パネルディスカッション

15:25~16:55 パネルディスカッション

岩上洋一氏
中本明子氏
田尾有樹子氏(社会福祉法人巣立ち会)

<指定発言> 小泉裕子氏
(三鷹市健康福祉部生活福祉課・退院促進支援相談員)

<司会> 小林由美子氏
(社会福祉法人多摩棕櫚亭協会)

 

~プロフィール~

小泉 裕子(こいずみ ゆうこ)
精神保健福祉士・社会福祉士。
三鷹市役所生活福祉課・退院促進支援相談員(嘱託)

 

【パネルディスカッション】

司会:  パネルディスカッションの司会を務めさせて頂きます、多摩棕櫚亭協会の小林と申します。よろしくお願い致します。
 今日のテーマは精神障害者の地域生活移行支援です。平成14年に、日本には7万2千人の社会的入院をしている方たちがいるという報告が出ました。それを受けて退院促進事業、平成20年からは地域生活移行支援と、今日の実践報告のような様々な取り組みが行われております。
 そこで本日は、先ほどの実践報告を踏まえて、地域移行支援のポイントや課題について、少し議論を深められたらと思います。ただ、このテーマは古くて新しいというか、新しくて古いというか、なかなか大きなテーマです。皆さんもどうかお付き合い下さい。よろしくお願い致します。
 それでは具体的な議論に入る前に、少し会場を暖めて頂くということも含めて、小泉さん、よろしくお願いします。
小泉:

 

 どうもありがとうございます。三鷹市生活福祉課で退院促進支援相談員をしております、小泉と申します。
 これまで私は精神障害者の方々の社会復帰施設で精神保健福祉士として仕事をしてきました。地域生活支援や相談支援、就労支援等に携わってきたのですが、昨年の4月から三鷹市役所の中で週4日間働く相談員の仕事をさせて頂いております。
 1人あたり100人以上担当しているケースワーカーの方々が20名、本当に大変だなと驚きつつ、心強い味方とともに働いていると感じながら仕事をしています。
 ここでは平成20年度から開始した三鷹市の退院促進事業の概要をご紹介するとともに、相談員として感じた今後の課題もお話しできたらと思いますので、よろしくお願いします。

 

三鷹市の現状

 三鷹市の現状をざっとご紹介します。三鷹市の特徴は、公営住宅が多いこと、大規模な精神科病院があり、1,200床にのぼるということがあげられます。また作業所やグループホームも数多くあります。
 生活保護の受給世帯数が約2,100世帯で、保護率は約15‰と全国平均を上回っております。三鷹市の生活保護受給者の中で、精神科の病院に概ね6ヶ月以上入院している方は、20年度初めの時点で約140名いました。その中で、三鷹市近郊の病院に入院されている方だけで70名くらいになります。

 

市で実施する退院促進事業

 退院促進には、従来から行われてきた病院や作業所、地域活動支援センターによる退院支援があります。東京都では都事業として退院促進支援事業を行っています。そして三鷹では、市の事業として精神科病院に長期入院している方々の退院促進事業を開始したわけです。

 

生活保護の退院促進事業

 三鷹市では、20年度はまず生活保護の受給者を対象として、近隣の3つの病院から始めていくことになりました。開始にあたり、生活福祉課の「精神プロジェクト」のメンバーにも相談しながら進めてきました。そのほか役所内外の関係者による退院促進の連絡会を開いて情報交換を行ったり、コンサルテーションを頂きながらやっています。
 方針として、できるだけ多くの長期入院の方々にお会いし、お話を聴いていく形でスタートしました。去年の5月、6月頃には、1~2ヶ月で約40名の面接をしました。
 生活保護で行う退院促進のメリットの1つに、リストが作りやすいということがあげられます。このメリットは活かしていこうということで、病院のソーシャルワーカーの方々にもいろいろとご協力頂きながら、入院中の方々に順番にお会いしました。
 同時に市内の各事業所、病院内の退院促進関連のプログラムの見学もお願いしました。どこに行っても、「見学させて下さい」と申し出ると快く受け入れて下さり、とても助かっています。

 

退院にならなのはなぜ?

