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平成17年度厚生労働科学研究障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

発表会:障害者のエンパワメントの視点と生活モデルに基づく具体的な地域生活支援技術に関して

まとめ

(谷口明広氏)
ありがとうございました。シンポジストの3名の方とお話をしたいと思っています。

まず一点目なのですが、知的障害の方と身体障害者の方とエンパワメント過程に少し違いが見られたと思うのです。例えば、小田島さんがお話になった知的障害の方々は、II型からIII型に移行してI型が出てきた。武田さんがお話なさった身体障害者の場合は、II型からI型に移行してIII型が出てきていた。その辺の違いに関して、小田島さん何かのご意見がございますか。

(小田島明氏)
先程もお話させて頂きましたが、佐多家さんしか見ていないので、これは絶対正解だとは言い切れないですが、やはりII型、つまり環境がある程度整って、その環境の中へ入れさえすれば、暮らせると思います。あるいは、その環境の中で、自分は自分らしく生きていけるという状態があっても、何か環境を崩す要因が出てきた時、それを乗り越えようとする時に、やはり力が必要であり、どうやって乗り越えるかという自分なりに評価して、戦略・方略を考えなければならないという力が必要だと思います。そういう部分が、やはり知的障害の方の場合だと、かなり制限を受けてしまっていると考えます。そうすると、II型の次にIII型のように、ある人との出会い、要するに支援してくれた人との出会いがあって、そこで初めて支えられていくのです。その出会いがある中で、段々自信をつけていくと、I型である自分なりに力をつけていく変化をしていくということだろうと思います。武田さんの事例でもあったように、II型から次に何かパワレスな状態になった時にでも、自分で方略を考えられる人であれば、そこがIII型を待たなくても、I型で生きていけるのだと思います。 こういうところが少し差が出てきているのかなと思います。私のお話が終わった時に、谷口さんから質問があったように、II型のあと環境変化が無いと次に行けないのかと考えてしまいます。しかし、そうではなくて、もしあの当時、親御さんと暮らしていた当時の時代背景の中に、知的障害の方でも、親亡き後には支援者がいて、支援者が寄り添ってニーズを聞き取り、土屋さんが言ったようにある程度先を見越しながらその人に力をつけるような支援があるということになれば、もしかするとIII型の時期というのはもっと短くて、あるいはパワレスになる時期を迎えないでIII型になり、すごく短い期間のIII型の次に、I型がくるなんてことも人によってはあり得るだろうと思うのです。そういう差があるかなと思います。

(谷口明広氏)
ありがとうございました。武田さん何かコメントございますか。

(武田康晴氏)
身体障害をもつ人たちの聞き取りをしている中で、やはり全体としては環境さえ整えば、何とかなると考えがちになる。その環境には、介護者も含めています。そういう要素は、身体障害の方が大きいと考えます。例えば、うちの学校で聴覚障害の学生がいますが、ノートテイカーがいることにより、その障害さえ補ってくれれば、あるいは障害があることによってできないことさえクリアできれば、学ぶことも自分の持っている力を発揮することもできる部分は、やはり身体障害の方が比較的そういう要素が大きいところが決定的な違いかなと思います。

(谷口明広氏)
はい、ありがとうございました。それでは、もう一つお話を伺いたいことがあるのですが、今の発表の時に頂いた出会い、人と出会う、何かと出会うということが、エンパワメントの分岐点になっていると思うのです。そうしたら土屋さんから発表があったように、支援をする時に出会いを作るということが大切と考えられます。先程、武田さんから偶然的な出会いと、意図的な出会いというのがありました。私が考えるに、「出会い」が良かったか悪かったかというのは、後で分かることですよね。出会ったときに、いい出会いかは悪い出会いかというのは、なかなか分からないですよね。結婚されている方ならよくお分かり頂けると思いますが、良い出会いをどういうふうにしていくのかという観点で何かご意見ありますか、土屋さん。

