実践報告Ⅲ

14:40~15:10 実践報告Ⅲ

 

林田輝子氏・横山朋子氏・荒川誠一氏
(社会福祉法人巣立ち会)

 

~プロフィール~
林田 輝子 (はやしだ てるこ)
平成15年12月に、社会福祉法人巣立ち会に入職。
共同作業所、グループホーム世話人等の業務を経て、現在はこひつじ舎(就労継続支援B型)管理者。精神保健福祉士。
横山 朋子 (よこやま ともこ)
平成19年8月より巣立ち会退院支援プログラムを利用し、平成20年7月に退院。
現在は武蔵野市のアパートにて一人暮らし。
こひつじ舎(就労継続支援B型)を利用中。
荒川 誠一 (あらかわ せいいち)

平成17年10月より巣立ち会退院支援プログラムを利用し、平成18年3月に巣立ちホーム調布第5(グループホーム)へ退院。
現在も同ホームへ入居しながら、巣立ち工房(就労継続支援B型)を利用中。

 

【実践報告Ⅲ:林田輝子氏・横山朋子氏・荒川誠一氏】

 ただいまご紹介にあずかりました、社会福祉法人巣立ち会の林田と申します。
 朝からの長丁場でみなさんお疲れのことと思いますが、もうしばらくお付き合い下さい。
 私からは、巣立ち会が取り組んでおります退院促進プログラムの実践報告、という形でお話させていただきます。私は普段現場におりますので、特に現場の立場からどういった流れで支援をして、具体的に何をしているのか、といったところをお話ししたいと思います。


巣立ち会周辺地図

 まずは私達巣立ち会の概要を簡単にご説明申し上げます。私たちは、ここ三鷹市と調布市の2つの市にまたがって活動をしておりますが、ここはご承知の通り、東京の中でも精神科病院が比較的多い地域です。こちらは我々の活動地域の地図ですけれども、周辺には13の精神科病院がございます。
 巣立ち会は発足して17年になりますけれども、その活動は長期入院の方へ住居を提供するというところから始まっています。長期にわたって入院されている方のなかには、本来治療の場であるはずの病院を「住まい」として生活している方がたくさんいらっしゃいます。当時外勤をしながら、入院費を自分で稼いでいたという方も少なくなかったと聞いております。誰しもそうだと思いますが、「住む場所」と「働く場」、どちらを先に確保するかと考えますと、当然住む場所だと思うのですね。
 ですから、住む場所を探して、そこに退院してもらってということを始め、次に働く場所、日中活動する場所を作ってと、そのようにしながら、現在この図にあります8ヶ所のグループホームと3ヶ所の事業所ができてきたというのが、巣立ち会の経緯です。

 

巣立ち会:居住施設と利用状況

 これはグループホームと地域の居住支援をあわせた数字ですが、私たちは全部で96部屋分の住居支援をおこなっております。これらはいずれも賃貸物件です。居住支援といいますのは、グループホームとして申請はしていないけれども、巣立ち会が住まいを借りるにあたって支援をして、その後も関わり続けているお部屋を意味します。私達の根本には、退院するには「住むところがないと始まらない」という考えがあるのですね。後ほどご説明しますけれども、「退院しましょうよ」とお誘いにあがるには、こちらにも「住む場所は確保するぞ」という覚悟が必要なのです。借りられる部屋があるかどうかわからない状況で退院の話をすすめるのは不安もありますから 部屋は借りられる物件と出会ったときに、即借りてしまうことが多いです。その結果、空室のまま借りている部屋がでてくる場合もありますけれども、それは準備が整った方の退院をタイミング良く進めるため にはある程度必要なことだと思っています。
 最近では、懇意にしている不動産屋さんの方から貸して下さるというお話を頂く場合も出てくるようになりましたが、この活動を始めた当初は、精神障害者に貸してもらえる部屋は非常に少なく、苦労が多かったと聞いておりますので、地域の不動産の空室状況にはある程度敏感である必要があると考えております。