 生活保護の場合、要否意見書というものがあるため、主治医の診断の概要は知ることができます。ただ、直近の状態や本人の希望・気持ちなどは直接会って話さないとよくわかりません。面会を重ねていくうちに、徐々にその方のことが見えてくるような気がします。
 中には人生の大部分の時間を病院で過ごし、院内の生活に順応しきっている方もあり、退院ということが本当に不安で怖いことなんだろうなと感じることもあります。でも、「これからもずっと病院で暮らしていくんですか?」とたずねると、「ずっといたい」という方はいないですね。
 一方、「早く退院したい」とはっきり言われる方もいますが、ご本人の希望に対してご家族が完全に拒否されていたり、退院はしたいが病状がなかなか落ち着かないという方もいらっしゃいます。退院に向けての困難も、本当に多様です。
 少しずつ関係ができていったかなというところで、「好きなこと」、「どんなことをしたいか」、「楽しみにしていることはなにか」などを聴いてみます。希望・目標についても聞くようにしています。そして「その希望を実現させるためには、今何ができるでしょう?」ということを一緒に考えてみたりします。こうした話をするときには、ほとんどの場合、表情が明るくなり笑顔が多く見られます。

 

退院促進事業の現状

 退院促進事業の状況ですが、今年度の対象者数は計16名。そのうち8名の方が退院されました。退院先はグループホーム1名、アパート3名、ケアホーム3名、養護老人ホーム1名です。
 退院後のフォローも退院先やその人の状態によって様々な形で行っています。「退院したけれども、1人でバスに乗って通院できない」という人もいます。最初はバスに一緒に乗って通院同行し、慣れてきた頃に「じゃもう1人で行けますね」ということで支援終了、というようなケースもあります。

 

事例:Aさんの場合
今後の課題

   支援してどんなことが見えてきたかという話ですが。昨年の秋退院した方ですが、週1回の通院以外は1人で自由に音楽を聴いて過ごしたいという方がいます。退院促進支援もその方の希望に沿って考えてきました。退院後に生活の満足度を尋ねたところ、退院前は100点中60点だったものが、退院直後は70点、そして数ヶ月たった今は80点とのことです。「残りの20点はどうしましょうか」と聞いたところ、「もっと自分でギターを弾けるようになったりとか、そういうことができたら100点に近づいていくかな」とのことでした。そんな形で生活を楽しんでいるようです。
 ただ、こういう形で1人暮らしをしている人の場合・・・それはご本人の希望ではありますが、作業所や支援センターに行っている方々がそこで日常得られているサポートが得られない状況ではあります。
 どんな工夫をしたら、こういう形で生活していきたいという人をサポートしていけるのか、ご本人が選ぶことでもありますが、安心して地域生活を継続していくためにはその辺が課題なのかなと思っています。
司会:  ありがとうございました。
 退院支援を進めた際にピアのサポートが非常に重要だというお話があったんですけれども、どのようにそういう方達にピアの支援を入れていくかという悩みが今後の課題になってくると思います。もしアドバイスだとか、今の実際の取り組みの中で気にしていることがありましたら、中本さん何か一言。

