1 事業目的

1-1 臨床心理学における既存のアセスメントの分類

 現在の臨床系心理学におけるアセスメントは、大きく次の3つに分けられる。1)人間の「心」を対象にする狭義の臨床心理学的アセスメント、2)人間の「行動」を対象にする行動心理学的アセスメント、そして3)人間の「脳機能」を対象にする神経心理学的アセスメントである。
1)臨床心理学的アセスメント
 臨床心理学的アセスメントは人間の「心」を対象にして、「心」を比較的に全体として理解する。臨床心理学的アセスメントでは、面接以外に、「心」の状態や特性を理解する手段として、標準化された心理検査を利用する。「心」の示す発達、知能、性格・人格などの現象や特性を定量的に測定して、対象者を検査が想定する母集団の特定の場所に位置づける。具体的は、対象者の検査得点(発達指数や知能指数など)を母集団の標準値(平均値や中央値などの代表値)と比較する。つまり臨床心理学的アセスメントは、対象者を相対的に比較する個人間比較(対象者個人と平均値との比較)に基づくアセスメントである。代表的な検査は、発達検査、知能検査、性格・人格検査などがある。
2)行動心理学的アセスメント
 行動心理学的アセスメントは、人間の「行動」を環境との関係で理解する。特定の標的「行動」の観察から、「行動」を引き起こす先行刺激、「行動」の生起、そして「行動」を維持する強化刺激の3 項間の関係を明確にする(行動分析)。行動心理学的アセスメントは、日常の具体的な特定の「行動」を対象にするために、アセスメント対象を客観化(生起頻度の記録など)でき、また具体的な対応を策定できる利点がある。反面、具体的な「行動」のみを対象にしたとき、問題の原因の解明や根本的な対策が立てづらく、対症療法的な対応になりやすい。
3)神経心理学的アセスメント
 神経心理学的アセスメントは、「心」や「行動」を脳との関係から「脳機能(高次脳機能)」としてとらえ、「心」や「行動」を構成する「脳機能」を分析的に理解する。たとえば感覚、運動、注意、認知、記憶、遂行機能、感情、意欲などは脳の構造との関係から分けられた要素的な機能である。これらは脳損傷後の障害(神経心理学的症状)の分析から抽出されたものであり、いわば、脳という実態に密接に対応した「心」や「行動」の構成要素といえる。対象者の「心」や「行動」の構成要素に関するプロフィール(健常機能と障害機能の明確化)を確認するという点で、神経心理学的アセスメントは、個人内比較(対象者の各心理機能の比較)を基本にする定性的な性質を持つ。このために対象者の状態にあわせて、検査課題を適宜にオーダー・メードで組み立ててアセスメントする。その際、定量的な心理検査も利用する。神経心理学的リハビリテーションあるいは認知リハビリテーションは、このアセスメントに対応した治療介入である。

 これらのアセスメントは、相互に補完的な関係にある。「心」の状態は「脳機能」や「行動」に影響を与える。検査課題への取り組み態度や動機付けや気分状態などの「心」の状態は検査結果に影響する。一方、評価者が観察する「心」や「脳機能」の状態は、検査場面で現れる「行動」でもある。評価者の言葉かけや態度や表情、また課題の達成状態などが対象者の「行動」に先行したり随伴したりして、先行刺激や強化刺激となり、「心」や「脳機能」の現れ方に影響する。そして、人間が生物である以上、「脳機能」は「心」や「行動」を支える基盤である。対象者の「心」を面接や検査によってアセスメントするには、言語や注意や記憶などの「脳機能」が要求される。同様に、「行動」の生起や維持に関係する先行刺激や強化刺激の感受と処理、また「行動」という表出には「脳機能」が必要になる。

 

1-2 神経心理学的アセスメント:個別的機能(能力)の確認

 心理学的アセスメントの目的の一つは、対象者のさまざまな機能(能力)の健常性と障害性の解明、すなわち機能(能力)状態のプロフィールの明確化にある。これには特定の機能(能力)に選択的に負荷をかけるアセスメントが必要になる。この目的のためには、神経心理学的アセスメントが最適といえる。
 神経心理学的アセスメントは、以下のように分類され、対象者の状態や検査目的によってこれらを適宜に使い分ける。
 a)伝統的に使用されてきた臨床的な課題によるアセスメント
 b)障害の本態を詳細に解明するために特別に工夫された実験的な課題によるアセスメント
 c)標準化された汎用的な課題によるアセスメントに分けられる。
 機能(能力)別のアセスメントの項目と、成人および小児用の代表的な標準化された検査には、以下のようなものが存在している。
1) 言語
 標準失語症検査(SLTA)、WAB 失語症検査日本版、実用コミュニケーション能力検査(CADL)、ITPA 言語学習能力診断検査、PVT 絵画語い発達検査
2) 知覚・認知
 標準高次視知覚検査(VPTA)、フロスティッグ視知覚発達検査、BIT 行動性無視検査、ベンダーゲシュタルトテスト。
3) 動作・行為
 標準高次動作性検査(SPTA)、随意運動発達検査、コース立方体組み合わせテスト。
4) 記憶
 三宅式記銘力検査、ベントン視覚記銘検査、レイ複雑図形検査、ウェクスラー記憶検査改訂版(WMS-R)、リバーミード行動記憶検査(RBMT)。
5) 注意
 数唱課題(容量性注意)、末梢課題(選択性注意)、TrailMaking Test(転換性注意)、等速(連続)打叩課題(持続性注意)、PacedAuditory SerialAddition Test(配分性注意)。
6) 前頭葉機能
 語や図形の流暢性課題(流暢性)、Wisconsin カード分類テスト(概念形成と概念転換)、Stroopテスト(反応抑制)、ハノイの塔課題(遂行機能)、Tinkertoy Test(遂行機能)、遂行機能障害症候群の行動評価(BADS)。

