有識者座談会の部

厚生労働省 平成20年度 障害者保健福祉事業 「障害者自立支援調査研究プロジェクト」
『障害者の芸術文化活動の普及と作品の評価向上に関する調査研究』

委員会および座談会

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日時 平成20年12月11日(水)午後3時30分~5時30分

場所 スクワール麹町7F 会議室

出席者

委員長 河 幹夫 (神奈川県保健福祉大学教授 前内閣府審議官)
委員 北岡 賢剛 (社会福祉法人 滋賀県社会福祉事業団 理事長)
高橋 陽子 (社団法人 日本フィランソロピー協会 理事長)
北村 真征 (前NHK厚生文化事業団 理事長)
髙木 金次 (財団法人日本チャリティ協会 理事長)
山本 貢 (財団法人日本チャリティ協会 事務局長)
大木 英男 (株式会社 リサーチアンドサーベイ 主席研究員)

WORD SCAPE 有識者座談会の発言より抽出・構成

滋賀県は芸術学部を卒業した学生たちが、10年間の間でかなり施設に就職しているのです。京都造形大学とか。いま21カ所の施設で、芸術学部を出た学生たちが就職しています。そして、アトリエを開いているのです。それは、展覧会を見て面白い作品だと思い、この作家に会いたいと思って訪ねてきたら、その人が施設にいたということなのです。だから、彼らにとっての憧れの存在として、施設に就職するのです。支えなければという話よりも、教わらなければという感じで来ている。

図 作品の売り上げは誰へ?拡大図・テキストデータ

議長(河) ただいまより委員会を開催させていただきたいと思います。

チャリティ協会では、厚生労働省の平成20年度 障害者保健福祉事業「障害者自立支援調査研究プロジェクト」のうちの『障害者の芸術文化活動の普及と作品の評価向上に関する調査研究』を手がけられてきました。私もご相談にあずかってきた者ですが、準備段階も順調に進んでいますので、そろそろ皆様方のお知恵も借りながら、良い形になっていくように側面的な援助をしていただければということでお集まりいただきました。委員の方々に義務を負わせるつもりは全くありませんので、障害者の芸術文化活動について、忌憚のないご意見をお聞かせ願えればと思っております。

この委員会の趣旨等については、あとで事務局からざっと説明していただきます。何よりもまず最初に調査を担当なさった財団法人日本チャリティ協会の髙髙木理事長からひとこといただきたいと思います。

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議長を務める 河 幹夫 委員長

髙木 髙木です。本当に今日はありがとうございました。河幹夫議長には多大なるご苦労をいただきまして、ここにこういう委員会が開かれたことに非常に光栄に思っています。私どもの経歴については資料を差し上げましたので、後ほどご覧になっていただきたいと思います。

ご承知のように昨今、障害者アートが浮上してまいりました。去年の暮れから今年にかけて、厚生労働省と文化庁とが連携して懇談会が開かれまして頑張ろうよということで、やっておりますのが今回の調査で、厚生労働省の委託事業でございまず。非常に画期的なことだと思いますので、それに応じた成果を上げたいと思っております。ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。限られた時間でありますので、簡略ですが御礼の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。

議長 ありがとうございました。趣旨等は後でご報告があると思います。お集まりいただいた方々は一応出席者という形でお名前等をお手元の資料に配らせていただいていますが、改めて紹介させていただきます。私は河です。チャリティ協会の方々とはご面識いただいている者ですが、正直に言いましてアートが一番わかっていない人間が私かと思います。そこが長所かなとも思っていまして、そんな思いで皆様方と一緒に学ばせていただきたいと思います。

何か話があれば、後ほどご発言をお願いしたいと思います。それでは自己紹介をそれぞれ1分ぐらいでお願いしたいと思います。この順番でいくと北岡さん。よろしくお願いいたします。

北岡 私は、滋賀県社会福祉事業団というところで県立施設をお受けして運営をするという、県が今のところ100%出資している法人の理事長ということで仕事をやっています。高齢者の施設と障害者の施設と、生活保護の関係の施設などを運営しています。それに加えて障害の方の美術を常設展示するということで、「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」というものを4年前に立ち上げまして、今そこで展示などをやっています。

滋賀県は、戦後間もなく近江学園というものが出来まして、その時から主に工芸活動でしたが、そういうことを熱心に行ってきました。その先輩たちの長年の夢、常設をして展示できる場所が欲しいというのが夢で、先輩たちの長いご苦労を基に、そういう美術の展示できる場所を用意するということになりました。また後ほどいろいろとお話をしますが、このミュージアムは障害のある方の美術を展示する場ですが、見せ方としては一般のアーチストの方と一緒に展示をすることで、作品の“力”というか魅力をお伝えできるのではないかと考えております。先日も、日比野克彦さんとご一緒に障害の方との展覧会をやり終えたところです。今日は、どうぞよろしくお願いします。

議長 次に高橋陽子さん。社団法人フィランソロピー協会の理事長です。

高橋 高橋です。よろしくお願いします。私どもは1991年より企業の社会貢献の推進、今で言うCRSの推進をしている団体です。ただ、企業が何かドンと貢献をするというよりも、むしろ企業に働く社員の方をはじめ、関係者の人たちが個人としてどうできるかという中で、なかなか個人個人では動きにくい、特に企業の力の大きな社会ですので、企業が個人の社会貢献を後押しすることを進めている団体です。

障害者の芸術文化ということで言いますと、一般の方が障害者や福祉に関わるときに、芸術文化というのは、そういうものを取っ払った中で共感し合えるものなのではないかということで、障害者の方々の芸術文化ということもひとつの切り口としてと言いますか、むしろ障害者のお力を借りて、一般の方の社会参加を推進するということをやっています。今日は、いろいろ勉強させていただきます。よろしくお願いします。

議長 北村さん。

北村 北村です。私は、この6月の末までNHK厚生文化事業団におりまして、髙木理事長とは2年間ほどいろいろなことをご一緒させていただきました。私はもともとNHKのディレクター出身で、いま教育テレビで「日曜美術館」という番組がありますが、これができて半年経った時の最初のプロジェクト。話したらきりがないですが、当時は何も美術のことはわからないままやっていましたが、そのことをたぶん覚えておられたのでしょう。理事長から、「こういうものがあるから、お前参加しろ」という……。「お前」とは言われませんでしたが、そういことで本日やってまいりました。

髙木 一応、理事長さんですから、北村さんも……。

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髙木 金次 委員

北村 いえいえ。ということで、今日も勉強になればと思っております。

議長 今日は、理事長さんの招集した会ですが、髙木理事長も一言。

髙木 河先生とも長いですね。

議長 30年ぐらいですか。

髙木 30年ぐらいで、あまりご厄介になったことはないんです。話すと長くなってしまいますが、日本チャリティ協会を設立しておよそ40年になります。格好良く言えば日本は芸術文化、特に福祉の方面においては遅れておりまして、その中で協会は、そういうものを推進していこうということで、いろいろな団体などと協力して障害者のスポーツだとか芸術だとか、様々なことをやっております。

今回、こうして厚生労働省の助成を得て、『障害者の芸術文化活動の普及と作品の評価向上に関する調査研究』を担当して実施させていただいております。もうお耳に入っていると思いますが、2009年に、東京でアジアのパラリンピックが開催されます。ただパラリンピックだけ、スポーツだけでは面白くないなということで、私ども協会がアジアから障害者のアートを集めまして、東京で展覧会を開こうと現在、鋭意努力しているところでございますので、いろいろとご協力を賜りたいと思います。よろしくお願いします。

議長 ありがとうございました。あとで調査研究のひとつ、障害者福祉施設に対して行われましたアンケート調査についてのご報告をいただきますが、私が申し上げたかったのは、ひとつだけでして、さっき申し上げたように、私はアートなるものは全然わからない人間ですから……、いろいろな所で、いろいろなやり方で、とくに絵画の指導などにおいても、作品の評価においても、非常に幅が広くて、いろいろな思いがいろいろな所にあるのだと思います。

この場で先に私の思いを言わせていただきますと、多分、私の存じ上げている皆さん方は非常に幅広く考える思考の方々で、これが正しいとか、これが間違っているという、もちろんご自身はこういうことをやりたいという思いはそれぞれ持っていらっしゃいますが、ほかのなさり方を否定される方々は、いらっしゃらないメンバーだと思っています。そんな訳で、緩やかにいろいろな意見が出せればな、という思いを持っております。