<ピアサポートの広げ方>

中本: 「ピアをつくる」というのはすごくおかしくて、ピアが活動できる場をどれだけ作れるか。
ピアっていうのは、私たちには友人であったり、仲間同士というところなので、そういうところを作業所などもそうだし、いっぱい工夫していくというような、種まきって言ったら変ですけれども、そういうことを日常からやっていって、それが繋がっていくようにしていった方がいいと思うんですね。だから、どれだけ専門職というか支援者側がつぶさないようにすることが大事かなって思っております。
田尾:  三鷹ではピアサポート事業というのがあって、ピアカウンセリング講座を開催して、そういう勉強をしたりしています。その先にどのように、今言っていた種から芽を吹かせていくのか、それをどう見つけたらいいのか。
 今の私たちがやっている退院促進事業の中では、ピア同士で助け合うっていうのは当たり前になっているのですね。例えば病院に入院している人がいたら迎えにいくだとか、そういう風土はある。そこから例えばピアサポーターみたいな形にしていくときの流れをどう考えたらいいのか、私が最近悩んでいることなので、お二人にご意見を聞かせて頂きたいと思います。
中本:  ピアとどのように連携しているかは先ほどパワーポイントに入れさせて頂きました。
 最初はですね、専門職、サポートする側はお世話になっていて、本当にありがとうございます、というところから始まるんですけれども、だんだん力をつけてくると、自分たちがやりたい、専門職は邪魔だという関係になるんですよね。それを経て、出てけと言われたこともありましたが、一緒に歩む中でまず一緒にやりましょうということをやらないと、本当にシステムなどを作ったりしてもできないんじゃないか。やはりやってもらって、失敗して、一緒に乗り越えようね、ということかなと思ったりはします。
 ピアサポートが最近もてはやされてきたときに、こちらでも事業をやろうって言われて、ピアカウンセリング、カウンセリングっていうと「相談」で専門職っぽい色があるから、それは嫌だなと思って。それでピアサポーター講座というのをやったんですね。ピアサポーターという仕事を増やすような形で。ピアサポートについて、当事者の方に信用して頂こうと思いました。当事者に信用してもらうだけでなくて、周りの支援する人たちが、ピアサポートとは何ぞやということをわかってなかったら、つぶしちゃうわけですよね。だからピアサポートをするときにすごく大事なのは、当事者の価値観の整理とともに、やっぱり支援者側の理解がとっても大事ですね。それを一緒にやりながら進めてきたのが良かったかなと思います。
 それでもう一つは、お金になる、ピアをお仕事としてやる場合のものと、それからそうじゃなくってお友達同士の、言ったらお金にならないというか、自分がやりたいからやるっていう、そこらへんでの支えあいから、やっぱり様々なレベルがないといけない。そのあたりのわからないところはありまして、私も勉強しましょうということで、先生のところに行ったり、いろんな話を聞きにいったり、その中でサポーターのプログラムをつくったというのは非常に良かったと思います。
岩上:  今おっしゃったことはとてもいいことだと思います。私たちの仕事っていうのは、こういう環境をつくることだと思っています。意識をどう共有できるかだと思います。
 平成15年にあるパネルディスカッションがあって、私は退院支援の話をしましたが、パネリストがのうちの1人は「大阪でピアヘルパーの講座をやりました」っていう報告だったのです。私は人の話を聞いて、それいいなと思ったことは全部やりたくなってしまうのですが。それで、埼玉県の東部地域でピアサポート研究会を有志で立ち上げました。自前で141時間の訪問介護員の研修をやりました。「やっぱり自分たちも輝きたい」、「障害を恥じない、自分たちには価値があるんだ」という感覚がこの地域には広まった。これが1つの大きな柱です。
 5年後にどうなったのかというと、もともと精神障害者に対するヘルパーの土壌ができていなかったこともあるので、ピアヘルパーとしての広がりはありません。でも、ピア意識が広がった。ですから、この事業に携わった事業所では、現在、精神障害者が職員として働いています。この間、私のところでも、退院支援の自立支援員もやっていただきました。
 皆さんもご苦労されたと思いますが、障害者自立支援法で精神障害者地域生活支援センターがなくなってしまうという時には、私のところでは、精神障害者の皆さんを短期バイトで6名ほど雇いました。当事者が活躍している支援センターなどを視察してもらって、「本人として活躍している」現場を学び、自分たちのセンターをどうするかを考えてもらいました。そういう試行錯誤をして、皆さんの中にもピア意識が急速に広がりました。これももう1つの大きな柱になりました。そして仕事にする人も出てきています。私のところでは「当事者としての力はもちろん発揮して下さい。そのうえで、社会で働く力がある人を採用します」という条件をつけています。今は2名の精神障害者が職員として働いています。
司会:  ありがとうございます。
 まずは風土っていうものが大切で、それに場をたくさん作ることで、それから広がっていく。仕組み、システムを作れば何でもいいのではなくて、逆に育ったものにシステムをつけていく、それが私たちワーカーの役割だということは、確かにそうだなと。皆さんが元気になったところをシステムにしていくというのは、とても理にかなったやり方だなと思いました。
 次にこちらから質問をしたいのですが、よろしいでしょうか。もともと岩上さんは「社会的入院は人権侵害だ」というテーマでいると思うのですけれども、そこでもう1つの「地域生活移行支援の課題」のところで、個別の退院支援の下の方に、「あらかじめ社会資源と退院を結びつけるのは『措置退院』!」という言葉があります。
 逆に巣立ち会では、どちらかというと通所施設と住居施設をきちっとそろえて、そしてそこに退院してもらう。あらかじめ結び付けていると思うので。何か「登る場所は一緒なんだけど、行こうとしている行き方が違うのかな」という印象を受けたのですが。

