第3章 専門職の自発的な取り組みとしての地域生活支援

 この章では、精神障がいを持つ者の地域生活を支える1つの取り組みとして、山口県周南市の事例を紹介してみたい。それは、商店街の一角にある軽食と喫茶の店「ふくふく」である。地域で暮らす精神障がい者が気軽に立ち寄る場として、あるいは働くことを学ぶ場として、地域住民との交流を促進し、地域で暮らし続けることを支えている。
 喫茶店という取り組みそのものは、これまで紹介していた事例を含め全国各地に類似の事例が存在する。しかし、それらの事例と「ふくふく」との最大の違いは、活動を支える仕組みにある。そもそも「ふくふく」とは、精神障がい者の地域生活を考える有志の集まりで、法人格を持っているわけではない。地縁組織でもない。「ふくふく」を支えるのは、いわゆる福祉の専門職の個人的な行為である。彼らは、それぞれ異なる法人に所属しながら、自分たちの時間を利用し、無償のボランティアとして働いている。専門職個人の自発的な取り組みが、地域住民と協働して運営しているのが「ふくふく」である。それが一時的なイベントとしてではなく、恒常的な店舗として成立している点が、「ふくふく」の最大の特徴である。
本章では、これまであまり紹介されることのなかった面も含めて、「ふくふく」を多面的に読み解いてみたい。

 

1.「ふくふく」の活動実態

 まずは、「ふくふく」の活動実態について、概説しておきたい。「ふくふく」とは、任意団体である「周南精神障がい者の地域生活を支える会」の名称でもあり、その団体を母体として運営しているコミュニティ施設の名称でもある。
 「周南障がい者の生活を支える会ふくふく」は、2004年に精神医療保健福祉に携わる専門職が集う任意の団体として発足した。この会は「障がい者が住みやすい街づくりは誰もが住みやすい街につながる」という理念のもと、地域住民に対して、精神障害に対する理解を深めるための啓発活動を積極的に行うとともに、誰もが安心して暮らせる街づくりを実践することを目的として、中心市街地における拠点づくりに力点を置いてきた。具体的な活動としては、①精神障がい者支援としての生活支援・就労支援・相談・日中活動支援(居場所づくり)、②心の健康への支援としての職場・学校でのこころの健康問題への取り組み、③啓発活動としての講演会(ミニ講演会も含む)の実施や交流の場の提供、④イベントや交流会等の企画・運営、⑤趣味の会の企画運営、⑥コミュニティ施設の運営等である。
 一方、「コミュニティ施設ふくふく」とは、JR徳山駅近くの商店街の空き店舗を活用した軽食と喫茶の店のことで、2004年10月30日にオープンした。「支える会 ふくふく」が精神保健家族会、社会福祉協議会等の協力を得て運営している(以下、「ふくふく」とだけ表現する場合には、「コミュニティ施設ふくふく」を意味する)。「ふくふく」が位置するのは、山口県周南市平和通り。商店街の入口となっているスクランブル交差点のすぐそばにある小さなビルの1階と、立地条件はいい。畳敷きのくつろいだ雰囲気で、床に座る席といすの席とがある。メニューは550円の日替わりランチを中心に、ピラフやカレーといった定番メニューがある。その場で調理するものもあれば、あらかじめ作っておいて温めているものもあるが、いずれも手作りで家庭的だという評判が高い。
 「ふくふく」には常勤のスタッフはいない。すべてのスタッフは、ボランティアである。
 「支える会ふくふく」の会員である周南圏域の医療保健福祉施設に勤務する専門職を中心とした有志で、仕事の傍らに無償で働いている。また、「ふくふく」の活動に賛同し、あるいは、企業の新人研修の一貫として、ボランティアに参加する者の数も、年々増え続けている。また、「ふくふく」は精神障害者社会適応訓練事業を受託しており、現在は2名の訓練生が働いている。その他に、精神に障がいを持つ1名がボランティアとして働いている。
 「ふくふく」は、開設から2年間は「中心市街地活性化事業」として、国と山口県、周南市の補助金を受けていたが、それ以降は店の売上と会員の会費だけで運営されている。開設当初は週3日の営業であったものを現在は週5日まで増やし、利用者、売上高ともには年々増加している。また、お弁当の販売や啓発のための講演会の開催、イベントの企画といった様々な取り組みを精力的にこなしている。

 

  H16 年度 H17年度 H18年度 H19年度 H20年度
利用者数 885 名 1,548 名 2,654 名 2,748 名 3,018 名
ボランティア人数
専門職
(定期)
一般
(不定期)
 

8名

0名

 

8名

6名

 

9名

12名

 

9名

14名

 

9名

16名

売上金額 389,100 円 1,130,930 円 1,448,233 円 1,424,826 円 1,945,056 円

 

2.開拓者が語る「ふくふく」の存在と意味

「ふくふく」は、精神科病院に勤務していた 1 人の看護師 東 美奈子氏の発想から生まれた。当時、精神科病院に設置された地域生活支援センターに勤務していた東氏は、日々の支援のなかで出会う1 人1 人のニーズに向き合いながら、1 つの法人だけで地域生活を支えることの限界に直面し、「地域のなかで何かをやりたい」という気持ちが次第に高まっていったという。勤務していた病院が決して地域生活支援に立ち遅れていたわけではない。むしろ、精神障がい者の地域移行が政策として示される以前から、先駆的な取り組みを多く手掛けている病院であった。だからこそ、1 法人の枠組みで支えることの限界を当時から感じ取っていたともいえる。
最初に紹介するのは、東氏自身が「ふくふく」の誕生から現在に至るまでの経緯とその想いを著したレポートである。


ふくふく外観

 

レポート

コミュニティ施設「ふくふく」に込めた想い   

東 美奈子

 

1.任意団体としての「ふくふく」の誕生

 そもそも「ふくふく」は、精神障がい者の地域生活を支えることを目的とした、任意団体としてスタートする。そのきっかけとなったのが、2002 年夏、周南圏域の精神障がい者の交流を目的として、健康福祉センター主催で行われた海水浴であった。
 当時、地域生活支援センターで勤務していた私は、関係各所との顔合わせも兼ねて、その海水浴に参加した。以前より、地域の中で何かやりたいと思っていた私は、スーパーバイザーから「ひとりでは出来ないから、一緒に始める仲間が必要だ」と言われていたので、その海水浴で同じ思いの人を探そうとも思っていた。そして何気なく、ひとりの人に「周南の街中で何かできることはないですかね」とつぶやいた。今でもなぜあの時にそんな話になったのかは定かではない。しかし、“何かしたい”という漠然としてはいたが、強い思いがあったことは言うまでもない。それが始まりである。
 その日から1カ月に数回、当時作業所の職員だったA さん、「こころの健康ボランティア」のB さんと集まって、いろいろな夢を語った。それと同時に健康福祉センターの保健師(Dさん)に「街中に資源をつくりたい。多職種の勉強会から始めてネットワークを創ろう」と幾度となく話をしていた。手始めに月1回の勉強会を始めたが、研修という場ではなかなか資源を創るという話にはならなかった。AさんとBさん、私の3人のなかでも、夢は語ってみるものの、資金はどうするのか、専属のスタッフはどうするのか、運営はどうするかなどなかなか話はまとまらずに、約1年が過ぎた。
そんな折、2003 年夏に、私はDさんから「中心市街地活性化事業というのがあるから話を聞いてみないか」といわれ、さっそくAさんBさんと一緒に話を聞くことにした。今まで精神障がい者の地域支援は考えていても、街づくりには全く関心のなかった私が、始めて周南市の街づくりの担当者と出会ったのである。話を聞くと一応3年の国庫事業だということだが、1年あるいは2年で終わるかもしれないというとても継続性のない事業であった。終了時には、店舗をもとのように戻して返さないといけないとか、担当者もいつかわるかわからないとか、商売の経験のない私たちにとっては、想像すればすれほど不安材料しかない事業であった。
 3人で話し合った結果は「とてもおいしい話だけど、今の私たちにはリスクが高すぎるから断ろう」ということになり、一旦は市の担当者に断りに行った。しかし、市の担当者が商店街に福祉の施設をつくることに興味をもってくれていて、断りに行ったはずの私たちの背中を強く推してくれたのである。「やるだけやってみましょう。自分たちも出来るだけ手伝いますから・・・面白い企画だから国も関心を示しますよ」。その言葉にまんまと載せられたのかもしれないが、このときの後押しがなかったら、「ふくふく」は存在しなかったのである。
 そこから、準備が始まった。まずは協力者を集めることから始めた。A さんは家族会の人に、B さんは「心の健康ボランティア」の人に、私は医療機関で勤務する人に声をかけることに役割を分けた。しかし、第1回目の説明会で最初の危機がおこった。AさんとBさんから「関係者のみんなが賛成していない段階で始めることはできないのではないか」という意見が出たのである。私にしたら、「なぜ今さら?そのような話ならまず3人の時に言うべきでは?私はこんなに人を集めてきたのに・・・」正直自分の耳を疑った。言うまでもなく1回目の説明会は雰囲気の悪いままに終わった。
 今振り返ってみれば、お互いこのくらいは解っているだろう。気持ちは通じているはずという気持ちから、お互いの気持ちを確認しておらず、それぞれの所属への説明をその人ひとりに任せていたことが負担だったのかもしれないと思うが、当時はそのように考えるゆとりもなかった。
 その説明会の後、私たちは何度も話し合いを重ねた。論点は、①なぜ今始める必要があるのか ②今始める意味は何か ③うまくいかなかった時にはどうするか この3点について大いに議論した。私が“今”にこだわった理由は、数年後に始めることをイメージした時に、自分たちが二足のわらじを履くことが難しくなるのではないかと感じていたからである。それは、自分たちの体力的な問題や自分たちの仕事上の役割の増加による時間的な限界、そしてなにより勢いがなくなると感じたからである。ひとりひとりに、私は自分の気持ちを訴え続けた。その結果として、やってみようと思ってくれる仲間が増えていった。他の会員が「なんだか勢いにおされて、引き込まれていた」というように、今になって思えば、あの時の勢いがあったからこそ、今の「ふくふく」がある。
 こうして誕生したのが、周南精神障がい者の地域生活を支える会「ふくふく」である。
 最初の説明会の2ヶ月後(2004 年2月)に会員15 名でスタートし、私が代表になった。

