2001(平成13)年に「障害者等に係る欠格事由の適正化等を図るための医師法等の一部を改正する法律」の制定により欠格条項が見直され、聴覚障害学生が医学部、歯学部、薬学部、獣医師学部、看護学部等医療系の高等教育機関に入学するケースの増加が推定されている。
これらの医療系高等教育機関における教育は、一般教養教育に加え、専門領域に関わる講義や実習、直接患者に接して進められる臨床実習によって構成されており、講義や実習時間数は多く、しかも、それらは必須科目とされている。また、教育の到達レベルは国家試験により評価されることから、障害の有無にかかわらず、それぞれの専門職にふさわしい知識や技能や態度を身につけることが学生に求められている。従って、聴覚障害学生にとって、講義や実習保障に関わるコミュニケーション環境の整備は非常に重要となる。
一方、医療系高等教育機関側は、2001年まで欠格条項があったために聴覚障害学生に関する教育経験の蓄積がほとんどできておらず、聴覚障害学生への専門教育実施に伴って様々な課題に遭遇することが予想できる。
そこで、これらの医療系高等教育機関における聴覚障害学生の在学状況、講義や実習保障の実態を把握し、今後の医療系高等教育機関における聴覚障害学生への修学支援のあり方を検討することを目的に本事業を実施した。
本事業の実施にあたって、事務局を社会福祉法人全国手話研修センター内におき、財団法人全日本ろうあ連盟、全国手話通訳問題研究会、日本手話通訳士協会、全国聴覚障害者情報提供施設協議会及び聴覚障害学生への支援実績のある滋賀医科大学並びに筑波技術大学等の協力を得て、調査研究委員会を設置した。(調査研究委員及び各団体の紹介は97ページを参照されたい。)
調査研究委員会では、調査研究方法の検討、調査対象者の選定、調査の実施および結果の分析、報告書のとりまとめを行った。
第1次調査で悉皆的に我が国の医療系高等教育機関1,162校を調べたが、190校(16.3%)の機関が聴覚障害学生の受け入れ経験があった。受け入れ時期を2001 年前後で比較すると2000年以前の受け入れが5.9%であったのに対して2001 年以降は11.4%となっており、欠格条項の見直しにより聴覚障害学生の就学数が増加していると判断された。学部別でみると、薬学部,獣医学部の順で在学率が高かったが、看護系は教育機関数が多く学生の在籍率は少ないもの91校と最も多くの学校で聴覚障害学生が就学していた。
第2次調査では、第1次調査で聴覚障害学生が「在学する/在学した」機関について、学生の状態や修学支援について調べた。その結果、どの学部においても過去より現在の在籍学生に聴覚障害の程度が重い学生が多くいたが、発音の明瞭度では、医学部を除く学部で過去と現在が同程度だった。聴覚障害のレベルが重くても、発音が明瞭である場合は、教員や学友からコミュニケーション上のハンディーキャップが軽く受け止められやすく、適切な教育配慮を受けられない危険性がある。そのことは、第2次調査で「当該学生から教育支援」の申し出があった学生数と、実際の教養課程や専門課程の講義、基礎課程や臨床課程の実習で具体的な支援を受けた学生数の乖離に結びついていた可能性が考えられる。
講義での支援方法としてノートテイクやパソコンノートテイクは利用されていたが、実習はそうした支援策があまり採用されていなかった。医学部の臨床実習では手話通訳の利用が2校で認められた点は注目される。その一方で、医学部と同様に患者とのコミュニケーションが実習上重要な意味を持つ看護学部では、手話通訳の利用はもちろんその他の既存の支援方法もほとんど行われていなかった。看護系の教育機関で、聴覚障害のある学生に対してどのように教育が進められているのか、今後、一層の調査が必要と考えられる。
学内の支援状況については、医学部では半数近くの学校で組織されていたが、他学部での組織はほとんどなく、特定の教職員に依存した支援となっていた。聴覚障害への理解は医療系高等教育機関であっても十分とは言えず、特に講義や実習等を通じて生じる問題への対応方法は未知である。従って、聴覚障害への理解や支援方法についての教職員の研修が必要となるが、あまり取り組まれていないことが本調査で判明した。聴覚障害学生が入学した大学に対して、障害理解等の基本的なことがらについて教職員研修(FD/SD)がおこなわれることを求めたい。