その意味では皆様方もそれぞれ自分の思いを言っていただいて良いと思いますが、併せて皆様方自身がこれまでやってこられたように幅広く議論を進めて行ければと思います。何が正解ということではなくて、忌憚のないご意見をお聞かせいただきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

時間が限られていますが、これまでこの3カ月ぐらいでしょうか、チャリティ協会でいくつかの調査をされていますので、その途中経過などをご説明をいただいて、その後は先ほどご挨拶の中で触れていただいたようなことをもう少し掘り下げて、お考えを言っていただくような時間を多く取りたいと思いますので、よろしくお願いします。

それでは事務局からのご説明、ご報告をよろしくお願いします。

山本 短めにご説明いたします。まず私どもの事務局の職員をご紹介します。私は事務局長の山本です。どうぞ、よろしくお願いします。それから藤原総合プロデューサー、山平、瀬川、公共事業PRセンター社長の高木真でございます。

では、議題の⑶ですが、アンケート調査の中間報告を申し上げます。調査を担当しましたのは株式会社リサーチ アンド サーベイの大木英男さんです。それでは、大木さんお願いします。

大木 この『障害者の芸術文化活動の普及と作品の評価向上に関する調査研究』の一環として行いましたアンケート調査の中間報告書で説明させていただきます。調査には施設の部と学校の部とがありますが、これは施設の部の、それもまだ全体ではありません。現在n=529と書いてありますように、529施設についてとりあえず今日の委員会に間に合わせるために作成したものを集計したという形になっています。したがいまして、まだほかに返ってきているものもありますので、最終的には600を越えるだろう。600を越えた時点で、改めてそれを差し込んでグラフを作り、コメントを加えまして示そうと思っております。そういう意味では、あくまで中間報告ということでお聞きいただきたいと思います。

回収状況ですが、全部で2,000配付しまして、これは529ですが、600以上は返ってくるだろう。そうしますと、回収率は約3割ぐらいでということになるかと思います。

時間もないので、簡単に説明します。まず、施設の規模、職員、非職員の数を調査しまして、各施設ごと規模ごとに芸術文化活動の実施状況をグラフ表示しております。全体として言えますことは、知的障害者の施設のほうが活動が活発であり、その目的も余暇活動が中心で、次いで療育・知育のために芸術文化活動が活用されているようです。

次に指導者を見ますと、アート活動を指導する専門スタッフを擁している施設は思いのほか少なく約2割にとどまっております。5割近くが外部の協力を得ていて、あとの3割強が専門スタッフではない職員が対応しています。外部の指導者においては半数以上が美術関係の学校を出ているか、あるいはプロフェッショナルと呼ばれている人々でした。

このように、多くの施設において行われている芸術文化活動は、まだまだ指導者不足がいなめないような印象を受けております。詳細につきましては後ほどご説明させていただく機会があろうかと思いますが、もしご質問があれば受けたまわりたいと思います。簡単ですが、以上で私の説明は終わります。

山本 次にDVDについてご説明いたします。

藤原 すでに撮影のほうは終わりまして、編集作業に入っております。まだ完成しておりませんので、お手元にお配りしている資料をご参照ください。昭和30年代に就労の場を求めて信楽焼の里に施設を設けた信楽青年寮、だれでも自由にアートを学ぶことができる財団法人日本チャリティ協会の障害者カルチャースクール、障害を負って生まれたわが子の生きる場所として設立された群馬県高崎市のNPO法人・工房あかね、アートに特化した福祉施設の神奈川県平塚市にある工房「絵(かい)」、最後が大阪市内にありますプロ集団のアトリエ・インカーブ。以上の5施設をレポートいたしております。

次に、この調査の結果に基づき、報告をかねて絵画展をやりますが、これは今のところ東京、大阪、仙台の3カ所を予定しております。展示作品は、各道府県に対してメール調査をしまして、平成20年度にアート展を開いたものの優秀作品を一堂に集め、そこに地元の作品も出展してもらってコラボレーション展にしたいと、現在、準備しております。以上、ご質問がありましたらお答えしますので、よろしくお願いします。

議長 ありがとうございました。

山本 それから、障害者アートセミナーというものを、東京、大阪、仙台の3か所でやろうという計画もあります。絵画展開催期間中です。東京は2月、大阪は2月下旬、仙台は3月上旬を予定しています。事務局からは以上です。

議長 わかりました。ありがとうございました。以上の説明のようなことが最後の報告書の中でまとめられる形になりますが、皆様方も関心を持っていただければということだと思います。財団法人日本チャリティ協会はこんな活動をしているということです。

それでは、むしろ皆様方からのご意見をいろいろお伺いしたいということで、あまりこちらからこういうことを聞いてどう考えるか、イエスかノーかみたいなことでやろうとは思っていませんので、先ほどと同じ形の順番で、いろいろな話をこれまでのご経験からどんなことを考えられるか。あるいは、いままでそれぞれがやってこられたことのご説明等、お一人15分ぐらい時間をお渡ししますので、ご自由に北岡さんから……。北岡さん、何か持ってきてくださったのですね。

北岡 喋りが下手ですから、こういうのでどうかと思いました。先ほど申し上げました滋賀でやっているボーダレス・アートギャラリーNO-MAのスライドを少し。10分ぐらい、よろしいですか。近江商人が暮らしていた町家を改修をしてギャラリーふうにしました。県はお金がないので、日本財団からお金をもらいまして改修いたしました。こんなことで、近江八幡の伝統的建造物群の町並の中にあって、こういうふうに改修してできました。平成16年4月に完成をしています。

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北岡 賢剛 委員

先ほども申しましたが、障害の有無を越え、作品を通じて人が持つ表現へのエネルギーが交差する新しい場所を目指そうということで、「福祉とアートの交差点」と当時は言っていました。こういう図面で、中はこんな形に改修をしたということです。2階は和室になっています。和室を使った展示もあるだろうということです。それから、日本のいろいろな資料も集めようということで、ライブラリースペースを用意したりということです。

これがオープニングのときの展覧会の、ちょうどNO-MAがオープンしました時にやりました。「私あるいは私」というテーマの「静かなる燃焼系」というサブタイトルを付けて、障害のある人と一般のアーチストのコラボレーション展をやりました。陶芸の初代宮川香山という方の作品が多くはパリに流出していたらしいですが、それを日本のお金持ちが買い戻されて神奈川県にたくさん持っている人がいて、その方にお願いをして借りてきて展示をするという形でやりました。宮川香山の作品は、そういう意味では価値でいうと、保険をいくら掛けるかみたいな話の時に、その頃は1点で800万円位で、1870年代の作品ですから、これだけで130年位生きている作品ですが、猫の歯の1本1本も陶芸で出来ていたりして、なかなか気持ち悪いというか……。

それに対して、伊藤喜彦という信楽青年寮の人で、もう亡くなりましたが陶芸をおやりになっている方です。こう展示をすると、向こう側に宮川香山の陶芸があって、手前に伊藤喜彦の作品を置くということで、同じ空間にこうやって展示する。伊藤喜彦さんの作品は、1個2,000円とか1,500円で売っているものばかり並べていますが、向こうは800万円ということで、お金についても少し遊んでみるというか、金額は公にしていませんが、こういうことを通じて、伊藤喜彦さんはこういうふうに過剰なまでの装飾を粘土を使ってやるということですと、見てもらいました。

あとは、岩崎司さんという方は岩手精神病院に入院されて、精神病院で亡くなったのですが、岩手の水沢だったか市の市議会議長までお務めになって、ある日、統合失調症が発症して、家族に抱えられるように病院に入院するような方でした。これは病院の彼の部屋を再現しましたが、病院のベッドの周りに自分で書いた絵を展示しているという噂を聞きまして、すぐに彼の作品をお借りしました。どちらかというと俳句みたいなものも結構作られているということで、こんな展示をしました。これは森村泰昌さんという大変著明な方ですが、森村さんにも作品を出していただいて、一緒に展覧会をやりましたということです。