 

2.コミュニティ施設「ふくふく」の実現

「地域のなかで何かやりたい」という会員の想いを、具体的な形にしたのがコミュニティ施設「ふくふく」である。商工会議所や市の商工観光課と一緒に企画するなかで、飲食店という発想に至った。一人暮らしの人は食生活がうまくいっていない人が多い、街中に出かけたときに喫茶店に入ることもできない、出かけても立ち寄る場所がない、日頃から精神障がい者の生活支援のなかで感じていた状況を、どうにかしたいと思っての発想であった。
コミュニティ施設「ふくふく」は、中心市街地活性化事業として運営することになるの で、中心市街地商店街の空き店舗探しから始まった。私たちは2階でもよいから広いスペースを希望したが、商店街の活性化という事業の性格上、道路に面した1階の空き店舗を使ってほしいという商工観光課の要望もあり、場所の決定に時間を要した。こうした検討の結果、商店街の入り口にほど近いビルの1 階にあった空き店舗に決定した。障がい者が気軽に立ち寄れ、ゆっくりとした雰囲気で食事が出来るようにと、低価格でバランスのとれた野菜中心の手作り料理の提供と、ゆっくりできる居場所の提供をコンセプトに店づくりをした。ところが、道路に面したガラス一面にカッティングシートを貼ったことで、当事者から「障がい者を隠すつもりか」という意見をもらったり、お客さんから「靴を脱いで入るのは入りづらい」という意見をもらったり、自分たちの思いとのギャップに悩んだ。
こうしたハード面の整備以上に難しかったことは、人の配置をどうするかということであった。人件費が払えないので、ボランティアでするしかなかった。現実的にできることは、自分たちが仕事の休みの日にボランティアで店番をするということだった。そうなると毎日店を開けることは出来ない。ここが商店街の人には理解されないことであった。活性化事業の運営委員会には、商店街振興組合の組合長さんたちが委員としておられたので、週3日しか開店しないということに対して厳しいご意見も頂いた。私自身、その委員会を通じて、商売と福祉は両極端な立ち位置にいるかもしれないと感じたし、果たして、やっていけるのかと不安になった。しかし、私が不安になっていては、仲間も不安になってしまう。私は、自分の心の中にこの不安をしまっておいた。
こうして必ずしもすべてが順調にスタートしたわけではない。しかし、こうした出来事を経験することでの学びは大きかった。私たちは日ごろ、専門職として仕事をしている。病院や施設は、ある種サービス業であるにもかかわらず、無意識の中で指導的な立場に立っている、そんな自分たちに気づけた。このように1年目は紆余曲折ありながらも、福祉の専門職としての自分たちを意識しながらも、コミュニティ施設としての活動を進めていった。
「ふくふく」を始めて3年目に、今度は「ふくふく」の内部から危機がおとずれた。自分の仕事の休みの日に「ふくふく」に行ってボランティアをするという、無理な状況がお互いに気持ちのゆとりをなくしていたのである。また、精神障がい者が食事の出来るスペースをつくりたかったのに、サービスディを設けても来られるのは一般住民がほとんどという状況の中で、自分たちが何のためにやっているのかが、見えなくなってきたのである。
一方で、開設当初より商店街振興組合の人たちと話し合いを重ねてきた私は、3年目になるころには、商店街振興組合の組合長さんたちから、徐々にコミュニティ施設「ふくふく」が認められてきた実感を持っていた。ただし、それが目に見える形でないだけにほかのスタッフには実感として得られていないという状況で、お互いの気持ちに溝をつくっていた。
この状況に、正直、私は精神的に追い詰められ、いろいろな気持ちが錯綜した。まずは、「なぜわかってくれないのか。今まで何のために一緒に話し合ってきたのか。私ひとりに押しつけないで、自分たちもきちんと自分の責任を果たしてくれればいいのに」など、人を責める気持ちがあった。次には、あきらめである。「私のやり方では一緒にできないというのなら、私は抜けるからみんなでやってみればよいのでは。それでうまくいくのなら、それはそれで周南にとっては意味があるかも」そんな気持ちにもなった。いろいろ考えているうちに、自分だけでは気持ちを整理することが出来なくなっていた。
ちょうどその時期、私は仕事の都合で1週間周南を離れる時間があった。「ちょうどいい。少し「ふくふく」のことを考えるのはやめよう」そう思って出張に出かけた。そこで、ある人から「もう少し楽に考えたらいいんじゃない。何もかも背負わなくても。それで駄目になるようならそれだけのことだよ。」と言われた。最初は「そんなこと言われても私がしなくちゃぁ。何も進まないのに」という反発を感じたが、しばらくして「それもそうか」と思えた。それは自分にとって利害関係のない尊敬できる人の言葉だったから素直に聞けたのかもしれない。そして私は、この事業を展開し始めたときからずっと不安をひとりで抱え、何とかしようと思っていたことに気づいた。「一人ではできなかった」その思いを表現していなかったし、みんなでつくれたことに感謝していることも表現していなかったことにも気がついた。
周南市に戻り、私たちは、再び夢を語ること、初心に戻ることにした。何度も喧々諤々話し合いの時間を持った。その時間のなかで、お互いの目指していることの違いに気づき、「ふくふく」から離れていった人もいた。反対に「自分たちにできることはやるから、ひとりで抱えないで」と言ってくれる人もいた。

 

3.働く場としての「ふくふく」のスタート

3年目の危機を乗り越えた頃、コミュニティ施設「ふくふく」を社会適応訓練の事業所として登録した。日頃の仕事のなかで、「働きたい」という当事者がいても働く場が少ないという状況に直面していたことからの発想であったが、きっかけとなったのは、実際に「ふくふく」で働きたいという当事者がいたことである。「ふくふく」を始める際に、みんなで夢を語ったときに「障がい者が安心して働ける会社になればいいな」と1 人のスタッフが発言していたことも思い出した。
社会適応訓練の事業所として登録するには、事業所として専属の担当者がいることや訓練を終えた時に雇用が出来るかという厳しい条件があったが、それは、健康福祉センターとの話し合いでクリアできた。精神障がい者が働いている姿を見て励みになる人もいるかもしれない。働いている姿を見て感じてもらえることが啓発になる。そして、それが地域づくりにつながっていくのではないかと考えた。
この事業に登録したことで、コミュニティ施設「ふくふく」は、精神障がい者にとって、お客さんとして来る場から働く場へと転換していった。もちろん、今も常連客として来られる当事者もおられるし、入院中の患者さんがイベント等で市街地に出かけたときに立ち寄る休憩場所にもなっているが、どちらかといえば、地域住民がお客さんで、当事者は社会適応訓練の訓練生やボランティアとして働くという関係が成立している。
働く場への転換は、私たちに新たな工夫を考えさせてくれた。私たちの役割は、居場所を提供することから、いかに仕事を獲得してくるかということになった。障害を持ちながら働くにはどのような工夫が必要かなど当事者と一緒に考えていくことになったのである。
そのために、地元である商店街はもとより、社会福祉協議会、健康福祉センターや市民活動支援センター、その他関係機関に「ふくふく」のことをPR していった。さらなる収益をえるために、ランチの他にイベント等でお弁当をつくらせてもらうことにした。
こうした「ふくふく」の新たな展開は、訓練生にとっても大きな影響を与えた。たとえば、訓練生自身がチラシを配布する。そのことで、地域の人と話をするひとつのきっかけになった。そして、その姿は、他の当事者にとっても影響を及ぼすことになる。今年になって、市街地で生まれ育った当事者が自分も障がいを隠さずここで働きたいと言って来られた。その方は、数年前からお客さんとして「ふくふく」に来られていた人であった。「なんとなく、ここでなら、自分のことも理解してもらえるかなと思って…病気のことを地元で言うのは勇気がいりましたけど。自分が病気になったことが他の人の役に立ったら…」と話された。こうした事例を積み重ねながら、「ふくふく」が当事者にとって、安心できる場所になっていると再確認している。

 

 