 

平成17・18・19・20年度の退院者の現状

 私達は法人として独自に退院促進に取り組んで参りまして、現在までにおよそ150名の方の退院のお手伝いをおこなって参りました。17年に東京都から「退院促進支援モデル事業」を受託したときからの経緯をここに示してみましたが、17年度に17名、18年度に24名の方が退院しています。この年は巣立ち会がグループホームを新たに開設した年でもありましたので、数字が特にのびました。19年度は13名、今年度は16名が現在までで退院となっておりますので、この4年間での退院者は70名にのぼります。

 

退院促進支援の流れ

 では、具体的に退院支援とは何をどのようにしていくのかをお話して参ります。
 これは私どもが使用しているパンフレットの抜粋です。入院している方との出会いから退院まで、一連の流れはこうした流れになっています。

 

① アウトリーチ~その1~

 まず、アウトリーチですね。これは多くの事業所が実践されていますが、病院へ出かけていくことでアプローチをします。出張講演と我々は呼んでおりますが、巣立ち会の利用者が病院に出かけて、入院中の方や職員の方に自分の体験談をお話します。そこで患者さんからいろいろな質問をもらってそれに応える、そういう出前サービスのようなことを手始めに行います。みなさんかなり具体的に、お金のこと、食事のこと、家賃はいくらだ、ご飯はどうしているんだなど、細かなことをここでやり取りなさいます。これが地域の生活に興味をもって頂くきっかけになろうかと思います。
話をするだけではなく、作業所で行っている簡単な内職作業をお持ちして、作業体験をしてもらったりということも行います。作業所などには全く興味のなかった患者さんが、この作業体験をしてみて、「このくらいなら自分でもできるかな」と言って作業所に通うようになったというケースも出てきています。

 

ピアサポートの効果

 ピアサポートの効果と書きましたが、初めは体験談を話す方も不慣れですし、なかには「自分の話なんかしたってしょうがないよ」と言われる方もいらっしゃいます。それが何度も病院へ行って、患者さんに話をしていくうちに、自分の経験が人の役に立つということが実感としてわいてきて、それが彼らの自信にもつながってきています。「自分ができたのだから大丈夫だよ」というメンバーの言葉というのは、私たちが言うどんな言葉よりも強い後押しになるのだな、とよく感じます。
 一方で病院側も、当事者と一緒に伺ううちに同じように感じて下さって、次第に暖かく見守って下さるようになってきます。支援者の、当事者を見る見方がだんだんと変化していくのを感じることが多々あります。それがかつてご自分の病院の入院患者さんだったりしますとなおさらです。それに加えまして、病院から作業所へ通い始めた患者さんが夕方病院に戻って、いろいろ言いふらして下さるのですね。「こんな生活をしている人がいる」ですとか、「こんな作業をした」だとか、こうした口コミが実はとても影響力が大きいと感じておりまして、ピアサポート効果は大きいと実感しております。

 

② インテーク(初回面接)

 次に、作業所に見学に来て頂くか、こちらから病院へ伺ってご本人と面接させて頂きます。ここ で「とにかく先ず作業所に通ってみましょうよ」とお誘いをします。
 今申し上げましたように、私たちの考え方は、まず入院中から作業所に通ってもらい、その通ってきた人たちに住まいの支援を提供します。つまり、生活の場と働く場の両方で利用者を支える仕組みになっています。

 

③ 退院訓練

 作業所へ通うことが決まりますと、そこから退院訓練が始まります。
 病院から作業所へ通所をしながら、まず病院の外へ出ることに慣れていってもらいます。作業所に通うためには、公共の交通機関を利用しなくてはなりませんし、そのためのお金の管理も必要です。病院では時間になると運ばれてくる昼食も、自分で調達する必要が出てきます。こうした生活に必要な基本的な事柄を、実践でおこなうわけです。道順が不安だとか電車の乗り方が心配という方には、慣れるまで同じ病院出身のメンバーが送り迎えをすることもあります。これを数ヶ月おこなって頂きます。

