感を得るためには、様々な機会と意味のある選択肢があるということが必要である。

5) Ridgway, P. (2001). Restorying psychiatric disability: Learning from first person recovery narratives. Psychiatric Rehabilitation Journal, 24(4), 335-343.
6) Jacobson, N. (2001). Experiencing recovery: a dimensional analysis of recovery narratives. Psychiatric Rehabilitation Journal, 24(3), 248-257.
7) Noordsy, D., torrey, W., Mueser, K., Mead, S., O’Keefe, C., & Fox, L. (2002). Recovery from severe mental illness: an interapersonal and functional outcome definition. International Review of Psychiatry, 14, 318-326.
8) Corrigan, P. W., Giffort, D., Rashid, F., Leary, M. & Okeke, I. (1999). Recovery as a psychological construct. Community Mental Health Journal, 35(3), 231-239.
9) Ralph, R. O. (2005). Verbal definitions and visual models of recovery: focus on the recovery model. In Ralph, R. & Corrigan, P. W. (Eds), Recovery in Mental Illness: Broadening our understanding of wellness (pp. 131-145). Washington, DC: American Psychological Association.
10) Young, S. L., & Ensing, D. S. (1999). Exploring recovery from the perspective of people with psychiatric disabilities. Psychiatric Rehabilitation Journal, 22(3), 219-231.
11) Davidson, L., Sells, D., Sangster, S., & O’Connell, M. (2005). Qualitative studies of recovery: What can we learn from the person? In Ralph, R. & Corrigan, P. W. (Eds), Recovery in Mental Illness: Broadening our understanding of wellness (pp. 147-170). Washington, DC: American Psychological Association.

 

(3)人間の普遍的な経験であるリカバリー

 我々はリカバリーを理解しようとすればするほど、それが何も精神障害のある人たちに固有のものではないことに気付くだろう。リカバリーは精神疾患や障害という枠を超えた人間に普遍的な経験と言える。なぜなら人は誰しも愛するものの死、失業、病気など人生を揺るがすような困難を経験することがあり、そこから回復していくという課題に誰もが向き合わなければならないからである。だから、これまで述べてきた精神障害のある人たちのリカバリーに不可欠な事柄は、全ての人間の回復や豊かな生活にとって必要なものでもある。Deegan12)は、サービス提供者が抱く、リカバリーは精神障害のある人だけのもので、自分は成長することも変わることも必要のないリカバリーとは無縁な存在だという幻想は、必死にリカバリーに取り組もうとする当事者を抑圧する「われ・かれ」という垣根を作ると述べている。サービス提供者が自分自身の傷ついた経験や弱さと向き合い、自分もリカバリーが必要だと理解するとき、サービス提供者と利用者は同じ世界を共有し、リカバリーの道を歩む一人の人間として対等な存在になれるのではないか。躍動的なリハビリテーションの環境とは、スタッフが自分自身の成長やリカバリーに生き生きと取り組んでいる環境だとディーガンは述べている。

12) Deegan, P. (1988). 前掲 1).

 

(4)リカバリー志向の精神保健福祉サービス

 リカバリーはサービス提供者や精神保健福祉サービスシステムのあり方を問い直し、変化を迫るものでもある。精神保健福祉サービスのシステムや実践活動は当事者のリカバリーを支え促進するものへと再構築されることが今や求められている。Anthony13)は、リカバリー志向の精神保健福祉サービスは単に症状の軽減だけを問題にするのではなく、サービス利用者がどのような生き方を望んでいるのかを問題にするのであって、自尊感情の回復や社会の中の価値ある役割の獲得など、人間存在そのものに光をあてる営みでなければならないと述べている。そしてリカバリーの契機となる要素として、リカバリーをしている他の当事者の存在、新しい場や人との出会いなどの開かれた経験の機会、選択肢があるということ、サービス利用者自身がどのようなサービスを必要とし何を活用するかを決められることなどを挙げ、このようなリカバリーの「引き金」を多く備えることが今日の精神保健福祉サービスに課せられた課題であるとしている。これらに加え、精神保健福祉サービスは先に挙げたリカバリーの諸要素をサービス利用者が豊かに経験できる土壌となることが必要なのである。

 

