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平成17年度厚生労働科学研究障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

発表会:障害者のエンパワメントの視点と生活モデルに基づく具体的な地域生活支援技術に関して

★ 第二部「障害をもつ人たちの地域生活支援に関する在り方を探る」

(谷口明広)
ありがとうございました。次は土屋さんにお願いします。京都で「きらリンク」というのは有名だと思います。その「きらリンク」で、センター長をしておられます土屋さんからお話しを頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します。

(土屋健弘氏)
京都市北部障害者地域生活支援センター「きらリンク」の土屋と申します。小田島さん、武田さんは、調査に基づいた報告をして頂きましたが、私が話をさせて頂きますのは、実は調査報告書には載っていません。つまり調査をしたものではないのです。そこで日々仕事をしている中で私なりに感じていることであったり、こういったことは課題かなと思うところを材料にして、何とかエンパワメントというものに引き付けてお話するしかないかなと思っています。今からお話させて頂くことは、こうすればエンパワメントできるようになるのですよというHow Toでは決してないこと、それからもう一つ私共が常にこういった取り組みをしているというわけではなく、むしろ私共が仕事をしているうえで何とかこの辺を改善しなければならないなと課題として感じていること、そういったところをご報告させて頂くということをあらかじめご了承頂けたらと思っています。それではスライドに基づいてお話させて頂きます。

私共の支援センターと呼ばれるところは生活支援という言葉の中で仕事をしていますが、通常多くの場合ですが色々な課題を抱えている方がいらっしゃって、その方の明日の生活を何とか保持しなければならない、明日を安全に迎えて頂かなければならないという状況が多い訳です。それ以外にも新しい制度を作っていくんだという気概を持ちたいと思いつつも、現状の中では今の制度の中でどんな暮らしが実現できるのかということを、まずは頭に置きながら仕事をしていくことになります。それを振り返ってみたことを並べさせて頂いたのがこのスライドです。やはり生活の維持をどうしても最優先せざるを得なくなってしまうというようなことを感じています。

もう一つは何とかサービスに結び付けていく中で解決していくことが、悪い言い方をすると手っ取り早い解決の仕方になってくるというところから、何とかサービスを利用できるようにしていきたいと考えがちになります。これは言葉を変えると、サービスがどうしても支援の外枠になってしまい、それを超えていくことがなかなか難しいという実情があるというところが二点目のところです。

結果的にそれを望んで、あるいはそれを目指してではないのですが、知らず知らずのうちに、サービスの枠組みの中だけで何とか生活を志向してもらわなければならないというような気持ちに段々なってしまい、反省すべき点が多いと実感しています。結局本人の意向を確認はしますが、例えばどんなことをしたいですか、あるいはどういう生活をしたいですかという時に、サービスが利用できそうなところだけをどうしても拾い上げがちになってしまいます。仮に移動介護というサービスが使えるとなった時に、そのサービスの枠組みの中で、どんなところに行ってみたいですかとついついきいていくというところで、補足的に本人の意向を反映させていきがちであると感じています。結果的に、これだけの仕事をしていると最低限の生活を確保していくだけの支援になってしまうというのが、現実に多くある支援の場面と思います。

その中で障害者のケアマネジメントという言葉が登場してきていますが、本人の利用意向を尊重していかなければならない、本人の自己選択を尊重していかなければならない、それを実現するためにニーズというものが非常に重要だ、ということが強調されています。またそれらを積み上げていく中で、本人の意向に沿ったサービス、あるいは本人の意向に沿った支援になっていくということが、教科書ではよく書かれていることです。

ところが、ケアマネジメントのテキストを紐解いてニーズ聴き取りのシートを見ていきますと、例えば生活の中の一部分が切り取られていて、例えば入浴という項目があって、現状どうなのかと、今後どうありたいのか、それを聞き取ることがニーズ整理となってくるわけです。