 

利用者を支える仕組み

 この数ヶ月間にわたる作業所通所を通して、退院後の生活に必要な基盤づくりをしていきます。
作業所で仲間を作るといった人間関係や、作業を通してのチームワークなどを形成しながら、我々支援者とも信頼関係を築いていきます。作業所には、同じ体験をして地域生活を送っている先輩メンバーがたくさんいますから、彼らと関わることで、退院後の生活イメージも少しずつ作っていってもらいます。

 

このプログラムを利用してもらうには

 このプログラムでは、通所の施設に通えることをひとつの条件にしています。週に1日でも2日でも、集団の中で関っていくうちに、スタッフとの関係性が作れていくと思うのですね。ここで関係を作っておくことは、その後の地域生活においても非常に重要だと考えます。黙々と通って下さいますと、その方に対してこちらも愛着がわくようになりますし、多くの場合、退院してからも同じ作業所に通うことになりますから、この先長いお付き合いになることを考えまして、この期間を大切にしています。
 ただ実際は、初めから退院や作業所通所に積極的な方ばかりではないです。中にはこちらが「この方通えるかな」と不安に思う方もおられます。けれども次第に皆さん作業所に自分の居場所を見つけていかれるのですね。「自分はもう年だから作業所なんていいよ」と言っていた方が、気づくと作業所の清掃チームの主力メンバーとなっていたり、作業所で何か役割を持つようになったり、仲の良い友達ができたりしながら、大概の方がせっせと通ってきてくれている、そんな現状があります。
 大切なのは、入院期間とか年齢よりも、通ってこられて、そこで仲間との関係が築けることだと思っております。

 

④ 住居支援

 通所が安定し、具体的に退院の予定が出てきますと、我々は住居探しを始めるのですが、そのタイミングに、実は明確な基準はありません。通所を続けてこられますと、その間に我々との関係ができてきます。それはこちらの「そろそろいいかな」という気持ちであったり、「ま、やってみよう」という支援者の、ある種勘のようなものに頼っている気がします。逆をいえば、「もしダメでもまたチャレンジすればいい」という開き直りがあるのかも知れません。
 ですから、もういいかなと感じる段階で、グループホームあるいはアパートを探します。この段階までの間にスタッフは、その方が入居することを想定してグループホームの空きやアパートの空室状況に常に目を光らせておきます。グループホームの退去者が出そうになりますと、「次はこの方を」と世話人に伝え、心の準備をしておいてもらいます。言い方が悪いですが「先に唾をつけておく」ということです。一般のアパートを借りるときも、障害を開示して、大家さんや不動産屋からの連絡はいつでも我々が受けられるような体制を作っています。

 

根気強い部屋探し!!

 しかし、そうは言っても必ずしもこちらが思うタイミングで部屋がいつも見つかるとは限りません。 時には時間を要することもあります。その際に、いかに利用者のモチベーションを下げずに通所を続けてもらうかがポイントになります。これは作業所の担う大切な役割のひとつです。
 その方に作業所での役割を持ってもらったり、その人の得意な分野を生かした作業を提供したりしながら、日々「退院まで頑張ろうね」「必ず部屋を見つけるからね」というメッセージを送り続けます。我々スタッフもここで決して気弱にならないことを意識して、必ず見つけると自分たちにも言い聞かせています。

 

アパートの契約に当たって心がけていること

 アパートの契約に当たってですが、大家さんや不動産屋さんにとって心配なことと言いますのは、保証人がいるかどうかということよりも、家賃の滞納ですとか、「何か問題が起こったとき誰が対応してくれるか」という点だと思うのですね。ですから、世話人や作業所の連絡先などすぐに対応できる窓口を設定し、管理者の携帯番号をお教えしておくなどの配慮をしています。

 