(5)リカバリー実践としてのWRAP

 リカバリーを促進する実践活動を模索する中で「リカバリー実践」と呼ばれるものが急速に開発されている14)。これらは、例えば当事者が集まり教材なども使いながらリカバリーについて学び自分の日常生活に取り入れていく「リカバリー教育」や、当事者が自らの生活や症状を管理する為の知識やスキルの習得に取り組む「自己管理ケア」、「当事者運営サービス」、「セルフヘルプ」、「ピアサポートプログラム」などである。今回我々が取り組んだWRAPクラスは「リカバリー教育」に分類されるが、WRAPクラスは情報提供や学習的要素だけでなく、メンバー相互が意見交換し支えあうというピアサポートの要素もある。また、当事者がクラスのファシリテーターの役割を担うことが多いという点において当事者運営の特性も持ち合わせていると言える。そして何よりもWRAPは当事者が自らの責任において日常生活を管理していくというセルフヘルプの為のツールである。こうした点からも、WRAPクラスはリカバリーを促進するプログラムとして期待される。

14) Ralph, R. O., Lambert, D., & Kidder, K. A. (2002). The recovery perspective and evidence-based practice for people with serious mental illness. Retrieved March 31, 2009, from
http://bhrm.org/guidelines/mhguidelines.htm

 

2.WRAPの概略

(1)プログラム記述 ~WRAPとはどのようなものか~

① WRAPができた背景
 WRAPとはメアリー・エレン・コープランド氏を中心に、精神障害のある人たちによって作られたリカバリーにつながるためのツールである。日本ではWRAP研究会が「Wellness Recovery Action Plan」という言葉を「元気回復行動プラン」と翻訳した15)
メアリー・エレン・コープランド氏は重篤なうつ病を持つ母がいて、彼女の回復過程から多くのことを学んだ。そして自分自身も双極性障害と診断され、度重なる重くつらい症状をどうにか自分自身でコントロールしようと努力する過程からこのWRAPは作られた。
メアリー・エレン・コープランド氏は、重い精神障害がありながら回復して元気に生活している多くの人たちがどのように回復し、それを継続しているかを調べ始めた。そして、病気を患っても回復し、充実した人生を歩んでいる人たちの経過の中に共通点を見出したのである。その情報をもとに、精神的な困難を経験する人たちにとって、元気で前向きに生きることができるために役に立つ方法を見出すに至ったのである。彼女は「メンタルヘルスのリカバリーとWRAP」は個人、組織、地域社会の元気とエンパワメントを促進することをミッションにしていると述べている。
彼女が行ってきた調査と情報は、精神的な困難を経験する人たちは、元気になり、前向きに生きることができ、そのために役に立つ簡単で安全な方法がいくつもあるという理解のもとに成り立っている。専門家は時として、幻聴や幻覚を経験したり、とても不安が強かったり、深い抑うつの経験を持つ人たちは決して治ることはなく、一生それに付き合っていかなければならず、夢や希望をあきらめなければならないと思っていることがある。
メアリー・エレン・コープランド氏は決してそのようなことはないと信じて、このWRAPというツールを作り上げてきている16)。その方法の中心になっているのはセルフヘルプ、リカバリー、安定を保つことである。この方法は既存の価値を覆し、精神的な困難を抱える人も希望を持ち、自分自身の主導権を握り、元気に役立つ行動プランを立てて、元気になり、自分の人生の夢やゴールに向かって努力することができるということを普遍化しようとしている。

15) 坂本明子・久永文恵(2007)「日本上陸!WRAP-元気回復行動プランって何?」『こころの元気+』3. 16) メアリー・エレン・コープランド公式ウェブサイト『メンタルヘルスのリカバリーとWRAP』 (http://www.mentalhealthrecovery.com/jp/copelandcenter.php)

