実践報告Ⅰ

13:40~14:10 実践報告Ⅰ

岩上洋一氏
(埼葛北障がい者生活支援センターふれんだむ)

 

~プロフィール~

埼葛北障がい者生活支援センター ふれんだむ 管理者
精神保健福祉士
1990 年
2002 年
上智大学文学部社会福祉学科卒業
大正大学大学院文学研究科博士前期課程社会福祉学専攻修了 (修士)
1990 年 埼玉県に入職、県立精神保健総合センター相談部、社会復帰部、診療部、保健所の勤務を経て退職
「地域のソーシャルワーカーになる」と宣言し、社会福祉法人小百合会の精神障害者地域生活支援センターふれんだむ所長に2006 年10 月の障害者自立支援法に伴い、埼葛北障がい者生活支援センターふれんだむの管理者となる

【実践報告Ⅰ:岩上洋一氏】

皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました岩上でございます。
今日はよろしくお願いいたします。


埼玉の地図

 ここに、埼玉県の地図がございまして、矢印がある宮代町・杉戸町からまいりました。矢印の下が春日部市です。春日部市は、「クレヨンしんちゃん」が住んでいるところです。・・・ここは笑っていただいてもいいところです(笑)。


ふれんだむの事業

 私は、ここで、相談支援事業、地域活動支援センター、共同生活援助(グループホーム)と就労移行支援事業、就労継続B 型、杉戸町の障がい者就労支援センター、それと今日お話させていただく「地域移行支援特別対策事業」を行っております。


障害者の働きたい思いをかなえる就労支援

 私の事業所を少し紹介させていただきますと、「働く」ということにもずいぶん力を入れているので、毎年十数名の方が週20時間以上の仕事についています。以前は短時間就労を目指している人が多かったのですが、私の実践の中では週20時間以上働くことを目指している人が増えてきています。


人生の選択権を取り戻す地域生活移行支援

 「地域移行支援特別対策事業」は、国のモデル事業になる前になりますが、平成14年度に埼玉県のモデル事業として大阪府を見習って始めました。地域生活移行をしよう、退院支援をしようということで、平成14年度からすると7年目になります。この間、46人が退院しました。


社会的入院は、私たちの課題

 私は、「社会的入院はその人の人権が侵害されている」ということであって、「その問題を国民の課題にしなくてはいけない」として整理しています。
 昭和29年に全国精神衛生実態調査をしておりまして、その時、日本には3万床なかったのですが、全国には約130万人の精神障害者がいて、そのうち35万人は入院が必要という調査結果を示しています。それ以後、精神科病院ブームが起こったのは周知の事実です。ですから、様々な事情はあるとしても、国家としてこの状況をつくってきたわけですし、知らないうちであったとしても国民にも頷かされてきた責任があると思っています。私は、国や国民が悪いとを言いたいのではありません。
 私は、現在の7万2千人の社会的入院をしている人が地域に帰って暮らすことを、国民の課題として取り組みたいと思っています。国民の課題であれば、私の事業所は相談支援事業所ですから、地域の課題として率先して取り組むべき課題ということになります。
 この7万2千人という数字は、死亡退院でも目標が達成されてしまうと言われています。つまり、社会的入院の皆さんが、病院の中で亡くなりましたということになるのですが、それが現実に起きるとすれば、私は精神保健福祉士としての自分の存在価値がないと思っているのです。
 それでは、こういう状況をつくっている医療機関に問題があったのか?確かに医療機関の課題と言えるでしょう。しかし、医療機関だけの責任にしてしまうことはできません。医療機関も実は選択肢を失っているのです。「退院したい」という人に対して、過度の期待を持たせないためには、「ちょっと待っていて下さい」ということも、日常的なことだと思います。この「ちょっと待っていて下さい」と言われる人は、すぐに退院する場所がない人です。でも、家族がいてサポートできる人がいる人が「退院したい」と言えば、「それでは退院準備を進めましょう」という話ができるわけです。もちろん、地道な努力をなされてきた医療機関もたくさんあるわけですが、「家族のもとへの退院」か「入院の継続」という選択肢しかない状況で、医療機関も困っているのが現状だと思います。
 このようなことを整理しながら、私たちはこの事業に取り組んできました。