(土屋健弘氏)
良い出会いって、結婚のアドバイザーとか立場でもないのでよく分からないですが、良い出会いであるか悪い出会いであるかというのは、その時点で明確にあって設定できることは、まずあり得ない。ただし、こうなってほしいなという私たちの願いの中で、こんな人がいるなということを、何とかやっていくのだと思うのですね。最初やはりおせっかいということなのかも知れません。けれども、意図的にということがないと、その機会が少ない人たちであるという場合には、誰かしらが意図的にセッティングしていくことは大事だし、結果はその時その時に応じて何とか知恵をしぼって対処していけばいいと思っています。

(武田康晴氏)
私の話の中に偶然という話があったのですが、誤解がないようにお願いします。良い出会いをさせるということではなくて、エンパワメントという枠組みの中での偶然と、配慮のある出会いが、意図された出会いであると言いたかったのです。偶然の方は、もともと障害をもっていることでパワレスになってしまう現代社会の中で、偶然出会いのこと、だからすごくパワレス状況になってしまったりすることもあったり、このケースで言えばいじめられてしまうこともあるというような、そういう意味です。だからこういうふうに出会わせるという意味ではないということです。

(谷口明広氏)
はい、小田島さんどうですか。

(小田島明氏)
はい。佐多家さんの場合、60年間の記憶を追っていくと、出会いが全て、出会いが良かったとは簡単には言えないです。というのは、100人出会った中で、記憶にあるのは多分すごくよかったなと思う人との出会いとすごく嫌だった人との出会い、中間というのは多分、佐多家さんの子供の頃に誰と誰に出会ったなんて覚えているわけがないと思うのですね。佐多家さんが夜間中学に行くことになったきっかけの出会いは、隣のお姉ちゃんが高校に行っているということで、自分も行きたいなと思った。途中で辞めているし、そこの家と大家さんともめて家を出たというのは、悪い出会いかもしれない。出会いの場を意図的にセットするという場合は、操作的にやることもあるが、それが必要なのではなく、やはり出会うチャンスは広める必要があると思っています。例えば、施設だと同じ指導員に会っている。いつも同じ仲間に会っている。出会いは少ないですよね。地域の中では、いつも同じヘルパーさんに会っている、月曜日はあの人、火曜日はあの人、たまにくる水曜日の人。そうすると地域だから出会いが多いとも限らない。ということは色々なところにいってみると、 色々多面的に活動する中でたまたま出会う偶然に会った人たち、その出会いがその人にとってどういう意味があるかということを、ご本人が理解しようとするところに寄り添うことで、出会いの価値は変わってくるのではないかと思うのです。もしエンパワメントという意味で支援しようとするならば、ある人と出会ってその人が何か感じているなと思うのであれば、それに寄り添ってその出会いが何だったのかということを、一緒に考えてあげるだけで、出会いは変わるだろうと私は思っています。

(谷口明広氏)
はい、ありがとうございます。色々お話もありまして、時間も大分おしてきているのですが、会場からご質問、ご意見をお伺いしたいと思います。どなたかございますか。はい、一番前の。

(会場)
今回のシンポジウムを聞いて、やはり私たち矛盾を感じて疑問を持ったのは、制度的移行で障害者の福祉が変わろうとしている時期において、ご意見をお聞きしたいと思い、質問させてもらいます。

支援制度では障害が重くても地域に暮らせ、自分でコーディネートできた生活が維持できてきたのが、やはり支援法に移行する中で、私の個人的な考えでは非実現法、実現できない制度になるということが危機感を感じています。私たち障害をもっている者は極端な話で言いますと、寝るまでなんらかの介助、支援者であったり、ボランティアの方であったり、24時間介護が必要な方が色々な支援やボランティアを含めて地道な生活ができてきたのが、今度の新制度になると1割負担が発生するということなのです。私たちお金を払うのは嫌だというわけではないが、障害が重いとなかなか働きたいけれども働けない状況があるのです。年金のみで生活している者、私もそうなのですが、結論から言わせてもらうと苦しいのです。谷口さんはじめ、その件に関してご意見を参考にできたらとお聞きしたいのです。