⑤ 退院準備

 そして部屋が決まりますと、体験外泊を始めていただき、退院準備を進めていきます。
 この外泊も何回にわけて、何泊するのか、本人との話し合いのなかで決めていきます。通常グループホームに退院なさる方には、週に2 回の夕食会にあわせて外泊予定を組み、自分の部屋に慣れていってもらいます。
 また、この段階で病院、市区町村のケースワーカー、生活保護のケースワーカー、家族と今後について具体的な話をしていきます。特に生活福祉課や、退院先の市の障害福祉課のワーカーとはあまり面識がない場合が多いので、ここでしっかりと話をつめておく必要があります。

 

⑥ アフターケア

 そしていよいよ退院となるわけですが、生活において必要なこと、不安なことはその都度世話人や作業所の職員が相談にのりながら、安定して地域で生活ができるまで見守ります。
 地域の一住民として生活する上で、特にゴミ出しなど自治体によってルールが異なりますから、時に訪問をしながら一緒に覚えていきます。それでも時々分別を間違えてしまったり、ご近所から注意を受けることもありますから、その場合はその都度すぐに対応するようにしています。そのためにも、大家さん、不動産屋さんにはこちらの連絡先を明確にして、「気付いたことは何でもお知らせ下さいね」とお伝えしておきます。
 また、実際に住んでいる利用者のことを知って頂くためにも、大家さんを食事会や会のイベントに招待するなどの交流も心掛けております。

 

病院との連携

 この一連の流れのなかで、当然ですが病院との連携は非常に大切だと感じています。
 病院は忙しく、なおかつ、患者さんにはさまざまな規制があります。そんな中で患者さんが作業所の通所を始めますと、他の入院患者さんにはないイレギュラーなケースが出てくるのですね。例えばお風呂の時間をずらして頂いたり、朝作業所に来るために朝食を早めに出して頂くなど、お願いしなければならないことが出てきます。ですから、それ以外のことでなるべく病院に負担をかけずに、まめにこちらから出かけて行ったり、連絡を取り合うようにしています。立場的に押し出す側も辛いと思うのですね。病院から追い出すようなイメージを持たれやすいですから。ですので、「地域でサポートしてくれるみたいだから、一度行っていらっしゃい。疲れたら休みにきてね」くらいのことを言って、患者さんの背中を押して頂ければ良いかなと思います。
 そして退院してからも、可能な限り訪問看護をお願いしたり、退院後の状況を共有するよう心がけています。私たちは月に一度、スタッフの勉強会を開きましてケース検討などを行うのですが、その際にはできるだけ我々だけでなく、病院のスタッフをお招きして共に考えてもらうということをしております。
 また、退院にあたっては、「絶対に大丈夫」ですとか、「決して再入院はしないように」とは申しません。こちらがそういう風に意気込んでしまいますと「この方のあれが心配」「まだここが出来ていないから」となってしまって、かえって病院が退院の後押しを躊躇してしまうことになりがちです。逆に病院には「何かあったら早めに休息入院を受け入れて下さい」とお願いをしておきます。その方がお互い安心ですし、継続的に病院と良い関係を築いていけると思います。

 

巣立ち会の支援の特徴

私達の活動の特徴的なところをいくつかご紹介します
1. 法人全体で関わっている。事業所がいくつかありますので、チームで取り組むことが可能です。
2. チーム責任者が明確でいつでも連絡が取れ、指示が出せる状態にある。管理者の携帯はいつでもONになっており、何かあったときにはいつでも対処、指示できるようになっています。
3. 1人のケースに2名以上が関る・・働く場と生活の場の両方で関るわけですし、日中の場では複数の支援者が関る機会があります。
4. 利用希望者に年齢や入院期間などで条件付けをしていない。原則的な入所条件はありますが、可能な限り多くの人にチャレンジしてもらおうとしています。
5. 近くに仲間がいる(ピアサポート)
6. 退院後も継続して支援をする。退院して終わりではなく、そこから本当の生活が始まるわけですから、その後も継続的に関わります。