社会的入院からの生還

 このスライドですが、農作業をしている吉田さんです。私は吉田さんに「何年入院しましたか?」と聞きました。吉田さんは「病院の生活様式が変わるくらい長い間入院していたんですよね」と答えました。法律が変わるたびに医療機関の状況も変わっていくわけですから。まあ洒落たことを言うものです。なかには、「カレンダーの日付がわからなくなるくらい入院してました」と言う人もいました。


社会的入院からの生還

 この写真の右側の成田さんは、「最初は退院したかった。でも、周りを見たら僕はまだ2年目なんですよ。隣に4年目の人、5年目の人、7年目の人たちがいたので、当分順番は回ってこないと思っていました」と。
 成田さんの隣でにこやかにしている関根さんは、「5年前に退院したいって話したら、『待っていてください』と言われて待っていました」と話していました。
 都道府県が調査をしておりまして、退院阻害要因でのなかに「退院意欲のない人」というのがありますが、この2人は「退院意欲のない人」として数えられることもあるでしょう。「当分順番が回ってこないから僕はいいです」「待っていなさいって言われたから待っています」といういわゆる静かな患者さんは、病院の中で「退院したい人」として数えられていないということが私たちの実践の中でもありました。


社会的入院からの生還

 「家がないので退院できませんでした」「一人で退院するのが怖かったです」という人もいました。写真の石川さんは、「退院しない」とずっと言っていました。後でお話しますが、私たちの退院支援は病院の中で退院を目指す人のグループをつくって、その中でプログラムに参加していただいて活動しています。彼女は「プログラムには参加するけれど、退院はしません」と言っていたのです。
 しかし、「体験宿泊をやってみる」こととなりました。先ほども、グループホームの体験宿泊という話が厚労省の吉川さんからもありましたが、同様に、私たちの体験宿泊はグループホームや生活訓練施設に入所することを前提としない、本当の体験のための宿泊利用です。病院以外のところに泊まってきて、おいしいご飯を食べて帰ってくるというプログラムです。
 石川さんは「体験宿泊もしない」と言っていたのですが、どういうわけか参加することになりました。それで、自立支援員が「何で参加することにしたのですか?」と聞きましたら、「他の人たちが『とっても良かった、やっぱり一人で寝るのはいい、ご飯がおいしかった』と。だから私も来ました」と話していました。
 体験宿泊も終わり、私も「何で体験宿泊をしたのですか?」ともう一度聞きました。初めは同じ答えだったのですが、もう一度聞きました。「本当は何かありましたか?」と。すると、「私は病院で一生暮らそうと誓い合った、女性の先輩がいるのです。その人と病院で一生暮らす予定だったので退院はしないつもりでした。ところが、その女性が『あなた、せっかくだから体験宿泊くらい行ってきなさいよ』と言ってくれたので参加しました。それでまた昨日、体験宿泊が終わったと報告したら、その女性に『私は心臓が悪いから転院になっちゃうと思うので、一緒に暮らそうという約束は守れないのであなたは退院してください』と言われたのです。ですから、私、退院します」と言うのです。
 この転院になってしまうというところがつらいところなのですが。
 この話を聞いて、7万2千人に入っているか入っていないかはわからないけれど、「退院しない」と言っている人の中に、「病院で一生暮らそう」と決めた多分女性が多いと思うのですが、このようなお友達同士がまだまだたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。「退院したくない人です」と、病院のスタッフや自立支援員には思われているかもしれません。退院しないと言っている理由には、「病院でこの人と一緒にいよう」と約束をすることで、自分の孤独感を少しだけ埋めている人が、まだまだいらっしゃるのではないでしょうか。
 この石川さんは、旅行に行って、おいしいものを食べて、やっぱり退院して良かったと、「自然に帰った気持ちです」と言っています。