その際に現状週一回しかお風呂に入っておらず、週三回入りたいという言葉が当然出てくるわけです。それを積み上げていって、例えばお風呂が週一回だったのが週三回になって、そういったものが積み重なって、果たしてその方が幸せだ、満足だと、これ以上ない暮らしになりましたということになるのかを考えると、たぶんならないと思います。ニーズ重視とは、そもそも生活を切り分けてその中で一つ一つを聞き取って、それを積み上げただけの足し算でしかないため、その人が人生の中でどこに向かっていきたいのかという指し示したものではないというところから、全てのニーズが仮に満たされたとしても、「自分幸せではないな」「満足しないな」といった不満足感というのが、どうしても残されていくというのが、二点目のニーズ重視というところで感じてきたところです。

では「ひょっとしてこのエンパワメントという言葉を大切にしてみたら、何かいいことがあるのではないだろうか」ということを現場の者としては考えるわけです。その時にどんなことが必要なのか、あるいはどういうことがエンパワメントという視点を盛り込んだ時に変わってくるのかということを考えたのが、このスライドです。自分自身がどうなっていきたいのかという人生あるいは暮らしの目標みたいなものが定まっていれば、私達も寄り添いやすく、もし定まっていないとするならば、それを見つけていく作業というのはやはり大切なのではなかろうかと考えたわけです。

ところが「私はこういう生き方がしたい」あるいは「こういう人生を歩みたい」というものを明確に持って生きている人というのは、そうはいないと思うわけです。私自身も迷いつつということもありますし、皆さん自身も普段の生活の中でそういったことを具体的に、私はこういう人生を歩むんだということを明確な目標のもとに暮らしているのではないと思います。

そうするとやはり色々なことが必要になってくるわけです。一つは考えたり悩んだりする作業というのはもちろん必要ですが、試しにやってみないと分からないということもあると思います。先程のお話の中ではリスクを冒す自由というものが大切という言葉がありましたが、やってみて失敗したから学べることもあるでしょうし、やってみて上手くいったから自信につながることもあるでしょう、それが経験として積み上がったからこそ、次なる目標というものが定まってくることもあるでしょう。一日一日を過ごしていく中で、こういった経験というものを重視していくような支援というものが、どこかでいるのだろうなと感じるわけです。なぜ経験を重視するかというと、その人からとりあえず今こういう人生を歩みたいという暮らしぶりを目標として設定してもらえれば、私達はそれに寄り添いやすいからだということなんだと思うわけです。

そこで本人の人生の目標を設定できれば、そこに向かうまでには当然色々なプロセスがあって、AさんとBさんとでは当然異なる道筋があるわけです。そのプロセスに寄り添ってみるということがすごく重要なのだと感じるわけです。そういった意味で私達が成すべきことというのは、もちろんニーズ充足というのは大事ですし、制度を何とか引き付けて制度の枠組みの中でできることを考えることももちろん大事ですが、前に、その人がどういう歩みをしたいのかということを考えたりするような、そういった作業を共にするプロセスが求められていることを感じたというのが、この三点目の部分になります。

その中で私達が支援をしていくにあたって、どのような支援の道筋があるのかということを考えてみたのが、この六つのSTEPというものです。当然全ての方が1から6に順番に進んでいくわけではないと思います。ただここで考えたのは、何をしたいのか分からないけれども何か今の生活に不満足だなという人が、自分でもやっていけそうだという人に変わっていく時に、私達が何をすればいいのというところで、少し区切りを付けてみたわけです。

まずその一つ目の部分ですが、私達が出会う方の中には、目の前の課題に何とか対処せざるを得ないような深刻な状況にある人が多いわけです。それらの状況は当然社会が作り出したものもあるでしょうし、その人の周りを取り囲む関係の中でそういった状況が起こることもあるでしょうし、またそれが障害そのものに起因していることもきっとあるでしょう。この時点では自分が置かれている状況を回避することが当面の目的になっていて、自分自身がこう在りたいというところに向かっていくことは難しいかもしれません。

そこでまずは自分自身が「実はこういう状況にあるのはおかしい」と感じなければ、「クリアしていきたい」、「こういう状況から抜け出したい」という気持ちにはなりづらいわけですから、自分がパワレス状況と呼ばれているところにあるのだと気付かなければ、なかなか次のステップには結び着いていきにくいものと思います。ただ、「あなた自身は極めて不幸な状況にある」あるいは「パワレスな状況にある」ということを、こんこんと説明するわけにもきません。なぜなら、そのような状況にある人たちに対して、先行きが無いような絶望感すら与えかねないという側面もあるからです。