ここまでご紹介して参りました通り、私たちは何か特別なツールを持っているわけでも、特別なことをしているわけでもありません。スタッフは私も含めまして、経験の浅い者が多数を占めますし、地域生活を支えていける自信があるわけでは決してありません。けれども、そんな我々でも退院促進の一端を担うことはできるのだと日々感じております。つまり、誰でも退院促進支援をすることが可能なのだということなのだと思います。

 

「地域で楽しく」を支援するために

 先ほども申しましたが、退院にあたっては、「これが最後の退院」とは考えません。再入院は当たり前、時折入退院をしながら今度は自分から地域に戻ってくるのを見守りたいと考えています。支援の過程においては、色々な課題に直面し、その度に気持ちが途切れそうになることも正直あります。けれども、利用者の力を信じてチャレンジしていく、その覚悟を支援者間で共有することが大切なのだと思います。
 生活をし始めますと、色々なことがおこります。お金を使い込む、雨戸を一切開けない、夜救急車を呼ぶ、などなど。できるだけ、そのひとつひとつに目くじらをたてないように、あまり多くを求めますとお互い疲弊してしまいますから。
 大きな声では言えませんが、「部屋が多少汚くても死にはしない」くらいの気持ちでおります。何より、彼らが地域で楽しく生活できるように、支えていきたいと思っております。

 

「地域で楽しく」を支援するために

 今後の課題ですけれども、我々は作業所通所を前提とした支援をしておりますので、そうしたプログラムに乗らない方の退院支援をどうおこなうのかという課題があります。地域にいろいろな退院プログラムができて、利用者がそれを選んで退院に結びつくようになればと思います。
 また、利用者の高齢化という問題があります。退院はできても、いずれ加齢による様々な問題が生じてきます。それにどこと連携し、どう対応していくのかが課題となっています。

 

巣立ち会の理念

 最後に、巣立ち会の理念をご紹介します。
 自尊心をもって生きる、助け合える仲間がいる、安心して生きがいをもって生活する、すなわち「地域で楽しく」ということです。
 病院は治療するところ、そして地域は住むところです。同じ住むのなら楽しくいきましょう、とお誘いに上がるのが私達の姿勢です。まだまだ私たちが迎えに行かなければならない方たちが、病院にたくさん待っていらっしゃると認識しております。もっともっと同じような活動をして下さる事業所仲間が増えて、協力して下さる病院や地域の資源が増え、それが結果として精神障害者の退院促進、地域移行につながることを望んでおります。
 ご清聴ありがとうございました。(拍手)

 

 次に、実際に退院したお二人から体験談をお話しして頂きます。
 まずは横山さん、昨年7月に退院しました。続いて平成18年に退院した荒川さんにお話をしてもらいたいと思います。

 