<退院促進支援の根本は何か?>

岩上:  それ聞いちゃいますか。ある意味巣立ち会への批判かな? でも、本当は巣立ち会の問題ではないのだけれど。私は、巣立ち会のシステマティックなやり方をとてもいいと思って見習っています。皆さんにも、是非自分の地域で活かせるところは活かしてほしいのです。だけど、私たちの悪いところは、一ついいところがあると絶対真似するか絶対やらないか。やらない人たちは「あそこは特別だから」って言ってしまう。歴史の中で、何々のとてもいい例とか、ぺてるの家もあるし、巣立ち会もあるけれど、「あそこの真似をして私たち上手くやっています」という例をあまり聞きません。そういう意味では、巣立ち会のやり方を自分の地域で活かして、巣立ち会がモデルという地域がどんどん広がればいいというのが私の願いの一つです。
 誤解の無いように言っておきます。私が言っている「措置退院」と巣立ち会とは違うと思います。巣立ち会は、何も無いところから、「この人たちを退院させたい」という強い思いがあって、そのために会を作ってきたのですよね。だから、ここに「退院できるであろう人」がいて「退院して欲しい」と思うスタッフがいて、効率的に進めていくためにシステムを作ってきたのだと思います。
 今の日本では、「この人を退院させたい」ということで退院促進支援事業があるのだけれど、「社会資源が無いのがいけない」と嘆いている専門職がいっぱいいることが問題だと思います。「社会資源は皆で作りましょう」というのは今までもあったし、私たちもやってきました。社会資源が無いために話がストップしている現場では、いつの間にかご本人の顔が見えなくなってしまっているのではないでしょうか。
 同じように、「あそこのグループホームが空いたから、この人退院できる」という発想だと、施設が空いたから入所できるという発想と同じです。その人たちを退院させたいという思いとちょっと違います。退院支援が進まない一つの理由は社会資源がないからと言われていますが、「どこどこが空きました、じゃあ退院できます」というのでは、ご本人の意思に関係ない「措置退院」に思えてしまうのです。
 あとは私の中ではいつも自責の念なのですけれども、自分のやっていることは正しいとは思っていない。まずいことがいっぱいあると思っています。私も必要なサービスはどんどんつくる方向に進めなくてはいけないと思っています。でも、もう一方ではそれがあったら不幸せっていうことも言い続けなくてはいけないと思っているのです。何て言うのかな、幸せになるためのあたりまえのサービスはまだ足りない、だけど、幸せっていうのは、自分自身、障害者自身でつくっていかなくてはならないものだと思います。その柱をまちがえてはいけないのだと思っているのです。
 それと、実は今までもサービスはあった。精神科病院があったし、社会復帰施設もあった。だけど社会的入院や働きたくても働けない精神障害者の存在がある。だとすると、やっぱりサービスだけあれば幸せが得られるっていうことではないと思います。そのあたりを言い続けないといけないなと思っているので、私の場合は「措置退院」という言葉を使っているのです。
田尾:  大切なことをどうもありがとうございます。
 私は、今のこの時期も大切だけど、本当に私の人生でこれはおかしいと思う時から始まっていますから、とにかく目の前にいる人たちだったんです、最初はね。でもそうこうしているうちに、一向に変わってないんですよ。35万人(精神科入院患者)は、あのときから全然変わってないです。当時33万か、もうちょっと多かったのかな。今上がったり下がったりですけれども。
 東京はもうちょっと少なく、万対22(床)ぐらいだったんです。今でこそ27くらいになって。だけど私がいろいろな病院に行くと、どこにもウジャウジャいるわけですよ。もう何て言うのかな、さっき体験発表された横山さんだって、はじめて会った瞬間、「何で入院しているのかな、しかも10年も」という感じだったわけです。それを退院させるのに1年かかっているんですよ。
 そういう状況が至るところにあって、私としてはとにかく、コストパフォーマンス良くクオリティ良くなるべく多くの人たちに、少なくとも私の目に触れた人たちは、軒並み地域に出てもらいたいという思いがものすごくあるわけです。効率よく結果を導きだすにはどうしたらいいのかなって考えて、苦肉の策ではあるんです、通ってもらうというのは。一対一で1人1人のところに出かけていくのは、職員の数も必要だし時間もかかる。それに比べると来てもらう方が関係作りには時間が少なくてすむというような、そういう姑息な計算があるんですよね。
 もう一方で、病院にいたころと今と、全然見る目が違う。その当時に退院は難しいかなと思っていた人も、その基準のいい加減だったこと、そんな基準なんていうのは全くの間違いだったという現状があるわけです。そういう意味でも私自身が変わってきている。ある程度人との関係ができてきたら、退院したら作業所に通わないだろうなと思いながら、退院したら薬飲まないだろうなと思いながら、それは良しという形で退院にしていますので。中身は少しずつ変わってきていて、今はその通わないっていう人たちに対してどういう支援ができるのかということも、考え始めています。
 ただ30人の職員がいて、その人たちに日夜、医療機関などにも「何でもお伺いします、おっしゃる通りです」と言っていかなければいけないわけですから、そういう労力というかやりくりが、10年以上の経験者が4人しかいないんですね。あとは、5年から10年が4人くらいで、あとはみんなそれ以下なんですよ。そういう職員集団でいかにたくさんの人に、早く地域に出てもらうかということです。
岩上:  私が思うのは、この(パワーポイントの)図だけ見ても、本当にしっかりできています。
 それに巣立ち会の職員さんの話を聞いていると、いつもきちんとまとめていて、とてもいいなと思います。だけど、その時に、「この人たちを絶対退院させたいんだ」という思いが伝わるかどうかが重要だと思うのです。インパクトっていうのかな。田尾さんには「自分が関わっている人は全員退院させたい」という思いがあるということを、あちこちから聞くわけですが、その思いを巣立ち会の退院促進支援事業のこの図や職員の皆さんの説明にも加えたらいかがでしょうか。
中本:  本当にこの人を退院させたいなという思いから、いろいろなことが始まるんですよ。
 ただ、こういう事業になってくると、行政の担当者が何かやらなければならないとか、障害福祉計画とかも、目標で何人退院させないとあかんからグループホーム、いくつ住むところを確保する、という計画をしていたのではないかとは思いました。
 田尾さんは、やっぱり本当は日本全国全部退院させたいと思っていると思うんですね。
 でもそんなことは現実的に無理やから、自分のところの市でこんなふうにやりましょうというときに、やっぱり誰のためのものか。
 ある支援員さんが言いはりましたが、「入院するときも退院するときも話を聞いてくれへん、聞いてほしいよな」という意見は、大事にしないとと思いますね。
司会:  ありがとうございます。
 やっぱり「この人は退院させたい」という思いがベースに無いと、いくらシステムを作っても上手く回らないというのが3人の共通された意見だったと思うのですけど、一方で7万2千人という数字が出ているわけですね。
 コストパフォーマンスをきちっとして、効率のいい退院支援をしていかなければならないということだと思いますが、地域移行支援と一言で言ったとき、皆さんの持っているイメージ、何を持って地域移行支援が成功したか、上手くいったかというイメージは、その人その人でいろいろだと思うのですね。皆さんの持っていらっしゃる地域移行支援の、これができたら成功なんじゃないかな、これを大切にしている、という支援のポイントみたいなものがもしあれば、お聞かせ願えればと思うのですが。