② WRAPのリカバリーに欠かせない5つの重要な価値
(a)希望
 精神的な困難な経験をしている人も元気になることはできるし、元気であり続け、当然であるが人生の夢やゴールに向かって進むことができる。それが希望である。希望はリカバリーへの扉を開ける大切な鍵となる。元気になれるという希望、目標に向って前進し、達成できるという希望、将来に対して悲観的になることはないという信念、リカバリーを信じること、これらの実現に希望は欠かせない要素なのである。
(b)自分に責任を持つこと
 当然のことながら、自分自身が自分についてのエキスパートである。何が必要で何を望んでいるかは人から指示されるものではなく、知っているのは自分自身である。自分自身の生き方に主導権を取り戻し、自分の責任を引き受けることで人は元気で、幸福を感じ、生活への充実感を感じることができると考えられる。いつも人に助けを求めている姿勢から、自分自身を癒し、自分の環境を自分にとって満足いくようなものに作っていくという姿勢はリカバリーを進める要因となる。発病によってさまざまな役割や責任を担うことを、本人も周囲の人もあきらめている場合が多い。もう一度、小さなことでも一つずつできるところから取り戻していく。そのことが自信となり、リカバリーへつながっていく。
(c)学ぶこと
 この道のりには学ぶということが伴っていなければならない。自分の経験をしていることについてできる限りのことを学ぶことで、人生のいろいろな事柄についてよい判断ができるようになる。自分自身に関して、できるだけのことを学ぶことで、治療や暮らし方、職業、人間関係、余暇活動などに適切な意思決定ができるようになる。この学びの過程の中は、医療・保健・福祉専門従事者と協働して行われるものでもあり、例えば役にたつ資源に導いてくれること、教育的なワークショップやセミナーを開催してくれること、情報を理解する手助けをしてくれることなどが期待される。
(d)自分のために権利擁護すること
 自分を信じること、自分の権利を知りそれらが尊重されるように主張すること、ゴールを設定し、それを達成するために努力すること、以上のようなことを通して効果的に自分のために権利擁護することは、勇気、粘り強さ、決意を持って「手に入れること」を意味している。自分のために必要なものを手に入れるために、はっきりと落ち着いて主張することが大切である。
(e)サポートを得ること
 人からサポートしてもらうことと人をサポートすることは、元気になり生活の質を向上させることの必要条件である。ピアサポートが全国的に広がっていることは、リカバリーに向かい努力するときにサポートがいかに大切であるかの証明である。リカバリーに基づいた環境ではサポートは松葉杖ではないし、人から命令されるものでもない。相互サポートはその関係を利用し、より充実し、豊かな人になることへのプロセスである。サポートはお互いが成長し、変化する気持ちがあるときに最大限の力を発揮する。必要 なとき、臨んだときに仲の良いサポーターが5名いると非常に力になる。

③ WRAPの特徴
(a)元気になる、元気であり続けることを助ける。
(b)不快な気分や行動を把握し、気分が良くなるための行動プランを作成する。
(c)とても気分が悪く、自分自身で物事を決めることができない場合でさえ、他の人に何をしてほしいかをあらかじめ伝えておき、自分自身が安全でいられるようにする。

④ WRAPを構成する7つの要素
(a)元気に役立つ道具箱
自分自身のWRAPを作る最初のステップである。これは元気であるために、あるいは気分の優れないときに、元気になるためにこれまでやってきたこと、またはできたかもしれないことをリストにしたものである。これらのリストの内容を「道具(ツール)」として使って自分のWRAPを作っていく。
(例)
 ・音楽を聴く
 ・頓服をのむ(調子が悪くなる前に)
 ・人に話を聞いてもらう

(b)日常生活管理プラン
元気を保つために毎日しなければならないことを、書きだして忘れずに毎日やることが、元気になるための重要なステップである。「日常生活管理プラン」は元気を維持するためにやるべきことを意識し、それに合わせてその日に何をするかを決めるために役立つ。また、調子が悪くなったときに、何をしたら元気であったかを思い出させるのに役に立つことがある。
最初に、いい感じのときの自分はどんな人なのかを示すリストを作る。
(例)
 ・明るい
 ・友達が多い
 ・社交的

その次に、取り組みたいことを書いておく。
(例)
 ・もっと自分を好きになる
 ・就職する
 ・新しい技術を学ぶ

次に、元気であるために毎日すべきことのリストを作る。
(例)
 ・規則正しい生活(食事をちゃんととる、風呂に入る、テレビを観る)をする。
 ・作業所のみんなと話をする
 ・タバコを吸って楽しい時間を過ごす

時々やると良いことのリストを作る。
(例)
 ・二日に一度お風呂に入る
 ・手紙をかく
 ・自分にご褒美をあげる

(c)引き金
 引き金とは、もしそれが起きると気分が悪くなったり、あるいは調子を乱すきっかけになったりするような出来事や状況を指す。そのような出来事が起きた時そのまま放っておいたら実際に調子を乱す原因にもなりかねない。そのような可能性に気が付き、引き金となる出来事が起きた時にどうするか、プランを立てておくことによって、調子を乱すことを防ぐことができるのである。それが引き金に対応するプランである。