もうひとつ、こんなことをずっとやっていまして、いろいろな美術館に障害者の美術について展覧会をやってくれと持ち込みましたが、なかなか研究者がいないということと、こういう美術はどう評価して良いかがわからないというお話がありまして、評価の軸のための研究もまだできていない。では、どうしたらいいだろうという話をしていましたら、スイスのローザンヌという所にアール・ブリュット・コレクションという美術館があると。ここに、かなり障害の方の作品が収蔵されている。世界的にも最も収蔵点数も多いので、1回スイスのローザンヌに連絡を取ったらどうだと、東京都立近代美術館の学芸員の方々に言われました。行ってみようということで行きまして、展覧会を見に。これがスイスのアール・ブリュット・コレクションで、1800年代の貴族の馬小屋を改修して作った美術館です。ここに日本の作品を実際にたくさん持って行きまして、正面がアール・ブリュット・コレクションの館長ですが、お見せしたら大変日本の作品に興味を持っていただきまして、なんとか日本の作品もこちらのスイスでも展覧会をやりたいという話になりました。

そんなことから、先ほど申し上げたこういう美術展をスタートするということで、北海道立旭川美術館で今年の1月からやりました。最後は、今年の7月20日に松下電工の汐留ミュージアムで終えて、これは約半年間のツーリングをやる。アール・ブリュット・コレクションに収蔵されている作品と、日本の作品を一緒に展示するというのがコンセプトです。これも相当スイス側と揉めたのは、世界的に評価の価値が定まっているスイス側の作品と、日本の作品はまだそういう意味では海の物か山の物かわからない作品を、同じ空間に展示するというのは、「お前はやっぱり福祉の人間だ」と言われましたけれども、それでもやる必要はあるだろうということで、なんとかアール・ブリュット・コレクション側も理解をした。というのは、その作品を彼らは収蔵したかったものですから、収蔵したい作品ということは価値があるということを認めているのに、どうして一緒に展示するのが駄目なのだという話をして実現にこぎつけました。

ただ福祉の方にも多く見てもらうことになるので、見やすいようにしようということで、片仮名がスイスの美術館に収蔵されている作品で、漢字は日本の作家の作品。それを「人の形」というカテゴリーで見てもらおうということです。これが日本の女性の作品です。これは、兵庫県の入所施設で暮らしている小幡正男さんという方の作品ですが、段ボールに色鉛筆で書いています。入所施設ですから、段ボールはたくさんあって、野菜を運んでくるとか魚を運んでくるというのを厨房の裏から持ってきて、彼はナイフで切って色鉛筆で書く。これはスイスに収蔵されている、アールウイズさんという精神病院で48年間生きて、最後は病院で死んでいった方の作品。これはカルロという方で、精神障害の方です。これもハウザーといって、精神に障害をお持ちの方です。

次は「文字」というテーマです。これは吉舎場さんといって沖縄の自閉症の青年が、A4のこの位の紙に新聞の活字位の大きさで漢字をずっと書きます。これはアートだろうと勝手に決めつけまして「文字」というタイトルで展示しました。これは岩手県の方の作品ですが、1枚1枚が日記になっていまして、何月何日、晴れ、何々と書いた後に、数字と数字の間を自分で塗るものですから、最後は字が読めなくなってしまって絵に見えてしまう作品で、「今日は缶コーヒーを飲みました」とか、いろいろ書いているんです。

こんな形で、1枚1枚話せばきりがないですが、今度は「都市の夢」という電車ばかり書いている自閉症の知的障害の方ですが、こういうものをどんどん書いていく。これも自閉症の方です。彼は愛知県で暮らしています。これはスイスの方です。こうやって見てみると、なかなか日本の作品も負けてない、負けてないというと変ですが、負けてないじゃないかというようなことで、この作品は彼も自閉症です。たまたま結果としてわかったのは、スイスのアール・ブリュット・コレクションに収蔵されている作品は、ほとんど精神障害の方。日本は、こういうのはどちらかといえば知的障害の方が多いということがわかってきまして、面白いなと思っています。

この展覧会は半年間日本でやりましたが、スイスのアール・ブリュット・コレクションの美術館で日本の作家だけの展覧会を向こうの企画でやりまして、たくさんの人がヨーロッパ中から観にきたということで、当初半年の予定がロングランで1年になりまして、今もまだやっています。これを大変面白がってくれまして、パリの市立美術館から日本のアウトサイダーアーチストというか、障害者の展覧会を来年度の3月から半年間やりたいというオファーが来ました。ですから、彼らの持っている作品のエネルギーみたいなものが世界に通用するということがこれで証明されました。

これが2階の和室で、こんなふうに展示をしましたということです。これは1階で、こういうふうに展示しましたという風景です。これだけのスポンサーの方にお金をもらいましたということで、全体として7,000万円、3カ所ツーリングするとかかって、滋賀県は200万円くれまして、あと6,800万円を寄付、こういうところから歩いて集めて回りました。

実は、最初私たちは素人なので、始めようとしたときは2,000万円ぐらいでできるだろうということで、ちょろいちょろいと思っていたのですが、だんだん請求書が来ると5,000万円になった、6,000万円になったといって、最終的についこの間決算したときは7,100万円かかっています。グッズなどは1,500万円ぐらい売れています。ですから、あとは企業の皆さんがお金を出してくださったということで、なんとかやり終えました。このおかげで、今度はパリで展覧会はどうですかというお話がきました。

3分オーバーしましたが、これはアール・ブリュット・コレクションに収蔵されている作品で、精神障害者が病院でシーツの1本1本糸を抜いて、手編みで編み上げたウエディングドレスです。真ん中にはピンクでハートがきちんと刺繍してあります。このピンクは、どうやって色を付けたのかが未だにわからない。ケチャップかもしれない。でも、ケチャップでも、こんなに長年経ってピンクが残るわけがないというお話がありました。これは刑務所で、スプーンでずっと壁を掘ってきた精神障害の人がいて、それを刑務所の壁ごと外してきてこの美術館で展示をしている、というような代表作品をお見せすることになっています。

ですから、我々がやっている取組みというのは非常に尖った部分というか、芸術文化作品の非常に狭い部分を追いかけてやってみようということでやっています。いまも、日本の精神病院で働く看護師のチームと一緒になって、精神病院の絵画クラブで書いている絵ではなくて、ベッドサイドで寝る前に一生懸命に書いているような人たちはいないか、ということで探してきたり。そういうご縁で今度は韓国の国立の精神病院にも変な人がたくさんいるという話になって、この間韓国の病院にも行ってきました。絵画療法で書かれている絵みたいなものに私たちのチームの気持は引っかかりませんで、どちらかというと真っ暗になってから、部屋でコソコソと書いているような作品に興味を持っているということで、非常に尖った部分をやっているのかなと思います。以上です。すみません。5分オーバーしました。

議長 私が質問しますが、北岡さん、もともとタヌキを作っていたわけでしょ、信楽で(信楽焼の特産品、タヌキの置物のこと)。タヌキ作っていたのと、もともと福祉だから、別に美術に造詣が深いとかは全然思ってなかったわけでしょ。何も思っていなかったのに、入っていったわけですか、美術の世界へ。

北岡 もちろん、さきほどのDVDの撮影で行かれたということですが、その信楽青年寮という所に長年勤めていました。そこに田島征三さんという画家が遊びに来るようになって、それからいろいろな美術を観るようになりました。私は、大学を卒業するまでに美術館という所に行ったこともない人だった、だから恥ずかしくてしょうがないですけれども。それと友達にそういう画家ができて、なんとなくいろいろな所に連れて行ってもらって、面白いなと自然に思うようになってきた延長にこれ(ボーダレス・アートギャラリーNO-MA)があったという。

これは、それこそ新日曜美術館で45分間特集で組んでいただいて、45分間の番組に出していただいたり、ニュース23も築紫さんがご健在で、アール・ブリュット・コレクションの館長が来たときのインタビューをずっと放送で20分流してくださったりして。私たちはマスコミの取材が来ると「社会面で取り上げるんだったら出ません」とかいろいろ生意気なことを、「文化欄で取り上げてくれるんだったら出ます」とか言ってこだわって、日経新聞も文化欄で取り上げてくださったり、そんなことがありました。以上です。

○北村 尖ったとおっしゃったでしょ。それは、北岡さんご自身が尖ったという感想なのか、基本的にはNO-MAのスタッフの皆さん方、それを目指そうというふうにかなり確信的に思っていらっしゃるんですか。

北岡 戦後間もなく、近江学園という所でこういう取組みがあった作品が、ほぼこういう作品ばかりでした。障害の人が作るんですが、水を入れるとザーザーと漏れるみたいな花瓶があったりして。そういうことに非常に信楽学園の施設に関わっている人たちは面白がっていた文化が、けっこう50年ぐらい蓄積されてきたことが、結果としてこういう作品に興味を持つチームができてきたのではないかなと思います。

北村 すごく大きなテーマだけれども、芸術というのはキャンパスに絵を書くことだけじゃない。そうではなくて、日常生活の積み重ねであって、芸術なのか芸術でないかは関係ないというふうにも受け止められる。その辺みたいなものですか?