そういうふうな状況の中で何ができるかなと思った時に、従来は障害を持ってらっしゃる方々に横のつながりが存在し、その中で「やはりおかしい」ということを、共に語り合えるような場があったのかもしれません。残念ながら今、例えば知的障害の方々は(喜ばしいことなのですが)地域の学校に通うようになってきました。結果的に、育成学級というところに知的障害の方が通っていても、一人しか障害をもった方がその学校にいない、ということがよくあるわけです。そうすると、「私だけが変なことになっている」ことに親も子も気付きようが無いという状況が生じるわけです。当事者グループでの横のつながりにて、そういった自覚を促すような取り組みというのは大事だったのですが、全ての人にそれが行き渡るような状況に今はないのです。この状況で私達に何ができるのかなといった時に、「何かおかしい」と感じていることを言葉にできる、言葉にし合える、そういった場の設定というのが非常に重要と考えました。たまたま相談に来られた方については面接という手法ももちろん有効かもしれませんが、そういったグループの中で話をしていくような、 サロン的なことも当然あるのかもしれません。

いずれにしてもそういう準備していく段階で、何か自分達が感じていることを言葉にできる、そんな場面が必要になるというのがこの最初の段階になってくるかと思います。

その次に、「なんかおかしな状況にある」、「それが極めて当然だと思えない」、そんなことだったら何とかそこを乗り越えて行きたいという気持ちが必要になってきます。エンパワメントというのは、先程一番最初の定義のところにもありましたが、自分自身、本人の意向に沿ってということが極めて強調されているわけです。つまり、本人の意向に添わなければ、どんなことをしたとしてもたぶん、大きなお世話なのです。うっとうしい話になってしまうわけです。ですから、自分自身で何とかそういうふうな状況から脱却したい気持ちになって頂くためにということを考えなければなりません。そこで、自分自身の意思に基づいてもちろん取り組んでいくことが必要なのですけれども、「どこかでなんとかしてほしい」というところから、「なんとかしたい」という言葉に変容していかなければならない。というのがこの段階の課題だと思います。つまり、なんとかしてほしいということに答えることは、もちろん我々もできるわけなんですけれども、いつまでたってもそれは押し付けられたものであったり、あるいは仕方なく受けざるを得ないという状況から、本人は抜け出せない。 しかし、なんとかしたいなという気持ち、あるいは言葉に切り替わって初めてサービスが手に入れば何とかできたに変わるわけです。この部分が重要だとは思うのですが、場面設定が必要になってくるわけです。きっとこれはタイミングが大事だと思います。とにかく明日を迎えることすら非常に難しいような、非常に危機的な状況の時に、あなたは何したいですかと悠長なことを聞かれても、とにかく明日を迎えねばならないわけですから、その場面で問うことは難しいかもしれません。そのため然るべきタイミングというのがあるかもしれませんが、そういったタイミングがあった時には何か訴えていくような言葉が必要になってくるだろうと思います。ただし、そのタイミングというものが待ってても必ずやってくるものではない。誰かに何かを促されて何か気づきを与えられてということが、やはり必要なんだと思うわけです。そこでやはりタイミングを早めていくために、先程の話の延長線上ではありますが、色々なそのような状況にあった人、あるいはそのような状況にある人が言葉を交わすことがタイミングを早めていくためには効果的かなと思います。 そのために、準備期1、準備期2というものは、とにかく自分達が思っていることを語る場というのが、非常に重要ではないかと感じました。

