べてるの家がある北海道浦河町は人口1万5千人の小さな町で襟裳岬に近く太平洋に面しているとともに、日本国内でも有数の地震地帯である。2003年9月26日早朝には、北海道十勝沖を震源とするマグニチュード8.3、震度6弱の地震に襲われた。この地震による日本全国の重軽傷者は400名以上、北海道でも苫小牧市で灯油タンクの炎上や列車の脱線などの被害が起こり、浦河では1.3メートルの津波も観測された。2006年には、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震防災対策推進地域の指定を受けて、浦河沖・十勝沖・三陸沖北等で発生する地震にともなう津波対策の必要性も改めて確認されている。
2003年の十勝沖地震直後、浦河の支援スタッフ(浦河赤十字病院、べてるの家スタッフ)が各住居を巡回し、避難場所として指定されている高台への避難を促した。しかし、中には睡眠導入剤を内服しているメンバーは地震に気づかずぐっすり寝ていたり、長期入院から退院したメンバーは緊急事態と認識することができず避難を拒むという状況が起こった。結果的に、時間はかかったが支援スタッフや同じ共同住居に住む仲間に促され、やっと避難できた、というエピソードもあった。
一般的に、障がい者や高齢者は非常災害時に逃げ遅れて二次災害に巻き込まれることが多いと言われている。これらの状況を踏まえ、べてるでは、2004年から地震と津波対策に重点を起き、町行政及び国立身体障がい者リハビリテーションセンターの協力の元、「地域でメンバーが安心して生活できるよう」、非常災害時に対応できるための防災プロジェクトを発足させた。2007・2008年度には厚生労働省から「平成19・20年度障害者保健福祉推進事業(障害者自立支援調査研究プロジェクト)」の認定を受け、べてるの活動拠点・住居からの避難マニュアルを作成し、避難訓練を実施した。防災プロジェクトは地域の方の協力が欠かせないため、いずれも町役場、地域自治会などの協力を得て実施した。
店舗の被害を見て立ち尽くす佐々木社長
べてるの防災事業は「仲間とのコミュニケーション」「地域防災ノウハウの開発と蓄積」「防災訓練」の3つの領域で構成されている。これらの3つの領域は独立して展開してくものではなく、それぞれの活動が連動することで、はじめて地域で暮らす精神障がい者の安全を確保できると考えている。
べてるでは、SSTという生活技能訓練を大切にしている。生活や病気の苦労や、その背景にある認知や行動上の苦労を具体的な課題として挙げ、ロールプレイをしコミュニケーションの練習をする場である。参加した仲間の正のフィードバックやスキルのモデリングを大切にする、認知行動療法のひとつだ。これは自分たちの生活課題をテーマとして取り上げ、仲間たちと話し合い、メンバーそれぞれが対処方法を編み出そうとする実践活動であり、不安があっても「学べばいい」「練習すればいい」「研究すればいい」という共通認識を確立させるものである。
4丁目ぶらぶらざでのSST
この考え方を取り入れ、べてるでは、防災に関する事前の知識と安全確保のポイントを明確にした上で、防災も「練習すればいい」とスタンスで取り組みを進めてきた。防災の取り組みを始める前、多くのメンバーたちは津波注意報が聞こえても、危険だと思わなかったり、危険だと思ってもどうしたらいいかわからずオロオロしていた。そこで、まず地震や津波の特徴を知り、浦河に来る津波は最速で4分で、これまでの記録から最高で10mのところまでいけば、津波から自分の命を守れるということを確認した。日中活動場所や住居の皆で、大きな地図を見ながら、実際に住んでいるメンバーたちが自分の住居からどこに逃げたらいいのか真剣に話し合った。べてるで普段行なっているSSTのように、災害の特性や避難の重要性を分かりやすく学び、実際に避難訓練をして体で学習していくうちに、災害との付き合い方が分かってくるし、仲間と一緒に行動していれば安全だということも分かるだろうと考えている。
昨年度実施した築地自治会との合同会議 避難経路を確認しているところ
共同住居やGHに入居しているメンバーには、自分の考えが人に伝わってしまうというサトラレ(思考伝播による)という苦労がある。サトラレの状態がひどくなると、人前に出ることがとても困難になり、被災時にこの状態にいると逃げられない。しかし、普段の生活のなかでは、サトラレに襲われたメンバーも共同住居の仲間たちにはなしかけられるとふっと現実の世界に戻ってくることがある。仕事や生活、人生といったさまざまな次元の苦労や楽しみをともに分かち合い、体験してきた仲間たちや、そこで培われたコミュニケーションの蓄積がそれを実現させているのである。
甚大災害に襲われたときにも、このような日ごろのコミュニケーションを重ねておけば、安全に避難する機会を増やすことになるだろう。べてるではこうした考えのもと、メンバーたちの日ごろのコミュニケーションの活性化にも力を入れている。今年度は、べてるの家の活動で見えてきた発達障がい傾向の強いメンバーへの、コミュニケーション方法、情報伝達や安全確保のノウハウについても学習した。
日ごろのコミュニケーションを大切にすることは、地域社会全体にも共通のテーマである。精神障がいや発達障がいを持つメンバーたちが培うコミュニケーションを大切にしながらの防災事業は、地域の安全確保にもつながっていくと考えている。
べてるの防災プロジェクトでは、災害時の命の安全の確保を最重視している。災害後の援助や復旧活動は重要だが、真っ先に命の安全を確保しなければ、その先の復旧もないという考えからだ。日本政府の中央防災会議によると、北海道に最も大きな被害をもたらすと考えられている「500年間隔地震」は、前回の発生から既に400年以上が経過しており、いつ発生しても不思議はない。その際、浦河沿岸に押し寄せると予測される津波の最も高いものは約10メートル。また、過去に浦河付近で起きた津波のうち、地震発生後に津波が沿岸に到達した最短の時間が4分だった。これらのことを踏まえ、べてるの防災プロジェクトでは、「地震発生後、4分以内に10メートル」に到達できる避難訓練を実施することとした。
4分で10m! ここまでくれば安心。
DAISY(Digital Accessible Information System )とは、音声とテキスト及び画像を同時に表示するデジタル録音図書のこと。DAISYは、同時に複数の感覚器官を通じて情報を提供できるため、認知に障がいのある精神障がい者などに対する有効な情報伝達手段のツールとして活用されている。
精神障がいをもつ人の防災プロジェクトの場合、災害の特徴、避難場所と避難経路など、災害への対処方法と知識を当事者自身があらかじめ知っていることが重要である。精神障がいを持つ人たちは幻聴さん、お客さん(頭の中のマイナス的な自動思考)に苦労していることが多く、話に集中できないことがある。また印刷されたテキストを読むことが苦手な人、幻聴や妄想に影響されて適切な状況理解やコミュニケーションが取りにくい人がいる。
そこで、べてるでは、DAISYで各活動拠点・住居ごとの避難マニュアルをメンバー自身の手でつくれるように国リハ及びATDO(支援技術開発機構)の協力の下、技術移転を行い、既にメンバーの仕事としての避難マニュアル作りが始めた。メンバー自身がDAISY避難マニュアルを作成することで、自分たちの映っている写真など身近なものを使い、よりわかりやすい工夫ができている。
フラワーハイツからの避難マニュアル
平成19年度の防災プロジェクトによって、国リハが提案した避難訓練の勧め方を基礎に、各共同住居、日中活動の場に応じた具体的な避難マニュアルと、避難訓練の方法が確立された。べてるの活動拠点及び住居で、海抜10メートル以下の場所にある各活動拠点・住居からの避難訓練の手順は、以下の通りである。