北岡 そういう感じです。この間も、東京の稲城の精神病院に、トイレットペーパーで王冠を作る人がいました。閉鎖病棟の保護室に入っていらっしゃる方です。その方がトイレに行くと、トイレットペーパーで自分で王冠を作る。その方の作品をこの間ある時に写真で送ってこられました。これは面白いねとなってしまいます。それは絵でもないし陶芸でもないですが、ですからあまり真面目に考えていない。面白ければ良いみたいな感じがあるので、それは今度美術の専門家や芸術の方に、なんとか整理してほしいという感じはあります。

議長 アートという言葉の中に、そういう面白がりみたいな、いま言ったように、生活みたいなものがかなり入ってきた。芸術という言葉とアートという言葉とあるけれど、どこがどう違うんですか。

北岡 どうですかね。

北村 明快に教えてくれる人、いないような気がするなあ。

議長 そう、それは宿題にしておきましょう。では、高橋さん。

高橋 自分のことを自己紹介をするとは思わなかったので……。

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高橋 陽子 委員

議長 なんでもいいです。思ったこと、感じたことをしゃべってください。

高橋 どう話せばいいかわからないんですが、私はアートの専門家ではないし、福祉の専門家でもない人間がこういうことを始めたというのは、日本人というか大人も子供もそうですが、いますごく閉塞感がある。特に企業で働いている人が、かなり閉塞感がありますそうなると、そういう大人が元気で夢を持って生きていないと、子供に夢を持てとか希望を持てと言っても、まあ迫力がないだろうなというのが私の原点です。だから、子供から見て格好いい大人を、モデルとして、もっとたくさんつくらなければいけないなということで、いまのような仕事を始めています。

アートというのは、北岡さんの影響が大きいのかなあ、よくわかりませんけど。もともと、私がなぜこの障害者アートに引かれたかというと、障害者のためにというより、むしろ一般の人のために障害者の力をどう活用するかというか、元気にしてもらうかということでした。ですから、私どもの出している月刊誌の表紙にずっと使わせていただいています。ひとつは何をもって元気にするかというと、多様性ということでしょうか。みんな、それぞれ一人ひとりいろいろな生き甲斐があっていいというところがひとつと、簡単にみんな同じ人間なのだということがひとつ。障害があるからどうだこうだではなくて、良いものは良い、好きなものは好きだということを示せれば、もう少しみんな解放されるのではないかなという、ただそれだけのことです。

みんな、アートというと悪いものだとは思わないです。私は、どう褒めていいかわからないときは、昨日も北海道で農業をやっている人に「農業はアートですよ」と言ったら、すごい喜んでくださったんです。「教育はアートですよ」というと、また喜んでくださるんです。殺し文句で、困ったときにはアートという言葉を使う。そうすると、アートという言葉にはどういう意味があるのかなというと、解放があるとか、ありのままであるとか、自分らしいとか、何か既成概念とか固定観念から外れた個性みたいな、そのままでいいんだよ、それを大切にしようみたいなものが結構あるから、誰にそう言っても喜ばれるのかなと思いました。

具体的には何をしているかというと、先ほども申し上げましたように一般の人、企業に務めている普通の人は障害をもった人、社会的弱者に心をかけたりできるかなということで、北岡さんにリーダーになっていただいて、お昼も輝いているけれども明るくて見えないという意味の「真昼の星」という映画を撮らせていただいたり……。

あとは、今日は持ってきませんでしたが、名刺に障害者の方々の絵を使わせていただいて、皆さんに使っていただく運動もしています。これの意味は、障害者の方の経済的な自立支援ということもありますし、そういう名刺を、どっちみち使うものですから、好きな絵を載せてもらうことで障害について理解をしてもらうという、普通の人がその世界に入りやすい工夫をしながら広げていただくというのが私どもの役割かなと。その中の入口としては、アートというのはすごく入りやすいし、皆さん共感しやすいのかなということでやっています。なので、河さん以上にアートはよくわからないので、いい加減にアートを殺し文句に使っています。

議長 でも、アート展をやったり、六本木で美術展をやったり、活動をされていますね。それだけ良い作品があるのかもしれないし、何か高橋さんの個人的な思いかもしれないけれども、割とある時からこの世界にのめり込んでいる。その理由が良くわからなかったのですが。

高橋 あれは、こちらからやりたいといったのではなくて、文化庁が、副大臣の池坊さんが、急にやりたいねということになって、東京駅の近くで。あれは6月1日です。でも、その話は3月の半ばでしたよね。ですから、そういう時にやれるのはうちみたいに柵が全然ない、色がついていないというのでしょうか、障害者のアートと何にも関係のない所だからできた。それと、北岡さんのところはどちらかというと尖ったところですよね。文化庁がなさるのに、あまりジャンルというかそういうのはなく、広くというのはありましたので、そういう意味ではこれの、私どもで出している『月刊フィランソロピー』という雑誌の表紙でずっと障害者の方々とお付き合いがあるので声をかけさせていただき、北海道から沖縄まで70点ぐらいですかね集まりました。それでできたんです。うちは、アートにのめり込むというより、少し距離をおいたところでお付き合いさせていただいています。

議長 アートという言葉。使いやすさがあると。さっきおっしゃったようなことですね。

高橋 一般の人が障害者の人とお付き合いするといったときに、アートというのは障害に関係なく付き合えるツールですよね。もちろん私の好みもあって70点を展示しましたが、そういう意味では障害の種別に関係なく広く集めました。レベルはどうか、評価はどうか、というのはよくわからないんですが、まあ、好き嫌いで集めました。そんなんでいいのかな、とか言われながらやっています。私は、企業の社会貢献あるいは企業の社会責任として、障害者の雇用もありますが、アートを通じて経済的な自立支援をするというところは企業の人が関わりやすいし、共感が得やすい、力を出していただきやすいものではないかなと思って、障害者アートの世界にはいったということです。

議長 企業の方々というのは、昔でいうと景気の善し悪しによってすぐに返上するみたいなことがよく言われていた。日本の会社というものは。美術活動というのは景気に左右されるみたいなことをよく言われたけれども、いまは具体的に携わる部門も出てきて、その人たちに出会うと、すごい素敵な人間がたくさんいますよね。

高橋 そうですね。

議長 だから、高橋さんが付き合っている大企業の窓口になっている人たちは、素敵な人がすごく出てきたような気がしているのと、先ほどの北岡さんのものも援助して、会社が本当に通すのかどうかも知らないけれども、ああいうものが割と通りやすい。通りやすくなるのは良いことで……、ある種、風穴を開けたと思う。それはやっぱり、高橋さんのおかげでもあるけれども、今後その傾向はどちらに向かうと思われますか。

高橋 それほど楽観的とは思わないけれども、期待はしたいですね。例えば北岡さんが、アールブリュット展、あれだって企業の協賛がなければできなかった訳ですが、企業だけで何千万集めたんですか。

北岡 企業だけで4,000万円ぐらいですかね。

高橋 それはすごいですよ。それはこれまでの感覚ではあり得ないです。北岡さんのあれにかかった、言葉のマジック。北岡さんの情熱にやられちゃったと思いますけれども、普通はそんなに絶対出してはくれなかった。しかも、障害者アートに対してね。