社会的入院からの生還

 この人は梶井さんです。梶井さんに入院中、「何か食べたいものありますか?」と聞きました。すると、梶井さんは、「刺身が食べたい。かれこれ、入院して30年になるけど、刺身は18年食べていないんだよ」と言いました。病院では、お正月などには刺身が出たりするわけですが、もともと板前さんですから、本当は得意な分野のですが。それで体験宿泊の時に、グループホームの世話人が「食べてください」と特別に刺身を用意しました。次の日になって「岩上さん、食べました!美味かったです!あと15年は食べなくて大丈夫です」と言っていました。この感覚が「病院で暮らしている」ということなのだと思います。
 その梶井さんは昨年の5月に退院しました。8月に僕が「退院してどうですか?」「明日講演に行くのであなたのことを話させてもらいたい。感想を聞きたいのですが」と聞きました。すると、「外来に行って病棟にも行ってきました。(退院した人にはなるべく外来に行って、患者さんにも看護の人たちにも会ってきてもらいます。元気にやっている姿を見てもらい、また退院する人が増えればいいということで病棟に寄ってきてもらうのですが)病棟の人たちは元気がなかったよ。みんなよくああいうところにいられるな」と言っているわけです。でも、梶井さんもそこに30年いました。退院することで、自分の世界が作れるわけですね。だけど、病棟に長くいると「元気がなかったな」と思う場所にずっといてしまう。この状況を、皆で協力して変えていきたいと思います。


ふれんだむの地域生活移行支援
ふれんだむの地域生活移行支援

 

 私たちの実践では、63人の対象者がいて46人が退院しています。
 私たちの退院支援で大事にしていることは、退院を目標にするのではなくて、自分らしく生きていくことを目標にしています。当初は、退院が目標でした。退院支援モデル事業ですし、その後は退院促進支援事業です。すごくプレッシャーのかかるネーミングなのですね。
 でも、退院を目標にしていたら、退院することで目標が達成されてしまいます。地域で暮らしても元気が出なくなる人がいます。何のために退院したのかわからないと。そこで、「退院」ということではなくて、「皆さんはこれからどうやって暮らしたいのですか?」「何をしたいのですか?」「何が食べたいですか?」「どこか行きたいところはないのですか?」という話をするようにしました。こんな暮らしがしたいということを実現するための、一番の手立てが退院ということになります。退院しても自分の目標は残っているわけです。このように切り替えました。
 一人で退院を目指している中で挫折したという人が、病院には、たくさんいます。「生活訓練施設の見学の日になったら、調子が悪くなってやめちゃいました」という人などです。そこで、皆で退院を目指しましょうということでグループ活動を取り入れました。グループで見学に行って、地域生活のイメージを作っていただきます。その上で、個別支援をしてきました。その中では、精神障害当事者の方にも、自立支援員として、退院支援の分野でも活躍してもらいました。


ふれんだむの暮らし安心プログラム

 このスライドにあるのが「ふれんだむの暮らし安心プログラム」です。これはどこの病院でも日常的に行われているものとあまり変わらないと思います。ただきちんとプログラム立てをして、活動の中で、なるべくいろいろな話をしています。病院の中で今まで話さなかったことがいっぱい出てきます。病院のスタッフの方も、とても熱心な人がいます。自分の家族よりも長く暮らしているという看護師さんもいます。でも、今まで出てこなかったその人の思いがどんどん出てくるということがあるのです。