最初に、調子を崩すきっかけになるかもしれないことのリストを作る。
(例)
 ・睡眠不足の時
 ・人混み

引き金になることが起こったとき、これをすれば乗り切れるだろうと思うことのリストを作る。
(例)
 ・睡眠を充分に取る
 ・何としてでも休む
 ・誰かに相談する

(d)注意サイン
 注意サインは、自分の内側で起こっていることで、外部からのストレスとは関連なく起こることもある。さらに何か行動をしなければならないことを示す変化の兆候のことである。

最初に、自分が気付いている注意サインのリストを作る。
(例)
 ・胃が痛くなる
 ・朝すっきり起きられない
 ・他の人や物音に悪口を言われている気になる

次に、気分が改善するまで毎日すべきことのリストを作る。注意サインに気がついたとき、それ以上に悪くなることを防ぐためである。
(例)
 ・ゆっくり寝る
 ・甘いものを食べる
 ・今自分が調子が悪いと意識する

(e)調子が悪くなってきているとき
 最大限の努力にもかかわらず、調子がとても悪く深刻で、危険ですらある状態にまで進むこともあるかもしれない。しかしそれでも自分のために行動をとることはできる。ここがとても重要な時で、クライシスを未然に防ぐために、すぐ行動をする必要がある。

まず、調子の悪いときの気分や行動のリストを作る。
(例)
 ・イヤなことが頭の中をぐるぐるまわる
 ・眠いのに眠れない、眠くならない
 ・イライラして怒鳴ってしまう
 ・自分の心の中で悪いことばかり考えてしまう。それを人に話せなくなっていく

 次に、自分の調子が悪くなってきたときに、毎日することの行動プランを書く。このプランは選択の余地があまりなく、明確で指示的なものである必要がある。
(例)
 ・いつもの生活パターンをこわさないようにする
 ・ひとに(主治医や専門家)相談する
 ・日常生活管理リストにあげたことを行う

(f)クライシスプラン
 クライシスとは、自分のケアの責任を他者にゆだねなければならないような緊急の場合を含む。最近ではクライシスでも自分の意思を持って判断していくという考えに変わってきているが、このプランでは自分の状態が悪くなったときに、どのようなことをしてもらいたいか、周囲の人に指示を与えるものである。
クライシスプランには9つのパーツがあり、これは人に渡しておき、その人たちが必要なときに使うものである。

(f-1)いい感じのときの自分について
これは日常生活管理プランのいい感じのときの自分と同じものでもよい

(f-2)誰かに責任を任せなければならないときのサイン
(例)
 ・しゃべらなくなる
 ・物事を被害妄想的に捉える

(f-3)責任を任せたい人は誰か、任せたくない人は誰か
責任を任せたい人を最低5名あげておくこと。友達や家族、医療・保健・福祉関係者でもかまわない。彼らにサポーターのリストに加えていいかを確認しておく。
ケアに加わってほしくない人の名前とその理由も書いておくと良いかもしれない。

(f-4)医療・保健・福祉関係者の連絡先と薬の情報
 ・かかりつけの医師、病院の連絡先
 ・健康保険証のある場所
 ・アレルギーについて
 ・服薬している処方内容と理由
 ・もし薬が必要な場合に、希望する薬と理由
 ・避けなければならない薬と理由

(f-5)受けても良い治療と受けたくない治療
 処方内容に関する希望、役に立った代替的な治療、役に立たなかった治療も記しておく。

(f-6)自宅・地域でのケア、一時休養プラン
 入院が最善でない場合がよくある。そのためにも自宅や地域で必要な支援が受けられるように地域にどのような資源があるか調べておく。

(f-7)入院しても良い病院と入院したくない病院
 入院が避けられない場合どうしてその病院がいいか、あるいは入院したくないかを書いておく。

(f-8)人がしてくれると役に立つこと、人がすると余計に気分が悪くなること、人にしてもらうことのリスト
(例)
 ・人から話しかけて欲しい
 ・家族に話しかけて欲しい

(f-9)クライシスプランに従わなくて良くなったことを示すサイン
(例)
 ・よくしゃべり、ジョークがでる
 ・妄想を妄想だと思える
 ・身の回りのことができている