北村 私もNHK厚生文化事業団でけっこう企業をまわりましたけど、それはそれは大変なことでしたねえ。

高橋 すごいですよ、北岡さんの。ファンドレイダーとしての能力。

北村 企業は、総論賛成で各論でほとんど出さないですね。何のためにやるのか。具体的に目的を説明して、メリットはあるかないか、損か得か……。

北岡 今回は、スイス大使館が後援に付いたでしょ。

高橋 それのブランド力みたいな。

北岡 それで、スイス大使は行き付けの企業に一緒に行きましょうとまわってくださったんです。

高橋 それは、だからやっぱり認めたんだ、北岡さんを。

議長 北岡さんの背後霊なのか、スイス大使の背後霊……。

高橋 スイス大使は、完全に北岡さんにまいったんですか。

北岡 まいったというか、「やりましょう、一緒に」と。ですから、その後は社長さん同士のネットワークで広がっていった。

高橋 そうでないと、出る金額ではないですよ。これこれこういうことをやるんだと会社の上のほうに報告書を出す。すると、なんで障害者アートなんだということになって、結局はうやむやになる。

北村 そうなんですよ、アジアの人たちに車椅子を贈りましょうとか、盲導犬を贈りましょうとか、割にはっきりしているようなものには企業ものりやすい。

高橋 企業も社会貢献としてやらなくてはいけないけれど、そうでないものはせいぜい障害者たちが作ったパンを昼休みに売店で売らしてくれるとか、その程度のレベルなんです。だからこそ、はっきり言って生産性に関して直接プラスにならない、それもアートに、障害者アートにということになかなか至らない。だけど、そういう意味では北岡さんみたいな人はメッセンジャーというか、伝道師的な使命があるんだと思うんです。

さっきも申し上げたように、社外的な独創性だとか固定感念からの開放というのは、いま会社の中で重要です。ですから、むしろ外に対するイメージではなくて、会社のコミュニケーション力を高めるとか、チームワーク力を強めるとか、独創性を育むとか、感性を磨くとか、社員をどうエンパワーするかという切り口でいくと、案外いいのかなと思います。

議長 なるほど。自分の会社を強くしたいんだけれどというほうが。

高橋 そのほうが、それでいてアートですから。あとはアメニティグッズだとかカレンダーに使うとか、報告書の表紙に使うとか、そんなのが現実的には良いのかなと思います。

北村 そのことに関して、ひとつだけ気になることがありました。自閉症の方が書いていらっしゃったんですが、ものすごく批判的でした。使ってもらうのは良い。でも、そのことによって作品の価値が下がってしまう。障害者の自立のためには良くなってきたのかもしれないが、あまりにも安易にあつかわれてしまうと、最終的には障害者にはマイナスなのではないかと、その方は言うんです。複雑なところですね。これからの障害者アートのテーマでしょうね。

話はちょっとそれますが、2年間だけNHK厚生文化事業団にいた時に、あちこちでよく聞いたんですが、福祉はいまや「生活支援」から「生き甲斐支援」になりましたというんです。「生き甲斐支援」とは何かというと、障害のある人もない人もかかわらず、絵を描きたい、絵画展にも行きたい、音楽会にも行きたいと。そういう人たちをどうやって支援するか。そういう人たちのそういう気持ちが大事ですよみたいな話をしながら、今日はいろいろとご寄付をいただきましてありがとうございますも、やるのですが、その中で僕自身が2年間でやろうと思ったのがスポーツとアートでした。

スポーツについては、余談で申し訳ないのですが、「障害者駅伝マラソン大会」というのをこの間、11月31日にやったのですが、これは第1区が車椅子、第2区は視覚障害者とか。視覚障害者の方たちのマラソン大会もあるし、車椅子だけの駅伝もある。スポーツの世界では障害で固まっているのです、グループがみんな。なかなか障害を超えた連携が無いので、連携のマラソンイベントを作って、できれば都道府県対抗ということで、この前は関東の中でやって2,000万ですね。本当は4億ぐらい、普通のマラソンではそのぐらいかかります。でも2,000万でもなんとかできました。

ところがアートがなかなかいい知恵がなくて、NHKなどは実は「ハート展」、障害のある人たちの詩に障害のない方が絵を描いて。逆のケースもありますが、そういうケースだと。これが13回、今度で14回。若干マンネリ化してきたり、絵を描いている人も固定化している。その後何ができるか。そうすると、言葉尻をいただいて恐縮ですが、障害者アートの評価が定まっていないとするならば、逆にオールジャパンぐらいの、障害のある方々の作品をすべて集めて、グランプリ、総理大臣賞、そういう評価を定めるような大きな美術展覧会を作れないかなと。そんなことを思いながら今日に至っています

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北村 真征 委員

高橋 絵のパラリンピックみたいなものですか。

北村 絵のパラリンピックですね。しかも、もっとステータスを高めるためにはどうしたらいいかみたいなことで、六本木の例えば新国立美術館で開くとか。ちょっと調べたら、いろいろなグループがあるのでこれは難しいかなと思ったら、NHK厚生文化事業団を首になりました。障害者のアートはまだ評価が確立していない。で、評価の仕方、つまり障害者のアートとは何かみたいなところでまだ足踏み状態ですが、それでもあと一息か二息ぐらいでうまくいくのかなと思ったりしているんです。

高橋 障害者アートというジャンルで、一括りでの評価ってあり得るのですかね。

北岡 なかなか難しいでしょうね。さっきの口で筆をくわえてお描きになった絵と、自閉症だからスーパーこだわりマンが、本人は絵と思っていないで描き綴ったものを周りが面白いと言うのと違いますね。同じ舞台には乗せられない。

さきほど北村さんからお話があった著作権の問題で、僕らもアールブリュット展をやったときに弁護士の方とも何回か勉強会してそうかと思ったのは、著作権はどうなっているのかということと、誰の了解で展覧会をしてよいのかという問題とは分けて考えないといけない。出展してもらった作品を商品化したわけですが、ポストカードに始まって、いろいろと。それは本人の許可を取っているのかとか、それは後見人を立てなければいけないとか。後見人を立てて後見人が「うん」と言えば良いのかという話になるのですが、著作権問題を専門とされている弁護士の方と相談すると、著作権の他に人格権があると言って、これだけは誰にも譲渡できないということなんです。

議長 後見人が馴染まない。

北岡 人格権というのは、後見人にさえ譲渡できるものではないと。だから、著作権法というか法律の中に、確かに知的障害の方や精神障害の方の著作権の取扱い、作品の取扱いについては、まだ非常に未整理な部分が多いということになってしまいまして、家族が了解したみたいなことで、曖昧のままでやったのですが……。

北村 過渡期でしょうね。いつかそのあたりはクリアにしなけらばいけない。

北岡 整理しなければいけない。

議長 しなければいけないではなく、やった方が良いと思いますね。

北岡 著作権問題、人格権問題がクリアにされないままに見切り発車していたわけですが、よく言われました。裁判されたら負けるぞって。

髙木 負けちゃう。

北岡 とにかく、著作権だった格権だったり、譲渡できないものではあるので、そこは後見人を立てても絶対に補えないのだと。

議長 例えば、展覧会をやることも著作権との関係でぶつかるということなのですか。

北岡 誰の了解を得たかって。

議長 了解を得てここに飾ったと。それだけではダメなんですね、法律論争になると。さっきの北村さんの話ではないけれど、昔、役人やっていた私から言うと、一定の展覧会についてはどうとかいうのを、印か何かで、文部科学大臣でも文化庁長官でも何でも良いんだけれども、判子を押したら著作権論を超えることができるかもしれない。いずれそこは解決しなければいけない。

北村 展示権みたいなものですね。あとは保険作品の評価が必要。それによって保険をかける金額が違ってくる。

高橋 文化庁がやった時は個展をどうするかというので、輸送をしてもらうので、いくらにするかというのがわからなくて、アトリエ・インカーブさんだけはえらい高いことをおっしゃってきたので、しょうがない、それはそれで言い値にして。あとは皆さん伺っても「わかりません」みたいな、ご本人たちもそうで、一律30万で70点。そんな感じでした。(保険評価)

北村 アールブリュットはすごいよね。

北岡 アールブリュットは、向こうから来るのはすごいです。

北村 何億、何十億と。

北岡 かかります。でも、日本側がいくらいくらと言ったってそうなるんですから。

高橋 いくらかかるって?