退院意欲がない・家族が拒否している・社会資源ないというけれど・・・

 さて、課題として「退院意欲がない」「家族が拒否しています」「社会資源がない」ということが言われます。ここはリフレーミングしていきたいのですね。フレームを変える、見方を変えるということです。
 退院意欲がない人がいたら、退院意欲がないのではなくて、「退院意欲をしまっている人」と思うことにしています。なぜかというと、病院の中で夢や希望を持っても叶わないわけです。叶わない夢と希望はどうするかというと、そんなに大きく広げないで、自分の懐の中にどんどんしまっていきます。だって叶わないのですから。だから、どんどんしまってしまう人がいます。もう一度「○○したい」「絵を描きたい」「野球観戦に行きたい」「映画を見たい」「誰々のコンサートに行きたい」「ダンスをしたい」という思いを持ってもらっています。さきほどの石川さんにはダンスをしたいと言われていて、本当は私とダンスに行く予定になのです。どうも石川さんが「嘘つきは大嫌い」と言っているようなのです。(笑)。
 このように「退院意欲がない人」ではなくて、しまっている人がたくさんいるということを、皆さんとのの共通認識にしていきたいと思っています。
 それから「家族が拒否をしている」と言っても実は全てを拒否しているのではありません。「退院することが決まってグループホームに入ります」「活動支援センターがこれから協力します」「ヘルパーさんが来てくれます」ということなどが決まってくると、家族の病院への面会が多くなるということがあります。退院後、グループホームに連絡してきて「いつだったら会えますか?」という連絡をしてくるという話もあるのです。
 そういう意味で、家族が全てを拒否しているのではなくて、家族が拒否しているのは「昨日の記憶」なのです。昨日の記憶として、病気が悪くなった日のことを昨日のことのように覚えていますね。
 「退院して暴れたらどうするのですか?前は大変だったんですよ」という話になります。「それはいつのことですか?」とお聞きすると、「それは前回入院した時ですよ」と怒ってしまう。「前回入院したときって、じゃあ20年前のことですか?」「そうですよ。決まっているじゃないですか」となる。だけど、これはおかしいことではなくて、家族にしてみれば、たいへんだったときの記憶というのは昨日のごとく残っています。しかし、1年でも2年でも地域生活が安定してくると、具合の悪かった昨日の記憶は薄れていくようです。病院に入院している間は、家族の「昨日の記憶」はなかなか薄れないのです。
 必要なサービスは皆で作っていきます。サービスがないから退院ができないのではなくて、「この人のためにどうしようか」ということを皆で考えることから始めてみましょう。必要なサービスは作っていくことが大事だと思います。


ふれんだむの地域生活移行支援

 私たちは埼葛北地区というところで退院支援を始めて、今は社会的入院だけでなくて、入退院を繰り返している人への支援も始めました。それから、県の生活訓練施設を利用した体験宿泊プログラムもやっていただきました。隣の北埼玉地区には、精神障害者を対象とした相談支援事業所がないので、知的障害者の事業所にこの事業に参画していただきました。生活保護のケースワーカーにも参画していただいています。
 精神科に入院しているのだけれど主たる問題は知的障害という人が、埼玉県にはたくさんいます。「知的障害者が精神科に入院している問題をどうしよう」という話はあまり出てきません。知的障害者の支援を得意としている領域の人にも、この精神障害者の地域生活移行支援にも入ってきていただきたいというのが私の希望です。


個別支援会議から地域の課題へ(案)

 このスライドは私の試案です。地域自立支援協議会につながるところです。必要なサービスが不足しているのであれば、皆で作っていくという発想です。
 「この人は退院意欲がない」と言うのであれば、病院の中にリカバリープログラムを作る。あるいは「家族が拒否している」と言うのであれば、地域移行型の家族教室をする。家族教室も十数年前に流行ってあまり内容が変わっていない地域もあるようです。でも、今病気になった人の家族教室と、サービスを使っている人の家族教室と、地域移行をすすめる人の家族教室というのは、本当は違うと思います。だけど、そのような発想が乏しいようです。
 「この人」を支援していくうえでてきた課題は、地域の課題として皆でプログラム化・事業化していかなければいけないと思っています。


個別支援会議から地域の課題へ(案)

 私たちは、新たな社会的入院を作らないための、ひきこもる精神障害者への支援を始めています。そこにはピア・スタッフも一緒に活動しています。また、保健センターが中心となって疾病教育とか健康教育とか余暇活動支援とかっていう、保健領域が得意としている健康教育もどんどん入ってきていただきたいと思っています。近頃は、栄養指導をずいぶんやっていただいています。
 このような発想を現実のものにするために、先ほどお話のあった厚労省の特例交付金を都道府県と市町村は上手に活用して、いろいろな地域の課題の解決に向けて事業化していただきたいと思います。