実際、何とかしたいという意図を持って頂ければ、そこからスタートしていけるわけです。在りたい人物像、あるいは人生、どんなものになりたいのか、どんな人になりたいのか、どんな暮らしをしていきたいのかということを考えていくステージになってくるわけです。とはいうものの、どういう人生が正解、どういう人生が間違いがないだけに、やはりここでも色々な課題があり、どんな選択肢が自分にはあるのだろうか、あるいはどういう選択を他の人たちはしたのだろうかということに気付ければ、よりイメージし易くなってきます。これも先程の報告にありましたが、よりよいモデル、あるいは悪いモデルのどちらかを指しているわけではなくて、誰かしら人生を演じている、役割を演じている、そんなモデルがあった方が選択し易いだろうなと考えるわけです。「出会った人が、こういうことをやっていて、そういうふうになりたい」と思うのも一つですし、「誰かが何かを目指していてそれに取り組んでいる姿勢がすてきだなと思うのだけれども、目指している方向はちょっと違うな」と感じることもきっと大事でしょうし、そういった意味でロールモデル、 あるいはライフモデルというものが目の前にあった方が効果的だろうと考えます。この段階では、障害を持ったあるいは同じような状況にある人同士と言った方がいいのかもしれませんが、そういった人たちからの会話、特に経験のある人たちとの出会いというのは有効に機能しやすい。そんな段階ではないかと思います。ただ一方で、どうしたらいいのかに迷っているわけですから、何か答えを得たい状況なわけです。そうするとロールモデルの人たちからの直接的な言葉というのは極めて影響力が高くなります。ですから、「僕のようになりなさいよ」と支援者がいったわけではないが、ついついそのように受け止められてしまうという、そういった状況にあるわけです。どなたがどのようにというのは様々かもしれませんが、そういった色々なロールモデルと出会った時に、「あなた自身はどう感じたのか」ということを問う、そういった場面があわせて必要なのかなと思います。これが開始期のところです。

その次に、そういった目標がある程度定まってみれば、あとやってみようという段階になってくるわけですが、ここで体験、経験というのを積み上げていく、そんな場面になってくると思います。在りたい姿がもちろん定まれば、そこに近づくために、色々な戦略があります。これはもちろん「こういうやり方がある」ということを提示することもできますけれども、その人が大切だ、あるいはその人が優先する考え方・価値によって優先順位というのは変わってくると思います。道筋を一緒に考えていく場面、そこが非常に重要で、「こっちの方が近い道なのに」とか、「こっちの方が上手くいくだろうな」と思うことを、どんどん言うべきであるかということは少し私自身は疑問に思っています。そうやってみたいと思えば、とりあえずやってみようかという言葉を、後ろから力づけるような、そんな言葉がたくさん必要な段階なのかなと思います。

そういった意味で、個別の面接の中ですごく丁寧に聞き取っていく場面はもちろん必要ですし、こういった人生のモデル、あるいは人生のモデルが定まった後で、ニーズというものを聞き取っていけば、もちろん具体的な戦略をたてやすくなってくるわけですから、先程のニーズ重視というような取り組みも、この段階であれば有効に機能してくるのかもしれないなと感じています。自分自身の戦略を決定すること自体が大切なプロセスなんだと思います。「経験してみて、作戦を色々考えて、行き詰まったらまたそこで、じゃあどうやっていこうか、違うやり方を考えようか」ということが重要なプロセスだと感じています。これは個別面接ももちろん有効ですが、同じような段階にある人たちで、ああでもないこうでもないというような知恵を出し合えるようなグループディスカッションも、ひょっとしたら効果的なのかもしれません。

その次に色々やってみてスタートをきってみれば、失敗したり、うまくいったりということの小さいことが積み重なっていくわけですが、当然ながら作戦通りに進まないことが多い。進まないことが多いということは、当然修正を必要とするわけです。計画通りに上手くいかなければ、またこれは個別面接等の中で修正してみたり、あるいは当事者・支援者で一緒に話し合ってみたりして、どのように修正するかを考えてみる。これも色々な人たちの中で知恵を出し合うというのも効果的かなと思います。いずれにしても、上手くいかないという経験も、一つの大切な経験であって、それが上手くいけばそれがもっと上手くいく方法を考えるという機会につながっていくという意味で、重要なプロセスだと感じます。そして修正すべき点を知恵を出し合う。ここでもちろんロールモデルというものも有効ですけれども、私達支援者も、例えばこういう方法はどうだろうかということを、このレベルまでくれば提示してみても彼ら自身で選び取っていくこともできるのかなと感じたりもしております。