北岡 ところがね、日本では施設に聞くと、粘土代がいくらかかる……。

北村 原価計算じゃないですか。

高橋 材料費。

北岡 ……クリエーターじゃないんだからって。さっきの伊藤喜彦さんと宮川香山さんレベルの話ではないのです。最後は損保ジャパンさんが協力してくださったのですが、損保ジャパンのほうで「私たちで評価します」と。あまりに安くても駄目でしょうということで。

高橋 いくらぐらい。

北岡 10万円ぐらいだったと思いますが。(保険評価)

議長 今みたいな部分は、私みたいにさっきから言っているようにアートの素養がない人間でも、考える道筋みたいなものはあるような気がしましたが、それは答えが出るかどうかわからないけれど。そういうのもここの議論の中にあっても良いかもしれないですね。

北岡 それは、福祉現場にとっても大変プラスだと思います。クッキー1枚売るのと、絵が3万円で売れても、昔で言えば授産会計に一本化されて、絵もクッキーも同じ収入として割算してみんなに給与で払うというのが、いまも相当施設おありだと思うのです。作家として評価されているのではなくて、クッキー職人と同じで、クッキーで言えば3,000枚分みたいな感じになっているので、これも著作権みたいなことで言うと非常に課題が多いわけです。特に話題になればなるほど、そっちのほうの整理を急がないと、障害者ご本人は何もプラスにならなくて、何とか法人だけが良い思いをする。

高橋 そういう意味では施設中の問題というか、そういうことって一番大事ですよね。正しい評価がなされなければいけない。

北岡 でも、それは県庁の指導監査でやれる話でもないので、著作権みたいなところを話題にしていきながら、やるとしたら私たちじゃなく、国にやってもらわないと……。

議長 みんなに関心を持ってもらって、ちゃんとしたルールを作ってもらわないと……。

北岡 そういう啓発のほうが効果的かなと思いますねえ。

議長 それが、いわゆるアートとしての扱いをちゃんと受けるべきだみたいな形でなされると良いですね。

北岡 例えば、ポストカードを作っても、そのうち何割が本人に行くのかというのも実は曖昧で、ひょっとしたら売れた分全部施設の収入になって、また人数で割算して給料を払うということは、多くの施設がやっていると思うのです。良いも悪いも、そういう文化の中でこれまでやってきた。ですから、本来は作家だったら俺のポストカードが1枚売れたら1割はくれ、みたいな話があるわけですが、そこもどんぶり勘定になっている。

北村 日本という国は、そういうのを最初に決めたら面倒くさいということで、なかなか手をつけようとしない。不思議な国ですね。

議長 だけど、さっきの「支援」という言葉から言うと、そういうところも正当にいろんな支援みたいな考え方で作っていけばいいのでしょうね、みんな頑張っているのがちゃんと報われるようなもの。そういう制度を作りましょうというのは、文部科学省、厚生労働省も乗ってくるような気がします。おばあちゃんたちに交通法規を守りましょうというのとは違うわけですから。

北岡 今回の調査もその意味では次へのステップとして、著作権の問題も含めて就労支援の一環として議論していただけたらと思います。

議長 そうですね。

北岡 粘土は施設の運営費で買いましたと。作ったのは障害者ご本人ですが、作品として、アートとして出ていくと、材料は施設で買ったのだから、売れたものも施設のものだろうというのがあるわけです。

議長 クッキーと同じわけですね。

北村 だから、今のような話は、厚生労働省と文部科学省で話し合ってもらいたい。所管としては著作権って文化庁じゃないですか。いろいろむずかしいとは思いますが、ぜひやってもらいたいことですね。

議長 著作権の議論とアートの議論と、まさに同じ長官の下でやっているわけだから。それに、今言ったように福祉施設の中の文化みたいなものを考えていかないといけない。アートにおいても本当に授産みたいなことで考えなければいけないというのが、北岡さんがずっとやってこられたことですね。

北岡 一本、このテーマだけでもすごく幅広な意外に深い研究テーマだと思いますね。この調査の中に、売れた作品の費用は本人に払っているのか、施設の収入にしているかみたいな問があったら、どんな回答があったでしょうね。

議長 回収率が下がってしまったりして。

北村 この中でも、余暇活動とかという表現になっているけれど、この辺りをもう少し更に分析して行くことですね。これは画期的な調査だと思いますよ、その意味では。

髙木 この中で面白かったなと思うのは何かありますか、この調査の中で。

北村 楽しかった。全体にね。

議長 こういうのは今までなかったから、今後の課題みたいなものを提供してくれたという意味では良かった。ただ、何のためにやっているか、そのあたりがもっと具体的に欲しかったけど、それは次回に期待しておこう。

高橋 調査の目的ですね。

北岡 それと調査なさっている指導者の問題ですが、例えば、滋賀県は芸術学部を卒業した学生たちが、10年間の間でかなり施設に就職しているのです。京都造形大学とかいま21カ所の施設で、芸術学部を出た学生たちが就職しています。そして、アトリエを開いているのです。それは、展覧会を見て面白い作品だと思い、この作家に会いたいと思って訪ねてきたら、その人が施設にいたということなのですだから、彼らにとっての憧れの存在として、施設に就職するのです支えなければという話よりも、教わらなければという感じで来ている

北村 それは、滋賀県の長年の文化活動の歴史にもよるでしょうね。

北岡 でも、全国的に広がっているのではないですかね。この間も山形に行ったら、山形にも市内に造形の学校があって、そこの学生が山形県の共同作業所でアトリエを始めたとおっしゃっていましたし、岩手県なんかも相当広がって

いるようです。

高橋 それは、画壇なんかの閉塞感みたいなものがあるのではないですかね、このままではダメだみたいな……。

北村 それと、学校の教師の資質の問題もある。学校は出たけれど、絵では食っていけない。先生になるしかない、みたいな人が多いから。

高橋 食っていけないからね、確かに。

髙木 就労がひとつの選択肢としてあっても良い。美術関係の学校はこれから障害者のアートに取り組ませて欲しい。指導者としてね。

北村 逆に言えば、第2段は施設ではなくて大学。芸術系大学と福祉系大学の所を調査して、それでクロスオーバーしていくと面白い。

北岡 ですから、この調査の専門スタッフの経歴と業務形態なんて興味がありますね。美術関係の学校を出て施設で働いている人たちは、私の実感で言うと、常勤職員にはなりたくないのです。雇用状況が厳しいというよりも、自らの意思なのです。アトリエのときだけやってくるという感じなのです。少しは生活の介護もしないと本人たちのことがわからないからと言って、週に3日ぐらいは介護や入浴介助をやるのだけれど、1週間すべてはしない。残りは自分の制作時間にしているのです。

議長 これですよね、専門スタッフはどんな時間を使っているかというところ。たしかに施設では働くけど、自分の時間をキープしている。

北村 逆に言うと、専門職がいっぱいいるというのを評価するのではなくて、むしろそういうことも含めて評価したほうがいい。

北岡 そういう人たちは、だんだん全国的につながって行くのですみんな孤独なのです。社会福祉現場にいると理解してもらえないものだから……。だから、隣の施設の人と友だちになって、隣の県の人たちとも友だちになって、そういう集団ができてきています。

議長 私ごとですが、私のいとこが肢体不自由の障害者に絵を教えているんですが、養護を専門にしている指導者よりもかえって障害者の心をよく理解していたりする。絵というコミュニケーション手段を通じて、重度の障害者の思いみたいなものがわかるのかもしれないと思わされることがしばしばある

北岡 絵を指導している人のほうが介護的にもすごかったりする

議長 私はそれが悔しいなと思って。

北岡 絵を通じて福祉が成り立っている

議長 成り立っているということと、その子がこういう所でこうしたら良いんだけれど、そこがなかなかみたいなことをしゃべると、この子は私が考えているよりはるかに真っ当なことを考えてるなと。その間にあるのは絵なんですよね。美術教師と美術の生徒なのですが、すごいなと思う。家族関係論からいろいろ説明されたけれど、なるほど、そうだよなと。そういうことは福祉を専門にしている私がやりたいなみたいな。そういう部分というのは、北岡さんはどう思われますか。