(谷口明広氏)
ありがとうございます。支援法、新しい法律における障害者の生活に関してだと思うのですが、皆さんに伺っている時間はないので、小田島さん一言お願いできますか。

(小田島明氏)
はい。先日ある地方のセミナーで、知的障害をお持ちの親御さんが相談されて発言されていたのです。その親御さんにとって自分の子供を考える時に、支援費制度を存続させて頂いた方が絶対ありがたいと言っておられました。ただ、今の財政の問題、それから経済的な問題、あるいはニートに代表される社会的な問題、色々なものが渦巻いていて、限りある財源をどう使うかということでやっていく中で、支援費制度はいいものであったが、財政的に破綻をしてしまったということを考えるかと、やはり現実的に妥協せざるを得ないだろうというような発言をされておりました。私も支援費制度を作った一人として言わせて頂ければ、支援費制度というものには非常に思いもありますし、そういう意味では今回の自立支援法というものが手放しで全て喜べるものではないことは、正直な感想です。

ただし、こういう社会保障費だけが伸びて、歳入が減ってくる、あるいは株価は上がってきたけれども貧富の差が広がってきていうような現状、ニートの問題、あるいはその自閉症の問題、様々な問題が渦巻く中で地域という観点から、障害者だけが避けられるわけではない。色々な問題を抱えたお年寄りも妊婦もそれに青少年も住んでいる中で、やはり公的サービスというのは財源の割り振りというのを考えなければならない。とすると、自ずと限界があるということは承知しなければいけないだろうということが、現実的な選択をしなければいけないという根拠になるかと思います。

だからといって、社会保障の理念とか、今まで支援費で言ってきた、あるいは基礎構造改革で言ってきた理念を、曲げてはいけないと思います。我々がこういう研究をやっているというのは、やはり自立をしようとする障害をもつ人たちの歴史を追ってみると、反論覚悟でいいますが、支援法になったら自立できないとおっしゃる方がいるけれども、その人たちが誰を真似したのか、誰を見習ったのかというと、支援費も無い、措置の時代に自立をした人たち、先輩なのです。制度が不備であるということは問題です。環境が整っていないという意味では、公的な制度が不充分であるということは、これは問題であり、やはり改善をその都度やっていかなければいけないということは当然だと思いますが、エンパワメントという視点で考えた時に、そういう中であっても俺ら生きていかなければいけないんだぜ、生きていくためには何をしていくんだよということを考えるのが、実は自分の力につながっていくということが大切で、そこを忘れてこの議論をしてはいけないだろうと思います。それだけあればいいというものでもないと思います。だからこそこういう環境の変化を、 我々どうやって乗り越えていったらいいのだというのが、我々あるいは実用しようとする当事者の皆さんに突きつけられている問題だなと、私は思っております。充分な答えではなくて、申し訳ございません。

(谷口明広氏)
はい、ありがとうございました。もっと皆さんからの質問を伺いたかったのですが、あと2分しかありません。そこで最後の締めを頂かないといけないと思いますので、一言ずつ30秒ずつで、今度は逆に土屋さん、武田さん、小田島さんでお願いしたいと思います。土屋さん、どうぞ。

(土屋健弘氏)
先程の話と関連しますが、制度が好ましくない状況に変化するということは、環境が縮小していくということだと思うのです。そこで私たちは現場の人間ですから、それを何とか最小限に食い止めるための努力を当然するわけです。でもそのままで何とか制度が変わってしまったし、堪忍なというところで終わらせてしまうのではまずいのだろうというのが、今日の議論だったと思うのです。その中でも何とかできることはないかなというところに寄り添いたい、それが私たちの今現在感じているところであります。