実践を積み重ねていって修正をしていって何かしら一定の時期にくれば、当然達成できたこともあるだろうし、達成できたことが積み重なってくると自信につながってくるだろうし、先の実践というのを繰り返していって結果として体験や経験が一つずつ積み重なっていくものと思います。もちろんこのステップというのが一回きりというわけではなくて、再度何度も何度も繰り返されるのだろうと思うのですが、こうやって取り組みを振り返ってみるような場面を設定してみて、上手くいったらなぜ上手くいったのか、上手くいかなかった分は何が不足していたのか、ということを考えることが次の経験というものに対して、何か直面したことに対しての力につながっていく、そんなことを感じたりしています。上手くいったらもっとやってみたいことが、自ずと増えてくるということを感じたりもしています。そういった意味で上手くつながっていけば次のテーマというものは、今度はこちらが何かを提示しなくても「今度こんなことをやってみたい」というようなことにつながっていく、そんな可能性がこの段階になると出てくるかなと思います。

まとめの部分ですが、もちろん今までのやり方を全て否定するわけではないのです。ただしやはり足りないなということなのです。つまりサービスコーディネートというのは、非常に重要なのですが、当然サービスというものは法に基づいて提供されているものであればあるほど、その枠組みの中で提供しなければ、それは違法なサービス、あるいは不適正なサービスというふうに置き換わって、枠組みを超えて提供することは、本来できないというような状況にあるわけです。ですので、それは言葉を反すと、制約に富んでいるのがサービスということになるわけです。そのサービスを何とか上手く使ってということは当然大切なのですけれども、サービスコーディネートだけでは当然その人らしくというところであったり、その人の人生を支えていくには不足してしまうということが生じるのです。そのためサービスコーディネートだけで留まるような仕事では、その人のエンパワメントというところには迫っていきづらいのだろうなというのが一点目の部分です。

二点目として、ニーズ重視というのは先程も話しましたけれども、その人の人生の目標に向かって支援していく中でのニーズ重視であればいいのですが、それが無い中でニーズを切り取ってしまうと、単なる生活を切り取っただけ、分解しただけになってしまって、それを積み上げてもどうしても「何か大したことにならない、あるいはその人の人生にはあまり意味をもたらさない。」ということになってしまう。つまり、目先の部分、今日よりはましかなというところにしかたどり着けない、そんな限界があるなというのがニーズ重視の限界と思うわけです。

以上のことから、サービスコーディネートとニーズ重視というのはもちろん大切なのだが、次の三点目ですが、エンパワメントという視点、「本人自身の力を大きくしていくこと」と併せて「環境自身を何とかその人の望むものに近づけていく、とりこんでいけるように大きくしていくこと」、それから「個人と環境というものを何とか距離を近くしていくこと」、そんなエンパワメントという視点を強く盛り込んでいくことで、非常にその人らしさというものに迫っていけるなと感じています。ケアマネジメントというのは従来、実は先程の話でいくと、III型に過ぎないのです。本人がそのままで環境があって、それを近づけていくことが非常に重要であるといわれます。ケアマネジャーという言葉は障害者福祉、特に知的障害を支援する領域などでは、コーディネーターという言葉が一般的に使われています。つまりサービスをコーディネートすればいいというところで留まってるのです。そこを、本来のケアマネジメントという意味ではそうではないのだと思うのですが、もっと広く拡大していって、エンパワメントという視点をたくさん盛り込んでいければいいなというわけです。

四点目ですけれども、エンパワメントの支援のために、例えばこんなことできるのではないかということは、実はよく話をきいて、それは個人の場面で話をきいてもいいし、グループでディスカッションをしてもいいし、ということしか言ってないわけです。つまり特別な方法が必要だと言っているわけではないということなのです。特別な方法ではなくてその方法を何のために使うかというだけに過ぎないなというのがエンパワメント支援の中の一つの具体的なことなのかなと思います。

最後の部分で、将来どういったことを目指したいのか、どんな人になりたいのかということを見据えていけば、その人に意味のある支援につながっていくのかなという気が致します。つまり私達の仕事というのは日々というところでは、何とか制度をその人のニーズというところに合わせていこうということで、力ずくで制度利用に結び付けていくところには何とか力をそそいでいるのですが、もっともっと長い将来というところを見据えて支援していくということが実は不充分だなというのが改めて実感しているところです。それを一つ、例えばということでこんな展開ができないのかなというのが、私からの話になります。

資料:パワーポイント