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平成18年度厚生労働科学研究費補助金障害保健福祉総合研究推進事業報告書

オーストラリアおよび近隣諸国における精神保健システム

Ⅳ 精神保健の国際的な課題-International Mental Health Leadership Program(iMHLP)に参加して

1.目的および方法

国際的な精神保健の現状および課題を知るために、メルボルン大学が主催するInternational Mental Health Leadership Program(iMHLP)に参加した。このプログラムの目的は、特にアジアの若手の精神科医、大学、行政機関に関わる専門家を対象として、精神保健システム作りに必要な公衆衛生、公共政策の基礎を固め、さらに人的なネットワークを構築することにある。今年で5回目を数え、本年度のプログラムには、インドネシア、スリランカ、ベトナム、サモア、日本から12名の参加があった。

2.結果

プログラムの内容については多岐にわたったが、主要な点について以下に概要を示す。

1)国際精神保健の発展(Global Mental Health Development)

精神保健は、各国や地域の社会、文化、経済、政治的文脈などに大きく依存する。その国の精神保健の発展、推進を考える際には、その国の精神保健に関する文化、社会的要因、リーダーシップの比較文化論、スティグマ、各国の保健サービスを支える価値観などを考慮する必要がある。

国際精神保健における重要な課題としては、1)プライマリーケアでの精神保健サービスの統合、2)病院・施設中心の精神保健の改革、3)精神保健の資源不足、偏在の問題(2001年、Atlasプロジェクト)、4)地域精神保健の発展、5)サービス評価の必要性、6)記録の不足、7)スティグマや偏見、8)青少年を対象とした精神保健対策などが挙げられる。

1993年に世界銀行、ハーバード大学が発表した障害調整生命年(Disability-adjusted life-years, DALYs)は、国際保健に精神保健の重要性を訴える強力な実証研究となった。公衆衛生の課題が感染症などの急性疾患から、生活習慣病などの慢性疾患に関心が移る折に、DALYsの試算により、精神障害の公衆衛生的な重要性がより明確となったのである。また、2004年のインドネシア沖における津波被害は、その周辺各国に大きな被害をもたらしたのと同時に、精神保健の重要性を喚起する出来事となった。また、近年の実証研究からは、精神保健が独立して身体的健康に影響を及ぼすことを示す研究も報告されており、ますます公衆衛生における精神保健への認識が高まっている。

津波被害の後、インドネシア、スリランカには多数の国際NGOが流入したが、そのサービスの質、重複、現地での人的資源を管理する機関はなく、科学的根拠の乏しいサービスを行っていたり、あるいは同じ地域でサービスの重複がある現実、また現地の相場に合わない給与によって、結局として公共サービスからの人的資源の流出があり、一方で、これらNGOの活動の継続性の問題など、倫理的にも多くの問題をはらんでいた。災害の急性期を過ぎた復興期においては、各地の精神保健の問題は、持続可能な精神保健システムそのものを構築する営みの必要性が明らかである。それは地域の資源(特に一般医や地域住民からなるボランティア)を動かして、教育、研修の機会を提供して、地域保健システムそのものを整えていく地道で息の長い活動が必要であり、現在インドネシアやスリランカではそのような取り組みが実際に始まりつつある。制度・システムの持続性(Sustainability)が重要である。

BrainDrain(頭脳の流出)は途上国において深刻な問題である。例えばスリランカの場合、人口2000万のスリランカ本国で勤務する精神科医は30人しかいないが、オーストラリアで教育を受けたスリランカ人精神科医が、メルボルンだけで30人働いている。またフィリピンでは、何百人もの医師が看護師として再教育を受け、アメリカなどで看護師として働いている。各個人がより良い就職機会を求めるのを止めることはできないので、先進国の医師が定期的に訪問するなど、システムとして考える必要がある。

2)精神保健に関する政策立案(Mental Health Policy Development)および精神保健サービスのデザイン(Mental Health Services Design)

精神保健システムの改革は世界各国で課題となっている。システムを変更するには政策を立案する必要がある。そのためにはまず、種々の問題の同定し、関係者の立場を姶良日にすると共に彼らの関心を集め、維持することが必要不可欠である。利害関係者の同意を得ていない改革はうまくいかないことが多いからである。また多くの場合、保健システムの問題は財政、支払い方法、組織、規制、関係者の行動に分類され、一つの問題はいくつもの領域にまたがる課題であるので、問題の本質を深く分析して、効果的な解決方法を提示することが必要となる。

オーストラリアの場合には、2002年に精神保健の国家施策(National Mental Health Policy)、スタンダード、実績指標が定められており、これに基づいて精神保健の第3次5年計画(2003年‐2008年)が立案されている。この計画の進捗状況について詳細な年間報告が発表されている。更に、特定の領域(精神保健の促進・予防・早期介入、自殺対策など)については更に具体的な計画がある。

これらの問題解決のためには、利害関係者の分析(Stakeholder analysis)が効果的である。特に精神保健はさまざまな部門の関わりがあること、専門家らはそれぞれの専門職組織を通じて声を上げやすいが、当事者や家族らは従来それほど組織化が進んでおらず政治的な活動もおこしにくい構造がある。各利害関係者の立場を明確にし、戦略的に関係者を動かすためには分析が重要である。

精神保健システムの向上、特にperformanceを向上させるには、いくつかの重要な指標がある(effectiveness, appropriateness, efficiency, accessibility, continuity, responsiveness, capability, safety, sustainability)。問題の分析の過程では容易に目の前にある問題の解決に関心が移行しがちであるが、ここで問題分析の系統樹を使い、問題の本質を見抜く必要があり、これらの分析のもとに、具体的な行動の計画、プログラムの立案が進むことになる。

精神保健の中で一番今までネグレクトされてきた問題は児童思春期の精神保健であり、この分野の政策立案が望まれる。国際保健の場では、児童精神保健は正式に省庁のプログラムに組み込まれていることはまれで、そのニーズとのギャップはNGOの取り組みに負うことが多い。しかし、NGOが国の政策に影響を及ぼすことは難しく、また、短期間で成果が見えにくいので、事業を起こすのも難しい現状がある。

特に低所得国の子供たちは、もっとも脆弱な立場にあり、これらに対しては公衆衛生的なアプローチが重要である。また成人の精神障害の50%は青年期に発すると報告されており(Kessler, 2006)、行為障害などの社会的コストはまだ明らかにされていないが大きな問題であることは間違いない。学校における介入、例えば、学校からドロップアウトする子供のスクリーニング、介入、地域における暴力防止の介入、そして個人レベルでは、外傷体験を持つ子供に対するIPTやCBTは効果があると実証されている。

システムを変えようとするときに、問題点を整理し、それに対する解決法を同時に提示することは建設的な議論をもたらす。

研究者としては、政策にインパクトを与えるため、疫学研究、特に精神保健における研究での文化的要因の関わり、スクリーニング、測定法、質的研究、介入研究などの手法により、プログラムの効果などを実証して提示していく役割は今後さらに高まるであろう。

3.考察

本プログラムを通じ、世界における精神保健の現状と課題を概観することができた。日本だけではなく、世界の国々で現在精神保健に注目が集まっており、それぞれの国において課題や到達度は異なるものの、精神保健システムの改革に乗り出していることが明らかになった。また各国が目指している方向も地域の精神保健のキャパシティを高め、脱施設化を目指し病院ではなく地域で精神障害を持つ人を支えるという方向でおおむね一致していることもわかった。

今後これらの国々と情報交換をし、優れている点は参考にし、また日本における良い実践を提案していけるよう、研究を行ったり、それを政策につなげていくことが重要である。