聴覚障害学生を受け入れたことについての「困難さ」についての認識は、医学部以外の学部であまり高くなかった。医学部とその他の学部では受け入れた学生の障害程度は同じぐらいだったので、学部間で評価が異なった理由は「教育」内容の差に由来するのかもしれない。ただし、困難でないとの回答が多かった学部では、留年中や休学中の学生や、退学した学生数も目についたことから、「困難が少ない」と教育機関が評価する状況が単純に学生が「困難なく修学できている」状況ではない可能性があることを指摘しておきたい。
時間や調査体制の制約があり、数多くの教育機関を訪問調査できたわけではないが、2001年から2008年にかけて入学から卒業までの全教育課程を経験していたA大学医学部等からの情報など、訪問調査により貴重な情報を得ることができた。訪問調査結果や第1次、第2次調査結果を踏まえて、各教育機関や教職員が抱える聴覚障害学生支援の現状や課題を検討し、以下にとりまとめた。
一般校で聴覚障害についての特段の配慮なく教育を受けてきた学生の場合、聴覚障害に起因して生じる修学上の困難を適切に認識できず、「環境の不整備」よりは「自分の努力不足」としてとらえがちになり、周囲に支援を求めることもできず、心身の健康状態を悪化させたり、修学にも支障を来すことがある。高校まで支障なく生活できていたとしても、高度な専門教育を受ける上で困難を生じることがあることに学生が早期に気づき、聴覚障害に由来する諸問題を理解し、適切な支援を上手に利用できるような働きかけが必要である。
基礎専門教育の開始とともに高校までの教科書を網羅的に学習する方法が通じなくなる。講義等から学習すべき要点を抽出し優先順位をつけて学習することが求められるが、これは高校までの学習方法と異なり、つまずくことがおきやすい。教員は、パワーポイント等を使い視覚的に授業をすすめるとともに、教材としてもそれらを学生に提供する。医療系教育機関では、すべての学生が必須の授業を受けており、他学部のように授業時間に空きのある学生によるノートテイクボランティアを組織できない。ノートテイクが利用できても、科目数も多く、それぞれの専門性も高いため外部ボランティアでは対応できないことが多い。PC カメラ等を利用して授業中に同級学生のノートが見られるようにする方法や大学院生によるティーチングアシスタントの支援が有効なことがある。
聴覚障害者の情報獲得手段やそれに伴う心身の負担等について、教職員や同級学生が正しく理解する必要がある。聴覚障害が重度でなくても、補聴器使用の限界、雑音の中での補聴器の使用の困難さ、光線や明暗のアンバランスによる口型の読み取りの困難さ、音声情報が無い中での授業内容や課題の理解に要する時間の長さ等については理解する必要がある。また、発音に大きな支障がなくても、聞き取りに困難を抱えている場合があることに教員は注意すべきである。これらの問題を少しでも解決できるよう個別、具体的に情報保障を検討すべきである。こうした配慮を行うことは、特定の学生に対する特別扱いではないことを関係教職員は研修会を通じて学習すべきである。また、聴覚障害学生の同意を得て、同級学生に対して聴覚障害についての学習会を行うべきである。
聴覚障害学生本人に対しては、必要な場合に、健聴学生の数倍の時間をかけてでも学ぶ(留年してでも学ぶ)という決意を促すことも必要である。
健康管理センターの協力やカウンセラーとの連携による当該学生の心身の健康管理支援が必要である。また、支援学生や教職員へのフォローを繰り返し行い、深刻な誤解が生じないよう、早期の対応をとる必要がある。
無断欠席や遅刻の頻発が周囲に生じる誤解の可能性について、教育的に指導していくことも必要である。このことは保健医療分野の職業人として求められる「基本態度」に属する問題で、「障害」の有無と関係づけて曖昧に対処すべきではない性質の問題とも言える。