<価値や意識の変化>

中本:  私も昔は病院に勤めている経験がありました。やっぱり何もできなかったという思いがあった。それで「価値を変えていきたい」という活動ができたんだけれども、「自分たちがどう生きたいのかを実現するような社会になっていく」のが目標であって、まだまだ難しいなって思っています。
 一つはピアがキーワードになりました。市で退促をしようとなって、支援センター3か所におりてきたわけなんですけど、うちの支援センター以外の2つの支援センターは、救急もやっている病院の支援センターから退促を受ける。それで自分のところの患者さんの退促をするわけです。それってどういうことか、でもそこでちょっと大人になって賢くなってきましたので、どうにかしようねということで連絡会を作り、そこに大学の先生に入って頂きまして、一緒にその意味を考えました。そこで、その支援センターがおかれた役割の違いとかはあるけれども、優先順位として何をするかっていうことを考えたときに、それぞれが違うというところで、うちはピアサポートをやりたいと。
 それでお互い協力して出し合って、自分のとこだけやるんじゃなくて、それを使って頂くというか、それとメンバー同士向上していくということをやっていきましたら、他の病院系の支援センターにもピアがいっぱいできて。でも本家本元の最初にピアをやってはったとこの、ピアの支援員さんで力がある人にいろいろな仕事が集中してきてしまって、やっぱりその人がつぶれてしまうということがあって。結局倒れられるか、それか力があるから他の健常者の仕事に行ったら、ということがあったんですけれど。
司会: ありがとうございます。中本さんが退院支援をしていて、どういうことが実現したとき、この支援は上手くいったなと思われますか?
中本: やっぱり利用者の方が「良かった」と言って下さることだと思うんですけどね。
 あとは、28年間入院されていた方が退院されたんですけど、家族の方が、「退院してくるんだったら絶対面倒は見ない」とおっしゃっていたんです。でも家族の方に支援センターに来てもらって、「現在はこんなふうに変わってるんですよ」みたいな話をすることによって、その家族の方が変わって下さった。その妹さんですけど、お兄さんが調子悪いことの印象しか無くて、「帰ってきたら殴られるんじゃないか」だったけれども、全然そうじゃなくて、「お兄さんを見直した」という。家族関係が回復されて、一緒に住んでいるわけじゃなくて一人暮らしをされているわけですが、「兄妹で水入らずの鍋をやった」とか言うことを聞くとですね、良かったなと思っています。
司会:  ありがとうございます。何かが変わる、価値要因だとかがいろいろと変わるということを大切にされているのかなと思いました。他の方はどうでしょうか。
岩上:  本当に良かったなって思うことは、実感としてはあまりありません。さっき皆さんにもご紹介した人が、絵を描いて嬉しそうに見せてくれた時は、「良かったな、この人は、本当に絵を描きたかったんだ」というのはあるのですが。だけど、やっぱりまだまだ、彼らは、自分の本当の希望とか夢をしまっていて、それに対して私たちは何もできていないと思うことが多いかな。率直な感想としては。
 だけど、以前と比べてという話になれば、病院にいた時よりも良かったと皆さん言います。でも、精神障害者、社会的入院から退院した人たちは、もう少し良い思いができるんじゃないかな思っています。
 でも、ずいぶん時代は変わってきているので、そういう私の意識もどんどん変わっています。私は、5年前、「力のある人は、精神障害者として、精神障害者であることもちゃんと言いながら活躍してください。そして、精神障害者が活躍できるということを地域のいろいろな人たちに知ってもらってください。それがあたりまえになれば、新たな精神障害者の人たちにとっても、暮らしやすい地域になっていくと思います」と話していました。でも、去年、今年は、「私の地域では、精神障害者が活躍するのはあたりまえで、以前よりは、みんな少しは暮らしやすくなってきているんじゃないのかな」という印象をもつようになりました。
司会:  ありがとうございます。
 ここで、質問用紙への回答へ移らせて頂きたいと思います。「地域で精神障害者を支えるために、地域の施設として、医療機関に求めていることはどのようなことがありますか」ということですけれども、みなさん一言ずつ何かあれば。