(g)クライシスを脱したときのプラン
 クライシス後のプランは、回復するにつれて絶えず変化するという点で、WRAPの他の部分と異なっている。クライシスの2週間後は、1週間後と比べてはるかに調子が良くなっているだろうから、日常の活動も違ってきているはずである。クライシス状況を抜け出した後の癒しの時期はとても重要である。すぐにもとの生活に戻りたいと思うかもしれないが、まだ、いろいろな問題が存在している。もしかしたらまた悪くなってしまうかもしれない。クライシスに陥る前にこの時期のことを考えておくことは回復を順調に進ませるために有益である。以下のことについてあらかじめ考えておくことが必要である。

(g-1)クライシスを脱したときのプランを使う準備ができているとわかるのはどのようなときか?
 ・クライシスを脱したときはどのような感じか
 ・この時期にサポートをしてくれるのは誰か
 ・入院した場合、退院したらどこへ行くか
 ・誰がそこに連れて行ってくれるか
 ・誰に一緒にいてほしいか

(g-2)対処してあると回復がしやすくなる事柄
 ・家に戻ってすぐにしなければならないことは何か
 ・誰かに頼んでやってもらえること
 ・自分のために毎日しなければならないこと
 ・避けたほうが良い事柄や人たち
 ・気分が悪くなり始めているときに使う、元気に役立つ道具箱
 ・元気回復行動プランで変更すること
 ・このクライシスから学んだこと

(g-3)責任を取り戻すための予定表
 ・仕事・子供の世話・食料品の買い物など、責任を明らかにする
 ・兄弟、パートナー、友人など、誰がそれをやっていたのか明らかにする
 ・この責任をやり始めるときに、しなければならないことを記す
例えば、一緒にいてくれる人、午前中子供の世話をしてくれる人、など
 ・一歩ずつ責任を取り戻していくプランを作る
例えば初めは週1日だけ仕事に行く、2週目は2日、3週目は3日など

 以上でWRAPは完成である。WRAPは日常生活のガイドとして、あるいは引き金や、扱いにくい気分に対応するために使うことができる。初めのうちはWRAPを毎日読み返して、日常生活管理プランに従って行動してみることも良いかもしれない。そのうち、プランの内容を覚えてしまい、時々見るだけでよいということになっているかもしれない。新しいやり方を見つけたり、役に立つこと、そうでもないことなどがわかったりするときにはプランを書き換えることも必要になるであろう。WRAPは一度できたらそれが未来永劫続くものではない。一定の期間実行してみて必要ならまた次のプランを立てる、あるいは手直しをして変化していくものである。
 以上がWRAPのプログラム内容の概略である。これらについてはファシリテーター研修マニュアル(メアリー・エレン・コープランド著)を参照した。

 

(2)WRAPに関する先行研究

 WRAPの評価研究は筆者の知る限りアメリカで以下の2例が報告されているのみで、日本国内では先行する評価研究は見当たらない。
WRAPの大規模評価研究としては2000年に報告されているバーモント州リカバリー教育プロジェクトによるものが最初と思われる17)。本研究では1997年から1999年にかけて1サイクル40時間、15~20名のWRAPグループを23サイクル実施し、435名が参加した。そしてWRAPグループが参加者の態度、感情、知識、スキル習得にどのような変化をもたらしたかを評価する為に、サイクルの前後にプロジェクトで独自に開発した質問票による調査をした。その結果、193名から有効回答が得られ(回答率44%)、17の質問項目のうち、注意サインの自覚とそれへの対処方法、地域サービスに対する情報収集などの13項目において有意な肯定的変化が見られたと報告されている。本調査の結果を総合して、①症状管理の為のスキルと知識の習得、②学習とアドボカシー、③サポートシステムの構築、④希望の発見の4つの重要なプログラム要素における肯定的変化を意味すると考察している。さらに、このプロジェクトによってもたらされた変化は参加者個人のレベルに留まらず、当事者リーダーや教育者が多く育成され、人々の精神障害や当事者・専門職の役割に対する考え方が変化するなど、バーモント州の精神保健システムにも質的な変化がもたらされたと述べている。
 ミネソタ州で実施された評価研究18)では、1グループ7~8名のWRAPグループを2003年から2004年にかけて41サイクル実施し(グループサイクルの長さは不明)、329名の参加者にサイクルの前後に「WRAPプレポスト調査」19)に修正を加えた質問票による調査を行った。また、90日後にフォローアップ調査を実施し、217名から回答が得られた。調査の結果、参加者はプログラム参加後に知識、生活を自己管理すること、症状を管理しリカバリーを促進させる方策などにおいて向上したと感じていることが明らかになった。また、329名中325名(98.7%)が希望をより感じるようになった と回答し、311名(94.5%)が他の人にもWRAPを活用することを勧めたいと回答した。
 既存のWRAPに関するプログラム評価研究の結果は、WRAPがリカバリーにとって重要とされる知識、技術、態度、希望の感覚といったものに肯定的に作用することを示唆するもので、WRAPが有効なツールであることが期待できる。しかし、こうした知識や技術の習得が実際に参加者の生活にどのような変化をもたらしたのか、参加者一人一人にとってのリカバリーを実際に促進させるものであったのかは明らかにされていない。また、比較群が不在であることから調査結果で得られた肯定的な変化がWRAPによるものなのかは厳密には検証できていない。つまり、WRAPの有効性を科学的に検証する作業は端緒についたばかりなのである。日本国内では先行する評価研究が存在しないことから、プログラム有効性研究の第一段階であるパイロットテスト及び実行可能性テストにまずは着手する必要があると言える。
比較群が不在であることから調査結果で得られた肯定的な変化がWRAPによるものなのかは厳密には検証できていない。つまり、WRAPの有効性を科学的に検証する作業は端緒についたばかりなのである。日本国内では先行する評価研究が存在しないことから、プログラム有効性研究の第一段階であるパイロットテスト及び実行可能性テストにまずは着手する必要があると言える。

