東京手話通訳等派遣センターはI大学医学部に1年6ヶ月にわたり手話通訳の派遣を行った。調査者は平成21年2月に東京手話通訳等派遣センターを訪問し、担当職員3名に聞き取り調査を行った。東京手話通訳等派遣センターよりI大学への手話通訳派遣についての報告資料を提出していただいた(報告資料⑧-1)
医学部の臨床実習における情報保障は、東京手話通訳等派遣センターとして初めてのことであり、これまでのような大学の講義における情報保障と同様な体制では対応することが困難であったが、さまざまな問題に直面しながらも、それらの問題を学生、大学、派遣センター、通訳者が連携して解決していったことを知ることができた。
まず、医学という非常に専門的な分野の通訳を担える人材の確保という問題があった。これに対しては、医療関係の有資格者の通訳者を4名確保し、派遣センター職員2名と合わせて対応したとのことだが、当然のことながら、医療関係の有資格者の手話通訳者はその資格関係の仕事に就いている人が多く、仕事との調整が難しかったとの報告があった。今後増えるであろう、医療系高等教育機関での情報保障のニーズに対応するためには、医療関係の有資格者に手話通訳の資格を持ってもらうのも1つの方法であるが、仕事の関係上柔軟な対応が困難なことが多いので、手話通訳者に専門知識を習得してもらう取り組みも必要ではないかと感じた。
ただし、報告によると、臨床実習の現場で看護師資格を有していない手話通訳者が通訳する場合は、患者の承諾書が必要になるなど、制度上の支障があるとのことであった。このままでは、専門知識を有した手話通訳者を養成したとしても、臨床実習の現場の通訳には派遣ができないということも予想される。これについては、手話通訳者の業務の意味に対する理解を求め、ある一定の研修を受けた手話通訳者は承諾書なしでも臨床実習の現場で通訳を行うことができるようにする取り組みが必要ではないかと思われる。
また、この報告を聞いて疑問に思ったことであるが、聴覚障害者が実際に医師となって診療を行う時に、看護師有資格者の手話通訳者でないと、患者の承諾がない限り診療行為ができないということはないのだろうか。もし、そうだとすると、この条件を有する手話通訳者は少ないため、結果的に聴覚障害者は診療行為ができなくなるという事態が生じる恐れがある。そのようなことはないのかどうか、確認が必要であろう。
次に、臨床実習は普段の医療の場面と同じように、患者と医師や看護師とのコミュニケーションがあるのだが、通常のように診療を受ける側の聴覚障害者の患者に対して通訳をするのではなく、診療する側の医師が聴覚障害者であり、彼に対して通訳をするため、通常の時の通訳とはまた異なる通訳の方法が必要になってくるという報告があった。これも、初めて気がついたことであり、このような場面での通訳の方法なども含めた、聴覚障害者が診療する側にいる場合の医療現場での通訳方法の整理が今後の課題として出されたと思う。
今回のケースは、聴覚障害学生本人の意欲、大学の理解と協力がうまくいったという面では良かったと思う。ただ、情報保障に要した経費の負担については、少し問題を残したのではないかと思われる。今回は学生側も負担したようであるが、他の学生より聴覚障害学生の負担が重くなることはあってはならないことであり、情報保障に要する経費の負担についても解決していかなければならない課題である。
調査者:河原 雅浩、大杉 豊
東京手話通訳等派遣センター
2005年12月から約1年6ヶ月にわたり、東京手話通訳等派遣センター(以下「当センター」という。)では、東京都内にあるI大学医学部へ手話通訳者を派遣した。
これまで当センターでは、高等教育機関や学生からの依頼に応じて、手話通訳者を派遣してきた実績がある。しかし、医学部へ手話通訳者を派遣するのは初めてのことであり、先行事例がないながらも、手話通訳派遣事業所として組織的にこの依頼に応じることになった。
特に病院内の臨床実習では、通常の高等教育場面での講義保障と異なり、手話通訳者の技術・能力を発揮するだけでなく、さらに医学・医療領域の知識が求められた。