自分の希望をかなえよう

 これは、精神障害当事者の方にお話していることですが、「皆さんは患者さんに戻ることがあまりにも簡単にできすぎます」と。悩みがあると、いつの間にか病気が悪くなったという気がして、それを医者に相談します。精神科医も「それは悩みでしょ」となかなか言ってくれない。いい先生だと、「あなたの悩みに効く薬はありません」と言ってくれるのです。私はこういう先生が好きですが。
 「頓服飲んでください」とか「静養入院しましょう」と、本当に簡単に言われてしまうなかでは、「患者さんに戻る」ことは簡単です。患者さんに戻る状況が多ければ多いほど、生きる力が乏しくなり社会的入院になってしまうかもしれない。そういう危険性があることを、ご本人たちももう少し認識していただきたい。認識していただくためには、私たちは教育的なプログラムを提供させていただかなくてはならないと思います。


地域生活移行支援をすすめよう!
自立支援協議会を中心とした仕組みづくり

 地域生活移行支援を進めていくうえで、サービスと結びつけて地域生活に移行するということが、うまくいく人もたくさんいます。しかし、すごくがんじがらめになってしまう、専門職の安心のためにサービスを使っていただいている当事者もたくさんいるということを認識しなくてはいけないと思います。専門職も行政職も、この人へのサポートが実は第2第3の社会的入院ではないのかという点検をいつもしなくてはいけないと思います。
 働く準備のつもりでいたのに、違う生活にまたなじんでいませんか?「本当は一般就労するつもりだったのに、なんでここの作業所にいるのかわからないけど、周りを見たらみんながいるからここでいいや」、「周りを見たらここでいいや」というのは、先ほど、成田さんが言っていた「周りを見たらとても退院できないな」ということと同じ状況です。「入院しているよりはずっといいや」、「自分の生活も作れたからいいや」と言いながらも、自分の希望と夢をまたしまい込んでいるのかもしれません。このことを、ご本人にも私たち専門職にも市民の皆さんにも、いつも点検をしていただきたいと思います。
 「社会的入院は解消できたけれど、地域の中で私の人生の選択権はまたなくなりました」ということではいけないと思います。自分の希望と夢をいつももつことができる環境をつくっていきたいのです。サービスがあることと幸せはイコールではないのです。


ふれんだむの新たな地域生活移行


まとめ

 私は、職員に対して、「私たちは自立を促進しているけど、かつ阻害要因になる可能性があるということを忘れないように」と話しています。
 先ほどの続きですが、新たな社会的入院を作らないために、ひきこもっている精神障害者の支援をしています。ひきこもり支援ではなく、「ひきこもる」という意思がある精神障害者(言葉の使い方だけれども「ひきこもり」というとどうしても問題がある人への「対策」ととられてしまうので)を支援しています。
 それから、入退院を繰り返している人のサポートをする。
 もうひとつお話しておくことは、私の中では、できればなるべくサービスは削減していきたい。私もグループホームをどんどん増やしてきました。だけど、退院はアパートにして、そのままうまく必要なサポートを使えないだろうかと思っています。そういうことでできればグループホームも削減したい。今年度は25人中4人がグループホームから退所予定となっています。なるべく過剰なサービスは削減したいというのが、私の理想です。


絵を描きたい!

 それでもう時間ですが、この大山さんは18年間入院していたのです。けれども、私と初めて会った時に「岩上さん、退院したら絵を描きたいのです」と言いました。でも、病院では18年間、絵を描いていなかった。病院のスタッフの話でも「大山さんが絵を描くなんて聞いたことがない」と言う話でした。誰も信じていなかったのです。「私は、絵を描きましょう、できれば個展をやりましょう」と言いました。
 大山さんは昨年の5月に退院してきました。ふれんだむのスタッフも、「大山さんの絵、そんなうまくないですよ」と言っていました。クレヨンで描いている絵で、どうも大山さんの得意分野ではなかったようです。
 先日、グループホームに行きました。「岩上さん、ちょっと見て下さい」と言って見せてくれたのが、左側、これは、大山さんが書いた木村拓哉です。
 大山さんの中には「絵を描きたい」という希望がずっとあって、退院して描きはじめたわけです。
 そんな思いにこたえていくのが私たちの役割だと思っています。


大山さんの言葉

大山さんのことばです。
「大変なこともいっぱいあるけれど、生きていると思います」
退院支援を通して、人生を感じることがたくさんあります。
社会的入院をしている人たちの退院支援を国民の課題としてみんなで取り組んでいきましょう。
ご清聴ありがとうございました。(拍手)

 

(終了)

 

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