(谷口明広氏)
ありがとうございます。次、武田さんどうぞ。

(武田康晴氏)
「今困っていること」や「やりたいことはなんです」のように、ニーズを聞くということをやってきたのだが、もう一つ、「どういう人になりたいか」とか「どういう人生をこれから歩みたいか」みたいなところを出発点にしなければいけないのだろうなということを、改めて、当たり前のことかも分かりませんが、私自信すごく感じました。ありがとうございました。

(谷口明広氏)
ありがとうございます。最後に小田島さん、お願いします。

(小田島明氏)
30秒で締められないですが、今、武田さんや土屋さんがおっしゃってくれたようなところで、私も同一の感情を持っております。今回の事例をまとめてみる中で、なぜこのように事例をまとめたかというと、色々な環境の違い、長い間生きてきた人たちというのは、それなりに力を、意図するかしないに関わらず、持たざるを得なかった。あるいは培ってきているのですね。そういった、本当に人間や社会の持つ強さというのを、この事例を研究する中で感じ取れたなと思います。確かに支援法、非常に不安のあることは事実だと思います。私も決して不安がないわけではありません。でも反面、それまでの制度がどうだったのかというと、手放しで喜べない部分も実はあるのです。非常に分かりづらかったり、同じようなサービスがいくつもあって、結局使われていなかったりとか。そういう意味では、公的なサービスが、今ある意味では、金がないと突きつけられた問題の中で、ある意味効率的になり、今まで手が届かなかったものに届かせるというような、決して完全にマイナスに変わるのではなくて、再編整理をしている時期だろうというふうに私は見ています。 というのは、本当に楽観的な言い方をして申し訳ないですが、戦後からずっと障害者問題とか社会問題の歴史を見てみると、その都度マイナスになったりする時期もあるのですが、全体に見ると進んでいるのです。知的障害者の方が一人暮らしするという佐多家さんはある意味ではパイオニアのような存在ですが、今は何人もいらっしゃいます。それは制度を裏付けたのではなくて、ご本人たちや、それと寄り添った人たちの力なのです。運動なのです。福祉というのは、私は基本的には運動だと思っています。制度というのはどうしても後追いになりますね。実証されて、結果が出て、いいことだからやっていこうというのが制度だと思います。やはり我々は福祉に携わる人間として何をしなければいけないか、やはり我々がこれを正しい、これを今やらなければいけないということを、一緒にやっていくしかないのかなと思っています。決して全てがマイナスの方向にいくと思っていませんし、今後も我が国で生活するということは、これは障害者だけの問題ではなくて、実は障害者の方が暮らしやすくなることは、高齢者、ニートの方たちも、 社会の環境に非常にすぐ影響を受けやすい人たちにとっては、我々が淡々とこれから自分たちが生きていくことを続けることが、そういう方たちにも力になっていくと思っています。かつてエンパワメントの公民権運動から始まって、それが色々な分野に広がったのと同じように、我々が今度はこういう今の局面をどう乗り切っていくかということが、次の社会の創造につながるのかなと思います。以上です。

(谷口明広氏)
ありがとうございました。まとめるのもまとめて頂いたので、言いたいこともないのですが、最近になり当事者の方の相談が減っていますね。色々なところに行って色々な話でも、やはり障害をもつ方が悩まなくなってきているという気がします。どうしてかと思ったら、介護が整ってきた。京都は非常にいいですね、支給量が全国的にみても1・2位を争うくらいいいのです。ですから、悩まなくなってきているなという気が、私はします。そうしたら、今日のテーマであるエンパワメントからしたら、ちょっと危機なのではないかと考えます。みんなもっと悩んで頂けたらありがたいかなというのを締めにして、今日のシンポジウム終わりたいと思います。本当にどうもありがとうございました。

(司会者)
みなさま、長時間のおつきあい、ありがとうございました。まだまだ議論が尽きないところではございますが、定刻が過ぎていうということもありまして、このあたりで本日は終わらせて頂きたいと思います。もう一度講師の方々に拍手をお願い致します。