 

1-3 神経心理学的アセスメント:全般的機能(能力)の確認

 対象者の個別的機能(能力)の全般的な状態(統合・総合性)の確認は、現実の生活能力や適応性の推定に必要である。全般的機能(能力)状態や適応性を確かめるために、知能、感情・意欲、そして性格・人格などの臨床心理学的な領域の検査によってアセスメントされている。そのような検査には以下のようなものが存在している。
1) 知能
 スクリーニング検査:長谷川式簡易知的機能評価スケール改訂版(HDS-R)、ミニ・メンタルテスト(MMSE)、レーブン色彩マトリックス検査、コース立方体組み合わせテスト。
 総合検査:ウェクスラー式成人知能検査成人用のWAIS-Ⅲ、児童用のWISC-Ⅲ、幼児用のWPPSI、田中ビネー知能検査V、K-ABC 心理教育アセスメントバッテリー。
2) 感情・意欲
 全般的な検査:POMS、CMI 健康調査票
 特殊な検査:SDS 自己評価式抑うつ尺度、ハミルトンうつ病評価尺度、ベック抑うつ質問票、MAS 不安尺度、STAI 状態・特性不安検査、P-F スタディー。
3) 性格・人格
 質問紙法検査:矢田部・ギルフォード性格検査(YG)、ミネソタ式他面人格目録(MMPI)、モーズレイ性格検査(MPI)。
 投影法検査:ロールシャッハ・テスト、絵画統覚検査、P-F スタディー、バウムテスト、人物画テスト。
 作業検査:内田・クレペリン精神作業検査

 

1-4 問題意識

 このように、既存のアセスメントツールは多種存在するものの、発達障害児(者)の状態を的確かつ客観的に把握するには、どれも臨床的に十分なものとは言い難い。現在標準化され多く用いられている知能検査や発達検査は、専門家以外が実施するのは困難である上に時間を要するものが多い。また、これらの検査でとらえられるのは比較的“全体的な能力”であり、発達の偏りがみられる発達障害児(者)にとっては得られる情報が少ないために、その結果から具体的な支援の方法を策定しづらい。また、発達障害の診断は行動特徴に基づいており、治療・教育は“対症療法”的にならざるを得ない。
 現在、教育・福祉・医療等の現場では、発達障害への有効な対応方法とその効果の評価法の確立が強く求められている。そのためには、対象者の正確な理解、すなわち神経心理学的知見に基づいた高次脳機能(言語、認知、行為、感情、意欲、行動等)に関するプロフィールの確認、そしてそれに基づく適切な対応が不可欠である。高次脳機能の特徴(強みの領域と弱みの領域)を明らかにすることによって、各高次脳機能の獲得や代償を促す“原因療法”的な治療・教育が可能になる。また、具体的な治療・教育法を策定することが可能になると考えられる。つまり、発達障害児(者)への対応に際しては、高次脳機能の発達状態の確認、つまり発達心理学的視点からのアセスメントが欠かせないのである。

 

1-5 事業実施目的

 以上のような問題意識から、本事業は、発達障害児(者)を対象とした脳科学の知見に基づいた認知機能および行動評定尺度の開発を目的とする。その際、以下のような条件を満たす尺度の開発を目指す。
1) 実施方法が容易であり、専門家以外でも簡単な訓練で実施可能である。
2) 実施に時間がかからず、回答者の実質的、心理的負担が小さい。
3) 保護者に実施場面を見てもらい、共に確認理解することが可能である。
4) 心理機能のプロフィールの把握が可能である。
5) 結果から具体的な支援策の策定が可能である。
6) 高い妥当性を備えている。
 ただし、本事業が目指す尺度は、診断を目的とするものではない。一人一人が現在持っている能力を評価し、個々への最適な対応方法や能力向上の方策を得るためのものである。

 

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