4.地域の拠点としての「ふくふく」の存在

 2004 年10 月のオープンから4年半が経過し、コミュニティ施設「ふくふく」の存在は、「こころの健康」や「こころの病」に関する啓発の拠点として、少しずつ周囲から認知されるようになってきたと実感している。民生委員の研修に利用してもらったり、民間企業の社員教育の一環として「ふくふく」のボランティアを組み入れてもらったりもしている。
 「ふくふく」に客としてきているうちに、今までは精神障がいについて気にもとめておられなかった人たちが関心をもってくれるようになった。たとえば、祭りなどイベントのときに来店されたお客さんが「なんだかほっとできる場所ですね。メニューの価格も安いし、やっていけるんですか」と話しかけてくれる。「ふくふく」の趣旨を説明すると、次に来られる時にはお友達を連れてきてくださることもある。中心市街地活性化事業で、他のボランティア団体の人が「ふくふく」に立ち寄られ、話をするうちに、自分の家でつくっている野菜を持ってきていただけたり、店内の修理等をしてもらったりという関係性が出来てきた。その多くは、いわゆる団塊の世代の方で、今は退職されている方だったので、ご自分の就労経験を活かして助言いただけたらと、周南市の自立支援協議会の就労の専門部会の委員をお願いしたら引き受けてくださったりした。こうして「ふくふく」をきっかけにして、精神障がいについての関心を持つ人が地域の中に着実に増えているように思う。行政や地元商店街からも認知されるようになった。立ち上げ当初は「障害に対する認知度が低いのに、今そんな施設をつくっても無理だ」と言っていた市の障害担当者も「『ふくふく』のつながりが周南市の自立支援協議会につながってきて、おもしろいですね」といってくれることもある。また、商店街のイベントにも定期的に参加させてもらえるようになった。ある組合長さんは、会合の時にはコーヒーセットをいつも注文してくださっている。きっと商店街振興組合の皆さんからすれば、商売になっていないと思われたことも多いであろう。そのようななかで5年間見守り続けてくださったことには大変感謝している。
 商店街で働く人達にも変化が起こっている。この1年くらいは、「ふくふく」とそこで働く当事者を気にかけてくださる人が多くなった。月に2~3回、当事者だけで「ふくふく」を運営する日があるが、その日にわざわざ店に立ち寄って声をかけてくださる。「頑張っているね。今日も笑顔がいいね。今日のランチおいしかったよ」などの声かけが、当事者にとって何よりの励みになるようである。常連さんとのやり取りが楽しみで、最近では訓練生や当事者ボランティアが争って配達に行くという場面もある。
 さらに、お客さんとのつながりが、当事者の生活の幅を広げている。常連客の店に行って、買い物をしたりするのだ。買い物をしながらおしゃべりをする、そんな些細なことと思える経験が、地域の中で生活をしているという実感につながっているのである。このような場面に出会うと、私たちは、やはり地域の中で暮らすことがその人らしい生活をつくるのだと実感する。専門職として私たちは、自らが何かを提供するのではなく、人とつなぐことをすればよいのではないかと思えるエピソードである。

 

5.自分達にとっての「ふくふく」の存在

 「ふくふく」の活動は、自分の休みをつかっての活動なので、傍から見ると大変な活動に思えるらしい。しかし、「ふくふく」で活動していると、なぜかほっとして、癒されている自分に気がつく。これは、その場の雰囲気なのか、人がそうさせているのかはわからない。しかし、私たちの実感として癒されているのである。また、地域の拠点としての「ふくふく」ができたこと、それが5年継続したこと、継続するなかで、商店街の人々に支えてもらえたことが私たちの自信につながっている。
 「ふくふく」を始めたときに、「決して 金持ち ・・・にはなれないかもしれない。でも 人持ち ・・・になれるといいな」と語っていたことが現実となった。人は人に支えられている…そんな実感を伴いながら、人と人とのつながりが重なり合い、網目のようなネットワークになってきつつある。当事者・ボランティア・地域住民・多職種多機関の専門職などがつながってきている。このつながりを強くすることで、また、新しい展開が生まれるのではないかという期待もある。

 

読み解き

「ふくふく」が有志の集まりから地域の拠点へと展開した経緯を紹介したこのレポートからは、専門職が自らの理念を貫き、実現させることの意味とともに、自発性に依拠することの危うさやそれを継続させる難しさ、そしてそのことを克服するプロセスを読み取ることができる。

 

■ 「福祉」という枠組みから抜け出すこと

 東氏自身が語るように、「ふくふく」の始まりは「“何かしたい”という漠然とした思い」であった。その思いは、中心市街地活性化事業という福祉とは異なる分野との出会いで具体的な形になる。しかし、それがゆえに、従来の「福祉」という枠組みから抜け出すことの難しさと向き合うことになる。
 これまでの福祉の発想は、慈恵的な意味合いでの理解と協力を地域に求めてきた。しかし、1 つの店として認めてもらうためには、その発想は通用しない。商店街の流儀に従うこと、さらには商店街の活性化に寄与することが求められる。その象徴的な場面が、週3日の営業日を拡大するということである。こうした要望に応えることで、周囲の反発は期待へと変化し、「ふくふく」の存在が周囲に認知されることで、啓発という当初の目的が初めて達成される。
 「ふくふく」がこれまでの福祉施設による啓発活動と最も異なる点は、独自の経営努力によって成立していることである。すでに紹介したように、「ふくふく」は、開設から2年を経過した時期から、店の売上と会員の会費だけで運営されている。そのために、地域のニーズをマーケティングし、昼食時の宅配やイベント等の弁当販売へと事業を展開している。「福祉」の補助金だけに頼ることなく、商店街の他の店舗と同じ土俵で経営努力することで、心理的な距離が近くなり、共感が得られやすい。

 

■ 自発的な参加で成立するということ

 継続していくことの難しさは、こうした外部環境とは別に、「ふくふく」という仕組みそのものにもある。正式な組織ではないので、参加する、しないは各人の自由な意志による。
 その求心力となるのが、理念である。しかし、それは極めて曖昧になりやすい。最初の説明会あるいは「3年目の危機」のエピソードは、“何かしたい”という理念は一致していても、それが具体的になればなるほど不一致な点が露呈するということを示している。先行するモデルがないだけに、最初の時点で互いに不一致な点を見つけることは難しい。当初の想定と異なる状況、たとえば一般の客が増えていくといった具体的な局面に直面するなかで、そもそもの理念の不一致に気づくことができる。
 そのときに、東氏がとった解決策は、いずれも「話し合うこと」であった。自発性に依拠している事業であるため、参加の継続を強要することはできない。「話し合うこと」で解決を目指す過程で、離れていったメンバーもいる。しかし、東氏はそのことを決して否定していない。それは、東氏自身が、理想を実現する形は「ふくふく」だけではないということを自覚しているからであろう。それぞれの形で理想は実現する。スタッフにしろ、利用者にしろ、客にしろ、その形が一致する者が「ふくふく」を選べばよい。むしろ、こうした経緯を経ているからこそ、残ったメンバーの結束は固く、自発性に依拠した不安定な基盤であっても現在まで継続している。その結果として、現在の「ふくふく」があるのではないだろうか。

 

3.スタッフが語る「ふくふく」の仕掛け

 「ふくふく」で働く専門職は、それぞれの機関に属しながら、自分の意志や自由な選択に基づいて参加している。そのため、異なる機関の多職種なメンバーで構成される。その点で、法人の自主事業や職種ごとの利益団体とは異なる性格をもっている。組織の規範にとらわれない自由な発想で、多様なニーズに対応できる。しかし、それがゆえに、事業としては非常に不安定な状況に陥りやすい。それでも「ふくふく」は、5年間、事業として維持することができている。インタビューの内容をもとに、継続できている理由を3点にわたり整理してみたい。

現在、「ふくふく」では9名が定期的なボランティアとして登録している。その多くは、周辺の病院や事業所で働く、いわゆる福祉の専門職である。月・火曜日を除く週5 日10 時から16 時の営業時間を、ボランティアがローテーションを組んで埋めている。
先駆的な地域生活支援の実践事例をみると、法人の職員として働いていた者が、組織の限界を感じて職を離れ、新たにNPO を立ち上げた例が多い。しかし、「ふくふく」の場合は違う。彼女たちは、それぞれの組織に属しながら、自分の時間を使って、無報酬で「ふくふく」で働いている。その独自の仕掛けを読み解くために、今回は「ふくふく」でボランティアとして働く専門職にインタビューした。以下は、その内容に基づき、我々が考察を加えたものである。
なお、字体が異なる箇所は、インタビューでの発言をそのままの形で引用した部分である。

 

1.理念を共有する

 メンバーの求心力となっているのは、「地域住民と交流し、支えあいながら共に暮らせるまちづくり目指そう」という理念と、東氏に対する圧倒的な信頼である。共感できる理念と、それを具体的な形で実現しようとしている者への憧れや信頼感を前提として、活動が継続している。

最初は、自分たちで何かしたいという漠然とした話でした。でも、この人(東さん)が言うことだから間違いないと信頼して。
 東さんに、最初に声を掛けられたときはうれしかったです。私にとって東さんは、ケース会議で会う時には緊張するくらいの存在でした。「ふくふく」に関わったのは、その内容に共感したことと、東さんへの羨望が半々だった気がします。
 この話があったときに、温かい風が吹いたように感じました。体よりも気持ちが先に動いたといった感じです。「ふくふく」には自分にとって居心地のいい風が吹いている気がします。
 障がいのある人たちを相手に仕事をするなかで、こんなところが必要だとずっと思っていました。でも、まだ自分でやる自信がなかった。そんなときに(「ふくふく」に)誘われて、自分の気持ちと一致した気がしました。わざわざ探さなくても身近にあるんだと知りました。やる人がいるからついていけると思いました。