17) Vermont Psychiatric Survivors, Inc. and the Vermont Department of Developmental and Mental Health Services. (2000). Evaluation of the Vermont Recovery Education Project. Unpublished Paper.
18) Buffington, E. (2004). WRAP in Minnesota 2003 and 2004. Unpublished Paper
19) http://www.mentalhealthrecovery.com/art_survey.php

 

(3)日本における取り組み

① WRAPに関する情報提供
 WRAPに関する情報ソースとしてはまず、メアリー・エレン・コープランド氏とWRAPの公式ウェブサイト『メンタルヘルスのリカバリーとWRAP』(http://www.mentalhealthrecovery.com/jp/copelandcenter.php)が有用である。総合的な情報が掲載されていて、日本語でも書かれているため、WRAPがどのようなものなのかということが理解できるようになっており、メアリー・エレン・コープランド氏自身の体験も交えて丁寧に分かりやすく掲載されている。日本向けの特別なメッセージも書かれており、日本での状況もよく理解できるようになっている。

 その他の情報ソースとしては次のようなものがある。
(a)メアリー・エレン・コープランド著、久野恵理訳(2002)「元気回復行動プランWRAP」道具箱.
(b)特集「私には私の元気回復行動プランがある」『こころの元気+』1(3).
(c)津野稔一(2008)「対処プランをつくって、元気に生活しています‐WRAP 流の対処方法-」『こころの元気+』2(2),16-19.
(d)久野恵理(2008)「メアリー・エレン・コープランドさんジャパンツアー報告(1)」『こころの元気+』2(2),34-37.
(e)坂本明子(2008)「メアリー・エレン・コープランドさんジャパンツアー報告(2)」『こころの元気+』2(3),34-37.
(f)坂本明子(2008)「元気回復行動プランを活用しよう」『精神科看護』35(2),48-53.
(g)坂本明子(2008)「WRAP 元気回復行動プランから学ぶ」『精神障害とリハビリテーション』12(1),45-49.
(h)メアリー・エレン・コープランド(2008)『WRAP』WRAP 研究会編.
(i)久永文恵・若林みどり(2009)「精神保健福祉・雇用の新しい潮流④元気回復行動プラン(WRAP)とリカバリー」『リハビリテーション研究』38(4), 32-35.