この特殊性のある領域での手話通訳派遣の取り組みを振り返り、課題を整理することで、医学部へ手話通訳者を派遣するためのシステム構築や、手話通訳派遣のあり方を考察したい。
今後は、医者になるために「医師免許」の取得を目指し、医学部で学ぶ聴覚障害学生が増え、手話通訳の依頼や、手話通訳ニーズが高まることが予想される。今回のレポートが、医学部で学ぶ聴覚障害学生の教育を受ける権利が等しく保障されるために、全国各地で奮闘する手話通訳派遣事業所や、手話通訳者をはじめとする関係者の一助になれば幸いである。
2005年度12月~2007年度5月(約1年6ヶ月)
東京都内I大学(医学部)
社会福祉法人東京聴覚障害者福祉事業協会 東京手話通訳等派遣センター
区分 | 具体的な内容 |
---|---|
講義 | 臨床医学、社会医学等 |
臨床実習(BSL) | 実際の医療場面での患者との接し方(コミュニケーション)、診断や治療方法等。教授回診、カンファレンス(治療方針等を検討する会議)、クルズス(臨床の講義)、手術見学等 |
試験 | 各試験等。習得した能力の評価、進級のための査定等 |
その他 | 修学するにあたって必要なもの |
2005年12月に、依頼機関の大学で、聴覚障害学生(当時4年次)・教授・大学学生課・当センター職員が集まり、手話通訳者を派遣するにあたっての確認のため、打ち合わせを行った。
【確認事項】
当センター職員2名を担当窓口とした。連絡は、電話やメールでのやり取りが中心となった。円滑なコーディネート業務を遂行するため、I大学医学部専用の情報ファイルを作成し、依頼・変更・キャンセル等の管理と、履修要項・カリキュラムの概要等の資料を整理し保管した。そのファイルを見れば、部内スタッフでも一定程度の対応は可能な状態にした。
【依頼】
【変更・キャンセル】
【手話通訳者への依頼】
年度(学年)/手話通訳者 | 登録手話通訳者 | 職員(手話通訳者) | 可動 人数 |
|||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
A | B | C | D | E | F | G | H | I | ||
看護師 | 臨床検査技師 | |||||||||
05年度後期 (4学年) |
○ | ○ | ○ | ○ | ? | ○ | ○ | ? | ? | 6名 |
06年度前期 (5学年) |
○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ? | ? | ○ | ○ | 7名 |
06年度後期 (5学年) |
○ | ○ | ○ | ○ | ? | ? | ? | ○ | ○ | 6名 |
07年度前期 (6学年) |
○ | ○ | ○ | ○ | ? | ? | ? | ○ | ○ | 6名 |
年度(学年)/手話通訳者 | 登録手話通訳者 | 職員(手話通訳者) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
A | B | C | D | E | F | G | H | I | |
看護師 | 臨床検査技師 | ||||||||
05年度 (4学年) |
7 (24%) |
7 (24%) |
6 (21%) |
2 (7%) |
- - |
5 (17%) |
2 (7%) |
- - |
- - |
06年度 (5学年) |
3 (3%) |
6 (5%) |
40 (36%) |
2 (2%) |
14 (13%) |
- - |
- - |
18 (16%) |
28 (25%) |
07年度 (6学年) |
0 (0%) |
0 (0%) |
3 (60%) |
0 (0%) |
- - |
- - |
- - |
1 (20%) |
1 (20%) |
床の講義)、手術等の場面での手話通訳が必要となる。下記は、それぞれの場面における一例を示したものである。
◎聴覚障害学生 ●通訳 ○教授(医師) □健聴学生・医師
①診察
②教授回診
③カンファレンス・クルズス
④オペ室