<医療に望むこと>

田尾:  さっきも言いましたけれども、病院の中と外では、全く見えるものが違ってきているんですよね。その時に見ていたものが、がらがらと崩れ落ちるような感じで。病院の職員が「患者さん」という意識で見ている、理解しているというものと全く別の側面があり、もしくはその人が変わっていく可能性、能力、力、それに夢だとか希望だとか自分の自己実現につながると思う時ですよ、人は見違えるように変わっていくという。
 その変化していく可能性に対して、ちょっと(病院は)閉ざされていると感じるのですね。
 それを、「閉ざされてるぞ」と言ってもわからないので、そういう可能性があるかもしれないとまず思って頂いて、自分が難しいかなと思っても相談してみるとか、やらせてみるだとか。
 自分の中で基準を作らずに、チャレンジできる機会を作っていくというのが、病院の支援者の仕事だと思いますし、もうちょっと相談室のPSW に頑張ってほしいという感じはあります。他の職種の方が目立っているような状況が、最近ちらちらとありますので。
中本:  建前と本音があるので、どういうふうに言ったらいいかと思うんですけど。基本的には、病院がなくなってほしいと思っております(笑)。
 医療の専門職として、「どういう医療がいいか」を広めて頂きたいと思うんですね。
 本当に必要な時に必要な医療を、当事者や家族がその医療は何なのかということを、お客様は当事者の方なんですから、お客様のニーズに合わせた医療をやってほしいなと思います。
 病院はお客さんになって頂いて、職員研修にどんどん当事者の声を聞いてほしいなと。
 やっぱり当事者としての利用者から見たスタッフの善し悪しみたいなところですね。
 「この人たちあかんで、こんなことやってたらあかんで」みたいなことが、やっぱり利用する側から言われるとすごくシビアというか、大変ですね。そういう、医療教育に当事者の方の意見を活かしてもらうようなシステムを作りたいなと思っています。
 あと、大阪ではオンブスマン制度というのがあり、そこに当事者の方々がいっぱい入っています。ここの病院のカーテンが無いとか、トイレが臭いとか、そういうことを言っていくシステムを作っていくのが大事かなと思っています。そういうのができてくると、「病院が」「地域が」ではなくなってきて、お互いにやっていく仲間として、システムを作っていけたらいいなと思っています。「病院と地域」という区分けは、これからは無いのかなという気はしております。
岩上:  「精神科医に人生を決めてもらうのはやめたらどうかな」というのが、私がずっと思っていることです。精神障害者自身が人生の転機になると、医者に相談して、医者も「仕事を休んだらどう?」なんて言ったりする。人生の問題を医者と話して決める。さっき言ったように、「これは俺の範疇じゃないよ」って医者が言ってくれるといい。それは我々精神保健福祉士であろうが看護師であろうが、問われていることなんですよね。
 医療に期待することは大きいのだけれども、デイケアも私の言うところの社会的入院と同じような状況になっているところがたくさんあります。やっぱり健康教育などもうまく取り入れて欲しい。そういうデイケアを利用した上で障害福祉サービス事業を利用してもらえば、働ける人ももっと増えると思います。私のところの就労移行支援で栄養指導や余暇活動の支援をやっているようではだめなんです。
 それとできれば、ソーシャルワーカーにお願いですが、外来の患者さんや入院している人の支援をどうしようかというときには、今までだったら自分でできちゃうことでも、地域の相談支援事業所を上手に使って頂きたいと思います。地域の相談支援事業所がコーディネートとなり、障害者ご本人も含めて「これからどうしていこうか」というケア会議を開きます。そのうえで「地域で暮らすあなたの生活プランをあなたと一緒につくります」ということをあたりまえにしていただきたい。このことは、社会的入院の退院支援でもそうですし、入退院を繰り返している人への支援でもそうです。医療機関の皆さんには、戦略的に相談支援事業所を活用していただきたいと思います。
田尾:  私自身がいろいろな病院に行っての感想なんですが、医療機関の方も、お医者さんも含めて、いろいろな資源を見学される機会も増えていくといいのかなと思います。
 三鷹では「作業所見学ツアー」もやっているので、それぞれ利用したりして、どんどん地域での皆さんの様子を見る機会を持ってもらえれば。
 もう一つ、すごく細かいところですが、薬の出し方を地域での生活を想定して、形ですとか、飲むタイミングとかを考えて出して下さると、大変助かるのかなということも付け加えておきます。