  <横山氏>
 私がこひつじ舎に、体験通所も含めて勤務するようになったのは、早いもので1年6か月ぐらいになりました。退院したのは2008年7月25日です。まだ未熟な私ですが、自分なりにまじめにマイペースで働いています。私がこひつじ舎に体験通所していなかったら、退院できない状態でいたと思います。
 病院で「作業所に行ってみないか」と言われたのが、2007年の初夏ごろだったと思います。
 田尾さんと巣立ち会のスタッフの方が病院に来てくれました。いろいろと入院のこととか病気のことを訊かれましたが、私にとっての退院するチャンスだったのだと、今考えてみるとそう思います。
 どうもありがとうございました。とても感謝しています。
 私の病歴のことを簡単に説明しますと、私が発病したのは今から24年前、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した時です。当時私は24歳でした。年が判ってしまいますが、この病気になって24年経ちます。何度つまずいたことでしょうか。でも今は元気で、現在の私に至っています。病気が長かったと言えば長い方ですね。発病した時は「食べられない、眠れない、起き上がれない」の症状でした。その時は両親が健在でしたから、すぐ母に東京のJ 医大に連れて行かれて、八王子にあるH 病院に入院しました。その頃はやせていて38~40キロぐらいでした。母がドクターに相談して、食欲増進剤を飲まされてみるみるうちに太ってしまい、60キロ以上になりました。
 話が横道にそれてすみません。これは病院にいる患者さんたちに向けてのメッセージなのですが、皆さんも一歩前進して、作業所は自分に合ったところに通所して、明るい方に目を向けて頑張って下さい。きっと毎日が楽しくなります。今現在もいろいろな病院で、私のように生活保護で両親がいない、帰る家がない、そんな方たちがたくさんいると思いますが、その一人一人に、皆さんも病院にいてはもったいない、自分に合った作業所、いいドクター、いいお薬を見つけて、社会に出てほしいです。退院してほしいです。私の経験から言って、考えているよりすぐ実行して、案ずるより産むが易しです。必ず良いことがあります。皆さんも大丈夫ですよ。絶対に退院できます。希望を持って、チャンスを逃さないように実行してみて下さい。
 私も作業所に体験通所をして、最初は週1回から通ってどんどん増やしていって、週2回、週3回と挑戦しました。そのうちに退院の話が出て、巣立ち会の優しいスタッフが住むところも見つけてくれます。安心して下さい。病院にいるより社会で輝いてほしいのです。入院している時と違って束縛されないし、自由がききます。部屋だって、掃除をすればぴかぴかに光ります。自分自身も磨けば光ります。路傍の石も宝石にしてみせます。そこから楽しいことを見つけて下さい。
 私の鉄則としましては、朝は希望に起きて、昼は愉快に働いて、夕は感謝で就寝します。
 みなさん一人一人に期待しています。意欲があればきっと成功します。皆さん秘めた才能があります。それをぜひ生かしていって下さい。
 退院は決してエンドではなく、新しい生活のスタートですから、継続することが大切だと思います。
 最後にスタッフの皆さん、どうもありがとうございました。スタッフもメンバーも、年齢を問わない自分らしい生き方、エージレスを持っていて、こひつじ舎は自分にとって魅力がたくさんあります。困った時はスタッフが何でも相談に乗ってくれています。仕事もとても楽しいですし、みんなとのコミュニケーションもとれています。こんなアットホームで暖かいところで働けてうれしいです。
 あと、今住んでいる武蔵野市もとてもいいところです。武蔵境の商店街も好きです。八百屋さん、薬のセイジョー、近くのセブンイレブン、ミニストップの方も暖かい目を注いでくれます。この街がとっても好きです。遠距離通勤で経済的には苦しいですが、そこのところ東京都の方、これからもよろしくお願いします(笑)。
 ご清聴ありがとうございました。(拍手)

 

  <荒川氏>

 調布から来ました荒川誠一です。
 私は平成4年にH 病院に入院し、15年くらい入院していました。はじめは病名も知らされず、よくわからないまま薬を飲んでいましたが、10年以上経ってから統合失調症と糖尿病だということになりました。自分では病気だということが判っていたので、退院したいと思っていませんでしたが、作業所の人たちが引っ張ってくれて、なんとなく退院してしまいました(笑)。退院する前は、半年ぐらい巣立ち工房という作業所に体験通所していました。見学の時は暗い感じがしましたが、次の日に行ってみたら、みんなが明るく迎えてくれて、通ってみようと思いました。そして平成18年の3月に、グループホームの一室に退院しました。
 退院した後も、血糖値が上がって入院したり、ひざを骨折するなどハプニングもありました。骨折した時は、世話人の濱井さんや病院のOT室の人たち、病棟の看護師さんがよく看病してくれたり、巣立ち工房のメンバーが「体拭き拭き隊」を結成し、頭を洗ったり体を拭いてくれました。また、ベッドを補強してもらいました。そんな中で、早く治すことができたと思います。
 現在も、巣立ち工房に週3日通っています。退院してから、好きなものを食べたり、外出が自由になり、退院して良かったと思っています。これからの希望は、病気を治して、好きな哲学書などを読みたいと思っています。以上です。(拍手)

 

 

(終了)

 

 

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