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2.虞犯・触法等の障害者を取り巻く司法と福祉の現状

山本譲司(ノンフィクション作家)

司会●続きまして「虞犯・触法等の障害者を取り巻く司法と福祉の現状」について、山本譲司先生より報告をお願いいたします。

山本●皆さん、こんにちは。「山本譲司先生」ってどういうわけか私「先生」って呼ばれるんですけど、私自身、ここの肩書きだと「ノンフィクション作家」なんてことになっておりますが、自分自身、振り返ってみますと、肩書きという意味では、「元議員」なんてのもあるんですけど、どっちかって言うと、「元受刑者」。それでやはりその受刑経験というのが重くのしかかっておりまして、結果、こういった研究事業なんかにも関わることになったわけでございますが。

今回の報告、20分以内ということで簡単にお話しします。とにかく時間厳守ということでやりたいと思います。

私どもの班の研究内容というのは、いろんな調査研究をするとともに、実際、実践活動をやってみようということで、数多くの罪を犯した障害のある人たちと関わって支援をした。これは単に出所後の支援のみならず、刑事司法の入り口までの、要は裁判。あるいは留置所にいるときから関わる中で、いろんなことが見えてくるのではないかということで、かなり多くの人たちと関わりました。

その中で、約20件ですけど、20名の人たちの例についてここに私の報告書の中に掲載させていただいております。それぞれ細かく解説しておりますと半日1日かかってしまいますので、この構図をどういう観点で見ていただきたいか、そんな視点からお話をさせていただきたいと思います。

私自身、実は受刑者として多くの罪を犯した障害のある人たち、受刑者と服役中接してまいりました。しかし服役前については、正直言いまして、自分のことは棚に上げまして、刑務所の中はどんな人がいるのか全然想像がつかないですね。しかし実際刑務所の中に入ってみますと、あれは地獄。いや、それは、極道かどうか分からないと言うか、つまり自分も含めた話なんだけど。この人は悪いな、なんて思う人もそれもまあ2割か3割ぐらいはいます。逆に7割8割の人たちというのは、私自身12年ぐらい議員バッチをつけて、福祉の現場なんかにもよく足を運んでいたつもりでいましたが、そうした施設の中でお会いしたような人たちと、ダブるような人たちが刑務所の中にたくさんいたんですね。

そんな人たちの実は世話係みたいな仕事をさせていただいたんですかね。1年2か月間。私は幸いにして引受人もおりまして帰る場所もあるから、おかげさまで仮釈放で社会復帰ができたのですが、多くの障害のある受刑者の人たちは、ほとんど満期出所という状態でしたね。社会の中に居場所がない、受け皿がないという状態で、結局は刑期満了のところで外に出されてしまう。

そういう現状を目の当たりにして、実は刑務所から出るときは、福祉関係者あるいは司法、特に弁護士と言われる人たちに対して、まあそれは怒りにも似た気持ちを持っておりました。何でこんな人たちが刑務所に入ってしまうことになるのか。どういういったい弁護活動をやってきたのか、なんて、思いながら。実は刑務所から出た後、実は1年半ほど引きこもりに近い生活を過ごしたあげく社会の中に自分の居場所を得て、そこが知的障害者の福祉の現場だったんですね。そこで実際に罪を犯した障害のある人たちを引き受けたりしている中で、実は田島さんから、これは契約になじまない障害者の法的整備のあり方勉強会でしたか、こういう私的勉強会に対して参加をしてくれないかというような、要請、お誘いをいただきまして、それが3年前にこの罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究という厚生労働省の研究班として設置されたわけです。

そこで実はこの研究班ができる前から、特に私どもの研究班、研究協力者として4名の福祉関係者、この方々は地域あるいは施設といった中で、罪を犯した障害者の支援、自立支援に積極的に関わってこられた。あるいは知的な障害のある人たちの刑事弁護に関わってきた2人の弁護士さん。あるいは障害のある人を受け入れた実績のある更生保護施設の、こうした計7名の研究協力者と一緒に、この間、この研究班ができる以前から、いろんな問題に取り組んできたのです。またそこで1つ気を付けなくてはならない。それは、私は特に罪を犯した人間であるだけに過敏に反応しているのかもしれないんだが、これは何かと言うと、やはり今日お集まりのような皆さんというのは、こういう研究をし、それに対して厚生労働省あるいは法務省も動きだし、彼らに対する支援体制というのは整いつつある、これは社会的に非常に有意義なことだと、そう多くの方が認識をされているが、やっぱり、罪を犯した人たち、障害があっても、やっぱり罪を犯した人たちということで、やっぱりどこかで社会の中の意識、まあアゲインスト(against)の風と言いましょうかね、そういうことが、やっぱりそういう社会の意識というものを非常に痛感するような出来事に何回も何回もぶち当たったわけです。福祉施設あるいは福祉サービスに彼らをつなげようとしても、どうしても羊の群れの中のオオカミみたいなことを言われてしまう。

そこで実はどうなのかと。刑務所に入ることになってしまった罪を犯した障害者と言われるような人たちの実態。実態というのはデータとか数字ではなくて、どういう生育歴、どういう環境に置かれていた人たちなのか、そして何をやってしまったのか。やることになってしまったのはどういう状況があったからなのか。そういったことをそれぞれ支援を行う中で、顕在化させていこうということで、この間、この問題に取り組んできました。