<質疑応答>

司会:  ありがとうございました。
 続いての質問用紙、巣立ち会の作業所での作業について、内容だとか、作業工賃について教えて下さいというご質問が来ていますので、簡単に横山さんに。
横山: ダイレクトメールとか、マンション清掃、紙製品の組み立てなどです。工賃については 一日500円で、プラス交通費と年1回のボーナスです。
司会: 他に質問用紙は。
田尾:  「24時間いつでも連絡が取れる先があるとのことですが、その方法を教えて下さい」 とのご質問です。これは私の携帯です。全部私の携帯を教えています。大家さんにも。
 「その上で問題課題はありませんか?」とのことですが、「用事があるときだけかけて下さい」と言ってあって、夕方寂しいときの悩み相談は受けないですから。
 この間の休日の朝に連絡があったのは、退院してすぐにいなくなってしまった人がいて、その人が自分のアパートの他人の部屋のドアを壊して、今警察に保護されているという連絡を、アパートの大家さんからもらいました。私は北海道にいたのですが、近くの職員に連絡して記録を持って警察へ行ってもらい、同時に病院に連絡を取って確認し、入院させてもらいました。そんなことがたまにあります。年に1回や2回ぐらい。
中本:  「ピアヘルパーやピア地域支援員の時給はどのようになっていますか」と書いてあります。まずピアヘルパーと言いましても、他のヘルパーさんと同じ時給でやって頂いていますね。それとピア支援員さんも、同じお給料を払います。実際は、復帰協からまず支援員さんに来てもらうんですけれども、いろいろな場合がありますね。まず病院に行く交通費。それと支援をして帰っていって、また支援センターに戻ってきます。その交通費と、その時間が全部お仕事になりますので、その時給が支援員さんに支払われることになります。
岩上:  私には、「入退院を繰り返す人への支援についてもう少し具体的に教えて下さい」ということです。入退院を繰り返す理由は人によって違います。不調を訴えて、主治医から「しばらく入院しましょう」と言われて簡単に入院する人たちがいます。私はこういう人たちには「このパターンはもう止めましょう」と普段から言っています。ですから、いざ主治医から「入院しましょう」と言われた段階で、「岩上から入院はするなって言われているのでできません」と主治医に言うんですね。そうすると主治医から私に電話がかかってきます。私の方からは、「先生、病気が悪いのですか、悩みごとの延長じゃないんですか」と言ったこともありました。まあ、2回目からは「今回は自分で解決してください」とご本人に伝えていますが。
 今、入院していて退院後どうやって生活しようかっていう人については、それこそ巣立ち会方式ですけれども、入院中から活動センターに通ってもらって退院して頂くということをしています。その人によって入院を繰り返すパターンというのがあるので、ご飯をきちんと食べられるようになるだけで入院しなくてすむ人もいます。そういう人にはヘルパーに入って頂いています。
 ひきこもっている精神障害者の方には、支援するチームを作っています。これは川崎のあやめ会という家族会が10年来やっているのですけれども、これがモデルです。あやめ会では専門職が訪問するのではなくて、大学生などが訪問しています。音大生が訪問して一緒にピアノを弾いて歌を唄って帰ってくるということもあります。今までの専門職が考えそうになかった訪問活動をしています。社会科見学もあって、毎月、はがきが届いて、「今月の社会科見学はNHK ですとかキリンビールです」とか書いてあって、「駅の改札口でA4の封筒を持っているボランティアの人が目印です」なんて書いてあるのです。これは、私はとても刺激的だったんです。
 私のところでは、ひきこもっていた体験者がピアサポーターとして、訪問活動をしています。どうしても、こちらが手を出したくなるのだけれども、そこを我慢していると、ひきこもっている人たちが自分でメニューを考えてくれるようになってきます。人生を漠然とした不安のなかで生きてきた人たちが、私たちと会うということを1つのきっかけとして、何をしようかって考えるようになる。やっぱり、ここでも、精神障害者がピアとして活躍できると思っています。
司会:  ありがとうございます。
 次にピアスタッフの方たちに質問ですけども、ピアスタッフの研修はあるんでしょうか。ピアスタッフとして継続して働いていくためにどんなことをされていますか?
小林:  ピアスタッフとしまして育成プログラムでピアスタッフになったわけですけども、まずヘルパーとして働けるように、もともとヘルパーをしていましたので、ぜひともやってくれないかとのお願いがありまして、私はスタッフになったんです。他の先生から今のところ講習はないです。これからぜひ作って頂きたいと思います。