北岡 本当に真剣勝負で、アトリエなんかで関わっていらっしゃるから、画材の提供の仕方とかいろいろな画材を使いたいとかというやり取りをする中で、この障害の方はどんなこだわりがあるのかとか、生活分野までどう支援したら良いのかというのが、多分イメージできるのだと思うんです。だから、本当に社会福祉学部よりも芸術学部を出てきた人たちのほうが、支援の構造化をするのが上手という感じが、経験則でしかないですが、そう思います。

高橋 そういう意味で、アートにおいてもそうだけれど、福祉現場の閉塞感というか、思い込んでいらっしゃる福祉の関係者の人の心を開く、あるいは保護者の人たちの心を開くという役割が、芸術にはあるのかも知れませんね。いま企業の社会貢献で出前講座がすごく流行っています。自分の所の技術やいろいろなものを、学校に行って教えてあげるという出前講座。ところが、支援する側からいうと、まだまだ問題が多いんですよ。誰が一番の抵抗勢力かというと、学校なんですね。例えば、富士通の人に来てもらって、もしNECの保護者が居たらどうするのか、1企業の人に教わるのは良くないと保護者の方から言われはしないかと学校の先生たちが心配する。

議長 学校も、教師も公務員だから……。

高橋 最初は、教育現場にそんな人が入ってきて……、みたいな抵抗がすごくあるのだけれど、実際に受け入れたところをみると、意外な風が入ってきて良かったという話もある。最初は軋轢があるのだけれど、現場の中が変わっていくという役割が専門外の人にもあるのではないでしょうか。

北岡 僕は施設にやって来るそういう若い人たち、女性が多いんですが、彼女たちとしゃべっていて、良く思うんです「この人はこの絵を描いている時はとても豊かな時間を過ごしている人なんだね」とか言いながら、障害の人たちの作品を見ているのですが、絵を見ると、本人がどんな時間を過ごしながらこの1枚の絵を描いているのかが、彼女たちは直感的にわかるというか、感じるのでしょうね。

高橋 ある意味でよそ者だから、気楽に、良い意味で、距離感をおいて見られる。

議長 おばあちゃんみたいなものだな、孫に対する。

高橋 それって、案外大事かもわからない。さきほどの私の話は少しずれていたようね。

議長 これは今の話とはつながらないかも知れないけど、福祉系大学の学生たちで福祉施設に関わりたいと思っている人は半分あるんです。ただし、ひとりの中で半分なのです。50%というのではなくて、福祉関係に携わりたい思いは半々という意味です。行きたい気持ちはあるけど、福祉施設に行ったら好きなことができないと思っているのですそういう学生がすごく多い

福祉施設の文化というかアートみたいなものが貧相だと学生は思っているんです。やっぱりハチマキ締めて、汗流して、腕まくりしてやっているのが普通だと思っている。福祉に携わらないといけないけど、アートみたいな部分がもっと福祉施設の中でできるのだったら良いけれど、半分ぐらいしかできないんだったら、それじゃ他へ行こうということになってしまう、それが現実です。理事長なんかどうですか。

髙木 福祉の現場がすべて貧相だとは思わないけれど、福祉は食べることだけじゃないと常々考えている。福祉というのは文化だ。その中のひとつにアートがあったり、歌があったり、ダンスなどがある。こうした生き甲斐を与えることも福祉だ。仕事であったりしてもいい。餌を与えておくだけがいい福祉というわけじゃない。アートにはある種のパワーがある。生きて行くためのね。だから私はアートを奨励している。

北村 私はもうひとつ、キーワードは「地域」だと思う。滋賀県など福祉が比較的うまくいっている例だと思う。特に文化面。アートなどがいい例だ。いまの福祉施設の大半は、地域とあまり関わらない関わるためにはアートは極めて優れた手段のように思える地域と結びついたアート活動をやって行くのも、福祉を充実させるひとつの突破口になり得る

北岡 今北村さんがおっしゃった「地域」ということでいうと、僕らがボーダレス・アートギャラリーNO-MAで展示した作品を見た人が、「この作品、良いですね」と言うじゃないですか。すると、「じゃ、作家に会いに行きますか」と言って、「何でしたらご案内しますよ」と。その人を、作家が実際に制作している現場へ車で15分も行けばご案内できるみたいな。そういう意味でも、美術と制作現場がボーダレスに見えるのが地域の力のような気がするんです。

北村 展示してある作品と制作現場とが繋がっている。

高橋 後は、アートを芸術としての評価もひとつだけれど、障害者の就労という側面からもちゃんと見ていかないといけない。芸術的才能のある人は良いですけど、クッキーしか作れないからうちの子はダメなの?何でそんなにアートばかりが……、みたいなことになってしまうから、いろいろな側面から見ることが必要なのかな。

北岡 難しいですよね、就労という側面からみると。

北村 高橋さんも、私は美術は合わないとか言わないで。ちゃんとやっていらっしゃる。

高橋 福祉はアートだ。アートは福祉だ、かな?

髙木 今回の調査でわかったことは、みんなバラバラにアート活動をやっている。まとまるということがない。趣味嗜好はそれぞれ違うだろうけれど、それを、ひとつにまとめる必要がある。日本の場合、何でもそうでしょう。いろいろなことをやっているのだけれど、まとまってきていない。それぞれが、うちが一番だとなる。いきおい障害者が置き去りにされる危険性がある。

議長 そこには力を合わせてこなかったんですよね。

髙木 いろいろね。問題が多い。

議長 高橋さんがおっしゃったように、ややこしい部分が結構出てきたりして。

高橋 こういうアートを一生懸命やっている施設は、はるかに少ないのではないですか。この間、東京電力の子会社でブラックフォーマルの会社が、ポストカードを5万枚作ってくれたんです。その人は、組織、施設の人ではなかなか話がまとまらなくて、個人でやっている人に話をつけると早いんです。そう言っていました

議長 描いている人は個人。

高橋 もちろん、個人というか、施設を通してではなくて。だいたいそういう人、アートで頑張っている人たちは、施設から離れてしまう。というのは、きっと施設に居にくい「根」があるのだと思うんです。良い作家がいて、この間は施設に行って話をしていたのに、今度施設に行ったら退所したと。そうすると、なかなか紹介してくれないみたいなものがある。

議長 アートは独自の活動クッキーだとみんなで分けましょうで良いけど、アートはそうはいかないだからと言って、どうすれば良いのかルールができていない。慣れていないといえばそれまでだけど。

高橋 施設の職員の啓発というか、研修と両方やって行かないといけない。アート活動の推進だけではダメなんですね。

北岡 ボーダレス・アートギャラリーNO-MAをやっていると、こういう作品はNO-MAは気に入るのではないかみたいなことで、結構持ち込まれてくるんです。

高橋 わかるわ。

北岡 あそこは「とんがりブランド」みたいなのがある所だと、みんなが思っている。この間も、長野で統合失調症で悩んでいらっしゃる、相当ヘビーな若い女性の絵が送られてきたんですが、長野やいろいろな美術館に持って行くと、「こんな絵はニューヨークですね」と言われて、どこも拒否されたのだけれどと言って送ってきたんです。

高橋 そういう受皿がまだいっぱいあって良いんじゃないかしら

北岡 そういう何でも入るポケットがあって、ポケット同士がつながると意味があるんです

高橋 連携ね。

北岡 大きなポケットは、苦手なこともやらなければいけなくなるし。

議長 要するに、北岡さんが好きな絵は、北岡さんの所で飾ればいいじゃないかみたいなことだな。

北岡 そうですね。そういう個性がいろいろあって、そこでお互いの価値を認めて行くみたいなことがあると良いんでしょうね。

高橋 とんがり方でいうと、精神障害の方は、とんがっている方が多いんですかねえ。

北岡 面白いですね、最近、多い。

議長 さっきお話があったときにお聞きしようと思ったのは、障害と絵の関係。かなり相関しているんですか?