 「共に暮らせるまちづくり」という理念は非常に分かりやすいが、それだけでは具体性を伴わない。この事例の場合、最初に「ふくふく」という具体的な形が提示されたことで、参加しやすくなったのだと思われる。

 自分も街の中で何かできたら…と思っていたけど、それを形にできなかった。だから、その船に乗れれば…と思いました。「ふくふく」という形ができていくなかで、自分のその思いを確認していました。
 (「ふくふく」の)話を聞くうちに興味が出て、お店を覗いたりしていました。自分もしたいことがありましたが、できていませんでした。だから、東さんたちが、行動に移していることにあこがれていました。

 彼女らは、日頃の業務のなかで、「制度の枠内」「大きな組織」では対応できない限界を知り、それを乗り越える「使命感」を感じながらも、「現実的にはできない」というジレンマを抱えていた。それに対し「ふくふく」では、組織に属したままで、組織ではできない「理想」や自分自身の「可能性」を試すことができる。そのことの意味を、スタッフ自らが自覚しているからこそ、「ふくふく」は継続している。

 ここがなくなると行き場所がなくなる人がいるという使命感があるから続けられる。 仕事の時は、病院という枠にはまっているので、できないことがある。組織では無理なことは多い。患者の可能性もだけど、そのために自分に何ができるかと試しているという感じがある。
 ここは、仕事とは違う。給料がないからこそ、自分が組織にとらわれないで理想とすることができる。上司がいるわけではないし。でも生活があるので給料は必要。現実的にはそれを投げ出してまではできない。ここだと、働きながらやれる。

 また、最初は東氏へのカリスマ的な存在に惹き寄せられるが、その後は共に働くなかでスタッフが互いに惹き寄せ合うことに「ふくふく」の魅力を感じ、継続して参加している。

 職場では忙しそうにしている●●さんがきらきらしているのを見て、そんなふうに表情が変わるのはどんなところだろうか、という気持ちで、「ふくふく」に興味を持ちました。
 一緒に仕事をしていく中で、彼女の持っている奥深いところにあるものに惹かれました。彼女が、「ふくふく」で働いてくれれば、きっとその良い視点で何かを変えてくれる、また違う風を「ふくふく」の中に入れてくれると思いました。

 

2.自分自身にとって意味がある

 「ふくふく」が持続する第2の理由は、「ふくふく」の存在が、(利用する障がい者だけでなく、)自分自身にとっても意味があると自覚していることである。「共に暮らせるまちづくり」という理念を掲げてはいても、実際には精神障がい者の社会復帰は難しい。その光景を目の当たりにして、理念と現実とのギャップを実感するという。それでも、インタビューにした全員が、自分の本来の職務に「ふくふく」での経験が生きていると語っている。

 人とのコミュニケーションの仕方が少し上手になったように思う。これまで病院だと、どうしても医療者として接していたけど、同じ目線で話せるようになりました。そして、自分たちと一緒だなと思えるようになりました。
 入所施設にいたころは、「ふくふく」のことはぴんと来ていませんでした。施設では、もくもくとあるパーツを担ってきたというか。実際に自分が支援センターで働くようになってみると、「ふくふく」の意味が変わってきて、いろいろやることが自分にとっても意味があることなのだと思うようになってきました。
 障がいがあっても仕事ができるということを、みんなにも、本人にも知ってもらいたいと思っていても、なかなか伝えらきれない。言葉では伝えきれないものが、ここを見てもらえば、目に見えてわかるんじゃないかと思います。

 「ふくふく」に最初に参加した時点では、「障がいのある人が地域で働くということを知る」あるいは「精神障がいのある人のことを知る」といった、専門職としての学びの場にしたいという動機が強い。そして、実際に「ふくふく」に参加することで、「考えが変わった」と語っている。
さらに、飲食業といういつもと違う仕事を経験するなかで、戸惑いやプレッシャーと感じながらも、次第に「居心地がいい」、「自分にとって意味がある」といった思いに変わる。
インタビューの内容からは、たとえ職務に直結していなくとも、「仕事の励み」になったり、自らの喜びや満足感に結びついたりしていることが読み取れる。

メニューに載せる絵を描いたり、店で流す音楽CD を準備したりと、常に自分でできることを探しています。看護としての専門性以外で自分ができることを探す場になっています。
 実際に(「ふくふく」で)働いてみると、難しかったです。精神障がいの方やお客さんと関わるのに、こんなに考え込まないといけないとは思ってもみませんでした。違う世界に関わることの楽しさと難しさを感じました。
 ソーシャルワーカーという相談員の仕事とまた違う、サービス業の良さがわかりました。1つひとつのことが、自分の仕事の励みになってきています。
 私も、ここでは別の人になれるような気がします。それが楽しくなってきました。なぜ(他の法人なのに)自分がここにいるか謎だと(他の人に)言われたら、しめた!と思います。
 どうして居心地がいいかは自分でもわかりません。「ふくふく」で当番の日に料理を作っているうちに、料理の腕も上がり、楽しみの1つになっています。職場で大変なことがあった時にも、ここにくると表情が違ってきます。土日のいずれかにここに来ると、表情が変わる気がします。
 ここに来られる客を見て、勉強になります。障がい児の親の方とか、いろいろな話を聞いて、自分も励まされます。(「ふくふく」を)応援する人もいれば、必要としている人もいる。みんなとつながっているという気がして楽しい。

 「ふくふく」という場を共有することで、専門職同士の交流が促進されるという側面もある。多機関、多職種あるいは多分野間のネットワークの重要性はこれまでも指摘されており、そのための仕組みはすでに周南市でも多く企画されている。しかし、それが日常的なネットワークにまで発展することは難しい。それに対し、「ふくふく」は、各人の個性を発揮することができ、研修や親睦会では得られない親しみや信頼感を生んでいる。

 一緒にやることで、客層も、障害の受け入れの幅も広がりますし、専門職のネットワークも広げることができます。仕事上で紹介するだけではお互いに相談に行きにくい。
ここの仲間として気軽に相談できる。そのことで自分たちも仕事の部分で楽になる気がします。
 専門職としてではなく、やっぱり●●さんというキャラクターが光っているんだと思います。ここでは、自分の組織から出て、自由なんです。解放されている分、その人らしさが出やすいんじゃないかなと思います。
 ここでは、専門職としてというよりは、人として付き合っているという感じです。個人のキャラや性格も違うので、仕事で付き合う時にはかみ合わない人もいます。でも「ふくふく」では、その人のキャラに救われることがよくあります。

 今回のインタビューでは、専門職としての立場で語っているが、一方でメンバーのうち数名は地元の住民でもある。メンバーの母親がおかず作りに協力したり、店の当番を引き受けることもある。地元であることが「ふくふく」への愛着心を高めている。

 地元ということが背中を押しました。自分が通っていた小学校にも近く、幼い頃の遊び場でした。それで、関わってみたいという気持ちが出てきました。
 ご近所の人が「ふくふく」のことを話していたり…自分の見えないところで地域と「ふくふく」とのつながりがあることを知って、地域の一員としてうれしい気持ちになります。

 

3.貢献を強制されない

 第3の理由は、貢献を強制されないということである。「ふくふく」の運営は、あくまでも自発的な参加で成立しており、ボランティアを強制されることはない。インタビューを行ったスタッフも、それぞれ違うかたちで「ふくふく」に参加している。定期的にローテーションを組んでいる人もいれば、イレギュラーに参加する人もいる。現役を引退した後に時間的な余裕ができて、「ふくふく」に参加している者もいる一方で、現役として働きながら有休を使って参加している人もいる。各人が自らの判断で、自分の時間の一部を「ふくふく」に費やしている。
 たとえ理念に共感していたとしても、あるいはそれが自分自身にとって意味があることと自覚していても、みんなが同じだけの貢献を求められることは、負担感が大きくなる。
その点、「ふくふく」の場合は、貢献する度合は各人の事情や考えで選択できる。だからこそ、身構えることなく、気軽に参加することができている。

 私は、お手伝いという気持ちで関わりはじめました。それが精神的に負担だと思いませんでしたし、いいことをするんだという気負いもありませんでした。
 みんなが自分の時間でやっていくことは、やっぱり大変です。私も、夜勤があるから、その調整が大変です。それに、自分自身が大変な時期もある。そのときには、そちらを優先することもあります。
 訪問看護で働くなかで、こういう場所があったらいいなと思っていました。(「ふくふく」のことは)最初から話は聞いていましたが、仕事もあったので協力できませんでしたが、仕事を辞めたので、ボランティアをする時間ができました。
 自分も定年間近で、時間ができたので、何かボランティアをしてみたいと思ったのがきっかけです。今までもずっと(「ふくふく」のことは)気になっていたけど、話を聞くだけでした。今は楽しみになっているので、定年になっても続けようと思っています。