司会: ピアスタッフとして継続して働いていくときの工夫はありませんか?
小林:  ヘルパーとしても言われたんですけれども、「頑張り過ぎんといて」って。長く続けるためには無理をしないことが一番なので、いつも「もっと手抜いて、もっと手抜いて」と。
 あんまり私が頑張りすぎると、「やらんでもかまへんよ」ってよく言われております。
司会:  ありがとうございます。
 最後の質問です。退院して地域に出て暮らすには様々な支援が必要です。でもサービスを増やし続ければ、何のための地域生活かわからない。どうすれば良いと思いますか?
岩上:  一つの例ですが、ヘルパーを使っている人がいるのですけれど、最初は食事のお手伝いをして頂くということで週5日、1日30分とか1時間入ってもらっていました。その結果、その人は半年後には週3日に減らしたのです。そうしたら、他のヘルパー利用者が、「あの人のように半年後には、週3日に減らしたいんだけれど」と言ってきたのです。そういう環境が大切だと思います。サービスとして必要なものはたくさんあるわけですが、それを上手く使って、それで自分の目標を達成していく。そういう人が周りにたくさんいると、新たな人はそれが当たり前になります。あまり何も考えないでというと語弊がありますが、あたりまえのように目標のためにサービスを使うようになるのです。
 だから、私の仕事はさっき言ったように、その人が目標を叶えるための環境を整えることです。その環境の中でご本人が自分の力で頑張ってほしいと思います。頑張り過ぎてはいけないのでしょうが、いざというときに頑張れないと、目標は達成できません。ですから、いざというときは頑張って頂く。そのための環境ができていれば、すごく心地良いわけですよね。それがケアマネジメントだと思います。
司会:  ありがとうございます。
 紙面で頂いた質問は以上ですけれども、もしよろしければ会場からご意見やご質問を、どなたか何かございませんか。
女性:  小泉さんのレジュメにもありますけれども、高齢化への対応を課題として挙げられていらっしゃいました。皆様方どのようにお考えなのか、ご意見を伺いたいのですが
中本:  別に高齢化がどうとかではなくて、やっぱり一緒に生きていく中でいろいろなことがあり、その中に高齢化もある。例えば家族の方はすごい高齢です。だから当事者が、自分の親の介護者に頼っているわけですよ。だからそれはトータルで考えないとあかんなというのがありまして、だから精神障害の問題だけではなくて、様々なところと連携して一緒に考えていくようなことを、これから学んでいこうと思っています。障害が重なっておられる方であったりとか、ゆくゆくはご家族のヘルパーもということで、介護保険対応の事業になったりということですね。私のところの事業はやっぱり建て増しで、またどこかで整理せなあかんのかなと思いますけど。
小泉:  退院促進の中で2名の方が1月に退院されたんですが、これはケアホームが三鷹に去年でき、それでそういう施設だったら退院できるということで退院できたということもありました。24時間支援する人がいて食事も1日2食出てくる、そういうサービスがある施設も除々に出てくると、高齢化への対応としての手かなと。増えるといいなと思っています。
司会:  ありがとうございました。
 様々な意見が出まして、打ち合わせの6割7割のお話しか聞かせることはできませんでした。すみませんでした。
 このテーマの難しさは何かというと、正解はないと言いますか、今日お話しされた方々、それぞれの支援を使って皆さん幸せそうに退院されるというのは、どの支援も正しいということなんですね。
 今日のキーワードではないんですけれども、なんで成功しているかというと、「この人を退院させよう」という仕組みを皆さんが作られているということだと思います。この仕組みづくりを一つでも多くしていくのが、私たちの仕事なのかなと思っています。
 今日は本当に長い時間ありがとうございました。(拍手)

(抄録集 了)

平成20年度障害者保健福祉推進事業
障害者自立支援調査研究プロジェクト
精神障害者の地域生活移行及び定着支援推進事業

シンポジウム「精神障害者の地域生活支援
~この街で暮らしたい~精神障害者を地域で支えるためには」
講演抄録集

平成21年3月発行
編集・発行 社会福祉法人 巣立ち会
東京都三鷹市野崎2-6-6
TEL 0422-34-2761
FAX 0422-34-2761
http://sudachikai.eco.to/
印刷・製本 社会福祉法人新樹会 創造印刷
menu