A大学の経験では、支援学生担当教員と当該学生担当教員とを分けて、定期的に面接し、メールで状況を把握し、必要によっては相互調整を行っていた。教職員については、実習担当教員に終了時に気づいたことをノートに記入してもらい、必要に応じて当該学生にフィードバックしたり、内容を教職員の研修に反映させたりすることで、誤解の早期解消に取り組んでいた。
医療系高等教育では、小人数の学生が学習や実習で日常的に長時間ともに過ごすことが多い。聴覚障害学生が学生間で親しい人間関係を作りにくかったり、聴覚障害に由来する悩み等について相談できなかったりすることが起こる可能性がある。こうした場合、学内に他の聴覚障害学生がいればそうした学生と、また聴覚障害のある卒業生がいればそうした先輩との交流をすすめる。また、全国の大学には、聴覚障害学生が多数おり、聴覚障害学生の連携組織があることを当該学生に助言し、自ら聴覚障害学生との交流を持つよう支援する必要がある。(寄稿を参照されたい。)
また、教育機関が所在する地域の聴覚障害者情報提供施設や手話通訳者団体等と学生が連携することが、当該学生の視野を広げ、手話の学習等新しいコミュニケーション手段の獲得につながるので、積極的に情報の提供を図るべきである。
教職員が単独で学生支援にあたるのではなく、学内に支援体制を整備し組織的に支援すべきである。また、聴覚障害学生の修学支援経験のある他大学や聴覚障害者団体他、聴覚障害者情報提供施設等の連携を図る必要がある。聴覚障害学生が在学する教育機関に対しては、学外の支援組織や団体等からも情報提供や支援協力の申し出等を行うべきである。
専門課程の教育や臨床実習場面では、患者や教員と学生とのコミュニケーションや学生間でのコミュニケーションを通じて問題解決能力を形成したり診断能力を形成することから、こうした場面では、聴覚障害学生に高度のコミュニケーション保障が提供される必要がある。今回の調査で、高度のコミュニケーション保障手段として効果が認められたのは、手話通訳者の利用のみであった。手話通訳者を利用していた事例では、聴覚障害学生は大学入学以前には手話を習得しておらず、修学の過程で手話を学習していた。教育上手話によるコミュニケーション保障が必要と判断される聴覚障害学生については、発語の明瞭さに関わらず、入学早期より手話習得を勧めるべきであろう。
医療系高等教育機関での手話通訳利用について次の様な課題があった。
医療系の高等教育レベルに対応できる手話通訳者数はきわめて少なく、首都圏や近畿圏に集中しており、その他の地域での利用はきわめて困難であること。費用負担が発生し財政的な裏付けが不明確なこと。手話通訳者を交えた臨床実習等の進め方について、守秘義務や患者の同意問題などの未整理な問題があること。医療系教育場面での手話通訳技術の集積が乏しいこと。こうした課題への関係者の早急な対応が求められる。
医療系高等教育機関における聴覚障害学生の修学支援経験を集積し、その知見を多くの教育機関が利用できるシステムの構築が必要である。例えば、筑波技術大学障害者高等教育研究支援センターなどが中核となり支援経験を持つ医学部や薬学部、獣医学部、看護学部がネットワーク組織を形成し、全国手話研修センター及び各地域の聴覚障害者情報提供施設等と連携して、助言や情報提供、研修会への講師派遣、情報保障支援などを行う体制が求められる。また、聴覚障害学生からの相談にも対応できるシステムの整備が不可欠と考える。
今回の調査では、調査委員に医学教育担当者はいたものの、看護学や薬学や獣医学教育の担当者がいなかったことから、分析が偏った可能性がある。また、訪問調査件数が少なかったことに起因して、他大学での貴重な修学支援経験情報を取り上げることができなかった可能性がある。こうした限界を考慮しても、悉皆調査により全国の医療系高等教育機関の実態を把握した上で訪問調査を行い、現状の問題点と今後の取り組みについて検討が行えたことから、現在の時点ではほぼ満足できる成果が得られたものと考える。今後は、ますます医療系高等教育機関で学ぶ聴覚障害学生が増加することが予測されることから、今回の調査結果が聴覚障害のある高校生や、聴覚障害のある学生を受け入れた医療系高等教育機関に利用されることを希望したい。また、しかるべき時期に、聴覚障害学生の卒後の状況について追跡調査が行われることを希望する。