手話通訳派遣件数の報告を見ると、どこも共通して「医療・保健・健康」に関わる手話通訳派遣が多い。そういった公的派遣(コミュニケーション支援事業)では、聴覚障害者が患者である。従って、手話通訳の目的は、患者が自分自身の病気や怪我の状況を知ることや、治療していくための医師や看護師などとのコミュニケーション保障である。しかし、医学部における手話通訳では、患者である聴覚障害者への手話通訳とは目的が異なる。
医学部の講義や臨床実習等では、通常の医療場面の手話通訳とは異なる知識や技術が求められる。必然的に手話通訳者へのニーズや手話通訳の方法が異なってくる。聴覚障害学生には、医師の患者に対する接し方やコミュニケーションの取り方、患者の様子をリアルタイムで伝えることや、どのような日本語を選択しているのか等、教育・研究的なものとして伝えるよう心がけた。
今の社会では、聴覚障害によるコミュニケーション障害は避けられない。聴覚障害者が、医療行為を行う場合、健聴者の患者がコミュニケーションに不安を持つことも予想される。
その反面、コミュニケーションが取りにくく、相手とのコミュニケーションを常に意識する環境で生活する聴覚障害者だからこそ、患者の目を見て、表情や行動等の細かな様子を観察し、患者の訴えを理解する努力をし、患者に理解して欲しいことを伝えていくことができるとも言える。病院経営の効率化により、電子カルテが表示されるディスプレイのみを見て、診察室内の会話が進む等、患者と医者等とのコミュニケーションの希薄さが問題となっている現在、コミュニケーション障害をプラスにしえるものだと考える。
(1)コーディネート担当者としての課題
コーディネートを行う上で、授業内容の変更など緊急の対応ができる体制や関係機関との連絡、相談、提案ができる体制を整えることが課題であると考える。そのために、コーディネート担当者を固定することが望ましい。
(2)手話通訳者としての課題
通訳を行う上で、医療知識を深めることは言うまでも無いが、通訳環境をよりよくするための現場での対応も必要となってくる。
(3)手話通訳派遣事業所の手話通訳派遣の対応と、大学の直接雇用の対応
手話通訳で聴覚障害学生の情報保障を考えた際、今回のような手話通訳派遣事業所が手話通訳派遣をする場合と、大学が手話通訳者を直接雇用する場合と2つの方法が考えられる。その場合の考えられるポイントを挙げてみた。
*当センターが手話通訳者を派遣する場合
*高等教育機関が手話通訳者を雇用する場合
(4)その他の課題
わずか約1年半の期間ではあったが、私たち手話通訳派遣事業所としては貴重な経験を得ることができた。その中で感じたことを振り返りまとめに代えたい。
まず、今回の手話通訳派遣に結びついたのは、聴覚障害学生の要望や努力も然ることながら、担当教授や大学学生課の理解が根底にあったからだと考える。また、情報保障のため、事前の情報や資料提供などの努力をしてくださったことで、一歩ずつ手話通訳環境の改善を見ることができた。また、聴覚障害学生と同じグループの学生の理解や協力も得られたことが、私たちの大きなサポートになり、励みにもになった。
やはり聴覚障害学生本人や関係者が一体となった協同的な関係や動きが、より良い情報保障に結びつくと改めて認識を強めた。
また、当センターには職員・登録手話通訳者を合わせると約120 名の手話通訳者がいる。また、その中に医療関係の資格を持つものが4 名おり、全面的な協力を得ることができた。このように、通常の手話通訳派遣件数に対応しながらも、専門領域・継続性・緊急性のある医学部の手話通訳派遣に応じることができたのは、手話通訳者とコーディネーターの力、これまでのノウハウの蓄積等、当センターとしての組織の力ではないかと思う。
さらに、大学の交通の便も良く、当センターからの距離も近いことなどの立地条件にも助けられた。しかし、今後も医学部等の高等教育場面への手話通訳を受けていくためには、社会システムや制度、財源の確保や改善と合わせて、専門領域の知識のある手話通訳者の確保、養成、人数の確保、コーディネート力が大きな鍵となると考える。