VI. 国立障害者リハビリテーションセンター研究所から

河村宏(国立障害者リハビリテーションセンター研究所)

私たちがはじめて浦河町の方と防災の勉強会をやってみませんかと話したとき、津波のときには逃げるんだと思っているひとはいませんでした。震度6の十勝沖地震が発生したとき、「避難は高台のスポーツセンターまで上がっていく」、「それは車で」とみなさん思っていたようです。べてるのレインボーハウス(海岸沿いの共同住居)に住む清水さんと話していたら、「あそこまで(逃げていくの)は自分はとても無理」と言われました。そして、車がない人は無理なんじゃないかと話していました。

そのころ、津波からの避難はスポーツセンターまで逃げるという漠然としたものしかなかったのです。浦河町は地震の多いところですが、幸いこれまで津波や土砂災害による甚大な被害を受けることはあまりありませんでした。おそらく、町の皆さんも地震・火事への対策ほど、津波被害についてどこが安全でどのようにすれば危険から逃れられるか具体的に話し合う機会がなかったのだろうと思います。津波からの避難勧告が出されたとき、防波堤の先端に行って海の状況を観察するマニュアルがあったという話や、海岸沿いにある避難所に電話をしたら避難している方がいたという話を聞きました。地元の人がまっさきに考える避難場所は海に近かったのです。

こういう避難から、べてるの家の皆さんがきめ細やかに、GHとかニューべてるからの避難をし、自分で努力すれば確実に安全を確保できる方法を見つけてきているのは、大きな意味があります。ここの違いが、実際に被害にあったとき命を守る上でとても大きいのです。

地震がきたとき避難訓練とするとばかばかしいと思うかもしれませんが、こういうときにここに逃げれば安全なんだということを皆さんが体で覚えていること、そして全員が同じ方向へ逃げていき、こっちへいけば安全なんだと思えることは、とても安心感があります。ある人が右へ行って、ある人が左に行ってとなると、避難できなくなる状況が増えていくのです。

いま、DAISY避難マニュアルで「ここの交差点を右に曲がります」などといっているのはとても意義があります。全員でひとつの流れになれば、避難そのものが安全になっていくからです。それを多くの人、地域のみんなで確認しておくのが重要でしょう。地元の人が同じ方向へ避難していれば、旅行者が来ても、一緒に逃げながら、こっちにいけば安全なんだということがわかります。

地球上の陸は、地球の表面にある膜のしわにすぎないので、どんどん動いてしまいます。いつかは避難訓練で練習していることが本番になってしまいます。私たちが自分たちで練習して、できる限りやっておくと安全な状況が増えていきます。それを、それぞれの土地の人が体で覚えていれば、どこへ暮らしていても、どこへ行っても安心ですね。

実は、浦河沖地震についてはまだよく調査されていない状況です。大地震の発生や津波被害への危険性は高いのかも知れませんが、まだよく分かっていません。万が一、大地震と津波被害の危険性が高いという予測が出たときに、「だから危ないのだ」ではなく、浦河町に来る津波は一番早いものでも4分だから、「冬の真夜中、お風呂に入っているとき体を拭くのに何分かかるだろう」、「一番早くたくさん着なくても暖かくできる方法は」などといった、細かいところを実際にシュミレーションしてみて、時間を計測しておけば、「それではアルミシートをお風呂と玄関の間に置こう」という準備ができ、安全です。

こうした小さな工夫を交換したり、別のグランプリを地域全体でやってみるのも面白いでしょう。

いずれは独居の高齢の方にも声をかけて、一人ひとりがみんなでいるときでも、また一人でいるときでもどうすれば安全になるか具体的な方策を提案できるようになってくるはずです。これは町にとっても貴重なたからになる知恵です。町の安全を高めるためのキーポイントになるのですから。

命の安全を守る活動が、その延長として復興・まちづくりにもつながっていきます。これからも、私たちは継続してみなさんと考えていきたいと思います。

イラスト 地域で生活するために拡大図・テキストデータ

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