 ただし、自発性に依拠するほど、「ふくふく」の運営は不安定になり、事業の持続性を担保することが難しくなる。実際に、すべてのボランティアが継続しているわけではない。むしろ多くの入れ替わりがあるなかで、それでも持続していることにこそ、「ふくふく」という仕掛けのおもしろさがある。
 有償のスタッフを雇い入れたり、法人の事業として位置付けたりといった仕組みではなく、あくまで自発的な参加を前提とし、「理念」を共有できるメンバーを募ることで解決したいと東氏は語っている。

 もっと多くの人が(ボランティアに)来てくれるといいなと思います。だからと言って、給料を払うと、魂、理念の部分が守られるかが不安です。そこを守りながらどうやって支える人を増やすかが、今後の課題です。
 「ふくふく」のことを知ってもらいたいので、多くの人に話をします。でも人手として誰でもいいわけではない。話しても理解してもらえない人もいるので。直感的に選んで声をかけている気がします。

 その考えはメンバーにも浸透している。さらに、スタッフの自発性や愛着心は、それを知った仲間にも波及している。職場の同僚や研修などを通じて知り合った人へ「ふくふく」の話が伝わり、その人が新たなボランティアとして参加するという拡がりがある。
互いを思いやる気持ちや、「ふくふく」に対する愛着心、そして波及する自発性に支えられて、事業は継続している。

 最初は当番がノルマのようになっていましたが、そのうち「ふくふく」のことが気になってしょうがないという思いになって、当番でない日にも店をのぞくようになりました。自分の中で、「ふくふく」が気になる存在になっているのに気付きました。そして、働いているうちに、山根さんのことが気になるようになり、助けになりたいと思うようになりました。
 ここをサポートしているみんなは、いろいろなわらじを履いているということを知りました。そのなかで、欠けているところを自分が埋めていければと思います。その人たちが守りたいと思っている場所は大切だと思います。そこを埋めるお手伝いができるといいなと思っています。
 がんばっている人がいたから、自分もできることがあれば協力したいと思って始めた。
自分にとってよかったと思えるから、同じような思いの人がいれば伝えたいなと思う。

 「強制しない・されない」という考えは、後進への継承についても一貫している。「ふくふく」を立ち上げた東氏は、2 年前に隣県である島根県出雲市に異動した。それに伴い、スタッフ1 名が役割を継承することになった。
 一般に、創始者のカリスマ性が高いほど、それを継承することは難しい。なぜなら、パイオニアであることが、そのカリスマ性を強化しているからだ。開拓の歴史や理念に裏付けられたカリスマ性を、他の者が継承することは極めて難しい。
 「ふくふく」の場合にも、創始者である東氏に対しての「羨望」や「あこがれ」がボランティアの求心力となっている側面もあり、そのすべてを継承することは難しい。そのことを一番自覚しているのは、東氏自身である。そこで、「ふくふく」のすべてを委ねるのではなく、日々の運営部分は委ねながらも、その条件となる地域との関係づくりや関係機関との調整は今でも東氏が担っている。そして、東氏自身も週末などには同じボランティアという立場で「ふくふく」で働きながら、活動の方向性を常に確認している。

 自分がやっていたすべてを彼女が背負うのは負荷が大きいと思っています。切羽詰まった状況も違いますし。彼女ができることを選んで、彼女に前面に立ってもらい、私は後ろで受け皿になろうと思っています。そして、彼女に足らないところを他の人に支えてもらえばいいと思うのです。彼女だけが背負うのではなく、彼女が支えてもらえる、それが仕掛けだと思っています。
 彼女たちがいなかったらここが続かなかったでしょう。そのことを意識しながら、バトンタッチすることが私の責任だと思います。だけど、私が「ふくふく」を立ち上げたエネルギーを、そのまま彼女たちに託すことはできないと思います。支えてくれた分、それ以上の器になることが私の役割だと思うんです。

 

読み解き

 自発性に依拠した不安定な仕組みが、なぜ継続できているのか。「ふくふく」の存在を知った多くの人が持つ疑問である。
 継続できる最大の理由は、皆が明確な理念を共有していることである。そして、その理念が単なる文言ではなく、具体的に形あるものとして存在しているので、共有しているという実感がある。「1人ではない」「同じ方向を目指している」という確信が求心力となっている。
 理念があるから、安定した組織から一歩を踏み出すことができる。しかし、自らの生活が不安定になることには誰もが躊躇するし、それをする必要はない。あくまで組織に属し続けている。戻ることができるという安心感があるからこそ、理念にむかって挑戦することができるのであろう。
 その理念は、「大きな組織」や「制度の枠内」では実現しない。その限界を日頃の職務で気づき、それが動機となって「ふくふく」の活動に参加する。そこで、仲間とともに理想を語ることの「心地よさ」を知る。そして、「ふくふく」や共に働くスタッフへの愛着心によって活動が継続している。しかし、決して組織や現実の自分を否定するわけではない。「ふくふく」での経験が本来の職務に波及効果をもたらすことを自覚し、その両方に軸足を置くことの意味を自分なりに考えている。
 さらに、飲食店という全く異なる業種を経験するなかで、福祉の専門職として関わることの限界を知り、同時に自分自身の新たな可能性に気づく。そのことがきっかけとなって、専門職という敷居から一歩を踏み出すことができる。こうして、専門職自身が変わることができるのが、「ふくふく」という仕掛けの魅力の1 つといえよう。

 

4.当事者にとっての「ふくふく」の魅力

精神障がい者の地域生活を支えるという「ふくふく」の目的がどれだけ達成できているかは、結局のところ、そこを利用する当事者によって評価される。この場合の「利用」とは、大きく2 つに分かれる。第1 に、働く場として「ふくふく」を利用すること、第2 に、居場所として「ふくふく」を利用すること。今回の調査では、それぞれの立場で「ふくふく」を利用する当事者と、その経緯に関わってきた支援者からの聞き取りを行った。その内容を整理することで、当事者にとっての「ふくふく」の意味について考察を深めたい。

 

1.働く場としての「ふくふく」

 すでに紹介したように、「ふくふく」では、精神に障がいを持つ3 名の当事者が働いている。そのうち2 名は社会適用訓練事業の訓練生として、もう1 名はボランティアとして、それぞれ週5 日~2 日働いている。
 3人が「ふくふく」で働くようになったきっかけはいずれも同じで、以前から支援を受けていたワーカーからの誘いである。そのワーカーはそれぞれ異なるが、いずれも「ふくふく」のスタッフとしてボランティアをしているメンバーである。

 以前は美容師をしていたけど、もう15 年くらい仕事をしていないので、自信がない。
どうしたらいいかと相談しました。訓練校に行って訓練する方法もあるけど、それは朝早くに行かないといけない。だけど家のこともしないといけないので無理。健常者の人と一緒に工場で働いてみるかともいわれたけど、健常者と働くことは今はまだ無理だと思いました。それで、3つ目の選択肢として、「ふくふく」の話を言われました。                  (Aさん 47歳女性)

 通っていた工房で、1 人の人に「食事をしてみない」と誘われたのが最初です。それで食事にきましたが、「普通の喫茶店みたい」だとおもいました。まずは1~2回手伝ってみたらと誘われて、ためしにやってみると、いけるかなと思いました。       (Bさん 46歳女性)

 ずっと家に1 人でいたので、ケースワーカーの方が、「コーヒーでも飲みに行って。一息つけるよ」と「ふくふく」のことを話してくれました。それで来てみたら、ボランティア募集の紙が貼ってあるのを見て、お皿1枚でも洗えたらと思って…。ケースワーカーに相談しましたが、返事を待つのがもどかしくて、一人で決めました。「障害者ですけどボランティアはできますか」と言ったら、いいよと言われたので…。
 アパートで何もしないで、うつうつとしているよりは良いのではと自分で思いました。来年還暦なので、社会に出て働くということは難しいから、ボランティアしようと思いました。
                   (Cさん 59歳女性)

このことについて、それぞれのワーカーは次のように語っている。

 Aさんは、いつも「美容師の仕事をしたい」と言われていたので、復職することへの思いの強さを感じていました。しかしその一方で、朝、起きることができなかったり、出かけようと思うと不安が強くなったり。約束をした時間に来られないこともたび重なると本当に仕事がしたいのだろうかと思うこともあります。
 それで、Aさんの仕事をしたいという気持ちを具体的にしていくために、「ふくふく」の社会適応訓練の話をしました。

 Bさんは、20 年以上前に統合失調症を発症しました。発症後は家で引きこもって過ごしていた時期がありましたが、10 年前くらいからは作業所に通われ、出勤日には休むことなく、決められた仕事はきちんとこなされていました。4年くらい前から、作業所の指導員に相談して就職先を探していましたが、なかなかうまく見つからない状 況でした。そんな時期に、「ふくふく」が社会適応訓練の事業所となり、Bさんは訓練生として申し込まれました。