② 認定ファシリテーターの数と活動実績
 公式ウェブサイトによると、認定ファシリテーターの数は2007年3月から2008年8月までの実績で69名である(表1)。また2007年3月から2008年12月における活動実績は表2の通りである。

 表1:WRAP ファシリテーター研修

開催 場所 ファシリテーター 認定者数 ファシリテーター認定者
の活動地域
2007/3 福岡県久留米市 Stephen Pocklington
Jeanie Whitecraft
15 北海道(1)、鳥取(1)、千葉(4)、福岡・佐賀(9)
2008/5 愛知県名古屋市 Stephen Pocklington
久野恵理
18 愛知(10)、三重(1)、京都(2)、東京(3)、福岡(2)
2008/7 東京都三鷹市 久野恵理
Jeanie Whitecraft
17 東京(17)
2008/8 千葉県市川市 久野恵理
Jeanie Whitecraft
18 北海道(3)、千葉(8)、東京(3)、福岡・佐賀(4)

WRAP 活動実績(http://www.mentalhealthrecovery.com/jp/class_statistics2008.php)より作成


 表2:WRAP 活動実績2007 年3 月~2008 年12 月

連続クラス
<6-12 回のクラスを数週間から数ヶ月にわたり、開催(数名から20 名程度)>
28 回
(北海道、千葉、東京、愛知、福岡、長崎)
集中クラス
<2 日間または3 日間の集中クラス(数名から20名程度)>
14 回
(千葉、東京、神奈川、愛知、三重、京都、福岡)
紹介講座
<半日から1日の参加型のWRAP紹介(数名から100 名程度)>
29 回
(北海道、千葉、東京、愛知、京都、大阪、鳥取、福岡)
勉強会
<WRAP の情報提供>
13 回
(北海道、群馬、東京、愛知、京都)
講演会
<WRAP ファシリテーターによるリカバリーとWRAP 講演>
24 回
(北海道、群馬、千葉、東京、愛知、三重、京都、大阪、兵庫、鳥取、広島、福岡、熊本)

WRAP 活動実績(http://www.mentalhealthrecovery.com/jp/class_statistics2008.php)より作成

 

③ 活動団体
・らっぴん(WRAP in Ichikawa)
千葉県市川市を中心に活動するWRAPクラスのファシリテーターとサポーターたちのグループ
・WRAP研究会
福岡県久留米市を中心に活動するWRAPクラスのファシリテーター、サポーターWRAPクラスの経験者のグループ
・その他
北海道札幌市、NPO 法人コミュネット楽創 他

 

④ 現状と今後
しかし日本全国的にみると、まだまだWRAPは十分に認知されているとは言いがたく、日本でのファシリテーターは少ない。加えて、ファシリテーターを養成する研修の講師はコープランドセンターでファシリテーター養成のための研修を受けた講師でなくてはならないため、日本にはいまだファシリテーターを養成できる講師がいない。そのため、養成講座を開催するにはアメリカからファシリテーター養成のための講師を招聘しなければならない。このことも日本における普及を制限している理由と考えられる。
今後は国内にもファシリテーター養成のための研修を受けた講師が生まれて、WRAPクラスが日本全国で実施されるような体制作りが望まれる。

 

3.本事業及び評価研究の目的

 本事業は退院を果たした精神障害者が安定した地域生活を過ごすのに必要な様々な知識やスキルの向上を助け、リカバリーを促進する効果的なプログラムの検討、普及、及びその効果測定を目的とする。具体的には、WRAPのPRの為の講演、WRAPの普及に必要なファシリテーターの養成、WRAPクラスの試行的実施とその評価を行い、①WRAPの日本における適合性、②日本における実行可能性(feasibility)、③日本における効果の検証、④日本でWRAPに取り組む上での諸課題等を検討する。
WRAPはアメリカで精神的な困難を抱える当事者らによって作成されたセルフヘルプツールで、リカバリーを促進する有効な手段として期待が寄せられている。WRAPはアメリカで近年急速に普及しており、日本でも徐々に広まりつつある。WRAPがこれまで日本で紹介された場面では好評で、WRAPを知る機会を持った人達からは勇気や希望が湧き、生活が向上したという肯定的な感想が多く寄せられている。WRAPは日本の当事者にも役に立つツールであり、日本でも広めていく価値のあるものだと期待される。しかしWRAPに関する人的・物的資源が日本ではごくわずかで、多くの人にWRAPを活用してもらう機会を提供するには人材育成などの基盤整備が必要である。また、WRAPはアメリカにおいてもその有効性の科学的検証作業は途上にあり、日本においては有効性の研究は全くされていない。そこで本事業では講演会やファシリテーター養成を行い、WRAPを普及させていくための基盤整備に取り組む。それと平行して、アメリカで作成されたメソッドであるWRAPが日本にうまく馴染むのか、日本の当事者に対してどのような効果があるのか、日本の現場で広く取り入れられていくにはどのような課題があるのかなどを検討していく。

 

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