北岡 例えば、よくヨーロッパの、今回はスイスやパリのみんなとしゃべっていると、「最近は精神障害も良い薬が出てきてね」とか、「表現もつまらなくなって」とかいう話が出るんです。見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえていた時代はもっと良い絵があったけれどねって。私は実際論文を読んでいないのでわかりませんが、ムンクも、いちばんの代表作品は、最も手に負えなかった時の作品であると聞いて、医師がみんなで寄ってたかってカルテとして絵を眺めていた時代に、相当大変な時期だったのです。描かれたのが「叫び」です。あれ以降、ムンクは回復するらしいんです。それからだんだん絵がダメになってくる。評価的にはあれがピークだったと言っていました。だから、やはり障害と絵は相関しているのではないですかね。

北岡 薬だけじゃないかもわかりませんが、興味がガラッと変わる可能性があるので、こだわりが……。だから急に作らなくなったり、描かなくなったりということはあるようです。

議長 その点、肢体不自由の世界は違う?

髙木 うまい人はうまいけれど、ジャンルが違うから。感性が違うしね。だから、一概にどっちが優れてるとかは言えない。

北岡 精神障害の人の場合は、排泄物という感じがするんです。アートが心の排泄物のような。そういう意味では、知的障害の人も結構そういうパターンが多いのかな。描いてしまうと、ほとんど興味が無いという人が多い。

議長 描いた人が?

北岡 自分の作品がその後どうなろうと、あまり関係ないパターンが。自閉症は丁寧にそれを持っている人もいますけどね。

北村 こんな話もありますね。ある施設のアート作品が売れるようになったとそうするとやっぱり絵の質が落ちてくる。たとえばある絵が、何かの包装紙に使われたとしますと、こんな絵を描けば包装紙に使ってもらえるんだなと思いはじめる。そうなると全体的にレベルが下がってきて面白くなくなってくる。

議長 環境で変わる。

北村 あり得る場合がある。その辺が障害者アートは難しい。

高橋 それは、普通の人でも同じで、音楽家が映画やテレビのコマーシャルソングに使われるようになると、みんなそっちへ行ってしまうみたいな。それはそれで責められない。障害者の場合も、稼ぎたいという障害者も居るわけで、そっちもあって良いのではないかなとは私は思います。

北村 あまり気にしないほうが良いかもしれないですね。

北岡 このたびの調査でお作りになったDVDを拝見したいと思うのですが、作品を作っているプロセスを映像で見るのもまたいい。例えば、この間千葉県の野田市にある精神病院に入院している青年が絵をベッドで描いているのを、看護師さんの了解をもらってフィルムで撮ってきたんです。その人は、お父さんが亡くなっているんです。その人は亡くなったお父さんが、実は宇宙の総裁になったと本人は理解しているんです。1日絵を描いていると、ときどき宇宙と交信するんです、お父さんと。お父さんが、「息子よ、悲しむなかれ。父は宇宙の総裁になったのだ」という声が聞こえる。

高橋 その方は精神障害ですか。

北岡 もちろん。本人にはお父さんの声が聞こえるから、絵ができると必ずそのフレーズを絵の中に書くんです。声を文字で書いたらそれで一応完成なんです。でも、それまでに交信する時、こうやって10分ぐらい交信しているんです。「交信が始まった」と看護師さんが言うんですが、それをずっと撮らせてもらうと、3時間ぐらいかけて1枚の絵ができるんですが、3時間回しっ放しにして編集していくと、宇宙との交信の姿とか、絵を解読していく時のヒントになって面白いんです。だから、この種のアートは、作品も面白いのだけれど、制作している現場の面白さが実は相当あるのではなかろうかという感じがします。

北村 とりあえず、ひとこと。やっぱり「とんがり」だ。

高橋 必ず時計を見て書くのは誰だっけ。

北岡 松本君。

議長 障害者アートとは全然違うものなのですが、長野の上田にある窪島誠一郎さんの「無言館」というのがありますね。そこの絵画の物語論と、ある意味似てますよね。戦争をテーマにした作品ではなく、これから戦争に行く画学生たちが、限られた時間を惜しむように描いた作品を展示してある。これらの絵から感じられるような。ある種、特殊な精神状態。

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無言館
【住所】 〒386-1213 上田市古安曽3462
【電話】 0268-37-1650【FAX】 0268-37-1651
【開館時間】 9:00~17:00(7月~8月は18:00まで)

北岡 無言館をお作りになった、東京芸大の名誉教授で画家のツマガヨウヘイ先生は、障害者の美術品にすごく興味を持っていただいて、無言館みたいなものを日本に作る必要があるのではないかという部分でね。

高橋 無言館ってどういうの。

北岡 戦争中に美大生が描いた作品を集めたもの。

議長 美大で徴兵されて、戦地に行って亡くなる。絵として一人前になる前の、修業時代の画家たちの作品なんです。それが自分の妹を描いたり、この絵を残して自分は死ぬのだろうと思いながら、一生懸命描いて行った。窪島さんもその絵がすごく良い絵だとか、芸術的に優れているとは言わないけれど、この絵の重さというのが、そういう思いで描いていたものは十分伝わるので、それを大事にしてほしいんです。野見山暁治先生と窪島さんが一緒に、野見山さんの同級生の芸大の人たちで、亡くなった人たちの作品なんです。

北岡 収集して回られるのですよね。

議長 その絵が、「無言館」という窪島さんの美術館のそばに飾ってあるんですが、私は先に言ったように絵の善し悪しはわからないのです。だけど、そう言われてみると迫るものがある。

高橋 精神障害の方の絵が心の排泄物っておっしゃったけれど、それもひとつの……。

北岡 物語があるんです。

議長 死に直面したときの物語。

北岡 この種のアートは、その作家のプロフィールを知れば知るほど味わいが出るみたいな。それは、本当は美術にとってどうなのかという議論もあるでしょうけれど。

議長 絵だけで見ると、小説もどういうつもりで書いたのかはどうでもいいんで、作品だけを見るということがあるのではないですか、芸術論という観点でいうと。

北岡 絵の横に、例えばDVDで制作風景を流すと、その絵の意味がまた違ってくる。宇宙と交信している風景がDVDで紹介されて、出来上がった絵が横に展示してあると、味わいも深いかな、などと思ったりします。

北村 そういうのは、美術の鑑定している人から言うと邪道かもしれない。邪道だし、これは1億円のものでもいいなと思ったけれど、そういうのを見せられたら障害者の絵だから、だったら1万円で買おうかなと思うかもしれない。

議長 そこは絵の専門家の方々においても、評価みたいな話をするときに、物語的評価というのと、物語なし評価というのは、専門家の方の中でも分かれるでしょうね。

北岡 だけど、無言館は相当評価が出てきているというか、みんなわざわざ見に行きますね。お出かけ系の美術館かもしれない。

議長 北海道で言うと、旭山動物園みたいなもので、なぜわざわざ北海道に行くかというと、動物園に行って、ついでにどこかを回るのだけれど、それに近いですね。

北岡 そんな感じですかね。

北村 ついでに言うと二科会だとか院展だとか、既存の美術界の展覧会、最悪ですよね。本当に面白くなくなりましたよね。作品もだんだんに大きくなって、みんな同じように見える。それぞれ何かがあるんだろうけれど、何も伝わらない。その意味ではいまは障害アートのチャンスなのかもしれませんね。

北岡 野見山先生が全く似たようなことをおっしゃっていました。

北村 ああ、そうですか。

北岡 僕らが出している雑誌に野見山先生が原稿を書いてくださいましたが、まさにそれこそ同じようなことをお書きになっていました。

議長 だんだん画壇の悪口のようになってきたので、この辺りにしておきましょう。いずれにしても、障害者のアートが注目を浴びつつあるという点ではとても良いことのように思えます。これからどうなるのか、どうすれば良いのか、そんな宿題を残しながらこの会をひとまず終わりにしたいと思います。今回、初めて行われました『障害者の芸術文化活動の普及と作品の評価向上に関する調査研究』の結果をもとに、障害者の人たちの人生がよりよい方向に行くことを期待しながら、委員会を終了したいと思います。長い間、みなさま方、ご協力ありがとうございました。

事務局 山本  貢(㈶日本チャリティ協会 事務局長)
藤原 嗣治(㈶日本チャリティ協会)
山平 道也(㈶日本チャリティ協会)
瀬川 乙女(㈶日本チャリティ協会)
大木 英男(マーケティング戦略コンサルタント)

テープ起こし:社会福祉法人 日本盲人職能開発センター
〒160-0003 東京都新宿区本塩町10-3
東京ワークショップ(担当:庄司)

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