 Cさんは、約26年間、統合失調症で入院生活を送られてきました。何度か退院の話が出たこともありましたが、引受先がないことや退院後の一人暮らしに不安があり、なかなか退院して地域で暮らすという第一歩を踏み出せない状態でした。
そんななかで、ある日「知り合いに勧められアパートを借りたい」とCさんは言われました。その時は、私を含めて、Cさんを知っている医療機関の大半のスタッフが無理なのではないかとの気持ちがあり不安で一杯でした。しかし、私たちの不安をCさんに伝えても彼女の気持ちに変わりはありませんでした。
そこで、私は退院について話し合い、一緒に準備して、アパートも借りて、いよいよ一人暮らしが始まりました。そのときの私は、1カ月でも1年でもCさんが地域の中で望む生活ができたらと考えていました。
病状や不安への対応のために、医療機関からの訪問看護を導入しましたが、一人暮らしを支えるためには、そのほかに昼間過ごす場が必要だと思いました。そこで、Cさんに「ふくふく」を紹介して「食事やお茶を飲みに来ませんか?」と誘いました。
すぐにCさんは、一人で「ふくふく」に来られました。そして、ボランティアをしたいと申しでられました。私は、後日その話を聞き、初めての人と話をしたり、自分の気持ちを表現したりすることの苦手だったCさんが、自分からボランティアをしたいと申し込んだことに驚かされました。(精神科病院 精神保健福祉士)

 社会適応訓練事業の2名については、まずは支援者の意図があり、それが本人の気持ちとうまくマッチしてスタートしている。それに対し、Cさんのケースでは、支援者の側が今の状況を想定していたわけではない。「ふくふく」という場が当初の想定を上回る効果を生み出している。
こうした効果は、Aさん、Bさんにも見られると支援者は語っている。たとえばAさんの場合、最初は仕事の日になると気分が憂鬱になる状態が続き、休みがちになることもたびたびであったが、現在は週2回と曜日を決めて通えるようになった。そして、同じように精神に障がいを持つ仲間や日頃知り合った人たちに、自分の出勤日にご飯を食べに来るように誘い、実際に彼女に声を掛けられて多くの人が客としてやってくるという。

 この“友達が食べに来てくれる効果”は、本人いわく、「友達に、来てねって声をかけておいたら、意地でも私は仕事にいかないといけないから・・・」だそうです。「これから、毎回みんなに声かけて、来てもらわないといけませんかね・・・」と楽しそうに話すAさんを見ていると、人に励まされ、人の力をかりながら成長しているなと感じます。また、それがAさんなりの仕事に来る工夫なのだと思います。最近では「あの子はおるかね?」「Aさんがここで働きよるって聞いたけど・・」といって、Aさんを尋ねてこられるお客さんもおられます。Aさん自身が「ふくふく」で働いていることを宣伝しているのでしょう。このような行動から、彼女の中での「ふくふく」での仕事に対する思いが少しずつ変わってきているのではないだろうかと感じています。
                 (地域生活支援センター相談支援専門員)

 Bさんは3人のうち最初に「ふくふく」で働き始めた。人と接することが苦手で、最初はスタッフとの挨拶もままならない状況だったという。客にも挨拶ができず、注文を聞いてもすぐに忘れてしまう。マニュアルを作ってもそれを見て仕事をするという習慣がないため、うまくいかない。どうすればBさんが自信をもって働くことができるのか、何度もスタッフでミーティングをした。顔なじみの指導員に来てもらったり、自治会で広報誌を配る仕事をやってもらったりといろいろ工夫した。Bさん自身も当時を振り返り、「今までお客さんと接することがなかったから、敬語がなかなか出てこない。それが一番困りました」と語っている。それが、1年くらいたったころから変化がでてきた。だんだん挨拶の声がおおきくなり、自分が聞いたことを忘れないようにメモをとるという工夫もできるようになったという。

 ちょうどその頃から、商店街の人が常連客として「ふくふく」にきてくださることが増えてきました。常連のお客さんにとって、毎日店にいるBさんは、日替わりで店にいる私たちボランティアより顔なじみの存在になってきます。そうすると、お客さんはお店に来られると必ず Bさんにまず声をかけられます。そのことがBさんの自信につながっていったのではないかと思います。Bさんは積極的に配達にでかけたり、電話に出たり、商店街の方々と関わっていくようになりました。「いつも頑張っているね」という常連客の言葉が励みになっている様子で、笑顔が見られるようになりました。
 このような変化は「統合失調症の人にとって仕事としての対人サービスは無理では・・・」と思っていた私たちの意識を変えました。また、専門職がいくら頑張ってもそれだけでは当事者が地域の中で仕事をする自信にはつながらないということにも気付かされました。Bさんに自信を与えたのは、まぎれもなく地域の人(お客さん)だったからです。
 最近のBさんは、仕事にも積極性が見えてきました。お弁当の注文があったり、イベントがあったりするといつもの時間より早くから遅くまで仕事をしています。新しいボランティアの人に仕事を教えている姿はほほえましく思えますし、仕事をしているBさんの表情が明るくなったと感じます。それは仕事に慣れたことはもちろんですが、「ふくふく」で働くということに自信が出てきたからだと思います。
                  (精神科病院 看護師)

 こうして、「ふくふく」という場は、専門職が当初に想定した以上の効果を生んでいる。それをもたらす「ふくふく」の魅力として、当事者からは3つのことが語られている。第1に、当事者同士の関係である。3名それぞれから、仲間がいたから頑張れたという言葉が聞かれる。休みがちだったAさんは、「私はお客さんと話をするのが苦手…だから、お客さんがもっと話がしたそうだなって思ったときには、Aさんに代わってもらいたい」という仲間の言葉が励みになっているという。仲間に頼りにされているという実感が、Aさんに自信を与えてくれた。仕事帰りに、仲間同士で商店街に行って買い物をし、喫茶店でおしゃべりをして帰るという光景もよく見られる。
 第2の魅力は、Bさんのエピソードにもあるように、客としての地域住民との交流である。たとえばAさんは、「ふくふく」の常連客でもある魚屋に買い物に立ち寄ることも多いという。実はその魚屋はAさんの近所の人と知り合いで、そのことからAさんが「ふくふく」で働いていることが近所に知れ渡ったという。これまで病気であることを隠してきた父親だったが、「ふくふく」で働くようになり、父親自身の気持ちにも変化があったと語っている。

 隠すというわけではないが…遠くの病院に入院させていました。兄弟のこともあるので、迷惑がかからないように。でも隠していても、おいおいわかる。たまに帰ってきても、ずっと家にいました。
 近くの病院に変わってからは、みんなにもわかるようになったと思います。でも、こっちのほうが、あの子も元気になっている。近所の人が変な眼で見ることもなくなりました。「ふくふく」で元気に働いている姿をみて、近所の人も昔のあの子になるんじゃないかと喜んでくれています。

 このように、「ふくふく」をきっかけに、地域の人とのつながりが増えること、声をかけてくれる人が増えている実感を皆が持っている。「一人暮らしがさみしい」と漏らしたCさんは、仲間と語り、その数日後には「やっぱり一人で頑張れます」と言われたという。仲間や地域の人たちとのかかわりのなかで、「ふくふく」での自分の居場所や存在価値を自覚し、それが自信につながっているのではないかと、支援者は一様に語っている。
 そして、「ふくふく」の第3の魅力は、スタッフ(専門職のボランティア)とのかかわりである。病院や施設といった職場と「ふくふく」では、支援者から受ける印象は違うと語っている。

 今まで、本当に頑張って続いたのは、美容院の仕事だけ。好きだから頑張れました。
 やっぱり美容師として働きたいと思っています。使い走りでもいいし、シャンプーでもいいから…。でも、まずは「ふくふく」がちゃんと勤まらないと、現実的には無理。「ふくふく」の研修生は、3 年間は務めることができるので、あと2 年ある。早く「ふくふく」の仕事をこなせるようになって、次の段階にすすめるようになりたいです。
 まだわからないけど、ここをステップに、普通の人と同じように働いて、お給料をもらえるところに行きたいと思っています。ここはお給料が少ないのと、交通費がかかるので、もう少し自由になるお金が欲しいからです。今は親からの援助を受けているので、それではいけないので、自分で仕事ができたらいいなと思っています。

 

2.居場所としての「ふくふく」

 こうして働いている当事者以外に、「ふくふく」には客として障がいを持つ人がやってくる。その多くは精神障がいであるが、車いすの人もいる。知的障がいの親たちの集まりに利用されることもある。手話のできるスタッフを訪ねて、聴覚障がいのある人がおしゃべりに来ることもある。
「ふくふく」のそもそもの目的は、精神障がい者の居場所づくりであった。しかし、働く場としての「ふくふく」が注目されるなかで、居場所という目的が見えなくなっているのではないかと感じているスタッフもいる。

最初は、障がいのある人が集う場、そしてそこに食事を出せれば、と考えてました。
 障がいの人と一般の人とが集う場所があればいいなと思ってました。ところが、実際に始めてみると、逆に一般の人が多かった、それは想定外でした。本当は、もう少し障がい者の人が来てくれたらいいなと思っています。一般の人なら他にもお店はありますから。

 今回は、初めて「ふくふく」を訪れた精神障がいのある人の話を聞くことができた。彼は、生活支援センターでAさんに誘われてやってきたという。「ふくふく」の第一印象を次のように語っている。

 Aさんに、「ふくふく」で働いていると聞いて、来てみました。「ふくふく」に来るのは緊張したけど、こじんまりしていて、人と話すのはちょうどいい規模だと思いました。広すぎず、狭すぎず。
 喫茶店みたいなところで、相談に乗ってもらえるといいなとずっと思っていました。そこに集まった人たちと、お互いに悩みを話していけるような。病気のことや今後のことについて、気軽に話し合える場所はなかなかありませんでした。職員の人とも気軽に話していける場がない。ここはきっとそんな場なのかな。