先ほど藤本先生のデータ、私なんかは覚えているような話をしているのですが、藤本先生のような専門家がこうやって入って、具体的にこうやってデータを示していただくというのは非常に力強いし、説得力があることだと思いますが、先ほども罪名のあたりですね。罪を犯した人たち、障害のある人たち、知的障害のある人たち。42.3%と。そういう数字が出ていました。これ全体で言うと、毎年、新受刑者の罪種別パーセンテージで言いますと、こういう軽微な罪と言われている窃盗というのは大体30%で、したがって、知的な障害のある人の場合、やはり軽微な罪で入ってきている例が多いということ。1.5倍ぐらいですね。全体の1.5倍ぐらいが窃盗罪ということになっておりまして。

私も彼らと服役する中で、やはり特に裁判支援をして思ったのですが、最近、裁判は少年審判と同じように、何をやったかというのもそうなんですけど、犯した罪の重い軽いというのもそうなんですけど、それと同時に、少年審判という、要保護制のような視点で彼が語られてしまっている。要は、社会の中に、何て言うか、彼らの居場所がない。福祉とも切れてしまっている。家族とも切れてしまっている。あるいは社会の中にいても劣悪な環境に置かれてしまっているのではないか。そういうことを考えれば、やはり矯正施設なりに、とりあえずは当面は預かってもらうしかないだろうと。いわば、矯正施設を彼らの避難所と言いましょうか、保護施設として使ってしまっているというような現状があるわけです。

ですから、私は刑務所に入る前、私の選挙区の近くに府中刑務所というものがありまして、あの長く続く塀を見ておりまして、あの塀に対して感謝をしていましたよ。この塀によって自分たちが住む街、その安全を守ってくれているんだと。しかし、最近いろんな刑務所の中の現状等を知るに及んで、やはり塀というのに、あの刑務所の塀によって、実は守られてしまっているような人が多数刑務所の中に居てしまったとうふうな現状ではないか。

この間、私どもも、この研究班全体で、いろんな数字を、特に藤本先生には大変お骨折りをいただいて調べていただいたんですが、実は矯正施設の中というのは、非常に知的な障害だとかそういうものが顕在化しにくいような環境があります。朝、何時に起きて、何分後には何をやって、次、就労にはどのぐらいに出かけて、どのぐらい何時何分に出かけて、みたいな、非常に帯グラフ的な生活の中で、一挙手一投足を管理をされているような状態。そんな中では、何か、能動的にものを考え、主体的に体を動かすということは、ほとんど、しなくてもいいわけです。その中では誰でも、ある意味、知的な障害がある故の、何て言うか、障害特性みたいなものが、なかなか表に出ない、顕在化しない。したがって矯正施設の中でも、なかなか知的な障害があることに対しての見立てができないという事実もあることは確かだと思います。

しかしながら、実はそれは矯正を頼むわけではないんですけど、その中で見立てができたからと言って、じゃあ見立てができて、それに合う処遇なり支援なり、あるいは受け皿なりがあるんでしたら積極的に見立ても行うんでしょうけど、現段階では、なかなか社会に対する、社会が彼らを見てきてる、そんな制度と、あるいは体制がないということで、矯正の場でも、やはり見立てをきちんとやって、そして彼らをきちんと福祉的な視点でケアをするというような視点が、なかなか育たなかったというのも現実です。

そういう意味では、この間の、本当に田島研究代表者の大変な努力あるいはエネルギーによりまして、本当に私が服役していた6年、7年前と比べたら、今の状況というのは隔世の感があるどころか、この問題にも注目が集まり、そしていろんな予算、制度上もいろいろ彼らを支援する体制というのは整いつつあります。

しかし来年度から、先程来の話にもありますように、地域生活定着支援センターでありますとか、あるいは福祉サイドだけではなくて、矯正あるいは保護といったところでも、彼らを処遇・支援をするという体制が整いつつある。しかしこれはあくまでも、本当にスタートラインについた地点でありまして、これから正に本当に産みの苦しみを、これから味わわなくてはならないときだと思っております。

ぜひ、この問題、まず彼らがどういう人たちなのかと。どうも知的な障害のある人が罪を犯してしまう。これは精神の人もいるかもしれませんけど、どうもマスコミの報道によって非常にモンスター的に扱われてしまうことがある。中には重大な犯罪を犯す人もいるだろうし。しかし塀の中にいる彼らの多くは、本当に軽微な罪で、逆に言うと、罪を犯したことによってようやく塀の中で生きながらえているというような、これは言い過ぎではなくて、そんな状況です。社会の中では、本当に劣悪な、正に貧困だとかネグレクトだとか、そういった孤立、そして排除。そんな中で生きてきた中で、最終的には罪を犯すに至ってしまっているというような人たちが非常に多い。こういう現状をまず押さえていただいて、これまで通り矯正施設の中で、彼らを刑務所の中で、ある意味社会から隔離をし、先ほど藤本先生からお話のあったように、非常に累犯性が高くなってしまう。要は、刑務所という施設を終の棲家にしてしまっている。そうした彼ら障害がある人たちが、この文明国家日本という国において、彼らがそういう生活を強いられてしまっているということが果たしていいことなのかどうなのか。それは冷静に考えれば結論が出るということだと思っておりますが。なかなか罪を犯した人の問題になると感情論が先走って冷静になれないところがあるのですが。

そこでぜひ、この報告書、様々なデータが記載をされております。これをマスコミの皆さんにどんどん取り上げていただきたいと思いますし、福祉関係者の皆さんも、これを読んでいただければ、いったいどういう人たちなのか。どっちがオオカミでどっちが羊なのかということもよく分かると思います。

藤本先生と比べまして、アカデミックではない、自分の思いだけを話してしまった20分間でございましたが、これをもちまして最初の私からの報告、お話とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

司会●山本先生、ありがとうございました。