 彼は、近日中にスーパーに就職する予定である。それでも、「ふくふく」でボランティアをしてみたいという希望も持っていた。

 自分が病気になってから、ボランティアに興味をもち、ずっとやってみたいと思っていたけど、実際にはイベントのスタッフをしたりしただけで、働いたことはありませんでした。今は、人のために何かやりたいと思っています。
でも、職業としては、やっていけないと思っています。だから、仕事以外にボランティアとしてやってみたいなと。収入を他でもらって、ここでも働きたいです。

 当事者にとって、「ふくふく」は、居場所でもあり、働く場でもある。それは、スタッフが自分の職場に軸足を残しながら、自分の理念を実現するために「ふくふく」で働くのと何の違いもない。そんな曖昧さが、「ふくふく」の本当の魅力なのかもしれない。

 

5.地域にとっての「ふくふく」の存在

創始者が語るように、「ふくふく」の構想はまちづくりを強く意識してきた。そして、開設から5 年目を迎える現在、ようやくその手ごたえを感じ始めたという。
周南市は県東部の中核的な都市で、2003 年4 月21 日徳山市、新南陽市、熊毛郡熊毛町、都濃郡鹿野町が合併して誕生した。「ふくふく」が位置する旧徳山市は、海軍燃料廠から発展した石油コンビナートが現在も工業地帯の中心的存在になっている一方で、JR 徳山駅周辺の商店街は衰退が著しく、旧新南陽市や下松市方面への買い物客の流出に歯止めがかからない状況にある。
こうした状況の中で誕生した「ふくふく」は、周南市にとって、地元商店街にとって、そしてこの地域で暮らす住民にとって、どのような存在として受け止められているのか。今回、「ふくふく」を取り巻く地域の人々にインタビューを行った。ただし、インタビューの対象は、あくまで「ふくふく」に何らかの関わりをもつ人々であり、彼らの意見は必ずしも地域全体を反映しておらず、偏りがあることは否めない。その制約を踏まえた上で、できるだけ多様な属性の人々から話を聞いた。

 

1.中心市街地活性化事業という構想

 「ふくふく」は、周南市、徳山商工会議所(TMO徳山)の支援を受けてオープンした。
 「中心市街地活性化事業」の一環として、国と県・市の補助金を受け、施設整備の費用に充てた。まずは「ふくふく」に期待されていた事業効果を当時の資料から抜粋してみたい。

当該事業は、高齢者や障害者をはじめ、誰もが安心して快適に暮らし活動できる中心市街地づくりを目標に実施するものである。空き店舗を有効に活用し、商店街に新たな機能(福祉機能)を導入することにより、商店街の高付加価値化による魅力の向上と中心市街地の活性化を図る。
また、中心市街地に福祉活動の拠点を整備することにより、福祉に対する商店街全体の意識の啓発を促進し、商店街内での福祉用品やユニバーサル・デザイン商品の普及を促進することにより、「地域密着型の商店街」「人にやさしい商店街」として、新たな来街者の誘因を図ることができる。このことにより、商店街における消費が拡大され、商店街の活性化が見込まれる。

 今回、「ふくふく」の開設当初に、TMO徳山の立場で関わってきた人たちにインタビューを行うことができた。事業のコンセプトは、資料にもあるように「人にやさしい商店街」。
 ただし、そもそもの発想は福祉ではなく、商業振興であったことを語っている。

 空き店舗が目立ってきた商店街のシャッターを開けるためには、ただ物を売るだけでは人は集まらない。常に人が交流する出入りする機能を貼り付けたい、なにかインパクトのある新しい付加価値が欲しい、それが福祉だった。商工会議所が音頭をとって、新しい機能をつけようと商店街に呼びかけました。
 目指したのは、交流人口を増やすこと。いろいろな人に来てもらう、その1つが障がいのある人でした。街に人を増やすためには、今までにない新たな視点の取り組みが必要で、それが東さんたちの考えとうまくマッチしたのだと思います。

 これまで経済の領域だけで協働してきた商工会議所や周南市にとって、福祉をキーワードにした交流拠点という発想は、商店街の再生を賭けた1つの実験でもあった。ただし、最初はそれほど期待していなかったことも正直に語っている。だからこそ、5年間継続しているということが高く評価されている。

事業としてやっていくためには、目に見える効果がないと…。費用対効果が求められます。だから、補助金がある数年間はやっていけるけど、それがなくなったらダメになるかも知れないなと思っていました。商店街の人たちも、強い反対はなかったですが、最初は少し冷めた目で見ていた気がします。
 やっぱり最初は続けることは難しいかなと思っていたので、大きくは期待していませんでした。始めるのは簡単だけど、補助金がなくなったら継続することは難しいだろうなと思っていました。限られたマンパワーで継続できていることは、100%くらい成功したと思っています

 国の補助金は2年間しかなく、それまでに経営を安定させることは、誰の目から見ても難しい状況にあったという。しかし実際には、活動が継続するなかで知名度も上がり、地道に売り上げを伸ばしていった。それを身近で見ていて、従来の福祉にはない「主体性を持った発信力」を感じたという。
 そして、それまでの障がいや福祉に対するイメージが払拭され、個人としても「ふくふく」を応援したいという気持ちが強くなったと語っている。国の補助金がなくなると決まった時には、家賃の値下げ等の交渉を個人的に請け負った。こうした水面下での支援が、今の「ふくふく」を支えている。

 人に優しい商店街という市のコンセプトがあっても、やはり精神障がいの人に対して、最初は「怖い」という先入観がありました。でも一緒に食事をする機会があってからは、抵抗感がなくなり、同じ目線で話ができるようになりました。そして、みんながボランティアとして一生懸命になっている様子を見ているうちに、行政という立場ではなく、人間として応援したいと思うようになりました。今でも通りがかるたびに気になります。殺伐とした時代のなかで、ほっとできる場所というか。

 このように、「ふくふく」の開設に関わった人々は、それが継続しているということを根拠に高く評価している。しかし、中心市街地活性化という本来の目的からすると、まだ課題が山積していることも彼らは語っている。「ふくふく」の存在を知らない商店主も多い。新旧の店舗が入り混じった商店街は、店同士の関係も従来の馴染みの関係ではなくなり、むしろ希薄になりつつある。
 すでに紹介したように、「ふくふく」の利用者数や売り上げは着実に増えているが、そこには弁当の配食サービス分を含むため、実際にはそれが必ずしも商店街への集客効果には結びついていない面もある。そこで、商店街と「ふくふく」との関係に焦点を当て、数人の商店主からの話を聞いた。

 

2.地元商店街にとっての「ふくふく」

 「ふくふく」が位置する徳山市中心商店街は、JR 徳山駅から東側にかけての中心市街地に、7つの商店街で形成される県内でも最大規模の商業集積地区であり、中心商店街の広さは概ね120,000 ㎡、売場面積は空店舗も含め概ね49,000 ㎡の規模である。商店街の組織形態は振興組合が3 組合、事業協同組合が4 組合の計7組合がある。それ以外にも、共同駐車場を経営する「徳山商店連合(協)」や、広域カードを管理運営する「徳山カード事業(協)」等の事業型の組合も組織され、活発な共同事業活動が行われている。
 しかし、近年のモータリゼーションの進展により、郊外につながる国道2 号線を中心としたロードサイドショップの進出が著しく、中心市街地としての魅力が薄れてきていることも否めない。中心市街地人口は、昭和50年から経年的に減少傾向にあり、これは商店主や事業主が郊外に自宅を持って通勤するといういわゆるドーナツ化現象に起因している。
 さらに経営者の高齢化も進行してきており、売上減少、中心市街地の衰退化に相俟って、後継者難も問題となっている4。このような状況の中で誕生した「ふくふく」の存在を、商店主たちはどう受け止めているのだろうか。商店街では、これまでも障害者、特に身体障がいの人たちが買い物しやすい街づくりに取り組んできた経緯がある。そのため、障がいの有無を問わず、来街者が増えることは喜ばしいことだと語っている。

4 商店街に関する記述は、徳山商工会議所『徳山市商業タウンマネージメント計画策定事業 報告書』(2000.3)より抜粋している。

 商店街として、障がい者に対して偏見を持ってはいません。これまでも身障者用トイレの設置を市に要望したりしてきたし・・・。彼らが街中に出ていくことは賛成している。街も今まで出てこなかった人が出てきてくれることでにぎわいが創出される。
それは、売れる・売れないという話とは別に。
 この街は、保守的で閉鎖的。商売をしているとよくわかります。でも、障がいのある人に対して、差別とかはないと思います。みんな自分のところの商店街を発展させないといけないと思っているから、抵抗感や差別などと言っていられない。

 ただし、新旧の店舗の入れ替わりが激しい商店街において、「ふくふく」への関心は高くない。現在、客として「ふくふく」を利用している商店主や従業員も、開設当初は店の存在を知らなかったと語っている。

(「ふくふく」のことは)始める前の会議で聞いていたけど、詳しくは知らなかった。このことについては、市とも商工会議所とも、あまりコミュニケーションがとれていなかったと思う。特に反対はしなかったけど、よく知らないままに・・・。商店街は商売のプロ。最初から、もっといろいろアドバイスしてやればよかったかなと思ったりもしている。
 最初はまったく知りませんでした。こちらの人が職場にチラシを持ってきてくれて、初めて食堂だと知って来てみました。最初は普通のお店だと思っていて、何か月かたって、集いのチラシを渡されて、初めて(「ふくふく」の仕組みを)知りました。今までそういうことに関心がなかったから。

 「ふくふく」の存在が周知されるなかで、それを支援しようという自発的な動きが始まっている。たとえば組合の会議のときにコーヒーの出前を頼むことで、売り上げに貢献している。さらには、障がい福祉と商店街との接点を、商店街の側から模索する取り組みが始まった。「ふれあい市」と銘打った商店街のイベントで、今年は障がい福祉の事業所のためのブースを設置した。市の補助金に加えて、商店街の組合から補助金を出すことで、事業所が参加しやすい条件を整えた。

 物を売るだけでは、今からの商店街はやっていけない。福祉との連携が必要だと考えて、いわば実験です。商店街の会議で話し合い、あえて「福祉」という言葉を使わず、「ふれあい市」にしました。実施したアンケートの結果も、まずまずよかった。売り上げはともかくとして、障がい者のブースが売れたということがうれしい。熱意があるし、その一生懸命さが好感を得たのだと思う。

こうして好意的に評価をする一方で、厳しい指摘もしている。

(参加した事業所のなかには)「助けられるのが当たり前」と思っているところもある。甘えの構造というか…。一方では、補助が出なくても、これからも参加したいと言ってくれるところもある。私たちも弱いところは助けないといけないとは思っているが、福祉の人たちも、商売としてやっていくためには本腰を入れないといけない。

 商店街にとっては、「ふくふく」と他の事業所との区別をしてはいない。あくまで「頑張っているところを応援する」というスタンスで、その1 つが「ふくふく」であったにすぎない。

 

3.地域住民にとっての「ふくふく」

 地元で暮らす人々と「ふくふく」との最初の接点は、多くの場合、店の客という立場である。店としての「ふくふく」の評判は高い。その理由として、料理の味や値段を挙げる声が多かった。スタッフが交代制なので、料理の味も毎日変化する。そのことについて、「家庭的」「素朴」「飽きない」といった感想が聞かれた。そして、もう1つ語られていたのがサービスである。さりげない心遣いや言葉掛けが高く評価されており、そのことにより地域と「ふくふく」の距離を縮めていることがわかる。

 1人で店番をしていると言ったら、配達しますよと言われました。わがままが聞いてもらえるので、私にとっては、便利でうれしいお店。とても助かっています。私は、配達のたびに声をかけてもらったことがうれしかったです。配達してくれるお味噌汁が熱い。そういう気遣いがうれしいですね。
 毎日通っているうちに、いろいろ話をするようになりました。「彼女たちは初めての人が苦手だから、常連さんになってくれて嬉しい」と言われました。それを聞いて私もうれしくなりました。
 毎日お弁当を頼んでいたら、ある日から手紙が入るようになりました。「いつもありがとうございます」とか。そのメッセージがうれしかったです。作っている人たちのことを身近な存在に感じるようになりました。

 客として初めて訪れた時には、「ふくふく」の事情を知らない人がほとんどである。事情を知ってからも、特に抵抗感なく利用を続けている。温情や慈悲で利用を継続しているわけではなく、あくまで「普通のこと」として、「自分のため」に、利用を継続している。

 最初に知ったのは、お祭りのときにお店を開放されていた時です。いい雰囲気のお店だなと思いました。張り紙とかで(障がいのことを)知ったけど、別に気になりませんでした。
 客としてただ食べさせてもらっているだけ。精神障がいの人だと分かっても、応援しないといけないという気持ちもない、応援しているという実感もありません。(障がいのことを)知ったからと言って一生懸命にはならなかったし、違和感もなかった。当たり前のこととして受け止めています。
 (障がい者本人が)「弱者なんだ」となっていないし、そこに甘えていない。そこがいいところ。「助けてもらう」という雰囲気もないので、だから自分も普通にいられた。
「助けてもらっている」という風に接せられると、かえって気が重い。

 こうした日常的な関わり合いの一方で、地域の人にむけた啓発事業も企画している。店に訪れる客にも、時に「ふくふく」に込められた想いを伝える機会もある。それは、「ふくふく」を単に店として継続するだけではなく、地域のなかに精神障がいに関する理解者を増やすための拠点にしたいという思いがあるからである。事情を知った住民のなかには、「ふくふく」の理念に共感し、積極的に応援したいという気持ちになったと語る人もいる。

 精神障がいの人が働いていることは、様子を見ているうちに分かってきました。でも、特に抵抗感はありませんでした。みんな一生懸命働いていることが伝わってきます。ボランティアの人も、日替わりでよくなさっているなと感心しています。こんなふうに、楽しみながら仕事ができる場所や、自分たちが頑張っていることがかたちになるような場所が町のなかには必要だと思います。
 最初は、障がいのある人ということは知りませんでしたが、話をしているうちにわかりました。会話が少し噛み合わなかったり、喜怒哀楽が少ないから。でも抵抗感は別にありませんでした。自分の店があるからボランティアはできないけど、自分のできることで、協力したいと思っています。
 ずっと通っていると、(障がいのあるスタッフが)どんどん変わっていく。最初は(「ふくふく」の)意味がわからなかったけど、それを見ているうちに、なんとなくわかるようになりました。

 実際に客として店を訪れるうちに、ボランティアとして手伝うようになった者もいる。
 今回は、実際にボランティアとして参加しているOL3名から話を聞く事ができた。彼女たちは、月2回程度、交代で「ふくふく」を手伝っている。彼女たちに、奉仕や慈善という気負いはなく、むしろ自分たちが楽しんで参加していたと語っている。

 ボランティアというものをずっとやってみたかったけど、その機会がありませんでした。だから、(「ふくふく」で)ボランティアができると知って、軽い気持ちではじめました。見ていて楽しそうだったから、気軽に参加できました。
 イベント的なボランティアよりも入りやすかったです。自分たちの仕事とは違う業種だから、わくわくと楽しませてもらいました。(障がい者と)触れ合うことも楽しかったです。

 そして、専門職のスタッフと同様に、「ふくふく」での体験が自分自身にとって意味があったとも語っている。

 人に何かを教える話し方とか、話す内容とか、勉強になりました。どうしたら理解してもらえるのか迷ったけど、そのことが自分の普段の仕事にも活きています。
 仕事でもお客さんとして障がいのある人もいます。どんな風に接したらいいのか、少しわかるようになりました。
 一緒に働いていると、一生懸命さが伝わってきます。皆さんいきいき働いていらっしゃる一生懸命さが印象的でした。

 精神的な理由で休職していた知人が、彼女たちの紹介で「ふくふく」でボランティアをはじめ、それがきっかけで復職できたというエピソードも語ってくれた。そして、自分を含めた周囲の人達が、「ふくふく」での経験の中でどんどん変わっていくことを実感しているという。

 

読み解き

 「ふくふく」の存在が、「誰もが安心して暮らせるまちづくり」をどこまで実現しているのか、その点について、3 つの視点から検証してみたい。
 第 1 に、地域住民個人は、「ふくふく」の存在を好意的に受けとめている。「ふくふく」を取り巻く人々は、日常的な関わり合いのなかで、精神障がい者の存在や抱えている課題を「身近なこと」「当たり前のこと」として受けとめている。そして、自発的な取り組みとして成立している「危うさ」が、かえって人々の共感を得て、積極的に応援しようという人々が生まれている。
 第 2 に、組織的な承認という点では、まだ十分に実現しているとは言えない。もっとも身近な組織団体である地元商店街で、「ふくふく」の知名度は必ずしも高くない。自らが衰退の危機にある商店街に、温情や慈悲からの支援を期待することはできない。ただし、それは「ふくふく」の存在を否定しているわけではない。組織を構成する個々のメンバーは、「ふくふく」の存在意義を認め、一定の評価を与えている。そして、商工と福祉がどう共存することができるか、相乗的な効果をどう生み出すかを、組織として模索している段階にあるのではないか。
 そして第3 に、地域づくりという点では、精神障がい者の存在を、「当たり前」として認める土壌は確実に築かれつつある。今回のインタビューでは、精神障がい者に対する否定的なコメントを1度も聞くことはなかった。ごく自然なこととして、地域で共に暮らすことを受けとめている。もちろん、今回話を聞いた人々は「ふくふく」と何らかの関わりがある人であり、彼らの発言が全ての住民の意識を反映しているわけではない。しかし、少なくとも「ふくふく」の存在を身近で見ている人々のなかでは、偏見や差別はない。このことは、裏を返せば、「ふくふく」の存在、そしてそこで働く障がい者を少しでも多くの人々に知ってもらうことが、土壌づくりへと貢献することを物語っているのではないか。

 

この報告書は、平成20 年度厚生労働省障害者保健福祉推進事業の補助を受けて行いました。

日本福祉大学 地域ケア研究推進センター
(代表 平野隆之・担当 佐藤 真澄)

TEL (052)242-3075
FAX (052)242-3076
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